はてなキーワード: 和紙とは
自慢じゃないけど、何をやっても長続きしない。仕事に関しても基本的に根性なしだけど、楽しいはずの趣味で「やってみたいなぁ…」と思ってチャレンジしたものでもダメだ。
1 折り紙
子供の遊びだと思われてるかも知れないけど、連鶴(紙に切り込みを入れて何羽もつながった折り鶴を作る)とかユニット折り紙(何十枚も部品を折り上げて組み立て、
くす玉とかそれに類するものを組み上げる)とかなかなか技と根気を必要とする代物がある。高校生から大学生ぐらいまでは一所懸命やっていたんだけど、気が付いたら
めんどくさくてやらないものの筆頭になっていた。が、紙製品は相変わらず好きで、単価も安いので、折り紙とかキレイな包装紙とか和紙とか見かけるとつい買ってしまう。
老後の楽しみに取っておいてもいいんだけど、今よりさらに老眼が進んで、根性もなくなったら結局やらないんじゃないかと心配である。
2 切り紙
上記の目的で買い集めた紙製品を無駄にしないために、型紙がデータ化されてCD-ROMで付いてる本と、アート用の細かいところまで切れるカッターを買ってみた。1個か2個 ぐらい作ってみたけど、作った切り紙の使い道がなくて、すぐに飽きた。でも連鶴やユニット折り紙を作るよりはこっちの方がお手軽だと思うんだけどな。
無心に作業できるところが良さそうだと思って12色入りの色鉛筆と本を2冊ぐらい買ってみた。元の本に直接塗るのがもったいなくて、塗り絵をコピーして塗り始めてみた
けど、やはり2ページぐらいしかやらなかった。絵心はないけど、色を塗るぐらいはできるかと思ったのに。12色の色鉛筆だと色が足りないと思って、36色の色鉛筆を買い
足したけど塗ってない。
4 着付け
今一番のマイブームだけど、元手がかかるわりに続かなかったときのダメージが大きい代物。うちの母がある程度着られるのだけど、母は習い事にお金をかけるのはムダだと
いう考えの持ち主で、「惜しくない着物を買って自分で練習しなさい」と言われている。とりあえずリサイクル屋で紬の着物と名古屋帯、長じゅばんをそろえ、小物類は
ネットで手に入れた。DVD付きの着付けの本も買ったので、いつでも練習できるはずだけどやってない。多少お金がかかっても着付け教室に行って、強制的に練習させられる
香典帳というのは、お葬式の時の香典を誰から何円もらったかを一冊の帳面に記したものだ。
古くは近世期のものもあるが、私の仕事場は北海道なので、近代以降の香典帳を主に集めている。
集めているのは、正確に言うと香典帳だけではない。
香典の他に、葬式で必要なものを一式記してその代金をまとめた買物帳や、お布施を払った際の布施帳なども付随することが多い。
どうしてこういうものを集めるのかというと、物価がよく解るからだ。
人の死というのは今も昔も絶え間なく続く。
だからそれに際しての香典や、調達物資は、物価の移り変わりの物差しとして極めて優秀なのだ。
昔は、コメが物価の指標になっていた。高度経済成長期以降、食料の多様化により、コメという物差しはぐにゃぐにゃとあやふやなものになってしまった。
他の、価値があると考えられてきた指標すらそうだった。貨幣で買える貨幣も横行した。
だが、未だ死ぬことは、医学が発展したとは言え平等だ。共同体があれほど変質したとしても、寺なり神社なり教会なりで、古墳時代とさして変わらない営みが続いている。
今日は、古い家の仏壇に入っていた香典帳を見た。昔ながらの折り紙状の和紙の帳面だ。9才で死んだ男の子のものがあった。尋常小学校の同級生一同で香典が出されていた。
親族(子孫)からいただいた付随データを網膜上にダウンロードする。昭和11年に腸チフスで死んだのだという。
昨日は、古いHDDに保存されたpdfの香典帳を見た。元々はエクセルというデータ形式らしい。94才で死んだ女に、101才の姉が香典を出していた。
これも親族からの付随データが功を奏して判明したもの。平成29年の香典帳。死因は老衰。小学校教諭を長く務めた勉強熱心な女で、この時代にしては香典が多い。
香典システムから物価や人的ネットワークを構築するのはよい手法だが、そもそも香典を出さない葬式(家族葬や新しい宗教観に基づく葬式)の形態が増えたことによる影響はどう考えているのか?
Erin@反ミソジニー @makoamd
だからこそ窒息真空パックAVでも太田弁護士の文体に文句つけるばかりで、加害性への恐怖も女優への心配も出てこないんじゃないの?
♂から「性的対象として搾取され尊厳を削られる蓄積」をおそらくほとんどしていない能町みね子氏が、ずっと削られてきている女性に(無礼発言をされたことを理由に)泣くまで言いこめてやりたい、ってさぁ、♂の暴力性そのものじゃん。これトランスフォビアじゃなくて暴力フォビアだからね。
いい加減、こんな「女のふりしておけば男として責められずにすむ」と都合よく性別を使い分ける卑怯者が生まれないように「MtFは生得的に男」といい続けなければならないだろう。これまでこんな卑怯者に合わせてきてやったから女が舐められている。
能町個人への批判のつもりでMtFへのヘイト巻き散らしてて草生える
やっぱり女はMtFを「女」だとは思ってなかったんすね~
問題が無いことを問題にしようとしているだけで、
どの批判意見もダブルスタンダードと化していることを文にしたい。
●「コミケは自費出版が当然だ。クラウドファンディングは間違っている。」
既にクラウドファンディングで新刊を出してるサークルは点在しているし、
これを言ってしまうと、一部の合同誌が存在を許されなくなる。
参加者を応募し、参加者同士で製作費を出し合うタイプの合同誌が存在しているのだから
作品を作る能力がなくても作品に費用算出枠として参加することは可能なはずだ。
もし、作品を作る能力が無いなら参加するなとの声があるのなら
一般参加者の存在が危うくなるし、
作品作れる作れないに関わらず同好の参加者だとの理念にも背くことになる。
この批判は共同出資のサークルをコミケから排除することになる。
●「コミケはアマチュアの場だからプロは来るな。」
実の所コミケにはプロが沢山来てるので、
今になってこれを言い出したら多くのサークルが出禁になる。
税金対策の為に法人化してるサークルだって一般ブースで出展しているんだよコミケ。
プロ漫画家の人が漫画を出し、プロアニメーターの人がイラスト集を出し、
プロゲーム製作者がゲームを出しているわけで、
よう子憎しでプロ批判をすれば既存のサークルも一緒になって批判されることになる。
今まで特に大きな問題になったことはない要素を突如問題にするのはズルくないか?
この批判はプロのサークルや法人化サークルを排除することになる。
●「写真集はコミケに相応しくない。ファン層がコミケに相応しくない。」
別にコミケはアニメ漫画ゲームの祭典ではない。
プロ料理人の料理本や、牛肉の写真集なんてものもあるし、
動物の写真集や手作り和紙人形を出品するお爺さんもいる。
それらを無視して女優の写真集はコミケではダメとはおかしな話。
当然一般参加者側もアニメ漫画ゲームだけのオタクしか来ないわけじゃない。鉄道オタクもいればアイドルオタクもいる世界。
何らかの強い好きがあるという意味でオタクと表現するなら、"女優オタク"たちが来ても問題ないはずだ。
勝手に「アニメ漫画ゲームオタクの為のコミケ」にしないで欲しい。
●「コミケのコの字も知らない一般人が雪崩れ込んできたら危ないだろ。」
一理ある話ではあるけど、
オタクであれば初参加でもコミケのルールを守るが、オタクじゃない人はルールを守らないって、
その選民意識は一体どこから来るのか。
漫画目当ての人はコミケに理解があるが、女優目当ての人はコミケに理解が無いって
そんな統計あるんだろうか?無いならただの偏見じゃないか。
「女優目当ての人はオタクに偏見を持ってるに決まってる」っていう偏見じゃないか。
●「ファンイベントでやればいい、コミケでやる必要が無い。」
つまり、大きな名前のある人はコミケに参加するなということだろうか。
例を出すと、東方というジャンルの公式は、既に法人化しているし、商業ルートで外伝出してるし、
東方専用のイベントも行っているわけなのだが、
東方公式はコミケに相応しくないものだからコミケから出ていけとなるのか?
第一コミケでやる必要が無いって、部外者が決めることではない。
二度目になるが、今まで問題なく続いてきたものを突然問題にし、
これがルールだと宣うのはズルくないか?
●「値段が法外すぎるからコミケに来るな。」
30P程度の本で500円とは一般書物からすりゃ法外な値段だが、それでも問題はないはずなのだが。
それを400円にする権利も600円にする権利も、あるのは製作者側だけのはずなのだが。
どんなに安いものでも興味がないなら買わないし、高いものでも自分が欲しいなら買うって世界で、
できるのは興味ないから買わないって程度のことで、値段が高い=コミケから追い出せとは繋がったら、
大手サークルも追い出されなければならなくなるだろう。
●「これがまかり通ったらコミケが芸能人に奪われる。」
多分それはよう子の前にいた芸能人サークルに言うべきだっただろう。
むしろ彼らを皮切りにしていると言っても過言ではないはずだ。
そしてサークル参加者を選ぶのは我々ではなくコミケ運営である。
オタクでも芸能人でも、受かったり受からなかったりするんだから、
コミケが芸能人まみれになることがあるとしてもそれはコミケの判断であり、
言うべきは参加芸能人ではなくコミケ運営になるはずだ。
企業ブースみたいな芸能人ブースはできるかもしれないけど、
それを判断するのもやっぱりコミケの運営側だ。
あと別に芸能人だからって売れるわけでもない。
●「存在がコミケを破壊する可能性がある!」
クリーンなオリジナル写真集を出そうとしてるサークルを危険視するのは
私にはよくわからない。これに声を上げるならもっと別に言う所あるのでは?
まだ問題の起こってないことに、わざわざ悪い未来を想定して
まるで既に問題が起こったかのように騒ぎ立て、
参加辞退したことに対し「惨事を未然に防げた」ように表現するのなら、
コミケの作品の何割が「コミケを破壊しうるもの」扱いされるのか。
二次創作はグレーだし、エロ描写も猥褻描写に引っかかる可能性があるもので、
時々版権元やコミケ運営からNGを食らう作品が出ているわけで、
「惨事を未然に防ぐ」にはこれらにも自粛辞退してもらうのが筋ではないのか。
●「コミケのルールを守れないなら参加はダメだ。」
言ってることは正しいように見えるが、
その実態は突如新たなルールを引っ提げて、特定の相手に押し付けているだけだ。
上記の通り、よう子炎上で言われ出したルールなんてものは、
今まで取り沙汰されることはなかったものだった。
これが今まで本当にずっとそのルールが守られていたのであれば良いが、
既存のサークルは許しながら、新しいものにはお前はダメだと言い張り、
さも昔からそうだったかのようにアピールする歴史修正主義者の戯言だ。
●「なんか嫌だから参加しないでほしい。」
結局"なんか嫌"が不信の元の大半のように感じるのだけど、
変にそれに正当性主張の為の理由付けをしようとして、
いらぬ所にまで攻撃仕掛けていってない?と思う。
"コミケを守る為に"って主語が大きすぎない?
上記の主張を全て正統的なものと認めたら
参加者応募NG、出資参加NG、プロNG、法人サークルNG、
アニメゲーム漫画以外の作品は全てNG、写真集も当然NG、
コミケ検定で合格しなければ参加してはダメ、
個別イベントのあるジャンルはNG、値段は全て一律の基準に則ること、
有名人はNG、少しでも危なそうな作品は全てNG。
てなことになると思うのだけど、
そっちのほうが既存のコミケを破壊する結果を招くんじゃない?
正直に俺が気に食わないだけだと言っておかないと、
コミックマーケットに流れ弾が直撃することになるよ。
本日は美濃加茂市民ミュージアム、美濃和紙の里会館、郡上八幡城、
せっかくだから、もう少し足を延ばそうとする繰り返しで、
小沢艦隊に釣られたハルゼー艦隊のごとく北に突進してしまいました。
わたくしの御髪が縦にカール・ビンソンですの。
そして光秀の書状が展示されていました。
天下人四人の書が拝めるなんてありがたいですわ。
掛け軸にするときに折り目で切断して向きを揃えていると解説がありました。
また、尊敬する相手に触れる前で改行する作法もあったそうですわ。
近隣の城についても紹介があり、ガラスの中でさらに額縁に入っていた
絵が歴史群像の見開きとほぼ同じサイズで驚きました。縮小コピーじゃなかったのですね。
棒人間的な人物は米粒の表面に描けるくらいの小ささで作業の細かさに圧倒されました。
せめて入館料をとらないゾーンに展示されたほうが……。
こうぞ5500gから長い工程を経て得られる和紙は220gとのことです。
青森、千葉、神奈川、香川、長崎のみ和紙がありませんでしたわ。
歴史上にはパピルス以外に樹皮や椰子の葉をたたいて合わせた「紙」も
あったことを知りました。
あと、入り口付近に「ギネスに挑戦!60mの手すき紙プロジェクト」の企画が紹介されていましたが、
よく紙をみると右下に小さく「※ギネスへは挑戦していません」と書いてありましたわ。
えっ?ええっ??
長良川沿いをさかのぼっていくと郡上八幡城のある郡上市に入ります。
(屋根から落ちた雪がいきおいよく人にぶつかることを防ぐ突起のついた瓦)が
使われていて、豪雪地帯に入ったことを感じましたの。
古い景観をとどめる町の中はうだつ上がりすぎて、うだつあがり症状態でしたわ。
「およしさん(17)」が萌えキャラ化されていて、およしなさいと本気で思いました。
およしさんはデザインは東北ずん子さんに似ているというか、おキヌちゃんの系譜でしょうか。
関ヶ原絡みの局地戦で戦術的には負けながらも郡上八幡城を取り戻した遠藤慶隆は
成功した
小田氏治みたいですわ。
こちらは戦国大名、東(「あずま」でも「ひがし」でもなく「とう」)氏の
篠脇城は畝状竪堀群のある山城で、千葉から来たという東氏がその技術を得た
経緯がとても興味深いですの。
そういえば途中の国道156号線にデイリーヤマザキが連続で現れる場所がありましたわ。
古今伝授といえば
有名ですけれど、まさにその古今伝授の源流にあるのが
九代目東常縁なのだそうです。
それに関連して和歌文学館では古代から現代までの代表的歌人が九人選定されていましたわ。
選者の意見があけすけに書かれていて興味深かったですの。
その上にある篠脇山荘は歌詠みの会をする研修会館のようですが、
何もしていない時は立ち入りが可能で、縁側の椅子に腰掛けて池と篠脇城のある山を眺めていたら
(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコンのグラフィックみたい。
そう思っていたらグラデーションが!
思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、
意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。
小倉擬百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、
あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。
八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。
そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。
スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。
説明から摺物と呼ばれる自費出版で趣味に走った同人誌的なものがあったこと、
当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。
魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!
文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。
最後に輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。
最後にミュージアムショップで復刻浮世絵(嶋田と池鯉鮒)を買ったのですが、
学芸員さんに「選んでください」と……
「同じ絵ではありませんの?」
「版が違えば微妙に違うんです」
今後、中期・後期の展示があるそうですわ。
それでも維持するのが、目先の利益を追わずに社会への寄与をめざす
方向を間違えた時が、空恐ろしいですわ。
展示館は2階建てで、1階は各地の工芸品と和紙の作り方の模型展示、
和紙であることを活かした絵画風でありながら立体的な作品には大きな可能性を感じました。
橋本昇三先生の自己組織化したような和紙の格子がついた作品は制作方法が気になりますわ。
他には屏風に和紙を貼った作品の屏風が一部切り欠かれていて、作品が障子になっていたりなどなど。
また、館外にプランターでパピルスが植えられていましたけれど、
せっかくなら名札を立てて欲しいと思いました。もう一種類の草はなんでしたの?
受付の方の対応はとてもよかったのですが、そのあたりが残念でしたわ。
増田典厩の尽力により、その当主会談が旧増田領(六)で開催される運びとなった。
二人はそれぞれ供をひとりだけ連れて、竹林にしつらえられた厠の中へ入る。
帯を解くと、コの字型に並べられた便器にむきあう形で腰掛けた。
「見事な海綿じゃのう」
増田家(四)が用意した厠には天窓から竹林を通した光が入り、ほのかに緑色づいて見えた。風も緑に香る。
尻の下から聞こえるせせらぎは大きすぎず小さすぎず、意識をリラックスさせてくれる。
自然石のモザイクでヘクソカズラやイヌノフグリなど、野草の絵が壁に描かれ、密室でありながら開放感を演出していた。
遙か西から伝わった公共トイレの文化が増田島で洗練を極めた結果うまれた「便道」、その粋を凝らした厠と言えた。
便道は権力者にとって便利であり、内密の話をするため多用された。
帯をほどいて便器にまたがるという無防備な状態を晒し合うことで親密さを高めることもできる。
出シニケーションである。
実際、漏らしても粗相にならずに済む増田家(八)当主は落ち着いた様子だった。
まずは互いの大勝利を称え合う。繊維製品の交易を通して二人の間には面識があった。
思えば最初から国境が接していた二家が生き残ったのも不思議なめぐり合わせである。
増田家(四)当主が連れ込んだ小姓の増田四五郎は固唾を呑んで交渉を見守っていた。
どちらも淡々とした様子で、天下の未来を決める事柄に触れていく。
「増田中弐殿はお忙しいようだ」と一方が言えば、
他方は「いきなり領国が三倍にも増えて大変でしょう」と皮肉った。
「三倍……?」
増田四五郎は首を傾げた。国数でも石高でも彼らの領地は三倍よりも四倍の増加と言う方がふさわしいはずだ。
しかし、増田家(四)の当主は小姓にしかわからないレベルで表情を強ばらせていた。
「前から提示した条件を受け入れていただけないのなら、代わりに増田領(一)の平定は我らが引き受けましょう」
増田匿兵衛は膝をつめて核心に触れた。
「……ッ」
内外に秘密にしていたことであるが、増田家(四)は未だに増田島最北部を平定できていなかった。
増田家(一)の遺臣が抵抗しているわけではない。
実はかつて傭兵に呼ばれた北方異民族が混乱につけ込んで大量に流入し、容易には討滅できない状況になっているのだ。
激戦と領土の急速な拡大で疲弊した増田家(四)に、この敵の早期撃破は手に余った。
だが、増田家(八)はおおよその真実を突き止めていた。なんのことはない。
残念ながら世界的な視野をもつことで、増田家(四)は遅れをとっていた。
「では……お願いする」
「えっ!?」
ぶりぶりという謎の音と一緒に、素っ頓狂な声を増田家(八)当主があげた。
内情を知っているとの脅しを素直に受け入れられるとは思いもしなかった。
いやな予感がした増田匿兵衛は尋ねた。
「十万じゃ」
増田匿兵衛も漏らした。
とりあえず持ち帰ると思ったのだが、増田家(八)当主はその場で自分たちの言葉に責任をもつことに決した。
本当にこれで良かったのか、増田家(四)の当主が悩む番になった。
彼はつぶやいた。
「それにしても、本当に致すとはな……」
「便道」は排泄の形をとるものであって、実際に排泄をすることはイレギュラーに近い。
だが、敵の首脳は手慣れた美しい所作で海綿や和紙を使って行った。
「まさしく「大物」にございますね」
増田四五郎は緊張でカラカラになった口をやっと開いた。当主はちょっと笑うといきんだ。
「ふんっ!」
彼の下から聞こえるせせらぎが変化した。最強の武将はうんこでもって自らが流されないと示唆したのである。
「お美事にございます」
だが、
「……切れた」
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160619002153
次回
http://anond.hatelabo.jp/20160403125547
こちらの増田を読んで、俺とちょうど逆だなと思ったので書いてみる。
俺にも付き合って2年になる女性がいる。
SNSの友人を経由して知り合って、そのままずっと友達のままで、2年前から付き合うことになった。
もう30歳を超えるが、俺の手取りは14万。
25の時に身の程知らずにも友人と会社を立ち上げ、見事に散った。
その時のストレスから2年ほど半ニート状態に陥り、都落ちして地元の会社になんとか拾われた。
新卒で入った会社の給料を超える金額を手にしたことは、一度もない。
会社を始めた時に彼女と知り合い、地元に就職したときに付き合い始めた。
手取り14万の中から生活費と借金の返済をしなければならない。ついでに持病もあるので毎月5000円は医療費がかかる。
生活費で70000。
借金返済で20000(弁護士に入ってもらい、長大な返済計画を立ててもらった。故に俺は借金もローンも組めない)
医療費で5000
仕事上の付き合いで15000
この他、勉強のための本を買ったり交通費で見事14万。残るものはない。
突発的な病気と怪我が何より恐ろしい。
保険も何も入っていないから、とにかく不安を抑えてやり過ごすしか無い。
髪を切るのは2ヶ月に一度で済んでいるし、服は2年に一着買うというくらい。
シャンプーやボディソープは使わないし、掃除は雑巾でなんとかなっている。
靴は1年に一回修理に出す。金に余裕があった時に服も靴も良い物を揃えておいて本当に良かったと思っている。
ミニマリストが流行っているのにも助けられている。切実さはずいぶん違うが。
彼女は俺が貧乏だということを知っている。健康の問題も、信用情報的なことも知っている。
そしてその上で愛してくれている。
誕生日やホワイトデー、クリスマスなんかのイベントも、「手作りのパンを焼いてほしい」といったもので、こちらが申し訳なくなってくる。しかし正直なところ、そういう女性で良かったと思っている。無理な贅沢をしたり、見栄をはったりしなくてもいい、安心できる恋人。俺は彼女のことがとても好きだ。愛している。結婚もしたい。そのためには金を稼がなければならないが。
彼女自身も贅沢な暮らしには興味が内容で、装いも物凄くシンプルだ。買うよりも自分で作ったり工夫したりするのが好きで、たまに会うときもデートというよりは、二人で何かを作ることが多い。レンタルの工作室を借りきって一日そこで過ごすということも普通にする。
だからてっきり、彼女も俺とそれほど変わらない経済状況なのかなぁと、思っていた。彼女の仕事とか、収入も大体は聞いていたし。彼女も「家庭の事情が複雑で、生活が大変」と言っていたので。
しかし違ったようだ。
彼女の実家は大変裕福で、「家庭の事情」というのは相続のことだったらしい。
いわゆる地元の名士の一人娘で、見合いの話が雪崩のように舞い込んでいるとのことだ。
と、ここまで長々と書いてきたが、そろそろ苦しくなってきたので要約する。
金、金がない。金が無い。金が無い。金がない。
金が、金が、金さえアレば金があるのに金がないから金がない。
教養も知識も勉学も金の前では無力だ金が、金が金がすべて金。英語と中国語を話し海外出張も毎年こなしているのに14か。ふざけるな。健康な体があれば、金がアレば、不安は金で消せるのに。彼女は毎週手紙をくれる。直筆の手紙が好きだと。毎日LINEで身の回りのものの写真も送ってくれる。残酷な写真だ。車が写っている。俺には買えないものだ。部屋が写っている。俺の部屋はその半分だ。服がかかっている。俺の生涯の服を合わせても届かない数だろう。美しい花が飾ってある。その横に俺からの枯れかけの押し花がおいてある。彼女の食事が写っている。本当にそんな食事でいいのか。毎日サラダと硬いパンを食べているミニマリストに合わせているんじゃないのか。折り鶴が写っている。綺麗な和紙だ。畳が写っている。良い香りまでもが写っているようだ。彼女が笑顔で写っている。俺は得てはいけないものだ。
彼女とはもう別れた。
彼女は実家にうず高く積まれた見合い写真のどれかを選び、手に取り、決めたのだろう。見合い結婚というのは意外と長く続くものらしい。下手に恋愛結婚するよりいいだろうな。
今年、手書きの年賀状が届いた。無地の年賀状に綺麗な字で。贈った押し花も貼られていた。他の年賀状にはきっと幸せな写真が印刷されていたのだろう。俺が贈ったもので形あるものはこの枯れ果てた押し花だけだった。すげえな。完全にオチがついた。
どうすればよかったんだろうな。
全ては金なのか。
金がアレば解決する問題だったのか?
今回の国立競技場とエンブレムの件で思ったのは、税金をかけて作る建築物やデザインは多くの人の好みの最大公約数であるべきだということだ。
建築物なら
・可能な限り低コスト
・日本の伝統をモチーフに竹とか和紙を取り入れた和を感じるデザインをアクセントとして取り入れる
デザインなら
・オリンピックの場合は桜や富士山、日の丸をモチーフとしたもの
・絆を感じるもの
・どこにもない独創性のあるデザインに
といった風にすべきだと思う。
プロが好むよくわからない玄人受けデザインなんて、所詮建築家やデザイナーの内輪受けしかしないのだから、税金を使う意味はない。
日本で今人気なのは、AKBやEXILEや三代目JSoulBrothersやセカイノオワリであり、
http://anond.hatelabo.jp/20150410101845
エウリアンにはついて行くな
秋葉原などの繁華街で絵葉書を無料で配っているお姉さんたちがいる。
しかし、ついうっかりお姉さんから絵葉書をもらってはいけない。
言葉巧みに画廊へと連行されて、気が付くと大して価値もない絵(というか版画)を、何十万ものローンを組まされて買う羽目になる(絵画商法)。
エウリアンにも新社会人にも全く興味はないんだけど、版画への冒涜は許さん。
君が代に過剰反応する左翼のように、どんな文脈だろうと、どんな事情があろうと、版画をdisられるとプッツんしてしまう。
エウリアンの売る版画というものがどんなものか知らないけれど、これだけは言える。
生でみなければ、版画の魅力はわからない。
否、
触ってみなければ魅力はわからない!
断言するけど、江戸時代の浮世絵から最近の現代作品に至るまでの伝統木版画、これを見たことがある日本人はほとんどいない。
そんなものは、世界の車窓からのDVDをみて海外旅行に言ったと言ってるようなもの。
和紙の質感!どんなに拡大しても粒子が見えてこない無断階のグラデーション!摺りによって出来た凹凸!
まず、床や机において窓から差し込む斜めからの光のもとでみて堪能。
テレビ番組の映像や、窓から差し込む車のヘッドライトが絵の面を瞬間的に照らした瞬間も美しい。
入ってくる光の方向、光の種類によって、表情が変わる。
そして、やっぱり手に持って鑑賞だ。
パンツが見えそうで見えないグラビアを、下から覗いてみえないはずのパンツを見ようとする、アレを浮世絵でやるとすごい。
ちょっとだけ見える。見えないはずのところが本当に見えてくる。
目の錯覚でしかありえないんだけど、紙のたわみと、光の加減で、ときどき本当にみえてくる。
うわぁぁんってなる。
ぶっちゃけ、浮世絵美術館、あんな一般展示なんかやめてしまえ!!
額やショーケース越しでしか見れないなら、触れないんなら、カラーコピーで十分だろ!
額装やショーケースに入れる職員の目しか楽しませられないなんて、時間も無駄!文化財の無駄!
触らせないんなら燃やしてしまえ!
よさが微塵も伝わらないのに飾ってみせる価値が有るのか?
1億円と書かれた小切手を飾って見てるようなもんだろ。
医学とか物理学とかは、100年前と今では大きく違うけど、絵は、たいした進歩してないだろ?
ぶっちゃけ、1万5000年前のラスコーの壁画と、そのへんの美大生の絵のどっちが上手いかって言ったら、芸術とかよくわからん俺にはどっちが上かわからん。
でもね、印刷という技術を手に入れた、触れることが出来る!その素晴らしさ!
俺ね、江戸時代の浮世絵の価値は認めるよ、でもさ、浮世絵のいいところって、ライブ感なわけ。
絵師が描く、描いた絵は板に貼り付けられて、その上から刀を入れられて紙ごと彫られてゴミとなってしまう。
絵師の絵を活かすも殺すも彫師次第。
それから、色の指定があって、色の数だけまた彫りがあって、そんで摺師が摺って、試しに作ったものに対して、あーでもないこーでもないっていうディスカッションがチーム内でされたわけ。
色の調節をして、時に柄を変えて、セッションによって出来上がる。
売りだしたあとの、町の人々の評判さえも取り込んで、みんなが主役のライブだったわけ。
俺、音楽はよくわかんないけど、たとえしょぼいバンドの小さなライブハウスでのライブでも、有名フィルの録音にも負けない感動があるでしょう?
一番有名どころだと、北斎あたりだと思うけどね、もうね、ヤバいの。
元々が天才でしかも努力もしまくったらこうなるってやつ。努力ってのが普通の努力ってんじゃないの。
だいたいにおいて、他派の画法を学んで破門されたあたりからだけど、もう何でもあり。
大和絵も漢画も銅版画も油絵も、手段を選ばず学んでるようで、見りゃ誰でもわかるんだけど、もうホントヤバい。
すべて独学で。本読んで覚えたってより、ひたすら描いて描いて描きまくって吸収したという感じで。
貧乏の理由が、お金を封筒でもらったまま中身の確認もせず、支払いの時には「その封筒からもってけ」くらいに無頓着だったからという馬鹿。
掃除をすれば、「ここにあった蜘蛛の巣どこ行った?(描きたかったのに)」くらいの馬鹿。
誰よりも自信家で、本が売れたのは俺の挿絵が良かったからだ!と言って作者と喧嘩する傲慢な一方で、猫がうまく描けないっていう理由で80歳で悔し泣きをする馬鹿。
30回画号を変えるってのがもうよくわからん。たとえば漫画家が30回名前を変えてデビューするとかないだろ。売れっ子が新人に戻るってことだろ。馬鹿かと。いや馬鹿だよ。
そんな絵中心のわけのわからない生活を、88歳で死ぬまで続けちゃうってのがもうね。
例えば、水木しげるが週刊少年ジャンプで週刊連載をしてて、CG(北斎はコンパスや定規やらも使いこなしてるようで、幾何学や製図も知ってる様子。当然おそらく独学)を使いこなし、ありとあらゆるジャンルを書き分け(春画から、行ったことのない中国の古典小説の挿絵まで)、30回新人デビューとかしてたら、人間じゃないだろと。
で、そんな北斎の線ときたら線の始まりから終わりまで、この線以外じゃダメっていうカンペキ。筆の入り、筆の終わり、太さ細さ、もうすごい。線が凄いってわかるってことは、彫師が凄い。フリーハンドじゃアリエナイような精密で、コンパスや定規ではありえないような強弱があり、油絵なら何度でも塗れるだろうし鉛筆なら何度も消せるし、CGなら何度でも書き直せるけど、最小限の輪郭線で森羅万象を切り取ってる。
写真を目指してたんじゃないだろうか。
写真というものがなかったので、目指してたというのは変な話だけど、露光時間調節やピントズレに近い表現があって、写真を目指し、写真を超えたなにか他のステージに足を踏み入れようとしてた、ように思う。写真なんかなかった時代に。
で、それがわかるっていうのは、彫師がすげぇ。
摺師がすげぇ。
俺がこの数ヶ月で買い集めた70枚ほどのほとんどは復刻だけどさ、復刻もまたライブなんだよ。
摺る工程を見せてもらったわけ。
濃い絵の具を数種類用意するだけで、都度混ぜて薄めて版木に塗り、摺る。
なんということだと思わないか?同じものをたくさん作るなら、同じ濃度に調節したプレミックスを作っておくべきだろう?
絵師と彫師と摺師だけじゃないの。
版木を作る職人、紙を漉く職人、紙にドーサを塗る職人、絵の具を作る職人、バレンを作る職人、数えきれない職人たちのライブが木版画。
だから響いてくる!
で、ライブが存続するためには、絶えず誰かが買わないとダメなわけ。
材木から板を作る職人は消えちまったそうだよ。ただ板を平らにするだけじゃダメらしい。
バレンを作る職人も消えかけらしい。
だからさ、エウリアンが木版画を扱ってるかどうかはしらんけど、なりふり構わず売るということは少し理解できる。
俺だって、1ファンとして、こんな見苦しく匿名掲示板で見苦しく宣伝してるけどさ、どうせ中の人だろ、ステマうぜえって思われてるんだろうけど。
日本中の浮世絵美術館が燃えることより、職人がいなくなることのほうが損失はずっとずっとずっとデカいんだよ!
復刻浮世絵なんて一万円そこそこで買えるんだよ!
数万円となった山桜の版木を何枚も使うわけだし、キャリア何十年の職人が一月かけて彫るだけで、いくらの人件費だ?
キャリア何十年の摺りの職人が、今では手に入らない材料で自作した絵の具で、人間国宝が作った紙に摺る。
一枚200枚やそこらは売れないと滅びるだろ。
お願いだから買ってやってくれよ。
俺がビルゲイツだったら、もっと買ってやれるんだけど、安月給なサラリーマンじゃこれが限界なんだよ。
財布に入ってる1万円札、あれに1万円の価値があるのか?あんな小さな銅版画にわくわくするか?
せっかくだから文句を言いたい。
千円札の富士山わからんでもない。写真を銅版画にするなら許せる。
5千円札、2千円札、屏風絵を銅版画にするとか、絵巻物を銅版画にするとか馬鹿なの?オマージュにしたって、もうちょっと工夫しろよ。
100万円札を和紙で作れ!木版画で作れ!一枚一枚違う味があって味があるだろ!
偽造されてしまう?
偽造けっこう!本物と見紛うような彫りと摺りの技術が世界中に溢れれば、日本銀行の信用がどうなろうと、人類の幸福の絶対量は増加する!
木版画紙幣の発行は無理でも、一つの可能性として、造幣局で木版技術に関わる職人を世話してやってはくれないだろうか。
造幣局に一人くらい、材木から板を作る職人がいたり、絵の具を調合する職人がいたっていいだろう?
多少脱線しましたが、そういうわけで、ちょっとだけエウリアンを擁護してみました。
終わり。
考えてみればライブって凄いよな、芸術家って、基本的に俺が俺がじゃないか。
当然だけど、絵も彫りも摺りも極めることなんか出来ない。
それが、分業制、買う客の声も含めて、一人一人が主人公、思いがけない方向に転ぶ面白さ。
今でも、現代作家が版画にするために専門業者に頼んだりはするけれど、基本は作家の意思が優先で、作家の作品という域を出ない。
やはり、売れないことには、ちまたに溢れないことには、あれがいいこれがいいと話題の中心が木版画にならないことには、木版画に未来はない。
音楽としてどうかはわからないけど、AKBの会いにいけるアイドルという路線は、一つ評価したい。
あれが、理想の姿。
巷に日々木版画が溢れ、あれがいいこれがいいと、皆が好きに意見を言う。
町の人々の意見を取り入れ、流行の先端を走り、絵師や彫師摺師が腕を振るう。
たまらんじゃあないか。
よう、冬季オリンピック正式種目化を目指して、クリスマス・男子シングル&女子シングルの練習に余念がないな!
あと一週間遅ければ「オレ日本の未来に真剣だから政治活動してたんだ」って言えたのにな。
まあ期日前投票も別にペナルティーとか無いから、今日行っちゃっても良いんだけどな。寒波がな。
さて、家を買うだ建てるだってのは大抵の場合オオゴトなんだが、実はイメージが大きく影響する。
・偉そう
・息がくさい
・すぐローンの審査申し込ませようとする
・考える時間を与えずハンコ押させようとする
コレ、冗談だと思った人が多いだろうし本人も冗談のつもりかも知れないが、笑えない。
実は、家の購入を印象と勢いで決める人は意外なほどに多い。
そこで、最低限これぐらいは考えても良いよなぁという点だけ愚痴っておきたい。
限られた土地に身を寄せ合って定期的な嵐や雪に耐え、
凍えるような寒さになったり焼けつくような熱さになったり嬉しいぐらいに住みにくい。
ホーンテッドマンションの事じゃないぞ。高温多湿低温乾燥を繰り返す我らが日本の話だ。
そう、環境が特殊でちょっと尋常じゃないエクストリーム住まいなワケだ。
東北地方で「東風吹かば」とか菅原道真でもグーで殴られるレベルの暴言であって、
つまり「京都だけが日本じゃねえよ、やませとか勘弁してくれよマジで」であって、
要は日本は土地土地によって大きく異なりますよ、という普通の話をしたいわけだ。
一般的にはとか、平均的にはとか、人は周りの影響を結構受けやすい。
奥さん食器洗い乾燥機のビルトインとか普通ですよ最近は床暖房も皆さんお使いですよ畳は和紙が流行で、なんてな台詞は良く言うわけだ。
で、最近は映画でニュースとか見ないだろ。スマホだろ。口コミも世界規模ですよ奥さん。
するとどうなるか。
旭川ぐらい判りやすいエクストリームっぽさがあれば、流石に那覇を参考にはしないわな。
じゃあ、滋賀と茨城だったらどうだ?神戸と横浜は似てるか?江戸川と練馬ならどうだ?
大手町と八王子でずいぶん気候が違うのは頭では理解してても、建築になると忘れがちだ。
人はパンのみにて生きるにあらず、生まれ変わってインドで修行してえなあと思っても、とりあえずは現世で頑張るしかないわけだ。
じゃあ、せめて我が家は住みよくしたいな。
ただ、鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC造)は、木造軸組構法より頑丈だ。
床上浸水も河川の決壊も、マンションの高層ならあまり関係が無い。(まあエレベーターは結構浸水に弱いが)
いまさらっと書いたが、マンションってのは土地の有効活用って意味に加えて、
富豪じゃなくても鉄骨鉄筋コンクリートの家を建てられるってポイントがあるわけだ。
みんなでちょっとずつわけあってだが。
違うが、やっぱり強いのは鉄骨鉄筋コンクリートなわけだ。
東京の旗竿地で既存不適格な木造一軒家リノベーションして賢く新生活だ!ってのは、止めないよ。
京都は町家を残そうと必死だし、実際古い木造建築には味がある。
それが悪いとは思わない。
良くも悪くも、日本ではまだまだ「どこに住んでも同じ」とはいかない。
そりゃ、息さわやかで買ってくれるならミントタブレットぐらい常時バリボリやりますわ。
営業員は売った家には住まないぞ。住むのは買う人だ(借りるのも同じな)。
それを忘れないで欲しい。じゃ、選挙には行けよ!
はてなブックマーク - 『江戸しぐさの正体』重版に寄せて—— 一枚の写真から感じる日本の義務教育の「危うさ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント
些細な問題なんだけど、はてなーがまるっきりスルーしてしまうのもどうかと思った。
試し読みhttp://ji-sedai.jp/book/publication/works/edo_02.pdf
ここのP42、「傘かしげ」に関する批判の根拠として、色々気になる箇所がある。
まず、名所江戸百景を例に挙げ「雨の中、蓑傘を着た人に混ざって(略)しばしば傘をすぼめるようにして持っている。」
このあたりで引っかかったので、ちゃんと調べて見る必要があると思ってまあググった。
なんで引っかかったというと、広重の名所江戸百景のすぼめた傘の話に【大はしあたけの夕立】がまず思い出され、
いやそれは雨や風の激しさを表現する情景描写の手法というのが一般的な認識じゃないかとモヤモヤしたからだ。
その後すぐに検証しなかったのはホッテントリを消費するブックマーカーの性である。
さてそういう訳で、和傘に関する認識が、確認のためにぐぐってみればみるほど、ちょっとおかしいなと感じてしまう。
「そして、和傘はスプリングが入った洋傘に比べ、すぼめたまま手で固定するのが楽な構造になっているのだ」
雨のしみこんだ重い和傘(番傘)を、ずっとすぼめて手で支えるというのは重くないか?おまけに両手を常にふさいでしまう。
和傘は広げて固定して肩で支えるように使うもの、というのがしっくりくるんじゃないだろうか。
また日傘やにわか雨用途と思われる、蛇の目傘は二段階に固定できる構造で、やや綴じ気味にして差せる事も無視してないか。
思うに、洋傘=スプリングという認識から、和傘と洋傘の違いを、ジャンプ傘の発明と混同してるんじゃないかなあという疑いを持った。
もう一つ、すれ違いに関する記述も気になった。
和傘は雨で濡れる和紙であり、傘同士が触れ合うとお互いの骨で簡単に破れてしまう欠点も無視している。
いやこれ、批判対象として引用分中で「...とともに、ぶつかって傘を破らないようにする実利的な意味も含んでいた」とエクスキューズしているんだけども。
「さらに、江戸の路地で「傘かしげ」を行うには別の問題もある...」
いままで30年くらい生きてきて、触れずに過ごしてきたことをちょろっと後悔した。
いや、後悔と言ってもぜんぜん遅くないというかむしろ早いほうだと思うんだけど。
なにしろ、客席の平均年齢が70歳くらい。(中には90歳くらいでは?という人も)
若い人は着物をお召しの人(習ってるっぽい)や外国人観光客が多かったね。
で、何がいいって、なんつーの。まず、フィジカル。
想像してた倍くらい動きがゆっくりで、想像してた倍くらい声がでかかった。
あれアスリートよ。オペラ歌手とかもすごいけど。また質が違う感じ。
あと鼓もすごい。音も信じられないくらい響くんだけど、すごいのが誰もタイミングを合わせようとしないの。
タイミングが合ってないのに誰もあわてない。
合ってないんだけど、合ってる。
何言ってるかわかんねーと思うけどそうとしかいいようがない。
売店で、謡本ていう台本みたいなのが売ってる。
(そこの版元が創業350年とかちょっと意味分かんないくらい歴史が長い。)
それ買ってパラパラめくってると、何言ってるかわかる。
逆に言うとそれがないと何言ってるかわかんない。
(狂言師だけは例外でなんとか現代人にも聞き取れること言ってたけど)
で、館内でも謡本開いてる人がそこかしこにいる。
舞台が進行していくと定期的にページをめくらなきゃいけないんだけど、
みんな気を使ってかそーっとめくる。
静かなシーンで、館内の色んなとこでパラパラいうのが聞こえてきて、それがなんだかすごく粋なんだよ。
舞台上の能楽師にしてみれば、謡本ばっかり見てる人に思うところがあるかもしれないけどさ、そう思ったわけよ。
話の内容も謡本のおかげでよくわかったよ。
なんつーの、すごく引き算的というかさ、ま、このへんはおれの陳腐な言葉を尽くしてもしょうがないよな。
過去みた娯楽のなかでぶっちぎりで平均年齢高かったけど、だからって二の足踏むのはね、もったいないですよ。
長々と回しもんみたいなこと書いたけど、館内の人口ピラミッド考えたらさ、いてもたってもいられなくて回しもんになりたくなっちゃったんだよね。
だからとにかく、観にいこう世!ってことです。
スマホを持ってないと時代遅れと言われるが、そもそも携帯電話に様々な機能がある必要があるのか?
スマホを持っていても全ての機能を使いこなしている人なんてほとんど居ないだろう。
「通話」という必要不可欠なアイテムを利用した、まさに「抱き合わせ商法」としか思えない。
それから何もかもデータ化するのは便利かもしれないが良くないと思う。
和紙なら1000年の寿命だがデータなんて5分後に消えてもおかしくない。
このままいったら200年後にはCDや本が骨董品になる可能性だってある。
そして1000年後に今の歴史はどうなるのだろうか?
そんな先の事でなくても予期せぬ出来事が起った場合、きっと何も残らないだろう...
確かに便利な点は多いが、目先のメリットよりこの先のデメリットが大きすぎる。
まぁ...
そんな事言っても200年後の事なんて気にしてられるか!ってのが大半の意見だろうね...
ttp://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52260674.html
152 名前: 豆腐(東京都)[] 投稿日:2010/03/22(月) 19:04:35.85 ID:PFEedjy8
NBC NEWS -長崎のニュース最新版- | NBC長崎放送
ttp://www.nbc-nagasaki.co.jp/news/nbcnews.php
長崎市内の中学校校長が生徒ら200人あまりの個人情報が入ったファイルを持ち帰り、
自宅のパソコンからインターネット上に流出させていたことが分かった。
情報を流出させたのは、長崎市立江平中学校の51歳の男性校長。市によりますと校長は3
年程前から個人情報が含まれる校務用のファイルを持ち帰り、自宅で作業していたが21日、
「シェア」と呼ばれるファイル共有ソフトでセキュリティーソフトを取り込んだ際、ウイルスに
感染。パソコン内にあった生徒や卒業生200人あまりの住所や電話番号などが流出したということ。
市教委によりますと、これまでに流出した個人情報が悪用されたという報告はないということ
ですが、流出したファイルは少なくとも60件以上にのぼるとみられていて、市教委は情報
192 名前: 和紙(石川県)[] 投稿日:2010/03/22(月) 19:08:11.27 ID:9nUN8x9p
»152
処分wwwざまぁwwww
校長が黒で確定
そして・・・
186 名前: 黒板消し(神奈川県)[] 投稿日:2010/03/22(月) 19:07:46.19 ID:UDCIBYlN
あれ?
200人の個人情報流出したっけ?
今回流出したのはあくまで
実際には何も流出されてないのだ。
197 名前: 厚揚げ(神奈川県)[sage] 投稿日:2010/03/22(月) 19:08:29.90 ID:xfg/y6KV
流出なんかしてないぞ・・・
634 名前: 墨壺(山口県)[sage] 投稿日:2010/03/22(月) 19:57:02.62 ID:GoHD2R0M
大嘘wwwww
209 名前: はんぺん(愛知県)[sage] 投稿日:2010/03/22(月) 19:09:15.02 ID:LJOvbwhq
それにそもそも今回のウィルスは
少なくとも元ファイルをバラまく類のものではないと思う。
そういうファイルが使用PC内にあるよ、ってことがわかるだけで
中身がわかるわけじゃないよね。
かなり適当に報告してるんじゃないだろうか。
228 名前: 蒸し器(dion軍)[sage] 投稿日:2010/03/22(月) 19:10:48.97 ID:BrSao5NR
終わった後は普通、打ち上げだの飲み会だって騒ぐんだろうけど、
なんか気分が乗らず帰ってきちゃった。
式が終わって、誰とも写真も撮らず、会った人とろくに話もせず速攻帰ってきた。
それにしても袴の女子は皆、いつもよりも何割も増して可愛い。
私はデブスだから袴なんて恥ずかしくって(試着してみたら、自分がきれいな和紙で包まれた豚肉みたいだったから)スーツで出たけど、皆ものすごくキラキラしててなんか引け目感じちゃったよ。
友達付き合いは薄くて少ないほうだけど、一応何人か飲みには誘ってくれた。
それも断ってきちゃったから、大学の交友関係はもう終わった。でもそれでいい。
いまごろみんなは最後のバカ騒ぎ中か。
ちょっとうらやましいような、でも行ったら行ったでものすごく後悔してそうな、複雑な気分。
昔からそうだった。
何か無駄に冷めてて、卒業旅行とか打ち上げとか参加してこなかった。
でも今のところ、それはそれで後悔はしてない。
あと何年かたったら後悔する日がやってくるのだろうか。
ttp://yutori2ch.blog67.fc2.com/blog-entry-811.html
574 : 和紙(滋賀県):2009/11/21(土) 06:28:51.82 ID:b14VUIkE
582 : 画鋲(catv?):2009/11/21(土) 06:29:51.52 ID:eqn/ag8Z
»574
ガンプラでも買うの?
609 : 和紙(滋賀県):2009/11/21(土) 06:33:39.08 ID:b14VUIkE
»582
625 : さつまあげ(神奈川県):2009/11/21(土) 06:36:47.21 ID:Ad8kOQ/N
»609
それは役に立つんですか?
629 : 画鋲(catv?):2009/11/21(土) 06:38:00.30 ID:eqn/ag8Z
»625
音を増幅してですね……
633 : 鉛筆(dion軍):2009/11/21(土) 06:38:55.49 ID:1HtZ3dEb
»629
技術的な話はするな!
654 : 和紙(滋賀県):2009/11/21(土) 06:42:00.35 ID:b14VUIkE
»625
映画好きだから電器屋のAV体験コーナーでプレゼンするつもりw
664 : 画鋲(catv?):2009/11/21(土) 06:43:08.77 ID:eqn/ag8Z
»654
将来的にそれでいくら儲かるんですか?
675 : 和紙(滋賀県):2009/11/21(土) 06:44:33.72 ID:b14VUIkE
»664
未知数ですが
685 : 音叉(東京都):2009/11/21(土) 06:45:49.62 ID:S/+qER/p
»675
なんでそんな高級なものが必要なの?
707 : 和紙(滋賀県):2009/11/21(土) 06:48:32.97 ID:b14VUIkE
»685
HDMIという最近の規格がありまして配線がスッキリし自動的に切り替えてくれます
それにHDMIスルーという機能があればアンプを使ってない時でも音はでますし
電力もほとんど消費しませんのでとってもエコです
712 :モンドリ:2009/11/21(土) 06:49:19.99 ID:7GOYxNzM
»707
技術の話はするな!
そこまでして現代ではなく30年前を舞台にするからには、
そういわれりゃそうだな。戦後35年が30年前か。昭和も遠くになりにけり。
原作はいつだっけ。後鳥羽伝説が82年で天河伝説が88年だから85年くらいか。
似た様なの多いし、読んだか読んでいないかすら忘れた。
脚本がアホかも知れんけど、戦後と美濃和紙がテーマなんじゃないか?
浅見光彦シリーズはトリックとか割とどうでも良くて、旅情的な地方の文化や伝説と、運命的な過去の事件や因縁が絡む、ラーメンみたいな話だ。
遅刻しそうなのでパン咥えて走ってたら転校生とぶつかる様なものだ。もちろん、この時はまだ、目の前の彼が生き別れた兄妹などとは思いもしないわけだが、的な。
まあだってさ、駅前とか街中とかちょっと歩いただけでもポケットティッシュをタダで配っている人がいるわけ。
理解できないくらいそりゃあもういっぱいいるわけ。
タダで良いよってティッシュが多数なのに、花粉症とかAV鑑賞とかでさんざん使わされるティッシュに金払えとかおかしくない?
あ、こういうこと言うとさ、「ティッシュ屋が生活できない」とか言う人が必ず出てくるんだけどさ。
良く考えると「ティッシュで生活できる」のがそもそも異常だったんじゃないの?
だって趣味でプロ並みの和紙作る人だって腐るほどいるわけでさ。
理想がどうとか言う前にさ、ティッシュでお金儲けしようって発想がさ、もう根本的におかしいんだよ。
追記
すまん、書き直してる間にレスもらっちゃった。早く寝ないとお化けがでるぞ!(笑)
ーーーーーー
インターネットっていう言葉自体がアレルギーになってそうな人たちを相手にする感じか。
たしかにいそうだな。
微妙にWiiが頭をよぎったけど、どこにも横文字を使わずに電子新聞!みたいな感じで、レトロコンテンツひっさげて出せばいけそう・・?
iPhoneみたいに最新鋭ってオーラを出さずに、薄型ブラウン管テレビのデザインとか、昔のテレビで使ってたフォントとか、レトロ全開で、機能や操作を現実にあるもので表現するってのはどうだ?
ユニットごとに固定のメールアドレスがついてて、着信すると封筒が画面の端からすーーっとでてきたり。(メルアドは「住所」って教える)
メールをつけるかどうかは、シンプリシティ的にどうかわからないけど・・
本体は木製だったり、和紙っぽい素材を使ったり・・
画面だけの本体だとテクノロジー臭がするから、本とかアルバムとかみたいな形にして売ったり?(厚みもごまかせる)
イメージとしてはこんな感じ?