はてなキーワード: ネットとは
増田は40代、元々親が経営していた会社を引き継いだいわゆる二代目経営者。
会社の経営状況は比較的良かったのだけど、地元の人口減少は著しく、このまま既存事業だけでやっていくことは将来的には厳しいというのはわかっていた。
特に地方自治体の公共事業に関しては、縮小の噂もあったので、新規事業を考える必要があった。
そんなとき、結婚相談所のフランチャイズのweb広告が目に留まった。都内で行われた開業説明会を聞いて、これから婚活ビジネスの時代だと確信し、結婚相談所連盟に加入を決意、入会金を払って会社内で結婚相談所を開業した。
開業した当初は結婚相談所事業へのモチベーションが高かった。連盟が行う新入会員向けの研修やカウンセラー資格を取るための研修を受けていた。この研修はとても面白く、一緒に結婚相談所事業を担当することになった社員も「すごくおもしろかったです」と喜んでいた。増田も従業員も会員探しに奔走していた。青年会議所や商工会で独身経営者達を勧誘していった。ただ、中々勧誘はうまくいかなかった。ただ、下請け業者の経営者や跡継ぎたちは勧誘すると、結構入会してくれた。
下請け業者もある程度付き合いで入ってくれていることはわかっていたけど、実績さえ作れれば自然と入会者は増えていくと思っていたので、悲観はしていなかった。
けど、それは見込み違いだった。まず、マッチングがかなり難しかった。連盟に加入しているので、連盟の直営店やうちみたいな会員相談所の会員ともマッチングはできる。けど、お見合いが全く組めなかった。先に結婚相談所を開業していた人から言われたのは基本的に自分の会員同士をマッチングさせないと、成婚は難しいという話を聞いた。そして増田は会員数を増やすことに尽力した。
けど、会員数は思ったようには増えなかった。まず、女性会員に関してはほとんど増やすことができなかった。
ネットでは低スぺ婚活女子を排除するために女性会員の会費を値上げしたなんていう話を聞くけど、個人的には地方でそれをやるのは難しいと思っている。
というのも女性の所得は男性よりも低い傾向があって、入会金無料ぐらいのことをしないとなかなか入会してくれないのだ(それでも1年で3人くらいしか女性会員は増えなかった)。
男性会員の方は結局下請け以外は入らなかった。これは自分の力不足というのもあるけど、本業の方がものすごく忙しくなり、結婚相談所事業に本腰を入れることができなくなっていたからだ。
というか、結婚してたら話し相手がそばにいるわけだから、ネットでわざわざ書くのはリアルで話しづらいことしかないわけで、不満みたいな話ばっかり投稿されることになるからな
教養に何の意味があるか分からないと言ってるのを見かけたが教養はその人の育ちを手短に判断するための情報だぞ。
昔欧米ではシェイクスピアが分かるか分からないかで育ちや知的レベルが分かってしまうので、日本人はその辺りの暗黙の教養がない状態で留学して苦労した人がいたりする。
日本でも春はあけぼのだとか山月記だとか吾輩は猫であるとか走れメロスだとか国民が広く共有している教養としての文化があるわけだ。
先に述べた春はあけぼのレベルだと小学校中学校の教科書で学ぶから日本の義務教育程度は受けていると分かる。
もうちょっとレベルが上がると戦国武将や歴史に関わる教養になってきて、それが分かるとある程度ちゃんと勉強してるなというのが分かる。
格言を使えば何を言いたいかをショートカットして伝えられたりする。
ネットのスラングで例えるとggrksはショートカットされてて何を伝えたいか詰まってる。
ggrksが分からない相手だと、こいつはネットリテラシーが低いからこいつとこの話題に付き合ってもしょうがないとか判断ができたりする。
教養というのは当たり前に我々の文化に浸透して根付いているものなのでその有益性や活用について自覚してない人が多いかもしれないが、昔は非常に重要だった。
教養の有益性を感じにくくなったのは日本の教育レベルがある程度高くなり普遍的になったため、育ちや知的レベルを手短に判断するのに活用しにくくなっただけだ。
現代ではもうちょっと違うものが教養の判断に使われていくだろう。
ビジネス用語だとアジェンダとかアサインとかイニシアチブとかエスカとかある。
相手が分からないと、ビジネス用語が必要な界隈にいないのだなと判断できる。(逆に自分がビジネス用語を使う界隈にいるなどの余分な情報を相手に与えるケースもある)
教養が指すのが何かは文脈によって時々変わりあまりにも広い範囲の単語として使われているケースもあるが、本質としては相手のランクを手短に判断したり、お互いのランクが一定水準以上だと確認し合うために使われたり、そういう用途になっていると考えて良い。
東京駅に行きたくてガラッガラの電車で発車するの待ってたら見知らぬハゲにこれは○○駅は止まるんか?と聞かれ、スマホで調べてそうですよと答えた
そうしたら真横に座られて ○○駅には何時に着く?○○駅は?とか聞かれまくったから、根暗な自分は嫌になっていつも使わないからワカリマセェン!!スミマセェン!!って言いながら車両の外に出た
お前まずそんな首に中二病みたいなやつジャラジャラつけてるならスマホくらい持っとるだろ
それで調べろやカス
ネットではよく見るけどトナラーってマジでいるんだなって思った
自分は見知らぬ人と喋るのがマジで苦痛だからああいう突然話しかけてくる人種が本気で理解できない
道案内だったら悪いからとりあえず話聞くけどなんかのキャッチとかこういうやつだったときストレスがすごいから首に「自分はダル絡みするカスです!!」て書いて下げといて欲しいわ
世の中みんなおしゃべり好きなわけじゃないんやでほんまに…
女は全員クズが好き! はさすがに誇張が過ぎるんだけど、体感女の3割くらいはヤカラ系やヤンキー半グレが好きなんだなとは思う
しかもそれが「金もってるから」とか「顔がいいから」ならまだ救いがあるけど「金も無いし顔もブサイクだけど暴力ふるうところがかっこいいし濡れる」って女が本当にけっこう(3割)いる
・村上がこの発言をした2010年頃であれば、ある程度は説得力のあった発言かもしれない。
しかし今や漫画・アニメが複数言語で翻訳され、日本と海外で時間差なく配信される事態であり、もはや村上のような中間業者は必要ない。
・そもそも村上の知名度があるのは「海外のアート業界」内だけなのに、「海外に向けて」は嘘・大げさもいいところだ。
・現代アート作品は投資対象である。コレクターは作品が好きだから買うのではない。将来価値の上昇が見込めるから購入するのである。
クリエイターがゴミを作り、アート評論家やギャラリーやアート雑誌が神輿に担ぎ、投資家ぶりたい小金持ちが買う、というダサイクルだ。
近年のガンプラやポケモンカード界隈のようなもので、作る側もグルになっている分より悪質だ。
「海外の転売ヤーにお前らの作品を売ったらみんな絶賛してくれたぞwww」と言われて喜ぶクリエイターが居るのか。
・村上隆はpixiv,東浩紀と組み「彼らこそ日本式ARTの新しい射程だ!」と言ってカオスラウンジを大々的に押し上げた張本人である。
・カオスラウンジは2011年にネットの画像をパクったことを開き直ったのが原因でネットで大炎上し、2020年には代表の黒瀬陽平が女性社員との不倫し裁判沙汰になったことが原因で活動停止した。
・黒瀬はカオスラウンジの活動の中で「日本は悪い場所であり、我々はそれを打破する新しい表現を~」と宣っていたが、結局女性スキャンダルという日本の文系業界あるあるで失脚することになった。
黒瀬陽平こそが「悪い場所」の体現者であり、そんな輩を持ち上げていたのが村上隆なのであった。
・オタク業界でも何かしらの実績が欲しくなったのか唐突にアニメ映画を作りだしたが
出来たのはまどかマギカの流行に数年遅れて乗っかったような駄作アニメであった。
・他のアニメにない目新しさでもあれば良かったのだが、結局オタクのクリエイターとしてもダメ、という評価が固まってしまった。
まだまだ呑み込めないでいるアイプリマイク。
その愚痴を。
・見た目
(マイクのトップ部分はサイリウムジュエルマイクと同じ質感だと思うから妥協として触れないものとする。それにしても色濃いなと思うけど。)
まずマイク本体の王冠と羽と鍵穴ハートボタン、それから一番下の装飾部分がメッキじゃない、50歩くらい譲ってもパールじゃないのは何故なのか。
アニメや筐体のライブシーンで見られるアイプリマイク(以下、本物とする。)の該当部分は少しピンクの入ったゴールドに見える。
し、そう思ってた。なんなら商品紹介動画で使われてるCGでは全体的にパールっぽい出来になってる。
それから一番下は装飾の下に濃いピンクのジュエルのようなものがあったはずだけど、それも無くなって柄と同じ薄ピンクになってる。
これはバズリウムチェンジ後にビビッドなシアンに光るはずなんだけど、光る光らない以前にこんなクリアですらない…何故…。
次にハートPodの下敷きになってるリボン部分が光るものではなくただの紫プラスチックなのは何故なのか。
本物は明らかに電気が消えてる時のLED電球のようにグレーアウトしていて、バズリウムチェンジ後に濃いピンク…それこそハートPod本体のような色に光る。
アイプリマイクがおもちゃで出るなら絶対ここは光ると思ってた。
画面とか機能は後に書くとして、まず色。色というか質感というか、とにかく外観。
本物はピンクですよね。バズリウムチェンジ後は基本は白だけど、他にはバズリウム蛍光の色に合わせた色に光るようになってる。
透け感はない。
で、これは赤っぽいピンクのラメ入りクリアプラスチック。ラメ!?ここにラメ!?どうせここに使うならマイク本体に使えよ!
失礼、抑えられなかった。でもこのクリアラメをさっきのリボン部分にもってくるべきと私は思った。
思ったというかそうしてほしかった。
ほんで今時miniUSB!?!?!?!?!?!?いつの時代を生きてる???????
さすがにびっくりした。もちろんType-Cであれと思うけど百歩譲ってもmicroUSBだろ。。。。。。。。。。
次、コーデ遊びに関して。
プリパスやデザインパレットのようにコーデ獲得して筐体で使えるのかと思いきや、付録カードと全く同じバズリウムパープルしか筐体で使えないというオチ。
じゃあカードのほうが使えなくてハートPodからしかコーデ利用できないのか?と思うでしょう。
>アミューズメントゲームで使える、きらめきMAXの☆4アイプリカード3枚付き!! (商品ページから引用)
本当になんなんでしょうね。
そしてそれに付随して収録楽曲について。
上で書いてる通りシークレットフレンズ∞バズリウムパープルのカードが3人分ついてくるのにWe're The Worldが収録されてないんですよ。
なんで?本当になんで?
その分ひみつマイソングはひまみつの2曲じゃなくて、カラオケverをいれて子供が替え歌できるようにすればよかったのにとも思った。
・価格とか
とにかく高い。
上で書いてる光らないとかコーデ使えないとかそういう所を見ちゃうとやっぱりたっけ~!と思うんです。
最初にも書いたけど、ブレス・リップ・ネイルコロンにメッキ使ってるのに一番高いマイクにメッキ無しは予想できなかった。
あとやっぱり本物と見た目が違いすぎ。
個人的にはマイクは原作忠実再現マイク、ハートPodはデザインパレットみたいな別端末で欲しかったです。これに関しては他にも呟いてる人が居て安心しました。そっと感謝。
子供は原作再現じゃなくても大人と違ってそこまで文句言わないだろと言われるかもしれないが、私は女児時代にシュガルンの杖が原作と違いすぎてギャン泣きしたのでそういう子供もいると思う。
ツイッターを見てると今のおもちゃは高いんだからとか、キラニコトランクに比べたらとか、そういう意見も見たんですけどね。
まずアイプリは他社のそういう電子玩具と違っておもちゃだけで勝負してない。筐体が2種もあります。
少なくとも自分が子供の頃はこういうおもちゃとかが出たら、買ったら価格分数週間はゲーセン行かないからね!と親に言われました。
大人は好きに買えばいいけど、子供目線はそういう懸念があると思います。
じゃあどういうところで価格抑えれたかっていうと、たまごっちユニを買った人はわかると思うんだけど
振動センサーでのモーション感知ってめちゃくちゃ難しいんですよ。
指示通り動いても判定してくれないことが多いです。
しかもハートPodに関してはマイクに付けて降るから動作中はたぶん画面見ません。目から画面まで距離があるから。
というか子供って別にこういうゲームにされなくても勝手に真似します。
今はCGライブが公式でyoutubeに上がってるし、それ見ながらでも真似すると思う。
から、これセンサーもゲームもいらなかったと思うんですよね…。
こういうところを削ってでも手が出しやすい価格にするべきと思います。
まあラブベリとコラボしちゃうくらいだし最初から大きなおともだちしか見てないのかもしれない。
姪にラブベリをDSで見せたときはキャラ可愛くない!とあまり反応よくなかったけど、世の女児たちの反応はどうなんですかね。
逆にどうだったら価格に納得できたのか。
先に書いたように収録コーデを筐体で使えるべきでしょ、過去作がそうだったように。というのは前提すぎるので置いておいて。
まず他社電子玩具はカメラがついてたり、ネットに繋げたりしてるんですよね。
このお金かかってるであろう部分をアイプリマイクというかハートPodに置き換えるなら、おそらく楽曲収録されてるところになるのかな?と思っていて。
e-kara、イーカラって知ってますか、覚えていますか。タカラから出ていたぴちぴちピッチのマイクみたいなテレビに繋げるカラオケおもちゃ。
実際ピッチモデルも出てたし、きらレボやモー娘。のも出てましたね。すみません、逸れました。
ああいう感じでテレビに繋げてカラオケできたら、Wiiのリモコンみたいに赤外線でモーションゲームができたら。
そうだったらきっとこんなに本物と外観差があっても買おうかな~と思ってたと思います。
ていうかできただろ。e-karaはタカラから出てたんだから。なあ!タカラトミー!
ここまで書いてたら3時間くらい経ってた。
こんな愚痴を最後まで長々と読んでくれた人、居たらありがとう。
原作再現マイクはハッピーセットか食玩かガチャか、なんでもいいからどっか別のところで出ると信じて待ち続けます。
最後に…
既に鋭い増田が指摘してたけど教養って適切なプロトコルを保有し選択して実行できることだと思うのね。
心地よい一連の定型手続きを行って通信相手としてふさわしいことを証明することをもってそのコミュニティにおいて教養があるという状態になる。
「ファイト―!」と言ったら「いっぱーつ!」と返せることをもって、特定の年代に同じテレビ番組を見ていたコミュニティに属しているというのを確認する。これが教養だと思います。
要は猿のやってるグルーミングなんだけど。
クラシックの楽曲の話ができたり、絵画に詳しかったり、文学に詳しかったりファッションに詳しかったりフォーマルなマナーに詳しかったりという「いわゆる教養」はヨーロッパ貴族のコミュニティというかその劣化版であるお仕えしたり出入り業者である平民(ジェントリっていうんだっけ?)のコミュニティに参加して猿のグルーミングに使うやつです。
ガノタとして話が分かる奴だとなるためにはガンダムの知識が必要で、それがガンダムファンとしての教養になる。
「対ショック対閃光防御」といったら「電影クロスゲージ明度20」っていうのも教養。
AAの使いどころを間違えないことも教養。みんな教養。話ができる奴だ、話が分かる奴だ、っていうやつが教養です。
ただインターネット時代の不幸というのもあって。コミュニティ内でのやりとりがコミュニティ外から見えちゃうことがある。コミュニティ外から見るとコミュニティ内の定型やり取りというのはめちゃくちゃ気持ち悪いことがある。
淫夢の界隈のお約束とかネットの外にお出しできないなってたいていのひとは思うじゃん。それ。それそれ。
これがさー、左翼活動家系の教養によるグルーミングが本人たちはすごく教養ある態度なのでネット上の公開のところでやっちゃうのね。なんならオルグしようとしてやっちゃう。
とにかく自民党を引きずりおろせ―!みたいな。
これお仲間のあいだでやるとめっちゃうけるのに違う人にやると攻撃されるのなんかおかしいな?!ってなってんのよな。
お仲間から見るととても教養ある態度だが、コミュニティの外から見るとめっちゃキモイ。
知恵と教養がある活動家はネットで書かないんだが…生半可な教養をぶんぶんふりかざすだけの人が敵作ってんのよね。
いやなんの話だっけ。私は右だからこういう話をするとうけるよって話だよたぶん。
・金ローでラピュタをやっている。冒頭部分をチラッと見たけど、何度見ても絵の迫力がすごい。「色褪せない名作」とはまさにこのことを指すんだなと思う。
・そういえば、スタジオジブリ作品を国内で見るにはDVDを買うか借りるか放送を待つかしなければならない。この配信全盛の時代に、だ。
・世代を問わず愛されている作品。配信を待ち望んでいる人は星の数ほどいるはずだ。しかも海外では配信されているわけで。であれば尚更理由が気になる。
・親会社の日テレは今年6月の株主総会で「スタジオジブリは原則、サポートする形で子会社化したと承知しているが、シナジーを感じられない。優待でジブリグッズを出したり、配信では放映権の問題で海外でしかみられないジブリ作品を国内でもみられるようにしたりしないのか。」という質問に対して次のツイートのように回答している。(公式の資料が見当たらなかったので個人のツイートを掲載)
https://x.com/michsuzu/status/1806181949222101350
・あと、鈴木敏夫Pと宮崎駿監督はラジオで鼎談したピクサーのピート・ドクターの質問にこう回答している。(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 2024年8月4日放送回)
(ピート・ドクター)ちょっと哲学的な問いになってしまうんですけど、今の時代本当に色んな場所で色んな作品が見られる状況が(配信含めて)できてしまって、それって私たちにとって健康的なことなのかと悩むことがあります。スマホで作品を見る方も見かけるし、世界とちゃんと繋がれているのかなとちょっと思ってしまうんです。
(宮崎駿)僕自身が全然そういうものを見ないもんですから。僕は平和です(笑)。
(中略)
(鈴木敏夫)だから、いわゆる配信もね。世界ではやってますけど、実はこの日本では一切やってないんです。日本の人は映画館に行かなきゃ映画が観られない。それだけはね、守ってます。
・つまり、ジブリ側としては「映画は映画館で見るもの」というスタンスであり、日テレ側もあくまでジブリをサポートするという立ち位置であるため配信に踏み切れない、というわけなのだろうか。
・鈴木Pの熱い信条があるから実現しないというのは理解できる。
・ただ、既にビデオテープもDVDも発売してテレビ放映までしているわけで、散々映画館の外で見られているというのになぜ配信だけ頑なに拒むのだろうか。
・レンタルビデオ店はおろか、テレビを日常的に視聴する人すら減ってきている中で果たしてこれからどのくらいの子供達が安定的にジブリ映画を視聴できる環境にあるだろう。
・テレビ放映されるといえども、いつ、どのタイミングで見たい作品が放映されるかは分からない。放映されるといっても数年に一度のペースだ。高畑勲作品に至ってはここ数年ほとんど放映されていない。さらに「ノーカット放送」といいつつ本編中に提供クレジットを読み上げ始めたり、エンディングを来週の予告をする左端で信じられない速度で流したりする。あまりにも作品へのリスペクトが欠けているのではないだろうか。
・日テレもせっかく自前の映像配信サービス(Hulu)を持っているのにこれは宝の持ち腐れではないだろうか。ネトフリだのU-Nextだので配信しろと言っているわけじゃない。悪いこと言わないから、自社のサービスで構わないから、どうか配信してくれないだろうか。
・子供に宛てて作った作品が子供の目に留まらなくなるのは本望じゃないだろうから。このままじゃ歴史の渦に埋もれてしまうから。見放題配信が嫌なのであればAmazonやDMMでレンタル配信でも構わないから。スタジオジブリさん、どうか、どうかインターネットでの配信をお願いします。この通りです。
そういう質問何度も何度も受けてるから、またその質問かってなったんだと思う。
芸術家=普通の人ではない、何かおかしな人。奇人変人、何かしら世間から浮いている人
そういうイメージに対して辟易してるんだなって自分は受け取った。
この人はまともに生きている人でも芸術を生み出しているし、そこにも敬意払ってるし、むしろ日常にありふれた物の一つでしかないって思ってるのに、何かと芸術家として持ち上げて、権威主義みたいなものに利用されて、自分が取り上げる画家で見られるのもそういう世間が分かりやすいタイプの芸術家を求められてることに、苛立ちすらあるのでは。
よく分からない人が、分からない分野について語る時に勝手に一括りにされて◯◯ってみんなこんなのだよね、って語られたら一括りにすんなよって愛が強ければ思うし、いい作品生み出してる人沢山いるのにそういう話題性や有名どころ、何かしら人とは違う変わった部分しか見ないで、作品見ない人だらけで、そんな人に軽く芸術家はおかしな人ばかりですよねwとか言われたらはぁ?
別に芸術家だからとかじゃなくて、みんな人間おかしな人はいるだろ、ってなるんじゃない?
それに対してのわかりやすい例として、まともな職業についてる人でもと話しただけであってさ。
例えばVtuber等の好きなコンテンツを一括りにされて、あれは社会に適合できないオタクがハマる、ネットキャバクラ(ホスト)だよねって言われるようなもん
amazonで少し前に買ったものがちょっと見過ごせないレベルで値下げしてた。未開封だったんで返品してまた書い直した。
一度来たものを送り返して、再び同じものが送られてくる事でおれがちょっと得をする。非常に無駄な手続きだと思う。こんな事してるから輸送インフラがカツカツになるんだろうな。
これだったらもうネット上のボタン一押しで差額分くれたら良いのにねって思う。それだけ聞けば理不尽クレーマーめいてるけど、結局一手間かける事でそれが可能なんだから。
まあAmazon側としては客がそれを面倒臭がったり、ケチ臭いみたいなプライドから発想を持たない、実行に移さない事に期待してその一手間を挟んでるのかもしれんけど。
にしたって対応に期限を設けるだとか、サブスク解約よろしく手続きのページを分かり辛い場所に置くとか、やりようはありそうなのに。
勿体ないじゃんね。「無」の輸送をするの。
Amazonも商売だから値下げ分取り返す手続きのハードルを高くしたい。おれも金は無限に持ってないから得できるなら得したい。結局無駄な輸送エネルギーが費やされる。
星野智幸氏の『言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル』(ttps://digital.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html)が話題である。その主張の要点は、以下の通りである。
最初これを読んで思ったことは「何を今さら」である。欧米における近年のリベラル派の度を越した正義依存問題は、ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(Social justice warrior)やバラモン左翼といった批判や自省の中で、多かれ少なかれ言及されてきことである。それにも関わらず星野氏が、さも苦悩の末に新しい認識に至ったかのような筆致でリベラル派の正義依存を問題提起していることに、正直驚いた。
しかしさらに驚いたのは、リベラル派からの反応である。星野氏が何を問題視しているのか、全く分かっていないようなのだ。
ttps://x.com/kentarotakahash/status/1828424826039738677
ちなみに、貴方の言う「カルト的に「正義」に依存し個を捨てる」というのは、実際にはどういう行為を指しているんですか? まあ、個人の判断よりカルトの熱狂に飲み込まれるなんてことはよくありますが、それが「正義」と何の関係が?
ttps://x.com/hiranok/status/1828581602613666289
僕は星野さんは友人だと思っていますが、敢えて書きます。星野さん自身の言動はその通りだったとして、だからと言って、「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ」云々の雑な話をどうして出来るんですか? それがリベラルの大多数ですか? 自分だけは、例外的で思慮深い真のリベラルであるかのように話されていますが、内容は、昨今のリベラル批判の大波にスッポリ呑み込まれて、その尻馬に乗っているだけじゃないですか。リベラルの弱体化が歴史的にも危機的なこの時に。自分の政治的発言が「消費」されていると感じるなら、「消費」されない言葉を工夫すればいいじゃないですか。瀬戸内さんだって林京子さんだって大江さんだって、みんなやってきたことでしょう。自分は、小説があるから、もう政治的発言は止めた、でいいでしょうけど、他の人たちはどうなるんですか? しっかりしてください。
このリベラル派の反応を見て、「何を今さら」という認識を改めた。星野氏がリベラル界隈の空気にどっぷり浸かっている中で、リベラル派の正義依存問題を認識するに至るのは大変な知的苦痛を伴うことであり、それは意義深いことではないか、と。
星野氏の論考には具体例がほとんどないので、リベラル派は問題提起の要点を理解できないのかもしれない。そこで、あくまで自分の理解に基づくものであり星野氏の真意と完全には一致しない可能性はあるが、「リベラル派の正義依存」問題の具体例を補完してみたい。
ネット上の反応をざっと見ると、高橋、平野両氏の先の引用のように、リベラル派の批判は次の二点に集約されるように思われる。
2. 仮に正義依存問題の具体例があるとしてもそれはリベラル派の特定の個人又は集団の問題であり、広くリベラル派一般の問題としていいのか
リベラル派の正義依存問題の最も分かりやすい具体例は、草津町長性犯罪虚偽告発事件(ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B2%A9%E4%BF%A1%E5%BF%A0)において町長を糾弾したフェミニスト達であろう。この事件は、新井祥子町議(当時)が黒岩信忠町長から性犯罪を受けた、という虚偽の告発をした件である。以下、吉峯耕平氏のTogetterまとめを引用しつつ説明する。
ttps://togetter.com/li/1973629
新井氏は2015/1/8に町長室のソファーに座っている時に、黒岩氏に机との間に押し倒された、と証言した。しかし、実際の町長室を見ると机とソファーの間が狭すぎて押し倒すスペースが無い。これに対して新井氏は「当時は机とソファーの配置が全く違った。新井議員が記者会見をやった後、町長が証拠隠滅のために模様替えをやった」と反論したが、実際には模様替えは行われておらず、この反論も虚偽であった。
ttps://togetter.com/li/1973629?page=2
それにも関わらず、例えばフェミニストの北原みのり氏は新井氏の証言を信用した。当初は北原氏も信憑性を疑っていたようだが、三井マリ子氏の「現代の魔女狩りだ」という発言に感化されたようである。最終的に北原氏が証言を信用した理由は、被害者は沈黙せざるを得ず「ミソジニー社会」では女性の言葉は軽視されるという一般論と、新井氏が知的だったという印象論、この二つのみである。
ttps://togetter.com/li/2278947
北原氏の変遷はまさに、「『正義』に依存するために個人であることを捨てて」証言の信憑性を精査しなかった具体例であろう。
北原氏は「町長が性犯罪を実行した」と事実摘示してはいない点に留意する必要はあるが、恣意的な切り取りと印象操作をしている。例えば、2020年12月1日の町議会において、湯本議員は①模様替えが虚言であること、②新井が現場の録音の一部を公開したことを指摘し、新井氏の告発の信憑性が低いことを説明している。
ttps://x.com/kyoshimine/status/1737202101842059771
しかし、新井氏はこのことに触れず、以下のように印象操作を行った。
ttps://x.com/kyoshimine/status/1737210416521220255
ttps://dot.asahi.com/articles/-/13943?page=2
その様子はこのコラムでも記したが、傍聴席には高齢男性たちが並び、新井氏にむかって「うそつき」「(あんな女とは)犬でもしない」など激しい言葉で罵っていた。それは議会というより、新井氏が裁かれる現場のようだった。
その後、新井氏は名誉毀損と虚偽告訴の罪で在宅起訴されたが、この期に及んでも北原氏は次のように言う。
ttps://togetter.com/li/2278947?page=4
ttps://dot.asahi.com/articles/-/13943?page=3
SNSでは、支援者やこの件についての記事を書いた者への謝罪を求めるような声もあがっているが、支援者たちに謝罪を求めるのは間違いだ。支援者は被害者を選ばない。少なくとも私は、フラワーデモを通して、被害者は選ばないと決めた。
「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある」という星野氏の指摘は、一連の言動をする北原氏の動機を上手く説明しているように思われる。
吉峯耕平氏のTogetterまとめを読むと、北原氏の他にも多くのリベラル派が上記の虚偽告発事件に際して正義依存問題というべき糾弾をしている(ttps://togetter.com/li/2283797)。しかし平野啓一郎氏が疑問視するように、正義依存問題はリベラルの大多数に当てはまるものなのだろうか。確かに上記糾弾に参加していないリベラル派も多い。
自分の理解ではやはり、正義依存問題はリベラル派一般に当てはまる事象だと思う。その根拠は、リベラル派の中で上記の町長糾弾者を批判した人が皆無に近いからである。
日本にリベラル派は何人存在するだろうか。立憲民主党の支持率が5%、有権者総数が1億人程度いるので、500万人が立憲民主党の支持者であり、少なく見積もってもその1割の50万人は意識的なリベラル派であろう。少なく見積もってもリベラル派は50万人もいるのに、件の草津糾弾問題を批判した人は何人いるのか。この内のさらに1割の5万人が糾弾に参加した人を批判していれば大きな話題になっているはずだが、実際にはそうはなっていない。
「『正義』に依存するために個人であることを捨てている」、要するにリベラル派は党派的な動機で、糾弾に加担した同じリベラル派への批判を避けたのではないか、このように疑われる状況なのである。
それでもなお正義依存問題はリベラル派一般には当てはまらないと反論したいのであれば、件の糾弾者達を批判したリベラル派を5万人挙げろとは言わないが、まずは5人程度は挙げる所から始めるべきだろう。
推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。
2000~2001年の話です。そのとき生まれた娘は健康に育ち独立して離れた場所で生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手と再婚しました。
前情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。
当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分を説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉も右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない。体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。
この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。
とにかく妊娠をきっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職。
田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担で病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。
というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしかも赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。
「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ちは微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリの人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者に気遣いの言葉をかけるようにしている。
ホルモンバランスが不安定で誰にも会いたくない状態で病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。
こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。
8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。
その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミはゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミは自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンをキレイにしてから朝ご飯を作った。
夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKのボーナスタイムという知識はあったらしい。
それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものをトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。
そして臨月。お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠期間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。
そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院に入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)
朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。
夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明で子どもの心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生や助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。
原因不明の心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。
いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較的若い人は穏やかに、経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。
入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。
退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社に申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院の荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?
退院日なんて入院する前から決まってた。しかも出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置は医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」
全然わからない。苗字も体調も体型も仕事も生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものをほとんど失わず、健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間でゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。
結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。
帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元で結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひときわ寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームもドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしまう新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊をウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。
さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーにアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんからの指導の甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。
夫は沐浴とか『これは父親の役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。
ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場で子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。
夫には結婚前から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務の地獄に落ちていた。闇金だ。
それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれて半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。
この時、社会問題化していたものの、今のように銀行は個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK。債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。
正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲーム。こちらから話しかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラーと電子音ならしてネットに繋いでいた時代。世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的に社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。
それと専業主婦の立場に居心地悪さも感じていた。自分のお金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつや趣味の雑誌を買うのも躊躇していたのだ。
自分の稼いだお金で子供の服を買ったときにちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要なものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。
あと外に働きに出て、ある程度自分の裁量で物事を決め、今後の見通しが立てやすい作業は子育てに比べてとてもやりやすかった。
そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦で食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。
こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。
遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバンに商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリがこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。
その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。
家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系に登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。
そこからは自分の実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分だけがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電や生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代の貯金から出していたので異論はでなかった。しかしプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。
若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。
いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。
夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さらに離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観で判断すると、子どものために養育費は請求するべきだったかもしれない。
長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。
でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対許さないと思っている。
基本、自身で検索して解決出来なければ、ネットで誰かにヘルプを出しても手助けしてくれるような人はいない。
日々、バズっているのを追いかけているのだけを見ていると、色んな人が色んなことを教えてくれるように見えるが、実際はそうではない。
脳に詰め込んだだけで、実践できない、行動に活かせなければ意味がないものも多い
ので、あればあるだけ良いってわけでもないけど、要らんって言ってしまうような人間にはならないほうがよいし、じゃあなんでいるのか? って言われたら、薄―くすべてに効いてくるからで説明は難しいのだろうな
他のパラメータとのバランスも居るし、環境によっても必要ステータス変わってくるだろうし
そもそも小説にしろエッセイにしろ呟きにしろ、楽しむ必要がないと思えばそれまで
守備範囲が広ければ、色んな人と交流できる。したくないならそれまで
守備範囲が狭すぎる人とか、共通の話題では盛り上がるが(それでもなんかずれてるが)、違う話題になった時に聞き役にも回らず、不貞腐れたたりする
無理に自分の土俵に引き込もうとしたり。これは教養の話ではなく単なる自戒とかか
地頭使うにも基礎知識が居るし、ある程度知識があったほうが騙される手口もあるし、難しいが
究極の防衛策全ての詐欺手口を覚えるのが無理なので、その一歩手前まで網羅して、詐欺の可能性を検討できるように というところを目指す。これも無理だが
なんにもやってないより圧倒的にリスクは下がると思う(コスパ考えたらどっかで妥協せにゃならんが)
それこそ地頭みたいなの(忘れかけてた記憶がよみがえったりもあるんだろうけど)で小学生の算数問題解いてくやつ
実は算盤はやってたそうで、それがあるからショートカットできてる部分もあったし、分数の足し算とか、自力で答えにたどり着いていくのは確かに見てて面白いんだが、どうしてもそこは我々が数十年前に通った道だ、とはなった
逆に公式だけ覚えてて本質理解してないのも意味ないなとも再認識したし
番組が小学生問題だったから、なんかしょうもない話になってしまてるが、どのレベル(難易度)でも同じことだと思う
ひとつ下の難易度の本質を理解できてると、次の問題の初見時に自力で回答できる可能性が出てくる、という
うちのこわもて爺、確かに対人ではある程度の詐欺態勢ありそうだが、警察とか銀行絡んだやつには弱いし、PCがピーピー言い出したらどうしようもなくなってる
>みんな「誰が言ったか」を重視
そうなんだけど、その誰が普段どんなことを言っててそこに正当性があるか否か、
の繰り返しで、できるだけ信頼できるソースを確保しておくってのが普通の生き方で
それでどっかこけてると、コロっと騙される
まあ実際問題、ほとんどの人はなんでもかんでも騙されてるし、他のジャンルでは割としっかりしてるのに、どっかひとつだけ変なもの信仰してたりする人も多い
あまりにも厳格になんでもかんでも疑ってかかるとしんどいから、息抜きとして、騙されてても実害そんなにない信仰にあえて乗っかってる部分とかはあるかと思ったりする
ペーパーテストの点数にも大きく影響を与えるのが教養であり、それこそ地頭あれば論理的にすべての答えに行きつくことも可能かもしれないが、時間や実験器具等が足りない
先人の知恵を使わん縛りプレイする意味はわからん(色んな誤りが含まれてるにしろ)
>受験も就職も勉強するより面接に強い実績作ってアピールするほうがコスパ良くね?
面接対応スキルも知識依存のところあるだろうな。受けまくって落ちまくって、対応力高めることも可能ではあるだろうが。ペーパーで落ちてたらどうしようもない