「アイヌ殺す」はヘイトスピーチか問題について、アイヌの扱われ方や、私刑の是非について議論が深まる中で、
ブコメでは割と言及があるのに主題としては取り上げられているのを見かけない問題がある。
俺は、もう少し「殺す」という単語はカジュアル寄りに用いられるようになって欲しい。
そして、ゲームに関わる文脈ではもっと許されるようになって欲しい。そう希望する。
http://b.hatena.ne.jp/entry/300683494/comment/Hasta_luego
ゲーム上でのカジュアルな殺害予告と言うと「黒殺す」とか「白殺せそう」などと良く使います、囲碁仲間と。
どこまで行っても「アイヌ」の後ろに「殺す」つけちゃいけない、悪いことだ。それは大前提として
「さすがにアイヌと足すのはいかんよね」 程度の批判で済む流れが増えれば嬉しいな、と思うのだ。
リアルタイムでゲームに夢中になっているときにポリティカルコレクトネスとか考えたくない。脊髄反射でつぶやきたい。
そのとき、やっぱり「殺す」は20年、30年のゲーム文化のなかで標準語とは別のニュアンスを持った独自の言葉なんだ。
だから、ゲームの文脈の「殺す」には、もう少し、寛容になって欲しい。
そして、文脈を読んで欲しいという願望というか圧力にも強弱がある。
10人のコミュニティで使える内輪用語です。キツい言葉だけど、twitterの前後をよくよく読めばニュアンスが伝わるから文脈読んでくださいという人はあんまり多くないはず。
逆に話者数の多い方言です標準語に直すとキツい表現だけどこれは方言なのは文脈読めば分かるよね、という主張なら、大方通るんじゃないかと思う。
ゲーム文化は方言に例える程歴史はないけれど、でも20~30年?言葉は生きている以上、元の意味を侵食する事例としては十分長く続いてきたことで、
その中で「殺す」を独特のニュアンスで使う人もそれなりの数に達してきている。注3
今回の騒動の主題からは外れるけれど、それでも燃料の2割程度には
「ゲームの殺す」は文脈を読めと主張していいほどの、大さと歴史があるだろうという意識と、
ゲーム文化なんていう一部の趣味の表現の文脈を何故わざわざ読み取らねばならないのかという意識との温度差の問題があるんじゃだろうか。
注1
但し、小女子事件は日時まで書いた犯行予告でだから有罪だったけれど、
「アイヌ殺す」のtwitter発言を警察に訴えたら、あの文言だと適当にあしらわれるか、不起訴じゃないかな?
注2
同時に「アイヌ」じゃなくて「ナコルル」でいいだろうという批判にも
そういう文化が育っちゃって、もう止めると何か違和感があるのです、と言いたい。
とっさに口をついて出るのは属性呼びで、それを禁止されたら何かを奪われたと感じると思う。
注3
勿論ゲーム大好きだけれど殺すなんて間違っても使わないって人もいる。
うわぁ ゴミクズの中では殺すがヘイトスピーチかどうか問題なんてのが存在したのか 完全にアウト グレーどころか普通にブラックなのに
囲碁の殺すはホワイトじゃねーか!囲碁以外だって認めろよ!この世に完全アウトなんてあるかボケ!