はてなキーワード: 厨二病とは
ううむ。俺はオタサーの姫って言葉も、「オタサーに入らなかった・女部員がいなかったから姫に入れ上げずすんだけど、実際そういう環境にいたらたぶん俺も引っかかるな」くらいのオタクたちがいちばん面白がって流行らせた言葉だと感じてるんだよな。
実際に姫に何かした経験はないけど自分の女慣れしてなさは自覚してて、姫の吸引力やそれに惹かれてしまうオタクのどうしようもなさを理解・共感できてて、だからこそしっくりくる、意味が想像しやすい言葉になってあんだけ流行ったと思うわけよ。これは、直接自分が姫の取り巻きになってはいなくても自虐と言えると思う。
そんで童貞を殺す服も似たような感じで、実際ああいう型月ヒロインぽい服の子に入れ込んだ経験はなくても「ああ、いかにも童貞好みだわ~~www(でもこれが童貞好みだと分かっちゃうのは、俺の中の童貞も好感を示すからだわ……)」っていう。
更に似た例をあげるなら厨二病(邪気眼)みたいのも、イテえwwwって笑いつつ、そのイタい振舞いにちかいことをした、または危うくするかもしれなかった過去がある、黒歴史センスがある人間たちが、自虐と嘲笑を交えて流行らせた言葉だと思う。
物心ついて、両親に褒められた記憶がない。成績は良い方だったし、運動神経も悪くはなかった。
真面目一辺倒ではなかったから、子どもながらのいたずらで叱られることもあった。ただ、褒められた記憶がない。
2番になって、どうして1番じゃないの?と冗談混じりに言われた。もしかするとその時多少は褒められていたのかもしれない。でも記憶はない。
実家を出て、大学に入り、アルバイトを始めるまで、自分の容姿を良いと思ったことは一度もなかった。人並みのコンプレックスを持っていた程度だった。実家を出たあと、初めて他人に容姿を褒められた。からかわれたと思い、強く否定した。それから何人かに褒められ、初めて容姿がそこそこ良いのだと自覚した。正直言って、他人と素直に接することができるようになった。厨二病的な卑屈さが薄まった。
アルバイトは楽しかった。仕事を覚えれば覚えるほど給料があがった。替えがきくことは理解していたけど、誰かに必要とされていることがはっきりと分かった。
就職して、それなりに壁にぶつかり、落ち込み、奮起した。職場には些細なことを褒めてくれる先輩がいた。自分が無意識だったことを拾って素直な言葉で表現してくれる。自信をなくし、何も手につかなくなっても、先輩は丁寧に事実だけを褒めてくれた。
マネジメントを勉強するようになって、承認欲求という言葉を知った。
容姿を褒められたとき、時給が上がったとき、先輩に褒められたとき、一つ一つが前を向かせてくれたことを思い出した。
そこにいていいんだ、あなたの居場所はここだと、そう言われた気がしたのは承認欲求が満たされたからだと分かった。
同時に、実家に対する居心地の悪さの原因にも気づいた。
毒親でもないし、真っ当に育ててくれたのは確かだけど、居場所のなさをずっと感じていた。
職場は給料、ポジションで自分の必要性を明示してくれる。替えがきくサラリーマンであることももちろん理解しているが。
褒められずに育った人間は、他人をきちんと真っ直ぐに褒めることができないのかもしれない。
現に自分は他人を褒めるのがとても苦手だ。なにせ褒め方がわからない。
自分を褒めてくれた人達は、事実を褒めてくれた。最初は抵抗感があったものの、嘘臭さはなく、誇らしい気持ちになるものだった。
誰かを褒めたとき、上手に気持ちを伝えられているのか不安になる。伝えそびれることも多々あり、申し訳ない気持ちになる。
意識し始めて約5年。少しは上手にできているのだろうか。部下は居心地の悪さを感じていないだろうか、友人に嫌な思いをさせていないだろうか。
次、両親に会うときは、我が子を褒めた記憶があるのか聞いてみよう。
今からでも遅くない。あの頃のことを褒めてもらえれば、自分が誰かを褒めることにもっと自信が持てそうな気がする。
さて寝よう。
「お前の鬱ツイートうざいわ」と以前言われたけどやっぱりうっぷんがたまってるので
吐き出したくなる。まあわかるかもれないけど文章にすると冷静になるもので、
書こうと思いたった時点で悲しみは70%くらいに減っている。
夜中に眠れずに日々を振り返る。発端は自分が負けず嫌いだということに辟易したくらいかな。
ちょっとした練習でうまくいかず、イライラして、それでかなり不機嫌になって顔に出てた。
思考もまわらず、愛想笑いもできず、仏頂面になり、あまり話しかけられなくなっているんだと感じる。
でも治らずに感情的なままでいてしまう。そんなこんなで寝る前に考えてしまって昔のことを思い出し、
昔からおとなしく、照れ屋で、いい子だった。
怒られるのが嫌いで、混ぜてと言えず、一人でも遊んでいて、体を動かすのもインドアな趣味も好きだった。
小1の頃トイレに行きたいと言えず我慢する、上級生にネタっぽいことを言って笑われたのが予想よりもずっと恥ずかしかった
とくに親は普通だが、割と放任主義で口数もあまり多くないのかもしれない。
本当に子供のころには旅行に行ったりしたのだが中学のころには旅行などしなくなっていた。
親は自分の無口っぷりに理解があったのか、学校での出来事をあまり聞かなかったのかもしれない
そのせいか今でも自分の気持ちを聞いてほしいときに聞いてほしいということができない。
さびしいという気持ちは強かったのかもしれないが、他人に干渉はされたくなかった、
習い事も好きなアニメが見れないからと一度やめたが、さびしくなったのでまた入った。
無口だったのでとても仲いい友達はできなかったが、嫌われない程度には練習を頑張った。
モチベーションが少ないのでガチでやる人には話題が足りなかった。今でもその気はある。
小学校以来ずっと、夏休みに予定がないのが普通だ。いや、予定はあるが、遊ぼうという約束がない。
キャンプや合宿の予定はあっても人の家ではあまりあそばなかった。
いじめはあったのかもしれない。怨むほどのことではないが、プロレスゴッコをやったり、
給食のデザートはやんわりと取られることはあった。
しかし、泣いたりせずいやだと言えば案外それ以降変な絡まれ方はしないのかと思う。
もちろん相手側が「遊んでるだけ」ならばだが。
無口だったころなので、全然話さなかったが、手をつないで帰った。
いや、多分手首をつかまれて家まで送らされただけなんだがすごくうれしかった。
このころからきっと無邪気でぐいぐい来る女子に弱いんだと思う。
もうだいぶゲーム以外の会話ができなくなっていたかもしれない。
1年の頃はみんな積極的に仲良くしようとしてくれていたので、変には浮いたりはしなった。
小学校の頃の友達とは合わなくなった。まあこっちから連絡しなかっただけなのだが。
ああ、疎遠だな。でも特に会いたいと思う人もいない。
今は地元に友達と呼ぶ人はいないかもしれない。「かもしれない」のである。
多分呼べばあって遊んでくれる人もいるだろうけど、まあこれでいいかとか考えてしまう。
近年にも親にもある程度心配されたが苦笑いしたらそれ以上聞かれなくなった。
やっぱり2年生になったら1年生の知り合いにはあまり合わなくなった。
2年生の人たちが一番印象が少ない。昼休みには図書館に行ったり
自分はどのグループとかに入らないぼっちで、みんなただ優しかっただけだ。
遠足でぼっちになり、修学旅行で好きな人と組んでといわれるのがつらかった
今でもその言葉に苦しむ。人を選べない。
小学生ならプールに遊びに行ったら友達がいた。だが中学ではたまり場などない。
あの頃にはすごく学校に行きたくないということがあり、ときどき仮病を使った。
周りがとってもなかよくなっているのことにうらやましいと思っていたが、
スマブラの話をしていた。一緒に遊びたかった。ただ見つめていた。
今思うと、同じ趣味なら友達になる素養があるのだからもっと勇気を出すべきだった。
今でも思っているが、まだ仲好くないと思って躊躇してしまう。どうにかしたい。
中3の頃にはきっと学校外では1回遊んだきりだったと思う。さびしい奴だ。
このころは心が躍動していたと感じる。
仮病もあるが、学校に行ってから、すごくだるくなった時があった。きっと鬱だろうけど。
そんな時友達が音楽室行こう、と誘ってくれた。嬉しかった。気遣ってくれてうれしかった。
きっと聞かれたらいろいろ愚痴をはいていたと思う。つらかったんだよって聞いてほしかった。
でも彼はただ何も話すことなく一緒の部屋でいたと思う。
話したくないなら聞かない、そういうスタンスだったのかもしれない。
やさしさってわからないよね。自分ももっと気遣ってるアピールしなきゃな。
体育祭がすごく嫌いで厨二病ですれた自分がいたが、3年生で、もう終りか…と思うと熱くなった。
中学卒業する時、告白しようとしたが、ものすっごくどきどきした。あきらめた。
のちにデートすることになるのだが、その話は置いておこう。
携帯の連絡先を交換したのは同じ高校へ行く人数人とその仲間問う感じだった。
2人とも同じ部活だったのだが、「高校行ってもがんばれよ~」としか言われなかった。
高校へ行ったが同じ高校へ行った人以外へは連絡は何もなかった。
友人との距離感に戸惑う時期。ちょっと仲良くなり始めたころにグループ通話をしていた。
夜にどうでもいい話をするのに戸惑った。話のネタがない。このころはまだ話をしたいとは思っていなかった。
面倒くさかったのとともに、何の用もないのに通話をかけてくることに理解ができなかった。
夏休みになっても別の友人だが電話がかかってきた、「いや~なにしてるかな~と思って」
僕は特に何もと答えて、後はふんふんと相槌を打ち、質問を返すだけだった。
電話なんてそのときくらいで、友人との理由なき電話はその後6年ほどはしなかったかもしれない。
質問はすごく苦手だ。会話がはかどるには話題の数じゃなくて相手への興味とはよく言ったものだ。
彼のことはよくしてくれるし好きだが、別に興味があるとかではなかった。
でも結局疎遠になっている。Twitterではつながっているが。まあ地元では合うタイミングが0だからだ。
うっとうしくて時間をずらして、一緒に帰らないようにしたのに、ときどきは一緒にはいた。
その子に言われたことがある。とある映画を見に行った話を聞かされたとき
「いいなーボクも見たかったなー」と言ったら「え、行きたくないとおもってた」と言われた。
確かに行きたいと言ってなかった。このころやっと人にああしたいというようにするようになった。
ケンカもしなかったなあ。ただいっしょに遊んでいて楽しかった。
まあなんやかんやこのころまではすごい悩んだりせずに、
就職できればいいや、友達いらないからゲームして、アニメ見て生きられればいいやと思っていた。
勉強はいいから遊べ、コミュ力が大事、熱意があればいい、いろいろあるだろうが
何社か落ちて 、自分の存在価値を見失ってしまった。もうだめだ、人生経験がない、
そんなことをいろいろ考えてしまっていた。結果夢のキャンパスライフだ!ということになった。
当然勉強対策もあまりしていなかったので苦労した。もともとよく考えるタイプで勉強は嫌いだが、
そこそこできる人間だと思っていたので2流、3流大学にははいることができた。
地元を離れ、人も少ない地域の大学へ行った。同じ高校からは一人もいない。
大学デビューをしようと思いチャラい系サークルに入るがノリが違いすぎて2カ月ももたず
5月病で鬱がちょっとひどいことになった。あの頃は週5くらいで夜泣いていた気がする。
歓迎会でも仲良くできず、帰り道みんなから離れ、後ろでうつむきながら岐路についていた。
家で泣いた。
先輩に話を聞いてもらったこともあったが、何のためにもならなかった。
ふだんから自分の子と話す練習をしないとちょっと信頼できる人でも
30%も言いたいことを話せないと思う。
過去問は手に入る程度には浅い付き合いがある。
よく狭く深くのほうがいいというが、本当に強く感じる。
「5人いれば十分だよ」といわれるが一人でもいれば十分だろう!?
もしかしたら今の自分にも一人はいるかもしれないが信頼しきれていないのかもしれない。
もう先輩になる年齢だというのに、いい加減子供っぽくて困る。
一緒にご飯食べに行きたいと思っているが、だれかがあまり思いつかない。
好意がある人にこっそり誘ったりしても断られる。
誰かのついででは嫌だいう気持ちがあるが、君も行く?と言われて断れない
次に誘われないかもしれないからだ。ときどきおれなんかが一緒でいいのかな?と思って断る
なぜ行かないといっても「なんでだよ~いくぞ」といわれる人がいて、うらやましくて、
自分は誘ってほしそうにチラチラ見てるのに誘ってくれなんだろう。
先輩は先輩同士で仲良く飲みに行ったりしているのに、なぜ自分はぼっちなんだろう。
友達は友達でご飯よく食べに行ったり、休日遊んだりしている。自分はなんでないんだろう。
そういえば1対1で休日にあそんだことないな。みんなのついでにあるだけで。
家に帰ってからLINEしたりもないな。個人LINEどうのこうの言ってるけどうらやましい、おれもまぜて
なんでおれが飲みに行こうっていってもまた今度なの?
誰かに聞いてほしいけどいま話を途切れさせるひともいない中ずっと語ったわけで、
自分がこんなことを聞いてほしいって思っているって自覚する以上、
話を聞いてもらう人に負担が大きそうだなって思って遠慮してしまう。
普段は普通に楽しいし、へこんだ時もプライドとかいうものが邪魔をして、頼れない
かまってくれるという甘えなら無意識でずっとしてしまっている。
話せる状態では話したいと思えないし、話したいと思うようなときは精神が不安定でうまく話せない、逃げたい
そんなこんなでいまさら昔の友人や親にも話すのがおっくうです。正しいのは分かっているんだけど。
昔特に好かれないような性格してるね、っていい年をしたお兄さんに言われたことがある。
活動的な人で憧れる。学外活動で学生以外と遊びに行ったり飲みに行った経験で多少同年代の人と話が合わなかったりする。
くだらない話より、面白い話を聞きたいと思う。
好きな人もいるが、その子がよく自分の友達とすっごい長く話している、仲よくしているのでほほえましいのだが
あまりに見かけるたびに一緒に話しているので嫉妬する。客観的にみて話をよく遮られるので嫌いになってもおかしくないのだが、
自分と話が合う友達なのでしかたないなとおもう。最近好きなタイプに「自分を好きになってくれる人」とかいう人にも共感できる。
やっぱり自分を見てくれる人が好きなのである。もっと人を信頼して、もっと興味を持ちたいのです。
こんな自分をどうすればもっとまともな人間になれるかを日々考えている。
実行に移すのがいいっていうのがとっても分かっている。だけど・・・
本当どうするのがいいんでしょうか
妻や知人には言えないし、表のブログには書けないのでこちらに。
順番は体験順です。特に女性には胸糞だと思うのでそっ閉じしてくれ。クソ野郎ですまんな。
①出会い系
田舎だと素人が多いがこれで食ってるのはもうプロとも言えるような。母数が超少ない。
ちょっと都会に出ると人数増えるがプロばっか。素人を発掘するのは難しい。
素人とか自称してる嬢がいきなりゴムを口で装着してくると萎えますわ。
やることはやるんだけど。
成功系の体験談だと出会い系から知り合った素人と仲良くなってセフレになりましたみたいな話があるが、俺はそんな美味しい思いしたことねーぞチクショウ。
SNSで気長に釣るのでもなければ有料ポイント制の出会い系サイト経由になるため、実はホテル代含めかなり金がかかる。
俺の童貞は出会い系で釣った半プロ援助交際上がりの21歳との3万の野外セックスで喪失しました。
②デリヘル
出会い系素人のサービスの悪さ(奴らは基本的にマグロである)&プロのサバサバさに飽きた俺は、だったらもう最初からプロでいいじゃんと思うに至った。
それまでは何となく明確なプロ使うのになんか心理的なハードルあったんだよね。なんでかわかんないけどね。
やっぱ指名できるのは大きく、フリー特攻とかしない限りルックス的には全然許容範囲の嬢が多い。
どうでもいいがリーマンがたまに宿泊を伴う県外出張に出た時の風俗体験率たけえ。いやあくまで地元に居る時と比べてだけどな。
本番ありなしは嬢による。個人的には7割くらい本番に至ったが、ぶっちゃけさっさと本番に至る嬢はサービス力に難ありだ。
入れて腰振ってさっさと射精しろという無言の圧力を感じる。いやもうちょっと優しくヌいていただけませんかねえ?
あとやっぱ自宅呼びは普通に目撃情報とか出てくるので要注意だ。
俺は生保レディの営業だと言い張った。妻が察してるかどうかは知らん。
③ソープ
なんかさあ、もっと奉仕してほしいんだよ! と思うに至った俺はとうとうソープに手を出した。
勿論パネマジはあるのだが、ホームページ、特に写真つき日記を熟読の上、予約指名さえすればNGな嬢とはあんまり出会わない。
基本的には本番あり前提の為ソープが最も性病管理に厳しい(らしい)ので、一応そういうリスク低め。
業界新人の素人っぽさから熟練の技術まで嬢を換えれば堪能できるのでいいモノである。
なお各地方ソープ街の自称「中級」以上の店には生中を基本とする嬢がいる。
高級なら基本生中だ。
個人的には中級以上のソープで2時間以上のコースを1度体験しておくと良いぞとお勧め。
交通の時間と費用さえどうにかなるなら店舗型は割安である。ホテル代かかんないからね。
サービスしてもらいたいならマット。責めたいならベッド。
基本的にパネマジが半端ない。写真と実物とのギャップを楽しめるようになろう。
特に何も要求しなくてもガンガン2回以上ヌきにかかってくれる嬢が大好きです。
俺の住む地域ではヘルスと格安ソープの値段がまったく同じだったりするが、特に激戦区だとヘルスではだいたい割引イベントをやっている。
嬢によっては本番ありになったりするが、デリと同じくさっさと本番始めようとする嬢はサービス地雷だったりするぞ。
向こうから本番に誘われない限り、こちらからの強要はお兄さん達に囲まれた上で一発出禁になる(らしい)のでやめておけ。
平日の朝とかけっこう安くなるので狙い目。ナイスフェラサンキュー。
⑤チャイエス
中国系台湾系韓国系とか色々あるが、要するにオプションでハンドフィニッシュ有の(店によっては基本料金内)外国人マッサージ店。
当り外れの激しさ半端ないが、優良店&優良嬢での時間当たりのコスパは秀逸。
店がどこにあるか電話で聞かないとわかんなかったり(ごく普通のマンションの一室だったり一見普通の一軒家だったりする)、
ときどき警察様のガサ入れで店そのものが消滅したりするのは勘弁な。
疲れていたり、本当に一切こちらからは何もしたくない時におススメ。
本番やフェラ無しを前提とするためか嬢のルックスは平均的に良い。
オールヌードやお触りは基本的に別料金オプション。でもそりゃオールヌードが良いに決まってんじゃん?
なおマッサージの腕前はお察し。
あとは自分が主に何したいかによるが、単に気持ちよくなりたいなら回春エステかな。
「絶歌」のことは知っていたが、興味がなくて読んでない。
今朝スマホ記事で、元少年Aがホームページを立ち上げたというのを読みあぁ、そう…と思いながら一通り目を通してみた。
http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/
精神疾患がどうなってるのかは知らないが、なんというか…うん。現代用語辞典の「厨二病」項目には是非このサイトのURLを掲載することを勧めたい。Don't think, feel。
地方の中学生が、ビレバンで触れたサブカルに触発されて勢いで組んだギターロックバンドの公式HP…みたいなビンビンのセンスよ。「実家に帰ったら母親が自分の黒歴史ノートを出してきた」級の恥ずかしさで、読むのも辛い。そうか。30超えてコレか。
もうこの際、社会に大きな影響を及ぼした元・殺人犯が社会復帰後に自身を語ることの是非は横に置く。俺は正直、佐川一政の生き方なら、あれはあれだと思っている。むしろ、語り方、語る内容に一般人のソレとは違うものがあって、なにがしかの感銘や感覚を惹起するならば、汚らわしくとも価値はある。
これを見て思ったのは、酒鬼薔薇というのは徹頭徹尾凡人だということだ。少しばかり発達し過ぎた自己愛と、ユルユルガバガバの社会性と、特殊な性癖に後押しされて、たまたま勢いで若くして殺人者になってしまっただけであって、肥大した自意識の有り様や、ついうっかり「正しくオナニー」なコラージュ「作品」を公開した上でページに「ギャラリー」とか名付けてしまうゲロが出る様な痛々しさまで、この人は少しイタいだけのフツーのセンスの人だ。
ページタイトルが「存在の耐えられない透明さ」だった点、ミラン・クンデラを敬愛する自分は若干イラっときたが、この軽薄さまでもが平凡だと思い始めると、なんとなく可哀想になった。
憐れみは他者への最大の攻撃になり得るが、自分の元・少年Aへの憐憫はそういう当て付けの悪意を表明するためのものではなく、結構本気で言っている。だってこの人は、持て余した自意識と自己愛を解消する為に「元・少年Aである自分」にもうずっと縋り付かざるを得ないのだ。
そして、そうすればするほど社会との折り合いなんて付け様がないのだ。だって、僕らはこんな香ばしい元・犯罪者と関わり合いたくないのだ。
だいたいにおいて少年〜青年期の過剰な自意識は、社会に出た際の軋轢で徐々に削り取られたり、それに対する挑戦を通して昇華されたり、最終的には消化されなくても、その様なプロセスの中で自分とのバランスをとって大人になっていくものだけれど、彼にもうそのチャンスはないんだろうな。
だって、元・少年Aであることにしか、「異常な性癖で人を殺した」ことにしか、彼の社会的な価値はないんだから。もっと言えば、「アタマのおかしい、少し壊れてしまった人」として憐憫と共に、一般とはかけ離れたアウトサイダーアート的な才能への他言できない憧れも集めつつ贖罪に生きる姿が人々の胸を打つ…とか何処のラノベだよ。でも、彼が自意識を支えていくには、そんな世界観で生きていくしかない。
このままこんな生き恥を垂れ流しにしていたら、ほっときゃサイコパスへの憧れを持ってくれたかもしれない多感な10代とかですら「あ、これは結構ッス」てなるよ。。そんで社会から隔絶されて、また謎の敗北感を抱えて再犯に走るとかの悲劇も、ワンチャンある。
日本人相手なら、増田のコードがほんっっっっっっとうに酷いのか、もしくはその上司だかリードエンジニアだか、レビュアーが社会病質者的に攻撃的な性格なのか、そういうひどい言葉を使うのがカッコいいと思ってる厨二病のどれかだと思う。
増田が「多少は直すべき点があるかもしれないが、そこまでひどい言い方をされるほどではないと思う」というなら、気になったコメントを全部保管して(Winのメモ帳でもevernoteでも)、ちゃんとまとめて置いたほうがいい。
誰かに相談するにしても「ほら、こんなにひどいんです」とすぐに見せられるものがあったほうがいいし、まとめることで増田の心の整理も出来ると思う。
君の理屈が完全であることと、君が正しいことは、同じではない。閉じた円は完全だが、その円が君一人を容れる余裕しかなく、その狭さが君を嘆かせている以上、君は間違っているというのが客観的に見て妥当な結論である。
「馬鹿とは知性の欠如ではない。馬鹿は馬鹿なりに完全なのだ。」という、昔の賢い人の言葉があるが、その意味で君は十分に馬鹿である。馬鹿になりたいなどと心配する必要は全くなく、馬鹿である。自分の小ささをさらけ出して臆面無いあたり、実に救いがたく知能レベルが低い。
人生の幸福とは、いかに適切に騙されるか、ということである。社会的規範を盲目的に信仰しているがゆえに幸福の地平が開かれる。
こういう、小学三年生が三日で思いつくような理屈を、何か一角の思想家になったように得意気な顔で書き散らかしているのを俗に黒歴史という。3年たって君が学校を卒業する頃、このエントリを読み返したら、君はおそらく蒲団を被って三日間ほど寝込むだろう。寝込まないとしたら、君の馬鹿さ加減はいよいよ病膏肓に入ったのであって、ようするに真に救いがたい阿呆になったということである。大体それで君は喜ばしいのか。
ただ、いくらか救いがあるとすれば、君は君が(どうやら)正しくないということに薄々気づきはじめているのだろう。だからこんなエントリを書くのだ。厨二病がうすら惚けて、ようやく下の毛も生えそろうような年になってきたということなのだから、それは大変喜ばしい。
それなら、君は気づくべきである。
君の書いたエントリは、この世の中の矛盾を何一つ解決しない。君の言葉は、今この瞬間、自分の信じるもののために血を流すことを厭わず戦っている人間にとって、蚊ほどの価値もない駄文であり、君の言葉はしじまに消え虚無に還っていくばかりだ。人々は今日も明日も血に染め血に染まって死に続けるだろう。君の言葉とは何の縁もなく。
また、君の言葉は、今この瞬間、飢えに飢えてこの世への呪詛の中で死ぬばかりな子どもにとって、あぶくよりもはかなくシラミの糞より価値のない、その存在を認識すらされない拒絶の壁の向こうにある。君が何をのたまおうが、彼らの腹はほんのわずかも満たされることなく、彼らがその空腹を万分の一秒すら忘れることなどない。
自分をロンパせよ、と、居丈高に叫びながら、君はカタツムリの殻のようなちっぽけな円環に閉じこもっているだけだ。世界は君の円環よりずっと広い。誰も君の円環の中でしか通じない理屈になど、何の興味ももっていない。世界自体が、遥かに遠く広く、そして混迷と矛盾に充ちており、多くの人が(君が馬鹿だと蔑む多くの人が!)、恐れながらもそこにむかって足を踏み出そうとして、そして生きている。
いま、カタツムリの殻のような円環の中に閉じこもっている君に言うが、君がいまの自分の在り方に不安を覚えているのなら、君の方にこそ、自分が少なくともカタツムリ以上の何者かであることを、自らの言葉で証してみせる必要があるのではないか? 他人に甘えるのも大概にすべきだ。世界は君のママではないのだから、君の言葉に価値があるのか否か、立証する責任は世界の方にでなくて君の方にある。
君にまだ、自分がダンゴムシよりも少しはマシな何者かであるという自負があるのなら、石の下でまるまっていることをやめて、這い出せ、太陽の下にでよ、そして歌え。喉笛が裂け倒れるまで。そうしてら、初めて君の言葉は世界に届くのかもしれない。まだまだだ、君は。You just haven't earned it yet, baby. まだまだだ。君は、まだまだ全然だ。本当に君が苦しむのは、これからだ。
2015年版の演出家はあまり好きじゃないのだが、メインビジュアルが好みだったのと、バンドメンバーも好みの布陣だったので観劇。
初演再演は未見。当時のキャストとスタッフ、PVのみ確認しており、その他は前知識ゼロの状態。
初演制作会社の傾向から、厨二病な物語だろうと予測はしていたが、想定した以上に20世紀の厨二病が炸裂していた。
古き良き時代の文化だとは思うんだが、いかんせん若くてお綺麗過ぎるキャストが演じているから、ダサさが魅力的に見えず残念臭ばかり残った。
いろいろ無理がある…観ていてキツイな、と思うシーンのオンパレードであった。
役者の実力が無い訳ではなく、戯曲が絶望的につまらないのでもなく、演出家らによる適切な調整が行われなかったためではないかと、この不完全燃焼感を分析する。
例えば、主人公が小柄でヒロインとの身長差があまり無いのに、主人公の衣装が薄く細身のシルエットで、ヒロインの衣装が厚く重心も重そうで髪もロングヘアだと、パワーバランスが悪過ぎやしないか?
ショートカットのサバサバしたヒロインにするとか、主人公と双子のようなビジュアルにするとかすれば、主人公のヒロインへの執着にもまた違った色合いが出て面白いかと思うのだ。
兄貴分と主人公が並ぶと、仲間・親友という印象よりもそこそこ年の離れた兄弟に見えてしまい、ラストのどんでん返しが不憫でならなかった。ここもパワーバランスが悪過ぎると思った。
少しでも、2人が対等に見えるシーンであるとか、思い出語り以外の・現在進行形で絆が見えるシーンがあれば、まだどんでん返しに感じるところもあっただろうに。
何より、主人公が世界を救うという流れが、全然ピンとこないのが台無しだった。
それは設定説明がファンタジー過ぎて問題と解決方法に実感が湧かなかったこともあるし、キャラクター・各陣営の目的がとっ散らかっていたことが原因だと思う。
特に、バンドの野外ライブへかける想いが全然伝わってこなかった。
ダブルブッキングは不味いことだと思うが、野外ライブはバンドにとってただの日常の出来事ではないのか? 特別な意味や価値があったのか?
いや、特別な意味を持たせて、仲間や日常を選ぶか、惚れた女と世界を救うという甘美な響きを取るか、葛藤するシーンを解りやすく描くべきだったと思うんだ。
だって他のシーンがあんなに昭和の厨二病炸裂してるんだぜ? トンマナ揃えろよ!
細身で薄着の男性陣と、肉感的でボリュームのある衣装な女性陣、というアンバランスさも、問題はトンマナ揃ってないってことだ。
の、ドイツ語はよくわからないのでいいとして、フランス語はおかしかった。
要するに、北海道を「北」と「海」と「道」にわけて単語を当ててもフランス語の響きにならない。冠詞がないとフランス語にならない。「のーるめーるりゅ」じゃなくて「りゅどらめーるでゅのーる」でないと(ドイツ語として意味が通ってるのかどうかは知らない。英語は冠詞について適当な言語なので、ノース オーシャン ロード、でふつうに英語の響きになっている)。あと、「Rue」はどっちかというと街の小路とかの意味で、北海道の道にあてるならアベニューかルートかなぁ。でも、そういうのをきちんとやろうとすると、2ちゃん的な面白みなくなるなぁ。
ということを思いつつやってみた。ちょっと適当なのもあるけど。
県 | まちがい | ただしい(多分) |
---|---|---|
北海道 | ノル・マリン・リュ Nord Marine Rue (北の海の道) | アベニュー・ド・ラ・メール・デュ・ノール Avenue de la Mer du Nord |
青森 | ブル・フォレ Bleu Foret (青い森) | ラ・フォレ・ブルー la Foret Blue |
秋田 | オトムナル・シャン・ドゥ・リ Automnal Champ de Riz (秋の田) | リジエール・ア・ロトン Rizière a l'Automne |
岩手 | ロシュー・マン Rocheux Main (岩でできた手) | マン・ロシュー Main Rocheux |
宮城 | パラタン・シャトー Palatin Chateau (宮殿の城) | パレ・ロワイヤル Palais Royal |
山形 | モンタニャール・フォルム Montagnard Forme (山間の形) | フォルム・ド・ラ・モンターニュ Forme de la Montagne |
福島 | ジョワイユーズ・イル Joyeuse Ile (幸福の島) | イル・ド・ラ・ボヌール Île de la Bonheur |
新潟 | ヌーヴェル・ラギューヌ Nouvelle Lagune (新しい潟) | (たぶんあってる) |
石川 | ピエルーズ・リヴィエール Pierreuse Riviere (石の多い川) | カイヨー・ド・ラ・リヴィエール Caillou de la Riviere |
富山 | リッシュ・モンターニュ Riche Montagne (富んだ山) | ラ・フォルチュン・ド・ラ・モンターニュ la Fortune de la Montagne |
福井 | ジョワイユー・ピュイ Joyeux Puits (幸福の井戸) | ル・ピュイ・ド・ボヌール le Puits de Bonheur |
山梨 | モンタニャールド・ポワール Montagnarde Poire (山間の梨) | ポワール・ド・ラ・モンターニュ Poire de la Montagne |
長野 | ロン・シャン Long Champ (長い野) | (たぶんあってる) |
岐阜 | フルシュ・オ・コトー Fourche au Coteau (丘にある分かれ道) | (よくわからない) |
栃木 | マロニエ Marronnier (トチノキ) | (たぶんあってる) |
群馬 | トゥルポー・ドゥ・シュボー Troupeau de Chevaux (馬の群れ) | (たぶんあってる) |
茨城 | シャトー・デピーヌ Chateau d’Epine (茨の城) | (たぶんあってる) |
埼玉 | プロモントワール・デュ・ロワ Promontoire du Roi (王の岬) | (なぜ王) |
東京 | エスト・キャピタル Est Capitale (東の首都) | キャピタル・ド・レスト Capitale de l'Est |
神奈川 | ディヴィーヌ・ポム・ドゥ・リヴィエール Divine Pomme de Riviere (川の聖なる林檎) | (よくわからない) |
千葉 | ミル・フォイユ Mille Feuille (ミルフィーユ…じゃなかった、千の葉) | (たぶんあってる) |
静岡 | カルム・コリーヌ Calme Colline (静かな丘) | コリーヌ・トランキル Colline Tranquille |
愛知 | フィロゾフィ Philosophie (哲学) | ラムール・ダンテリジョンス l'Amour d'Intelligence |
三重 | トリプル Triple (三重の) | (たぶんあってる) |
兵庫 | アルスナルArsenal (兵器庫) | (たぶんあってる) |
滋賀 | ヌリサント・ジョワ Nourrissante Joie (栄養のある喜び) | (よくわからない) |
大阪 | グランド・パント Grande Pente (大きな坂) | (たぶんあってる) |
京都 | キャピタル Capitale Citadine (都市の首都、もはや何が何だか) | キャピタル capitale |
奈良 | ポム・ボンヌ Pomme Bonne (良い林檎) | ボンヌ・ポム Bonne Pommeだ |
和歌山 | シャンソン・ジャポネ・ドゥ・モンターニュ Chanson Japonais de Montagne (山の日本の歌) | (たぶんあってる) |
鳥取 | シャス・ドワゾー Chasse d’Oiseau (鳥を獲ること) | (たぶんあってる) |
岡山 | コリーヌ・モンタニャール Colline Montagnard (山間の丘) | (たぶんあってる) |
広島 | ヴァスト・イル Vaste ile (広い島) | グランド・イル Grande Île |
島根 | イリエンヌ・ラシーヌ Ilienne Racine (島の根) | ラシーヌ・ド・リル Racine de l'île |
山口 | アントレ・ドゥ・モンターニュ Entree de Montagne (山の入り口) | アントレ・ア・ラ・モンターニュ Entreé à la Montagne |
愛媛 | エマーブル・プランセス Aimable Princesse (愛らしい姫) | プランセス・エマーブル Princesse Aimable |
徳島 | モラル・イル Morale ile (モラルの島) | イル・ド・ラ・モラール Île de la Morale |
高知 | オー・アンテリジャンス Haut Intelligence (高い知性) | (たぶんあってる) |
香川 | ヌイユ Nouille (麺類) | (たぶんあってる) |
福岡 | ジョワイユーズ・コリーヌ Joyeuse Colline (幸福の丘) | コリーヌ・ド・ボヌール Colline de Bonheur |
佐賀 | スュポール・ド・ジョワ Support de Joie (喜びのサポート) | (たぶんあってる) |
宮崎 | パラタン・プロモントワール Palatin Promontoire (宮殿の岬) | カップ・ロワイヤル Cap Royal |
大分 | グランド・ディヴィジョン Grande Division (大きな分割) | (たぶんあってる) |
長崎 | ロン・プロモントワール Long Promontoire (長い岬) | ロン・カップ Long Cap |
熊本 | ウルス・ヴレ Ours Vrai (本物の熊) | (たぶんあってる) |
鹿児島 | イル・ドゥ・ファオン Ile de Faon (子鹿の島) | (たぶんあってる) |
沖縄 | コルド・オ・プレヌ・メール Corde au Plaine Mer (沖にある縄) | (たぶんあってる) |
やってみたところ、やっぱりドイツ語ほどかっこよくない。結局、構造が英語と似てるからあんまおもしろくないのかも。ドイツ語は何でもかんでも一単語にしちゃうところが厨二病的にいけるのかなあ。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ。
3人姉弟の片田舎育ちで、平凡に暮らしていた。田舎にも種類があるけれど、イオン的な郊外型ショッピングモールがあって、公立に行ってなんぼ・私立はバカが行くところだ系田舎。
親子と祖母と暮らしていて、小さい頃は親戚と遊んだり家族旅行に行ったりもした。
異変は小学生の頃。中学生の姉が父親と喧嘩したらしく次第にギスギスし始めた。何年か経って聞いたところによると、姉の何かしらの行為に腹を立てた父が姉を投げ飛ばしたらしい。
私にも似た経験がある。あまりにも些細すぎてその片鱗さえ覚えていない。が、何かしらの悪さを私は働いた。穏やかに諭す父。まだ10歳にもならなかった私は「歯を食いしばれ」の言葉に素直に従いゲンコツ一発を頂戴した。当時はただただ驚いていたが今なら言える。対価でかすぎだろ。
姉は父と距離をとった。洗濯物どころか食事さえ別室でとった。
私も思春期さながらの「お父さんキモい」発動。昔からどこか冷静だったから、「思春期だから仕方ない。この感情に従おう。あとに残すとややこしい大人になるし」と自分の感情のままに生きた。
しかし何年経ってもそれは続いた。高校を卒業しても、成人を迎えても、働き始めてからも、今も。
大学は地元を離れた。その時やっと父を人として見る余裕ができた。
別に暴力的なわけでもなく(上記のあれは一度きりだし)、お酒もひどくないし、タバコに至っては吸わない人。
それまではとにかく嫌で嫌で、話すのも見るのも見られるのも同じ空間にいることさえも嫌だった。離れたかった。
物理的に距離ができたことによってマシになった。
祖母の葬式で久しぶりに会って少し話したが「ああ駄目だ」と思った。近づくと無理になる。家族だからといってなぜ同じ家に住まわなければならないのか。本能的に無理なのだ。いやしかし、単純に姉の影響なのかなとも思う。それでいて父との関係修復に恐れを成しているのだ。よくわかんないけど言葉にするならそんな感じ。思い込みの激しいところが昔からあるから。
家族主義のこの国においては、いやきっと地球上どこへ行ったって、非難の対象だろう。面倒くさいから死んでほしいよねと姉とたまに話している。母の前では言えない。
何かの時に父の話を母とした。母は「嫌いだとは思うけど、まさか死んで欲しいと思っているわけじゃないでしょう?」と冗談っぽく言う。ごめんね、私達そんなにきれいじゃない。
大学の時両親は離婚した。よく、離婚の原因がわからないという男性がいるが、女性の気持ちはポイント制という例えがしっくり来るのではないだろうか。母に尋ねると「確かに好きで結婚した。けど、昔からなんかこの人変だなと思うところがちょくちょくあった。その小さな積み重ねの結果だよ」と。父は病院に行くほどでは全くなかったが精神不安定な面があったようで、私が大学に入ってしばらくした頃に母と口論した際、最終的に包丁を持ち出してきたのだという。
ちがう。父を嫌いな自分を肯定する材料が欲しかっただけだ。腹を立てるパフォーマンスだった。
実際、再婚した母が旦那さんとの時間を優先させているのを見ると、すごく腹が立った。自分勝手な上に子どもだ。もっと親に甘えれば良かった。なぜだか上手く甘えられなかった。気を回す必要など全くなかったのにいつも気を回していた。勉強をしろとか、なんにも言われなかった。自由に習い事もさせてくれた。困ったら助けてくれた。優しかった。
甘えられなかった自分が悪いのかな。
外見だけ大人になって、中身はずっと子どものまんま。無責任で身勝手で自分のことだけ考えてて自意識過剰の厨二病。
なんで産んだんだ。
ずっと虚しさでいっぱいだ。
今この増田を読んでるあなたは、「ジャズ」、と聞いたとき、何を思い浮かべますか。
十中八九、そこらへんのファーストフード店や喫茶店で流れている、”おしゃれ”な音楽を思い浮かべるでしょう。あるいは、スウィングガールズ効果で、吹奏楽界隈でも一時期流行ったSing Sing Singのような曲も、頭の中で流れるかもしれません。
これは、まさにそうした人々のための増田です。広いジャズ世界の中でも極々一部の曲を聴いてジャズを知った気になる、あるいはジャズはどこか古いものだと思ってしまう、これほどもったいないことはありません。
前置きが長くなりますが、以下から本題です。動画サイトへのリンクも張っておいたので、気に入った方は今後のジャズ界の振興のためにもAmazonなりiTunesなりなんなりで高音質のものを買ってください。
最高。何も考えずに聴きに行くべし。
これだけだとあまりにも不親切だからもう少し何か書くと、Anthony Jacksonのベースラインを聴くだけでも絶頂できます。
二発目は稀代のコンポーザー/アレンジャーVince Mendozaを擁するメトロポールによるバルセロナ。聴けば分かるように、オーケストラとビッグバンドのコラボレーションが、一昔前の映画音楽でよく見られたような、ストリングスはストリングスで独立していて、前でなんかジャズの奴らがごちゃごちゃ遊んでいるというものではなく、不可分のものとして一つの芸術作品を作り上げています。はい、意味が分からないという人は、ぜひ一度だまされたと思って聴きに行っていましょう。
演奏は慶應義塾大学Light Music Society、通称慶応ライト。恐らくこれを聞いた人は、これがジャズなの!?と驚くでしょう。ジャズです。心が洗われるような、美しいその音楽性には涙を流すほかありません――大自然の息吹を感じるのです。Maria Schneiderはこの他にも多くの曲を出していますが、初期のアルバムはもっとジャズ色が強めな一方、最近のアルバムはクラシックにかなり傾倒しているので、この曲が収録されているSky Blue前後の作風が好きです。
ちなみに、この演奏は生で聴いていました。
これもまたきれいな曲です。前曲よりもフュージョン寄りですが、ドンキーコング2のとげとげタル迷路と、どことなく似た雰囲気を持っていると思いませんか?独特なソプラノサックスの音色と共に歌い上げられるメロディ、ミニマルな雰囲気を生み出しているバック。気分は海の中に漂っているようです。少なくとも私は広大な海原に一人放り出されて息を止めたまま海流に流されるままの自分を夢想しながら聴いています。
http://www.nicozon.net/watch/sm9452541
北欧系ビッグバンドでは有名どころの一つです。ディスコ音楽とジャズの融合という、見た目だけだとゲテモノ間違いなしですが、いざ聴いてみると違和感はありません。まあ、もともとジャズもみんなで楽しく歌って演奏して踊るものだったのですから、親和性は元々高かったのでしょう。映像からも分かるように、踊っています。というか、思いっきりディスコです。ちなみに、このバージョンはショート版で、アルバムにはロング版が収録されており、ロング版のテナーサックスソロは必聴です。
Yellow Jacketsのナンバーはどれもかっこいいのですが、今回はこの「ウサギとカメ」をチョイスしました。ピアノの美しいイントロ、ドラムによって加速するドライブ感、そしてサックスのどこかゆったりとしたフレーズと絡み合うせわしないピアノ――ここに、ウサギとカメの名称の由来が来ているのだと私は勝手に思い込んでいます。これはかっこいい曲だ。
みなさんもグラミー賞を取ったということでご存知の上原ひろみ。ですが、この人の曲を実際に聴いたことがある人ってどれくらいいますか?ということで、数ある曲の中から、変わり種に入りそうな、シンセサイザーがかわいらしくピコピコ鳴っていて、どことなく8ビットの香りも漂ってくる、ただでさえ聴いていると体力が奪われるのに、ライブだから余計に疲れる、カロリーの高い曲をチョイスしました。目まぐるしく変化していく曲調にあなたは目を回すこと間違いなし。
ジョジョのエンディングテーマを演奏していることでネット界でにわかに脚光を浴びているPat Methenyによるナンバー。この人も良い曲をたくさん持っているのですが、今回はメセニーらしさがぞんぶんに出ている曲を選びました。よくわからない拍子、男声ヴォーカル、爽やかな雰囲気。はい、メセニーですね。ただ、こだわりのエレキギターの音を聴けないのが残念です。
本当はメセニーの世界を余すところなく堪能できるOrchestrionを紹介しようと思ったのですが、長すぎるのでやめました。
名前からして古臭さを一切感じさせないですね。フォボスとか、宇宙にまで行っちゃいましたよ。そしてこのバンド名も厨二病溢れる名称。曲も退廃的な雰囲気を漂わせちゃって、なんか厨二病っぽいです。テナーサックスソロも厨二病っぽいです。
曲調がしょっちゅう変わる曲その2。とにかくにぎやかで豪華で壮大で荘厳でいかめしくていかつくて以下省略。とにかく聴いていて飽きません。疲れません。おなか一杯になりにくいです。上原ひろみのものと比べたら、耳にやさしいです。あえて無駄にでかい虚栄心を張ったスケールの曲なので、ラストにふさわしいでしょう。
いかがでしたでしょうか。
めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。
30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。
今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。
ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。
誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。
私は非常に他人の目が怖いです。
高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。
まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストンと理解できたので、高校・大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。
多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。
現在実家を出て一人暮らしの社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏とかいたらな~ってぼんやり思うことはあります。
しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。
だからいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります。
好きってところまで行かない。
普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。
お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがあります。お見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。
あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人と生活するなんて耐えられる気がしない。
自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗の性格わるいやつだ。
で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。
(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科のカウンセラーさんに言われたからでした)
そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。
私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。
太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。
あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。
いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動も基本的にはいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。
小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います。
因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。
母は泳げないので。
下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。
小学校に入り、中学、高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。
確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。
その時にはもう物心つくかつかないかのころから「どんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと
「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、
実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」
と言ったことです。
もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。
今でもこれを定期的に思い出します。
そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。
で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。
夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。
あ、結果はただの皮膚炎でした。
「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?
デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。
「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。
多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。
短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry
弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。
別に母と違って地黒じゃないので極普通の肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちageの材料でしかありませんでしたかこれ。
あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。
性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。
中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通のデブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます。
父は職場は近かったものの仕事で帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝しています(アクション映画好き)
大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さない言葉を吐かれた事がありました。
何を言われたのか、内容はもう忘れています。人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。
ただ『許さない一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います。
あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。
就職も新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)
ただここでも、中学、高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。
なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。
親にとっては友人達に対するちょっと毒舌な冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。
そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。
仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います。
別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。
大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。
良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子どもが奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子どもの人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。
小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもだから仕方ないけど)
(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だから、お姉ちゃんだから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話で
「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」
とかって言ってたことです。
恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます。
昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います。
因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。
なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。
そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。
特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。
言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。
成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。
返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。
おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。
寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。
ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。
友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族に馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。
服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。
「デブスが何してもムダムダwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。
普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。
実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。
甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。
みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。
友達に子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。
義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。
基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。
ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとはダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。
三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw
そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります。
そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。
でもあの人はきっと子どもが自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかしい子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます。根暗ですが。
メールも電話も、受けたら9割愚痴のため、母親のサンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。
父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。
ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。
たまに両親からは地元で就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿
私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。
でもある程度成長してから、特に就職して実家を出てからこの性格を改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。
しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。
そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考は根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます。積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。
素でぽっくりいくのは地味に難しそう。
楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画も小説も漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。
あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……
健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。
そうだなあ、出来れば親より先に死にたい。
親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。
でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。
でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。
大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。
こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的に悪者になって終わるオチも見えるので
ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。
こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通の幸せ家族を未だに厨二病でナナメに見てるだけなのかな。
でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。
でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。
でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。
こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、
「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー。
そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦の愚痴でした。なんで自分の性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。
そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。
ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。
お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)
++追記
すみません、長いですよね。でもありがとうございます。
一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw
そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました。自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります。
あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw
ご結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!
考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます。
本も読んでみますね。
と書くと、厨二病の小説のようで恥ずかしいのだが、最近定期的にこの考えが浮かんでは
希死念慮に囚われるようになったので、こうしてその時々に思ったことを文に起こしておこうと思う。
私には、例えば私が全く違う人間だったとしても、困る人がいるように思えない。
頭が良いわけでも、運動ができるわけでも、芸術に秀でているわけでも、容姿がよいわけでもない。
まして人間性は最悪で、だけど正直、なんとかしようという気持ちが全くない。
役に立たないし好かれない人間に生きている価値なんて塵ほどもない。
他人にはそう思わないのだが。他人にはきっと何かしら価値があると思っている。
生まれる前に戻って、私ではない誰かが、できれば私より優れた人が生まれるように代わりたい。
その方がきっと両親も幸せで、周りの人々にとっても幸せで、社会的にも有益だから。
かといって、変えるつもりももうない。疲れてしまったし、面倒くさくて。
生きていたいと感じない。生活の一つ一つが面倒くさい。明日にでも突然死できないものかと思う。
親より早く死ぬことは親不孝だと言うけれど、ではこの先一生迷惑をかけ続けるのとどちらが親のためなのだろう。
出産はとんでもないギャンブルだと思う。自分はそこまでして子どもなんか欲しくない。
結婚だって、今の気楽な生活を投げ出して他人に合わせるなんて地獄だと思う。
それ以前に、自分に性欲を向けられることが気持ち悪すぎて、人と付き合えない。
もちろん自分に性欲はある。けど、それはリアルの他人には向かない。
触られるのも触るのも気持ち悪い。性風俗にでも行ってくれ。
こういうことを思うたび、先を生きて行きたいと思えなくなる。
それでは人間が滅びるというけど、別に自分が死んでからのことはどうでもいいので。
明日、目が覚めて欲しくないと何度も思う。