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はてなキーワード: シェイクスピアとは

2023-08-02

anond:20230802082122

マッドマックスシェイクスピア劇のような人の高潔さを描いた作品ですが、特にフューリーロードには下品なシーンはありませんし、正直に申し上げますと、それを下品と断ずる増田様の教養が足りないのだと思われます

増田様の挙げられた作品ヒューマニズムというものを題材としております

これらは米国アカデミー賞、あるいは英国の作劇アカデミズムにおいて重要視される要素であります

俳優の表面的な美しさだけではなく、汚辱や辱めを受けながらも立ち上がる姿を見せる姿勢特に彼らの持つ作劇史、文学史において重要とされているのです。ご納得いただけましたか

2023-07-08

絵もストーリーもすべてAIが作って大ヒットしてアニメ化される漫画がそのうち生まれるだろうか

サルシェイクスピアを書くよりは短い時間で達成されそうだ

2023-07-06

anond:20230706104954

こうして並べると如何にゴミであるかがよく分かる。

星を継ぐもの → 明らかにシリーズモノ全体として」評価している奴らの票が入っているであろう時点で失格。たとえば『スーパードクターK』は今だと『K2』の影響でかなり評価が高まっているけど、それは『スーパードクターK』単体の評価であるというのは無理だろ。その分を何らかの計算式で除算すべきだった。

夏への扉 → ババァは裏切るからロリコンが正解!未来はクソ!現代もクソ!科学と猫とロリけが正義!恥ずかしいと思わねーのかな……

ハーモニー → なんか伊藤計劃に変な事言うと「死者を冒涜するな!」みたいになりそうだから何も言えねえわ。あえて一言言うならそういう空気が生み出した上昇気流込みの評価はあると思うよ。

・三体 → 時間によってろ過される前の短期的な評価が入ってる時点でなんかこのランキングに入れるのは違うんじゃね?ハピマテはその昔大ブームになったけど今それと同じ力を持っていると言えるか?つーかこれもシリーズやんけ。

幼年期の終わり → 「これが元ネタから読んどけ!」するにしてもあまりに在り来りになりすぎたからもう読まなくていいやの枠だと思う。シェイクスピアみてーなもんでしょ。面白いかって言われると今読むと厳しいと思うよパクられすぎてるから。つーかこれも。

新世界より → どーせアニメから入った奴らばっかなんだろ?ヒロインカワイイから評価上がってるだけだろ?

アルジャーノンに花束を → これSFか?クソほど長い自由律俳句としてはめっちゃ面白い翻訳にも恵まれていると思うがSFか?

銀河英雄伝説 → アニメラインハルトカワイイから評価が上がってるだけだろ?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? → ブレードランナー元ネタとして評価されてるだけだべ。映画にない部分こそが本体だけどちゃんと分かってる?

・1984年 → あちゃー遂に「11位に相応しいな」って感じのが来ちゃったのでここで企画打ち切りでーす。他の名作と同じでパクられまくっちゃいるんだけど、本家ほどに剥き出しな悪意や失望を感じさせる作品は少ないのよね。時代を重ねるほどに「昔の人はこんな事考えてたんだな―」とはならずに今でも全然通用するテーマってのが「人類は愚か!ずっと愚か!」って盛り上がれるのもポイントよね。古さを単に元ネタとしての鮮度の高さ以外の形で使えるってのは強いよ。

2023-06-27

空が綺麗でも「新海誠じゃん」しか言えない

教養のない奴がシェイクスピア淫夢でイキるんだってインターネットで誰かが言っていた

そうなんだじゃあ投げ捨ててやるよガンダムの語録だって

で、今、何も語れていない

だって、使う、言葉が全く思いつかない

慌ててでっち上げ造語症じゃ和食横丁じゃんか

意味が通じて密度の高い言葉自分の中にないのは、やはりヤバい

四字熟語とかやたら使いたがる奴らの気持ち今ならわかるぞ

アレってつまりは語録なんだよな

2023-06-09

anond:20230609153447

国語学教授?の2010年代までの見解もそれはそれで参考にはなるけど、2020年代ダイレクト文学部知識ビジネスに結びつく時代だよ。

例えば、ディズニーリトルマーメイドカプコンのスト6、ネトフリのクレオパトラなんかの作品

あれ、文学部で学ぶ現代社会学、古代地中海史、近世大西洋史、現代アメリカ史、倫理学知識がモロに使われている。

鎌倉時代シェイクスピア作品映像化もそれ。

作品時代考証や配慮をやるにも専門知識を持った人が採用されるようになってきている。

2023-05-27

ロミオとジュリエット児童ポルノではない

ロミオとジュリエット」のヌードシーンは児童ポルノとみなされない、裁判官規則

ロミオとジュリエット俳優オリビア・ハッセーレナードホワイティング、撮影中に性的虐待を受けたと主張

ローリンオーバーハルツ 著 | フォックス・ニュース

https://www.foxnews.com/entertainment/romeo-and-juliet-nude-scene-not-considered-child-pornography-judge-rules

判事木曜日フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の俳優らが起こした訴訟棄却した。

現在72歳の俳優オリビア・ハッセーレナードホワイティングは当初、1968年映画ヌードシーンは児童ポルノであり、二人は撮影中に性的虐待を受けたと主張していた。

上級裁判所アリソンマッケンジー判事は、15歳でジュリエットを演じたハッシーと16歳でロミオを演じたホワイティングが起こした訴訟棄却を求める被告パラマウント・ピクチャーズ申し立てを支持する判決を下した。

判事は、映画のシーンは合衆国憲法修正第1条の保護下にあるとの判決を下し、ハッシーホワイティングは「法律上、この映画性的示唆に富むとみなされる可能性があることを示すいかなる権限も出していない」と説明した。決定的に違法だ。」

ロミオとジュリエット監督の息子、スターから5億ドルヌード訴訟を破棄:「ポルノとは程遠い」

ロミオとジュリエット」の俳優らは、当初ゼフィレッリからヌード撮影はせず、代わりに肌色の服を着ると言われたと主張した。しかし、そのシーンを撮影する段になると、監督は2人のティーンエイジャーをヌードにしなければ「そうしないと映画は失敗する」と主張したと言われている。

この映画とそのテーマソングは当時大ヒットし、ホワイティングの裸のお尻とハッシーの裸の胸を少しだけ見せたヌードシーンにもかかわらず、この映画シェイクスピア悲劇を学ぶ何世代にもわたる高校生の間で流された。

俳優らの弁護士連邦裁判所に再提訴する予定だ。

ソロモン・グレーセン弁護士声明で、「弱い立場にある人々を危害から守り、現行法執行を確実にするために、映画業界における未成年者の搾取性的対象化に立ち向かい、法的に対処する必要があると強く信じている」と述べた。

パラマウント弁護士はこの判決についてコメントを控えた。

映画監督の息子は以前、この訴訟非難していた。

ピッポゼフィレッリ監督は「撮影から55年が経った今日本質的にこの映画のおかげで悪名が広まった2人の年配の俳優が目を覚まし、長年不安感情的不快感を引き起こす虐待を受けていたと告白したと聞くのは恥ずかしいことだ」と語った。ガーディアン紙が声明で述べた。

どうみてもマスゴミ弁護士の汚いビジネスです。

ジャニーズたたきもそう。

https://www.foxnews.com/entertainment/romeo-and-juliet-nude-scene-not-considered-child-pornography-judge-rules

2023-05-22

anond:20230522015327

男性族が社会構造の主な部分を作ってるんで、そういう見方になる

ただ遠目に見ると、少年漫画トリッキー異能力を使う物語で、少女漫画人間ドラマ正統派という見方もできる

ラノベはその中間ぐらいか

ちょっと飛躍するが、世界では人間ドラマのほうが主流(シェイクスピアや「高慢と偏見」や韓国ドラマ

まり少年漫画結構特殊な分野だと思うんですね(米国ならスーパーマンマーベルにあたる)

2023-05-21

教養って要するにオタク知識のことだろ?

やたらと褒め称える人がいるのが不思議でならない。

雑談ネタにするのなら分かる。

だがやたらと引用したがるのはよく分からない。

状況に対して的確な言葉が思いつかないのを比喩に逃げているようなものではないか

なんでも食べ物に喩えたがる人間の話はよく分からないという名言を知らないのかよ。

教養とやらをやたらと持ち上げる人間センスはそういうものだ。

シェイクスピア聖書から持ってきたから何だと言うのだろう。

同性愛者はソドムの炎に焼かれるべきだなんて21世紀にのたまうつもりなのだろうか?

すまない今のは例外として許してくれ。

教養と言い張り引用したがる奴を再現するには自分もそれを真似る必要があった。

「誰それが貴方のことを馬鹿だと言ってましたよ」と告げ口したからといって、それは告げ口した人間馬鹿にしていることにはならないよな?

すまない。

私もまた何かあると喩え話に逃げてしま間抜けのようだ。

こうした間抜け必死になって自分間抜けさを隠そうと教養を身につけるのだろうな。

常識も知らないオタクがやたらとガンダム電車のことに詳しくなろうとするように。

畜生……まただ……畜生……

2023-05-16

例の演劇男性ファンがどうたらの話。

自分でも不思議不思議なんだよな。

アニメは観る。映画も観る。

洋ドラは観る。日本ドラマほとんど観ない(『アンナチュラル』とか『大奥』とか『岸辺露伴は動かない』とか、評判がいいのをちらほら)。

音楽ライブには行く。バンド好き。歌の上手い歌手も好き。

声優は好き。アイドルは嫌い。握手会だとかチェキ会だとか、いわゆる接触イベントにまったく興味ない。一度、なんかのきっかけで参加したら、マジしんどかった。ただただ不快

キャバクラガールズバーも嫌い。風俗はめったに行かないけど、行くとそれなりに楽しい

好きなアニメ舞台化だとか、好きな声優が出てる舞台に何度か行ってみたんだが、まったくピンと来なかった。

ものすごくつまらないわけではないけど、夢中になって何度も通うってほどではないというか。

シェイクスピアかになると、「これは勉強だな」と思っているので、別の回路で楽しめたりする。

舞台で唯一、面白いものが観たくて何度も足を運んでいるのは劇団☆新感線だけ。あれは別格に楽しい。でも他のは全然楽しくない。

2023-03-21

物語パターンの要素はシェイクスピアの頃に出尽くしているというけれど、悲しい事件きっかけにそれを塗り潰すラディカルな思想に目覚めて人類を巻き込むセカイ系悪役もいたのだろうか

2023-03-09

anond:20230309001716

文化は総じてリミックスでできてるからしゃーないのでは。

英語ってのはゲルマン語とフランス語、ノルド語とかを学がなく、伝統を重んじない人らが混ぜ合わせて作った物だ。

そんな言語で作られたシェイクスピア作品文学として、歴史としての格が落ちるのだろうか?

2023-02-27

anond:20230226232700

じゃあ「恋愛要素なし 少女漫画」でググって、雑な歴史ものを抜かせばいいのではないかと思った。

歴史ものだと「薔薇王の葬列」は面白かったよ。シェイクスピア原作リチャード三世知らなかったら面白くないかも知れないけど。

ていうか、文学とかも含めて恋愛パートのないコンテンツって少ないよね。

2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2023-02-06

anond:20230206000418

しかも、聖書シェイクスピアマザーグースくらい最低でも履修済みでないと歯が立たないのが、かなり無理だった。

2023-01-29

山月記って何がすごいの?

全然わからん

シェイクスピアとかも何がすごいのかよくわからんし。

2023-01-22

ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。

ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。

特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベ価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。

後にも述べるがいまやラノベ純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。

が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体まりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。

このような単にラノベ純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。

正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベ純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。

ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。

一方で純文学シェイクスピアハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。

ブリタニカ百科事典先生によると、文学芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。

逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。

でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。

文学といえばよくそメッセージ性が問題にされているとは思う。

文学作品物語プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。

その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。

あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。

しかしそれがなんだと言うのだろう。

そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに価値」じゃないか

しろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。

価値に対して人間万物尺度であってかつ尺度多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである

またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。

他方、ガリバー旅行記人間社会不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。

そういうメッセージ風刺アンチテーゼの質が文学作品重要評価軸になっているようには思う。シェイクスピア漏れくその点で評価されているのだろう。

じゃあそのメッセージかいうのは「美しい」のか?

こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。

たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報視覚関係する尺度をあてがってもどうにもならない。

あるいは文学には描写のものの美しさというものも見出すことが当然できよう。

その最たるものが詩だろう。

それは単純に視覚的に美的ものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。

そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学要件を満たしうるはずだ。

しか文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というもの論理次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである

その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。

文学価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。

結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。

とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並み見解しか沸いてこないだろう。

それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲知的障がい者には荷が重い。

からその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。

それはおそらく知的エリート価値観になるだろう。

知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。

ただの女たらしが「紀州ドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリート社会的地位が高い傾向がある。

そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。

ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。

彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。

なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか

教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ

以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値判断している。

そしてそれが権威ある辞書事典記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数一般大衆に浸透し、そうしてラノベ純文学に対して劣ったものという既成観念形成される。

月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか

似たような話でアニメドラマ実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。

昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。

逆にアニメジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。

さら時間が経てば歌舞伎浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。

実はこの文章原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。

その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベ同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。

ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識存在する傍証になってしまったようだ。

本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベ純文学バランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。

しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。

好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。

知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである

また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログ増田に埋もれたラノベアニメ感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。

dorawiiより

2023-01-18

役者の演技というか求められる作品の質の問題

役者の演技って比重としてはかなり脚本演出によるのです。

例えばイギリスなんかでシェイクスピア舞台で主役とかできる役者は超一流とされているんだけど

(有名どころだとドクターストレンジやってSHERLOCKってドラマで主演はったベネディクト・カンバーバッチとかがハムレットやってる)

役者としてなぜ超一流かと言われるとシェイクスピアのあの小難しいセリフものすごい綺麗な発音でとても流暢に感情を乗せて説得力のある演技ができる、という点において超一流とされているのよね

さて、ではこの技能リアリティ重視の演出に逢いますか?と言われると実はかなり難しい

例えば本邦に置いてシェイクスピア俳優で有名な俳優をあげていくと吉田鋼太郎藤原竜也

この二人、ドラマかにもよく出ているので皆さんもご存じの方が多いと思うが、この二人が画面に出るとそれだけでリアリティラインが難しくなるのが皆さんお判りになるだろう

いや、この二人の舞台演技めちゃくちゃにうまいんだけど、ドラマに出た時画面として、リアルというよりも芝居じみた豪奢なセットの中で映える演技だというのはなんとなくわかるだろう

なのでリアリティラインリアルに近い作品(もしくは静かなドラマ)にこの二人が出るとちょっと画面としてリアルからかけ離れてくる

(それでも吉田鋼太郎とかは、おっさんずラブとかでドラマヒットしてるわけだけど、あれはおっさんずラブというある種の漫画的な演出が多用された作品に置いて吉田鋼太郎という芝居じみた重厚な見た目とコミカルさがとてもよくバランスとして当てはまったからだ)

では、ここにおいて「役者のうまさ」とはなんなのかという話になってくる

定義はいろいろあるだろう。

どの作品に出てもある程度作品の色に合わせられる、とする人もいるだろう

リアル調の演技ができる、自然な演技ができる、という人もいるだろう

シェイクスピア俳優のように長いセリフを情感を込めて言い立てができる、という人もいるだろう

このように、求められるプラットフォームジャンル、場面において役者というものの演技はかなり異なってきており、ともすれば作品にあってないというところで下手と言われることもままあるのだ

んで、こっからは本邦の問題なんだけど、日本ドラマに置いてのキャスティングっていうのがかなり話題性重視になってしまっていた時代が長く続いていた時期がある

いわゆるキムタク筆頭のジャニーズ使っておけ時代だったり、アイドル話題性芸人だしておけ時代である

いや、ジャニーズでも森田剛とかシェイクスピア俳優ちゃんといるし技術つ的に高い人もいるから一概に悪いとは言えないが、とりあえず出しておけという時代があったのだ

それにより、すこぶる作品マッチしないけど客呼べるから作品に出しておけで作品に起用されていた人々というのが結構いたのである

んで作品に合わないのでまあ下手なのである

というのが量産されて行ってしまい、本邦のドラマクオリティが一時期下がり、それでも客がそういうものの方がつくのでそういう作り方をせざるを得なくなってきたという側面があり、

求められる役者像がどんどんと変な方向に行っていったというのが「日本役者は演技が下手問題」の根本にある

まり、ことこの問題に置いてはキャスティングをしたプロデューサーゴミ人間が多かったというのがこの問題本質なのだ

なので、自分の好みだなあ、このキャスティングいいなあと思ったプロデューサー名前をチェックしてドラマを見ていくと、かなりの確率でいい役者を見れるので皆さんも参考にしてほしい

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2022-12-10

シェイクスピア近松門左衛門文学とされてるんだから、数百年後には「クラナド文学(クラナドだっけ?なんか違った気が)」みたいな比喩的意味じゃなくて真面目にテレビドラマ文学に分類されるようになってるのかな。

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