はてなキーワード: 鉛筆とは
絵は思想なのです、とはじめにお断りしておきます。というのは…
絵は脳が捉えた様子を描くんです。
(それ以外を描くことは、でたらめです。)
世界には、どんなに目を凝らしても輪郭線なんか物理的には存在しないのに、です。
色相が異なるから、陰影がシャープに変化するから、みんなそうしているから、あるいは、なんとなく?
この自問自答こそ、1行目で「絵は思想」と申し上げたものです。
そんな感じで3週間ほど経った頃、もう一度スレを立ててください。
といっても、もう一度あなたとここでお会いできる確率は高くないので、続きを書きます。
*
脳の性格、特性、傾向、なんだかそのようなものが記憶されてくると、今度は、画面上のどこに輪郭線を配置すれば脳が物体を認識するようになるのかという、逆演算をするのが課題となります。
といって、ここまでの間に思わず鉛筆を手にとってしまっていた子は才能があります。
逆に描かなくていいなら鉛筆なんかとらないよって子は、永久に描き始めません。
あなたは、初めから絵の才能がないとおっしゃっているので、ネタバレしました。
結局は物理的に絵に取り組んでいた時間の総和はだいぶモノを言います。
*
ってみんな言うんですが、左手がハードル高いなら星のカービィを描いてください。
*
描いて、見て、見て、描いて、見て。
絵の練習はこの繰り返しです。
なぜそのように見えるのか?を自問自答するのが絵の練習の重要な要素です。
練習せよ、納品せよと言われて描くような、主体性のない作画は、どういうわけか退屈で拷問のように辛いのです。
*
最終目標は脳の認識を逆演算することですから、バグ技、ハッキング、そういうような概念に近い試みと私は思います。
とりとめもなく色々と書きましたが、結局は「やってみること」が非常に大切です。
軽い気持ちでやってみましょう。
グッドラック!
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。
「AI絵師」を名乗ってる人々に感じる気持ち悪さがどこから来るのか自分の中でモヤモヤしていた。技術には罪はないが、使う人間次第でそれは天国の扉も地獄の扉も開きうることはファインマンが言った通り。私自身AIよるイラスト生成自体には特にポジネガともに強い意見はないがこと「AI絵師」を名乗る人々には並々ならぬ気持ち悪さを感じていた。
ただなんとなくぼんやりとこのことに考えていた時に「将棋界に、突如として『将棋AI』を駆使して『AI棋士』を名乗って対局して回る人が現れた」らそれはまあ非難轟々だろうと思い至った。「AI絵師」という人々に感じる気持ち悪さはこれと同列のものと思われる。「AIを使って将棋で勝ったところでその人は何一つすごくない」しむしろ「将棋の勉強を1ミリもせずにAIを使って大人気なく勝とうとする人」はどう考えても自己顕示欲だけが恐ろしく肥大化した哀れな人だ。そのアナロジーを使うならば「AIを使ってイラストを生成したところでその人は何一つすごくない」し「絵の勉強を1ミリもせずにAIを使って大人気なくそれっぽいイラストを生成する人」はどう考えても自己顕示欲だけが恐ろしく肥大化した哀れな人だ。
これを言うと「でもプロンプトというクリエイティブな要素がある!」という人が出てきそうだが、例えば将棋AIが「藤井聡太や羽生善治風の指し方で」や「居飛車、振り飛車」などのスタイルを選べたとしてそれはクリエイティブかと問われればそうは思えない。それっぽい画像を生成するためにパラメータをいじいじするのにご執心な人は絵を描くことが上達しているのではなくAIに絵を描かせる方法を身につけているだけだ。世紀末の世界で紙と鉛筆しかなくなったらロクに描けるわけがない。
別に絵に限った話じゃない。音楽もプログラミングも、学習データがゴミになっていくことでモデルがゴミになってしまわないようにより一層一次的に生み出せる人間の需要が高まるということになっていくだろう。
都内で小学生の塾バイトしてた。結構前の話。全員が全員そうじゃない。一個人の体感で思ったこと。
前提としてはクラスが分かれている塾であり、テスト結果でクラス移動をする。
下の方のクラスの子供たちはいい意味で子供らしい。「新作カップラーメンがうまい」など「休みの日にオンライン対戦しよう」など、勉強の話はほぼしない。授業前にカードゲームしていたりする。恐らく存分に遊んだのか土まみれの子も多い。
基本的に元気な子が多く賑やかであり、先生に可愛らしいいたずらをするくらいの小学生らしさがあった。授業はつまらなそ~にする子は多く、勉強に興味がない。しかし、どこかのタイミングでハマって授業に積極的になって楽しかった。(「たかしって奴、なんで池の周り歩いたり走ったりしてるんすか!まずそこが問題です!」的な話から盛り上がる)
月のクレーターという名を思い出せなかった子に対してクラスで大喜利が始まった時は涙が出るくらい笑った。トンチキ回答も子供らしく面白い。それに、教えると純粋に「へ~」と言ってくれる。鉛筆で遊ぶ子や隣の子と手紙を回す子、寝る子やプリントを折ってる子など自由奔放だが小学生らしかった。
親が迎えにくる子は少ないが、迎えがあると「今日の晩御飯何?」「あれ録画した?」と親に駆け寄っていく子ばかりだった。迎えが無い子は帰りが一緒の子同士で賑やかにやっていたし、みんな帰るのが待ち遠しい様子だった。帰りの準備で競い合っていたりと子供らしさが良かった。親は「いつもご迷惑を…」と腰の低い人が多かった。
テスト中に鉛筆を拾ってあげると「あざっす!」と元気よく言ってくれる。
上の方のクラスの子供たちは本当に小学生かと疑うほど賢い。政治の話はするし、「ニュース見た?」や「先生はどう思いますか?」といい意味で子供らしくない。みんな先生にはですます調であり、でなくとも丁寧な言葉使いだった。
授業は基本静かだが、質問から仲良く議論し始めることが多く、授業できる楽しさがあった。昨今の政治について、政治議論と外交評価が始まった時は感心して聞き入ってしまった。こういう子が国を支えたり、トップに立つのかなぁと思っていた。
言うことはちゃんと聞く。返事も大きな声でしてくれる。テスト前もみんなピシッと座っている。授業もみんな怖いくらい先生を見ている。
親は迎えに来ることが多く、子がいないところで「あの子、楽しそうにしていますか?」と様子を聞いてくる。下のクラスと一緒で晩御飯の話や他愛もない日常会話をしながら親子で帰っていく。下のクラスもそうだが、子供の鞄を持ってあげる人が多かった。仕事帰りっぽい父親が迎えに来ることが多かった。
親御さんは子のことをわざわざ教えてくれる。「理科が好きで、家では図鑑をよく読んでいて~…」と家でどうなっているのか教えてくれる。子供との会話に役立つのですごくありがたかった。
テスト中に鉛筆を拾ってあげると「ありがとうございます」と丁寧に言ってくれる。
子供たちは点数でマウントを取り合い、下からクラスが上がってきた子を馬鹿にし、上から落ちてきた子も馬鹿にする。しかもコソコソと笑いものにしている。これが1つや2つではなく、ほとんどの中流クラスで起きていた。先生の誤字に揚げ足を取り、教えたことに対して嵌めようとする質問をしてくる。見事ハマってしまった時は親の仇をとったのか如く笑いものにしてくる。ぶん殴るぞと何度も思った。そしてイライラしているのか物音を立てるやつが多すぎる。貧乏ゆすりをする子が多い。上と下のクラスの子に比べて空気が重い。だいたいクラスの中にボスがいて、そいつが仕切っている。周りは冷めた目でそれを見ているか、お膳立てしていやつか。
親はほぼ迎えに来る。そしてよく聞く第一声が「(テストや授業)どうだった」。そして親がずっと質問をしている。子は適当に返事をしている。他愛のない日常会話をする人はほとんどいない。子供が親の顔を見ない。そして子の前で「先生、うちの子大丈夫ですか?」「授業態度どうですか?」と塾での様子を聞いてくる。「この子は勉強しなくて」と子の前で、子に責任を押し付けるやつばかりだった。子供のいないところで「寄り添った方がいいですよ」と伝えても「寄り添ってるんですけど(なのでこれ以上ありません)」と言われた。
また例えば、うるさかった子の親にその旨を伝えると「普段はうるさくないんですけど(だから何もしない)」とちょっと的外れな返答が多かった。父親の影を見ない、または母親の影を見ない。迎えのない子は一人で帰ることが多い。子の鞄を持ってあげる親は上下のクラスに対して少ない。
テスト中に鉛筆を拾ってあげると「ありがとうございます」と言わない。「うっす…」「どうも…」と暗い。首が少し動くだけで何も言わない子もいた。
眉用の化粧品で一番安くてぱっと目につくのって資生堂の眉墨鉛筆だと思うんだけど、黒こげちゃ灰色3色買って全部合わなかった。さすがにもう一色の茶色ではないだろう。
マジョリカマジョルカが出た頃すごく魅力的に見えて、眉用のパウダーとか色試した限りではなぜか髪色明るい用の色があっていそうに見えた。でも確か眉墨鉛筆の倍の値段にホルダーも要るので買わなかった。
結婚式の顔そりで眉も整えてもらったので、この形をキープすればいいのだ!と思って結婚してしばらく頑張って生えてくる毛を抜いていたが、なんというか、すごく、多くない? 何本抜くのこれ、と数えて計算したら100本という数字が出て(毎日百本ではなかろうが、週百くらいかね?)、ひゃく、ひゃくも、ぬかなきゃなんないの? と急にやる気を失ってあきらめた。カミソリで剃ると毛の断面が目立つし伸びるまで抜くこともできないからむずかしい。そもそも眉毛一本一本太くて立派なのでバランスを間違えるとどうにもならないのである。
セザンヌのオリーブブラウンが万人に合うと聞いて買ってみたらすごい浮いた。
たまたま投げ売りで買った無印良品のパウダーのグレーが合っていた。結局それを十数年使っている。ただパウダーがむずかしいと感じたので他の会社のグレーも試してみようとするとどうもおかしくなる。そういえば資生堂眉墨鉛筆のグレー合わなかったんだった。グレーにもいろんな色があるらしい。
眉をまっすぐひくといいよみたいな話をツイッターで見た気がしたので真似したらそれらしい気がして続けてるがあれ何年前だったかな。
アイブロウもカラーが流行ったのが面白くてモーブブラウンのパウダーが気に入って使ってたら、お母さんそんな眉赤かったっけって言われてしまった。化粧しっかりした日だったので色が強く出たのかも。以降たまにだけ使う。
世の中には障がい者が結構いるんだなと思ってたけど、社会に出たらたいしてそうでもないみたい。
そして障がい者のことを笑う人、馬鹿にする人は思ってた以上にいるんだなと思った。
自分が小さいころから住んでいる場所は単純に障がい者の学校やクラスのある学校が多いだけだっ
た。
朝、駅に向かえば5,6人は障がい者とすれ違う。
手話をしている子、麻痺で大変そうな歩き方をしてる子、「あうー、あー」しか言わない子、奇声を突
然上げる子...etc
ずっとこの土地にいるんだけどそれが当たり前だったから何も思わなかった。そういう子もいるんだく
らいだった。
小学校には障がい者用の特別学級があって、授業の一環で交流することや給食を一緒に食べるこ
ともあった。
自分はいじめられてて、休み時間は特別学級の教室にいつも遊びに行ってた。
普通の教室と違って座敷でゴロゴロできるし、図書館に無い絵本はあるし、ぬいぐるみだってあった
なんでだろう。今思えば障がい者のクラスの先生はみんな優しかった。先生が優しいので障がい者
麻痺で不自由だけどハイハイはできる子たちと教室でハイハイ競争したこともあった。
言葉はしゃべれないし、ずっとよだれを垂らして車いすで、反応が薄い子がいた。でも音が鳴るおも
ちゃを持って行くとちょっと反応が違うのでガラガラとマラカスを指にフル装備してタンバリンをもって
曲芸みたいなことして奏でていたら肩を微かに揺らして笑っていた。
そういう経験があったからか、障がい者だからといったことは考えたことがなかった。
普通学級にもいた。軽度な知的障がい者で、「うん」と「嫌だ」くらいしか言わない子。あいうえお順的
に席が近かった。
でもプリントは投げてこないし、「お前キモイ」とかも言ってこないし、「デブ」ってバカにしてこないし、
その子は教科書のどこをやっているかわからないことがよくあったから、先生がつきっきりだった。た
まに席が近かった自分が教えてあげることもあった。
運動しているやつらなんて目じゃないほど足が速かった。運動会のリレーのアンカーに選ばれるほど
だった。
だからどっちかと言えばクラスの人気者で、みんな普通に話しかけていたし、接してた。
たまに奇声をあげることがあるけど、大体その時は周りが騒がしい時なのでみんな自然と静かにし
電車の中で明らかに何かしらの知的障がいを持っている人がウロウロしたり、窓の外を見て「わー!
お山!」とか叫んでいることも、地元の駅から乗ればよくあった。別にそういう子を学校でよく見てき
大学生になってサークルの友人らと帰り、電車にそんな障がい者の方がいた。さすがに大声には
びっくりしたけど、それ以外は特に何も思わなかった。
だけどサークルの人たちは「別の車両行こうよ」とクスクス笑いながら移動しようとした。
わざわざ混んでいる車両行くことないのにと思いながら、みんな行ってしまったのでついていった。
「あれ、やばいねw」「生活大変そうw」「親も見放しているから一人なんじゃね?」と半笑いで話しを再
開した。
得体のしれない気持ち悪さがあって、自分は次の日サークルを辞めた。
大学にひとりだけ見かけた障がい者がいた。ずっと誰かがつきっきりで話せないけど書くことはでき
ていた。涎掛けをしていてだいたい「あー」って言ってる。
その人と授業が1つ一緒だった。その人の周りには誰も座らない。満席なのにその人の1マス近隣は
誰も座っていない。
自分は「お、空いてんじゃん」と横に座った。その人は前回出ていなかったらしくてプリントとノートを
貸した。
終わって廊下に出ると友人が来て「あいつにプリント貸すと涎たれてたりするよ」というので「貸したこ
とあんの?」と聞くと「ないけどw」という。結局、根も葉もないうわさだった。
次回の授業で綺麗な袋に入れて返してくれた。わざわざお菓子まで添えてくれた。
社会人になった。おごって頂けると新人教育をしていた先輩らとお昼に出た。
お店につく前に知的障がいの方が道の向こうから来た。先輩らは道路の反対側へ移動した。
小さい道路だから向こう側に行くのは簡単だが、わざわざなんでそんな遠くまでよける必要が?と思
い、ついていった。
先輩らは知的障がい者が遠くに行くまで眺めていた。そしていなくなってから噴き出すように笑った。
「すごかったすねw」と明らかにあの知的障がい者のことを笑ってた。何がおかしいのか全く分からな
かった。そしてそんな人たちが嫌でその先輩らと距離を取っている。
ある日、電車に乗っていたら叫びながらうーうー言っている人が乗ってきた。
結構なボリュームで数名車両を移っていた。どんどんどの人の周りから人がいなくなる。
しばらくすると、その人に「うるせぇんだよ!」とキレた大学かそのくらいのカップル。
突然大声で言われたせいで黙った障がい者の人だったが、明らかに目が泳いでいた。何かを言おう
と吃音のようにクチをパクパクとさせる。じっとカップルを見つめていて「みんなよキッショ!」と言わ
れ、丁度ドアが開くと「あ”−!」と叫びながらどこかへ行ってしまった。
自分は驚きすぎて何が起きたか一瞬わからなかった。そしてすぐ次だった最寄りで降りた。
こんな漫画のようにありえないことをする人間がこの世にいることに悲しくなるとともに、障がい者っ
てそんな当たり前のようにいないんだなって感じた。
大人になって小学生のころ程障がい者と交流はしていないけど、毎日必ず見かける。
その子たちも普通にコミュニケーションを取って、友人と笑う姿もよくみる。
手話で笑ってる子も、麻痺の体で動かせる部位だけでコミュニケーションをとっている子、おはようと
言われて視線だけでも向けてくれる子、電車に乗る前に「がんばる!」と言ってそわそわしている成
50人会えば15人くらいは障がい者の地域だからなんとも思ってなかった。
社会人になったが相変わらず家を出れば近所で障がい者によく出会う。今日も電車に乗るまでに5
人以上はいた。
帰りだって2,3人はいる。これが当たり前じゃなかったのが最近わかってきた。
小学生のころからずっと普通に生活圏にいるから、それが当たり前で、何もおかしい事だと思わな
かった。
もしもみんなが小さいころから普通に障がい者がいる生活だったら変わるのかなと、ふと思う。
もっと身近に多くの障がいがいたら、あんなことはしなかったのだろうか。
ネットでも障がい者が意味不明な言葉で話す動画をあげて、笑いものにしている人たちがいる。わか
らない。なんで笑えるんだろう。
それが子供だろうが成人だろうが、それを撮影して、馬鹿にする人たちがいるという事実がある。動
画のネタにしてる。
好きだったチャンネルで、それ系を一瞬でもネタにしてて、冷めた。ノータイムで見るのをやめた。
今回の衆院選で自民党以上に厳しい状況に追い込まれた党がある。
公明党の候補に投票する人ってのは、個人的・組織的なつながりがある人たちを除き
ほぼ例の宗教団体の構成員であるということは、公然の秘密である。
共産党と並んで老衰による信者の減少が響いた党ともいえるだろう。
それにしても信者の老齢化による減少を加味しても今回の結果は厳しい。
そこで思い出した。
もしかして最近、公明党は戦略上最も重要な人物を失ってしまったのではないのだろうか、と。
創○○会を支えている「票割りおじさん」の存在を。
各地の調査結果と信者の実数から、どの地区の候補者に何票割り当てるかを鉛筆ナメナメ決め、
そのおじさんの指示に従うことで最高の効率で当選議員人数を増やすという選挙職人がいるのである。
だが、少し前に聞いた話では、すっかり高齢になってしまったものの、
ただ芸術的な票割りはあまりにも職人芸過ぎて後継者がいないという話であった。
もしかしたら票割りおじさんがコロナか何かでぽっくりと逝ってしまったのかもしれない。
R.I.P.
票割りおじさん。
その名は歴史の闇に消えていくんだろうが間違いなく戦後日本を裏で動かす偉大な男であった。
まだ生きてたらゴメン。
そして!
そしてやっぱり気になる
NIKKEの課金パック何があるのかな?って見るだけ見てみようと思って、
私は絶対に絶対に『ステラーブレイド』とのコラボでイヴがくるまで絶対に課金しない!って決めたでお馴染みってことは周知の事実中の事実だしさ。
でも本当に本当に見るだけよ見るだけ!
課金はもちろんしないけど、
私!
パンドラの箱を開けちゃったみたいな気分!
ぱかーん!
そしていろいろ見てみると、
その中で得になんか誘惑を誘うような煌びやかな課金アイテムがあんの!
30DAY補給品パック800円とキャンペーンクリア3200円。
これめちゃお得じゃない?
つーか今買っておかないと損するんじゃね?って思わせて錯覚に陥らせる作戦!
実際もうこの2つは絶対にお得!って
数学なんて一所懸命勉強しても世の中の何に役に立つか分かんないわよねー意味ないわーなんて言うけれど、
初めて私の中で世の中で数学やっても意味ないじゃんを地で払拭する事態なのよ。
このお得な2つの課金アイテムに限っては1円で3ジュエル相当の値になってるのでお得じゃない?
私割り算間違ってないわよね?
こう見えて割り勘の女王なのよ!
30DAY補給品800円パックは30日間100ジュエル毎日もらえるってやつ。
キャンペーンクリア3200円はチャプターをクリアするごとに10回まで800から1000ジュエルもらえるらしいの!
明らかに得じゃね?いや得なのよ。
私初めて生まれて初めて割り算したわってぐらいの衝撃!
きゃー!社長安ーい!って夢グループばりのそれ級にそう思うわ。
1ジュエルが何円になるのかしら?っての。
こんな誘惑に惑わされたら、
実際にお得感を知って計算してしまうとこれ今課金しておかないと損じぇね?って思わせる作戦に。
でもNIKKEで儲かったお金で莫大な開発費をつぎ込むことが出来て『ステラーブレイド』が完成させたのだとしたら!
多少のお布施としてNIKKEに拝んで課金しても悪くはないわよね!ってよからぬナイスなアイデアが私の中で張り巡らされるの。
私はぶんぶんと顔を横に振りながら、
絶対『ステラーブレイド』とのコラボでイヴがやってくるまで「待つんだもん!」って確固たる意志をここで強く強く括弧でくくるほど強く表明するの!
つーかこれで、
コラボやるかもーって言っておきながらやんなかったら怒るわよ!
だれに!?って感じでもあるけれど。
でも、
明らかに考えて
30DAY補給品800円パックは早期にゲットしておく方が得じゃね?って
誰がどう考えても、
ひっくり返っても逆立ちしても、
お得なのよね。
いや、
『ステラーブレイド』のイヴがNIKKEにやってくるまでの我慢!
いつになるか待ちきれないわ!
まあ今日は数学がいかに日常に役に立つかって少しお利口になるお話で、
す!凄いわ!
ChatGPTちゃんで
何が一番お得?って尋ねたら
ああ、
そんで、
本当にChatGPTちゃんが言ってることが正しいのか、
私も割り算をしてみたワケなのよ。
世の中こんなに割り算が役に立つとは予想もしなかったわ。
家を出発する兄と弟は玄関を出ていきなり2人ともそれぞれ逆方向に向かって走り出す!って
それは青雲!
なんだか今日は割り算を使ったアカデミックなお話になっちゃったわね。
たまには私も賢いところを
トミーフェブラリーさんの掛けている赤いフチのメガネをかけながら
クイッとメガネを上げる仕草をして賢さをよりアピールする次第なの。
こんなことを書いて私はなんとか、
課金したい欲を紛らわせているところよ。
早くイヴきてー!って感じだわ。
うふふ。
バラエティーに富んだ具で私を満たしてくれるわ。
朝の美味しさは元気の源よ!
最近またやっぱり朝寒くなってきたので、
NIKKEを立ち上げながら資材回収しつつ沸かすお湯のホッツ白湯ストレートウォーラーは格別な味よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://x.com/tdrlj/status/1850503470396436650?t=xz3vK2IUQUheuaaaJ00plw&s=19
これ見て思ったんだが、色鉛筆とか水彩とか厚塗りとか、グラデーション・ぼかしとかの境界が曖昧になる特性を持つタイプのイラストはもうAIと見分けつかんかもね
昨日初めて出口調査の人を見た(市や県の選挙も含めて10年以上9割ぐらいは行ってるけど初)
CMないテレビのところと、地方局だったか全国かどっちか容易に思い出せない民放系の2人居た。
出口に歩いてる時に二人で相談してたから、交互にやってるんだろうか
どちらかのトイレ休憩中とかはボーナスタイム(調査し放題)なのか
そもそもノルマとかあるのか? 明らかにサボってたらバレそうだが
各メディアで調整して集まりすぎないとか一人にならないとかしてるんだろうか
謎だった
両方答えられると確かに偏りが出そうな気はする
で、タブレットを渡されたわけではなくタブレットはラップに包まれてて、先っちょにふわふわがついたペンを渡された
たまに保険屋さんとか銀行とかでサイン書くときの凄くつかいにくいやつ
すんごい角度で、では目をそらしておきますみたいなことを言って、こっちを見ないようにしてくれた
荷物もなかったけど、タブレット持ちたくない人とか、消毒面倒とかあるのだろうか
合計2~3割ぐらいが画面じゃないやつだった
で、5問ぐらいさくさくっと答えて、終わり
画面に調査員にお返しくださいとか出てた気がするからやっぱり本来は渡すやつだったのだろう
これタブレットになったから、誰にもバレずに答えられるが、そうじゃない時代は口頭で伝えるか、紙に書くかしてたのかな
投票所の施設の中ではなく(正確には敷地内ではあるが)門の外におられた
わたしの子どもが小学1年のときに授業参観に行くと、授業中あっちでぽとっ、こっちでぽとっ・・・とよく物を落としていたよ
幼児がコップを倒してこぼしてしまったりするように、小さいときには体のコントロール能力が未熟なのが大きな理由の一つだが、精神的な意識の成熟度も理由の一つで、机の上全体を自然に意識することができず、自分の手元だけに意識が集まってしまうんだ。
また、例えば鉛筆が机の端から半分ほどはみ出ているときに「落ちそうだ」と無意識に感じる、いわば物理的な感覚もまだ完全に備わっていない。
精神的な発達度(精神年齢)は子どもによって違いがありますので、同じ学年の同じクラスでも、よく物を落とす子とそうでない子がいる。
確かに、よく物を落とす子は精神的に幼いところがある子。幼いがゆえに整理整頓が苦手だったり、人の話を長時間集中して聞くことができなかったり、手遊びをしたり、ぼーっとしてしまったりする。
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日本最古の漫画とされる文字通りの国宝。800年この宝を守り残してくれた高山寺に感謝しよう。
果たして現代の漫画の原画は800年後も無事に守り伝えられているであろうか?
手塚治虫の長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品。
この漫画に衝撃を受け、多くの若者が漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。
酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブル等からその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョンも存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。
(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)
手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。
手塚治虫やトキワ壮グループのカウンターになるようなシリアスな表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。
当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪の地位は揺るがない。
劇画黎明期の様子は、同じく辰巳が晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。
また辰巳は海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipediaに日本語版はないのに英語版は存在している。
劇画といえば手塚との対立が面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳は中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚を敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。
藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり、手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品。短編と大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。
いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。
旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都の出世作。
少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力と文学性を持ち込み、後の多様性の形成の礎となった。
世界の中で少女漫画市場が現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである。
萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。
立体感と漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明の出世作。
第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元の漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。
鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマ問わず多くのものが口を揃えて語っている。
鳥山明においては、Dr. スランプとドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボールに思い入れがある。
鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋の代表作。
フランスに生まれたメビウスという天才漫画家の開拓した表現が大友を通して日本の漫画界に合流し発展することにもなった。
後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身が監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである。
ちなみに大友がAKIRAに書いた最後の最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。
現在、大友作品は、電子書籍版が出版されず現代の若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。
独自の出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品。
途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間を節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿を掲載したことは語り草となっているが、画力が限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。
100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。
連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力、構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説の作品。
従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現のリアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。
大きな流れで見ると、手塚治虫が平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代の象徴となる作品となる。
東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版の聖地巡礼で鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。
突然変異的に登場し、それまでの漫画の常識を覆した2000年以降最大の問題作。
少年漫画が天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。
この漫画は終わらないだろうという世間の心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。
実は諫山は福岡の専門学校のマンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎に進撃の巨人の原案を見せたことが巨人の物語を始めたとされる。
少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。
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そして場所が変われば会場の空気や周り方もちょっとずつ変わるということです。
ハガキも自治体ごとにちょっと違う気がしますが、単に全国一律で毎回マイナーチェンジしてるだけかも知れません。
とにかく場所がわかりません。
投票の場所も市役所やショッピングセンターならともかく、なんたら地区うんちゃらセンターとか、うにゃうにゃ小学校とかだと全然意味不明です。
ごく近所であれば災害時の避難場所になっていますが、そうでなければ意味不明です。
むしろ怖いですよね「俺はこの街に来てまだ1年だが、すでに近所の小中学校の場所は全部把握したぜ」とか言ってる人なんていたら通報するか迷いますよね?
よほど毎日のように演説をしているご近所おじさんや、全国レベルの人でなければ「え?誰?」となります。
同じ地区で10年ぐらい投票していれば「コイツ結局前回の公約知らん顔して何もしとらんかったな」とか分かるんでしょうかね。
マジで何も分からない謎のおじさんおばさんから選ぶことになります。
いざ会場に行っても、なんとなく人が並んでいる空間がいくつかあることまでしか分かりません。
フラフラっと近づいたらセールの行列だったり、展示会の設営だったりするので「あートイレを探してるけど見つからないな~~~」って顔をしながら離れることになります。よく考えたら地元民だったら何度か通い詰めてるような施設で今更トイレを探している時点でよそ者の不審者かもですね。辛いです。
ようやく選挙の列を見つけて並んでみても、ちょっとシステムが分かりません。
分からなくても何とかなる程度に案内はされますが、2秒ほど理解に時間がかかります。
決して広くない空間で列に並ぶのを3回ぐらいやるだけですが、全く0からの体験となるとちょっと迷子になりそうになります。
職員の使ってるノーパソや置かれている鉛筆は施設ごとに違うため「あっ、ここではバーコード使うんだ。俺の地元も今はそうなのかな」「おっ、トンボ鉛筆じゃん。驕り高ぶってるかい?」とか色々考えてしまいます。
でも投票が終わっても最後にアンケートタイムがあるので油断は禁物。
なんかカウンター回してる謎のバイトっぽい人がいたりもします。
いつものことではありますが、「あっ、この投票所は〇〇新聞のシマなんだ」みたいなことを考えてしまって反応が遅れそうになります。
期日前投票をしたらクーポンをくれる場所もありますが、投票ハガキの切れ端がクーポン代わりの地域とかもありますね。
選挙やっぱ難しいですね。
すべての国民が等しく選挙権を持っていると行っても、それを使いにいけるチャンスが本当に全員にあるのかは怪しいのではないでしょうか。