http://anond.hatelabo.jp/20090613234338
http://anond.hatelabo.jp/20090613173230
上記の方のこの言葉に集約されていた。
たぶんレイプという状況の判断基準は、感じるか、感じないかでもないし、望んでいるか、望んでいないかでもないのだ。
カウンセラーにはそのうち話しておこう。
こういう事例もあるということで、私の中では時効(傷ついていない)ので公開。
優しいと思われている。しかし優しくはない。
冷たいと思われている。しかし冷たくはない。
頭が良いと思われている。しかし頭が良くはない。
傲慢だと思われている。しかし傲慢ではない。
蛮勇の持ち主だと思われている。しかし蛮勇を持っていない。
臆病者だと思われている。しかし臆病ではない。
正々堂々としていると思われている。しかし正々堂々としていない。
卑怯者だと思われている。しかし卑怯ではない。
腐っていると思われている。しかし腐っていない。
彼は何者か。
いろいろなものを持っているようで、実は何も持っていない、彼は何者か。
付き合っている恋人に対してつらいつらいばっかり言ってる人は
自分がそういう事を繰り返してることで、相手にもつらい気持ちにさせたり我慢させたりしているという事を分かってるんだろうか
分からない相手と付き合うのはとてもしんどい
多分その人たちは自分の事しか考えてないんだと思う
のタイトルになんとなくカチンと来てスレッドを読み進めて行くうち頭に来て
でやっと溜飲を下げることができたので書いておこうと思うよ。
先に実体験から。
20歳になる前に全く顔を知らない30歳半ばの男性にレイプされた。
私は性行為の後まで抵抗しており、和姦は不成立。完璧な強姦だった。
それでも自分に悪いところがなかったとは言い切れず
ただ自分を守りきれないままに第三者的に可笑しくも眺めてしまったことで
「もっと自分に優しくしていこう」
と思い続けて周囲には心から笑って話して10年近く経ってしまった。
(それすら今になれば精神の自衛だと気づくことができるけれど当時は認めなかった)
ふと、『「痴漢で感じる女なんていない」という暴力』という記事タイトルを見て
カッと頭に血が昇ってしまった。何を言ってんだコノヤロウと思って見に来た。
内容を読んでそれが私たち側を擁護するものだと気づいたけれど
自分の実例に立ち返る。
その時私の身体は最終的に相手のペニスを受け入れた。
濡れたということだ。
これは感じたことに他ならないのではないか。
本当に「今は嫌」でそれを訴えているのに続けられ
なんだかんだその気になって受け入れてしまう。
そして、「痴漢を感じる=言葉の暴力」に何故か慟哭を受ける現在の自分。
だけど正直、想像上で語るなら、男女かまわずもう放っておいてくれという気分になってきた。
この辺の心理はうまく説明できないけど人間ならわかって欲しいところ。
レイプとはなんなのか。
感じるとはなんなのか。
途中途中で入るレスに疑問が沸く。
テクニックがよくてイケメンであって仲良しな男であったとしても、非合意で痴漢やレイプされて
喜ぶ女なんていないだろ。
喜ぶかどうかの話だったの?
濡れる=感じるではないの?
それがやっと冒頭の『女性の感じ方と高校時代の思い出』で氷解した気がした。
なんかちょっとすっきりした。
……それでも、引用するためにスレッドを読み返していたら吐き気がしてきた。
実際に今私は解離性障害で長いこと精神科に通っているけれど、この体験が原因なのかしら。
自分の中で大した比重を持った体験ではないので考えから外していたしカウンセラーにも話してない。
突き詰めて考えてみる必要がある問題かもしれない。
もう一度、あのスッキリ回答を読んでこようと思う。
読んでくださった方、ハッピーエンドじゃなくてごめんなさい。
解決したと思って書き始めたのにおかしいなぁ。
安心しろ。相手はそこまでお前の事を気にしていない。
相談に乗っている振りをしているが、適当に受け流している。
そういうもんだよ。人間って。だから思う存分相談しろ。
猿故事はチャンピオン級だろwしかも叩かれないんじゃなくて、叩かれても平気なやつだし。
英語のハイブラウな人たちのブログって基本的にすごい良識的だよ。
差別とかにはすごい気を使ってる。
結果だけ知らされたってそんなもん出し殻じゃねえか。ちゃんとそこまでを大切にしろ。
(1) ふたりのハメ撮りDVDを、音声に細工・両者の顔にモザイクした状態でそっと(友人)のカバンに忍ばせる。
(2) ハメながら女から友人に携帯で電話をかけさせる。(友人)愛してる!と叫びながら女が絶頂するように頑張る。
(3) (友人)を椅子に縛り上げ、目の前でハメる。「(友人)より元増田のチ○ポがイイ」と叫ばせる。
(2)(3)の間にもっと色々エピソードがあっていいくらいだ。
ついでに言えば(3)の際に(友人)に電動オナホなどを装着させるとよい。
ここまでやれば、(友人)は元増田の友人冥利に尽きる行動に感動して涙しながら礼を言うはずだ。
もっとも、この場合も殴りかかってくるだろうけどね。
しかし本来、パンチしてくるところを軽々と避けて反撃を腹にぶちこみ、蔑んだ笑いを向けるところまでが寝取り。
さて
感じる=精神的に喜んでる、という可能性もあるかも知れないが、
感じる=肉体が防衛本能でそうしてる、という可能性があるのであるから、
そこの定義をせずに議論してもかみ合わない。
というか、このような定義をはっきりとしない議論(議論と呼ぶこと自体がおかしいが)は、
だとすると、とんでもない。正直、議論を尽くしたってどこが?と言わざるを得ない。
http://anond.hatelabo.jp/20090613035026
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090612/1244774693
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090611/p2
この一連の話で、誰も
「O嬢の物語」 http://ja.wikipedia.org/wiki/O%E5%AC%A2%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E
の話を出さないのが不思議ですね。
全人類がこの文学を楽しめなくなるという重大な問題を、陵辱ポルノ規制派はなぜそんなに矮小に考えられるのでしょうか。
レディコミ等を見ても、女性による陵辱ファンタジーというのは、決してマイナーなものでもないのですが。
ファンタジーはファンタジー、リアルはリアル、普通の人間はファンタジーはファンタジーとして消費する、
スーパーマンの映画を見たからといって2階の窓から飛び出す人間はほとんどいない、というだけなんですが。
メディアの影響を受けて犯罪を触発されるのは、最初からおかしい人間だけ、ということがどうしても理解されないんですよね。
結局、脳の中のプロセスを解明して証明できない以上、
間接的に、統計で証明するしかないのでしょうか?
A/人間が人種差別的な作品を読むことにより、人種差別的な言動をするようになる確率。
A'/人間が人種差別的な作品を読むことにより、人種差別的な言動をしなくなる確率。
B/人間が、残虐ゲーム作品をプレイすることにより、暴力的になる確率。
B'/人間が、残虐ゲーム作品をプレイすることにより、暴力的でなくなる確率。
C/人間が、陵辱ポルノ作品を読むことにより、レイプをするようになる確率。
C'/人間が、陵辱ポルノ作品を読むことにより、レイプをしないようになる確率。
Aに関しては、
統計はないですね。
そもそも何が差別表現か、というのもなかなか難しいですが。バイオ5・ちびくろサンボ・009のピュンマ・ポケモンのタケシ...
Bに関しては、
この研究では、統計的に残虐ゲームには暴力性を喚起する作用はないという結果が出ました。
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20373140,00.htm
Cに関しては、
何百万冊もの陵辱系アダルトコミックが出ていても、その読者たるオタクは、ほとんどそういった犯罪を犯していないこと、
陵辱ポルノ作品が規制されている国(米国等)でのレイプ率は、陵辱ポルノが規制されていない日本よりずっと高い
という事実で証明されていると思いますがねえ。