はてなキーワード: 厨二病とは
課金は金を課す側の行動なので課される側が「課金した」はおかしいだとか、わかっちゃいるが通りがいいので使ってるだけだとか、いや子どもが誤って覚えて受験や就活で失敗したら大変だとか、そんなこと考えたこともない普通に使ってるよとか、この言葉へのスタンスは人それぞれだろう。
そこでちょっと唐突なんだけど、別件のついでで「課金」で占う性格診断ってのを考案してしかし使う当てがなくなっちゃったからお前らもしよければやってみてくれ。
俺は大学でこういう専門、まあ社会人間工学っていうんだけどそういうのの研究職やってて、あと今は社会になじめない人の自立を支援し社会復帰させるようなNPOのサイエンスアドバイザーみたいなのを複数掛け持ちしてる。
言語学は専門外だが、まあ個人と社会、社会と社会の関わり様についてはいっぱしの知見は持ってるつもり(この診断にはそれほど関係ないけどな)。
本当はもうちょっとお堅い感じなんだけど、増田向けに柔らかくしたり単純化したり等アレンジしてある。
下記Aからはじめて指示にしたがって選択肢をたどっていくだけだよ!
A 言葉は時代とともに変わるものだと思う Yes→Bへ / No→Cへ / わからない→Fへ
B 「課金する」の意味も変わっていいと思う Yes→Dへ / No→Eへ / わからない→Gへ
C 「課金する」という言葉を使う Yes→【保守・ハト派】 / No→【保守・タカ派】
D 「課金する」という言葉を使う Yes→【革新・タカ派】 / No→【革新・ハト派】
E 「課金する」という言葉を使う Yes→【中道・ハト派】 / No→【中道・タカ派】
F 「課金する」という言葉を使う Yes→【なんとなく流されちゃう系】 / No→【なんとなく反抗しちゃう系】
G 「課金する」という言葉を使う Yes→【考えるの面倒くさい系】 / No→【日常で使う場面がない系】
この映画は、ラノベが楽しめない層が行ってしまうと、この人と同じようになってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20160827142040
はっきり言って、この映画はラノベが駄目な人は周りの評判が良くても見てはいけない。絶対に後悔する。
ラノベが駄目な人は、最初のスマホが出てくるシーンで「連絡取り合えば終わりじゃん」と思って白けるに違いない。
また、「性別と人格が入れ替わったのに登校したりバイトしたりできるはずがないじゃん」と思ってさらに白けるのも予想できる。
最後辺りの、○○となってしまうため○○を○○するために動くシーンなんか、御都合主義満載で、最後も白けてしまうだろう。
この映画が言いたいのは、「夢の中の出来ごとはいずれ薄れる」「思春期の少年少女の夢見がちな部分(厨二病)」ってことだけだと思う。
そういえば、色々と立っているフラグについてはほぼ回収されていると見ていて思った。
単発ラノベが大好きな私的には、この展開って…といった形で、予想されたことが起こってしまう。
最後も、最初のシーンとタイトルから早い時点で予測してしまっていた。でも、感動はしたよ。
23歳になってようやく、10歳頃からの慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。
中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、
「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
的類いのものと捉えてくれていい。
2016年6月の終わり頃、Twitterのトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。
なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。
という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。
が。
どこもかしこも大絶賛の理由がである。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである。
特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。
いいのかそういう着地で?
多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である「矢口」(ハセヒロ)という人物である。
会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から「想定内」の結論ありきな形式的なものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物の存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会からの非難を怖れた日和見で政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、
派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラの被害を食い止めるための解決策へと動く。
これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくまで死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。
「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかしある意味では強みになり得るという着地だ。
超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。
ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクターは存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいるものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである)
「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)
これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。
更に、情報や知識の独占の否定。矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。
<超越的>存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」
でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定と統合性が取れていないし、
むろんこういうのは、思想的な好き嫌い、価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である。
矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、
「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」
とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)
ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、
「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、
ここにいる者の生命の保証はできません。
だがどうか実行してほしい!
わが国の最大の力は、この現場にあり、
っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)
そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、
「まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)
映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。
ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである。
しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクションの世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものだからである。
繰り返すが、断っておくと、これはあくまで個人的な価値観の問題である。
しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。
もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか?
それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。
国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観?
いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで
っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつの作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。
これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、
「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」
ことであろう。
次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語や政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇
「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、
そうか?
前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか。
が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。
いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。
「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。
更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。
物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。
というのは、2時間映画の構造基本には、
が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。
小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルである。まやかしの勝利、からの喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブルは別にあることに気付いてしまったり、大・トラブルを解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、
「シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。
だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。
突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、
根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法にほとんど気が付いてしまっているのである。
ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラは活動を停止するのでは……
っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、
「これが正解なのだな」
と思う。思ってしまう。
だから、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。
これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである。
故に、制作者は、その予定調和的思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。
というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ。主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害や無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味・不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。
で、
からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである。
これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、
など少なくとも順番が入れ替わっていれば、
専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。
しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。
主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ。博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである。
つまりほとんど、「米国が核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。
ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。
以上の理由から、「難しいから子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、
「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的=作品の価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。
けれど、
やれ家族の絆だ恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいものを大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいものを評価できることが~
みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線の物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。
同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。
むしろ、近年、「マッド・マックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品が海外から出て話題を呼んだ中で、
まだ、大衆に媚びてないから一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20160713084827
元増田は悪くはないんだけど、いろいろと指摘したくなるので、申し訳ないが書き直してみた。
この知識を頭に入れてくれないと、誤解しやすい。
この知識があると理解が進むのです。
生物学上の性が男 and 女性的な格好・言葉づかいをしている
自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。
メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。
それがおネェである。
ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。
また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊な言葉である。
→「生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)」のor抜いた
他は文句ない。
生物学上の性が男の人に主に用いられる言葉で、異性装(男なので女装)の嗜好がある、ということ。
生物学上の性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない
ttp://anond.hatelabo.jp/20160118180656
女装の嗜好があるかは問わないし、自分の観測してきた範囲だと、ゲイで女装して過ごしている人は少数派だ。
生物学上の性は厳密には問わない。
レズと省略すると、侮辱するニュアンスが含まれるため、「ビアン」と省略するのが穏当。
LGBTのL。
実は、格好や性対象は関係なく、自身の性に対し違和感を抱いているかどうかで判断される。
女性から男性になる、男性から女性になる人は、トランスジェンダーと呼ばれる。
性指向は、自分は女性だと思っているので、男性になる傾向がありそう。
自身を女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。
女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、成果もばらつきがある。
生物学上の性と性自認の問題なので、性指向等は関係ありません。
ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱の言葉なので使うことは禁忌だ。
上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム、破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。
また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。
それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。
しかし、彼らは社会的な承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的に性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。
その動機故に、性対象は女性、または両性である割合が高い傾向がある。
特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。
逆に、性同一性障害の人は自身の過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である。
→条件が単純、というか、ただの嗜好。ま、分析は好きにして。
個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、当たり障りのない呼び方をするのが良いと思う。
最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず、女性と言えば丸く収まる。
もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性と一言つけることでだいぶ印象が変わる。
基本的にこの手の話は、プライベートな情報なので、親しくなってから聞くものです。
遺伝子がXXかXYか、で良いと思うんだけど、、、XXXとか例外がいるんですよね。
例外の人には申し訳ないけど、男性・女性・その他、の三分類が適当かな。
基本的なコミュニケーションにおいて、生物学上の性が重要になることはあまりないと思います。
強いて言うなら、トイレや更衣室を用意しないといけない立場になった場合に、
また、生物学上の性により思い込んでいるケースもまま見られます。
これも第三の性を提起する人がいるので、男性・女性・その他、の三つ。
相手のアイデンティティーなので、基本的なコミュニケーションでも留意する必要があります。
他にもいろいろあるらしいですが、その他、として5分類とします。
同性愛(ゲイ・レズビアン)、異性愛(ヘテロ)、両性愛(バイセクシャル)、無性愛(アセクシャル)が関係する言葉です。
生物学上の性ではありません。
性同一性障害でなければ、ややこしくはありませんが、性同一性障害の場合、
以下の組み合わせが発生します。(単純な組み合わせのみ)
生物学上の性 | 性自認 | 性指向 | はため | 実際 |
---|---|---|---|---|
男 | 女 | 異性(男が好き) | 同性愛(ゲイ) | 異性愛 |
男 | 女 | 同性(女が好き) | 異性愛 | 同性愛(ビアン) |
女 | 男 | 異性(女が好き) | 同性愛(ビアン) | 異性愛 |
女 | 男 | 同性(男が好き) | 異性愛 | 同性愛(ゲイ) |
外見に顕著に表れるのは、異性装か否か、ですね。二分類。
男装、女装、異性装(クロスドレッサー、ドラァグ、トランスヴェスタイト)が関係する言葉です。
元増田でも触れられているように、生物学上の性が男・性自認が女の人に「女装」というのは危険でしょう。
現在の性という書き方をしたのは、性転換をしていた場合、生物学上の性から変わっているからです。
ここまでで、性同一性障害とゲイ、女装までは、分類できました。
最後「オカマ、おネェ」ですが、、、用語の定義が明確ではないのが実態です。
ホモフォビアとして「オカマ」という単語が発せられる場合、「ゲイ」に対してが多そうです。
タイトルの属性の違いは一般の人にとってすごくわかりにくいと思う。
自分ではそのつもりはなくても、その言葉を使うことで「傷ついた」という人も出てきて、煩わしく感じている人もいるかもしれない。
自身は知見があるので、それらの言葉の違いと、どうすればよいかを簡単に記していきたい。
生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)
自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。
メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。
それがおネェである。
ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。
また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊な言葉である。
生物学的な性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない
自分の観測してきた範囲だと、ゲイで女装して過ごしている人は少数派だ。
もちろん、男性に好かれるために女性になろうとする人もいるが。
http://anond.hatelabo.jp/20160118180656
テレビのようなステレオタイプなゲイはお店に行けば会うことができるが、普段からあのノリの人は少数派だ。
マサイ族が普段は都会暮らしで、客が来たら民族衣装を着て狩りをするのに似てる。
自身の生まれ持った性に嫌悪感を感じ、反対の性になることを望む人
実は、格好や性対象はあまり関係なく、自身の性に対し強烈な嫌悪感を抱いているかどうかで判断される。
ここではタイトルの趣旨から、男性から女性になる人について書く。
性対象は、自分は女性だと思っているので、男性になる傾向がある。
自身を女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。
女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、
その期間中は男としても女としても違和感のある存在になりがち。
自己実現できていない人や性別移行中の人は、男性であることが受け入れられない自己否定と周囲からの視線や偏見によって病んでいる人が多い。
素材や性別移行開始年齢によって見た目に大きく差が出る。
それらに恵まれなければ、女装した男にしか見えない容姿になってしまう。
社会生活でそれが不利に働くことを認識している人の中には、敢えて男性の姿で生活している人もいる。
ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱の言葉なので使うことは禁忌だ。
上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム、破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。
また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。
それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。
しかし、彼らは社会的な承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的に性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。
その動機故に、性対象は女性、または両性である割合が高い傾向がある。
特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。
逆に、性同一性障害の人は自身の過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である。
個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、悪気なく上記の言葉を使っても当人を傷つけてしまうことがある。
それが面倒くさく感じてしまうと思うが、対応策としては当たり障りのない呼び方をするのが最も簡単であろう。
当事者を呼ぶ場合に最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず、女性と言えば丸く収まる。
もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性と一言つけることでだいぶ印象が変わる。
あの人は生物学的に男性だから。のような呼び方をすれば、当人を傷つけるケースは減るだろう。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20160713184113
の人が、本記事に対して不完全性を補完しようとしてくれた。
大変ありがたいのだが、本記事の趣旨を明確にしていなかった私のミスだ。
興味のない人にとって新しい概念を理解するのはすごく重労働だ。場合によっては知らない言葉が出てきた瞬間聞くのをやめる人までいる。
簡単な概念であっても「性思考」、「性自認」と言った言葉は普通の人には馴染みがないし、なんとなくつかんでも実感がわかない。
windowsユーザーに「ターミナルやvimというものがあってだね」と言おうものなら、その時点で情報をシャットアウトしてしまう人は多いのと同じだ。
そこで、今回はそれぞれ言葉としてはそこそこ有名だけど、どう違うの?という人に向けて書いたのだ。
(故に網羅的ではなく、トランスヴェスタイトなり、FTMなり、そこまで知名度の無い言葉や類似性が乏しいものについては書いていない)
当事者にとっては性思考、性自認、思考の区別は明確だが、知らない人にとってはごっちゃになっている。
また、当事者が意図せず傷ついてしまい、それ故に当事者と関わるのが面倒くさいという人もいる。
ここではなるべく新しい概念を持ち出さずに、既に知られているがややこしい言葉の違いを一般的な言葉で違いを伝え、当事者を傷つけないようにするための簡単な手段を記した。
ということを文頭に書くべきだったが、あまりに簡素に書きすぎてしまった。
申し訳ない。
おいおいwがっかりだなあセンセイ。
国家予算の使途と「高度な存在」とやらにどういう関係があるのかね。事実がどうこう言う前に論の組み方ってものを勉強してこいよな。つうかそもそも何だよ「高度な存在」っつうのは。ラノベ用語かなんかかオイ?
研究がなきゃ大金稼げるスペックの脳の持ち主が寄ってたかって結果出してまわる、その集大成のひとつたる学会行ってて出てきた発想が「権利」というお粗末なファンタジー。俺がお前の親御さんだったら情けなくて涙が出るね。ちったあ恥じたらどうなんだ?
だいたい脳のスペックを換金した場合の金額の高さで測ってモノ言うってのがもう終わってる。むしろお前実は学会とか出席したことないだろ?結構いいお値段の会費とられるとか知らないクチだろ?
学会ででかい発表に臨むような脳の持ち主はみんな責任を負っている。他人の苦痛と生命に関わりながら得たデータに対する責任だ。
権利は放棄することが出来るが責任放棄は許されない。彼らには価値ある研究発表をして医学に寄与する責任がある。脳みそのスペックなんぞ関係あるかボケ。金が欲しけりゃいつでも降りろ。結果だ結果。結果が全てだ。
そしてお前は結果を出していない。
責任とは過去において課されていた義務であり、義務とはこれから果たさねばならない責任のことだ。
お前は結果を出していないが権利とか言って厨二病に酔っていられるわけだから、おそらくは図星で孵って5年しないひよっこなんだろう。つまり今後に期待ということで義務が課されている。
だったらさっさと結果を出せでFAだ。
>義務だのなんだの言ってるお前はクッソ小さいわ。人類動かしてる人間の努力を見たことないからそんな頭の悪いことかける。
(中略)
俺は前記事で努力なんぞ一度たりとも持ち出した覚えはない。結果だ結果。結果が全てだ。他のどんな業界より結果重視だぞ医療は。
きちんとした成果につながるなら省エネは要領良さとして評価されるし、無駄な努力は時間の無駄だから蛇蝎のごとく嫌われる。みんな忙しいんだ、時間は貴重だ。
人類動かしてる人間の努力(笑)いやーひよっこの寝言は面白えなあ。ピーチクパーチクと鳴き声だけはいっちょまえときた。
だが現場には要らねーな。少なくともウチの現場には要らない。こういう思い上がったヒナに限ってつぶれやすいんだよな、芯がないから。
rebuildfm からアニメに入った人に見てほしいアニメをあげてみる.
http://www.kokaku-s.com/root.html
サーヴァント型のPMである荒巻課長,リーダーである素子,それぞれの分野でプロフェッショナルであるメンバーが在籍する公安9課.
マネジメントを語るなら Fate/Zero より断然こちらを語ってほしい.
荒巻課長の「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん. あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ」という名言はまさしく理想のチームと言わざるをえない.
スタンドプレーだと言ってもメンバーはみんなちゃんと情報共有するしリーダーである素子から指示を受けて動く.
映画としてのGhost in the shell, 1stシーズンである笑い男,2ndシーズンである個別の11人, そして最後に綺麗に締めるSSS.
映画とテレビの違いは「人形使い」に出会ったか出会わなかったか. 出会った世界線が映画シリーズで出会わなかった世界線がテレビシリーズ. それぞれどのような結末に辿りつくのかも見逃がせない.
日本の地下にすごい資源が眠っているのがわかってアメリカっぽい国に占領され併合された世界.
そんな世界の日本の学校に通う主人公ルルーシュは実はアメリカっぽい国の王子で後継者争いに破れ死んだ事にして日本に亡命していたのだった.
そんな日本から親に復讐するため,世界復讐するためギアスという名の超能力を手にいれひっそりと軍隊を組織して復讐をはたしながら世界の頂点にのぼりつめていくストーリー.
ルルーシュは基本的に頭が良くさまざまな陰謀を巡らせてのしあがっていくのだが,罠をはったつもりが予想外の事がおきすぐに困った事になるのは「ハウス・オブ・カード」につながる所がある.
毎回次回への引きがすばらしいので続きを常に見たくなる.
中世のような世界で商人ロレンスが狼の化身ホロと共にお金を稼ぎながら旅をしていく物語.
ラノベ原作にしては登場人物の平均年齢が高く内容も無双やハーレムと違って経済の基本をちゃんと抑えたミステリーファンタジー.
金貨や銀貨を使用している世界で為替や信用取引といった現代の金融の仕組みを上手く使いながら立ち回る様は異世界召喚ものに近い雰囲気がある.
作者がトレーダーな事もあり付け焼刃ではない知識がベースとなってる事がうかがえる.
アニメの雰囲気がすばらしく,ホロがかわいい. わっちかわいい.
中東の戦地で少年兵として育てられた主人公・相良宗介が対抗組織に狙われているヒロインを守るため日本の学校に転校するボーイ・ミーツ・ガール.
原作の作者が氷菓のアニメ脚本等もやっており京都アニメーションとの関わりも深い.
以上の事からもわかる通りふもっふが最高でそれを最高に楽しむために無印を見ると良い
http://www.gonzo.co.jp/archives/druaga_anime_2nd/
SAO のような雰囲気があり原作ゲーム同様塔の最上階を目指すストーリー.
ちゃんとファンタジー世界でRPG(原作はRPGじゃないけど)していてゲーム好きにはオススメできる.
第一期と第二期があり一期の最後に大どんでん返しがあり見てて「まじかー」となる.
タイにある警察も軍隊も腐敗にまみれた架空の都市ロアナプラを中心としたガンアクションストーリー.
ダイハードと仁義なき戦いを混ぜて煮詰めたような濃厚なストーリーに善悪の価値観が崩壊していく.
ロシアマフィアや中国マフィアなどの街の勢力争いに巻き込まれながらそれらを相手に立ち回る様は厨二病的にみてもかっこいい.
第三期まであり最後までダレなかったのは素晴しい.
特殊能力が一般化した世界で最強の暗殺者が組織を裏切り戦う厨二ストーリー.
第一期と第二期があるが第二期の最後まで見て満足できる.
http://www.geneon-ent.co.jp/rondorobe/anime/hellsing/
最強にして真祖の吸血鬼アーカード. 吸血鬼を敵とするバチカンの特務機関イスカリオテのアンデルセン神父,世界にナチスドイツを復権しよと蘇えった少佐.
GONZO版のテレビシリーズと原作準拠のOVAシリーズがある.
テレビシリーズはよりキャッチーになってるがそれが不満な原作信者向けにストーリーが濃厚なOVAシリーズが原作者監修の元作成された.
http://www.jvcmusic.co.jp/flyingdog/last-exile/
人類はその人工惑星で2つの国に別れて戦っていた. その戦いを仕切るのが惑星の管理を行っているギルドという組織.
しかしこのアニメの目的は2国間の戦闘ではなく,それを取り仕切るギルドに対しての復讐劇となる.
登場する戦艦や航空機「ヴァンシップ」が見た目スチームパンクでめちゃくちゃかっこいい.
1シリーズで終わって続編として「銀翼のファム」があるが,間の漫画を読まないとストーリーがわからなくてアレである.
http://web.archive.org/web/20151016184554/http://www.gainax.co.jp/anime/top/index.html
宇宙の果てからやってくる敵.それを迎えうつために戦う少女たち.
ストーリーのキモとなるのはウラシマ効果で一回戦いに出て戻ってくると地球では数十年たっているという悲しみ.
続編にトップを狙え2があるがテイストが違うためオススメは1stシリーズ.
人類が宇宙に進出してしばらくたった世界で宇宙に漂うスペースデブリを回収するデブリ屋.
そこに所属する主人公が新入社員に若さと青さで刺激され夢をとりもどすストーリー.
NHKアニメらしく「なぜ働くのか」や「夢とは何か」といったような説教臭さもあるが制作してるのがガンダム等を作っているサンライズだけあって宇宙の描写はすばらしい.
http://king-cr.jp/special/mo-retsu/
宇宙海賊が敵対勢力ではなく一子相伝の伝統芸能となっている世界.
他なんかある?
追記
頑固者が心開くところと、車に関わっているところかな。
ブコメやトラバに対しての返しを見ていてもあまり頭が良くなさそうな印象を受ける。
なんていうのか、中学生が大人相手に背伸びしてやり取りしているような妙な噛み合わなさ。
読みたい本が思い浮かばないのは、今までの読書経験の蓄積がないからでしょうね。
その蓄積のなさが、元増田から感じる妙な感覚の正体かもしれない。
元増田が何歳か知らないけど、自分から何かを始めてみようと思うときにこのような受け身かつ傲慢不遜な態度が許されるのは、せいぜい高校生までだよ。
己の不明を恥じずアドバイスを求める側に対して妙に偉そうな本文・追記・返信。
読んでて情けなくなってきたわ。
そういう態度がひねくれててカッコイイと思っているのならズレてるよ。
気に障ったなら申し訳ない。口調だけでお前みたいな皮肉だけは達者な役に立たねえカスの意見を浮き彫りにする必要があったからな…
申し訳ないなんて思ってもないのに謝らなくていいいよ。白々しい。