「社会学には査読がない」は本当か? https://togetter.com/li/1660476
そりゃ社会学にだって査読があるのは当たり前。ただ、日本の社会学の査読は多くのジャーナルで純粋な意味で「ピアレビュー」になっていないということに問題がある。社会学のジャーナルで、どのくらい編集委員が自ら投稿論文を書いているかを確認してみるといい。投稿論文を書いているのは大学院生かPD、移籍を視野に入れている若手研究者がほとんどで、査読しているのは投稿論文を書かなくなって落ち着いた人々だと思う。査読を若手に対する指導かのようにとらえている人は多い。ブラインドの場合だと、無責任な放談のようなコメントを出してくる査読者も少なくない。
この辺のことは、太郎丸先生が10年以上前に書かれたこととあまり状況的に変わっていないのではないかと思う。 http://sociology.jugem.jp/?eid=277
国内誌に出してもいい査読が受けられるとは思えないので、日本語で書くのは学内的な事情で必要になる紀要原稿と書籍だけになっている。ちゃんとした論文は英語で書いて国際誌に出すのがベストな選択だと思う。たまに英語で書いて国内学会の英文誌に出すとかいうことをやろうとする人がいるけれど、せっかく英語で書いたのになんでそんなことをするのかよくわからない。せっかく書いたならIF付きのジャーナルに出せばいいのに。
わりと困るのは、科研費のプロジェクトで共同研究者たちが投稿論文を書くという考えをまるで持ってないとき。科研費の成果をすぐに編著本で出してしまおうとするから、二重投稿にならないように書き分けるのが結構難しい。言えばいいじゃないかと思うかもしれないが、余計なことを言うと干される恐れがあるから難しい。科研費のとれるグループに誘われておくとなんだかんだでメリットはあるので、諦めて何も言わずにおいている。
そういうことを突いて、相互批判ができていないという批判はあるだろうし、それは確かに反省すべきことではある。ただ、なかなか難しい。
あと変なことを言っている院生とかPDとかがTwitterでいるけど、あれはあれで何か言うと、ハラスメントだのなんだの言われかねない(変なことを言う人は運動系なことが多いのでリスク大!)から、よほど関係のある人でもなければ関わり合いになることを避けたい。
全部の分野を知ってるわけじゃないけど、知ってる分野の査読は軒並みクソ。だけど査読ってそんなもんやろ。捏造されたSTAP論文も査読付きで立派な雑誌に掲載されてたよ。査読は真実...