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2023-09-27

anond:20230925122647

いくら勉強したしっかりした内容を書いても、論壇誌は紙かつ有料なので読まれない。

他方で無料ネット記事は、いくら質が悪くても、というか質が悪いほど恐ろしい勢いで拡散する。

こういう状況になってから既に20年近く経っていると思うけど、論壇人や論壇誌編集者危機感を持っているのだろうか。

2021-11-21

ドイツナチス切断処理して責任放棄しているというデマの成立につ

ドイツナチスが絡むと必ず出てくる言説で、ここでもやはり大量に見られる。

はてなブックマーク欅坂46立憲民主党議員も…「ナチスをもてあそぶ日本人」にドイツ人がドン引きする理由 | 文春オンライン

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/50047

 

なんかズルいなあ。現ドイツナチスとは別で第2次大戦は全てナチスが悪いっと言ってる感じ。昭和天皇責任から逃げなかった。

コイツ祖父や祖祖父世代ナチスを指示したかナチスがああなった。ナチスに全てをおっ被せているのは否定できないだろうよ。

ナチスこそが全ての原因で邪悪悪魔国民はその被害者という形にしないと成り立たないのがドイツ。想起するあらゆるもの排除っていうスタンスは、他のジェノサイド等の件では全く見られない特殊もの

戦争責任ナチス押し付けたからこそ、「我々一般ドイツ人とは違う狂信的な集団」として極端にタブー視する必要があるんじゃないか穿った見方をしてしまう。

そりゃ「ナチス党を絶対悪においてドイツ人が悪い訳では無い」というスタンスからな。だから謝罪賠償もしない。外から見ると「ナチスドイツ」だけどな。

 

ちょっとこのデマがどこで生まれたか解説したい。

この言説の出元はズバリ西尾幹二である。といっても西尾が「西ドイツ(当時)はナチス切断処理して反省拒否している」と言ったのではない。

 

敗戦40年ヴァイツゼッカー演説と受容

前年に西ドイツ大統領に選出されたヴァイツゼッカー1985年連邦議会で後に有名となる演説を行った。西ドイツ大統領米国米国政体モデルにした韓国のようなものと違い、首相の上に立つが実権力は少なく元首のような役職だ。

この演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」の節が有名で、要するにナチス蛮行責任戦後ドイツ人は引き受けねばならない、蛮行に手を貸していないと言い張るのは許されないとの内容だ。

この演説岩波の『世界』が取り上げて掲載し、後には数百円のリーフレットも発売した。「戦争への反省モデルケース」としての評価であるのは言うまでもない。

因みに『世界』は敗戦後に相当な影響力を持った論壇誌だったが、経済成長全共闘進歩派攻撃などによって影響力は下がっていた。だがこのヴァイツゼッカー演説掲載反響を呼び、リベラル人士に挙って引用されるようになった。

 

ところで複数人編集されるwikipediaヴァイツゼッカーの項は、演説内容が「悪いのはヒトラーナチズムであり、ドイツ国民民族被害者である」だったとの節と、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。」との引用文が併置されるという面白い状態になっている。

 

西尾批判

この盛り上がりに対し、ドイツ文学者西尾幹二文藝春秋社『諸君』で批判を加えた。

演説文章をよく読んでみると、ドイツ国民の直接の罪は回避されている」「ナチスの罪はドイツ国民個人に無い事が前提となっている」という内容だ。

そして「日本戦争犯罪と違ってナチスの罪は人道に対する罪であって国家のもの犯罪国家責任の取りようが無い」。

責任が取れない種類のものを引き受けると言っているのだから欺瞞だ、という事だ。

 

これは文章解釈であり、悪意を持てば文章は逆の意味解釈する事も出来る。(「ナチスの手口に学べ」は反語だ、など)

それは言語堕落だが、西尾がそう評価されなかったのはニーチェ思想を専攻とする文学者の実績があった為だ。例えば中央公論の『世界の名著』シリーズニーチェ編纂解説西尾である実態が無い〇〇総研勤務や過去論文紀要に全くない文学研究者バイト以外職歴不明動画投稿者ばかりで構成される昨今の保守論壇と当時は全く違った。

それ故、西尾批判は「無邪気な戦争責任論への懐疑」として評価されていた。ヴァイツゼッカー演説リテラル文字通り)の内容は、云わば民族原罪論のようなものなので、それに対してニーチェ視点から欺瞞を突きつけたくなるのは無理もない。

 

但し、

民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります

の様な一文を持って「集団が免責されてる」という辺りはニーチェもへったくりもなく単に低質なデマだ。あとで触れるがこれをやり始めたのは小林よしのりだ。この文章は「当時にも残虐行為タッチしていない人間は居たがその罪は国民は免れない」という意味からだ。

から西尾哲学的文脈好意的評価する時、こういう所は無視して、ユダヤキリスト教道徳類似した欺瞞を指摘した、と評することが多い。

だが西尾ニーチェ専攻にも拘らずにルサンチマン駆動させられやすく、「切断処理を表明する演説」論者にのせられてそう言っちゃうのよな。で、論壇が経歴不明バカ宗教右翼で埋まってパージされると冷静さを取り戻す、というのをずっと繰り返している。

言説の変容

90年代前半までとその後の保守論壇というのは質が全く違って、例えば引用したブコメで言うと、

から謝罪賠償もしない。

とかは今は普通に見られるが、当時ならあり得ない。何故といって日本交戦相手の米英仏豪に謝って賠償金を払っただろうか?勿論していない。

フィリピン以外の賠償金は全てチャラにして貰った。特に米国自国民間企業に対しても対日債務は諦めるようにした。ドイツも同じスキームだ。

そして日本はそれら交戦相手連合国にチャラにしてもらう代わりに戦場となった主に東南アジアに対して復興後の開発援助を約束した。これらの戦後処理を全てやったのは自民党であって、それ故保守論壇人士の方が戦後処理に詳しかった。だからドイツ交戦国に賠償していない」なんて事は相当のバカじゃなきゃ言わなかった。それはどこも一緒だから

 

こういう訳で当初は「ニーチェ研究者文章解釈」として評価されていた西尾言説が、「ドイツナチス切断処理して反省拒否する立場である」という風に化けて行く。

この決定的な曲がり角は先にも言った小林よしのりなのだが、小林を論壇に引き込んだのは西尾なのだ。だから西尾小林やそのフォロワー後者の言説を流布して行くのを黙認していた。

その後西尾宗教右翼教科書運動を乗っ取られてパージされてしまい、「彼らの運動論は左翼のそれだ」と批判する羽目になるのだが、彼らを引き込んで論壇の真ん中で活動させたのも西尾だったのだな。

 

という訳で「ドイツナチス切断処理して反省しない立場」節の原初西尾で、それが解釈ではなくて「表明したという事実」に化けていったのである

 

メルケル来日恐慌

2015年メルケル来日した際、朝日新聞で講演して安倍政権歴史認識批判する場面があった。

講演、インタビューに態々選んだのが朝日新聞というのは明確なメッセージだ。

これにネットの一部は沸騰してドイツ叩きが盛んになった、という事があった。

何故そんなに逆上したかと言えば、一部で「常識」となっているドイツナチス切断処理論と反対の立場から冷や水ぶっかけられたからだ。

仕舞にはメルケル極左に振れているという噴飯もの意見も多く見られた。メルケル所属するCDUは保守政党である

 

このナイーブ恐慌状態集団で信じていた事を現実が裏切る事で起きていたので、これぞまさにルサンチマンだ。

ニーチェ思想に沿って生まれ解釈が30年経って反ニーチェ的なナイーブに転化していたというのは寓話的だと思う。

当たり前だが、メルケルドイツナチス切断処理なんて立場を表に出した事は無い。統一ドイツの成立条件見れば当たり前だ。

ドイツ戦争責任切断なんて出来る訳ないだろ

西ドイツEC加盟国だったが東ドイツはそうではない。統一は他の加盟国承認必要だった。

そしてベルリンというのは統一の前日、最後まで連合国占領下にあった。

ソ連勝手東ベルリン自分勢力下としてしまったが、米仏英はそんな事認めていない。法的には最後まで共同統治であった。

まりベルリン占領はこれら4国の承認が無い限り解けない。もしヴァイツゼッカーナチス切断処理してドイツ責任無しという演説をしたら、東西ドイツがその態度だったら、ベルリン首都に出来ただろうか?

そしてEUの顔役が出来ただろうか?

当たり前すぎてバカらしい。

 

珍妙な変な「定説主義」みたいなのを皆で信じる前に常識で考えてはどうだろうか?

そして現実主義を謳うものほど現実に対してナイーブというのはニーチェ研究テーマとすべき事象だと思う。

2021-08-06

記事掲載までのタイムラグ悲惨なことになったケース

8割おじさん「8月新規感染者5千人超」は誇大な数字か| デイリー新潮

最近話題新潮のこれ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1

掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。

木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道スキャンダル路線模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田まりだったような侘び寂びを感じさせる。

「罪深き」私にとってのオウム 島田裕巳

島田裕巳オウムシンパ宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。

1995年3月20日地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアン宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTV新聞で通常番組差し替え報道されている日に島田の「サティアン宗教施設毒ガス工場ならず」のコメント掲載される珍事となった。

 

これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。

島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウム近代への疑義評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田スケープゴートにした為に更にバッシング苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレーム脅迫殺到して島田解雇された。

 

オウム島田擁護最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンション玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。

ソ連が攻めてくる 中川八洋

中川八洋アフガン侵攻等を受けて80年代ソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。

ところがゴルバチョフ書記長就任してペレストロイカデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。

これに対して中川は「ゴルバチョフ政策反動化している」「ゴルバチョフ路線侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。

だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国独立を認め、東欧衛星諸国にも改革自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。

要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである

西側心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側自由化デタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。

その心配の通りにソ連共産党守旧派クーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。

 

ところが中川は相変わらず論壇誌ゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデターソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。

 

これによって中川反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論オカルト本が流行っていたのだ。

ところがオウム事件が発生するとオカルト陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。

 

2018-09-26

anond:20180926003752

今回の件は間違いなく、「左翼言論弾圧」ではなく「新潮社卑怯な逃げ」

しろ「そうまでして被害者になりたいのか?」と言いたい

とはいえ新潮45』という媒体がもったいなかったのは事実

各種月刊総合誌のなかでも、新潮社文藝春秋社は、文学出版社だけあり

政治的議論にとどまらサブカルチャー視点も大きいのが特徴

今はなき文藝春秋社の『諸君!』での坪内祐三の「1972」みたいな連載は

産経新聞社の『正論』みたいな政治偏重のマジメ右派論壇誌ではありえない

新潮45』は小田嶋隆だの古市憲寿だの単純なウヨではない論客も多く起用していた

こういう媒体がなくなるのはマジでもったいない

少なくとも『新潮45』には、杉田論文について賛否両論併記で再論する

ワンチャンがあったのに、みずからそれを棒に振った

これが週刊文春だったら、以前に朝日新聞とモメた池上彰がみずから

朝日新聞一方的非難する文藝春秋社に疑義を唱える記事も書いてた

こういうのが政治論ばっかりに偏重しない文学出版社ゆえの

柔軟性とか自浄作用だったんじゃねえかと思うんだがなあ

(無論、週刊文春文藝春秋社はまた別の問題が多々あるけど)

 
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