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2016-08-12

ADHD自分語り(小中学生編)

多動を教師に叱られる、そこで塞ぎこんでしまえばあるいは丸く収まったのかもしれない。

はい小学生自分にそういった理不尽や圧倒的な父性対処する術を期待するのは酷なことと思う。

結局のところ教師に反発するという方法で処理できない感情を外に排出するしかなかった。

それによって教師から反抗的な生徒だという認識を持たれるようになった。

そういう認識を持たれたあとは、どう振る舞ったってわたしが悪いことをしたという結論教師はいたる。

そうしてわたしが責められる度に、やっぱりその理不尽さに耐えられなくて反抗した。

そういった小学校生活を繰り返していると、社会わたし規定するようになった。

人は与えられた役割を演じるようにできているのかもしれない。

わたし社会規定するように、すなわち不良として振る舞うようになった。

わたしわたしがそうやりたいようにやるというよりは、むしろ自分の欲求を抑えてでも不良のふりをしていたように思う。

とにかく人はわたしを不良と認識するようになった、わたし自身でさえも。

その規定は噂や塾の繋がりのせいで中学に行ってもほとんど変わらなかったが、中学3年のあたりからそういったことから離れ始めた。

理由はわからない。単にそういう時期が来たのか、もしくはわたしがある程度、理不尽を処理できるようになってきたからか。

受験を前に何か変わらなければならなかったのかもしれない。

2016-08-11

別に読書感想文なんてのはカタにはまっててもいいんだよ。

読書感想文は、感想を書かせないのがコツ

夏休みの宿題「読書感想文」のマニュアル配布に対して賛否両論 - Togetterまとめ

小中学生なんざカタをおぼえるのが仕事だろ。

こどもの自由想像力、なんていうけど、こどもの自由さなんてたかがしれてる。

それはカタを知らないから。


カタをいっぱい獲得していけば自ずと応用も学べるのであって、

大人になっても中学校でこう書けと言われたものしか書けないとしたら、

それはそいつの器量の問題

2016-08-09

ゲイの人がノンケ告白するときに注意すべきこと

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この龍堂薫子さんのツイート男性から告白について言ってるのだとは思うのですが..。

http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/

このアウティング事件は確かに気の毒だとは思うのだけど。

ただ告白したA君は、ノンケゲイ告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。

率直に言いますが、基本的ノンケゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います

少し前に、小学生だか中学生アイドル女の子が、中年おっさんファンふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。

普通に友達だと思ってたら、ゲイだと言われた。

で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブ発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれしまうと、申し訳ないけど、ノンケ立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。

これは男同志からわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義からね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。

もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。

小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?

そういう種類の不快感です。

自分男性で、かつ偶然自分性的嗜好男性好きだというだけで、通常の告白という自分気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。

でも、先の例に出した中年おっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児自分気持ち告白したわけでしょ。

からって、純粋おっさん達の気持ち尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。

万が一あっても、黙っとけよと。

不愉快から、んなもん表明すんなって思うはずです。

おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。

何か世の中的に、男女問わず相手に断られる可能性が高くても、無責任告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。

Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。

A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。

でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。

でやり返す唯一の方法アウティングだったと。

ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。

自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。

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結局は性癖わず相手のことを考えないとなあってことなんでしょうけどね。

ゲイの人がノンケ告白するときに注意すべきこと

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この龍堂薫子さんのツイート男性から告白について言ってるのだとは思うのですが..。

http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/

このアウティング事件は確かに気の毒だとは思うのだけど。

ただ告白したA君は、ノンケゲイ告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。

率直に言いますが、基本的ノンケゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います

少し前に、小学生だか中学生アイドル女の子が、中年おっさんファンふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。

普通に友達だと思ってたら、ゲイだと言われた。

で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブ発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれしまうと、申し訳ないけど、ノンケ立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。

これは男同志からわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義からね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。

もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。

小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?

そういう種類の不快感です。

自分男性で、かつ偶然自分性的嗜好男性好きだというだけで、通常の告白という自分気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。

でも、先の例に出した中年おっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児自分気持ち告白したわけでしょ。

からって、純粋おっさん達の気持ち尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。

万が一あっても、黙っとけよと。

不愉快から、んなもん表明すんなって思うはずです。

おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。

何か世の中的に、男女問わず相手に断られる可能性が高くても、無責任告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。

Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。

A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。

でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。

でやり返す唯一の方法アウティングだったと。

ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。

自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。

<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

結局は性癖わず相手のことを考えないとなあってことなんでしょうけどね。

2016-08-07

ロリコンカミングアウト

普通しないので、ゲイもしなくていい。

俺は小中学生から熟女までストライクゾーン広いので、友人・同僚からノーマルだと思われている。

が、本当のドストライクは、天才てれびくんに出ていた頃の前田愛だった。今もキレイだと思うけどね。

2016-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

国のために個や生活犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもの

矢口に関しては、危機的状況の人を助けたい。という気持ちだけ。

つーか「国民」って映画の中で言ってるけど家族とかに置き換える事ができるメタファーからね?

目の前で人が死んでしまいそうな時に助けたいと思うのってそんなにおかしい事?

例えば自分家族だったらどう?矢口国民自分家族と同等に考えているよ。

有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観

有事があった場合復興するのが上手。という意味

マイナスプラスに変換するのが上手という意味からマイナスありきって考えは曲解

「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」

小中学生舐めんな。

というのは、2時間映画構造基本には、

「小・トラブル」と「大・トラブル

そして、「まやかしの勝利」、「から喪失

が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。

もっと映画を見よう。

この辺りの脚本に噛み付く所は、スクリプトドクターでも無いのによく言えるな。

カタルシスがあった方が良いと思ってるみたいだけど無くしてるのは作者の意図だよ?最後もやもやするのは、現実と地続きでまだ終わってない事を意味してる。

「難しいか子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが

元増田自身面白さを理解してないのに何でこんなに人を馬鹿にできるんだろう?


つーか批判するなら作品テーマは何なのか?くらいから書いてよ。

ズートピアは僕も大好きです。

2016-08-04

シン・ゴジラ」 大絶賛の謎(ネタバレ)

23歳になってようやく、10歳頃から慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。

 

中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、

 「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

 今日クラスの会話

 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか

 ま、それが普通ですわな

 かたや俺は電子砂漠死体を見て、呟くんすわ

 it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

 好きな音楽 eminem

 尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」

的類いのものと捉えてくれていい。

 

2016年6月の終わり頃、Twitterトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。

なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。

という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。

が。

観終わったあと、驚いた。全然からないのだ。

どこもかしこも大絶賛の理由である。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである

特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。

いいのかそういう着地で?

多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である矢口」(ハセヒロ)という人物である

会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から想定内」の結論ありきな形式的ものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会から非難を怖れた日和見政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、

派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラ被害を食い止めるための解決策へと動く。

これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくま死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。

「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかある意味では強みになり得るという着地だ。

 

超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。

 

ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクター存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである) 

「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)

これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。

更に、情報や知識の独占の否定矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラ細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。

<超越的>存在であるゴジラ対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」

でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定統合性が取れていないし、

むろんこういうのは、思想的な好き嫌い価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である

 

矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、

「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」

とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)

ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、

 「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、

 放射線流の直撃や、急性被爆の危険性があります

 ここにいる者の生命の保証はできません。

 だがどうか実行してほしい!

 わが国の最大の力は、この現場にあり、

 自衛隊はこの国を守る力が与えられている最後の砦です

 日本未来を、君たちに託します。」

っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)

そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、

まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)

映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。

ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである

しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクション世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものからである

繰り返すが、断っておくと、これはあくま個人的価値観の問題である

しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。

もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか

それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。

 

国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観

いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで

っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつ作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。

これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、

「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」

ことであろう。

 

次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇

「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、

そうか?

前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか

 

が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。

いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。

「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。

更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。

物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。

というのは、2時間映画の構造基本には、

「小・トラブル」と「大・トラブル

そして、「まやかしの勝利」、「から喪失

が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。

小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルであるまやかしの勝利、から喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブル別にあることに気付いてしまったり、大・トラブル解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、

シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。

だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。

突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、

根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法ほとんど気が付いてしまっているのである

ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラ活動を停止するのでは……

っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、

観客は、フィクション鑑賞のルールとして、

「これが正解なのだな」

と思う。思ってしまう。

から、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。

これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである

故に、制作者は、その予定調和思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。

小・トラブルまやかしの勝利⇒喪失⇒大・トラブル解決

というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。

で、

からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである

 

これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、

など少なくとも順番が入れ替わっていれば、

専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。

しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。

主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。

だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである

まりほとんど、「米国核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。

ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。

以上の理由から、「難しいか子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、

「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的作品価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。

けれど、

 

やれ家族の絆恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいもの大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいもの評価できることが~

みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。

分かりにくいことが、「深い」証拠である保証はない。

同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。

 

しろ、近年、「マッドマックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品海外から出て話題を呼んだ中で、

 

まだ、大衆に媚びてないか一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。

2016-08-01

二次エロ三次エロ

先に書いておくけど長いし自分語りだし別に結論ないんで。

最近コンビニ18禁コーナーをなんとかしろって話が上がってたよね。

ブコメもあわせてなるほどなーと思いながら読みながら、私の子供の頃を思い出してた。

子供の頃、小学生の頃に、コンビニとかのそういう18禁雑誌なんて目にも入らなかった。興味がなかったし。

一方で、初めてエロにドキドキしたのはおそらく小学一年生の頃、ボンボンだったかコロコロだったかでやってた、エロガッパのマンガタイトルわすれた)。時々女性の裸が出てくるのですごいドキドキしたのを覚えてる。

ボンボンコロコロ卒業してからは、ジャンプ放送局で時々やってた温泉特集みたいなヤツ。

あと床屋においてあったうる星やつらとかキャッツアイとか、妹もの?だったかなんかのマンガエロくてたいそう興奮した。

こんなカンジで、二次エロに関しては子供の頃から豊富に触れられた。

もちろんエロといっても、実際の性行為ではない。露出が多いとか裸が出るとかそんなぐらい。小中学生にとってはそれで十分だったし、なんなら着衣でもシチュエーションだけで十分興奮できた。

三次エロ性的対象として初めて見たのは、中一の頃に弁当屋の待合室にたまたま置いてあった週刊誌エログラビアだったと思う。うわっ、裸だ!と思ったが女の人の裸が出ているような本を見るのは悪いことだという強烈な罪悪感があり、私は真面目クンだったのですぐ閉じたがドキドキした。でも接したのはそれぐらい。

高校生になって初めて三次エロ本を買ってみた。女子高生モノ。けどそんな興奮するもんじゃなかった。その一冊が今までの人生で買った最初最後エロ本だ。

アダルトビデオを初めて見たのは、大学生になって友達の家で見たのが最初。はじめて性行為っての見て、なんかそこまでいいもんでもないなって思った。性行為に至るまでのドラマ稚拙な演技だったけど興奮した。

そんなこんなでずっと二次エロ積極的に集めていた。三次エロもあるにはあるけど少しだけ。

27歳ぐらいの時にねんがんのかのじょをてにいれたぞではじめて現実セックスを知って、そこからは徐々に三次エロを集めるようになった。今は逆転して、二次エロで抜くよりも三次エロの方が多い。

といった具合なんだけど、なんか三次エロ子供の目に触れさせないようにしてる一方で、二次エロの方は割と寛容なので、二次エロに目覚めちゃう子供って私以外にも多いような気がする。自分で言うのもなんだけどこういう形って子供にとって不健全だと思う。

から三次エロ子供の目に触れさせるようにしろ!とか、二次も裸の類は全部禁止しろ!とかそういう風にもなってほしくないんだけど、なんかい方法はないのかなと思いながらだらだら書いてみた。

2016-07-29

ファッションキライな理由

小中学生の頃に、ファッション理由に人を見下すやつがいたから。

もしくはファッション意識してるオシャレなやつに限って正確悪かったから。

そういう「意識高い」やつらと同類になりたくないので、服はそこそこでいい。

オシャレで精神的にも金銭的にも消耗するのは非生産的だし、なにより疲れるんだ。

疲労するくらいならみんなが着るファストファッションでいい。

2016-07-15

自分の子供に現在から将来に渡って教えておきたいこと

を考えたら結局自分がやってきたこととやりたいことだったという話。

まぁ結果的に本人が自分で考えて自分で決めることが大切ではあるけれども、親としてはそれができるように手助けとなることに全力で取り組むべきかとは思う。

それでとりあえず親が様々な経験物事を与えることによって子供にとっての選択肢を増やしてあげるということがあり、重要なことの一つだと考えた。

自分経験から思いついたり軽く検索したりして考えたものを挙げてみるが、ほかに何かあったら教えてもらいたい。

以下、順不同。

タスク管理方法重要性。

これはこの記事http://blog.tinect.jp/?p=27400)が話題になってたので思いついたこと。ここに書くきっかけに。

通う学校でどの程度教わることになるかはわからないが、これができるかできないかでは何をするにも雲泥の差なのは明らかなのでしっかりと教えていけたらと思っている。

勉強のやり方、学習方法ともいえるか。

法律基本的な部分。

大人になってイヤというほど重要性がわかるのが法律自分必要に駆られて結構本格的に(行政書士合格レベル勉強して実生活で役に立っているのを実感している。

憲法民法入門書等の良書で法律的な考え方なんかを中学生くらいで教えたり、労働法著作権法個人情報保護法等に該当するような部分を高校生くらいで教えたりしたい。

道路交通法(というか交通ルール)や刑法なんかは小学生前後からある程度教えてあげられるか。

ある程度は公民とかで習うかもけど暗記するだけだった気がするし学校の授業で習うような部分は役に立たないような気がする。

・世の中の仕組み的なこと。

お金のことや政治経済について、税金保険福祉などなど社会保障など。池上彰みたいな本に書いてあるレベルの知識くらいでもあると良いと思う。

どんな形であれ社会に出るより前に基本的な仕組みだけでも十分なので知っていると、何かと助かる部分が多いのではないか

中3とか高1の夏休みにでも簿記2級でも勉強させてみたいなと考えている。(ちなみにうちの娘はまだ2歳である。)

これも学校で習うことはあるが、あまり役に立たなかったので上手に教えてあげたい。

音楽美術文芸総合芸術等の基礎的な素養

自分場合ある程度親から与えられてきたので実感としてあってよかったと思っている部分。人によって意見が分かれそう。

ピアノ習ってたり親が美術系の学校出てたり茶道やってたり景気良かった頃なので家に絵画美術品が溢れてたり色々見に行ったり)

色々と社会でも実生活でも役に立ったりするし趣味としても楽しめて生活が豊かになる(気がする)。

親がある程度裕福でないと十分には与えられないかもしれないが、お金をかけずともできることもそれなりにはあると思う。

病気身体に関する知識。

これはやはり必要かと思う。肉体的な病気もそうだし鬱や発達障害なんかの正しい知識は小中学生からしっかり持っていてほしいなと思う。

自分小中学生だった頃、同級生に今考えるとどうみても結構重度の発達障害だったなという子が何人かいたけど、教師も含め誰も正しい知識がなかったことはとても残念に思っている。

ちなみにその中の一人、中学同級生は後年たまたまネット学習障害について調べているとき本名写真付きで障害に関するサイトに紹介されていて驚愕したような納得したような覚えがある。

今は当時よりは環境はよくなってはいるかもしれないけど、巷ではガイジだのアスペだの叫ばれてるしまだまだかなと思う。

それと食べ物に関して、栄養とか成長に関わる知識もある程度身につけておいて欲しいような気がする。自分中学高校くらいの時にもう少しまともに栄養とって運動していれば、と後悔しているので。

きちんとした運動についても、例えば正しい走り方のフォームとか、効率的運動方法とかって全く習っていないし子供には教えてあげたい。

各種学校で習う科目の重要性。

数学素養があるとどのように役に立つかとか歴史を学ぶことが社会を知る上で役に立ったり仕事にも活きてくることとか、英語ができるとどれだけ便利で楽しいかとか、

後々になって勉強しておいてよかったと思えるようなことを経験せずに理解するのはかなり難しいことではあるが、時間をかけてコミュニケーションをとってじっくりと教えていけたらと考えている。

古文漢文あたりはなんの役にもたってないような気がするけど。(一応、歴史を学ぶことになると考えてももっと軽く短時間教えるくらいで良い気がする。)

・いろんな分野の知識とか。

宗教哲学心理学とか。結構大事だったり役に立つ気がするけど、自分も多少本を読んでかじった程度しか知識がないのでこれからもう少し勉強して教えてあげられたらなと思った。

自分子供の頃は、本好きで結構な量読んでたと思うけど今思うとジャンル結構偏ってたような気がする。自主的に興味持った分野ばかり手を出していた弊害か。

自分の子には自主性も尊重しつつバランスよく与えていけたらと思う。

それと意外と漫画から得た知識やそこから興味を持ったことも多い。昔のこち亀はなんだかんだで偉大か。手塚治虫みたいな古いのも親が好きだったから色々読んだかな。

・まとめ。

結局は多種多様な本を読ませたり経験させたりするだけでは足りず、それについて一緒に話したりしてコミュニケーションをしっかりとるのが重要そうって感じか。

あと、これじゃこういうことについて全然足りないよとか、こういうことはしておいた方がいいよとかこの本読むといいよとか意見もらえるとうれしい。

また就学前(0-6歳くらい)も大事だと思うが、大したことが思い浮かばないので補足してくれる人求む。

2016-07-10

[]大崎善生「聖の青春

早逝の将棋指し村山聖の半ドキュメンタリー

知ってたけど一度も読んだことなかった

秋に松山ケンイチ映画公開されるらしいの知って、図書館で借りづらくなる前に借りて読んだ

1章の100ページ足らず読んだ段階では、下手なフィクションより面白くて描写マンガチックでリアルヒカ碁かよwwwと思ってすっごくワクワクした

でも芝居がかりすぎっぽい部分はあって違和感はあった

残りの大半は下手なパッチワークって感じのドキュメンタリーになってイマイチだった

作者の勝手想像ドキュメンタリー部分の区別いまいちついてないことが多いように感じられて、誇張しすぎじゃないの?勝手に決めつけすぎじゃないの?って思うことが結構あった

あとこれがすごいみたいな棋譜ちょっとした解説もあったけどさすがにそこは将棋からない自分にはまったくわかんなかたか飛ばし

でも3時間ちょいほぼ読み飛ばさずに一冊一気に読み切らせる熱量はあった

さいごでいきなりビートルズストロベリー・フィールズフォーエバーを引き合いに出してきたのはちょっとどうかと思った

これ読むと将棋ほぼ知らんに等しい自分でも名前知ってる羽生善治がどんだけすごいかが改めてわかった

村山聖どころか谷川浩司すら知らんかったもんなー

期待しすぎてたのもあると思うけど、ぶっちゃけWikipediaで事前に読んでた分だけで十分だったなあ

小中学生高校生くらいのときに読んでたら感化されただろうけど

夏休み読書感想文とかにいーんじゃないすかねって感じ

2016-07-01

ゲームから始まる<読書映画リスト>まとめ

Civ5の攻略wikiを読んでいたところ

読書案内というもの発見した

それが良質だったので他にも検索をかけてみたところ少しだけ存在した

まとめていくので他に知っている人は書いてけ

艦これ

http://wikiwiki.jp/kancolle/?%A4%AA%A4%B9%A4%B9%A4%E1%B1%C7%B2%E8%A1%A6%BD%F1%C0%D2

Civ5

http://civ5nobunaga.com/index.php?%A4%BD%A4%CE%C2%BE%2FCiv%A5%D5%A5%A1%A5%F3%A4%CE%A4%BF%A4%E1%A4%CE%C6%C9%BD%F1%B0%C6%C6%E2

無限航路

http://spoiler.sakura.ne.jp/srv/mugenk/E3-82-AA-E3-82-B9-E3-82-B9-E3-83-A1-SF.html

ミリ

http://mh.swiki.jp/index.php?%E3%81%8A%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%83%BB%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E3%81%AA%E3%81%A9

(追加 7/14

cider_kondo さんの紹介

Crusader Kings

http://ck.paradwiki.org/index.php?CK%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%83%8C%E6%99%AF

c_shiika さんの紹介

Mount&Blade

http://www5.atwiki.jp/mountandblade/pages/134.html

なぜ今上がった。どうやって見つけたし

そういえばニコニコ動画の関連商品とかに関連本ありそうですね

海外wikiとかは意外と関連本映画は、普及してたりするのかな?





読書案内リストはできればスタンダードになってほしい






Minecraftなら、デザイン系の良書

牧場物語なら、農業牧畜関連

ラブプラスなら、恋愛系の小説漫画の良書

ウイイレパワプロなら、有名な選手解説本、打率などの数値関連、戦術解説サイト(http://pal-9999.hatenablog.com/)

GTAなら、麻薬売買組織のやり口やマネーロンダリング手法の本

逆転裁判なら、巧妙な捜査系の本

株トレーダー瞬なら、相場や株関連の本

とかあってほしい

(追加 7/14

croissant2003さん希望

マスターキートンゴルゴ読書案内


自分を振り返ると、BTTFが好きだったので、物理宇宙関連の本を中学校の時に読んだし

世界史古文漢文も大嫌いで地理を履修することになったのだけど、civilizationのおかげで、大国の興亡、文化の進展なんかにも興味があったりで

ゲームやってる小中学生からすると、いい導入になるかもしれない

2016-06-20

日本ディスラプ党次期主張政策綱領

公共事業によって一人一人が恩恵を受けられるようにしま

ケチ精神事業評価しま

自公政権偽善を暴きます

社会の発展に取り組みます

平等に取り組みます

日本の心を大切にしま

公衆浴場文化是正しま

生活を守ります

安全保障次世代につなぎます

2016-06-11

のらくろ」ってどこいったの?

アラサーだけど、子供の頃は伝説的なキャラクターとしてよくのらくろの話がメディアに出てきていたように思う。でも21世紀に入ってからのらくろの話ってほとんど聞かなくなったし、グッズとかも全然見なくなったように感じる。これって、リアルタイムのらくろに親しんでいた世代鬼籍に入りはじめた時期と被ってたりするんだろうか。もしくはのらくろ世代メディアのお偉いさん達が引退しちゃったとか?

最近小中学生って最早のらくろ存在すら知らなさそう。

2016-05-20

同情も気遣いもいらないから、ただほうっておいてほしい

低スペ人間として言わせてもらいたいのは、いいかげん男女を問わず、低スペ人間存在するという現実に目を向けて欲しいってこと。

親や親類や旧友が「いいかげん結婚したら?」みたいなことを言ってくるけど、正直、自分日常結婚イメージできるような環境にはない。

そうしたことを言うと、必ず「努力しないから」とか「逃げてる」「自己卑下」みたいありがたいアドバイスをくれるんだけど、

俺は自信を持って日常生活の中で「逃げ」や「怠惰」な部分はないと断言できる。

ただ、物心ついた頃から「人並みのことが人並みにできない」という自覚はあった。

今で言えば発達障害なり何なりと診断されるんだろうけど、そんな診断をされたところで役に立たないから、

とにかく必死こいて人並みについていこうと努力し続けてきた。

それでも人並み以下の結果しかでない。そんな毎日を生き続けている。

挫折自己嫌悪負けん気だけで30年以上を生きてきた。

ついでに経済的に恵まれていない家庭に育ったから、人並みの消費文化を楽しんだこともない。

海外への家族旅行どころか、修学旅行以外に旅行に行ったこともないし、

ファストフード店以外の外食ほとんど経験ない。そういうことも多少のコンプレックスではある。

金がない生活骨身に染みると、趣味や遊びに金をかけるってことが感覚として理解できないんだ。

ネット無料で楽しめるものがあるからネット使えるようになってからはたいぶ生活クオリティは上がったけど)

だってちょっと気を抜けば落伍者になりかねないという不安と戦っている。

まれついての低スペ人間というのは、アクセル全開でも法定速度以下しかでない自動車みたいなもんなんだ。

かといって、ハード知的障害者と違って国や周囲のサポートもない。

とにかく必死で食らいついていく。そういう生き方しか残されていないんだ。

それにも関わらず、周囲は呑気に「結婚したら?」「結婚しないと人並み以下」とプレッシャーをかけてくる。

特に一番言われて辛いセリフは、「もしかしてゲイ?」とか「その歳で童貞とか死にたくならない?」みたいなからかいだ。

ただでさえ、他人コミュニケーションしたり、着実に段取りを踏んだり、凡ミスを防ぐのが難しい脳みそで、

一般人ならすぐに慣れるような仕事でも、毎日怒られながらこなしていくしかできないのに、

これ以上のものまで求められなければならないのか。そうしないと人生落伍者のように扱われるのか。

そもそも、人間関係のものから喜びを得られない体質なんだぞ。自閉ってのはそういう意味だ。


確かに高度成長期時代は、俺くらいのアホでも周囲がお膳立てをして見合い結婚できたかもしれない。

だけど、人並みのコミュ力を前提とした恋愛を経なければ結婚できない現代において、

俺みたいなポンコツが結婚(して更にその生活を維持)することは、ほとんど夢物語に近い感覚だ。

たぶんDV人間とか、ストーカーみたいのは、俺みたいなポンコツが分不相応に人を好きになった結果なんだろう。

(俺は特に小中学生のころ、怒りをコントロールできず軽い傷害事件を繰り返してきた経歴もある。今は落ち着いたが)

別に世の中に恨み事を言ってるわけじゃない。「軽度障害者の俺も結婚する権利がある!」とか思ってるわけじゃない。

くその逆だ。俺にはできないし、すべきじゃないことがわかってる。わかってるからこそ、「ほうっておいて」ほしい。

確かに表面上、俺は特別逸脱した人間には見えないかもしれない。

けど、それは全力で生きてきた結果として、ようやく人並みっぽく見えているというだけで、

一般人とは違ってそれ以上の余力がない。

(人並みといっても、東京住みのエリートでもないので、地方実家暮らし年収300万未満だし)

努力してきてそんな低スペなの?」って煽られるかもしれないけど、その通りだ。それが低スペの低スペたる証拠だ。

こんな内容が散らかった下らない文章を書くにも、何時間もかけてないと形にならない。

一般人なら、こんな愚痴みたいな文章なら30分くらい書けるんだろうな。

努力もせずに愚痴っているならダメ出ししてやるのも一つの優しさだろう。

でも、一生懸命に生きている人間を更に追い詰めて何が楽しいのか。

世の中には低スペの人間存在するんだ。助けれくれとは言わないから、せめてほうっておいてくれ。

少子化を加速させるという意味では迷惑をかけているかもしれないけど、それ以外では全く世の中に迷惑かけていない。

子育て政策のために独身税を取られるというなら、喜んで金は払う。

から、俺たち低スペ人間にけしかけたり、からかったりするのはやめて、ほうっておいてほしい。

普通の人なら気にかけてもらえることが嬉しいのかもしれないけど、低スペ人間はむしろスルーされる方が清々しいんだ。

いろいろ矛盾してるかもしれないけど、これ以上うまく伝えられない。終わり。

2016-05-15

100% SKE48」の意義

今日書店で見た光景に、「推しメンが載っているか否か」というのとは違う観点

100% SKE48」という本の意義があるのではないかと感じた。

メンバーと同じぐらいの年齢の女の子が、この「100% SKE48」の表紙を指差し

母親とみられる女性に「欲しい」とねだってたからだ。「中身全部SKEなんだよ」と。

最近SKEメンバーが色んな雑誌に載っても、1ページとか2ページぐらいということも少なくない。

表紙に名前が載らないこともある。そのわずかなページを見るために1000円近いお金を毎回出すというのは、

お金を稼ぐことができない小中学生にはかなり難しいだろう。

しかし中身が全てSKEの本だったら、他のものを買うのを少し我慢してでもお小遣いで1冊買ったり、

あるいは親に買ってもらえるかもしれない。

もし買えなくて立ち読みだったとしてもそれがSKEを好きになるきっかけにはなるかもしれない。

極端な話、たまたまコンビニでこの本を見かけて「SKEって何だろう?」と思ってページをめくってみた子が将来SKEメンバーになっている可能だってある。

SKE48という文字が表紙に大きく書かれた本が、書店コンビニにあること自体SKE入り口の1つになるのではないか?と考えさせられた。

2016-05-07

[]

送り人の娘を読んだ。ちゃんとまとまった古代ファンタジーではあるんだけど、何か物足りなかった。小中学生には進められそう。

なんていうのかな、登場人物が与えられた役割以上の演技をしていない感じが強かった。ラノベだと逆に濃ゆすぎてくどく感じられるんだけど、この作品はあまりに淡白なので拍子抜けしてしまった。

また後半の展開がスピーディーすぎる。あれよあれよというまに窮地に陥って、流されるままの主人公最後には決断するんだけど、悲観的な結末が超人的な恩赦によって回避されるもんだから、なんだかなって感じた。

でも闇真のキャラ設定は好き。エピローグでの挟霧が見せたうろたえなんて微笑ましくさえあった。

総じて十三歳という主人公の年齢に即した児童ファンタジーだったって印象。もっと大人思考ができる登場人物がいれば深みが出たんじゃないかなあって思った。

あとこの表紙のイラストは誰が描いたんだろう。結構前に見たことある気がする。

2016-05-05

学校児童生徒の所在を把握してなきゃいかんのよ。

anond:20160505141912

学校行きたくない人がいる。

義務教育教育を受けさせる義務教育を受ける義務はないので。やめりゃよくね?

義務教育廃止して、小中学生の数を半分にする。

浮いた予算施設人員保育所を充実すりゃいいんじゃね?

2016-04-28

馬鹿すぎて嫌になる。

自分が。バカというか、頭が固いというか、機転が効かないというか。

例)

電話中TVの音がでかいから、大声でしゃべる→TVの音を小さくすればいいだけ。

自転車空気を入れるから押さえてて、と言われ、体全体でおさえる→ブレーキ握ればいいだけ

とっさのときにこそ、頭がフリーズしてしまってどうにもこうにも。

小中学生ならまだしも、30後半のおっさんでこれだから、もう頭が凝り固まってんだろうか。

なんか良い頭の体操方法でもないだろうか?

2016-04-26

少子化マジでやばかった

少子化少子化言われてるけど、どれくらい減ってるか知らなかったので調べてみた。

小中学生の数で見ると、

平成12年度 → 1147万人

平成27年度 → 1000万人

15年で147万人も減ってた!

ちなみに先生の数は

平成12年度 → 66.6万人

平成27年度 → 67万人

増えてるじゃん!

既得権益ヤバすぎ。

10万人くらい減らしていいんじゃん?

2016-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20160417100055

小中学生プログラミングやらせても、

大半の子意味も分からず、出来る子の回答を写すだけにしかならんよ。

よくわからないけど、文字を書き写しただけ…では、論理もへったくりもないだろう。

しろピタゴラ装置を作らせたり、ドミノ倒しを工夫させる方が論理的思考力を養えるんじゃないかと思う。

論理的思考???

小中でプログラミング必修に…政府の新成長戦略 : 政治 : 読売新聞YOMIURI ONLINE

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160416-OYT1T50044.html

id:uxlayman プログラミングやらんでいいから論理的思考をちゃんとおしえてくれ

id:bigburnbigburn 移り変わりの激しいプログラム言語子供に教えてどうするんだ…義務教育では論理的思考を教えればいいのに

id:aya_momoaya_momo プログラミングを教える前に論理的思考を教えるべき。あと、数学にも力を入れるべき。

このへんのブコメ死ぬほど違和感があるんだけど、論理的思考力がどうこうって、プログラミングを教えるかどうかという話題あんまり関係なくない?論理的思考力って学問でもビジネスでもあらゆる分野で必要もので、プログラミング特別必要とされるものでもないだろ。コンピューターサイエンスを教えろみたいな話ならまだわかるけど。

print 'うんこ'

って書けば「うんこ」って表示されて、

if rand(3)
  print 'うんこ'
end

って書けばたまにうんこが表示される、とかそういうレベルで知ってるだけでも、知識ゼロとはそれなりの違いがあるじゃん。こんなん小学生でもわかるし、世の中のソフトウェアなんてこういうのの積み重ねでしかないよ。もっと複雑なものを作るには、もちろん論理的思考力がないと苦労するだろうけど、そんなんプログラミングじゃなくても他のことでも一緒だよ。逆に論理的思考力が高いだけでうまくいくもんでもないよ、ソフトウェア開発って。

そもそも論理的思考を教えろって具体的にどういうことを教えてほしいんだ?プログラミングを学ばせることで論理的思考力を伸ばすという方法全然ありなのでは?小中学生もっと効率よく論理的思考力を伸ばせる方法があるというなら提案してほしい。小さい子に抽象的な知識だけ学ばせたってつまらからどうせ頭に入らないし、教師だって正誤が明確に出るプログラミングのほうが教えやすい面もあるのでは?(教師が生徒の書いたものデバッグできなくて困ることは多々ありそうではあるけど)

あと、プログラム言語が移り変わり激しいって本当に知ってて言ってるのか?CとかC++とか何年使われてると思ってるんだ?JavaとかRubyだってもう20年以上の歴史がある言語で、未だに衰退の気配はまったくない。新しい言語もあるけど、現場で実際に使われてる言語平均寿命は相当長いぞ。今Javaとかやったとして、子供らが社会に出る頃に使われなくなっている可能性が高いとはあまりいえないのでは。最先端現場で細かい部分が変わっていくのはどの業界でも一緒だし。

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