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はてなキーワード: ミツマタとは

2023-09-01

日本紙幣製造する国立印刷局は2018度、外国産ミツマタを72トン調達した。うち60トンが同社のネパール産だ。国産調達量は6トンにとどまっている。

ミツマタ栽培従業員募集したら人来ないかなあ(山地

2023-02-19

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豊田市小原和紙ふるさとに行ってまいりましたわ

わしではありませんわ

わたくしですわ

パピルスプランターが館内に避難していまいたわ

藤井達吉と芸術Vol.9を開催中で「瀬戸よりかえりて」の

無気力感ただよう歌詞共感してしまいましたの

でも作品にする元気があるのですわ

油断して共感してはいけませんわ!

Twitter自称ダメ人間マンガ家と同じですことよ!!

奥の売店紙漉き体験をやっているところで

皮を剥いだミツマタ無料配布されていたので

いい感じの棒としていただいてきましたわ

水槽があれば流木の代わりに使えそうですわ

2022-04-05

毎日お花見

寺でお花見

 お寺の境内花見子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある山桜は葉が出始めで、花はまだたった。

 去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。

 お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。

 境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。

 ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。

 両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。

桜並木お花見

 ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。

 あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わずしかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭り廃止になった。

運動公園お花見

 運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元少年野球チームやサッカーチーム練習試合をしにやって来るからだ。

 広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。

 ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場しっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。

 コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンド団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球サッカーチーム侵入禁止します。練習ウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。

 桜の木の下を通ると、ヒヨドリ金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。

 公園事務所ラウンジから死角となる場所桜の木の下で、お爺さん達のグループ酒盛りをしていた。

市民体育館お花見

 毎年花見に来るスポット子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。

 昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りいるかどうかは知らない。

公民館お花見

 家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。

 満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島なのだ。つまり挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。

 たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。

2016-08-24

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豊田市和紙ふるさと和紙展示館に行ってきましたわ。

小原村時代からずっとずっと赤字施設らしいですわ。

それでも維持するのが、目先の利益を追わず社会への寄与をめざす

藤井達吉先生理念なのでしょうか。

方向を間違えた時が、空恐ろしいですわ。

展示館は2階建てで、1階は各地の工芸品と和紙の作り方の模型展示、

2階は和紙を使った作品の展示がありました。

功労者藤井達吉先生作品和歌付きでした。

和紙であることを活かした絵画風でありながら立体的な作品には大きな可能性を感じました。

橋本昇三先生自己組織化したような和紙の格子がついた作品制作方法が気になりますわ。

他には屏風に和紙を貼った作品の屏風が一部切り欠かれていて、作品が障子になっていたりなどなど。

また、館外にプランターパピルスが植えられていましたけれど、

1階の写真を見なければパピルスだとわかりませんでした。

せっかくなら名札を立てて欲しいと思いました。もう一種類の草はなんでしたの?

畑のミツマタ看板も倒れていましたわ。

受付の方の対応はとてもよかったのですが、そのあたりが残念でしたわ。

また、受付周りには豊田市文化施設パンフレットが盛りだくさんで

圧倒的な財政的余裕を感じてしまいました。

岐阜県文化施設背伸びして維持されている印象がありますのに!

2016-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20160125061515

結局どれが正しいんだよ。

ざらは『粗』と書きます

良質ではなく、どこにでもあるという意味です。

白双糖(しろざらとう)

元々は粒の目が粗いことから「あらめ」と呼ばれ「粗目」と表記されていた

ZARAスペイン会社インディテックス発祥ホールディングス傘下のブランド

わら半紙はもともと、稲や麦わらの繊維にミツマタコウゾの繊維を混ぜてすいた紙で、粗末な半紙であり、表面がざらざらしているので、ざらがみ(更紙)ともいいます

「ざら」は「ざらり」とか「ずらり」が訛って略された言葉で、ずらりと並ぶくらいにたくさんあるという意味です。

江戸時代は、金、銀、銭(せん)の3種類の通貨がありました。

銭の中でも最も価値が安い一文銭を、ほとんどの庶民が多く持っていました。

実は、この一文銭のことを「ザラ」というのです。

さら(なり)」は、

(1)「(多く「言へばさらなり」「言ふもさらなり」の形で用いて)いまさらめいているさま。わざとらしいさま。

(2)(「言へばさら」「言ふもさら」の略)いうまでもないさま。もちろんだ」

と載っていました。

うん、これの強調形で濁ったんじゃないかな。

 
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