多動を教師に叱られる、そこで塞ぎこんでしまえばあるいは丸く収まったのかもしれない。
とはいえ小学生の自分にそういった理不尽や圧倒的な父性を対処する術を期待するのは酷なことと思う。
結局のところ教師に反発するという方法で処理できない感情を外に排出するしかなかった。
それによって教師陣からは反抗的な生徒だという認識を持たれるようになった。
そういう認識を持たれたあとは、どう振る舞ったってわたしが悪いことをしたという結論に教師陣はいたる。
そうしてわたしが責められる度に、やっぱりその理不尽さに耐えられなくて反抗した。
そういった小学校生活を繰り返していると、社会がわたしを規定するようになった。
人は与えられた役割を演じるようにできているのかもしれない。
わたしは社会が規定するように、すなわち不良として振る舞うようになった。
わたしはわたしがそうやりたいようにやるというよりは、むしろ自分の欲求を抑えてでも不良のふりをしていたように思う。
とにかく人はわたしを不良と認識するようになった、わたし自身でさえも。
その規定は噂や塾の繋がりのせいで中学に行ってもほとんど変わらなかったが、中学3年のあたりからそういったことから離れ始めた。
理由はわからない。単にそういう時期が来たのか、もしくはわたしがある程度、理不尽を処理できるようになってきたからか。
受験を前に何か変わらなければならなかったのかもしれない。