3人姉弟の片田舎育ちで、平凡に暮らしていた。田舎にも種類があるけれど、イオン的な郊外型ショッピングモールがあって、公立に行ってなんぼ・私立はバカが行くところだ系田舎。
親子と祖母と暮らしていて、小さい頃は親戚と遊んだり家族旅行に行ったりもした。
異変は小学生の頃。中学生の姉が父親と喧嘩したらしく次第にギスギスし始めた。何年か経って聞いたところによると、姉の何かしらの行為に腹を立てた父が姉を投げ飛ばしたらしい。
私にも似た経験がある。あまりにも些細すぎてその片鱗さえ覚えていない。が、何かしらの悪さを私は働いた。穏やかに諭す父。まだ10歳にもならなかった私は「歯を食いしばれ」の言葉に素直に従いゲンコツ一発を頂戴した。当時はただただ驚いていたが今なら言える。対価でかすぎだろ。
姉は父と距離をとった。洗濯物どころか食事さえ別室でとった。
私も思春期さながらの「お父さんキモい」発動。昔からどこか冷静だったから、「思春期だから仕方ない。この感情に従おう。あとに残すとややこしい大人になるし」と自分の感情のままに生きた。
しかし何年経ってもそれは続いた。高校を卒業しても、成人を迎えても、働き始めてからも、今も。
大学は地元を離れた。その時やっと父を人として見る余裕ができた。
別に暴力的なわけでもなく(上記のあれは一度きりだし)、お酒もひどくないし、タバコに至っては吸わない人。
それまではとにかく嫌で嫌で、話すのも見るのも見られるのも同じ空間にいることさえも嫌だった。離れたかった。
物理的に距離ができたことによってマシになった。
祖母の葬式で久しぶりに会って少し話したが「ああ駄目だ」と思った。近づくと無理になる。家族だからといってなぜ同じ家に住まわなければならないのか。本能的に無理なのだ。いやしかし、単純に姉の影響なのかなとも思う。それでいて父との関係修復に恐れを成しているのだ。よくわかんないけど言葉にするならそんな感じ。思い込みの激しいところが昔からあるから。
家族主義のこの国においては、いやきっと地球上どこへ行ったって、非難の対象だろう。面倒くさいから死んでほしいよねと姉とたまに話している。母の前では言えない。
何かの時に父の話を母とした。母は「嫌いだとは思うけど、まさか死んで欲しいと思っているわけじゃないでしょう?」と冗談っぽく言う。ごめんね、私達そんなにきれいじゃない。
大学の時両親は離婚した。よく、離婚の原因がわからないという男性がいるが、女性の気持ちはポイント制という例えがしっくり来るのではないだろうか。母に尋ねると「確かに好きで結婚した。けど、昔からなんかこの人変だなと思うところがちょくちょくあった。その小さな積み重ねの結果だよ」と。父は病院に行くほどでは全くなかったが精神不安定な面があったようで、私が大学に入ってしばらくした頃に母と口論した際、最終的に包丁を持ち出してきたのだという。
ちがう。父を嫌いな自分を肯定する材料が欲しかっただけだ。腹を立てるパフォーマンスだった。
実際、再婚した母が旦那さんとの時間を優先させているのを見ると、すごく腹が立った。自分勝手な上に子どもだ。もっと親に甘えれば良かった。なぜだか上手く甘えられなかった。気を回す必要など全くなかったのにいつも気を回していた。勉強をしろとか、なんにも言われなかった。自由に習い事もさせてくれた。困ったら助けてくれた。優しかった。
甘えられなかった自分が悪いのかな。
外見だけ大人になって、中身はずっと子どものまんま。無責任で身勝手で自分のことだけ考えてて自意識過剰の厨二病。
なんで産んだんだ。
ずっと虚しさでいっぱいだ。
おつかれ。 ここまで書いてきた言葉が自分から出たものなんだなと思うと涙が出た。感情の種類はよくわからない。 睡眠不足だ。寝ろ。