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はてなキーワード: ウェブとは

2015-05-14

ネットにおける英語情報量の多さ

さいきん、何かを調べる時はまず英語で調べるようになってきている。

例えばライフハックみたいなのでも、http://www.lifehacker.jp/ こっちより http://www.health.harvard.edu/ こっちの方が面白い

wikipediaを見る場合でも、http://ja.wikipedia.org/wiki/Lifehack より http://en.wikipedia.org/wiki/Life_hacking こっちの方が充実してる。see alsoから他のライフファックを知ることができるし、referenceの量も違う。

これは他のものでも同じで、経済学でも植物学でも、たいてい英語の方が充実してる。

山形浩生翻訳したエッセイで、ハッカーコミュニティ英語公用語だって書いてあったけど、それだけじゃなくて、ウェブサーフィン程度でもネット公用語英語なんだなあと感じる。

2015-05-08

もう一度(自称)純国産ブラウザKinzaこき下ろす

どうやらもうすぐ1年たつらしい。

が、宣伝活動が目に余るのでhttp://anond.hatelabo.jp/20141204085433に引き続き、こき下ろす

誤認させる広告

まあ私企業なので利潤追求のために宣伝するのは仕方ない。

ブラウザ」を検索しただけで広告が出るありさまだが、何よりも問題なのは広告が嘘を言っていることである

「速い・軽い・便利・安全国産ウェブブラウザ」だと?

まず、「軽い」とは言えない。他のブラウザと比べて特別軽くはない。Chromium派生ブラウザメモリが十分にある環境においては速いが、メモリ消費量が非常に多いので軽いとは限らない。

「純国産」は間違いなく嘘。ソースコードの大半はChromium(by Google)だというのに、純国産だと名乗っているのはChromium冒涜する行為である。もしGoogle本社日本なら間違っていないんだけど。国産と"純"国産では意味全然違うので。

速いのも安全なのも大半はChromiumのおかげなことを忘れているのではないか。

というか、Chromium勝手に改変しているだけなのに、何を根拠に「安全」と言っているのだろうか。Chromeセキュリティ修正目的としたバージョンアップが何度かあるのだが、それについていくとは限らないというのに。

マルウェア広告ほどではないが、嘘広告でうざい。一応マルウェアじゃないのが不幸中の幸いみたいなものだ。

大手出版社にべったり

まあこれも私企業なので利潤追求のために宣伝(ry

ソフトウェアを紹介しているとあるニュースサイトに何度か掲載してもらってるようだ。

多額な広告料を出しているせいかは知らないが、2014年のM大賞にて銅賞を受賞。(これなら、似たようなスタンス+αのVivaldiも銅賞以上はもらえそうだな)

ときおりMトークという記事を独占してもらったりするのだが、これも多額の広告料を出しているのだろうか。

他のソフトと一緒にバンドル

私企業なので(ry

とうとう、他のソフトと一緒にバンドルされるようになったみたい。

インストール任意になっているようなので、別に問題ではない。これも宣伝活動の一環だろう。

修正しようとしないうたい文句

以前、「Google Chrome と同等の機能を実現」とか謳ってることをこき下ろしたが、まだこの文言修正されていない。

H.264MP3AACコーデックDRM機能(Widevine)などが入って初めてGoogle Chrome と同等と言えるのに、できていない。嘘をずっとつき続けている。


以上を要約すると、「ただのChromium派生ブラウザのくせにでしゃばりやがって」かな。

一応名誉のために言っておくが、(ユーザーによる提案によって)他のChromium派生機能にはない独自機能を標準搭載していることは評価する。

だが、その宣伝手法自発的でない開発態度がまったく気に食わない。

ネタできたらまたこき下ろしてやる。

2015-05-06

おっパブ

なんか隊長最近ぶってるらしい雰囲気を感じ取って、隊長記事ホリエモンコム見解表明やCINRAの人のアツい記事及びそれらのブコメを読んだんだけど、

CINRAの人のアツい記事の人気ブコメがいくつか、「ん…?」となって、その手がかりからネイティブアド真相に辿り着けそうなのでちょっとやってみる、

最近ダンガンロンパにハマっているので、手がかりから真相に近づくのに憧れているの

http://b.hatena.ne.jp/entry/taichisugiura.com/685

この何十年の間で挙げることのできる優れたクリエイティブというのが全て「これは広告です」と堂々と見せていることから、考えるべきことがあるんじゃないかね?

「これは広告です」と堂々と見せている、っていうのは、多分テレビCMとか新聞の一面(or見開き)記事ポスター看板のこと言ってると思うんだけど、それに対応するのはウェブではアドセンスバナーフラッシュ広告ニュースサイトとかでよくある、最初記事開くときに出るスキップするやつ)だと思う。

で、CINRAの人やネイティブアドの人たちがやってる(orやりたい)のは、テレビでいう情報番組雑誌で言う記事広告だと思うので、ちょっとこのブコメツッコミは食い違ってるのではないか。

優れたテレビCMは誰もが広告と知ってるのに面白いが、宣伝番組はつまらない。

ガイアが夜に明けろと囁くやつとか、パッションコンチネント、マ◯コの知りたい世界面白いって言ってる人多そう。WBS王様ブラジャーとかも。レイントークの「家電芸能人」好き。

テレビ以下です宣言?CM枠でクリエイティブ映像なんていくらでも見るだろ。文章だって雑誌広告エッセイとか、明らかに広告だけどジンとくるものもあるし。

一個目のブコメと一緒で、CINRAやネイティブアドの人はクリエイティブバナーフラッシュ広告を作りたいってわけではないので食い違う。

広告なのが一目瞭然なJR東海の「そうだ、京都行こう」を引き合いに出して、広告でないように見せかけるネイティブアドへの【広告】表示を批判するのは筋違いというか詭弁

それはそうかも。テレビ雑誌の暗黙的ペイドパブリシティコンテンツを引き合いに出して、「マ◯コの知りたい世界は【広告】って出してないのになんで俺たちは出さなきゃいけないの?」なら筋が通ると思うけど、それはきっとなんか圧力とか力関係でできなかったんじゃないだろうか。

マスメディアには「新聞広告倫理綱領」というのがあるし、広告記事はきちんと明示してある。只の素人http://www.pressnet.or.jp/outline/advertisement/

本当に広告記事は全部明示してあるのだろうか?自分ファッション誌や楽器音楽情報誌について一部の記事特集には懐疑的

CINRAの人がアツくなってるのって、「なんで俺達だけ【広告】とかダサい表記しないといけないの?TV雑誌インタビューとかは【ここから特集広告です】って入ってないじゃん?」ってことなんだと思う。

が、自分メディア人間ではない素人なので、TV雑誌はそういうステルスなのは本当に一切してないのかもしれない。

だとすれば「マ◯コの知ってる世界」やその他列挙した番組に対してはとんだ風評被害をしてしまっていることになる。

今世の中にある、金銭のやりとりが発生するコンテンツ全てに【広告表記強制したら、けっこう鬱陶しくなりそう。

マジックマジカで赤いのが青いのにポッキー渡すシーンで【広告】とかいテロップ出てきたら興醒め。

ツイッターフェイスブックはてブが、TV雑誌ニュースサイトがやっていたコンテンツ広告をやりたいって思った時に、

それらSNS自分フォローしてるユーザーコンテンツしか見れないから、他のコンテンツが混ざってたらもう【PR】なんて書いてなくたって、広告なのがバレバレなので、潔く【PR】って書いてはじめたやつを「ネイティブアド」って呼ぶことにした。

古いやつだと、LDR広告フィードは今思えばネイティブアドだった。

ニュースサイトTV雑誌ではペイパブネイティブアドで、これは【PR】って書かなくても、発信者が限られているのでバレバレではない。

と、なんかペイパブでぐぐったら5年前や7年前の勉強になりそうなやつ出てきた。

http://nabokov.blog.jp/archives/1105285.html

http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0810/06/news075.html

2015-05-04

まんしゅうきつこと青二才、「才能は育たない」という現実

【まんしゅうきつこと青二才

ウェブをずっと見てきてわかったことは、「才能は育たない」というものです。

表現技法を磨くことはできますしかし、面白くない人が、才能を育てていって面白くなるという例は皆無です。

ウェブで出てくる新人はいだって突然、現れます

例えば、まんしゅうきつこさん。彼女は一時期、漫画家アシスタントをしていましたが、結婚して筆は折っていました。何がきっかけかはわかりませんが、あるときブログを書き始めたら、これがウケた。

では、彼女ブログをやる以前はつまらない人間だったのかというと、そうではありません。

彼女はずっと面白い人間で、ただ発信をしていなかっただけです。

このようにウェブでは面白い人間ブログを書き始めて話題になる、というパターンしか新たなクリエイターブロガーは出てきません。

あるいはたまたま見られていなくて、はてブなどで発掘されるパターン

これの特徴は読者が少なかった過去記事も十分に面白くて、本当に「たまたま見られていなかった」というもの

「cityboy.me」がこのパターンに当てはまりますね。

ぼくが「才能は育たない」と確信するきっかけとなった存在が、青二才さんです。

彼は何年もブログをやっています文章表現にこだわっていて、それを磨こうとする意思も感じられます。こつこつとネタを探していて、情報収集をする努力もできます。何より、数年単位で一つのブログ更新できるだけでも、すごいことでしょう。

だけど、彼の文章面白くありません。

彼のブログ話題になるときはいだって「半可通が偉そうに語ってらぁ」とはてブで突っ込まれるというものです。

数年単位でやっていても、面白くなっていかないのです。努力を何年続けても、「面白さ」というコアの部分は磨かれない。これはもう、何をやっても育たないということです。

青二才さんが何年もブログをやった結果、「才能は育たない」ということが証明されてしまいました。

彼にはずっと期待してたりもします。彼が面白い記事を連発するようになったら、ぼくの結論は覆って、「才能は努力によって育つ」と言えるのですから

それは多くの人にとって希望となるはずです。

例えば、今まで映像をやってこなかった人が動画を撮ってみたら、意外なほどの映像センスが発揮された、ということはあると思います

だけど、文章を書こう、面白いものを作ろう、とやってみて、出来なかった人は一生出来ないのだと思います残酷ですが、20年近くウェブを見てきた人間結論です。

2015-05-02

千葉雅也のアンチエビデンス論について」について

10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト

千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note

 最初リンクを「アンチエビデンス論」、二つめを「アンチアンチエビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章アンチアンチアンチエビデンス論と呼ぶ必要はない。

 千葉雅也の「アンチエビデンス論」が出たとき個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチアンチエビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章はいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチアンチエビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である

 しんかい氏は、まず千葉の主張をこのように要約する。

千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡ネット上に残してしまます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。

 そして、その上で読者にこう問いかける――

まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。

 不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチエビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任擁護エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチアンチエビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後

エビデンスを求めようとしなければ、人の思考個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまます

という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる

しかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。

実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)

 さらに読み進めていくと、千葉文章引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。

このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断要求されていると思いますけど。むしろ日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。

 「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手企業だけの話にすり替えているし、しか千葉文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。

マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから

 なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠ほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチアンチエビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?

 この後も、しんかい氏は「アンチエビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。

ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路評論というものを考えてるんですよね。思考論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。

この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇アカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。

 対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージ攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。

ただし、いまや世界的に、ドゥルーズ的な文体にたいする風当たりはかつてより強くなりました。

 これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーターバリーによる教科書引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。

バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。

 また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代エビデンシャリズムからいまだ自由時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニスト難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやす世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。

 だいたい、千葉ポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネット賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニスト問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームしかないのではないか? こうしたカテゴリー混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数無理数混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう? 

 しんかい氏はなぜ、ソーカル事件千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において、しんかい氏は、アンチエビデンス批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマ場合科学数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛ものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである

 貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学科学プログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明ものだし、別に大陸哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。

 ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学モニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。

徹底した大学のモニタリング | 広島大学

2015-04-30

つかれたにゃんもういやにゃん

俺んちのポストをお賽銭箱と間違って道行く人が金を投げ込んで行ってくれたらいいのに

ネット民ネット乞食を叩きまくるのにどうして神社は大切にするんだろう

ウェブ投げ銭ウェブ賽銭と呼び乞食のことをご神体と呼べ

国民宗教法人化で非課税にゃん

2015-04-14

会社設立のしかたがわかる本」を読んで、会社設立してみた

 ちょっと会社設立する必要がありまして、よさそうな本を探していて、結果、以下の本を購入しました。

「ダンゼン得する 知りたいことがパッとわかる 会社設立のしかたがわかる本」

http://u111u.info/jXOK

 で、この本を読みつつ会社設立作業をしてみたところ、ちゃんと設立できました。なので、他にもしかしたらもっと良い本があるのかもしれませんが、僕の個人的実体験として、この本で問題なく会社設立できた、ということをお伝えします。

 ただ、いくつかの点において、後から考えるとこうしておいたほうが良かったということがありますので、以下列挙します。

・定款認証設立登記申請も、事前にいくら相談していても、当日に誤植発見されることがあります。その際に、訂正印で直すのは面倒なことがあるし見た目も汚くなるので、持参書類を、docファイル等の編集可能なデータでも必ず持っていきましょう(USBメモリとかで)。その場で編集してもらえますし、製本もしてくれます。なお、もちろん、紙でも持参してください。

設立登記必要な「払込を証する書面」は、書籍には通帳の該当箇所をコピーして云々と書いてありますが、じゃあ、ネット銀行を利用していて通帳がない場合にどうするべきかという話について。

 まず前提として、払込行為は、単に口座に資本金総額を超える残高があれば良いということにはなっていません(この点は何度も法務局確認しました)。一人会社であっても、自分の口座から自分の口座に実際にお金の動きがないとダメです。つまり、払込先口座が自分のB口座とすると、自分のA口座からB口座にお金を移す必要がありますし、払込先口座が自分のA口座であれば、A口座からB口座、さらにもう一度B口座からA口座という形お金を動かす必要があります。その上で、払込先口座をウェブ画面で確認の上、銀行名・支店名・口座番号・口座名義がわかるページと、資本金払込額がわかるページをプリントアウトします。

・わからないことがあったら、法務局登記相談窓口に電話しましょう。あまり混んでいませんし、何度か電話たかぎりでは、どのかたも全員、非常に感じよく対応してくれました。

東京法務局場合、以下の電話番号です。

042-540-7211

http://houmukyoku.moj.go.jp/tokyo/static/26.3.31_onseiannai.pdf

2015-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20150412042233

なんとなく身につまされるものを感じたので、書き込んでみる。

大前提として、それはディレクターという職種問題というよりは、そのディレクター仕事ができていないということな気がする。

なのでアウトプットクオリティが低ければ、それはディレクター責任で、エンジニアデザイナーは、ディレクターの引いたスケジュールディレクターの出した指示だと当然こうなりますということで泰然自若としていればよろしいという気がする。筋論としては、エンジニアデザイナー別にそこでストレスを溜め込む必要はないはず(これが一番言いたい)。

個人的にはディレクター必要職種だと思う。

客とコミュニケーションネゴシエーションしてニーズを形にするのが仕事

「知識が中途半端なのはある程度仕方がないかもだが、わからないことはその場で知ったかぶりで安請け合いせず安全側に倒して持ち帰ってもらうようにしないと困るね。

自分デザインディレクションコーディングディレクションもできるフルスタック人間がいるのが理想ではあるけど。増田の書きぶりだと職種自体存在意義を疑っているみたいだけど、ディレクター仕事が何であるかを理解するのも、マイナスにはならないと思う。そういう本やウェブ記事などを読んでディレクションの知識をつけるのも悪くないのでは? すくなくともディレクターが言っていることがおかしいと思ったとき漠然とではなく根拠づけて反論する材料にはなる。

あとなんか、職場で口頭で指示を出されたりしている雰囲気記述だけど、タスク管理システムとか(ToDo管理イシュー管理チケット管理言葉は何でもいいけど)、メールや口頭でのものとは別に、やるべきことをブレイクダウンして項目を立てて共有/アサインできるシステム職場全体で使うべき(使っていないなら)。それをやれば、個別タスクごとに、これは時間があればこうできるけどいまの納期だとこうしかできないとか、そのデザインの指示だと全体から見てこういう齟齬があるのでその指示の根本的な動機を教えてくれたら考えますとか、これはディレクター仕事なのでディレクターアサインしますね(^^)とか、論理的に切り分けした回答ができて、なおかつそれが共有でき、記録にも残るので、漠然とした話ではなく個別具体的にネゴシエーションができるのではないかと思う。

うちはGitHub Issueでやっているけど、なんでもよい。

エンジニアだけでなくデザイナーディレクターも入ってもらって、そこに書いてないことはやらないくらいの気で、全員で本気で使わないと意味ない。

これは目下の不満とは関連付けずに提案したほうがいいかもね。

土日が奪われているとか、そんなので続くわけがないし、客観的に見てダメなので、改善必要なことは明らかで、問題提起すべき。

あと自分無意識のうちに土日出勤や残業を前提にしたスケジュールを提案してないか?

書きなぐってしまった。

大半余計なことかもしれません。

権限責任範囲確認しといた方がいいんじゃないか。

> これに対してなんで、相談なしに決めてくるのか、納品できなかったときお前はどう責任とるんだ、責任取る気はないのか

これはそのとおり。オブラートに包み方がむずかしい。

ディレクターにあれこれ注文をつける「権限」があるのは、出来上がったものの最終的な「責任」をディレクターが全部負うからだよね。権限責任がセットになってる。

> 他のチームメンバーはそれぞれ自分の専門分野について、コミットした仕事を全うする責任はある。でも要求される仕様納期に今のリソースで無理なら無理ですとディレクタに言うのもプロとしての責任ひとつ。そうなった時に解決策を考えるのがディレクター仕事(顧客と折衝して仕様を変更するとか、足りない部分について専門家を呼んでくるとか)。

これもそう思う。

2015-04-11

PCに詳しくなった理由

情報系の専攻で修士卒。

最近仕事関係で異分野の方と接することが多くなりました。

そうすると、初めて触ったソフトウェアでも操作の勘所をすぐに掴むことができたり、ウェブセキュリティに関してそれなりの知識があったり、ちょっとした自作プログラムなら手早く作ってしまえたりという、情報系の出身の人なら大概持っているスキルに甚く感動されることになります

特に、相手が年配のマダム場合自分の息子や娘にそういうスキルを身につけさせるにはどうすればよいかという疑問を持たれることが多々あります

こういうとき自分経験を正直に話すことができず、適当言い訳をするのに苦労します。

皆さまご察しのとおり、コンピュータ関連の実力を大きく引き上げるのはエロであることに疑いの余地はありません。

まず、自分が望むポルノコンテンツを見つけるため、検索エンジンを使って試行錯誤を繰り返すのは基本です。思春期の性欲に突き動かされた執念というのは凄まじいもので、効率的無料ポルノへ辿り着くための道筋を着実に学習していきます

また、それと同時に、いくつかの困りごとにぶつかることでしょう。代表的ものに、共用PC検索履歴が残ってしまうということが挙げられます。初めてエロ画像を堪能したあと、検索エンジン予測候補や閲覧ページの履歴に、ポルノサイトが残っていることに気づくでしょう。これを家族に見られたら……、考えるだけでも背筋が凍ります。そこで、必死になって履歴の消し方を検索し、さらに次から履歴を残さない工夫を施すようになります

他の困り事としてよくあるのが、ワンクリック詐欺サイトです (昔はダイヤルQ2とかありましたね)。エロ動画へのリンククリックすると、突然、料金支払いを求めるページが現れます心拍数が急上昇し、頭がくらくらするのを堪えながら、対処法を探さなければなりません。検索エンジンを使って情報を集めていくと、IPアドレスなどの用語インターネットの仕組み、通信販売での料金支払の形態などがわかってきて、料金の支払いは必要ないこと、そもそもサイト運営者側からは個人の特定が困難であることなどを学びます

その他、学べることは枚挙にいとまがありません。エロへの執念は、情報リテラシーを身につけるのに十分なほど、学習の機会を与えてくれます

こうして、コンピュータの扱いに慣れさえすれば、そこからコンピュータアーキテクチャプログラミング言語、通信のプロトコル大学で学ぶことな造作もありません。

ということを正直に話すと、たぶん、マダムが私を見る目は激変します。偏執的な変態人間のクズというレッテルを貼られ、腐った生ゴミのような扱いを受けることになるでしょう。

 

しかし、だからこそ私はここで高らかに宣言したいのです。人類進歩はすべてエロスに支えられているのだと!(主語が大きい)

2015-04-09

アフィとかがない時代ウェブがなつかしいよな。

http://anond.hatelabo.jp/20150408193907

その気持ちはわからんでもないよ。

今みたいにステマだのなんだのと

疑うことに神経を使わなくて済んでた時代だ。

あの頃は、見返りを望まず本当に何かを伝えたい人間けが

ホームページを作って、掲示板も開いてた。

根性一定以上のスキルがある者だけが

でも、あんな時代は、もう戻ってこないんだ。

クソみたいなステマと嘘、釣りだらけの世界で生きていくしかない。

一昔前だと、無料ウェブスペースのポップアップ広告がウザくて

ちょっと知ってる奴は、だいたい

ポップアップブロックフリーソフトを入れてたよな。

そういうのを自慢気に紹介して、玄人を気取ったりしてたもんだ。

今では、ポップアップブロックが標準装備されてて

変なサイトへのアクセス自動シャットアウトしてくれるブラウザばかり。

そんでもって、スマホ操作はピチピチの若いもんのほうがよく知ってるし、文字入力だって相当速い。

昔のウェブのことを知って、何を誇れるってんだ。

昔のウェブを話しても、煙たがられるだけなのがオチだ。

かといって、誰かをこき下ろしても、自分の誇れるものが得られるものでもない。

年老いた自分に、いったい、何か誇れるものがあるか?

それが、ぼんやりしててわからないというのは、つらいよなぁ。

うそう。そんなもんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20150408194936

世界インターネット人口は増える一方。

単に元増田ウェブに飽きただけ。

なのに、ウェブの作り手を批判するたぁ筋違いもいいとこだ。

XvideosやPornHubでも見て頭冷やせと言いたいね

この件はゲーム界隈やコミック界隈でも言えるんだけど

なぜか元増田みたいなやつほど声がでかくて辟易するよ。

現役でバリバリ楽しんでる人らの水を差すOBなんざ

害悪しかないのだからね。

2015-04-03

まれて初めてのanal sex

まれて初めてアナルセックスをした。

以前渋谷ナンパした女とだ。

ナンパした女はアナルけが手がかり。

挿入したら意外と簡単に入った。

おお、こいつはいいw

爆乳なのにアナルは締まるなw

おれはこいつのアナルビル階段で思い切り舐め回した。

と不意に過去に好きだった女の子を2人思い出した。

こうなってはアナルセックスせずにいられない。

タカタカタ。ターン。

こいつも簡単に見つかった。

写真多すぎ。こいつ顔変わったな。

男のアナルなめる仕草は相変わらずなのかな。

あれ、もしかしてもっと同級生もいたりする系?

おれ生まれて初めてだから誰がアナルやってるのかもわからないわ。

ほとんど誰とも連絡とってないし。

タカタカタ。ターン。

うわいっぱいいる。いっぱいいる。

太ったなこいつ。

写真多すぎw

そしてなにこの中学生の時の友人のアナル比率の多さw

アナルセックス意味あるのかよw

でもある程度いいアナルの奴はやっぱ幅広く拡張されてるな。

しかしみんなアナルに近いところにほくろがある。

てか、こいつ結婚してんのか?!

え、こいつも!?

こいつも!?

という感じで、やや鬱になりつつアナルを舐めた。

こんなはずじゃなかったのに。と

まあでもそいつらのアナルより俺の彼女アナルのほうが完全に可愛いんだけどね。

でも昔あまり気にとめなかった女の子アナルすげえなと思った。

というかアナルセックス写真載せる奴の気が知れない。

一生残りうるデータなのにみんな阿呆すぎる。

せめてインスタグラム普通セックス撮るくらいにしとけよと。

結局過去に好きだった女の子のもう一人はいくらアナル挿入しようとしても嫌がった。

おそらく痔なんだろうな。

複雑だがそれが現実であり本来の姿と思いつつも、時の流れの無常さを感じた。

結局こいつらはなんのためにアナルセックスをしてるのか。

50年後には大抵の人間が死んでいなくなるのに、未来永劫残りうるアホみたいなアナル写真ウェブ上に残して。

http://anond.hatelabo.jp/20150403010215

2015-03-22

メメオチューンの件、序盤から観戦してるけど

メメ擁護大勢を占めてると思うけどさ、んでオチューンが多分クズなのは透けて見えるけど、それでもなんつーかメメきついよなって思うのは自分だけなんだろうか。

序盤からこの一件観戦してるけど、結局のところメメオチューンに「バカにされた」ことがこの争いのキッカケなわけでしょ。許せなかったのだろうけど、「バカにされた」からといってセックスの(しかもややアブノーマルな)ことをさ、あんな開けっぴろげに公開しちゃうのはきっついなと思う。オチューンがその辺なんとか堪えられる女のことを舐めてるクズからよかったけど、自分だったら仕事行けなくなってしばらく引きこもって職失ってたと思うもん。そう考えるとやっぱきっついなと思うよ。メメコイツはこの程度のことやり返しても大丈夫なやつだって判断したんだろうけど。

あとは5千円貸してた件か。これがなかったらきっと大事にはならなかったんだろうね。オチューンが女のことを舐めきってるから、はっきり言ってしまえば快楽の道具っていうか人格を踏みにじっても関係ない家畜くらいの感覚で接してるから軽いノリで借りたんだろうけど、これはよくなかったよね。とっとと返せばよかったけどそれは結果論から。あんなえげつない暴露されたらさ、返してなるもんかというか、もう関わりたくないってなるのは当然のことだと思う。メメは初手がきつすぎた。でも「ネットに書くよ?」とは聞いてるわけか。まさか書くわけねえと思ってたんだろうなオチューン。普通は書かないよそりゃ。相手がきつすぎた。

でもよくよく考えてごらんよ、レイプされたわけではないんだよ。ナンパで上手いことセックスに持ってかれたくらいのことじゃん。それって自己責任だよね。もちろんメメの主張する争点は「バカにされた」のところなんだけど、一通りやりとりを追う限りよくあることじゃん。それをキッカケにあの暴露はないよ、めちゃくちゃセンシティブな話でしょアナルセックスって。平手打ちに対してナイフで突き刺しに行ったようなもんで。しかメメは事前にビッチキャラアピールしてたわけでしょ、ネタはいえ。それをウェブ上でもやってオフ会っていうリアルでもやってたらさ、ネタだなんて分からないでしょ普通。いくらフルスタックネットウォッチャーと言えどもさ、分かんないよ。てかなんだよフルスタックネットウォッチャーって、ラノベかよ。

増田にしたって、メメ執拗攻撃してたかイライラボルテージが臨界点超えて書いちゃったわけでしょ、あれはオチューン2つ目のミスだよね、致命的だけど。オチューンはだんまり決め込むっていう賢い戦術展開してたのに、あれはやっちゃったよね、我慢できなかったんだろうね。でも気持ちはわかるよ、あんだけ言われたらなんかやり返したくなるよ普通。いくらフルスタックネットウォッチャーでも。ラノベかよ。

九谷女子の件は知らん。あいつらの対応しょうもない上に大して面白くない刺身つまみたいなもんだからな。飾りなのに燃えてんじゃねえよ、2点盛りが主役なんだっつーの。この件で初めて九谷女子名前知ったよ。かえって知名度上がったんだからマイナスプラスに変えられるようにせいぜい頑張れ。陰湿いじめっ子集団というイメージが浸透はしちゃったけど、矢口真里あたりと比べたらダメージなんて無いようなもんだよ。結局、岡田育いがいの名前覚えられなかったし。

あと一応名前出すけど、この件に置ける斉藤氏の存在は味わい深くはあった。酢豚に置けるパイナップルのように。

で、まあ言いたかったのは、普通な泣き寝入りするところをネットの力使って反撃にでたメメだけど、やり方がきつすぎ。完全にエンターテイメントじゃねえか。楽しませてもらってるけど、メンタルきついだろ。今回の受験はあれだけど、次回は頑張れな。色々上手くいくといいな。

2015-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20150318203026

印象操作が上手いほうが「勝った」ふうに見えるものよね。

リアルとなんら変わらない。

久谷女子 内容証明」「久谷女子 謝罪」「久谷女子 トラブル」「久谷女子 オチューン」「久谷女子 ゲス」で検索し続けることにするわ。

ウェブ成り上がりウェブで勝った者たちには、ウェブによる制裁を。

2015-03-02

腑分け」の意味ってなんだろう

腑分け」って元々は人体解剖を意味する言葉で、

そこから転じて「ある物事構成要素を、一定基準に基づいて最少単位まで分けて調べる(一語いうと「分析」)」

というような意味だと解釈していた。

例えば、「正義という概念腑分けすると、①個人の取り扱われ方が通時的一貫性をもち、②諸個人の間での取り扱われ方が非恣意的で、③不平等な取扱いは、正当な基準に応じた比例性が必要となる」という風に。

しかし、どうやら単なる「物事識別する、分ける」程度の意味でも使われている様子。

例えば、「雄と雌とを腑分けする」、「本物と偽物とを腑分けする」、「政治文学とを腑分けする」といった使われ方。

そこで「腑分け」の意味を調べるべく、手持ちの辞典にあたっても「解体、解剖」を指す言葉しか書いてない。

ウェブ検索で「腑分け 意味」を調べるとこういうページがでてきて

最も小さな詳細まで分析する [英訳]

腑分け:例文

この作家は、人間行動の深さを分析した

とあるのだけど、単なる「物事識別する、分ける」という用法には触れられていない。

じゃあ単に「物事識別する、分ける」の方は誤用かと思い、

ウェブ検索で「腑分け 誤用」と探してもそれらしいページには出会えない。

腑分け」の意味ってなんなんだろう。

2015-02-17

副業としてウェブショップ経営して1年

職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。

ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。

たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい

ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。



カラーミーで十分すぎた。

カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。

しかし、現実ショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。

オンライン現実世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。

ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである

これを楽天などで商品検索した場合、あるいは楽天ネットサーフィン()したと考えてみる。

キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。

そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。

そんなショップ跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。

真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。

から、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。

ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。

ただイプシロン、あんたの手数料は高すぎる。

ウェブ上の卸販売は役に立たないし、流行ものや被服は扱わなくて良かった

オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww

流行個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。

均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。

まるで諸行無常激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。

ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。

最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。

から、正直に自分が欲しいと思ったものしか仕入れない。

流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。

服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。

廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。

普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。

輸入品を扱うなら通関だけはしっかりやれ、わりとマジで

すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから

ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。

輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。

消費税関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格計算するのかが異なる)。

稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。

ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局手数料であって税金ではない。

オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。

オークションの利用料と関税率消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。

利益度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。

まり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。

ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます

だって、偽りの輸入申告で脱税しているわけですから

大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。

何をどの時期に輸入しているか郵便局税関接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。

ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます

それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。

個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます

日本人の誠実さ()キャンセル言い訳について

会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。

キャンセル理由第一位は「入院病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である

多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。

きっと、このような理由休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。

それくらい、使い古されてカビ臭いいいわけなのである

本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったかキャンセルという理由根拠が分からない。

転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。

要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。

これを本音と建前という日本人文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。

「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。

いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである

そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。

それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。

あと、お客様神様だけど貧乏神もいる。

追記(2015.02.17)

1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。

学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章統一が取れていませんね。

自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります

貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。

さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます

追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています

副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語習得して、クメール語も覚えました。

これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。

それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語勉強しました。

というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらから借用語が多い言葉です。

ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。

名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!

…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉ルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています

率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。

実に恵まれていると思っています副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています

というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます

「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます

しかし、その経験が職場於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています

通関業者税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。

ですが、通関業者収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。

それがドレージ費であったり、税関検査費であったりまます

(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)

相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります

そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当費用か否かが判断の一助となります

というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろ上司から言われます。(もちろん任意)


  • 自分の方法が全てではない

というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。

ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。

ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています

ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています

現在ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります

しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。

続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)

それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。

「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。

これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。


これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。

しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います

密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。

オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています

実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。

もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。

しかし、購入者一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。

例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから

ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化形成されるのかもしれませんね。

本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。

いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。

これは例外なく私にもあてはまり私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。

深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります

そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります

その時のショップの対応は素晴らしかったですね。

そして、自分がその立場になってみて「はいはいたか」と思いながら、受注キャンセルボタンポチりしているわけです。

相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。

この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます

舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議感覚です。

忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセル!!!

いらなくなったから、受け取り拒否ってどうなの?

あれだけは本当にやっちゃならん。

マジでこちらは一方的に損失しかでない。


  • 「誠実で真面目な日本人」について

なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。

これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。

これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。

また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。

しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います

というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているかであると思うのです。

私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。

そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます

反論として提出されるであろう統計的データを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。

私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータコミュニケーションをしていないのです。

そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。

なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。

自分の脳内補正をかけて書いた典型的な悪い文章でした。

しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。

Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。

私にはそれが足りないため、宴会場にいるやさぐれた酒飲みの説教みたいなものとなってしまいました(ブコメ回収2つめ)。

ということで、仕事から帰って、今日の分の出荷も記帳も終わったので長々と追記を書いてみました。

2015-02-16

最近さ、ChromeGoogleウェブ検索して、そこから画像」に切り替えると

ものすごく重くなって画像が表示されるまで30秒以上かかることがある。

もしかして、貯まったキャッシュやらクッキーやら履歴問題なのかと思い、それらを全て消去してPC再起動してみたけど変わらず。

アドブロックとかの重くなる原因になりそうな拡張機能もOFFにしたけどやっぱり変わらず。

ところが、同じ操作シークレットウィンドウですると普通にサクサク表示されるの。

ここ1-2ヵ月くらいでこの現象が起こるようになったんだけど、どうしたら直るんだろう・・・

2015-02-12

死んだら自動公開されるウェブサービスキボンヌ

日経に『自分が死んだら、ネット上の書き込みを削除してくれる』サービスが紹介されていた。ウェブ上の終活

 でも自分はむしろ、逆のサービスキボンヌ

 『予め非公開のエントリを用意。自分が死亡したら、そのエントリが公開される』。

 そういう『死亡解除条件付き公開エントリ』の方が、実はニーズあるんじゃないか?

★『自分が生きている間だと、いろんなしがらみで、公開できない』が、

 『後世のためには世間情報公開しておきたい』内容って、結構皆抱えているんじゃないかと思う。

 例えば現役時代職場での出来事とか。

 そういう内容を、『エントリ主が死亡したことを確認できれば、公開』するサービスがあれば、受けると思う。

職場での守秘なやり取りを、本当は公開したいのに・・・という人は、結構いるんじゃないか?

 でも生前に公開すれば、下手すれば名誉棄損とか様々な罪に問われる危険性。

 なので、『そもそも罪に問いようもない、死亡時点で公開ステイタスにしてやれ!』という

 『あとは野となれ山となれ』なニーズは大きい。

最高裁法務省ケンカを売っておくと、

 『自分が死亡した時点で、裁判員裁判評議内容を公開ステータスにしたい』という元裁判員結構多いと思う。

 世の中に公開したいのに、『生前では、評議内容公開が裁判員違反』だから、死亡時点まで公開保留し、

 (罪に問われようがない)死亡を待って公開する。

 そういう元裁判員な死者が増えたら、最高裁法務省がどう対抗するのか興味ある。

http://anond.hatelabo.jp/20150211201344

実用書、学術書、翻訳書、自費出版ウェブモバイル電子書籍

あたりの編集経験あるんですけど

編集者って一体何の仕事をする人なのか?」

について、共通して言えるとすれば

読者と著者の仲介作業はぜんぶ編集者仕事

ですわ、と。

元増田書誌情報上の「著者」だとして

今回の「仕事してない編集者」のアレなところは

からも見えやすい部分だからおくとして


・「ライターはつけず、あなた執筆していただきたい」と言われたので承諾した


というフレーズから想像できるのは

「著者としての元増田執筆能力不安ゼロなわけじゃないけど

「カネが潤沢にあるわけじゃないし、ライターはつけられない

「だから元増田がぜんぶやってね、できるよね?

という版元の微妙スタンス

インタビューなどに行く場合は、私が相手とコンタクトをとり日程を取り決める。出版社からは私と相手ふたりあわせて1000円のみ支給。(珈琲代にもならない。相手への謝礼は?)


この一節なんかも

元増田に「自分の著書に必要インタビュー」という認識あれば

しろ取材費が出たのはラッキーと感じたろうし、

版元の指定で「やらされ感」あったからこそのコメント、だとすると

やっぱり純然たるコスト削減した制作体制、ってだけな気がしました。

なお、デザインとかタイトル変更とかは

著者の意見は聞くけど

出版側が製造費っつーリスクを負うぶん

「提案とかけはなれたもの」になることは往々にしてある。

著者とのすりあわせが出来ない編集

営業の意向を早めに汲める能力があるとは思いづらいので


総合して覚える

「ですよねー」感。

なにしろお疲れさまでした。

iPhoneメール

たまに既読ステータスが同期しないのあるのなんで?

フォルダみても未読のないのにずっと未読ありになってて、バッジもずっと未読メール数表示されてるのすごく気持ち悪い。

一旦そのメール開いて、メールボックスに戻っても既読にならないときある。

ウェブから既読にしてる。マジクソ。

2015-02-05

ウェブプログラムって設定ファイル弄ったりコマンド入力したりばかりで

作業してる感はあるけど全然考えない

2015-02-01

グーグル検索結果のタブをシャッフルすんの今すぐやめろ

なんか検索ワードによって「ウェブ」「画像」「動画」とかのタブの順番が並び変わってるっぽい

これに気づくまで、画像タブ開こうとしたら動画タブが開いたりしてなんじゃこりゃ?ってなってた

こんな糞UI見たことな

いいか、何か物を使うことに慣れてきた頃の人間はいちいち文字なんか見てないんだよ

位置で曖昧記憶してんだよ

シャッフルされたらいつまでも「慣れる」ことが不可能から今すぐやめろ

2015-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20150131173108

登録も退会も情報更新も同じHTTPプロトコル使うウェブシステムってださいよね、見えないところでIF文だらけじゃねぇか

何でもできるHTTPプロトコルかよ

2015-01-30

統計学(笑)データ分析(爆笑)

ある大手チェーンのスーパーであったこと。

  

そこは東京近郊の駅前にあって24時間営業の店なんだけど、朝の6時~8時はレジを2~3台で回していた。

でもある日、上の意向でこの時間レジは基本1台のみで回すことになった。

レジの回転率の数値を見て1台で充分回せるとわかったため経費削減の判断だ。

  

しばらくレジは1台で回していたのだが、ほどなくしてこの時間帯の来客・売上げはかなり落ちてきた。

レジの稼動を1台に絞れという判断は、来客が少ないのにレジに余計な人件費をかけるという

無駄を事前に防ぐことができたとその判断自体はそれなりに評価されたらしい。

  

  

でもこの時間帯に現場で働いている人間バイトでも知っている。

来客数・売上げが落ちた理由は稼動レジを1台に絞ったためだ。

確かにレジ1台でも充分裁くことができる来客数だったんだけど1台だと常にレジに列ができている状況だった。

この時間帯に来る客は、主に通勤前のサラリーマンとかだ。

レジ前の列を見ると、舌打ちして出ていったり、商品を選んでた客もカゴごと投げ捨てて出ていったりする。

レジに並んでいる客もぴりぴりしている。

  

簡単な話で、夕方に夕飯用の買い物のために来る主婦とかは

レジで5分以上待たされようが時間の余裕があるし夕飯を買わざるを得ないので列に並んでくれる。

しかし朝の通勤客は時間が無いのにレジで5分も並ばないといけないとしたらかなりのストレスなのだろう。

朝の6時~8時にレジに並ばないといけないスーパーという認識だんだん定着して通勤客の客離れをおこしたのだ。

その客はコンビニとかに流れたと思われる。

  

  

あのスーパーバイトをやめてから数年たった。

自分はある企業ウェブ周りの仕事をしている。

ウェブ訪問者の顔が殆ど見えず数値しか見えないのが怖いが

あのスーパーと同じ過ちをしないようにしたい。

---------------------

■追記  1月31日(土) 10時30分

  

 売上げが下がっても利益が上がっている(or赤字が減っている)可能性があるとの指摘が多い。

 正直バイトだったのでそこまで細かいことはわからない。

 ただ感覚であるが、時給1,000円以下のバイトレジ1台動かすコストより、 来客数の減少・利益減少のほうがあきらかに大きいように思えた。

 それにあきらめた客は商品適当なところ放って帰るから元の位置に戻すの結構大変な稼動なのよ。

  

 また売上げ自体が減ってきた時に問題視されていたようなので

 レジを1台に絞ることによる来客数・売上げ(利益)の減少が想定内であったとは思えない。

 そもそも上の人は売上げが減ってからもこの因果関係は気づいていなかったと思う。

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