はてなキーワード: 千秋楽とは
転売は駄目と思うけどすっきりしない。
そして転売叩きの人って正しいけど怖い。
「落選した悔しさは転売ヤーにぶつけましょう(キリっ)」って間違ってないけど病んでる感を感じる。
転売屋は悪以外の発想はないと考えると、落選者は高額転売で買うか諦めるかの二択しかない訳で、どちらを取っても辛いのに当然と思う感覚も怖い。
ただ転売された席を無効として晒してヒーロー気取り。で、ラスボスは転売屋ですよ~って逃げているだけでは?
そして都合がつかなくなったチケットを定価で譲るのは別ですが、複数申し込んでダブったチケットを譲るのって、高額転売と何が違うんでしょう?1枚のチケットの為に1枚分のチケット代以上のお金かけていると思いますけど?そういうの無くなったら抽選率下がりますしね。しかもそういう事している人程転売屋を叩きますし。
オートマタに関しては、
## オペ子6Oの登場する台湾公演や如何に…。
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# 小説も如何に…。
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オートマタ本編でいうと、
やはり、Eエンドの演出。042の「繰り返す…」の流れ。
三周目の冒頭からの怒涛の流れも良かったです。
その他、本編を補完するサブクエたち。
おのれ、サルトル…!
何気に…。
→ ウィンドウショッピングのくだりと2Bの最後の場所…。
→ 「その戦いに誇りを…」を受けた2Bさんの表情、とか…。
舞台「あんさんぶるスターズ!」Judge of Knightsのチケットが取れない。
本当に全然取れない。
KnightsPじゃない、
脚本家のファンでも演出家のファンでも音楽や歌のファンでもない、
先日ヘタミュの転売が学級会の話題になったけど、あんステのチケットを持っているファンじゃない彼女達は、不正なんて全くしていない。
「とりあえず申し込んでみた」ら当選しただけだから、複数の先行に挑戦したり一般発売で戦ったりすることもない。
例え濡れ衣で転売チケットだと当日劇場で言われても、正真正銘彼女ら本人が購入したチケットなので、問題なく観劇できる。
でも観劇できる彼女達は、現状あんステJudge of Knightsのファンではない。
おそらく観劇後も公式にお金を落とすファンになることはないよ。
私は、
ジャッジメントは不在だったリーダーのレオがついに登場した興奮と、イベントストーリーで喜んだり戸惑ったり闘ったりするKnightsメンバーに共感して、もっともっとKnightsを大好きになって、クッソ高いボーダーのために課金しまくり寝食を惜しんでダイヤと時間と気力を振り絞ってスマホをタップしまくった、思い出満載のKnightsPにとって大事な大事なエピソードの1つで、
キャスティングされた役者さんだって奇跡みたいに私の好きな人たちで、
舞台上でKnightsを観れるのが、楽しみで楽しみでしょうがなかった。
チケットが取れた彼女らには、そんな思い入れも、これ程の期待も、まったくない。
これを呪わずしていられる?
本人確認とか、購入者以外絶対に譲渡できないとか、そんなこと全く関係ないよ。
そんなこと取り締まっても、ファンじゃない人がチケット持ってて、観たくて観たくて死にそうなファンにチケットがご用意されない地獄は変わらないよ。
私は、あんステのチケット代が1枚10万円ぐらいで公式から販売されてほしかった。
だってそしたら、ファンじゃない人が「とりあえず買う」問題はだいぶ減るでしょ?
その理由って、きっと「ファン以外の人も気軽に観れるようにするべき」ってことなんだと思う。
でもさぁ、もう既に「ファンすら気軽に観れない」じゃん。
ファンに対してチケットの枚数があまりにもあまりにも異常なほどに少なすぎて。
狭すぎる劇場での上演、短すぎる公演期間、少なすぎる上演会場、設定した舞台プロデューサーに悪意すら感じる。
プレミア感を煽って、今後の商売の箔付けにするためだけに、大好きなあんスタを、大好きなKnightsを、利用されたような気持ちになる。
あんステ前作DVDのリリイベで、Judge of Knightsに出演するキャストさんが、「観たくてもチケットが取れなかったファンの方のためにも、SNS等での活動で楽しませてみせる」と気遣いの発言をしてくださったそう。
そのお気持ちは嬉しいけど、私はコスプレ男子の二次創作が見たいんじゃなくて、舞台の上で役者さんが魂込めてお芝居してくれるステージが観たいんです。
役者さんの本分は芝居を見せることだと思うんだけど、十分なチケットが用意されない(上演期間が足りない・上演会場が足りない・会場のキャパシティが足りない)以上、興行主は芝居を見せる気が無いとしか思えない。
あんスタの転校生(プロデューサー)なら、きっと少しでも多くのファンが公演を観られるように、もっとあらゆる可能性を考えてくれると思う。
もっとあんスタを愛してくれる、あんスタのことを知っているプロデューサーにあんスタを舞台化してもらいたかった。
上演期間が開いても良いから(ファンじゃない人が「とりあえず」また買うほど年月が開くと本末転倒だけど)、追加公演をするだとか、
ライブビューイングを千秋楽以外も開催してくれるとか(1日だけじゃ都合がつかない人も居るし、そもそもライブビューイングですら地域によっては全くチケットが取れない)、
既存ファンも十分観劇できて、新規ファンも獲得できる余裕があるような、舞台をプロデュースしてください。
どうか、どうか…
ジャニーズ関連の舞台を見に行くと高確率、というか入る公演では必ずカーテンコールの際にスタンディングオベーションが起こる。
舞台に立つ役者に向けて、私たち観衆が感動や賛辞を表す方法は拍手と喝采の他にはない。
そのためスタンディングオベーションという方法があるのだとも理解している。
しかし、義務付けられたスタンディングオベーションはその本当の意味をなしているのだろうか。
例えば
するとどうだろう、後ろの席に当たる人間は舞台上のキャストの姿を見ることができなくなる。
そういう人を何人か見かけてきた。
本当に心動かされたのならば、毎度のスタンディングオベーションも問題はないと思う。
「カーテンコールではスタンディングオベーションしなければならない」
という強制力だ。
立って、拍手を送らねばならない、周りに合わせて行うことが正しいのだと。
そう感じることが多くあった。
もっと自由にお芝居を楽しみたい、何かの宗教のようだ、と舞台に明るくないわたしも、友達も同じ感想を抱いた。
スタンディングオベーションは至って普通のことなんだろうか。
初日や千秋楽などではなくなんの変哲もない、日々の公演で観客の全てが総立ちするような光景は常なのだろうか。
毎公演行われるスタンディングオベーションは「ジャニーズ関連舞台」の常なのだろうか。
朝青龍の優勝がかかる一番であっても、場内は対戦相手の魁皇の応援一色のムード、誰も自分を応援してくれないと朝青龍はやるせない気持ちになっていた。
そんな時、2人の客が朝青龍を応援する声に気づいた。朝青龍は自分を応援する人がいてくれることに感激した。
そして魁皇を盤石の相撲で寄り切って7連覇を決める。勝負が決まった後、図ったように目の前にその2人の客がいて、たがいにガッツポーズをして応える。懸賞を受け取る朝青龍は号泣していた。
照ノ富士は、そういった自分を応援してくれる人の姿を、見つけられたのだろうか。
これを書きながら、なぜか涙が止まらない。
あのメールマガジンが来たとき、受信一覧でキラキラの絵文字の後ろにほんのちょこっとだけ見えたいつの間にか特別に感じるようになっていた漢数字の並びに、件名をタップしようとした指が一瞬止まって、期待で震えた。一昔前に流行ったようなキラキラは吉報の象徴だ。そして、その後ろにはきみの名前がある。あ、これは。と思った。これは、夢が叶う報せだ。
ユニットを組んで、バク転が出来るようになって、ドラマに出て、雑誌の表紙に出て、ソロで歌って、ユニットだけで一曲を任されて、ユニットで単独公演をして、ギターが弾けるようになって、好きな先輩とご飯に行って、憧れの人とずっとやりたかった曲を踊って、そしてまた芝居の仕事がきて。ここに書いたことぜんぶ、きみが夢や願望として口にしてきたこと。そして叶えてきたこと。もしかしたらもっとたくさんあるかもしれない。私が目にしてきた夢が叶う瞬間は、絵文字みたいにキラキラとしていて、いつも美しかった。
摩訶不思議なキャラクターが先行するからなのか、あんまりこういう評価を受けているのを見かけないけれど、賢いひとだと思う。夢を語るとき、そのために必要なことやそのために頑張っていることを添えて語る。そしてそれをコツコツと継続する根気強さを持ち合わせている。夢を叶える方法をきちんと知っている。
昔webであった「ジャニーズJr.になって良かったことは?」という質問に「自分の夢が近づいたこと」と答えていた。珍しくあいまいな答えだ、と思った。他の子たちはみんなもっと具体的に答えていた。その夢ってどんな夢なんだろう。もう叶っているのかなあ、まだなのかなあ。それとも、今ここまでのすべて、そしてこれからが全部きみの夢で、きみは夢に近づき続けているのかなあ。
きみが夢を語るたびに、わたしもそれを夢みる。そして夢を叶えるたびに、涙が出る。夢を語るのは怖いときもあるかもしれないけれど、もっとたくさん語ってほしい。どんな夢だって一緒にみたい。きみが言うなら天使にだってなれる気がする。いや、もうきみはきみを好きなひとにとっては天使かもしれない。身長175cmになるのはちょっと難しいかもしれないけれど。
舞台初日おめでとうございます。最後まで怪我などなく、存分に楽しみ、無事に千秋楽を迎えられますように。そしてまた次の夢をみにいこう。
■中央値
年度 | 稀勢の里 | 鶴竜 | 日馬富士 | 白鵬 |
---|---|---|---|---|
2012 | 10③ | 9.5●④ | 11★② | 13① |
2013 | 11② | 9④ | 10.5③ | 13.5① |
2014 | 9④ | 11.5★② | 11③ | 14① |
2015 | 11② | 10④ | 11② | 13① |
2016 | 12① | 10④ | 11.5③ | 12① |
2017 | 14★① | 5③ | 4④ | 11② |
■平均値
年度 | 稀勢の里 | 鶴竜 | 日馬富士 | 白鵬 |
---|---|---|---|---|
2012 | 10.2③ | 10●④ | 11.5★② | 12.7① |
2013 | 11.3③ | 9④ | 11.5② | 13.7① |
2014 | 9.7③ | 11.8★② | 9.4④ | 13.5① |
2015 | 10.3② | 8.6④ | 9.2③ | 11① |
2016 | 11.5② | 9.5④ | 11.2③ | 12.4① |
2017 | 14★① | 5③ | 4④ | 11② |
稀勢の里は安定感なら横綱(白鵬以外)と互角だったと言われたりもしていたが、その印象は割と正しい。
稀勢の里も昨年がキャリアハイで成績は日馬鶴竜のキャリアハイを上回っている。1人だけ途中休場や休場がないのも大きい(2014年初場所千秋楽のみ)。
しかし2013年をピークに2014年以降は成績を落とし、下り坂に転じていく兆候を見せていた。
ところが2016年初場所の琴奨菊の優勝を見届けた後から盛り返した。2016年は年間最多勝を獲り、横綱級の力をつけたことを証明した1年になっており、中央値では白鵬とトップタイで並んでいる。30歳以降に19回優勝したという千代の富士のようにここから全盛期を迎える可能性もないとはいえない。
鶴竜は安定感を見ると横綱昇進した年だけが確変みたいな状態になっているが昨年11月場所の優勝は見事だった。
日馬富士は強い場所では強いがムラッ気があり、怪我と休場も増えつつある。ただ2016年は稀勢の里と年間最多勝を争っただけあり久々に休場がなく、勝利数中央値ではキャリアハイ。安定感の良い年だった。
白鵬は若干衰えの兆候があるものの未だにトップレベルであり、2016年の稀勢の里(中央値)以外にはトップタイすら許していない。
これまでも日馬富士が横綱昇進した翌場所に全勝優勝や43連勝があったり、鶴竜が横綱昇進した翌場所から6連覇したり、横綱誕生の翌場所から発奮して再び全盛を迎える傾向にあるため、稀勢の里が新横綱になった来場所以降の白鵬は注目。
それと同時にずっと言われ続けてきた初優勝&横綱昇進のプレッシャーから解放され、横綱になったことで常時開き直り状態になる稀勢の里にも本覚醒が起こるかどうかも注目。
現在の推しに対してだけでなく、多分ガチ恋しかできないヲタクなのだとおもう。
これまで、自分の中の一番だった異性に対しては、その度にガチで恋をしてきた、つもりだ。
つい半年ほど前まで、私はあるジャニーズタレントのガチ恋ヲタクだった。学生時代から9年ほど、ずっと彼と結婚したいと思ってたしどこかで出来るかもしれない、と思っていた。当然、お金を積んで良い席にも入ったし、ファンレターを書いたりしたけど、夜の仕事やそれに近いことをする勇気はなかったし、自分の出せる範囲ギリギリのお金と体力を使ってヲタクをしていた。
多分、どんな手段を使ってでも彼に覚えてほしい、とか、繋がりたい、とか思っていなかったのは、いつかタレントになって彼と同じ立場で恋に落ちたい。と思っていたからだとおもう。
でも、例に漏れずメンヘラの私はいつも病んでいて、最後のほうは彼のどこが好きなのか、彼をほんとに好きなのかわからないくらい、彼を憎いと思う感情が勝っていた。勝手に傷ついて、勝手に怒って勝手に嫌いになって、どれだけ理不尽で邪なファンであるかはわかっていた。だからこそファンとしていつも自信がなくて、「私なんかファンじゃないほうがいいよね。」とか病みツイートを1週間に一回は垂れ流していた。
出会ったというより、見つけてくれた、彼は。
一人のジャニタレに一途になるのはつらすぎて、兼ヲタをして気持ちを分散するという術を得た私は、その頃別分野のステージに夢中になっていた。大好きなキャラクターがいて(これは現在進行形だが)このキャラクターに対しても、ガチ恋のような感情を抱き、この子に構ってほしい。気づいてほしい。という気持ちで毎週通っていたし、手作りのグッズも作っていた。
ある公演で、いつも通りそのキャラクターの手作りグッズを抱きしめていた私を見つけてくれたのが彼だった。
わたしの好きなキャラクターと同じ括りで出演していた彼が、私を構ってくれたのは不思議なことではないとおもう。今までも、コンサートや舞台で、一番好きな彼以外に構われることはあったけれど、だからといって、「一番好き」が覆るような、尻軽な女ではないことは自負している。
なぜあの時が、私が彼に向かうきっかけになったのか。今考えるとそれは、ヲタクである私を認めてくれた、と思ったからだとおもう。
真っ直ぐな気持ちを、そのまま受け止めてくれる。そういう人だ。
だから、私を構ってくれたのかどうかはわからないけれど、私は、「この人は私が○○を好きな気持ちを認めてくれた。」と思ったのだろう。
その頃もジャニタレにガチ恋していた私は、他の異性タレントに夢中になることすら浮気心だと思っていたので、負い目を感じながらも明らかに彼に夢中になっていた。
彼に気づいてもらえるように、構ってもらえるように、出来ることは全てした。結局は、ファンサ厨であり認知厨であるわけだが、本心で、認知されたいわけではなかった。
ただ、彼が私を見てくれたり、私に笑顔を向けてくれればそれが嬉しい。そういうものが欲しくて必死になった。
けれど、彼は私が彼のファンになった途端に私を見なくなった。
彼のファンがいるあたりを見なかったのか、私がいるから見なかったのかはわからない。
けれど、わたしの浮き足立っていた心はスンッと冷えたことを覚えている。
じゃあどうしたら見てくれるのか、構ってくれるのかを必死で考えた。さらに必死になったりもしたり、彼の演じるキャラクターのグッズを手作りしたりもした。
彼は私の目を見てはくれなかったけれど、そのグッズへの視線を感じて、私がいることはわかってくれてるんだ、と思った。
そして、考えに考えた結果、彼は自分のファンが自分に必死になって、その作品を見ない事、感じない事に傷ついているんじゃないか、と思った。
彼は演じている間も、あからさまに辛そうな顔をしていた。他の人にわかる程度なのかはわからないけれど、ファンになったばかりの私が気付く位には傷ついていた。
だからこそ、私はちゃんと作品を見よう、愛そう。それが、私を見つけてくれた彼に対する誠意だ。と信じて、他のファンと小競り合ったり、ピリピリした空気を出したりせずに、純粋にその公演を楽しむことにした。
確かに、彼のファンになったきっかけは構われたあの日。だけれど、彼のパフォーマンスに夢中になっていた。この時にはもう、だれよりも、彼のパフォーマンスを見ている時が幸せで、楽しかった。
そして、この公演の千秋楽。
彼は私がファンになってから初めて、目を見て手を振りかえし、頷いてくれた。
それからは転げ落ちるように彼のファンになっていき、いつの間にかジャニタレへの長年の恋愛感情も消えていた。
彼を見ているだけで楽しい。幸せと思えた時間は、どうして長く続かなかったのだろう。
彼が頷いてくれたあの日、わたしの頑張りを認めてくれたと思った。私が出した答えが、正解だって、示してくれたと思った。
彼はそういう人なんだ。彼にとって正しくないことをすれば、それ相応の態度を示される。その代わり、正しいことをすれば、些細な、大きな、ご褒美をくれる。
彼に見つけてもらえてから一年が過ぎて、彼は私がいるとほとんど必ず見つけてくれるようになった。
どんな場所だとしても、私が頑張らなくても、正しいことをしている私は彼が見つけてくれるし、ご褒美をくれる。
私は特別だと思った。
彼のことを特別わかってるし、彼もそれを知ってるから優しくしてくれる。
だって他のファンの人たちは視界に入っていなくても、私がいれば二度見してくれる。
私がいるのといないのじゃ違うの?私かどうかをそんなに確認したいの?
他のファンとは違うんだ。私は大事にされてるし、特別なんだって思った。
私が何をしても、彼の目の前にいけば彼は認めてくれる。
どこで傷ついたとしても、私がどれだけ人間としてクズだとしても、彼を好きなことは彼が認めてくれてるって思えた。
もちろん人それぞれだけれど、現実逃避のためにヲタクをする人は沢山いる。
彼の優しさに舞い上がって、私は特別だと決めつけて、半分ネタだけど友達には彼の妻だと名乗っていた。
それくらい、思いっきり舞い上がっていたし、それだけの自信があった。
恋人がいる、と言い切れるわけじゃないし、あらぬ疑いと言われたら何も言えない。
けれど、一度疑った気持ちは拭えない。
あれだけ信じていた彼が、突然わからなくなった。
今までなら、彼らしい。と流せていた言葉が、引っかかる。
どうしてファンを傷つけるようなことを言うんだろう。
にわかが、彼に目線をもらったとか、何かされたというツイートを見ても、優越感に浸りながら草を生やせたのに、今はもうよくわからない。
そこでやっと気づいた。
彼が、ファンと関係を持って身を滅ぼすような人じゃないことは最初から知ってる。
そういう、隙がないところも大好きだから。
自分に都合の良い解釈をして、それで現実逃避して、すごいなーアホみたいだなーと、急に客観的にガチ恋ヲタクであることを自虐的に見られるようになった。
自信がないから、すぐ疑う。
彼にとって特別じゃないことも、彼がくれた優しさも、言葉も、全部、100%で信じていたのに。今はよくわからない。
彼の周りにいる女の人たちさえ一人一人疑ってしまう。
彼にとっての正しさを守っていたいい子の私は、本当にいい子なわけじゃない。
彼に楽しくお仕事してほしくて、彼に好かれたくて、いい子と思われたくて、いい子をしていた。
もし、いい子でいたところで彼に選ばれないのなら、なんの意味もない。
最初からわたしは邪で、嫉妬深くて、歪んでいる、ガチ恋ヲタクだ。
彼は私のこんな気持ちに気付いているのだろうか。
気付いていたら私をどう思うのだろう。
嫌われたくないなあ。出来るなら、いい子と思われたい。
でも、いい子だから優しくしてあげよう、って思われてるなら、死ぬほど辛いなあ。
ジャニタレのガチ恋からやっと卒業できても、やっぱり、同じ運命なのかもしれない。
もし、これから辛い日が続くなら、このタイミングでやめてもいいとも思った。
けど、きっと、私がいなくなったら、彼は私を嫌いになると思う。
いなくなったらわかるくらいの存在でいられることはとてもありがたいとおもう。けど、あまたのガチ恋ヲタクが語るように、認知は辛いってことを、認知ヲタになって身に沁みてわかった。簡単に距離を置けないし、簡単に離れられない。
きっと、このままいい子でいられれば、彼はファンとして優しくしてくれるだろう。
わたしは彼を好きで居続けられるだろうか?
好きな人を嫌いになるのは、とても辛い。
東に自担の現場あれば、足と宿とりチケ探し。西に自担が載る雑誌あれば、値段を見ずにあるだけ買い。南に自担に興味を持つ人いれば、行ってフォトセを渡してやり。北に自担が映りこむかもしれないデビュー組コンサートの初日を報じるワイドショーあれば、友人に頼んで録画してもらう。
雨にも負けず風にも負けず。長い間そうやって過ごしてきたから、ジャニオタのやめ方が分からない。
今の職場で働きだしてから、例えば初日や千秋楽や自担の誕生日といった、絶対に外せない現場に入れなくなった。でもTLでは誰かしら入っている。数ヶ月前なら自分も入れたのに。という風に思ってしまってしんどい。
同担とは同意見にならなければいけないみたいな圧がしんどい。同じ舞台で同じ人を観ていても、どう感じるかは人それぞれなのに「今年去年より楽しいよね!」と言われるとそうは思ってなくても、肯定せざるを得なくなる。
自担がいるならどこでもついていくタイプのオタクをやめるのってどうしたらいいんだろう。
人と比べるのもしんどいし、昔の自分と比べるのもしんどい。でも自担はかわいいし、見れば好きだと思う。でも今は現場に行きたいという気持ちが無い。確実に自担がいる現場があるのに。
いるなら行くしかと思ってチケット確保したけど、いまひとつノリきれなくて手放した。雑誌も載ってるから買ったけど、開けてもない。義務感というか、起きて顔を洗うのと同じような感覚でオタクをしている。オタクをしていた。
だからジャニオタやめたいと思っていても、仕事が終われば一番にツイッターを見て、何か変わったことは無かったか確認してしまう。息をするように。
ツイッターやめてテレビの録画もやめればやめられるのかもしれないけど、自担はかわいいから見ていたいし。どうしたらいいのか、どうしたいのかが分からない。とにかくこの混沌から抜けたい。
一年半ほど前、若手俳優厨界隈にもリツイートで回ってきた匿名ダイアリーの内容が結構話題になった。
と、勝手に思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20150209010459
これを見てよっしゃ私も俳優に認知された話でも書いてみっかと思ってはてなIDを取得して早数ヶ月…
お盆休みに暇なので久しぶりにパソコンをつけたのでこうして文章をしたためている。
上記の匿名ダイアリーを読んでからなんとなく私も追っていた俳優への興味が薄れつつあってようやく自分の中で完全に降りたと思えるようになった。
ここでいう若手俳優というのはテレビより舞台がメインの仕事でぶっちゃけ世間的には無名の若さとオタクへのアピールしか取り得のない役者ですらないタレントのことを指す。
(失礼なことを書いていると重々承知しているが顔なり演技なりコミュ力なり何かしら飛びぬけている人ならいつまでもそんなところに燻ってなんかいないのは見ていれば分かる)
それでも私は舞台が大好きだ。
応援していた(私は推しという言い方が嫌いなのでここでは応援という)俳優には服や時計などプレゼントもしたし、今思うと怖いくらい長い手紙も書いていた。
一応認知もされていたと思う。
自意識過剰丸出しでキモイので認知という言葉を使用したくないが、なぜ認知されたと思うようになったかというと無視されるようになったからだ。
私は入り待ち出待ちなんてしたこともない。ただ座って公演を見るだけ。
客席降りのあるときは降りのパターンを見出して通る通路を押さえたし、降りないパターンのときは積んで前のほうの席に座るようにした。
遠征もした。
DVD発売イベントがあるときは同じDVDを何本も買って応募した。
握手会のためにCDも買った。話すことなんて無いし覚えて欲しくもなかったけどレーンが空いてると見栄えが悪いと思い何周もした。
そんなことばかりしてたら避けられるようになった。
考えすぎかと思うだろうが公演に一緒に入った友人にも言われたから確かだと思う。
それが原因で降りたかというと違う。
若手俳優を追っている人なら分かると思うが俳優にもいろいろなタイプがいて、
・分け隔てなくファンサする
・そもそもファンサしない
細かく分けるとこんなもんじゃないがざっくり分けるとこんな感じ。
そして私の応援していた俳優は認知したファンには構わないタイプだと判断した。
まあ関係ない一回くらいしか行かない人からしたら知ってる顔ばかり構ってる俳優なんて嫌だからいいんだけど。
このことに気付き、覚えられたという喜びが一瞬芽生えたが次の瞬間にはそれならばどうにかしてファンサが欲しいと思うようになった。
彼の視界に入るための席を次々と買った。
公演や俳優を見るためではなく、自分が見られるために通うようになった。
回数入っていることをアピールするために手紙も毎回書いたし少しでも対応が良くなればとプレゼントを贈る頻度も一回に遣う金額も増えた。
手紙も回数を重ねると書くことがなくなるからプレゼントでごまかしてたのもある。
服は結構着て貰えていたと思う。
雑誌の取材とか稽古場の映像、写真で形として残るのは素直に嬉しかった。
それなのに公演では反応がないのが悔しくてまたチケットを増やす、の悪循環だった。
毎日仕事終わりに行く公演は眠くて内容は頭に入らないしアンコールの前奏が始まれば緊張で気持ち悪くなる。
それでも同厨より多く公演に入ることがステータスだと信じていたので通った。
こんな観劇姿勢なのにネットで晒されなかったのは我ながら地味でよかったなと今更ながら思う。
いわゆる卒業が来る。
終わりが来るのは最初から分かっていたがそれでも最後の公演の千秋楽は驚くくらい泣いたし次の日会社も休んだ。
もう二度と舞台でこの姿を見ることができない寂しさもあったが辛くて仕方なかった公演通いからやっと開放されるという思いのほうが強かった。
その後に舞台出演が発表された。
今までお金を掛け続けて追っていた自分を否定したくないので勿論行く。私を突き動かすのはもはや意地だけだった。
公演がない間も花も贈る準備をするしプレゼントを事務所に送るし手紙も書く。
客降りとかファンサが無かったからとかではない。むしろ無くて良いと思っていた。
そこで初めて自分は俳優の彼では無く、キャラクターを演じている彼が好きだったんだと気付いた。
あんなに見るのが辛かった舞台だけど、キャラクターを演じるためにカンパニー一丸となって作る世界観を追いかけていたのだ。
気付いたとたん魔法が解けるように彼の全てに興味が無くなった。
自分でも薄情だと思うほどに熱が引いていくのが分かった。
世界観が好きとは言ったが、新しいキャストが演じている同じ公演を見ても前と同じように一人のキャストに夢中になることは無くなった。
今はファンサとかそういう感情無しで見るステージは凄く楽しい。
本当に何を見ても楽しいしみんな輝いて見える。
時々思う。たまたまあの公演で彼では無く別の俳優が目に付いていたらまだ俳優厨を続けていたのかと。
それでも私はきっと同じように追いかけて同じように降りていたと思う。
ここまで散々ネガティブなこと書いておいておかしいが、俳優をただがむしゃらに追いかけた日々は凄く充実していた。
ファンサを求めてからは地獄だったけどいろんな地方に行ったり美味しいご飯を食べたのは楽しかった。
今、手元には半券くらいしか残ってないが時間とお金を掛けた最高の道楽だったので後悔はしていない。
お金の無い俳優が自分たちオタクのあげた服で少しずつ洗練されていくのも結構面白かった。
なんと自宅に居る時間は5時間だけ?継続してたらデスマーチよ。
法律守って作業者が自宅に9時間いられるようにマネジメントするのがお仕事。
(鎮火の初動は、終電まで働かせといて健康管理は自己責任とか言う人の排除から)
というわけで、みずほ銀行が最近また話題になったので、振り返ってみよう。
で、記憶に新しい2011年の東日本大震災システムトラブルの影響で、
システム刷新して再発防止するぜ!というのが2012年スタートの話。
みずほコーポレート銀行にみずほ銀行が吸収合併されて、
はい、クソメンドクサイですね。
しっかし、この合併って超ややこしくて
とか並べると、ウワー関わりたくね-って判るでしょ。
今のみずほ銀行は、旧みずほコーポレート銀行なので、旧富士銀行なのね。
法人格(法律上の会社人格)も、SWIFTコード(世界的な銀行識別番号)も、旧富士銀行のを使ってる。
でも、日本国内で使う統一金融機関コードは、旧みずほ銀行で、旧第一勧業銀行で、旧第一銀行なのね。
なぜなら、旧第一銀行の統一金融機関コードは0001で、旧富士銀行が0003だから。
しかも、元みずほコーポレートたる興銀は企業向けメインで、元みずほ銀行は個人向けがメイン。
AKBと宝塚歌劇団が合併したみたいなもんスよ。そりゃ一歩も引かないわな。
という政治的決着を経て、
外向けに儲かってるところは興銀の日立
(全銀システムはそもそも開発保守をずっとNTTデータがやってるんで、そこしかやるところがないという)
そして三菱東京UFJ銀行の開発はちゃんと終わりました。あそこも無茶やりました。
旧UFJは派閥抗争で完全に疲弊しきった所を、天下の三菱御三家、東京三菱銀行が救済しました。
だから、旧UFJ系(日立)は「実利で残した」という形で、東京三菱側(IBM)が完全にコントロールしてた。
主導権が完全に旧東京三菱側にあるので、旧UFJ(旧三和銀行)がなんか言っても鼻で笑われるレベルね。
つまり、クライアント(依頼主)側の命令系統がキッチリしてるかどうかが全て。
家を建てる時にさ、大工と左官職人と配管職人とガラス屋と設備屋が居るから完成しないとか、無いでしょ。
それぞれの職人にそれぞれの指示をして、結果として一つの建物ができるのはそんなに珍しく無い。
(もちろんちゃんと連携しとかないと穴空いてないから換気扇付けられんとかあるんだけど)
だもんで、日本IBMのプロジェクトマネージャーに全権委任して、組み直せば終わるよ。
みずほ銀行内の揉め事は、全部林さんがOK/NG決めて、IBMのPMが采配して進める。
要は、クライアント(依頼主)側の意思統一ができていないのが一番の問題。
これは、ベンダーがーとか多重請負構造がーとか、そういう問題じゃない。
第一勧業銀行と富士銀行と日本興業銀行の合併が終わってないのが問題。
(外面の話じゃなくて、内部的に一つにまとまってるかってことね)
自社もまともにできてないのにSIとか臍が茶を沸かすぜ。
みんなコダワルねぇ。
ヤヤコシイということだけ判ればエエのに。
とするじゃろ
/*合併前の法人格リスト 第一勧業銀行, 富士銀行, 日本興業銀行*/
社名変更(みずほ銀行, 吸収合併(吸収合併(第一勧業銀行, 会社分割(富士銀行, 富士リテール)), 吸収合併(新規設立(みずほ統合準備銀行), 会社分割(日本興業銀行, 興銀リテール))))
社名変更(みずほコーポレート銀行, 吸収合併(富士銀行, 日本興業銀行))
社名変更(みずほ銀行, 吸収合併(みずほコーポレート銀行, みずほ銀行))
第一勧業銀行が第一銀行から来てることは知らなくて良いなんてコメントは甘い甘い。
日本では古いほうがエライ。それは実にシンプルに帰属意識や誇りに結びつく。
今をときめく日本銀行よりも第一銀行(第一国立銀行)の方がエライのよ。
よしもと新喜劇とAKBと宝塚歌劇団が合併したみたいな話に例えると
「じゃあそれで」
「えぇ……」
「しないだろJK」「含めるに決まってるだろ?」「千秋楽だけ生花は衣装扱いで」
「えぇ……」
「どうかな?公演の日取りは決まってるけど」
「「「おおむね順調です!」」」
(三行で正確に知りたいってのは業腹ってもんだ)
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
力尽きたので、つづく。
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(0) | 11:26
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(1) | 11:25
Twitterで繋がってるファンの人らは明らかに話題を出さなくなったし、劇場に向かうこともなくなったからさすがに気づいてるんだろうけど。
こんなんいちいち書かなくてよくない?!って思われるかもしれないし読みたくもないだろうけど文字に起こしたくなったから書いた。
読まなくてもいいし読んでもいいけど責任は持ちませんのでムカついたらリムでもブロでもしてください!!
最近ってかもう昨年の秋くらいに冷めかけてて、気付いたら舞台も通わなくなった。
なんか仕事でやらかした!とかカノバレ、クズバレしたとかでもないんだけど・・・冷めたのかな。
っていうか疲れたんだと思う。
たいしててめえ応援してないくせによく疲れたな?!っていう人もいると思う。でもねー私的には疲れたんだわ。
ごめんはっきり言ってこれが一番でかい!!
彼の所属してる事務所の対応がクソクソクソクソofクソだった。
事務所主催の公演があった。主演からメインキャストみんな事務所メンバー。もちろん彼もでる。で、もちろんチケット取ろうとがんばるじゃん?
そしたらさ、まずはじまったのが「チケットをゲットする権利をゲットする権利」の先行。
まあとりあえず応募した。友達3人と協力して1勝3敗。
友達が「権利」を当てたので応募するじゃん?そしたら落選ですよ。
激戦だったのかな?ほんじゃ次頑張ろうって思うでしょ?そしたら落選した「3人に敗者復活戦するよー!」っていうメールが来たのよ。
ちなみに1回目に「権利」を当てた人にはそのメールが来ないのよ!なんやねんそれ!
で、また激戦かなとおもって3人でトライするじゃん?そしたらね、3人とも当選したのよ!は?!どんだけチケット余らせてんねん!
まあ当たったからいいけど、最初に権利もらった人かわいそうじゃない?!全く意味わからない先行・・・
で、その公演なんだけど公演始まる1週間くらい前までチラシとかビジュアルもなくて。当日券の販売もなく・・・
完全にファンに向けるファンのための公演。いやいいねん!それでも。でも、もっと活躍させるには、広く新規のファンを獲得した方がよくないですか?
そしてその公演、仲良くなったファンの子達でお花を出したんだけど、その花の撤去が千秋楽前日の昼公演までとかだったんだけど、早すぎないですか?
おかげで友達はだしたお花見れなかった・・・初めて出したのに・・・辛
イベントとかでもすぐ顔だしてきて「○○!!ちゃんとして!!」とか偉そうにしてる。
マネージャーとかそういう、裏方に徹すべき人が前に出てくるの嫌なんだよね。出てきてもいいけど気分悪くしないでほしい・・・
2年前かな?シリーズ物の舞台を卒業したんだけど、次のステップにすすみたい!とかそういうこともあって卒業したんだと思うのね。
どんな仕事するんだろうな?ってワクワクしてた。がしかしやる仕事やる仕事謎なものばかり・・・
あまりにも面白くなさそうすぎて苦痛で、いつしか見にいこうと思わなくなっちゃった。
その人はユニット組んでて歌も歌うんだけど、けしてめちゃくちゃ上手いわけじゃないんだよね。
でもなんかそのユニットでの仕事が多くなって、シリーズ物の舞台を蹴ってまでツアーをしてた。え?本業を蹴ってまでやるの?って呆然とした。
だってそのツアーって全国回るけどほとんどファンは同じ人が移動してる感じでそれ本人たちもわかってると思うんだけど、その熱の入れようはなんなの?ってなったんだよね・・・
歌ってるあなたじゃなくて演じてるあなたが好きなんですけどわたし?!
長々とすいませんでした。
匿名やけど分かる人にはわかる感じで書いちゃった。まあいいや。
正直仲良くなったファンの人たちには感謝してるし楽しかったんだけどごめんなさい!多分今好きな俳優さんと現場がかぶらない限り、見に行かないと思う。
その中の人でもう違う人や違うジャンルに行っちゃった人とか、温度が冷めてるなーって人とは話せるけど、熱を持って喋ってる人らとは楽しくおしゃべりできないと思います。
ツイッターのタイムラインに話題が流れてくるのももはやしんどくなっちゃった。可愛さあまって憎さ100倍っていうか・・・いや憎くはないんだけど。ただただ見たくない。
ものすごく好きだったことは確かなので、もやもや思いながらここ最近いたので、すっきりしました。
元推しさんへ
大相撲春場所千秋楽の白鵬バッシングに感じた違和感は主語を思いっきり大きくとると「日本社会のルールというものに対する意識のユルさ」なのではないか?
http://watto.hatenablog.com/entry/2016/03/28/143551
地球は揺れず、世界も止まらず ベテラン同士の攻防はメイウェザーの勝利
http://blog.goo.ne.jp/saupon/e/13c9c097fe12f5ac3e2d46e7315a74b5
メイウェザーは玄人好みの技巧的なボクシングで世紀のタイトル戦としては見応えがないが最終ラウンドまで戦った
しかし超高額チケットを買ったボクシングマニアとはいえない富裕層やパッキャオならあのビッグマウスを倒してくれると期待のPPV視聴者からは不興を買った
日馬富士と四つに組んでも8:2で勝てるだろうに
大一番を期待した観客が怒って帰るのも不文律を重んじる関係者から文句がでるのも納得できるのだが
どうも日本社会が悪いらしい
なでしこジャパンかな?
これもし日本人力士が同じことをして勝ったらどうなってたんでしょうね?
ましてや優勝していたら...
id:kodebuya1968 間違いなく称賛されていたと思いますよ。命を賭けてもいいくらいに確信しています。
ブログ主も間違いなく称賛するんじゃないですかね
白鵬が春場所の千秋楽で「変化」で日馬富士を下したら、観客からヤジの嵐を浴びて泣いちゃったとかいう話。
これって野球で例えると、優勝が決まるマジック1の試合でダルビッシュが変化球ばかり投げて三振を奪ったら、「おい!ストレート投げろや」と敵味方問わずファンからなじられるということか。
id:ihok 優勝決定戦の9回裏満塁一打逆転の状況で、隠し玉のアウトで終ったとしたら、ブーイングを我慢できたとしても、不平不満を言わない自身はない。
→隠し玉にひっかかるランナーやコーチの油断を棚に上げて不平不満とは。上原の牽制アウトはOKで隠し玉がダメな理由がわからん。
id:oktnzmoktnzm 百歩譲って横綱の変化を許容したとしても千秋楽の大一番でやるこたぁねーだろう。高い金払ってみてる客が秒で終わる相撲見て満足すると思うの?安美錦がやるのと白鵬がやるのとでは全然意味が違う。
→長さの問題か。相撲見ないほうがいいんじゃない?変化じゃなくても秒で終わる相撲はある。千秋楽の大一番限定でNGってのもわからん。
id:mahalmahal アレを技巧というのは同意できるけど、「変化の技巧」を客が見極めるべきみたいな目線で、興行が維持できるのかってのが問題さね。つまらんものは、つまらん。
→観客の見る目の成熟ってどんなスポーツでも大事。それがないスポーツは発展しないだろうな。「細かい技とかわからんけど楽しませろ」みたいな客ばっかりになったらそれこそ大相撲は終わるな。興行側が「細かい違いをわかってくれ。俺たちすごい技巧を持ってるんだよ」と言うのは違うがね(興味があれば観客の側から細かい部分の着目して観戦するようになる)。
id:thirty206thirty206 MLBやサッカーでも死体蹴りしたらあかん的な不文律としてのプレーあるんでしょ?横綱相撲しようぜってのも同じじゃないの?技術論とはまた違う話ではないのかな。
→死体蹴りと変化はぜんぜん違う話なんだが。死に体にダメ押しするのはNGってのはまた別の不文律としてあると思うしそっちはその通りだと思うよ。
id:kash06kash06 白鵬だから横綱だから、ではなく、単純に「あ、終わりか」と冷静に思っただけですが、つまり多くの人から見て盛り上がる或いは面白い一番でなかったのも確か。ただ、日馬富士が止まれなかったのも相撲として悪い。
しかし、その方に言われたから言うが、俳優はファンに対して愛もクソもへったくれも無い。
それは、俳優は貢いでくれるファンがいないと生活が出来ないからである。
私は、好きな俳優にはお礼として金を払う事が義務だと思っている。
いつも素敵な笑顔を見せてくれて、毎日ツイッターやブログでその日の出来事を書いて投稿する。
そうやってファンサービスをしてくれている彼らに、私は恩義がある。
その恩義を、私は貢ぎという形でお返ししているだけである。
たまには出待ちもする。
彼の迷惑にならない程度に。
もちろん、彼に一言断って、『いいよ』と言われたら話す。
事務所も黙認している。
それは服や化粧品などの時もあるが、金券やスタバカードの時もある。
だから、彼は私のご機嫌を取るために、出待ちに対応し、貢ぎを付けた写真をあげる。
先日から「明日死んだら、後悔する」と思えたことが幸せで、ちょっとどこかでその気持ちを吐き出したかったので増田で。
学校で色々とあって、遺書も書いて、さあ死ぬぞと思ったけれど勇気がなかったので、みみっちく生きながらえました。
けっこう本気で死にたかったんですけどね……
そんな時、ひょんな事から出会った漫画に、本当に命を救われたと思っています。
まあオタクによくある、続きが気になる!という気持ちで、明日を迎えるのが嫌じゃなくなりました。
そしてこの10数年、割と笑えるくらい、オタク的な理由で生きてた気がします。
死にたいと思ってから2年ほど後、この後すっげぇ好きで居続ける小説と出会いました。
10年たってからミュージカルになったんだぜ……?すごいよね。
そして高校生になって同人活動を初めて、たくさんの友達ができました。
今でも仲良くしてくれる子もいるんだぜ。幸せなことだよね。
高校卒業の直前に、今でも同人活動続けているアニメに出会いました。
嫁かわいいよ嫁。
大学に入ってからは、まま死にたいと思うことはありましたが、東京にも行くようになって、本当に例えでもなく、視野が広がりました。
まぁ、こんなオタクでも生きてていいよね的な方向なんですけど……
東京って近いんやな(震え声) 東京での出会いもいいものばっかりだよ!
オフ会の主催をやって楽しかったと言われたり、同人誌の感想をいただけて、本当に幸せでした。
最近では、同じジャンルの友達と旅行に行ったり、好きなロリータブランドの新作を楽しみにしたり。
本当に信じられないのは、中学後半あたりで地雷だったキャラなのに、ミュージカル観に行ったらまさかのドはまりしたことです。
生きててよかった!と思えるのは、何とか生きてたから。
死にたい、と思いながら生きてて、運良くいろいろな事に出会って、なんとか運良く幸せだからと思うから。
なので、死にたいという意見に「生きてたらいいことあるよ」とは絶対に言いたくないです。
生きてていいことあるのは分かるけど、その時までになかったから死にたいわけで。
いいことがあったと思えるのは、生き続けた未来の私。
もし昔死んでいても、運が悪かったからと思う。
だから、昔の自分を否定しないです。本当に辛かったよね、と共感はする。
だんだんとまとまりがなくなってきました!整理してから書けばよかったな。
最近は、中学入る前くらいの元の自分、目立ちたがりで、承認欲求にまみれた奴に戻ってきたよ!やったね!!
割と生きる目標もできてきたので、これからも頑張って生きようと思います。
ほとんど、10年前の私へ。
http://golgo.hatenablog.com/entry/2015/10/11/215136
断言しちゃってるけど前提がおかしい。そもそも大相撲の取組はランダムで決まってるわけじゃなくて初日と二日目以外は前日に決まる、だから「千秋楽まで勝率5割なんだから千秋楽も5割なはず」が間違い。ランダムに取組が決まってない以上「勝率は正規分布に従う」も間違い。
大相撲では上位陣は上位陣を中心に当たるし、下位陣はよっぽど勝ちが先行しないと上位陣と当たらない。その結果序盤から中盤は上位陣と下位陣に解離があって同じリーグに二つのリーグがあるような感じになる。
で、個々の取組の組合せは番付と勝ち星を見て同格同士で当てる慣例なので、「前頭筆頭から5枚目くらいまでの中の上から上の下の力士で序盤から中盤に上位陣と当たって勝ち越しボーダーに近い力士」と
「下位陣同士でしか当たらないので勝ち星を増やした(10勝くらい)前頭10枚目以下くらいの力士」が同格ってことで千秋楽に当たるパターンが多い。
番付下位とは言え調子の良い力士なので番付上位が負けることも普通にあるが、そうは言ってもそういう対戦だと、勝ち越しボーダーに乗っている上の下、中の上の力士の方が勝つ可能性が高い。その結果が「千秋楽に7勝7敗で臨んだ力士は勝つ可能性が高い」という現象なわけだ。
気になる人は千秋楽に7勝7敗で望んで勝つ力士の相手を確認してみてくれ。個人的にはもっと千秋楽で勝って勝ち越しを決める力士は多いと印象だったので57%って見て「低っ」って思ったくらいだった。
あと2011年についてはまぁ、一場所まるごと中止になった上に幕内も数人引退くらったからなぁ、そりゃ荒れるでしょ。他の年のデータが飛び飛びなのも怪しいよね実際年ごとのバラつきがデカイんじゃないの?誰か調べてくれないか。
ついでに「勝ち越しボーダー上の力士のモチベーションが勝ち越しor負け越しの決まってる力士より高い」とかも普通にありそうだよな。ちょっと手心を加えてるケースだってあってもおかしくないと思うし。力士も人間だから。
みんなでいっしょに、芋掘りして、じゃんけんして、両手をぐるんぐるんしました。
かけっこも速かったです。
また、遊びにきたいとおもいます。
※ ※ ※ ※ ※ ※
これまでPerfumeは、テレビやCMで歌うシーンだけしか見たことがなかった。
ファッションショーのモデルや初音ミクに対しては、一種非現実性を感じることがあるが、Perfumeに対しても同じ印象を持っていた。
LIVEでは、3人が交錯しそうな狭い場所で、映像・演出と完璧に同期した振りで歌い、踊っていた。ステージ横のスクリーンを見ていると、まるでプロモーションビデオのようだった。
なんというか、プログラムされたアンドロイドのように見えた。再生芸術。
広島弁。
「○○じゃけぇ」
ここからぐーっと引きこまれた。あぁ、この子たちは生身の人間なんだなぁ、と思った。
デビュー当時の苦労や、支えてくれたスタッフ達への感謝、そして客席とのコミュニケーション、すべて広島弁。なんだか夏の田舎に帰ってきた気分だった。
ライヴではアーティストが客席に統一した動きを求めることがあるが、あーちゃんのそれは徹底していた。両手を上げて「すすき」のように左右に振り、両腕をおろして「かぼちゃ」を抱え、両手を伸ばして勢い良く手前に引き「芋掘り」をする。
そしてT.M.Revolutionの“カラダが夏にナル カゲキで最高”の振りも(なぜ?)。
体育館の外は涼しかったが、場内は夏だった(実際暑かったし)。
ここで練習した振付は、その後の曲で皆でやることになったが、芋掘りはしなかった(笑)。
「かけっこ」は、このツアー中何回か行われていたようで、のっちは全敗中。のっちとあーちゃん&かしゆかに分かれて、観客の「よーい!どん」の声でスタート。
え!千秋楽までさんざん歌い、踊った後に、ハイヒールで会場後方からステージまで走るの?転ばないでね…… 結果はのっちが雪辱を果たすことができず、またも敗退。勝者の賞品はたしかチョコラBB1年分だったか。
楽曲については知識がないので語れないが、「エレクトロ・ワールド」だけは、映像から目が離せなくなったのを覚えている。皆が会場中央の3人を見ているなかで、一人反対側のステージを見ていた。
「リニアモーターガール」は、ライブでは7年ぶりだったらしい。
最後に、彼女たちの2005年メジャーデビュー(観客が少なかったらしい)から2014年までのビデオが流れ、Perfumeにこれまでほとんど思い入れがなかった自分も「えらかったねー」とねぎらいたい気分になった。(標準語でも、広島弁でも)
サプライズ企画では、「芋掘り」で訓練された観衆が一糸乱れぬ「人文字」を贈ったようだが、実際どんな感じだったのか見てみたい。
この日は奇しくも2014年のツアーの千秋楽だったということで、そういう場に誘ってくれた友人に感謝したい。
会場にはコスプレをした人が結構いたが、自分の席の数列前方に「アメリカ横断ウルトラクイズ」の帽子をかぶった人がいた。あれは何だろうと思っていたら、このあとアメリカツアーが決まっているという。そういうことか!ツアーの成功をお祈りします。
あ、チョコラBBドリンクありがとうございました>エーザイさん。
さて、何から聴いてみようか。