私は自己肯定感が低い。
自信もない。
これまでに彼女はいたし、告った数と告られた数は後者のほうが多い。
童貞でもない。
しかしそれは私がモテたからではなくて、自信がなく拒絶されて傷つくのがこわくて手をこまねいている間にたまたま偶然運がよかっただけのことである。
その証拠に、30歳をすぎてからはそのような偶発的なことは一切なくなった。
所詮は学生時代や20代の若さがあってのみ成り立つものであったにすぎない。
30歳をすぎてから何もしていなかったわけではなく、いわゆる「自分磨き」的なことでできそうなことは現在も続けている。
が、一向に自己肯定感も男としての自信も高まりそうな気配がない。
過去よりも体力も筋力も経済力も仕事力も人間力も高まったはずなのに、自己肯定感と男としての自信だけは高まらないのだ。
それを何とかして埋めようと、月に1回程度「夜のお店」に行くが、いくら褒められても持ち上げられても、自己肯定感も男としての自信も満たされた気にならない。
それどころか、接客業としての癖か、相手の言動の真意を探ろうとしてしまう。
これは例を挙げたほうが早い。
「落ち着きがない→フットワークが軽い、好奇心旺盛」「マザコン→母親想い」などと、否定的な言葉を肯定的な表現に置き換えて発することがある。
これを逆算的に捉え、いくら肯定的な褒め言葉を並べられても、「真意は○○なんだな」と否定的な解釈をしてしまう。
(まあそもそもがそういう「商売」なのだからしかたないのだが)
そしてこのような卑屈な発想になってしまうのもまた、自己肯定感の低さゆえなのだ。
過去、夜のお店でのことではないが、相手の肯定的な言動を信じて好意を示したら、結果単なる私の勘違いだったという出来事があり、非常に恥ずかしい思いをした経験がある。
恥ずかしいだけで済んでいれば大きな傷にはならなかったが、あろうことかこの相手はそんな私のことを罵倒してきたのだ。
自分もまた私を勘違いさせるような言動を狙って行っておきながら、その落ち度は棚に上げて勘違いした私だけが一方的に悪であると罵ってきたのである。
この出来事は私の心に大きな傷を残した。
大袈裟な話ではなく、この時点から自己肯定感も男としての自信も失ってしまったのかもしれない。
もっとも、このような過去の苦い経験にいつまでも縛られていつまでも前を向けないのも、自己肯定感の低さゆえなのだ。
かくして、今私は自己肯定感を少しでも高め、男としての自信を取り戻したいと躍起になっている。
視野狭窄にもなっているのだろうか、自分1人で考えた結果、男としての自信を取り戻すためには、過去やろうとして失敗し苦い思い出となってしまった「狙った女を狙い通りに落とす(←落とす、ってのは表現がアレだがわかりやすいかと)」という「成功体験」をすることでしか回復できないと考えている。
心理学的には、この成功体験は「代償行為」によって疑似的に満たすことでも心の変化があるといわれているようだけど、こういうことの代償ったってねぇ。
自信が無いことを赤裸々に語れる時点で立派だよ 女は匿名ですら見え張っちゃって「女としての自信がない」なんて書けないもんね
今日も女は