はてなキーワード: カラフルとは
仲が良い女友達ではなく、同じクラスにそういう子いたよね、くらいの距離の、ディズニー好き女性たち。
私はディズニー好きでなく、こじらせタイプで独身のまま三十路を迎えたし、同類で仲の良い独身の女友達もディズニー好きではない。
ここからはほとんど推測を述べる。ちょっとナチュラルに悪口も入るかもしれないけどごめん。
メジャーでメインストリートなものが素直に好き、ということは、本人にとっても周囲にとっても、とても楽で簡単なことかもしれない。
ディズニー好きは、流行り物を「広告代理店の陰謀」とか言わない。その場で素直に楽しんで消費する。
マイルドヤンキーと近いものがあると思う。CMで「ディズニーでハロウィン!」と言われると、行きたくなるのだ。
わかりやすいものを単純に楽しめることは、人生を比較的イージーにしやすいように思う。
お姫様と王子さま。夢、愛、希望。そういったキラキラしたものが、ディズニーと結婚式は酷似している。
このあたりのテイストが苦手な人は、結婚というより結婚式が苦手なんだろうな、とも思う。
好きなことが外向きなので、外出する機会も多いと推測される。
休日は映画を観に行ったり、ショッピングをしたり、女子会をしたり、仲間とBBQをしたり、そういったことが苦にならないタイプ。
引きこもって漫画を読んだりネットをしていたら休日が終わった、ということは無さそう。
外に出ていると出会いも必然的に多くなるだろうし、映画を観るにしても一人では出かけなさそうなので「出かける」=「誰かを誘う」が必須。
誘う相手が彼氏じゃなくても、発展する要素は大いにありそう。あるいは、誘われるように日頃からうまくやってそう。
同じアクティブタイプでも、ハマっているものがジャニーズや宝塚、アニメとか、マイナーなバンドなどの場合だと、同じ趣味ではない男性とは共有しづらい。
ちょっとコンサートに付き合うとしても、世界がディープすぎてついていけなさそうに思う。
ディズニーリゾートへ付き合うなら、ニワカでもちゃんと楽しめそう。
人付き合いにおいて、ちょっとしたお礼の品やお返し、お土産、誕生日プレゼントをあげるというシーンは多々ある。
そういった時、ディズニー好きの女性になら、プレゼント選びがとても簡単だ。ハズレが無い。
おそらく、めっちゃたぶんだけど、ディズニー好きの女性は、そうでない女性と比べると、ちょっとした物でもプレゼントされる機会が多いのではないだろうか。
→
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以前、男友達が結婚のため引っ越した新居に、お祝いにお邪魔したことがある。
その男友達は、趣味は読書とランニングで、決してディズニー好きなどでは無かったのだけど新居の真新しい雑貨はディズニーだらけだった。
大酒飲みのTHE漢!といったタイプの男友達と、そのファンシーな新居があまりに不釣り合いで笑ってしまった。
婚約者の女性が席を外した際「ねぇ、ディズニーグッズだらけだけど大丈夫?趣味合うの?」
と尋ねると「俺インテリアにはこだわりないし。それに、こういったらアレだけど、あいつ扱いやすいんだよ」
と答えた。
へぇ…。
疑わない、考え過ぎない、素直に楽しむ、人と一緒にアクティブに行動する
→早めの結婚
※補足
「徹頭徹尾ナンセンス映画でさ、狂気の中では80年代アメリカ風の青やピンクのカラフルな色遣い、現実はすさんで、臭くて、すえた臭いがするような描写で落差をつけててさ」
「今度マーベルヒーローのデッドプールをやるライアンレイノルズって役者が主人公なんだけど」
「ひょんなことで同僚のマドンナをXXしちゃって、そっから統失もっとこじらせて他の同僚も……って話」
「なんつーか、サイコキラー、シリアルキラーって無個性なんだよな。特にパラノイアだから自分で意図したわけじゃなくて、要するにラリパッパの結果、っていうか。映画自体は駄作だったよ。」
「ひとりだけ忘れられない同級生がいるんだ」
「色白で黒髪がツヤツヤで、最近流行りのちょっとだけ目の離れた涼しげな美人で、誰にでも優しくて、泣きぼくろがあった。これは事実。本当の話。しかも賢くて志望は国立医学部だった。浪人後は知らないが絶対に受かったに違いないよ。すごくキレイな人で女神に見えたんだ」
「俺はそのころいじめられてて、何もうまくいかなくて、彼女の隣の席で彼女を解体する妄想ばかりしてたんだ」
「それ以前も以降も、女性を好きになったことはない。解体する妄想も、最高にキレイな人じゃなきゃ意味なくて、牛や豚や鶏を解体する動画を見て、人体の解剖を学んで、人体ならどういう順序で解体すべきか何度も何度も脳内や紙の上でシミュレーションしたんだ」
LINE超メンドィ
なんとかならないかな
起きてる?とか深夜に来るし寝てるって
でもこっちはキつかって返事するのもうイヤ明日学校でテストなのにさあ
あ~、15年前のテレホーダイの頃は良かった
回線繋げるときモジュラージャックを介してのピーギュルルルルって音がたまらん
2ちゃんもできたばかりで吉野家コピペや怪文書があふれていてカオス楽しかったね。
windws100%付録CDのフリーソフトインスコする時のwktk感がたまんないねぇ。
cgiチャットでカラフルな文字が踊り更新ボタンを押すのもwktkやった。
そこで知り合った女性に初めて公衆電話からかけて怖くて速攻切ったっけなww
あの頃は良かったよ、ネットしてる奴がキモヲタ扱いされてた頃だよ。
今みたいに老若男女がスマホいじってるのとは違う、キモヲタだけの世界。
だからさ、ワイは今のネットが、誰でも繋がれるLINEが嫌いなんや。
■追記
20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています。
今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います。
個人的に今回のエンブレムの感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。
一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。
◼︎そもそもアートディレクターとは
まず、アーティストとアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきます。アートとデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。
さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画のプロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定をします。
そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?
さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)
さらにさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みます。アートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります。
という訳で、本来、アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件を商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。
◼︎トートバッグについて
エンブレムは「佐野研二郎」名義のもの。トートバッグは「MR.DESIGN」名義のもの。エンブレムはおそらく、会社のスタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。
先ほどの例えで言うと、本来はイラストレーターやカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。
これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応が必要な部分です。
(同じ業界の人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)
◼︎エンブレムについて
問題は、今回のエンブレムや、動物園のロゴなど、「形が似ているからパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。
美術の学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間の視点は基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角で表現したフォントはたくさんあります。
つまり、パクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります。
チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。
もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナーの仕事ではありますが、
「形が似てるものはパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後のデザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?
また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。
そうなったとき、何がパクリ/オリジナルの判断基準になるのか?
出来上がったデザインをどう守ればいいのか?
これが今回出てきた一番の問題です。
◼︎コンセプト
「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。
まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります。
しかし、五輪エンブレムや企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計が必要です。
ここがややこしいところです。
多くの人にとって、美術やデザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフルで自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術やデザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。
(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)
「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」
「数時間で適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」
これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。
デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法や設計を編み出してきました。
それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインそのものを小馬鹿にするのは止めてほしいです。
ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。
デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからはもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。
エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまいます。だからこそ、国内外で活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやすい提案だったのではないでしょうか。
たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザインの監督を決める」コンペだったのでしょう。
◼︎写真盗用について
今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。
あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料(カンプ)であって、本来表に出るものではありません。
だから転用していいという事にはなりませんし、クレジットを意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナルで撮影している代理店やデザイン事務所はほとんどないでしょう。
広告の雑誌で売れっ子アートディレクターを特集した記事などでは、カンプにモザイクがかかっているのをよく見かけます。予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います。
この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。
まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界は人手不足だと思います。
で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまいます。
それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものだからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります。
そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます。
今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。
と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。
◼︎まとめ
精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。
しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります。
片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーはデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います。
僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済がおかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース、東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。
「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います。
嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います。
あとでワンコにご飯をあげるために、ドックフードをお皿に乗せておいた。
そして机の上に置いたままの犬用のそのお皿をぼんやりと見ていたんだ。そこでふと思ったことがあった。
犬用のお皿にワンコのイラストが描いてあるよね。だけど、ワンコは絵を認識できないと思う。それができたらワンコはテレビが見れちゃうことになる。
犬が食べるお皿に描かれた、ワンポイントなイラスト。それって何のために描かれているんだろう。
今まで僕は、犬に楽しんでもらうために描いた、というなんか変な錯覚を持っていた。だって楽しいイラストがあるとワンコも楽しい気持ちになってくれる
ような気がしていたから。
そういえば、昔、ワンコにぬいぐるみも買ってあげていた。ワンコって形の理解はできるのだろうけど、それが結局、何なのかはわからないのではないかな?
ワンコにとって大事なもの。それは「手触り」と「噛みつき加減」と「形」ぐらいなんじゃないか。
つまりさ、ワンコに与えるものって、本当は別に人間からしたら無意味な形をしていたっていいんじゃないのかな。
さきほどの話に戻るね。犬が食べるお皿に、犬が認識できないはずの「イラスト」が描いてある「意味」ってあるのかな?少なくともワンコには意味がないように見えるんだ。
ワンコについてそんな詳しくないけど、カラフルなお皿とかだったらわかって楽しいかな?とは思う。もしかしたら色もある程度、認識できるのかもしれないからさ。
だけど、お皿に描いてあるかわいい犬の絵とかなんてもうワンコは何もわからないだろうと思うんだ。
むしろ飼い主が楽しむためのもの。そちらの方が大きいような気がする。だとしたら
だいたいの犬用グッズとか、犬のために作られたものっていうのは……僕いわく、もともと誰のために作られたんだろうな?って考えちゃうんだ。
で、思ったこと。
お互いに楽しむためのツールっていうことでいい?
ワンコのイラストが描いてあるお皿を買うと飼い主がわくわくして楽しい。
そのお皿でおいしいご飯を食べれるからワンコはそれが楽しい。さらに飼い主がうきうきしてるとワンコも元気になる。
デザインって、機能にプラスしてかわいさとかを表現するよね。それって誰かを喜ばせるためにするでしょう、普通は。
どっかのサイトにデザインっていうのは機能性と美しさを合わせたものを言うって書いてあったよ。
そう思うと、なるほどなって思った。
似たような人を列挙して、それぞれの特徴を書いて、Daigoと比較してみたいと思う。
最初はマジシャンとして活動していたが、だんだん超能力者のフリを始めた。
TV局がそのように要求した面も大きいが、それに乗ったのは彼の責任。
当時はTV番組の司会者である福留アナウンサーすらサクラにしていた。もちろんテレビ局も悪い。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150615-00000003-the_tv-ent
彼の問題点は、トリックがあると明確にせず、いかにも不思議な力が自分にはあるという演出をして世間を欺いたこと。
手品師が尊敬されるのは、その卓越したテクニックや話術、ネタのユニークさなどがあり、
その技を使えば、まるで人間を超えた力を持つ者であるフリができるのに、それせずに「単なる手品師」と名乗る誠実さである。
マリックにはその誠実さだけが無かった。ただしその力を他の事に悪用して誰かを騙したりはしていない。
かれは手品師として、ちゃんとトリックを使っている事を明言している点で、そこまで罪は重くない。
しかし、やはりテレビ局の編集トリックを利用して、不思議すぎるパフォーマンスをしていた。
その場に映っている観客すべてがサクラ、などという事を平気でする。
視聴者はそのレベルの不思議さに慣れてしまい、誠実な手品師の職が奪われる。
ただ、これは悪事の主体はTV局側にある。なぜならTV局側から提案されたものだからである。
必要なテクニックを磨く努力をほとんどせずに、ただただ自分を大きく見せる事だけに技術を特化した。
しかしスプーン曲げやフォーク曲げは練習している。彼にできる精一杯のマジックがこれなのだろう。
目の肥えた昨今の視聴者にこの程度のパフォーマンスが受けるわけがない事は理解しているので、唯一の得意技であるこれらの手品のタネはあっさり教えてくれたりする。
それによって、この程度の事は自分にとってはなんでも無い事ですよ、という印象を与える事に成功している。
重要なのは、お客さんを喜ばせる為にやっているわけでは無いという点である。
普通エンターテイナーというのは客を喜ばせたいと思うものだが、彼にとっては自分を大きく見せる事の方が優先順位が高そうだ。
これが彼のアンチが多い理由だろう。明確に彼のやっている事が理解できていなくても、本能的に「あ、こいつはダメだ」と感じるので「なぜ嫌いなのかわからないけど彼は好きになれない」という現象が起きる。
ちなみに、フォークの先を曲げるには指輪を使えばいい。ひっかけて曲げるだけだ。
彼がよくやるパフォーマンスに客に色ペンで何かを書かせてそれを当てたりカラフルなボールから何を選んだか当てるものがある。
これも普通の手品だと思って見たら「そんなのより不思議な手品はいっぱい見てきたよ」というのが普通の感想だろう。
しかし彼のパフォーマンスを見ると、なぜか感銘を受けてしまう。
その本質は「うわー、この人すごい!!」と思ってしまう点である。
なぜそう思うのかというと、タネ明かしっぽく、表情を読んだとか、こういう人はこういう性格なので云々、などという説明が入るからだ。
それによって「心理学を追求すればそんな事ができるのか!自分もそれを学べばビジネスでも恋愛でもうまくできるんじゃないか?」みたいな希望が生まれる。
彼の著書が売れたりセミナーがヒットしている理由もこれである。彼は商売はうまい。
彼が全力で努力して身につけたスプーン曲げのトリックを一番最初に教えてくれるのも、ここに繋がる。
「彼は誠実な性格で、自分の手の内を教えてくれる人なんだ」という印象がここで生きてくるのだ。
視聴者は「目の前で起きている不思議な現象」に感銘を受けていると勘違いしているが、
よく考えて欲しい。単に何を選んだか当てる手品がそんなに不思議だろうか?
そんなはずは無い。それをちょっとした表情やその人の性格から当てた、という事が不思議なのだ。
あとは誰にでも当てはまりそうな事を言って、これがあなたの性格です、などとやれば人は簡単に騙される。これは占い師や霊能者などが使うテクニックでバーナム効果という。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%A0%E5%8A%B9%E6%9E%9C
彼の手品の構造は「しょーもない手品をあたかも何かすごい能力を使って不思議なことをしたように見せる」というものだ。
この構造は占い師や霊能者、カルト宗教などが使うものと同じである。
蛇足だが、彼の手品はこんなタネがあれば簡単にできるよという事を示そう。
それは協力者が送信機のスイッチを入れると演者の持つ受信機が振動するというものだ。
このような仕掛けを使えばババ抜きのようなカードゲームでも簡単に勝てるだろう。
こんなペテンでコケにされたのであればホリエモンも良い面の皮である。
なお若い人は知らないだろうが「あんた死ぬわよ」の占い師や、スピリチュアルな霊能者などの悪質さは論外なので、ここでは触れない。
彼らが毎週ゴールデンタイムの番組に出ていた時期があるのだがテレビ局にモラルはあるのだろうか?
セロ | マリック | Daigo | 論外な人達 | |
テレビ局がグルではない | x | x | x | x |
タネの存在の明示 | ○ | x | x | x |
手品の練習 | ○ | ○ | x | x |
手品の種類 | ○ | ○ | x | x |
効果を手品だけに限定 | ○ | ○ | x | x |
社会への影響の少なさ | ○ | ○ | △ | x |
「タネの存在の明示」については、Daigoは一見タネ明かしをしてるように見せて本当のタネをごまかすばかりか、タネ明かしそのものを自分の力を大きく見せる事に利用しているので、マリックより悪質。
「効果を手品だけに限定」という項目は、手品以外にも応用が効くと喧伝してない、という意味である。
マリックは「ハンドパワーは気功の応用で色々なことに使える」というような事を言っていた時期があるが、常に言っていたわけではないので不問とする。
Daigoは占い師などと同様に、自分を大きくみせる技を悪用して、企業のコンサルティングなどを行っている。
(意外かもしれないが占い師も企業の経営者に頼られていたりする。構造は同じである)
「社会への影響の少なさ」については、Daigoは論外な人達と比べるとマシだが、ビジネスに応用できるなどと勘違いさせてる点は悪質である。
論外な人たちは、それを信じた人の宗教観や世界観まで変えてしまうので悪質さはダントツで大きい。毟られる金額も桁違いである。
オウム真理教のサリン事件はテレビでオカルト番組を見て、そういう世界に拒否感を持たない人達がカルト宗教に入ったことで起きたものだ。
オリンピックのロゴの件でやたらと「黒は不吉な色で日本らしくない!」って意見を見たんだけど
本当かなと違和感を覚えた。
海外の人から見たら「黒」ってすごく日本ぽい色と思われているんじゃないだろうか。
日本人の髪の色は黒だし、習字の黒のイメージもあると思うし、浮世絵でも黒が印象的に使われている。
パリコレで衝撃を与えたコムデギャルソンやヨウジヤマモトのコレクションも黒一色だったし、おにぎりの海苔も黒い。
様々なデザインの中で、自分が「すごく日本らしいデザインだな」と思うのは日本航空のデザインで、
特に1980年代の塗装なんか、ザ・日本って感じがするんだけど、この塗装も「赤」「白」「黒」の3色でできている。
黒って、シンプルだけどミステリアスで、表情もあって、すごく日本ぽい色だと思うんだけど。
「黒は日本では不吉な色だからやめろ」という意見を振りかざすのは少し横暴なんじゃないかなと思う。
(桜の招致ロゴは評判がいいけど、あのやたらカラフルな感じが日本らしくないと思うのは私だけなのだろうか)
調べてみると、そもそも日本の喪服は昔は白かったのを、明治以降に欧米に倣って黒に変えたという話らしい。
別に今のロゴがすごくいいとは思わないけど、「日本の伝統=黒は不吉」を盾に批判をしてる人たちは、
やっぱりちょっとズレているんじゃないだろうか。
> 可能な限り低コスト
本気で低コスト追求したら仮設住居みたいになるぞ?
安けりゃいいってもんでもないと思うが。
ザハは安く作れるって言ってるぞ?
> 絆を感じるもの
そんなもんが最大公約数か?
デザイン費は無駄じゃない。デザイナーをなんだと思っていやがる。
日本人の形のないもの(クリエイティブ)に金を払おうとしない習性は異常だよ。
随分メチャクチャだな。
今回の国立競技場とエンブレムの件で思ったのは、税金をかけて作る建築物やデザインは多くの人の好みの最大公約数であるべきだということだ。
建築物なら
・可能な限り低コスト
・日本の伝統をモチーフに竹とか和紙を取り入れた和を感じるデザインをアクセントとして取り入れる
デザインなら
・オリンピックの場合は桜や富士山、日の丸をモチーフとしたもの
・絆を感じるもの
・どこにもない独創性のあるデザインに
といった風にすべきだと思う。
プロが好むよくわからない玄人受けデザインなんて、所詮建築家やデザイナーの内輪受けしかしないのだから、税金を使う意味はない。
日本で今人気なのは、AKBやEXILEや三代目JSoulBrothersやセカイノオワリであり、
オリンピックのロゴ問題で「承知ロゴの桜のやつのほうがいい」と言っている人がいるけど、
あのロゴはあのロゴであまり良くないと思うから、シンプルに今回のコンペの次点作品にすればいいと思う。
ちょうど次点が2つあったみたいだから、投票にでもしてアホな国民に「俺が選んだ」みたいな満足感も与えられると思うし。
原研哉と葛西薫のデザインということで、一定のクオリティは保障されているはずだし。
・桜ではなくハイビスカスか何かに見える
・五輪のロゴもカラフルなのに桜もカラフルでごちゃついて見える
・色を使い過ぎていて幼稚
・a-nationのロゴに似ている(a-nationが真似たらしいけど、つまりはa-nationに来るような客にぴったりの
クールジャパンと叫びながら桜のロゴにしちゃうのもいいのかもしれないけどね。
昔、一眼レフを買ったときに舞い踊る気持ちで紅葉の写真を撮りにいった。
そして、一枚写真を撮ったときに、私はものすごく衝撃を受けた。
なぜかと言うと裸眼で見る紅葉より、一眼レフを通した紅葉のほうが美しかったのだ。
一生懸命頭を悩ませ、いろんな人に話を聞いた。
さまざまな答えが返ってきたが、一番印象に残っているのは
という二点だった。
よって私はカメラのレンズは裸眼で見える意味での真実は写していないという結論となった。
これは2年前ぐらいの話なのだが、つい最近あるプロモーションビデオを見た人のコメントで
「こんなに美しい世界を普段見ていたということに改めて感動しました」
そして常にカメラのレンズを私たちの目につけているわけではないとすると、その世界は存在しないのと同義なのではないか。
中学生の頃授業で読んだ文章で、はっきりとは覚えていないのだが
「世界から色が消えるときは、白と黒しか判断できない犬のみがこの世に残ったときだ
たとえカラフルな景色が存在しているとしても、この世にそれを見ることができるものがいなくなれば、世界から色が消えることと同義だ」みたいな文章を読んだことを思い出した。
それに似ている気がした。
つまり何が言いたいかというとプロモーションビデオの内容と普段わたしたちが目にしているものは
別物と言ってもいいのではないか、ということ。
だから悪いということでもないし、あんまり深く考えずに美しければいいじゃん、みたいなことを言われそうだが
なんとなく思ったことをまとめてみた。
興味を持って動画などを見てみると、小学生ぐらいの子供が銃で撃ち合っててギョっとする。
一応人外(イカ)という建前であり、カラフルさによってグロさはオブラートに包まれてるが、
撃たれると体が爆散したりもする。
大人の兵士やクリーチャーは躊躇無く撃てるけど、ゲーム内とは言え人間の子供の形をしたものに
引き金を引くのはかなり抵抗がある。
■追記
撃つのは弾丸ではなく水鉄砲、撃たれて飛び散るのは血や体ではなくインク。
そうした表現は十分配慮されていると感じるし、「実際はエグいことになってそう」とは思うが抵抗感はない。
心理的に抵抗を感じる点は「人間の子供の形をしたものに銃口を向け、引き金を引く」ってところ。
あえて現実世界に置き換えると、モデルガンであっても子供に銃口を向けるのはアカンという気持ちに近いだろうか。
例えば、人間そのものでなくもう少しイカよりの造形だったり、顔がマスクや装甲で覆われた兵士の格好であれば
そうした抵抗はなく受け入れられたかもしれない。
ちなみに、往年の名作「突撃!ファミコンウォーズ」は似たテイストでもっとミリタリー寄りだったが、何の抵抗もなかった。
任天堂さんにはこっちの続編をお願いしたいところ。
あの時、テレビは1つ番組を視聴するのに63円程かかった。インターネットの普及により個別に電子決済が可能になったからだろう。だから起きてから寝るまでテレビを見ていたら、その日だけで800円くらいかかった。
けど、その代わり、映像も見せ方も内容も、すべてが作り込まれていた。
それまでの、従来型のスポンサーをつけて得る収益体系が成り立たなくなってから、テレビからコマーシャルは消え、クリエイター達が作品を披露する場になった。それまで大衆が"広告"によってペイしていた分をクリエイターがペイする仕組みになった。
なかでも私の気に入りは天気予報だった。
あえてアナログな装置によってやるのがこの番組のウリらしい。カメラとお姉さんの間にアクリル板があって、そこに、手書きのマジックで等高線やらが書き込んであり、お姉さんがそこに、天気を示すカラフルでゼリーみたいな粒を、説明しながら置いていった。カメラは少しローアングルで、お姉さんの顔は見えない。まるでカメラの存在を無視するかのように説明をしていく。なんだかフェティッシュをくすぐるような、そんな映像が45分続くのだ。
楽なんです!寝坊しようがなんだろうがとりあえず手ぬぐい1枚をカバンでもポケットでも突っ込んでおけばいいんです!それだけです。これがすべてのスタートラインです。自分のほとばしる才能が恐ろしくなるほどこれだけです。安心感が違います。YATTA!!ありがとう手ぬぐい!!!
「手ぬぐい 使い方」とかで検索すると頭に巻くだのなんだの出てきますけど、手ぬぐいってこう使っちゃいけないなんていうルールないんですよ。あなたの思うがままに使っていいんです。使うと分かりますがとりあえずあるだけで安心できる存在になります。私は基本万能ハンカチ的な存在として使ってますが、好きなお菓子をくるんでもいいしこっそり小さな何かを持ち込みたいときに手ぬぐいにくるんでもいいんですよ。あなたにとって恐怖を覚えるほどに崇高なデザインであれば飾ってもいいです。ほこりを被らせたくないキーボードにファサッ…してもいいです。暑い日に首からさげて夏アピールしてもいいです。カイロ包んでもいいです。よごれたもの持ちたくないときにサッとくるんでもいいです。乗ろうとしたバイクが濡れてたときに使ってもいいです。海堂薫くんのように河原でブーメランスネイクを会得してもいいです。劇場で友人の涙をぬぐうために差し出してもいいのです。
明くる日にはうっかりデスクに麦茶こぼしたときの救世主になるでしょう。
どんなにずぶ濡れでも即乾きます。出先でびしょ濡れになった布ものってカバンの中に入れても濡れるし手に持ってても心がせつなくなりなおかつ困りますが、手ぬぐいならちょっと干すだけですぐ乾きます。環境にもよりますが1~2時間で完璧パーペキパーフェクト。ありがとう斉藤一!!ありがとう菊丸英二!!
最近はとくに多種多様な柄が手ぬぐい業界に出回っています。男女関係なくあらゆる年代にもベストヒットする柄が揃っています。単色ものからグラデーションかかってるもの、ぼかしが綺麗なもの、超多色使いのもの。手に持っているだけで季節が感じられるしっとりした風情あるものもあれば、大胆にキメた若者向けデザインも…モノクロからカラフルまでなんでもありです。近頃は漫画やアニメ作品とのコラボも多いですね。アメコミ界はとくにアツいです。
かと思えば古風な柄の基本形手ぬぐいに立ち戻り「やっぱりシンプルイズベストってやつかな…」などと思ったりします。まあ次の日エヴァ手ぬぐい使ったりするんですけど。
あと万能手ぬぐい的な使い方がメインの場合は基本たたんだ状態で使うことが多いので、でっかくテニプリのキャラが描かれてる手ぬぐいなんかでも、パッと見はよくわからないのです。ですから堂々と使って、元気を出したいときにこっそり広げて眺めてもいいと思います。少し前に話題になったネクタイの裏にキャラクターが印刷されてるみたいなアレですね。いいんじゃないでしょうか。世界平和は目前です。
以上!!!
http://anond.hatelabo.jp/20150214223556
これからジャズ聴きたいっていう人に俺がオススメできるアーティストを10人選ぶならこんな感じ。
マイルスがジャズの歴史の中心にいたことは間違いないのだが、彼のサウンドは案外ジャズ初心者にはとっつきにくい。マイルスがジャズの最先端を切り開いて、偉大なフォロワーたちがそれをうまく消化&昇華してスタイルを定式化させていったのであって、そうして洗練されていったものを聞いたほうが入りやすいと思う。俺は今プロでやってるが、若い頃マイルスを聞いてもピンとこなかった。「マイルスを理解できなきゃ本物じゃない」という雰囲気があったから、マイルス分かってるフリしてたけどな。リズムセクションの凄さだけは強烈だった。さんざんジャズをやってきた今マイルスを聞いて初めて彼の音楽の時代性が分かり、当時いかにインパクトがあったのか、そして彼がどれだけ偉大なバンドリーダーだったのかが分かる。まあ、こういうリストでマイルスを入れるのはお決まりなので、10位に入れておく。
50年代 https://www.youtube.com/watch?v=OcIiu1kQMx0
60年代 https://www.youtube.com/watch?v=x_whk6m67VE
70年代 https://www.youtube.com/watch?v=ryiPO1jQdaw
80年代 https://www.youtube.com/watch?v=4qoNZnWcb7M
風変わりなアーティストだが、その独特なサウンドは好きな人もいると思う。不協和音のようでもあり、全体としては調性に収まっている絶妙のバランス感覚。変てこりんな曲もあれば、ものすごく美しい曲もあって、頭の中を見てみたいと思う一方、まあ感覚が爆発してるアーティストってのはこんな感じだよなとも思う。挙動不審系のパフォーマンスを見ているような面白さもあり、演技なのか本気なのか分からないところがある。モンクはそれを形のある一つのスタイルとして定義できたところがすごい。ジャズミュージシャンの間では別格扱いというか、特別な地位を占めている。
https://www.youtube.com/watch?v=KshrtLXBdl8
この人はすごいよ。メロディーを紡ぎ出す感覚、その一瞬にしか生まれないサウンドを追求する即興へのこだわり、小節をまたがってフレーズを自由自在に展開させるオープンなタイム感、これらを曲の枠組みが明確なスタンダード曲上で展開することで分かりやすさを担保するバランス感覚、それらの全てを可能にする素晴らしいゲイリー・ピーコック(ベース)とジャック・ディジョネット(ドラム)の存在。ただ、彼のもう一つの特徴である「うめき声」には最初戸惑う人も多いと思われるので8位としてみた。ちなみに慣れるとそのうめき声が彼の粘っこい右手のメロディと絶妙に絡み合って彼の音楽の一部に聞こえてくる。マイルスから「天才であるってのはどんな気分だ?」とからかわれたってエピソードがある。すげーレベルの話だ。
https://www.youtube.com/watch?v=io1o1Hwpo8Y
ジャズがエレクトリック系やフリー系に進化していった中で、「ジャズのルーツ」であるニューオリンズ音楽に立ち返り、それをベースにモダンなハーモニーや複雑なポリリズムを取り入れて新たなジャンルを切り拓いた人。ジャズとクラシックの両方でグラミー賞を取ったというとんでもないトランペットの名手でもある。美しい音色と安定したテクニックは卓越している。彼が確立した、「トランペットが張り詰めたソロを吹く背後でピアノとドラムが複雑なポリリズムで組んずほぐれつのインタープレイを展開する」というスタイルは初心者にも迫力があるはず。ちょっと難解な印象も受けるかも知れないが、その場合は彼の率いているリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラのニューオリンズ風サウンドを楽しむと良いよ。
https://www.youtube.com/watch?v=poZWg-pVboE
https://www.youtube.com/watch?v=ZBJ-MmTA-eU
ギターが入ってねえなと思ったので、メセニーを入れておく。怒るジャズファンもいるだろう。入れるならウェス・モンゴメリーだ、ジョー・パスだ、ジム・ホールだ、と。まあ確かに、メセニーはフュージョンっぽいサウンドだし、ジャズを構成する重要な要素のうち「ビバップ」や「ブルース」があまり感じられないとも言える。しかし彼の音楽には、聞いていて映画のワンシーンあるいは夢でみたどこかの草原が思い浮かぶような、ビジュアルな美しさがある。その辺は彼の音楽を支えてきたキーボードのライル・メイズの空間的サウンドによるところが大きいが、それがメセニー自身の音楽観、独特なソロフレージングと音色と相まって、ジャズを次のステージに進化させたクレジットはあげていいと思う。音楽理論的には結構複雑なこともやっているのだが、あまり感じさせない。特に変拍子へのアプローチは素晴らしく、「口ずさめる変拍子」「心地よい変拍子」を確立している。その辺の聞きやすさでオススメしておく。
https://www.youtube.com/watch?v=ApI-zA6suXE
https://www.youtube.com/watch?v=gDLcttSAVS0
エレクトリック・ベースの弾き方に革命を起こした人。管楽器並みのソロフレージング、ハーモニクスを使ったカラフルなコード演奏などでベースの役割を大きく変えた。細かい音符を自在に刻む指弾きのグルーヴ感は圧倒的。作曲家としても素晴らしい名曲を多く残している。途中からクスリ漬けになってしまって最期は悪態をついていたところを警備員に殴られて死ぬという劇的な人生だったが、ジャコが好きな人はそういう破滅的な「危ない」ところも愛していると思う。俺はそうなる前にシンガーソングライターのジョニ・ミッチェルと共演している頃の演奏が一番好きだが。
https://www.youtube.com/watch?v=Hbr0hXkArWg
https://www.youtube.com/watch?v=TgntkGc5iBo
ディーク・エリントンでもいい。ビッグバンドを一つ入れておこうと思ってな。本当はサド&メル(現在のヴァンガード・ジャズ・オーケストラ)と言いたいところだが、やっぱり若い頃にサド&メルのビッグバンドを聞いて最初はピンとこなかったから、初心者には勧めないでおこう。ベイシーとか、まあ当時のビッグバンドは、やっぱりグルーヴ感がすごい。当時のダンスミュージックだからね。彼らは四六時中ああいう音楽に専念できてギャラもがっぽり稼いでたから、現代の我々が付け焼刃でビッグバンドやってもそうそう敵わないのが辛い。アレンジ良し、テクニック良し、アンサンブル良し。逆にいうと、そういう時代性もあるから、少し古臭く感じるところはある。俺は好きだけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=TYLbrZAko7E
https://www.youtube.com/watch?v=4ZLvqXFddu0
現代ピアノジャズのサウンドを確立したと言っていい人。彼がコードを弾くときの和音の積み上げ方はマジで音楽大学の教科書に載ってるんじゃないかと思う。そういう理論の部分以外でも、彼のやや哀愁を帯びた内省的な音楽性や、ピアノ・ベース・ドラムと対話するように自由に展開する演奏スタイルはとても理知的で面白く、それで多くのファンを惹きつけてると思う。まあ、小説とかにも登場するし、あまり多くを語る必要もない。聞け。
https://www.youtube.com/watch?v=GQwhHdXGFwA
https://www.youtube.com/watch?v=Jl5GDXb2fwQ
https://www.youtube.com/watch?v=FTlKzkdtW9I
やはりジャズに入りやすいところとして一番無難なのは女性ヴォーカルだが、問題は誰を入れるかだ。本当はカーメン・マクレエ、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドといった鉄板の定番を入れたい気もするが、今日現在聞くジャズヴォーカルとしては、ちょっと粋でオシャレな、それでいて正統派のスウィング感をもっていて、テクニックも表現力もあり、ルックスも良く、きっちりセールスも出しているダイアナ・クラールを押す。ただ、このリストの中ではやや異色と言えるかも知れないので、サラ・ヴォーンなどのリンクも貼っておこう。こう言っておきながら、俺は「ダイアナ・クラールが好き」と言うジャズファンには警戒の念を持って、本当に彼女の実力を分かっているのか、うわべだけのシャレオツさで聞いているのかを探ることにしている。
https://www.youtube.com/watch?v=dJHXQAs9vlk
https://www.youtube.com/watch?v=5cZG2WnXPgk
https://www.youtube.com/watch?v=4VHWw9G6_UU
現代テナーサックスのサウンドを確立した人。コードの細分化と再構成、次から次へと繰り出される音の洪水が特徴の一つで、マイルスからは「お前、全部の音をいっぺんには吹けないぞ」とからかわれたとか。まあ、俺としてはそういう音の洪水の部分よりも、ややかすれたような彼のサックスの音色が特徴的で、ひたすら高みを目指す修行者のような人柄を連想させて、聞く人の心に引っかかるんじゃないかと思ってる。「コードの細分化を究極まで突き詰めた先にあったのはコードの制約を取っ払うことだった」という彼のサウンドの進化も悟りの境地に達した聖者を思わせるというところもある。マッコイ・タイナー(ピアノ)とエルヴィン・ジョーンズ(ドラム)もコルトレーンのサウンドをともに作り出す中で新たなスタイルを確立した。この全体のサウンドが俺は大好きなので1位押し。
https://www.youtube.com/watch?v=Lr1r9_9VxQA
https://www.youtube.com/watch?v=xr0Tfng9SP0
https://www.youtube.com/watch?v=YHVarQbNAwU
https://www.youtube.com/watch?v=-mZ54FJ6h-k
以上。
いろんなキュレーションサイトで全部デザインおんなじだなーと思ってたらパッケージ化されていた。(価格は不明)
Clipkit | キュレーションメディア・まとめサイト・オウンドメディア構築
Itnail|ネイル(ペディキュア・フットネイル)のデザイン
gambley [ギャンブリー] ギャンブル好きのためのキュレーションメディア
カリスマトーク 青文字系原宿女子ファッションのキュレーションメディア。ロリータ、ハイファッション、デコラなど。
letme
みんなのオフィス
HALOL -ハロル- | 毎日をもっとカラフルに!かわいい女子のちょい足しハウツーメディア
ついでにキュレーションサイトまとめた。
NAVER まとめ[情報をデザインする。キュレーションプラットフォーム]
iemo[イエモ]
出産祝いの定番つったらおしゃぶりよりガラガラだけど(おしゃぶりは使わない親や嫌う親も多く贈り物には適さない)、ガラガラに性別なんて無いよ。
そもそも大半は色とりどりのカラフルでド派手なもの(その方が赤ちゃんの反応が良いんだとか何とか)。
ギフト需要が高そうな親好みの上質・お洒落系だと、今度は木のおもちゃで自然の木の風合いを生かして云々とかになる。
ベビー服店で売ってるようなベビー服とガラガラのギフトセットであれば性別分けられてる
(性別が分からない場合用の、真っ白とか黄色とかで性別問わない物もある)けど。
あと子供ってのは一人目だけじゃないんだよ。
二人目なら当然生まれた時から上の子の好みのおもちゃが溢れてる中で育つし出産祝いなんかも一人目より貰えないわけだが、
■その1。
発端は、とあるまんが家と喫茶店で打ち合わせている時だった。お互い、ヘビーな美少女ゲーマーだったので、自然と最近のゲームの話になったのだけど、『Kanon』の話になった途端、そのまんが家は激昂し、強硬に『Kanon』を否定したのだ。激昂の理由は後述するけど、普段は温厚なそのまんが家を激昂させた、『Kanon』というゲームはどんなゲームなんだろうか……という興味が(本人には悪いが)沸いたし、何よりも、巷では大人気のはずなのに、筆者の周辺でプレイした人が、まるでいなかったのも気になっていた。
『Kanon』というゲームが、恋愛系ゲームに興味の薄い人間にとって、敷居が高いのは確かだ。コアなファンは多いのに、その面白さはプレイしていない人には、なかなか伝わって来ない。実際、雑誌の紹介記事を読んでも、「今泉伸二のまんがより泣ける!」程度しか分からないし(すまん、古いギャグで)、何より、雑誌ごとに扱いの大きさが極端に違っていた。しかも、筆者は『MOON.』も『ONE~輝く季節へ~』もプレイしていなかったので尚更だ。
……さて、ゲームをプレイしての印象だけども、音楽を含めた演出面は素晴らしいし、シナリオも読んでいて引き込まれる力は十分にある。そういう意味では良質の作品なのかも知れない。でも、正直言って、全体にバランスが悪すぎる……というか、凡庸な部分と突出した部分の落差が激しすぎるのだ。
まず、シナリオに関して、引き込まれつつも、違和感を感じていた。何故なら、どのシナリオも不条理が剥き出しの状態で、そこにあるからだ。この物語での不条理とは、主に[祈り]と[奇蹟]にまつわる部分で、物語の根幹を成す部分なのだけど、物語を形成する要素としての世界観や、恋愛に至る過程といった場所での論理がどれもこれも飛躍し過ぎている。それは、意図的なのかも知れないが、結果、説明不足に陥っている場所が大量に存在するのはどんなものか……と思っていた。
……更に本質的な問題として、エロゲーとしては全く成立していないのだ。これについてはもう論外としか言いようがないし、ゲームとして見た場合、『Kanon』は、整合性というものが全く欠けていた。
しかし……そんな欠点がゴロゴロしているにも関わらず、筆者の評価は悪くない。悪くないどころか、個人的には極めて面白かったのだ。じゃあ、何で面白かったのか……それが最大の問題だった。
話は逸れるが、物語を構築する要素というのは、ウラジミール・プロップの「26のカード」以降、現在では分析され、かなり法則化されている。更に、近代化に伴って、スピリチュアルで曖昧だった物語要素は、更に表層的な記号へ解体され、方程式を組むように商品を作ることができるようになったし、記号の選択と方程式の組み方さえ間違えなければ、ユーザーを「泣き」や「萌え」の状態に導くのも、割と簡単にできる。実際、ほとんどのおたく向けヒット商品&作品はそういう計算の上で作られている。逆に、ヒットしない商品のヒットしない理由とは、作り手の創作性……悪く言えば、偏執的なこだわりがノイズになってしまったケースが大半だったりする。
そして、全ての事象が表層的な記号へ分解されていくこの状況が、この連載で何度も書いてきた[オブジェクト嗜好]の正体で、別の場所では[ポストモダン]と呼ばれていた状況だったのだ。
■その2。
商品として成立させるために、計算によって整合性を高めると、計算できない要素はノイズとして排除されてしまう。例えば、スピリチュアルな物語要素の代表例である[奇蹟]は、近年は「陳腐なもの」として、扱うことを避ける傾向にある。
何故なら、ロボットならいざ知らず、人の生死に関する[奇蹟]は極めて不条理で、論理的な説明が困難だからだ。確かに、『To Heart』でも、いくつかの[奇蹟]は存在したが、論理的に説明できる程度に抑え、逸脱することを防いでいた。これは、日常性の維持=普遍性を、物語世界の根幹に据えていたからだろう。
ところが、『Kanon』の場合は、[奇蹟]を、物語世界の根幹に据えてしまった。作り手が日常から逸脱してしまうことを覚悟していたかどうかは分からない。しかし、『Kanon』は表層的な設定よりも、ドラマトゥルギー的な主義主張が先に立っている作品で、キャラクターの記号性で、その綻びを強引に追補していた。それでも、原初的な物語要素……スピリチュアルな展開、に対する思い入れが強すぎて、全体のバランスが崩れることは食い止められなかった。
これではどう見ても、物語として完結させるのは困難で、ああ、このまま破綻したまま終わるのかな……と思いきや、[奇蹟]によって力づくで完結させてしまったのだ。これはとても希有なことだと思う。
だけども、同時にこの作品は、表層的にも、「泣き」や「萌え」という要素を達成して、商品としても成立している。いわば、作品が二重構造になっており、そのことが先に述べた敷居の高さの原因になっているのだろう。しかし、記号の組み合わせにも、緻密な計算や、意図的なものが、いまいち感じられないのだ。
肝心の文章そのものにしてもそうだ。シナリオの構成自体は随所で破綻しているにも関わらず、文章が独特のリズム感と情念を持っていて、物語に引き込まれてしまう。キャラクター描写やストーリー展開で、同じパターンを反復している箇所も多く、もちろん、ある程度の計算は感じさせるのだけど、全体としては緻密な計算より、感覚を優先したように見える。こういう文章を昔、読んだことがあるな……と思ったら、思い出した。平井和正の小説……それも、『幻魔大戦』や『地球樹の女神』あたりの感覚に近い。
平井和正は、自身の紡ぐ物語を「言霊が降りてくる」と表現していたが、それが結果として、[天然の美]となっていた。単純に比べるには抵抗はあるが、『Kanon』についても同じことが言えるだろう。そして、計算だけでは超えられなかった、魔術めいた部分が、このゲームの最大の魅力なのだと思った。
更に、私見ではあるが、ファンの心性も似た傾向があるように思う。これは、どちらにも共通するのだが、作り手はいざ知らず、ユーザー側が全員、[ポストモダン]という状況を肯定している訳ではない。その状況に戸惑ったり、諦観していたりする人々も存在する。そして、そんな最先端から取り残された人々の存在に思いを馳せなければ見えないものも、また存在するのだ。
本誌(カラフルピュアガール)の若い読者は、最先端の絵柄で上手いという理由だけで美少女ゲームを買うかも知れないが、そういう人には、『Kanon』が売れる理由は多分、分からないだろう。
絵描きにしてもそうだけど、[作り手]と呼ばれる人々は、常に最先端を追い続ける義務感を持っている。そういう人々が、立ち止まることを肯定してしまうような作品を否定するのは、無理もない。冒頭の出来事の原因もまた、そういうことだったし、筆者も、順調に本業だけ続けていれば=最先端を追いかけていれば、こういう視点は持たなかったろう。けれども、筆者にとっては、最先端の行き着くところは[ポストモダン]という名の絶望だったのだ……。
しかし、今回のプレイでの教訓は、[真・善・美]が最先端の中にあるとは限らない、ということだ。問題は、突き進むにしても、立ち止まるにしても、そこで何を成すか、想像力の限界を拡げることができるかどうか、なのだと思う。
■複雑な気分の総括。
真琴シナリオをプレイしていたら、ネームに詰まったかかしあさひろが遊びに来た。そして、後半の反復する連鎖コンボのような展開を見ながら「ああ、こりゃルネッサンスだな」と言った。おそらく、タイトルから何か連想して言ったのだろう。
しかし、これは面白い発言だ。エヴァ以降、完結しない物語が当たり前になり、影響を受けた若い世代は、技術至上主義のビジュアル志向に走り、物語という概念すら放棄しかねないという状況……そんな、進化による閉塞から逃れるための、前近代への回帰として考えると、『Kanon』という、無謀極まりない物語は、微妙な可能性を秘めていると思う。まあ、それは別の閉塞なのかも知れないけど……。