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はてなキーワード: 卒業旅行とは

2024-11-18

ワンポチ38万円の詐欺に遭いました

すみません。どうしたらいいかからないので、賢い方どうかおしえて下さい。

(あんたが悪いの回答はやめてください。そんなん解ってますから。)

今度卒業旅行に女4人でダナン(ベトナム)に行く事になりました。

大手旅行会社から4人分の海外航空券+ホテルの予約をしました。

慎重に予約をしたはずだったのに、希望をしない往路便が指定されていました。

すぐにカスタマーセンター電話しましたが、大手カスタマーにすぐ繋がらないアルアルで、繋がった時にはチケット発行済みですとのこと(本当に?)

契約を取り消して欲しいと申し出ましたが、ちゃん確認せずに予約した私のミスの1点張りで話にならず。

そんなはずないのにと思いつつ、もう面倒なので解約してと言いました。

その日の夜、カスタマーサービスから「なぜ解約するのですか。」と電話があり「まだ解約にはなってません。24時間以内なら一人3,000円(4人で12,000円)で解約します。」と初めて聞く謎ルールを告げられました。

信用できなかったので、ちゃんとした見積額が知りたいと言いました。

外国航空会社の問い合わせをしますが2・3週間以上かかります。回答は24時間以内にしてください。よろしいでしょうか。」と言われ

「良い訳ないやん。そもそも解約したくないし。」と伝えるとカスタマーにムキ―され相当揉めました。

売り言葉で「録音テープがありますから聞き直せばわかる」と言うので「私にも聞かせてください」と言うと「それはダメです」と。

意味不明すぎて話にならない。

次の日見積もりメールが来ました。

*お支払い詳細*

パッケージ合計)JPY 233,471

    航空券JPY 191,339

    ホテルJPY 42,132

 航空券ご返金)JPY 189,507 

この時点では航空券金額と返金との差が1,832円でしたので「解約してくださいと告げました」

これで終わったかと思っていたら、その日の夜に「録音テープ開示はできません」と、今朝とは違う人から電話があり、一から経緯を話しました。

解約したしない、言った言わない、あなたの取り方の違い、メールもらったメールしてないで揉めたので送ったはずのメールをイチイチ確認して貰いました。

もちろんカスタマー勘違いメールは送られていたので平謝りされました。

明日じょうちゅから電話する、と。謎の人物じょうちゅとは何者?

次の日は1日返事がなく、翌日予定した便の残席が少なくなっているので、どーなってますか?とメールしました。

すると、旅行代理店から23:34分を過ぎて「社内で改めて協議を致しましたが、あいにくご案内における弊社側の手続き誤りは確認されませんでした。」としたうえで

キャンセルについては(一旦 233,471円をカード払いしたうえで)23,803円の返金

変更については(一旦 233,471円をカード払いしたうえで)約185,266円(フライト自体の差額金額を除く)

との回答がありました。

解約総金額231,168円、フライトの変更をするとフライト便だけで合計376,605円が必要との事らしいです。

意味不明

そもそも最初提示された返金金額から大きく変更しており、更に追加料金で、なぜこんなに請求されなくてはならないのか意味が解りません。

これって普通ですか?

友達には話してません。

折角楽しい旅行で浮かれているのに、こんな事言えない。

から私が手数料?を支払うことになりそうです。たぶん無理。だからせめてカードだけでも止めて貰いたいのです。

それにこんな変な契約になったのって絶対旅行会社の申し込みサイト不具合だと思うんです。

ワンポチ38万なんて酷すぎだと思います

これから大手旅行代理店web申し込みされる方は十分気を付けてください。

https://youtu.be/64nJi8ZvXkw:字幕は必ずオンで

2024-11-06

anond:20241106152957

ほならワイも便乗して昔語りしたろ♪

…89年の晩冬~初春にかけて、ピースボートという団体事務局?が当時最高で最後流行を示そうとしていた「反原発」を掲げて、日本列島原子力発電所の立地場所を海から視察するという名目で「日本一周反原発ピースボートツアーを敢行した

大学入学直前の高校卒業旅行としてワイくん厚顔の美少年(18)は乗り込んだ

ところでこのツアー乗客は船内のイベント下働き積極的に参加してこなすことが奨励されており、そこでワイちゃん(18)はまだ『カイジ』を描く以前の作者と出逢ったんや

船内では随時いろんな所でいろんな勉強会というイベントが行われており、彼は美術スタッフとしてそれらの会場に貼り出されるポスターを白の模造紙に「チェルノブイリには行きたくねェ~♪」と忌野清志郎(だよな)を口ずさみながらポスターカラーで描きまくってた

ワイちゃん(18)も何をおもったか彼といっしょの美術スタッフだったので数回ほど世間話することがあった

ツアーが終わって下船したあと、彼から自作といって手紙と『ワニの初恋』っていう人情話のマンガ単行本が届いた

追記ランキン・タクシーも乗ってた

船内での著名人うしの対談イベントレゲエ爆音BGMに流すというMC?みたいなことやってたが、対談の途中でいきなり席を立ってレゲエの音量を調整してまた戻るっていうことしてたのが印象的だった

2024-10-04

世の中意外と全てにおいてショボイ

最初に謝る。

育った環境も何もかも違うのにこんな事言ってごめんなさい。だからこそのアノニマス

世の中、皆想像以上に貧乏

そんなに切り詰めてるの?辛いね。今まで君たちほど貧乏な人に会った事がなかったから、わからなかった。こんなモノすら食べたことなかったんだね。ごめんなさい。

世の中、皆そんなに酒飲めない。

お酒好きというから誘ったけど、潰れちゃったね。そんなに少ししか飲めないとは思わなくて薦めてしまった。ごめんなさい。しかワイン2杯でKO...?

世の中、皆すごく英語が苦手。

流暢な英語!という前振りを信じてあなたの話っぷりを聴いてみたけど、発音いね。でも少し直せば通じるよ?がんばろ?自信無くさせちゃったね。ごめんなさい。

平均年収って都市伝説だと思ってたけど、誠なんだね。400切るんだね。よく郊外にこんな家建てたね。知らずに飲みに誘っていたよ。ごめんなさい。そして嫁さん見つけられてよかったね。ブサイクだけど。

卒業旅行トランジットで来てたんだね。こっちはJALの直通だからターミナル違うんだ。しかも親のマイレージBCなんだ...言えないや。せっかく旅先で出会ったのにココでお別れだね。ごめんね。

ごめんなさい。ごめんなさい。

2024-08-31

anond:20240831025456

白人の間では、日本人の女には「ピカチュー」とか言っとけばなぜかやれるとされている。

EUにも弱男はいて、当然結婚はできないのだが、そんな時目の前を日本人の女たち(卒業旅行なんだろう)が通りかかるとする。EU弱男の口をついて出た言葉が「ピカチュー」だった。程なくして日本人の女たちのひとりとEU弱男は結婚を果たし、周りにはオリエンタルミラクルダッチワイフ奇跡)ともてはやされた。こんなシチュエーションが、人口5億の地域で、年間2000回生じることは、それほど想像に難くない。日本人口で考えたら、400回ってところだ。目の前を歩くペロペロキャンディを、腹を空かせたワニが一応味見してみることが年間400回起こらないと思うかい?2000は十分ありそげな数字だ。

ちなこういうのをフェルミ推定という。これ豆な。

2024-08-20

3回目の飛田新地は心から楽しめなかった

大阪旅行に合わせて3回目の飛田新地に行ってきたんだが、今回も心から楽しむことができなかった。

楽しめなかったのは前回と今回で、前回はそういう日もあると思って割り切っていたが今回も楽しめず、初回補正もあるのだと思うが初めての娘があまりに良すぎた結果なのだろうと思う。

始めては友人と卒業旅行に行った時で、女の子は(座っているときは気づかなかったが)そこそこ小柄で、青いネグリジェみたいなものを着ていた黒髪の娘だった。少しツリ目がちで整った顔をしていたのもあってところどころ近所に住む少し年上のお姉ちゃん幻覚)みたいだと思う瞬間もあった。

満面の笑みとか、全身ですごいアピールしてこっちに来て!という感じを出していたとかは無かったが顔がド好みで選んだ娘だった。

部屋への案内は手を繋いで行った。3月のまだ少し低い気温の中、彼女の手のぬくもりが童貞自分にはとてもうれしかったのを覚えている。

時間を決めて料金を払ったらお金を渡しに行く間に脱いでおいてと指示されすっぽんぽん待機、そこからの流れは特筆することはない。童貞であることを伝えるとバックの方がやりすいからと、騎乗からバックでフィニッシュした。

ナニをキレイにし終えたところで「卒業おめでとう」と微笑みながら小さく拍手された。

余った時間で茶をすすりながら談笑(向こうが明るく話をしてくれたので楽しかった)して、時間が来たところで席を立った。

部屋から出るとき手を広げてきたのでハグをして、「今日ありがとう」と言いながら軽く頬にキスされた。

顔も良ければサービスもいいし最高だな!なんて思いながら笑顔飛田を後にしたのを覚えている。

その経験を引きずって、2年くらい空けて久しぶりに行った時は制服を着たロリの子だった。大学生という設定だったがたまに年上っぽい話をされたりと(それでも2~3個程度だろうが)、年齢が行ったり来たりしていることに気を取られて会話はそこまで楽しめなかった。

行為はまずまずだったが入ってから出るまで、流れ作業ですという感じがぬぐえなくて前回との落差に驚いた記憶がある。

どちらがイレギュラーだったのか気になりすぎて数か月でまた大阪の地に降り立ったのがこの前。

浴衣にそそられて選んだ娘は近くで見ると思ったより年上っぽかったがショートカットが似合っていて可愛かった。

行為はこの娘が一番良かったが、総合してすごく良かったとは言えなかった。

オチも何もないが、2回目は行く前の期待値を超える経験ができなくてちょっと残念だったという話。

もし次行くことがあったとして、着衣でできるところがあるならそれでやってみたい。

2024-08-17

anond:20230105112804

弱者というかどんなちっぽけな人間にもプライド尊厳があって、そこを傷つけられると屈辱に感じて怒るものだよ。

中途半端に傷つけるくらいなら、強弱関係、格の違いをはっきり見せつけてプライドへし折ってやる方が嫌われない。

で、30万ポッチでそんなに年の離れない姉の夫(と姉)に数年分教育してやる感、感謝しろ感出したら嫌われるわな。

さらに、義妹氏からすれば、義兄に30万円で恩を着せられ支配されてる感に、男女間の性的ニュアンスが被りそうになって拒絶したくもなるだろう。

もうちょっとドライ業者的に貸すか、いっそ引き換えに一発やらせろの方が良かったかもね(生活保護ケースワーカー役人にペコペコして暮らすより、風俗で自立する方を選ぶ人もいる)

まあ一発は冗談だけど、教育でやったことなら、別に義妹に嫌われてもいいんじゃないの?

教育者は、生徒が学び成長するのが報酬。生徒に好かれようが嫌われようがどうでもいいだろ。

もし時間を巻き戻して、もう一度同じ局面になった時、義妹が一生に一度の卒業旅行に行けるように30万円もう一度貸すべきだと思えるなら、それは正しいことだったよ。

男がなすべきだと信じたことをやったなら、それでいいじゃないか

ワイは、あんたはベストの巧妙さではないとしても、ちゃんとやるべきことをやったと思うよ。

30万円にしかるべき感謝するかどうかは義妹の側の器、人徳問題だ。

2024-07-30

学がある旅行の対としてエモい旅行提案したい

学がない旅行は悲しいという趣旨のXの投稿を見た。旅先で見たものに思いを馳せずにただキレイだと思うしかできないからという理由らしい。

しかに言っていることは尤もに見える。

たとえば学がある人にとって姫路城は見た目の美しさのみならず、城が辿ってきた歴史の面でも格別である。他の城にも物語があり、それぞれが持つ物語が城を特別代替不可能ものに変える。一方で学がない人にとっては城なんて全部一緒に見える。木造か鉄筋コンクリかなんて知らないし、関ヶ原以前に建てられた城も昭和に建てられた城もいわれなきゃ気づかないし、わざわざ調べない。学がない姫路旅行は2つの観点から悲しい。姫路城が数百年の間に経験した災難を乗り越えていま自分の目の前に建っている。この感動を抜きにして姫路城をただのランドマークとして消費してしまうのは悲しいことこのうえない。それに、都内に住んでいる人がわざわざ、1時間に1本しかない東京駅姫路駅停車の「のぞみ号」を調べたり、日帰りで行くのは勿体ないから...とホテル複数サイト比較して安くて良いホテルを探したり、といったことをしても得られる喜びは東海道本線での日帰り旅行で行く熱海城と同程度だとしたら時間お金無駄である

まず第一観点は今回無視する。絵具をチューブから直接キャンバスの上に出したような現代抽象画について、どんなに説明を聞いても良いと思わない人がいるのと同じで、学と旅行を結びつけることに根本的に喜びを感じない人もいるかである。そのような人の存在を疑うなら修学旅行を思い出してみてほしい。団体行動の時間にはたいていの場合歴史の授業で最近習った場所に連れていかれる。それに、ツアーガイドさんの補足説明もある。しかし、帰りの新幹線の中で学がある旅行の感動について語り合っている人はいなかっただろう。

第二の観点についてもう少し拡大して考えたい。すなわち、同じに見えるのにわざわざ遠くの有名な観光地に行くことは時間お金無駄だ、という着眼点で「よく分からないけどキレイ観光地」にわざわざお金時間を余分にかけて行く人がそれなりにいるのはなぜか、ということを考察する。

まず、グループ旅行一人旅旅行タイプを分類する。

グループ旅行について考えるほうが簡単なので先にグループ旅行から考える。家族や友人と行く旅行は仲を深めたいだとか、近場での遊びよりも長く一緒に過ごしたいだとか、いろいろな理由があるが、そこの違いは無視する。身も蓋もない言い方で結論をまとめると、みんなでわざわざ遠くまで行くのは共通の思い出作りだ、ということになる。しかし、これでは「なぜ熱海城ではなくて姫路城でなければダメか」の答えになっていないので旅行でよく起こるイベントを丁寧に見ながら先の論題への回答とする。

旅行に関する出来事時系列でたどると初めには誰かが「旅行に行かないか」と言い出すことから始まる。旅行先は旅行幹事勝手に決めることもあれば、みんなが納得するように話し合いで決めることもある。「もしダーツ旅行先を選んだら、旅行先は決めたのではなくて勝手に決まったのではないか?」」という奇異な意見もあるかもしれないが、そのケースでも「ダーツ旅行先を決める」ということを決めている。そして、それぞれの決断にはなんらかの共通認識が必ずある。「みんな社会人になったかスケジュールコンパクトにしよう。で、その分ちょっと予算多めにしよう」だとか、「卒業旅行からせっかくだし海外に行こう」だとか、なんでもいいが何かしらの理由がある。そして、行きの新幹線(もちろん飛行機でもなんでも良い)に乗るタイミングでは必ずドラマが発生する。誰かが乗り遅れたらそれはずっと話のネタになる。誰も乗り遅れなかった場合、もし全員が旅慣れしてれば「みんなの深い知識経験のおかげで誰も遅れることがなかった。」と言えるし、旅慣れていない人がいれば「旅に慣れてないのに複雑な東京駅迷子にならなかったのは奇跡だ。旅行が楽しみだからみんな早めに家を出たのかもね。」とかなんらかの会話が生まれる。そして、目的地に着いたとき旅行に関する過去出来事がある特定景色ランドマークと結びつく。「新幹線に乗り遅れて一時はどうなるかと思ったけど、全員で一緒にこれが見れて良かったね。」とか、「幹事やっぱセンス良いわ~」とかといった具合だ。この瞬間に、「他の城との違いはわからないけど有名らしい姫路城」は「みんなで行った姫路城」になる。冒頭で言及したXの投稿では学がないと何を見ても同じようにキレイしか思えないとされていたが、自分エモいという言葉表現することを提言したい。エモいという言葉キレイという言葉よりも、汎用的でなんにでも使える。その言葉の広さがもつ暴力から攻撃の的とされている言葉だが、この広範さが旅行では逆に良い。旅行に行っていない人に「エモかった」と言っても旅先で見聞きした素晴らしいものは1mmも伝わらないが、むしろそのほうが旅行当事者だけにしかからない秘密合言葉のような効力をもつ。誰かといった旅行で、ここぞというタイミングで「エモいね」と言ってみてほしい。言われたほうは初めは意味がわからなくて首を傾げるかもしれないが、意図がわかれば「そうだね、エモいね。」と返してくれるだろう。もちろんどれだけ待っても意図理解されない可能性もあるのでタイミングと使う相手には注意していただきたい。「学がある旅行」は旅行の中にぽつりぽつりと学と実物が交差する点があって、そこに感動を覚えるといったニュアンスである自分解釈したが、タイトルで先に出していた「エモい旅行」のエモい、は形容詞であるため、旅行の全体にかかる。

学がある旅行以外での一人旅行も実はほぼ同じである。何かしらの理由があって旅行先を決めるし、旅行先に行くまでに何かしらのドラマがある。ひとつだけ違うと感じるのは、一人旅では共通の思い出を作る相手がいない代わり、その時の感情の一部をスナップショットのように観光地に釘付けして保存しておける点だ。たとえば、自分大学受験の直前にモチベーションを完全に失って、いつも通学に使っている電車の先の海が近い駅に行った。あの海を見ると受験プレッシャーから一周回って解放されて、燃え尽きるまで頑張った自分を全肯定した清々しさを今でも思い出す。あの頃にはエモいという単語すらなかったが、思い返すとあれもやはりエモい旅行だった。

蛇足だが、上記議論をもとにユースケースごとの個人的おすすめ旅行先の決め方をまとめる。

2024-02-08

anond:20240207180308

JTBあたりにつとめてるアラフィフ卒業旅行海外プランが全く売れない理由がわかって大ショックの図、にみえ

2024-02-07

anond:20240207223353

それは卒業旅行とかズレた事言い出した元増田に言ってくれ

anond:20240207180308

卒業旅行ってイベント、世の中には本当に存在するの?

行ってる人見たことないんだが

anond:20240207222524

続いていたとしても「大学卒業旅行海外に行くってめちゃくちゃ普通だ」というのが主な主張のである事は変わりがなく、元増田世間ずれが最も良く現れている部分なのは明らかなので。

anond:20240207221707

大学卒業旅行海外に行くってめちゃくちゃ普通だと思う」という話を含む元増田へのレスからですね。

海外旅行する予定がある大学生は全体の4.7%

こんな時は統計を見てみましょう

大学生協調査によれば

https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

海外旅行実施率は1.8%、予定ありとしても.4.7%。

そんで、最新の統計でも大学に入るのは全18歳の半分なので、同世代ということでくくると更に半分、2.35%となるね。

貧乏学生が金貯めて、って例外はあるだろうけど十分に「太い」ですね。

anond:20240207180308

さらに「実家」という事で子育て世代フィルタすると、子育て世代子育てができない世帯の1.4倍の世帯年収があります

そして更にその前に「未婚」「既婚」の壁があって、未婚者は既婚者に比べて最大で収入が8割も差があると言われるんで

これだけのガチャを回して辺りを引き続けた太い人だけが経験できるのが海外への卒業旅行だと思われる。



と、まあ言わなくても、バブルの頃でも海外旅行にいく学生ってのは2割ぐらいだったらしいんで、まぁ普通に太いほうですよ。

2024-01-31

社会人になる前に報連相の大切さを知った話(副題:卒業旅行で友人にイライラした話)

最初に述べておくが、この件は確認しなかった私が悪い。

それを承知の上で、感情的には喚き散らしたいところがあるのでここに書いておく。

大学卒業にあたって、中学以来の友人と海外旅行をすることになった。

だが自分卒論や口頭試験内定から課題など様々な用事があって、ズルズルと旅行の日程や場所など予定決めを伸ばしてしまった。

ようやく行きたいツアーに決まり中旬下旬の日程で行けることとなったのだが、いざ予約して振り込もうとした段階で友人に確認すると、パスポートの期限が切れていることがわかった

その件に追求したところ、「日程とコースが決まったのもつ最近だ」と言われたが、2月に行くことは決定していたのに、1月パスポートを取っていないのはさすがにギリギリだと思う。

パスポート申請ってまあまあめんどくさい上に1週間はかかるという常識は、自分にとって健康保険証がなければ全額を払う事もなると同程度の常識だと思っていたが、世間的にはどうなのだろうか。

(それに、海外旅行場合少なくともツアーを決める付近パスポートの準備はしておくべきなんじゃないのか?という思いもある)

感情的には「パスポート云々って1週間の単位で予定を組むものじゃねーよ何ズレたお気持ち表明してんだ馬鹿じゃねえの?」「休学して暇ならるるぶ買ってねえで海外旅行の注意事項調べろや!」とぶっちゃけ思った。

でも世間知らずな面があることを知っていて確認しなかった私が悪い。(世間知らずな所以外は気が合う良い友人なのである)

まあ、発覚したのは(2月下旬ツアーにすれば)1か月前だし、じゅうぶん間に合うからいいけど、これから社会人になるにあたって報連相は心がけようと思った出来事だった。

2023-11-22

卒業旅行でやけにお小遣いを弾んでくれた父

彼氏かなって期待してるらしい

全員女でーす。

なんか。ごめん

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

2023-08-17

旅先でおいしかったもの

・島めぐりサイクリングの後の桜島大根のたくあん

夜遅く18きっぷで着いて商店街のどこも開いていない中、ギリギリ店に滑り込んで食べた明石ネギ焼き

18きっぷ仙台に行って18きっぷより高くついた牛タン

四国キャンプめぐりで朝から食べた香川うどん

卒業旅行で行った諏訪大社前の天ぷらそば

旅行行きたいな~

2023-07-25

高校卒業旅行風俗に行かせれば良いと思うんだがどうだろう

2023-06-22

anond:20230621210336

氷河期第二世代だよ

Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活2011年2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。

朧気な記憶辛酸を舐めた感覚けがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。

2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。

就活全体としては、説明会ESSPI/適正テスト面接グループディスカッション、一次面接二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須

何回も説明会に行って、何回も大学支援センターESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月3.11が起きた。

行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。

(翌年の世代さら就活が厳しくなった)

それからクソ暑い真夏リクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定3月にもらった友人が4月内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人晒しあげる手段空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。

就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラサービス残業20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。

会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望業界転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手待遇の良い会社採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達全然変わることをすごく実感した。

こうやって書いてて思うけど、第一氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨レベル比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。

ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。

2023-06-16

外で他人に喋りかけていい TPO

妹に聞いた話。

彼女卒業旅行アメリカに行ったときのこと。

見知らぬアメリカ男性に声を掛けられたそうだ。

一人のとき、なんの脈絡もなく、いきなり。

「どこから来たの?」などと言われたらしい。

妹は、なんか距離感近かったね、と笑っていた。

友人(女性)も同じように他人男性に話しかけられたそうだ。

ゴキエナ。ゴキブリハイエナを足して二で割ったような存在

女性男性をそう見てる男側は想定すべき。その警句を聞いたとき妹の話を思い出したんだよ。

アメリカ人の男には、しかしまったく、日本での普通気遣いインストールされてねえ。

あるいは単に、妹たちが舐められていただけなのかも知れない。

真相は闇の中。

気にしてない妹たちも妹たちだ。何だよ距離感って………。

自身記憶を振り返ってみると、外で他人に話掛けたことって一度もないと思う。

成人してからは本当に一度もない。

どういう時だったら他人の異性に気さくに声を掛けていいんだろうか。

そういえばミスタードーナツで一人ドーナツセットを食べてたときに、何かのキッカケで20歳くらい年上の女性に話しかけられて談笑したっけか。

あのとき女性は「逆ナンみたいで、ごめんなさいねえ」と苦笑していた。

俺は正直脳内で「は?」となったので強烈に印象に残ってる。

なんてこった他人の異性に話しかけるとナンパになるのか、ナンパは謝るようなことなのか…。

と、若き俺はショックを受けたのだ。

それが常識でいいのかは不明。まったく自信がない。

こういう話って男友達同士でしたことないわ。

2023-05-19

理解ある夫君がいるASD女だけど毎日死にたいと思ってる(5/21追記

先日、ASD傾向強めの発達障害と診断された。これまでの人生を振り返って、何もかも辻褄が合ったと思った。

正直「救われた」と思った。

夫の落胆した顔を見るまでは。

私はアラサー既婚女性で、大手日系企業に約10年間勤めている。その間、数回休職している。産休とかじゃなくて、メンタル不調によるものだ。

なぜかみんなと同じように人と接することができないし、みんなの言う「適宜さぼりながら働く」が全く実践できない。実際にさぼろうと思って少しiPhoneいじってたら上司に叱られた。「仕事で見返せ」と言われたので発達障害お得意の過集中を発揮してみんなの3、4倍の事務仕事をこなしたけれど、機械的仕事しかできないか評価はされない。当然だ。

曖昧ルールが分からいから頭から煙がでるほどマニュアルを熟読して接客にも臨むけど、少しでも想定外質問をされると回答に詰まる無能っぷりも発揮しちゃうそもそも人の話を聞いてる最中自分意思関係なしに集中力がハサミで切断されているようにぶつぶつ途切れるのだ。

でも上司や同僚たちはめちゃくちゃ優しい。基本良い人だらけの職場にいる(「あんただけできてないんだよ!」って怒鳴るババアもいたけれど、なんか私が結婚した途端「そんな人だったんだ」みたいな目で見るようになって露骨に態度を変えてきた。まじでクソババアの鑑である)。

から人間関係で悩んでいたわけじゃない。それなのに身体悲鳴をあげて出勤できなくなって数回目の休職突入した。

自分はよほどの無能なんだと思った。

元々、不眠症と原因不明身体の不調でメンタルクリニックに通っていた。気分は生まれてこのかたずっと落ち込んだ状態なので、別に医者に話すほどじゃないと思ってるし、約30年間、自分はずっとそういう性格なんだと思っていた。毎日1回は死にたいと考えているし、みんなそんな風に人生をやっているのだろうと思ってた。でもこれってきっと鬱とか「生きづらさ」とか言われるやつなんじゃないのって、最近うっすら思うようになったんだ。

自分は人と比べたらかなり恵まれ境遇だと思う。親は貧乏だけど普通に愛情はあったし、勉強は苦手じゃなかったかMARCHと括られる私立大学には通えたし(もちろん奨学金を借りた)、何より容姿にそこそこ恵まれた。

アイドルっぽいよね」とよく言われる。これは世間で言われるアイドルの面々を思い浮かべて平均値を割り出すと、私には畏れ多いほどの誉め言葉だと思ってる(ガチ美人はこんなことを言われたらきっと自尊心が傷つくのだろう)。

大学時代の友人に「朝ドラにいそう、でも朝ドラまりの子」って言われたときは手を叩いて笑った(身に余る光栄です!)。

から友人たちの間では「不思議ちゃん」とか「なんか手の掛かる子」として処理されてきた。

でも、なぜか交友関係が維持できない。友達グループの輪に入ることはできるのに、卒業旅行に行くほど仲の良い友達も作れなかった。これは未だに払拭のできないコンプレックスです。

思えば母親も、ずっと私のことが育てづらそうだった。

私はちょっとしたことですぐパニックになって火がついたように泣くし、物忘れが激しいし、何度指摘しても度を越したマイペースが治らない。

「どうして普通にできないんだ」と、よく母にテレビリモコンで頭をガンガン殴られていた。

母に虐待傾向があったわけじゃなく、たぶん私みたいな子供を育てたらみんなリモコンガンガン殴ると思う。父はロボットみたいな人間で完全に子育て放棄してたし。

「なんで普通になってくれないんだ」と、母に髪の毛をつかまれて引きずられたりもしていた。

私は成長するにつれてますます些細なことにイラつくようになったので、母親にされる前に自分で壁に頭をガンガンぶつけて自分でブチブチ髪の毛を抜くようになった。手首切るのは痕がつくのでやりませんでした。痕が見つかって人に突っ込まれたら面倒くさいことになるのは目に見えているので。私はそういうせこい損得勘定は働く、さもしい人間なのである。だから自分は鬱じゃないと思ってた。だって実際鬱になったらそんなのなりふり構ってられないでしょ?

でも子供部屋の窓を開けてベランダに出るたび飛び降りたいと思ってたし、車の群れを見るたびに突っ込みたいと思っていたし、駅に行ったら電車の下敷きになる感覚想像したりしていた。というか、今でもそうなんだけど、普通にこれって軽度の鬱とかかかな?

また話が逸れた。「発達さん」なので許してほしい。

入社一年目に、あまり仕事が出来なくて早々に診断書をもらって休職した。そしたら普段めったに話しかけない父が家にいる私を見て「なんかニートみたいだよ」って言ってきたんだよね。母は「恥ずかしいから外に出ないで」って言ってきたんだよね。

は?

あれから数年たって今現在、父と母が立て続けにメンタル不調になってふたり散歩に出たりしているらしいんだけれど、正直私はどんな顔をすればいいのか分からない。それなりに育ててくれた両親がメンタルを病んだのは心配だけど、人に外に出るなとか言ったくせに散歩してんじゃねーよボケが、とも思ってます。最悪な子供だと思う。

そんなこんなで先日、一緒に暮らしている夫が私を「何か他の人と違う」と思ったらしくて、メンタルクリニックで生活の困りごとを話すように勧めてきた。さっそく私はスクリプトを作って相談したら、医者の顔がみるみる曇っていって、なんか検査をやるはめになった。結果、私はこだわり傾向の強い発達障害であり、ASDADHDも両方兼ね備えているとのことだった。正直私は「単に自分が怠け者で、性根の卑しい人間ってわけじゃなかったんだ」と思ってほっとしたんだ。

でもさ、それを夫に伝えたら、みるみる夫の飲酒量が増えていっちゃったんだよね。

「君がいてくれれば、それでいいんだよ」なんて言ってくれてるけどさ、これ本当?私がアルコールを通して夫の寿命を縮めているようにしか思えないんだよね。「僕は君を支える側にならなくちゃいけない、しかもそういう立場の人はつらいとか言っちゃいけない……」ってぽそっと呟いていたんだけどさ、完全に私、彼の重荷じゃん。

子育ての話とかだってしていたのに「発達障害って遺伝可能性もあるんでしょ?」とも言われちゃいました。ごめんなさい。発達障害の無い人と結婚すればよかったですね。というか、もっと早く診断していれば良かった。

何が一番つらいって、私が夫にとって急に「発達障害の人」って扱いになったってこと。急に私が片腕とれたとか、歩けない人になったとか、夫の中ではそんな感じになったんだろうね。私は彼と支え合っていきたくて結婚したのに、急速に彼にとっての「重荷」になっちゃいました。こうなったら離婚が最良の手段だと思うんだけど、夫はそれは嫌なんだって。もう、こうなったら無理にでも復職して定型発達に擬態して、自分に鞭打って人生やっていくしか道は無いように思う。

専業主婦は考えていません。とにかく、彼の重荷にはなりたくないので。

ズラズラ書きましたが、とりあえず結論として別に誰も悪くはない。悪役の登場しない人生でした。これからもそうだと思います自分けが恩知らずで、自分けが悪い人間なのだと、常に感じています自分けが悪い世界地獄だよ。

いつも、手を伸ばせば死がそこにある感覚だ。

世界が冷たいんじゃなくて、自分けが冷たい。死にたいというか、既に自分死体のように思えるんだ。

まとまりのない文章を、ここまで読んでくれてありがとう。もしもあなたがこの文章を読んで嫌悪感とか怒りを感じてしまったとしても、その感情はある種の温かさでもあるから攻撃をしてくれたってかまわない。どうか読んでくれたあなたたちの周囲には、温かな世界が広がっていてほしいと思う。

~5/21追記

たくさんコメントくれてありがとう。まず謝りたいことがある。

まりにも多くの温かいコメントを読んで、私自身が、匿名性の高い場に対して偏見を持っていることに気が付きました。自分が失礼すぎて恥ずかしいです。自分の醜い面を「みんなもそうでしょ?」って一般化するのは最悪だね。本当にごめんなさい。

みんなのコメントのおかげで、自分ASD特有課題自分自身(生い立ちとか、思考のクセとか)の問題混同していることに気づけたよ。ありがとう

予想以上の反響を受けて、この記事発達障害の方々への偏見助長させそうな恐怖を感じたので、今は記事の削除を検討しています。とりあえず少し様子見かな。

でも、嬉しかった書き込みとか具体的なアドバイスとかは、手元の日記帳に書き留めて大切に保管しておく。いくつか実践もしてみる。本当にありがとうね。

優しいコメントをくれた人たちにはもちろん、こんな暗い乱文を読んでくれた人たち全員に、何か良いことが起こってくれると嬉しいな。

2023-03-26

卒業旅行どこ行った?ハラスメント

大学4年生です。

卒業旅行どこ行った?

これ就職先等で頻繁に聞かれるんだけど、行ってねぇよ。

みんながみんな旅行好きなわけではないんだけどなぁと毎回思う。

先輩社員から「〇〇くん、卒業旅行どこ行ったの??」って聞かれて、「あ、行ってないっす」って答える身にもなってみろ、ちょっと気まずいし、空気を少し悪くする役割をこっちに押し付けるな。

行ってないと答えると、「友達とかと行かなかったの?」って聞かれるけど、そんなアウトドア友達いねぇわ。「そういう友達いないっす、、、」でもっと空気悪くすればいいわけ??

卒業旅行どこ行った?ハラスメント対処法教えてください。

ちな一部の先輩社員脳内では、俺は四国一周したことになってる。

2023-03-11

アホな高校生ってやばくね??

ディズニーランド行った。

高校生絶望的にモラル無くてびびった。

卒業旅行修学旅行ディズニーに来てる学生が多いみたいで、制服を着て4〜5人のグループで行動してた。

後ろに並んでた男子高校生グループ、大きな声で「両手に女ァ!両手にま〇こ!」とか叫んでるし、ちんこうんこ、げろ……とか連呼してて心配になったし、つまら下ネタ集団ゲラゲラ笑ってて、びっくりした。

女の子だけのグループも、ジェットコースターに乗りながらスマホ写真撮ってるし、

スペースマウンテンやホーンデッドマンションの暗い場所で、三歩進むごとにフラッシュたきながら連続自撮りしまくってるグループもいて、フラッシュ撮影ってこんなにしてええんか??ってなった。

あぁ、こういうノリで醤油さしベロベロするんだろうなぁって思いました

2023-03-03

元カレ浮気相手は、女子高生だった。

 あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。

 高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。

 それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。

 「元カレ浮気してたらしいよ。」

 え、あ。

 へえ〜。

 はあ、そっか。

 言葉が出てこなかった。普段感情言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。

 友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。

 そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ち弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。

 元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。

 

 女の子は、私と彼の出身高校制服を着ていたのだった。

 あの日卒業式で一緒につけた青い花のブローチをつけて。

 それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。

 こんな簡単言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手しか女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。

 

 きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。

 もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。

 浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。

 何より貴女が恋に落ちたそのひとは、私のものだったんだよ!!

 そう、私のものだったんだよ。

 高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。

 高校1年生の夏、みんなで頑張った部活練習暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。

 高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後喫茶店。お前はキャラメルカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。

 高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎義理チョコあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。

 高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったかあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。

 高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。

 高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石気持ちを強くわかったな。

 高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚スカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。

 高校3年生の春、コロナ流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。

 高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しか受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。

 高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。

 高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。

 

 でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。

 選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。

 

 また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラ爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯リクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。

 

 もう一度好きになってよ。

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