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はてなキーワード: 夢想とは

2023-06-20

月曜から夜ふかし見てたら恒例の心理テストやってた

「配られたポケットティッシュになんて書いてあった?」

というもの

自分の答えは

「夢」

(何の広告だよ。「夢」文字て。夢グループか)

で、その心理テスト於いてそれが何を表しているかというと

幸せになる為に今すぐすべきこと」

なんだそうだ

夢を持てってこと?

そんなもん持てるなら幼い頃から持っとったわ

持ってないから今こんなんなんだよ

感性も死んで老いさらばえた今となっては、尚のこと夢なんざ持てるわけがねー

脳も体も枯死している

つーか、夢ってのは実現可能計画みたいなもんだろうが

夢想するだけだったら叶うわけ無いんだから

「夢はお金持ちになることです」ってのは大方の人間にとっては夢想(お金持ちになる為に計画を立てて実行出来る人間は一握り)

「夢はお嫁さんになることです」ってのは大方の人間にとっては計画(夢見る程お嫁さんになりたいガツガツした奴ならば必ず結婚する)

そういう感じ

夢想ならいくらでも出来るが、計画は出来ない

夢、むつかしい

でもほんと、夢が無いと幸せにはなれないかもな

幸せ…かー

自分は不幸だとまでは言わないけど(仕事があって飯が食えて屋根の下で眠れてるから。そして日常生活で意に沿わないことをなるべくしないで済んでいるから)

決して幸せではない

不幸じゃなければ幸せか?

馬鹿らしい話だなあ

とっとと人生を終えたい(ソレが夢か。必ず果たされる夢ではあるけど、一番重要な「とっとと」の部分は綿密に計画しねえと叶わないなあ)

2023-06-19

NISA新自由主義グルーミングである

この投稿NISA活用している方々に向けて書かれたものである。ただし、その中でも「わたし新自由主義の信奉者です」という方々は除外する。その人たちに伝えるべきことは何もない。対象としては、NISA活用しているが新自由主義跋扈するこの世界社会改善すべきところがあるのではないかという疑念を抱いている人たちに向けて書かれたものである

先ずは用語確認しておこう

NISA

NISAニーサ)とは、個人資産形成応援する国の税制優遇制度です。通常の証券総合口座投資では、株式投資信託の売却益や配当分配金20.315%の税金がかかるのに対し、NISA口座での投資ではそれらの利益税金がかかりません。

出典: NISA(ニーサ):少額投資非課税制度 | 楽天証券

新自由主義

国家による福祉公共サービスの縮小(小さな政府民営化)と、大幅な規制緩和市場原理主義の重視を特徴とする経済思想

 資本移動自由化するグローバル資本主義新自由主義を一国のみならず世界まで広げた ものと言ってよい。

 国家による富の再分配を主張する自由主義(英:liberalism、リベラリズム)や社会民主 主義(英:Democratic Socialism)と対立する。

出典: 新自由主義|経営コラム・レポート|日本総研

グルーミング性犯罪

子どもへの性犯罪では、犯人が巧みに被害者の心をつかんで接近する準備行動をいう。幼い子ども従順さや思春期特有の悩みにつけ込み、被害者と「信頼関係」を結ぶため、周囲も気付かないまま加害行為が長期化することもある。

出典: 性暴力の前に巧みにつけ込む 忍び寄る「グルーミング」:朝日新聞デジタル

本文に入るが、既にタイトル結論である

NISAとは少額投資非課税制度であり、これは国民投資を推奨する政府施策であることは言うまでもない。投資ギャンブルであるか否かといった議論はここではしない。

資産は何もせずに金銭として持っていても目減りするから、別の形(不動産証券、純金etc)で持っておくことはある種賢い選択であろうから有効と考えられる。ただし、それらの資産は逆に価値が下がるというリスクもあるが、これは政府広報していて公正な態度だと言える。

ただし、NISAという制度を使って政府投資という相場国民たちを参加させたいのだということは再度認識しておくべきだ。

これは新自由主義の推進によるものだということも確認しよう。

1970年代から始まったこ経済政治思想英国ではサッチャリズムと呼ばれ米国ではレーガノミクスやレーガニズムと呼ばれた。日本では中曽根康弘が始め、小泉政権下で顕著に推進された施策だ。

現在自由主義諸国新自由主義グローバリズムが猛威をふるっていることは言う必要がないだろう。しか新自由主義者たちはまだ足りないのだ。あらゆる世界市民新自由主義の旗の元にあつまる世界夢想している。

世界では貧富の差が拡大し、一部の富裕層の持つ資産は下位50%の持つ資産を大きく超えている。新自由主義が富者を肥えさせ貧者をより細らせていることは明白なのに彼らはまだそれを推進しようとしている。宗教のようにその思想伝道し、経済ダーウィニズムがこの世界に浸透することを望んでいる。

何故か。

彼らは捕食者であり被食者を求めている。市場に碌な知識もないまま資産さらけ出す愚か者を求めている。

更に彼らは自分たち主義主張がこの世界過酷ものにすることを知っているから、その反対勢力興隆することを危惧している。経済弱者連帯することを恐れている。それなら、まだ敵ではない人々は味方につけてしまえば敵になることはない、そう思っている。だから新自由主義啓蒙しその成果が分け与えるようなふりをして味方につけてしまおう、洗脳してしまおうと思っている。

そしてNISAはその策謀のひとつだ。少額で始められること、非課税であることなどを呼び水として参入ハードルを低く設定し、投資という行為忌避感がある層にもこの競争に参加させようとしている。経済弱肉強食金銭適者生存サバンナに放り込もうとしている。クスリの売人が最初一服無料サービスし、甘言で誘惑して顧客に仕立て上げることを思い出そう。

あなたたちはその被食者になるかも知れないのに夢を描いて自分だけはそうならないと無駄に楽観的な見通しで投資に手を出すことになる。運良く被食者にならずに済み、捕食者となったあなたたちはどうなるのかと言えば新自由主義を支える一員に成り果てる。そう、新自由主義に加担するのだ。

NISA活用しているけれど新自由主義疑念を持っている人々はここで矛盾を味わうだろう。個人としてNISAを通して投資を行うことは生活防衛であり、一市民としてのより賢い選択しかない、新自由主義肯定するものではない、と。しかしそのような君たちの個人的な心情をあなたたちが出資した資産は主張しない。あなたたちが預託した資産新自由主義者に大いに利用されるのだ。あなたたちは彼らに燃料を供給している。兵站を担っていると言っても過言ではない。

このように言われればあなたたちは反論しようとするだろう。

「我々は新自由主義弊害認識しているし、その改善必要だと考えている、そして貧者に対しても博愛の情を持っている」と。そして「そのこととうまくNISAを利用することは別だ」と。

別ではないのだよ。あなたたちは別だと思っているかもしれないが、あなたたちの選択結果的新自由主義を推進している。正確に言えば、新自由主義推し進める政府政策に乗せられて加担させられている。

こんな風に批判されればカッとなって

家族生活を守ってより良い生活をしようとすることのどこが悪いのだ」と主張するかも知れない。中には

新自由主義だって悪いことばかりじゃない、それらの施策によって現実的世界は豊かになっているというデータもある」などと言い出す者もいるだろう。

うそれはグルーミングなのだ

あなたたちは新自由主義に対して批判的な気持ちを持っていたかもしれないが、NISAを利用することにより新自由主義に加担させられ、そのことを批判されると新自由主義に対する疑念を打ち消す方向に考えを改めてしまう。己の選択と行動を正当化したいが為に。

性犯罪被害者加害者擁護してしまうのと同じ行動だ。加害者洗脳されて、自分たち行為は悪くない、そうなった事情さえある、だからいけないことだとしてもそれほど悪いことではない、加害者さえ弁護してしまう、そんな風に考えるように仕向けられる。

からNISAというもの投資のリターンを期待させたり、その利益が非課税であるといった甘い言葉で誘惑し、自陣に引き込み加担させ、そして新自由主義肯定するように洗脳してしま施策なのだ。取り込まれしまっている。これをグルーミングと言わずして何と言えばいいのか。経済的、若しくは思想グルーミングとでも言えばいいのだろうか。

そのような事例は、はてなでも大いに認められる。新自由主義現代日本政治ブックマークコメント批判的な人物でも投資NISAという話題になればせっせと肯定する。もう手懐けられてしまっている。

ここまで言っても分からいかも知れない。

「それで?」と冷笑的な態度でいるかも知れない。

「へーそーなんだ、じゃわたし生徒会行くね」とミームで返すのかも知れない。

そういう態度こそが問題なのだ

あなたたちは加害者になろうとしている。新自由主義を支え格差を拡大し経済成長の名の下で環境破壊を推進する加害者の一員になろうとしている。そのことだけは覚えておくべきだ。

俺はNISAなんてやらない。俺は俺の責任として加害者にだけはならないか新自由主義に加担するなんてことはしない。生活者として賢い選択ではないだろうが馬鹿でいい。口座に積立するくらいならその金で安い酒を買う。そんな金さえ無いがな!金持ちにはなれないだろうし貧乏なままだろうが、知ったことか。人間主義主張というものをそういう生活態度で示すものだ。「新自由主義には反対ですが投資生活防衛のために行います」みたいな二律背反していても平気でいるような小狡い態度はとらない。狡いってのは卑怯ってことだからな。絶対NISAなんかやらない。絶対にだ。

2023-06-15

コロナ脳の人ってどこをゴールだと思ってるの?

「私は一生マスクを着用し外食をせず、旅行にも行かず家にこもって暮らします」って宣言してくれるなら納得するんだけど

まだ「本当のコロナの終わり」を夢想してる感あるじゃん

2023-06-13

anond:20230613124101

芸術家夢想家だらけの中にいる数少ないマトモなビジネスマンから有能扱いされてるイメージ

2023-06-09

anond:20230608230929

思う。

俺は鬱状態だが、世間人間は全員が躁状態だと思う。

向精神薬を服用してぼんやりしている俺の方が真実で、健常者を名乗る人々こそが躁状態なんだと思う。

現在向精神薬を服用している。鬱状態で何も意欲がなく、毎日横になって過ごしているうちに一日が過ぎてしまうような日々を送っていたが、このままではいけないと奮起して心療内科に赴き処方してもらったものだ。このエネルギーを絞り出すのに数ヶ月かかった。そして処方を服用すると劇的に効果がある。

先ず、様々なことをするハードルが途端に低くなった。今まではアレもコレも片付けないと、あそこに問い合わせして状況を把握してそれによって対応を決めて…などと思うばかりだったが、とりあえず電話して確かめそれから考えよう、という風に動き出せるようになった。

物欲も湧いてきた。デジタル一眼のカメラが欲しいと前から思っていたのに動き出せなかったが、とりあえず値段だけでも調べてみよう、実店舗に行って実物を触ってみよう、そのような気持ちになった。難点は収入がないのにそのような高価な買い物ができないことだ。

些末なことでは部屋の片付けや掃除をすることができるようになり食事も摂れるようになった。

基本的楽天的になった。思い煩うよりも動いて確かめて壁にぶち当たってから考えればいいと思うようになった。物欲が湧いてきたと書いたが、あれを買えばこんな利点がある、きっと楽しいことがあるはずだと思えるようになった。

しかし、鬱の自分が頭の片隅で自分を見ている。お前は躁転しているだけではないのか?そう言っている。

けれども、もっと客観的に見れば、今の自分世間一般の人たちの行動とたいして変わらない。躁転しているとは言えない。

便利なものを欲しいと思い、それが手に入ればあれもこれも手間が省けるはずだと思う。投資をすればきっとリターンがあるはずだと思っている。どこかに出かければ楽しいことが待っているはずだと期待する。人と会えば楽しい会話ができると思っている。食事に行けば美味しいものが食べられるだろうと思っている。映画観劇ライブを見に行けばきっと楽しい時間を過ごせるだろうと思っている。みんな楽天的で明るい未来を心のなかに描いていて憂いはない。

そう思うと、人類はきっと躁病なんですよ。

少し前に、結婚子育てのことを「みんな子育てを難しく考えすぎ」なんてエントリーがあったけれど、あれぐらいの躁状態じゃないと他人人生を巻き込んで新しい命に責任を負うことなんて引き受けられるわけがないのだから

資源を無計画採掘して経済が優先だと後先考えずに浪費する

中露の軍事的脅威があるのに目を向けない

環境問題科学者たちが訴えているのにそれを信じない

男女の差異があるのに平等を実現しようとする

差別があるのに関係いからと目を背ける

少子化が進んでいるのに個人自由を盾にして対策をしない

貧富の差は極端に大きくなっているのにそれに目を向けない。

何も物を作らず投資という名の金銭の移動だけで利益を得る。

どれもこれも現実から目を背けて、なんとかなる、きっとこの先良くなるはずだ、このシステムはしばらく崩れることはない、そういう楽天的な考えによって先延ばしにされ除外され目を向けず目を背け、なかったことにしている。みんな躁状態からきっと大丈夫」だと思い、懸念を示す人たちには「難しく考えすぎ」の一言で済ませてしまう。

何もやる気が起きないという鬱の状態は確かに異常だろうが、一般の人たちの楽天的で無計画で先行きに不安を感じてもそれを押し殺すことができる精神状態はかなりの躁状態だ。

現実は厳しく容赦ないもので悲観的未来しか予想できないのに、世界を真っ当だと思って楽天的未来夢想して無計画でいる人たちの方がきっと狂っている。

anond:20230608192424

妻子いる身で過去彼女との人生夢想してるようなマヌケで脳の悪いおっさんに対して何を僻めばいいんだ

2023-06-08

anond:20230608154700

からだけどウザ絡みすなや 時折「あっち選んでたら~」って夢想するもんやろ

2023-06-07

anond:20230607154807

できるんだったら20年前にやっとるわ。

丁寧に論理的独身女性いかにこの国にとって迷惑存在説明するくらいなら、もっと実用的な世間様にご迷惑をかけない自殺方法を教えてくれよ。

市役所あたりで後始末代100万円くらい払って気軽に自殺できる制度できないかなって毎日夢想してるよ。

親の介護が終わったらそろそろ本格的に考えないとね。

2023-06-06

anond:20230606093637

病気…?教科書に書いてあるような基本機能を述べただけの人が病気…?

地球は丸いって言ってるようなものだが、これを病気と罵るのは反知性主義・反科学・反事実・つまり夢想的なだけのカルトだぞ

2023-06-03

犬が亡くなった日の日記

家族として暮らしていた柴犬が死んだ。

17歳と8ヶ月の犬生は大往生と言えると思う。

一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。

今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。

家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。

私は実家から1時間弱の場所暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。

本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。

犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。

犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。

でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。

いつだかシルバーバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。

外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行体制になるように支えて歩かせた。

人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。

犬は数年前に腫瘍が見つかっていて、視覚嗅覚は衰えていた。

それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。

とにかく牛乳が好きな犬だった。

犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。

老いからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家冷蔵庫牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。

煮干しの頭が嫌いだった。

頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家リビングには煮干しの頭が転がっていた。

鮎を貰って大喜びしていた。

近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。

さつま芋が好きだった。

人間食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。

抱っこが嫌いだった。

抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。

個人主義者だった、と思う。

我が家人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。

好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。

甘噛が直らなかった。

さなかった。塩対応の犬だったが、人間帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。

お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。

テレビの前の机の下が定位置だった。

老いからはよく母の後をついてまわっていた。

目がよく見えなくなったとき家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。

風呂場や台所玄関で寝こけていた。

夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。

雷や花火の音に怯えて家中をウロウロしていた。

シャンプー大嫌いで普段はあまり鳴かないのに大鳴きしていた。

よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。

ブラッシングも嫌いで特に後ろ脚はよく怒っていた。

換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。

はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。

キツネみたいな顔だった。

たまに顔がまんまるになっていた。

濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。

しっぽの先端も黒かった。

額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。

から腹は白い長めの毛で、綿花みたいだった。

散歩に行くとたまに雑草をかじっていた。

犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。

犬よりも人間のほうが好きみたいだった。

亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。

そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。

黒と茶色マーブルの同じくらいの体格の犬。まだ元気かな。

歩くのが下手になってからはよく側溝に落ちかけていた。

散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。

近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。

しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。

祖父祖母も顔を見に来てくれていた。

今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真グループラインで共有していた。

古いカメラ携帯を引っ張り出してデータサルベージしては、思い出を語り合った。

家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、

写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。

今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、

犬がまだこの家にいるうちに自分記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。

犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。

冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。

私は犬のいる家が好きだった。

母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。

そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。

この光景永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。

もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。

今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。

そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。

自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。

犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格から心配はいらない。

不自由な肉体から解放された犬を明るい顔で見送る家族

私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。

それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。

家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、

この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。

ずっといてほしかった。ずっと5人と1匹の家族でいたかった。

別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。

納得しているのに受け入れがたい。

去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。

犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。

ずっと記憶にある思い出。

玄関腰掛けふたりで月を見た夜。

あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。

意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。

もういない。

2023-05-31

ポリコレ

なんかわかんねーけどよぉ

俺は永遠について考えちまうわけだ。俺は、俺なんかは。

ま、でもそりゃあ珍しいことでもなんでもなくって、

文章書くやつなんてみんなそうだろって思ってたわけよ。

まれたからにはどんな形でもいいか普遍とか永遠に触れてみてぇ、

そう思ってるようなやつが文章書くんだってね。

まずここにいる俺のためにこの文章はあって、

次に想定されてる読者がいるとするなら、はるか遠い未来の、

ほとんど俺とコンテキストを共有できてないような、下手したらほとんど言葉も通じねぇような奴、

そいつに何かが伝わるなんてことを夢想したりするもんなんじゃねぇの。

でも今はもう

今通じることを

今許される表現範囲内で書く、

ってのが主流なんですかね?

いや共感されてぇってのはわかるよ、俺だってある、今ここで分かられてぇ時もある。

でもね、

「今許される表現」ってのはほんとに一過性のもんで、

昨日はOKだったけど今日ダメ、でも明日んなったらまたOKになるかもしれねぇ代物だろ。

そんなこと気にする必要あんのかね。

虚空に向かって放つつぶやきだぜ?

どうせ俺らは時代精神ってのにどっぷり浸されちまっていて、

既に使える言葉なんて知らんうちに限定されてんのに、

さら自分に猿ぐつわハメるようなまねしてどうすんのよ?

表現の自由、とか大上段に立った話じゃなくてもよ、

俺は書く時くらいは何にも囚われないでいてぇって思うよ。

つーか、何にも囚われない感覚を得るために書くってこともあんじゃねぇか?

まぁでも叩かれんのも嫌だからビビりでめんどくさがり俺は、こうして匿名で書いてるわけだ。

つーわけで、愛してるぜ、アノニマスダイアリー

2023-05-22

anond:20230522105412

日本の代わりに撃ってくれる保証なんてどこにもないが?夢想家ですか?

anond:20230522103655

ほらね、お腹いっぱいとか言ってちゃんと食わない。

反論できないという事実無視する。

事実を見ない。

本気じゃない。

 

俺は現実主義者気取りかもしれん。

だがお前は理想主義者ではない。夢想主義者だ。

2023-05-11

日本で人気なのは圧倒的な力の差を覆すことの出来る、大逆転の可能性のあるスポーツ

圧倒的力で夢想する系のなろう系のようなのは微妙なんだろう

2023-04-11

anond:20230410220023

実家貧乏だったので食えるかどうかで理系学部を選んでしまった。

本当は経済学部法学部に行きたかった。法学部だと弁護士になれるほど頭は良くないし、経済学部だと入試数学が要る大学もあるのに文系扱いされるのが嫌だったので理系に行った。

結果、堪え性の無い性格ゆえ転職を繰り返していながらもどうにか食えている。

時々あの時法学部経済学部に行っていたらどうなったか夢想することがあるが、これが人生なんだと思う。

2023-04-08

anond:20230408014727

その通りだ。苦しめることによってはじめて行使される。服従だけでは十分でない。相手が苦しんでいなければ、はたして本当に自分意志ではなくこちらの意思に従っているのかどうか、はっきりと分からないだろう。権力相手苦痛屈辱を与えることのうちにある。権力とは人間精神をずたずたにし、その後で改めて、こちらの思うがままの形に作り直すことなのだ。そろそろ分かってきただろう。われわれの作り出そうとしている世界がどのようなものか?それは過去改革家たちが夢想した愚かしい快楽主義的なユートピアの対極に位置するものだ。恐怖と裏切り拷問世界、人を踏みつけにし、人に踏みつけにされる世界純化が進むにつれて、残酷なことが減るのではなく増えていく世界なのだ。われわれの世界における進歩苦痛に向かう進歩意味する。昔の文明は愛と正義を基礎にしていると主張した。われわれの文明の基盤は憎悪にある。われわれの世界には恐怖、怒り、勝利感、自己卑下以外の感情存在しなくなる。他のものはすべてわれわれが破壊する――何もかも破壊するのだ。革命からの生き残りと言うべき思考習慣はすでに打ち壊されつつある。これまでわれわれは親子間、個人間、男女間の絆を断ち切ってきた。今では誰も妻や子や友人を信用できなくなっている。しかし将来は、妻や友人といったもの自体存在しなくなるだろう。子どもたちは生まれたとたんに、めんどりから卵が取り上げられるように、母親から引き離されることになる。性本能は根絶され、生殖行為は配給カード更新されるのと同じで、年一回行われる形式的手続きになるだろう。オルガスム存在させない。すでにわれわれの神経学者はその研究を進めている。党に対する忠誠の他に忠誠はなく、党に対する愛の他に愛はなく、敵を打ちのめしときの勝ち誇った笑いの他に笑いはなくなるだろう。芸術文学科学もなくなる。われわれが万能になったとき、もはや科学必要ではなくなるのだ。美と醜の区別もなくなるだろう。日日の暮らし面白さも喜びもなくなる。数々の競い合う快楽破壊される。だが常に――この点を忘れてはいかんよ、ウィンストン――人を酔わせる権力快感だけは常に存在する。ますます増大し、ますます鋭くなってね。ぞくぞくする勝利快感。無力な敵を踏みにじる感興はこれから先ずっと、どんなときにも消えることがない。未来を思い描きたいのなら、人の顔をブーツが踏みつけるところを想像するがいい――永遠にそれが続くのだ

2023-04-05

子供の頃に夢でよく訪れたショッピングモールには過去が染み付いている

数年ぶりに夢に出た。

変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。

俺がよく歩き回るのは本屋CDショップが一緒になった妙にサイバーインテリアフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代ゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティティ系のアトラクションもある。スノーボードハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊シューズレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモード任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚施設に紐付いている。

祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父視力を測る機械の前に座って、奥で店員老眼鏡を調整するのを待っている。

増田、お前の目は半分じいちゃんとおんなじなんだ」

そう言って祖父自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感けが残って泣きそうになっている。

SATY実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラス女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。

「あれ、マッスンまたSATY? じゃあ途中まで一緒に行こ」

そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末教室はいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中特別美人でも秀才でもない普通女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理大福ひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。

高2のある日、たった一度だけだが、広末SATY用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイ材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから屋上植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末ぶどうシャーベットだった。広末一口あげるといって自分スプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。

夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物ジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中こちらに背を向けて座っていた。

高3になると俺と田中文系広末理系選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。

夢の中の田中高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たもの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒地元就職した彼女上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中マンションゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。

夢の中の田中スミノフハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。

マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」

田中視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係バランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。

気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中ヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。

目が覚めると泣いていた。

もう10年ほど職場人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。

SATYに行きたいと思う。

2023-03-31

今日人間の振りをする

友人の話を聞くのが苦痛

こんな自分を輪の中に入れてくれる稀有相手だというのに、その話を聞くのが苦痛で仕方がない

友人が話すことに、まったく共感できない

「あっそ、それで?」と内心思ってしま

他人感情、思い、願い

そういったものに関心を持てない、そういう特性なのだそうだ

社会」というのは、人間進化過程で獲得したものである

肉体機能でもなく、道具使用でもなく、環境を調整するための大きな武器の一つであるらしい

その恩恵に与っておきながら、私は他者共感ができない

私の世界には、私しかいない

相手を見ているようで、自分を見ているだけだから

から最後最後になって私の周りには誰もいなくなってしま

ゾッとする、こんな自分自身に、こんな人生

このままずっと生きていくのかと思うと

未来に耐えきれなくなっても、人生は続く

我々の精神なんかとは比にならないほど、現実や肉体は強い存在強度を誇る

生かされているのだ、端的に言えば

土台じたばたしても詮方ないことなのだ

認めたくないと何度繰り返したところで、何も変わりはしない

ただただ、今日も気分が悪い

吐き気のする我が人生が早く終わることを願うまでである

――「あらゆる流れから取り残されてしまった末代の私」


過去自分言葉が、予言のように、呪いのように積み重なっていく

から、せめて迷惑をかけないように

相手に合わせ、感情の伴わない言葉と表情を誂えて

隣で相手が笑っているうちにできた事は沢山あったハズだ

失敗したってちょっと恥かけばすんだチャンスを

くだらないプライドを守るために全部消費したんだ

終わってから気が付いた事は「わかってた」事にはならないよ

もう遅い 今から君にできる事は新しい出会いの準備

それができないなら 独りで生きる準備だ

きづきあきら・サトウナンキ「メイド諸君!



恋愛がしたいわけではない、結婚がしたいわけではない

自分自身に、何の価値もないと思っているから、他者にその担保をして欲しいだけに過ぎないんだろう

自分存在している意義を、居る意味を、存在必要性

結婚は勢いでするものだ」と言うようだけど、私は違うと思っている

恋愛結婚というのは、共依存的な色彩によって後押しされるものなんじゃないか

それは、もしかすると性欲よりも強いのかも知れない

生きていくことは正気ではできないから、それぞれが個別神様宗教教義でっちあげる

「互いを互いの存在意義とする」というのも、そうした思考停止の一つだ

他人迷惑をかけたくない」「これ以上不幸な人間を増やしたくない」と、反出生主義を唱えるくらいなら

そこまで潔癖になるんなら、今すぐ死ねばいいだけの話なのだ

私は、私の遺伝子を根絶やしにしたい気分になることがある

このクズ遺伝子が、罷り間違って後世に残るようになってしまうこと程、罪深いことはないと思うのだ

の子供が、この世に“理不尽に産み落とされ”地獄に落とされるのを赦してはならない

私の汚濁のような欲望のために、不幸な人間をこの世に生産してはならない

「生まれたことが間違いだった」と思うような人生を送らせる訳にはいかない

――「自分の自我にしか興味のない私は何に“生きて”いるのか」


ポルナレフ 人間は何のために生きるのか考えたことがあるかね?

人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

名声を手に入れたり人を支配したり金儲けをするのも安心するためだ

結婚したり 友人を作ったりするもの安心するためだ

人の単に役立つだとか愛と平和のためにだとか

全て自分安心させるためだ

安心を求めること事こそ人間目的

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 27巻」



全ての女は、宮崎駿にとっては、グランママーレと同じなんです。

「全ての女はグランママーレと同じように怖く、得体がしれなく、でも、強くて美して、男は敵わない。

から、一度好きになってしまったら、一生死ぬまで振り回される。それが女である」というのが、宮崎駿がこの映画の中で語っている、「女とは何か?」という考え方なんですよ。

岡田斗司夫「『崖の上のポニョ』を精神分析する〜宮崎駿という病」


 生きることだけが大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間まこと義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間義務とみるのである。生きているだけが人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。

 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

 時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから死ぬまでの間です。

 大ゲサすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは子供夢想で、学問じゃないのです。

坂口安吾不良少年キリスト

@Gesu_Masuda

2023-03-30

社会に出荷される前に残しておこう

はいつ気付くのだろう。自分は何者にもなれないし、特別なことを成し遂げるなんてできないことに。俺は高校生くらいで何者にもなれないんだろうなと気づいたけど、大学に入るまでは多少は成功した人生を送れるんだろうと思ってた。特殊な家庭に生まれ東大に現役合格した俺は少しは特別存在なんだろうと。高校には俺よりも裕福な家庭で生まれ、俺よりも課金され、俺より長い時間勉強しているような奴らがいっぱいいて、でもそいつらは聞いたことのないような大学に進学して、そんな中で東大に進学した自分特別だと思っていた。家庭環境自分自身に対するコンプレックスを乗り越えるためには、自分特別だと信じるしかなかったし、これから未来成功夢想するしかなかった。

でも4年間過ごしてわかったのは、俺は一切特別人間ではないってこと。元々何かを学ぶことは嫌いではなかったけど、授業を聞くとか机に向かって勉強するとかが苦手で嫌いだった。そんな俺が落ちこぼれるのなんて一瞬だった。進振りはもちろん希望学科には行けなくて、定員割れするようなところに進学することになった。机に向かうのが苦手だけど行動力があるとか求心力があるとかそういったタイプでもないから、凡庸大学生活を送った。なんとなーく就活を始めて、この先未来が見えないようなところに就職して、4日後に入社式を迎える。

俺が特別でないって分かったって書いたけど、それと一緒で他の人も特別じゃないってことにも気づけた4年間だった。そいつらは特別から優秀なわけじゃなくて、特別から成功する未来約束されているわけではなくて、日々の積み重ねがあるからそういった存在になれるんだって。確かに才能とか遺伝子レベルでの強さとかそういったものの違いはあると思う。だけどそれだけで戦えるような世の中でもない。あいつらは普段から未来を見据えて、自分の信じる道のために努力を続けている。頑張っている。よく「頑張る」ことができるのも才能だっていうし、実際その通りなのかもしれないけど、それで片付けることは僕にはできない。俺の部活にもめちゃ大企業に行くやつとか官僚になるやつとか外資初任給で一本もらうやつとか卒論の段階で成果を残しているやつとかいっぱいいるけど、そいつらの頑張りを常に側で見ていたからこそ、才能があるからとか特別からなんて言葉で終わらせてしまうのは彼らに失礼だと思う。結局は自分の目指すべきものを信じ続けることでしか道は開けないんだろう。道が開いた上でちゃんと行動することで前に進むことができるんだろう。

俺は俺の道を信じる。そしてこれから人生後悔がないように動き続ける。この気持ちを忘れないように、誰にも見られないようなこのインターネットの海に残しておく。

読み返すとこの文章一貫性もクソもなくてやばいな。だから俺はダメなんじゃないか、、、

2023-03-15

10代のころ、なんであんなに彼女が欲しかったんだろう

とにかく欲しかった。誰かが好きになるというかは誰かを彼女にしたかった。

ただ積極的ではないので、空から美少女が降ってくれればいいみたいな夢想をしていた。

あと、積極的モテるようなファッションをするというのは負けとおもっていたのでそんなモテたい素振りをしないようにしていた。今思えばどうしてそれをしなかったんだと思うが…

高校生の頃、彼女ができる夢を見た。特定の誰かではなく、架空人物、その時僕はついに「ついに僕にもできたぁぁ!!」という気持ちで、今でもその高揚感を覚えている。そして目が覚めた時にそれが夢だと分かったときの落胆ぶりも覚えている。

好きな人と付き合いたいではなく、誰かと付き合いたいだった。

90年代は、何かと恋愛文化重要視されていて、ドラマ恋愛ものほとんどだったし、やらずに二十歳を超えることを「ヤラハタ」と言われて童貞は恥ずべきものというのが男どもの共通認識であった。

今ほど多様性が許されてはいなかった。

彼女ができるというのは、その社会での一つ上のステップにいけるという気持ちだったのかもしれない。

いわゆるトロフィーってやつ。

19のときに初彼女ができた。しかし1か月で別れた。それでもなお僕は「彼女いたことがある人間だぜ。20歳前にできたんだぜ」という気持ちになった。

大学合格したときみたいな気持ちだった。

完全にトロフィーだよね。何を勉強するかではなく偏差値大学を決めている人間と同じだったわけだ。

彼女と別れた後も、付き合っている状態じゃないとダメだという気持ちになった、フラフラし始めてしまったが、

その後いろいろあって大人になって、大学時代にできた彼女と(前述の人の次に付き合った人)そのまま卒業と同時に結婚した。

ステータス世間体じゃなく人として見るということを教えてもらったんだね。なお妻は大学生ではなく、自分の周りとは違った価値観を教えてくれた。年もだいぶ違ったし。

19歳の頃初彼女ができなかったり、今の妻に出会えなかったりして、あの頃のトロフィーを求める気持ちをもったまま今の年齢になっていたらどんな人間になっていたんだろうと思うことがある。

ある時から諦観していたと思う。僕を選ばない側が悪いと思っただろう。それには根拠があって、こじれていた16くらいの頃はでも、チャラい男を選ぶ女が目がないという気持ちになっていたからね。

勉強ができる僕のような人がいいだろうとも思っていた。

その気持ちはおそらくずっと増幅されることになっただろう。

あと、当時のスクールカースト上位の男子たちを疎ましくも思いつつも、どこかあこがれているところがあった。

僕は本当はおしゃれしたいけれど、気恥ずかしさがあってできない。それをやすやすと越えている連中はすごいという気持ちもあったが、鬱屈しているメンタリティは素直になれない。

当時の僕は連中がなんでモテるのかの分析もできていなかった。

強そうだからモテるとか、イケメンからもてるとか、はやりのファッションをきているからだとか、体育会系からとか、表面的な分析しかならないわけだ。

から、連中のことを嫌だと思いつつ、自分にないものを持っていて社会に認められているとも思っている。つまり強さとか男らしさというモノの価値を逆説的に認めちゃっている状態だった。

このまま僕があのまま年を取っていたら、男らしさというモノへの羨望と恨みで鬱屈した感情を持つかもしれない。

「僕は男らしさを持てなかった。男らしさは低俗ものだ。粗暴だ。だからあえて持たなかったともいえる。でもそれでは女からは見向きもされない。女どもは男らしさを無くせというが、その結果が俺みたいなもんなんだぞ」と思っていそうだ。

2023-03-09

anond:20230309085828

さあ

今思いついただけだが

多言宇宙論が好きなSFオタクちょっと夢想する人もいるんじゃねーかな

2023-02-27

ポケモンアニメサトシがいなくなるのが時間の流れを感じて辛い

これは大人になりきれないクソオタク戯言である

自分は93〜97のどこかで生まれた(無駄な年齢フェイク)人間。初めてのポケモンピカチュウ版。幼少の頃、アニメポケモンは空前の大ブーム友達兄弟も皆ポケモンが好きだった。

勿論自分例外ではない。特にアニメ世界観サトシピカチュウそして仲間達がポケモン世界を旅する姿を見ているのがとても好きだった。

ポケモンアニメを見た夜は、布団の中で自分ポケモンアニメ世界ポケモンと一緒に旅をする夢想をしていた。欲しいドラえもんの道具はもしもボックスで、理由は「ポケモン世界」を現実にしたかたから。

ポケモンという存在は、ポケモンアニメでは動物としていうにはあまり人間に都合がいいほど、人間言葉理解し、友達でいてくれる。まさに、自分にとってサトシピカチュウ子供のための夢の世界だったのだ。

しかし、子供は成長する。ポケモンアニメAG中盤くらいで自然卒業した。

しかし、生まれた時からクソオタクだったのと、ポケモンコンテンツが巨大な供給力をもっていたことにより、ハマり具合に波はあるものの、なんだかんだゲームは大体全部プレイするなどして、ずっと自分ポケモンという存在と付き合うことになった。そして、歳を重ねるごとにポケモンとの思い出も増えた。

ポケモンシリーズプレイした時の楽しかった記憶交流サイトポケモンの絵を描いたら褒められた思い出。ポケモン漫画友達に借りた記憶友達ゲーム感想を語ったり、交換して初めて自分ゴースト進化させた記憶……。

気づけばポケモンアニメサン&ムーンシリーズから見出していた。たまたま観た回が面白く(21話)、その後の話もキャラポケモンがわちゃわちゃして楽しい話が多く、飽きずに見続けていた。けれど、ジャンルとしては「日常学園もの」となっていたので、初代とは大きく雰囲気が異なっており別物として見ていた。

ポケモンアニメにどうしようもない「懐かしさ」を感じ、自分の中の温度感おかしい感じになったのは、初代ポケモンアニメリメイク映画「キミにきめた!」がきっかけだ。

上映時、仕事で大きな報告会があり疲労困憊だった帰り道のたった1回見たっきりなので内容をあまり覚えていない。観た理由も、ポケモンが好きだからなんとなくだ。

けれど、所々の初代でなんとなく見たシーンのリメイクに懐かしさを覚え、ピカチュウサトシに何かを伝えるシーン(数年経った映画ネタバレ防止)にグッときた。そして何より、「サトシポケモンのいない現実世界、という夢を見るも最後は夢から覚めてピカチュウと共に旅を続ける」という展開に無性に心が揺さぶられ、上映後ぼろぼろと泣いてしまった。

このサトシポケモンがいない現実世界存在行く話は、今は亡き初代アニメのシリーズ構成の方がアニメ最終回の時に考えていた案だ。(そのシリ構さんが書いたブログも随分前に読んだっきりなのでうろ覚えなのだが)このポケモン映画はその案を部分的に取り入れている。

シリ構さんとしては、子ども達が夢の世界からちゃん大人になれるように…みたいな意図があって考えてた案らしいのだが、まあこの映画ではそれを取り入れつつも最後サトシピカチュウの旅は続く。

この時、なんとなく「自分はまだポケモンや他のコンテンツを拠り所にしていいんだ」と安心した記憶がある。社会人になりたてで、仕事会社が辛くてしょうがなかった時だった。この会社一年後くらいに辞めた。

それくらいからか、たまに無性に昔のポケモンアニメが見返したくなる衝動に陥り、ミュウツーの逆襲〜ジラーチ辺りの見たことある映画を見て懐かしさに浸っていた。時にはそれじゃあ飽き足らず、観てない映画開拓しては、やっぱり自分が1番観てた頃が面白いよなあとか思う夜もあった。

劇場版も、みんなの物語やココと言った作品映画館で観るようになった。

過去映画や、キミきめ以降の映画を見ていた時は大人になっても楽しむと同時に、子ども時代の楽しかったあの頃を思い出すように観ていたんだと思う。

そんなことをしては、もう2度とその時間には戻れないという現実直視して憂鬱諦観に苛まれるのだが。

逆にサンムーンアニメは楽しく観ていたのだが、終盤チャンピオンリーグ差し掛かる頃から話が当然日常系ではなくなり、同時期に仕事ストレスMAXとなった結果、観る気力がなくなってしまった。今では非常に後悔している。いつか観たい。

無印は序盤がなんだか面白くないな…(個人の感想)と思い早々に見なくなった。

そしてつい3ヶ月前ほど、サトシピカチュウがポケアニの主人公ではなくなるということが発表された。

この発表を知った時は、「そうか…」という微かな寂しさも感じたが、「まあそりゃそうだよな。長くやってるし、何よりよく知らないけど凄い最終回みたいなチャンピオン戦やったらしいしなあ」という納得のが大きかった。

しかし、それを機にサトシピカチュウ冒険を締めくくるシリーズ「めざせ!ポケモンマスター」を見始めたこと、そしてなんとなく初代アニメを見返し始めたことで再び温度感の狂った懐かしさが爆発し始めた。

子供記憶力とは恐ろしい。昔の回を見ているだけでリアタイ時の感情が生々しく蘇る。

また、配信も恐ろしい。本来記憶の中で朧げに美化され遠くなり、いつかは思い出という存在になっていくはずの現実に、いとも容易く触れられる。

そのせいで時間感覚が一瞬バグった。初代アニメをこんなに見返して、その時の感情も覚えているのに、もう20年以上も経っているだなんて……。

クレヨンしんちゃんモーレツ!オトナ帝国でひろしが「懐かしさで頭がおかしくなりそうなんだよ!!」と叫ぶシーンがあったがそれに近い。流石にあそこまで切羽詰まってはないが。

そう、あそこまで切羽詰まってはいない。社会人になって数年経ち、仕事転職し、今はキミにきめた!の時よりかは精神状態は落ち着いている。

でも、凄まじく人生好転したワケでもない。仕事毎日疲れるし、けれど稼いでるわけでもない。人生目標があるわけでもない。夢もあったが、自分限界に数年前に気づいてからは一層やる気がなくなった。自分には才能も、努力できる根気もなかったのだ。

趣味は程々に楽しいが、そもそも週5・8時間くらい働かないといけないのでそれにずっとかまけてもいられない。

数少ない友人はそのうち結婚仕事等で自分から離れていくんだと思っている。

結婚願望はそもそも24時間人と関わりつづけたくないという思いから、特にない。

動物好きでペットは飼っていたが、数年前に看取った時とても悲しかったのと、また再び世話をする気力がわかなくて手を出せないでいる。

精神状態は落ち着いてはいるが、停滞した人生に倦んでいるだけかもしれない。宝石の国の月人みたいだ。(月人の説明をしようと思ったけどネタバレになりそうなので読んでください)

父親定年退職して趣味謳歌して楽しそうだが、コロナ禍とか物価高とか少子高齢化とか世界情勢も相まって、自分の明るい未来など想像できない。

別に死んだって構わないが、死の恐怖を乗り越えられるほど劇的な実行理由もない。

こんなうつのあがらない自分諦観に包まれていると、一層ポケモンアニメに浸っていた頃の自分が眩しくなってしまうのだ。

しかし、無情にも時間は進み、サトシピカチュウ冒険アニポケカメラからは姿を消す。

大人世界辟易し、虚構世界と思い出に夢想する人間だけを置いて。

サトシピカチュウというキャラクターに凄まじい愛着があるわけでもない。

それでも彼らの別れが辛いのは、ただ、自分の子時代が本当に遠くなるという事実、結局昔からほとんど変わっていないという現実が突きつけられることがやるせないかなのだろう。

多分、ひろしみたいに今が充実している人間はこんな気持ちにならないんだろうな。

いやでも最近アニメを見ていたらピカチュウが一周回ってすごく可愛く思えてきたので、それがいなくなるの普通に辛い。新しいシリーズにも別ピカチュウが出るみたいだが……。

2023-02-25

10年ぶりくらいにゲームで、さめざめと泣いた

エンディングを迎えたけど、本当に凄いゲームだった。エンディングを聞きながら、涙が止まらなかったよ。

もう俺も大人なので、子供の時の様にゲームで感動した話を誰かとするような事も殆どないのだけれど、風化しないうちに増田に残して、いつか自分で振り返りたい。


ペルソナ5ザ・ロイヤルクリアした。

エンディングテーマの「僕らの光」の歌詞は、明智に対する主人公からの追悼なんだろう。


統制の神ヤルダバオトに選ばれた、同じ資質を持った二人のトリックスター、一方が主人公で、もう一方が明智

神がしかけたゲームの中で戦う事を宿命づけられて、ともに大人に裏切られた過去を持つ、その絆は悲しい。


父に捨てられ、幼い頃に母を失い、「誰にも望まれない子」として父に復讐を誓った少年が、その目的の為に多くの命を手にかけた事や

主人公と仲間たちと数年前に出会えていたら、もっと違う道があったんじゃないかって、現在に対する後悔を抱えて

それでも尚、父に復讐するという信念に対する揺らがぬ決意を支えに戦って、一度は死んだのが明智だ。

極限の状況で、自分の代わりに父を討つ取引を、自身の命と引き換えに敵を引き受ける事を条件に主人公に持ちかけて、その約束を絆として最後主人公たちと繋がれた気がしたのに、

「クソな自分人生最後にしては悪くない」そんな満足した最後を汚すように不幸な過去を何もかも消して、夢想した幸せと仮初の命を与えてくれる丸喜の作った夢の世界は決して認めず、

仮に自らの命を失う事になってもいいと、丸喜を拒絶し、戦って、そうして消えてしまった明智に対する主人公の想いが「僕らの光」なんだよな。。。

甘い甘いおとぎの国 君と会えた歪んだ世界

偽りの幸せでもいいと告げる口 君がそっと塞ぐ

戦って勝てばお前は死ぬ、それでいいのか?と問う主人公明智は言う

「君が迷う事は、僕に対する裏切りだ」

この言葉、この場面を思い出して、さめざめと泣いた。



「僕に対する裏切りだ」、この言葉を思うと、どうにも胸が締め付けられてしまう。

そもそも明智は、主人公をも躊躇いなく殺そうとしたし、主人公の仲間の家族を、父の命令で二人殺してもいる。

どうやったって許せない犯罪者だし、こいつだけは絶対に殺す、そんな思いをプレイヤーは持ってしま存在でもあった。

一方で、彼にも権力者父親に幼少から人生翻弄された過去があった。父に、誰かに、認められ望まれたかった。ただ、それだけ。

「何でお前なんかが、俺にないものを持ってるんだ」「いいよな、お前は。仲間に囲まれ、認められてさ」と主人公に対する強烈な嫉妬と敵意を向けつつも

その上で、「数年前に出会えてれば・・・」って、自分が選べなかった未来への憧れを口にしてもいた。

丸喜が作った現実は、その数年前に出会った後の幸せを与えてくれる。それを受け入れれば、皆から認められ望まれて、笑っていられる。

だが、その丸喜が作った夢の様な世界明智を呼び出したのは「明智と決着をつけるという約束を果たしたい」、そう望んだ主人公自身だった。

その思いを丸喜が形にした事で明智には仮初の命を与えられたのだ。主人公が望んだものは、数年前に明智出会った現実ではなく、敵として絆を結んだ現実だ。

からこそ、明智は丸喜が作った世界の中で、初めから覚めていたんだろう。

認知を歪められた世界で何もわだかまりのない友人としてではなく、主人公の命を狙い、仲間の親を殺しながらも、最後取引を交わした敵であることを望まれ明智が、

自身の父に疎まれ捨てられた過去を受け入て背負い、嘘っぱちだけど幸せ現実を受け入れず、自らの存在が消える事を分かっても戦うと決めたのは

主人公にとって決着をつけるべきライバルとして、悪として存在する事を、そうして結んだ絆を、主人公と同じく明智もまた望んだからではなかったかと思う。

明智が望んだのは、丸喜から与えられた夢にまで見た甘い現実ではなく、血を流し苦痛の末に交わした主人公との対等な約束の方ではなかったか

その決断は、悲しく、そして苦しい。

にもかかわらず、主人公から「消えてしまっても良いのか?」と、友として問われる事は「僕に対する裏切り」でしかなかっただろう。

とても不器用で切なくて、悲しい奴だ。

悲しい現実を作り出した丸喜も、また悲しい男だ。家族を失って心を壊してしまった彼女の作りあげた嘘っぱちの幸せを守り、

同じ様に悲しみを抱えた人たちからも、不幸を消して、死んだはずの家族が生きてる世界の中に主人公と仲間たちを招き入れた。

「この現実を受け入れてくれ」

そうすれば、誰も不幸にならないじゃないか?君は皆の幸せを奪うって言うのか?そう問いかける丸喜に対して、

だけど、その先には絶望を受け入れて乗り越えた成長も、それを支えあった仲間たちとの絆も残らない。

から、それを受け入れる事は出来ない、お前の作った魂の牢獄では生きていけない、そうして主人公たちは丸喜を否定する。

戦い破れた後に、「大人になってからでもやり直せる、その見本になる…それが僕が君にしてあげられる…仕返しかな」と丸喜は主人公に言った。

間違った選択したこと理解した丸喜もまた不器用だ。

父親を殺した明智に向かって「あなたがした事を許せない、だけど、あなたの事は分かる」、そう言った春も、暴走する父や周囲の大人に振り回された少女だ。

母親を殺した明智に向かって「どこからやり直したっていいんだ」、そう言った双葉も、大人によって傷つけられ社会から心を閉ざした少女だ。

そんな彼女たちが、大人に歪められた明智を受け入れようとする、その強さが、また悲しい。

なんというか、全体的に悲しい物語だったな、そんな事を思いつつ、エンドロールを眺めて泣いてたよ。

最後ムービーに映っていた明智制服姿の通行人、あれが明智なのかどうか?

正直、それが気になる。まぁ、どっちでもいい、プレイヤーの思うように受け取ってくれって事なんかな。

俺は明智は死んだんだと思いたい、あれは最後に消えゆく主人公ペルソナが見せた幻だと思う。


粗も沢山あるけれど、このゲームは名作だった。約150時間たっぷり楽しめました。

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