はてなキーワード: 公言とは
を読んだ。この増田に影響されてガンダムについて書きたくてたまらなくなる。ガンダムは良い物だ。
一昔前はμガンダムがνガンダムのプロトタイプではないかと言われていたのを見た事がある。μガンダムが最も話題になったのもナラティブ公開前の事だろうな。
無限に作れるというのは正にその通りで、今存在するガンダム作品の殆どはそのパターンで作られている。それをファンも望んでいる。
そもそも逆襲のシャアからF91の時代まで「大きな戦乱も無く平和な世界が続いた」って基本設定はどうなった?いつまでジオン残党を連邦軍がボコる話を続けるつもりなんだよ
逆襲のシャアからF91までの30年間は戦争がなかったという話はある。閃光のハサウェイで描かれたマフティー動乱はあくまでテロであり戦争ではないのだろう。同じようにUCやNTで起きた事件も規模としては小さく戦争ではない。
クロスボーンがフロンティア・サイドに侵攻した事から始まったコスモバビロニア建国戦争以前にしてもF91の前日譚であるF90、フォーミュラー戦記0122、シルエットフォーミュラで戦いは描かれている。ここは昔から何も変わらない。
結局また逆襲のシャア周辺の掘り下げと隙間埋めを連発するんじゃいつか飽きられるっつーの
初代ガンダム周辺の掘り下げと隙間埋めだけで30年以上戦ってきたガンダムで何を今更という話である。ポケットの中の戦争は初代から10年後、08MS小隊は20年後、MS IGLOOは30年後に作られた。
この時はまだガンダムに飽きていなかったから良かったが今は駄目だ、というガンダムファンも多いがそれはあんまりに身勝手だ。ガンダムはウルトラマンのように半世紀以上愛されるだろうし、これからも番外編は作られていく。
綺麗に完結した機動戦士ガンダムという作品の続編を描いたZガンダムの時点で既に余分だった。アムロとシャアの決着を描いた逆襲のシャアで一度ガンダムは終わったのに、アムロもシャアもジオンも出て来ないF91とVも余分だ。
その次はガンダムという顔の兵器が出てくるだけで、宇宙世紀とは直接の繋がりを持たないアナザーガンダムが作られてきた。Zからの全てのガンダムは余分であるし、ガンダムの歴史は余分の歴史だ。その余分を楽しんでいる。
RX-78何機はあるんだよっていう。
正史への介入はともかくそのポケ戦にもニュータイプ専用ガンダムことRX-78NT-1「アレックス」が居る事を忘れたのだろうか。
RX-78シリーズの内ガンダム1号機から6号機までとそのバリエーションであるFA-78-1、FA-78-2は機動戦士ガンダムからZガンダムの間に企画されたMSVとMSXに登場した物だろう。
それ以外のRX-78なんて精々0083に登場したガンダム開発計画に作られた三機くらいではなかったか。ガーベラ・テトラがガンダム試作4号機であるとか最近は試作0号機が作られたという話は詳しくないので保留する。
ポケ戦の時期は設定がゴタゴタしていたのかアレックスが4機目のガンダムとして扱われてMSVの設定と矛盾していた事がある。RX-78が多すぎるのは30年以上前からずっと変わらない。それがガンダムだ。
ところで何だかんだ言って皆ガンダムから離れられない所を見るとガンダムとはまるで地球の引力のようだ。あれだけガンダムから離れようと努力した富野監督が、今でもバリバリ元気にガンダムの劇場最新作を作っている事からそう思う。
知らなかった。完全にガンダムだと思っていた。GにGundamというルビが小さく振られていたけれど、 劇場版『Gのレコンギスタ』が公式の名称であるらしい。
かつてガンダムと呼ばれた物が「ガンダム」から脱却出来た事が他にあるのだろうか。富野監督と『Gのレコンギスタ』はガンダム40周年目に新たな偉業を成し遂げた。ガイア・ギアとG-SAVIOURについてはよく知らないので保留する。
「女も男もそれ以外もオタクも非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
自分の子供時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校で女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。
それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえあまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士がネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである。
だから元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代の友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。
「レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアルの思春期男子のあいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味の相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……
で、倫理についての話。
正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法で倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道な行為であることなど自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。
ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。
だからモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨に倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって、推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いしちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いしちゃう子がいるなら、それはもうBLの責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。
危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。
男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦ものの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器に怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちなフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。
これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか。増田は、「政治的な正しさ、ポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題をはらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意を性的少数者に押し付けているだけになってはいないだろうか?
たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人を強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部のゾーニングをかいくぐる技術くらい身につけるものである。
積極的に子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティヴ表現に積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由に創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供が自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種の通過儀礼だな。
あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタクと関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品のエロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニックな恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交を描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロはオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品のエロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタクの気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラのエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定数NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易なレイプファンタジーを蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。
ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)
"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為を被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。
いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えてしまうんや。萎えの機序としてはメガネっ娘がメガネを取るアレに近い、というかコスプレAVの衣装を脱がすな問題と同じ。
この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在のゾーニング対象になっているとも思う)。
なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?
ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為や乳首・性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写が朝チュンなら一般向け。
「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語のオチを明かすに等しい区分だから無理だろうなぁ)。
で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは性暴力を正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えるからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。
でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。
増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミやNTR嫌いの根幹はそこだし、オタクも住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。
アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任。支部や即売会でエロ同人を漁るならNTRが一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品をdisるのは読者の表現の自由に属するので)そのストレスの責任は自分で負うべき。
自由に表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。
みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起や一般には簡単に見えないよう棲み分けが必須 澁澤龍彦とか
ばっかじゃないの。ガッツリ性行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)
全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18で検索したら男向け作品が出てくるという先入観はある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。
だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした
だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)
『ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジで怖いから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思います(そもそも寝る前に『残穢』を読むな)
中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代のホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。
「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。
ブコメで「でも、今でも不倫報道で芸能人が失脚してるじゃん」とか言われてるけど、ぶっちゃけ不倫で芸能人が失脚するようになったのはごく最近だ。
現時点でも失脚するのは主に女で、男が失脚するのは半々くらい。
平成後期くらいまで、大物芸人が「お姉ちゃんのマンション行ったらさ」と囲ってる愛人がいると公言するのは当たり前だったし、俳優夫婦の不倫が発覚すれば、「嫁が仕事してるとダメだな」くらい言われてた。
つい最近だって、浜田雅功や狩野英考が不倫発覚してたけど、特に何もないだろ。渡部が失脚したのは、嫁と時期と業界からの需要に対して、あまりに「多目的トイレでパコパコ」というイメージが悪手だったからだ。
「芸能人ならある程度不倫しても当たり前」だったのが「いや、どんな理由があろうが不倫はダメだ。不倫しないって約束で結婚したんだから」ってなったから、失脚するやつは失脚するようになったんだ。
差別的ではないのでは?
単なるフェチだろ
ただそのフェチをその辺で撒き散らすのはやめましょうねって話では?
オナホわからせの同人誌を愛好していることを公言して生活している人は
クリエイター以外はほぼいないのと同じでは?
配信者や視聴者同士でたわいもない会話をするのが楽しくて、あまりチャットに参加してこなかった私でもその居心地の良さを感じていた。
そんな平和なチャット欄だったはずなのに、いつの間にかチャット以外のところでギスギスし始めた。
配信者のファンだけを募ったLINEのオープンチャットで、どうやらひと騒動あったようだ。
その予兆は数日前に既にあった。
Twitterの私のTLに、フォロワー以外の愚痴が流れてきた。その愚痴はなぜか()付だった。
ある特定の人物が送るスパチャの文言が気に喰わない。平たく言えばそんな内容だった。
書いてあった愚痴の詳細は省くが、スパチャの送り主は容易に想像できた。
配信者を身内ネタでイジるのが定番化してきたスパチャの流れに、配信者からのファンサを求めるスパチャを送る視聴者が出てきたのだ。
配信者は送られてきたスパチャを全部読む人で、最近は長文のスパチャラッシュを読み上げるのに結構な時間を要する配信も多くなっていった。
その度に配信の本来の進行はストップされるが、視聴者はみんな自分のスパチャを読まれたいので、文句を言うことは無かった。
それが、今になって一部のスパチャだけを責めるような愚痴が流れてきたのだ。
その()付ツイートはリプライが何個も付いており、開いてみるとそこには賛同したアカウントが軒並み()を付けてヒソヒソ話の呈を守って盛り上がっていた。
ヒソヒソ話の呈を作っておいて、どこもヒソヒソしていないその呟きに気味悪さを感じた。
加え、「そんなに目くじら立てる話か?」とも思った。
配信を楽しみたい。配信者とお近づきになりたいと思う視聴者はいくらでもいて、そのアプローチの仕方は千差万別の筈だ。
過去にも、配信者に絡むようなスパチャはあり、その内容に比べると、ファンサなんてまだ可愛いもののように思えた。
それに、配信者は容認して一つ一つ平等にスパチャを読んでいるというのに、なぜその方針にではなく、送ってきた人を責めるのか。
そもそも、身内ネタでイジる流れも、最近しつこくなりすぎていて、私はあまり好きではなかった。
チャット常連にしか分からないようなノリのスパチャが延々と続き、一時間も進行をせき止めるようなことがあったばかりだったのだ。
正直その光景に私はドン引いていたが、配信者が楽しそうだったので文句を言うことでもないと思った。
スパチャを送れば他の視聴者が気分を害してもいいのかよとは、私の意見で、それはファンサ要求勢にも身内ノリ勢にもどちらに対しても思っていた。
しかし、そもそも配信者が資金的な支援をする人を贔屓することは当たり前なのだから、それを一視聴者が目くじら立てることでもないと思っていたのだ。
そう思っているのは私だけだったようで、ひと騒動あったのは、その数日後の事だった。
Twitterにはオープンチャットが荒れていることを嘆く呟きが目立つようになった。例に漏れず()付だった。
ファン同士のイザコザを避け、極力視聴者とは関わらないようにしていたが、フォロワーからのいいねで流れてきた。
どうやらオープンチャットは泥沼で、少数が衝突し火が付いたところに別の人達が次々に油を注いでいったようだった。
()のなかの呟きは、切に火消しを望んでいるような、切迫した者も出てき始めた。
配信者はとツイッターのアカウントを持っていて、ファンアートの存在もよく知っていた。
私は()付の呟きたちを見て、呆れと怒りとが混ざったような気持ちが渦巻いていた。
()付の連中が余りにも身勝手だと思った。普段、配信では楽しいチャットにしたいと言っておきながら、配信者が見ているかもしれない場所で、平気で問題が起きていることを報告しているのだ。
実名を出さなけれないいという話ではない。ファンアートを特定されているということはそのアカウントも特定されているわけで、見られていない確証はない筈なのに、「私たち、ファン同士でギスギスしてます」と、こうも簡単に公言できてしまうファンたちがとても気持ち悪いものに見えた。
()付けてるのは、配信者に対する負い目なのか、それとも配信者に閲覧注意とでも言っているつもりなのか。
見て欲しくないなら見えないところでやれよ。
私は、感情のままにその旨をぶちまけた。ただ、ごく少数のフォロワーしかいない私の声がその大勢に届くわけもなく、寧ろ拡散もされることも無かった。
「私は視聴者の皆さんと仲良くチャットがしたいので、これからもよろしくお願いします」
その一言を読んで、私は腹の底からドス黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。
自分達で騒動を引き起こしておいて、仲良くしたいとはどういうことなのか。それをいいねして更に拡散していく視聴者たちの感性を異質だと感じるのは私だけなのか。
私は考えるのを止め、ツイッターのアカウントを消した。数日前にスパチャを送ったばかりだったが、配信者のチャンネルも登録からそっと外した。
視聴者の振る舞いに一番不満を持っていたのは私だった。そして、その振る舞いを野放しにしている配信者のことも、私は嫌いになろうとしていた。
嫌いという感情を原動力にアンチとして生きるのはあまりにも惨めなので、もうすっぱり忘れて別の事に楽しみを見出そう。今ではそう考えている。
ただ、そっと離れるだけなのは尺だったので、この不満だけは吐きだしたくて増田に投稿することにした。
解除する前に見たチャンネル登録者数はこの数か月間停滞中。寧ろ、一周年の頃に比べると減少傾向にある。
もっと激減して配信者がこの問題に気付けばいいとも思うし、何も気づかずに表面上の登録者数だけ見て喜んでいればいいとも思った。
誹謗中傷やヘイトスピーチ、犯罪補助等にあたらなければTwitterは好きな事を好きなように発言する場所であるのは大前提。
二次創作界隈で定期的に起こる学級会の発端や炎上ツイートの多くに見られる共通点として主語の大きい発言がある。
その一言さえなければただのお気持ち表明で終わったのにね、というタイプの。
それはまあいい。
創作界隈にいると高頻度で出て来る「創作者は感想が欲しい」という話題については、どれだけ主語が大きくても賛同者しか出て来ない(ように見える)。
感想が欲しい人はちゃんと公言した方が受け取り側も送りやすくなるだろうし、どんどん主張していった方が良いと思う。
でもそれを「当たり前の事」と同意を求めてこないでほしい。
もし私と同じ気持ちの人がいるとしたら、という仮定になってしまうけど、表立って言えない気持ちは分かる。とても。自分だってここにこっそりお気持ち表明しに来てるんだから。
だから「そんな事はない」という意見が出て来ないのも仕方ないと思う。
「欲しいと思わない人もいるんだ!送るのやめよう!」なんて知られたら、他の創作者に大迷惑をかけるのは確実だし。
私は感想を貰うと「嬉しい」という気持ちよりも「困ったな」という気持ちの方が大きく出てくる。嫌ではないから、困ったなが一番近いんだと思う。
いただいた感想に対して、自分がどうリアクションするのが正解なのかが分からない。その「困ったな」を抱えるくらいなら直接感想を貰わない方が楽だなーと思ってしまう。
褒めてもらったら、例え社交辞令だったとしても「そんな事ないです」は絶対に言いたくない。だったら「ありがとう」と言えば良いんだろうけど、褒められるのは感想を貰うよりも怖い。
「××が素敵でした!」と言われたら××に関しては今のクオリティを維持しなきゃいけないと、自分が勝手に思い込んでるのが理由なのも分かってる。
pixivやTwitterの「いいね」機能は、今のところ私にとって一番受け取りやすい好意表現だと思う。
この前○○さんと会った時に貴方の本の話で盛り上がった、とかも具体的に内容に触れられていないから受け止めやすい。
直接よりも空リプの方が、私の方から反応しなきゃいけないという義務感が少し薄まる。
いただいた感想も、返信不要と一言あるとかなり安心してしまう。
でもやっぱり読んでくれたお礼をした方がいいんじゃないか、と思うと何もしない自分はとても酷い事をしているんじゃないかと不安になる。
なんて言いつつも素敵な作品に出会ってしまえば、自分は感想を送ってしまう。もちろんその人が、感想を受け付けている状態なのかは確認してから。
なので「感想は送ってこないでください」と自分から発信してしまうのも、何かが違うような気がしてできない。この何かが何なのか言葉にできないからもやもやしてるのかも。
ぐだぐだ言ったけど要約しちゃえば
「創作者全員が感想を求めてる訳じゃないからその主語の中に私を含めるな」
ってだけなんです。
こんな公の場でこんな事書いた私が言う事ではないけど、もしこの愚痴のような物を読んでしまっても感想を送るという行為は止めないでください。求めている人は大勢いるし、確実に私は圧倒的少数派です。
もしかしたら私は今ここで、誰にも何一つ理解できない事を書いているのかもしれない。
でも、もし同じような考えを持っている人がここに辿り着いて、やっぱり私のように本音は誰にも言えないからその話題には触れないようにしている。という人がいたら、なんとなく仲間を見つけたような気持ちになってください。
ネット上の趣味の集まりで素姓をかくしてやり取りするうちに急に付き合ってくださいとかよくわからんことを言い出す人がまれにいる
大抵は冗談だけどその中でもガチっぽいひともいる(と思ってるのは俺だけでやっぱりからかわれてたりだまされてるのかもしれないけど)
正直まんざらでもない気持ちはあるんだが、あったこともないし顔も知らないのにこういう言葉囁いてくるやつのことが全然わからん。というか俺は文字のやりとりでは多少はまともに見えるだけで、公言してないけどホントは精神手帳持ち無職だし、外面形成に成功してるっぽいことに喜ぶべきか
大体こういう人って惚れっぽいから自分以外にも似たようなことしてるって自分に言い聞かせて変な気起こさないようにしてる
同人女界隈でバズってる例の漫画で、私は限りなく「おけけパワー中島」側の人間だった。
「もどき」と見出しにつけているのは、私がジャンル内で全く存在感が無かったからだ。七瀬や友川のように陰ながら誰かに影響を与えていたとも思えない。
私は、ただ綾城ポジとリア友だっただけの、いわゆる底辺ヘタレだった。
私は文字書きで、友人は絵師だった。あの作品になぞらえて私を中島、友人を綾瀬とする。
軽率に布教した某アニメ作品が綾瀬のストライクゾーンに当たり、彼女はこちらのジャンル沼に転げ落ちた。
綾瀬は元々絵が上手く、萌えが爆発すると筆が止まらないタイプで、毎日推しのカラーイラストや漫画をアップしていた。そんな様子だからフォロワーはあっという間に増え、気付けば5桁に突入していた。
一方の私は綾瀬に布教したのは良いものの、ドヘタレの底辺字書きに過ぎなかった。フォロワーの多さがすべてではないと思うが、2桁だった。
さらに、腐女子のくせにCP萌えせず単推しとなり、原作の隙間を書くような日常話をべったーに上げていたくらいの活動だったため、需要が低く読む人もかなり少なかった。腐女子が多い界隈では、私のような非CP者はいてもいなくても変わらなかった。それが漫画ならともかく、字書きとなればなおさら読まれない。
私は友人の作品が好きだったのでたくさんRTしてリプライも送った。リアルで会った時も感想を言っていた。
優しい友人は、私の小説をRTしてくれて「最高だから読んで下さい!」などと友人のフォロワーに向けて言ってくれた。するといいねRTがパラパラとついた。綾瀬を通して私を知ってくれた人が、「好きです!」とコメントをしてくれた上でフォローもしてくれた。その人、仮に田中さんと呼ぶが、田中さんとは相互になれた。それでもフォロワー数は2桁のままだったが、田中さん1人でもそう言ってくれたのは初めてで嬉しかった。
友人が見落とした、あるいは合わずRTしなかった作品は、全くと言っていいほど人に読まれなかった。
私としては、まあそんなもんだよな、私自身に知名度ないしな、と思っていたのでさほど気にしていなかった。この時は。
友人は、このジャンルで本を出してみたいと言った。同人人生で初だった。私は別ジャンルで出したことがあったため、そんな友人をサポートした。必然的に合同スペースで出ることになった。
友人がイベントの参加意志を示すと、あらゆるところから声がかかったようだった。アンソロへの寄稿、ジャンル内プチオンリーのグッズや特大ポスターの描き下ろしなど引っ張りだこだった。純粋にすごいと思った。
さぎょいぷしながら両者とも無事に脱稿した。綾瀬は自分から申し出て、私の本の表紙も描いてくれた。本当に嬉しかった。たくさん寄稿を抱えつつ全部こなしていたから、本当に神絵師なんだなと思った。
そして迎えた当日。
友人の頒布数が100とすると、私は1以下だろうと覚悟していた。実際そうだった。覚悟通りだが切なかった。
何よりもショックだったのは、友人以外から「私」を認識しされなかったことだった。
スペースに来た人からはほぼ「誰だろう」という目を向けられた。「好きです!」と直接言ってフォローしてくれた田中さんですら、中島という存在を認識していなかった。
田中さんがスペースに来て名乗ってくれたので、「中島です!」と言ったが、ものすごく怪訝な顔をされた。「誰なんだろう?」と言いたげな表情だった。もちろん相互になっていたのである程度の会話はしたことがあった。
驚きのあまり、「Twitterでお世話になってます」の言葉が咄嗟に出なかった。私はすぐに切り替えて「すみません、綾瀬は今席を外してるんですよ〜」と伝えた。彼女は笑顔になって、「じゃあこれ渡してくれませんか」と差し入れを取り出した。私の頒布物をスルーし、友人の本を買って行った。
その後、綾部が戻ってきた後、プチオンリー主催者が御礼としてひとりひとりのスペースを回っていった。主催者はテンション高く綾瀬に普段の感想と存分な感謝の念とアフターの誘いを伝えたのち、私の方をちらりと見て、誰だろうという顔をしつつ「プチオンリーご参加ありがとうございます」と社交辞令を一言だけ述べて去っていった。
来る人の9割9分が綾瀬に声をかけ、中島である私のことはチラッと無関心な目線を向けていった。片手で余るくらいの人は私の本も買ってくれた。
両手両足で足りないくらいの人数が、綾瀬表紙本文中島の本を手に取り、パラパラとめくったあと「なんだ小説か」という顔をして戻した。そしてメイドインオール綾瀬の本だけ買っていった。
友人の初イベントの空気を悪くするわけにもいかす、ずっとニコニコしていたが、正直かなりキツかった。
相互の田中さんにすらイベントに参加していることを認識されてないのだから、「私」へ声をかけてくれる人は誰もいない。さらに、表紙がイラストで本文が小説だと、一瞬手にとられて戻される率が普段より高かった。これも堪えた。1人だけの参加ならともかく、隣で飛ぶように売れている綾瀬の本を目の当たりにしているからだ。
イベントは終了し、アフターに行く綾瀬を見送って、在庫を担いで帰っていった。
あの漫画のように「このジャンルの人は私に感謝してくれてもええんやで」とでも言える性格なら良かったが、無い周囲の目を気にしていたため、私が綾瀬を誘ったことは一切口にできなかった。
ジャンルの神になった綾瀬を見て、素直に友人として嬉しい私と、私がいなければハマってなかったかもしれないのに…と後ろ暗い思いを抱く私の両方の側面があった。
あの漫画の中島の発言はかなり叩かれていた。でも私は、あそこまで言い切れる中島が羨ましかった。「は〜コイツ何言ってるの?」と思われたとしても、「思われる」ということは認知されるということだ。勝手な想像だが、あの漫画の中島はジャンル内でもそこそこの存在感がありそうだった。
Twitter内で流行っているおけパ中島への考察や妄想でも、「ギャグをよく書くが時折深いシリアス作品を書いてそれが泣ける」とか「毒マロが来てるけど綾瀬には言わない」とか「交流上手で友達が多い」とか色々言われていて多くの共感を集めていたが、どれも私には当てはまらなかった。中島ポジのくせに中島にもなれなかった。パワーがない。
いくら神の友人でも、ジャンルで空気だった私は、怪訝な目線しか貰えなかった。もしかすると、「怪訝な目線」というのが勘違いで、「コイツがあのヘタレ中島か…」と思われていたのかもしれないが。
「私が綾瀬さんを誘ったんです!」と公言し、綾瀬の作品に馴れ馴れしいリプライを送りまくり、他の人にも似たような対応をしていたら、何か変わっていたのだろうか。
たぶん変わらないだろう。絵師と字書き、神とヘタレの差が埋まるはずがない。
あの漫画を読んで、私は中島のなりそこないだなと感じて、ただ悲しくなって終わった。
綾瀬とはそれから声優のトークショー等何度か公式絡みのイベントに一緒に行ったが、そこでも綾瀬に声をかける人を大量に目撃した。私は横で見守るだけだった。そんなことがずっと続いた。
しばらくするとジャンルが完結し、私の中では区切りがついたのと、別のジャンルが気になったため、私は綾瀬に今までの御礼を伝えて静かにジャンルを離れることにした。綾瀬の好みには合わないと分かっていたため、私の新ジャンルは布教しなかった。
ジャンルから離れる少し前に、「また本出そうかな」と呟いたら、田中さんからいいねが飛んで来て「楽しみです」とリプが来たのが一番意味が分からなかった。本は既に出していたが、それを認識しないほど私が取るに足らない存在だったのだろう。
綾瀬は未だにそのジャンルの神であり続け、底辺の私は色んなジャンルを彷徨っている。
前提として
これらの特徴がある女は、男女どちらにも好かれる傾向があります。
なぜかこのような人は自分の欠点(あるいはコンプレックス)であるはずなのに
「女の子に嫌われる」「女の子の友達欲しい」と自ら公言します。
男性とは表面的には友人関係になっているように見えるかもしれませんが、異性なので相手に求めるハードルが低くなっているだけです。
男性側が女性側を潜在的に弱い、あるいは幼稚な存在として見なしていて、多少失礼なことをしても許されます。
対等な友人関係とは程遠いと言えるでしょう。
常に自己紹介だけしている人です。
自分の趣味や興味の範囲以外には何も話題を振ることができません。
相手に共感しにくい(立場を考えられない)という特徴も併せ持っている場合が多いです。
相手の失敗は許しませんが、自分が失敗したり、嫌なことがあると反省ではなく被害者の立場をとります。
例えば、自分の失言により相手の機嫌を損ねたような小さなことでも、
「お互い様」の精神はなく「なぜ自分がこんな目にあうのか」という発想になります。
上記の2点と方向性は異なりますが、YES, NO の意思表示や意見を述べない人も同性と友人関係を築くのは難しいです。
よくある、「グループ」には入っているけど、単体で誘われない存在です。
とってもとっても楽しかったし、落ち着いた雰囲気と優しくて温かい学校で、何の不自由もなくそこそこ沢山の経験も出来ました。
みんなでワイワイ騒いだり、好きなことを好きなだけ体験出来るような場所で、そこそこのレベルのふつーーの学校だったけど私はめちゃくちゃ満足して卒業しました。
話は遡りますが、中学校の受験校に対して親は特に何にも言わずに私の好きなように選ばせてくれたので、気に入った学校を4校受験しました。
1校だけ、めちゃくちゃ好きで好きでとても行きたい学校がありました。何より制服がめちゃくちゃカワイイ〜〜!!!
私の理想を全部詰め込んだ、お姫さまみたいな雰囲気の、お淑やかで麗しい学校でした。
普通に落ちました。
ぶっちゃけ、当時の私では背伸びしたようなチャレンジ校でした。
千葉・埼玉の1月受験で運良くそこそこの学校に引っかかった私が、調子こいて強気に出た賭けのような受験でした。
「志望している」というのも恥ずかしくて、「志望校」というのは隠しているようなレベルでした。
その代わりに第1志望と公言していた学校がありました。そこも制服が特徴的で凄く素敵で可愛かったです。
レベル的には行けるか行けないかは五分五分………ちょっと盛ったかも。
そこは5年生くらいから意識してた所でした。校舎は古くて汚いけどやっぱり素敵な学校でした。
落ちました。
2回受けたけどサクラが散りきって、何も残りませんでした。
私が通うことになったのはその学校の滑り止めとしてみんなが受けるような学校でした。
全然勉強してなかった私自身としては、それでもかなり満足の結果でした。
制服は超典型的でなんの特徴もなかったけど、小学校の友達は「3つの中で一番ここが可愛い」と言ってくれたお陰で救われたのもあるかもしれません。
そこでめちゃくちゃ仲の良い友だちに出会えたし、最初に言ったような幸せな時間を過ごせました。
本当に、本当に、なんの未練も後悔もなかったはずなんです。
でも、浪人した今年、そして今日、ふと、本当になぜか突然、「あのセーラー服を着たかったなぁ」と予備校の映像授業を受けながら思ってしまいました。
考えてみれば6年間、あのカフスを忙しなく動かして楽しそうにお喋りしてる子や、あのスカートを電車で揺らしながら英単語を一生懸命覚えてる子、あのタイを下げている子を何度も何度も何度も何度も見かけました。
重そうなスクールバッグを持って歩いている子の背中にあるセーラー襟の校章を眺めるしか出来ないのが悲しくて俯いたところで、自分のボタンの取れたブレザーが目に入るだけなので余計惨めになるだけでした。
チャレンジ校!!多分落ちるけど別に周りにも言ってないし!!!って当時軽〜〜く思ってたけど予想よりも根深かったのか、忘れられませんでした。
中学時代よりも高校生、特にまた受験生になってからの方がその想いが強くなったように思います。
いつも私は彼女たちを憧れや羨望で見ていたけど、彼女たちはもちろん私なんかが目に入ることはなくて、生涯で一度も交わることはないんだなぁ、とボンヤリ思っていました。
なんかここまで書いたら有識者の皆さんには学校がバレてしまうと思いますが、その学校には姉妹校的なのがあって、めちゃくちゃレベルは落ちるけど別の場所に同じ学校がありました。
当時はそこの受験なんて考えてなかったけど、今朝、なぜか今になってそこの学校でもいいから行きたい気持ちでいっぱいになりました。
今まであんまり考えないようにしてたけど、急にそんな欲望が出てきちゃって、7年前のことに未練タラタラな自分がうんこすぎて今すぐ流してしまいたい。
ここまで読んでくれてありがとうごさいました。
すぐに動くわけじゃなく、いい話があったらで転職活動してるけど。
過去にやって興味が全く持てなくて、割と公的に"二度とやりたくないし、仕事としてやるほどの興味は全くない"と公言してるものばかり声がかかる。
どれくらい嫌だったかというと、秘密は守ると表向き言われてる(人事情報には公募の応募履歴が載るので上司にはいずれバレるのが知れ渡ってて使う人がいない)公募制度に突撃したくらいに。
本日エージェントから電話が来たけど、勤務地も無理だし、そんなことしたくねぇんだよ!という話しか来なかったし、1年後にはやりたい分野への異動を約束すると言われて信じられるかって話。
たとえ、今盛り上がってることだとしても、年収が上がると言っても、やりたくないものをやると分かってて、約束破られることも目に見えてていく馬鹿がどこに居るんだよって話
プレゼントのこと色々と考えたんだけど自分の立場を気にして、物は何も送らなかった。
お金を稼いでない専業主婦だし、子持ちだし、誕生日プレゼントを一度送ったら毎年贈らないといけないかなみたいなプレッシャーを感じそうだし(一度誕プレ贈られてその次の年はなしだったらちょっとガッカリしそうだし、お手紙だけは気持ちだから気楽)
そして、推しがSNSに手紙とプレゼントの画像をあげてて、誕プレ送ってないの自分だけってことがわかってちょっと心がウッてなった。他の人はプレゼントと手紙を送っていたよ。YouTubeやSNSに「推しさん、誕生日おめでとう」ってコメントだけするよりは手紙を送る方がいいと思うからいいんだと自己保身
ファンレターをもらうような立場の人は「プレゼントは無理に送らなくてもいいよ。手紙だけでも嬉しいよ」と公言するような人もいる
でも、人気者になればなるほどファンへの期待が大きくなりそうだな。
一度誕生日プレゼントをファンからもらったら来年再来年もソワソワして期待しちゃうよね。それで毎年プレゼントが増えていったら嬉しい、って状態になりそう。
うーん。やっぱり私のような人間は手紙だけ送るのが正解だよね。私が無職ではなくて、お金を稼いでいて、独身だったら色々ぐちゃぐちゃ考えず迷わず推しに誕プレ送ってたなぁ。
または、候補者間で共通の政策のリストを作って、これに候補者ごとに優先順位をつけるとか。
これまでの印象というところだともともと良い人なんていないし、それぞれ聞こえの良いことだけ好き勝手言っていて全然比較ができない。
https://togetter.com/li/1548255
これのトップブコメ一覧見てたら、はてブの人ってまじでダサい人しかいないの?と思ってしまった。
ちなみに、ボディバッグ、蛍光色の靴、ダッドシューズに関してはコーディネートで許される範囲だと思う。まあ、流行りが終わってるとかシルエットがださいとか生理的に嫌いな人が多いとかで、おしゃれとは思われないかも知れんが。
以下、コメントに思ったことを雑に書いていく。IDとかはっきり書くと、通報されてはてなに怒られる可能性があるのでなんとなくで書く。
・「あんなに嫌われたケミカルウォッシュやチェックネルシャツがしれっと戻ってきてる」「ダサいと言ってる人の服は10年前はダサい」
ノームコア(この文脈でかくとノームコア警察に怒られそうだけど)の揺り戻しで、だんだんと柄物やストリート系が流行ってきてるって言いたいのかもしれないけど、昔ダサかったアイテムがそのまま同じように流行ることはあまりない。シルエットやら柄の細かさなどが変わる。チェックネルシャツは未だに上級者のアイテムです。
・「ファッションくらいでいちいちアリナシ判定を公言するの禁止」
余談。
俺はインターネットで小綺麗な格好をするための知識を簡単に得た。だから、皆んなもっと普通の格好をした方がいいよ、っていう俺みたいな思想のやつが最近増えてきて、生き辛くなってる人たちが怒りの矛先として燃やしてるのかなとは思った。
面白いので一つ一つのコメントまで読んでしまっていた。そこで同じような意見をちらほら見かけたブコメ。
違います。ggrksと言いたいところだが、簡単に書くと、パリコレなんかでよく名前を見るような上流ハイブランドが作り出したものを「お?それなんかよくない?」とそれよりちょっと下流にいるブランドが真似して、それを見た下流にいるブランドがまた真似をして……っていう流れの中で流行りは出来るんだよ。だから、1番下流のファッションにあまり興味がないような層まで届く頃には完全にダサくなってる。
わりとブコメがついてるので、それに対しての反応を雑に書いていく。
・ファッション素人が最初にワークマンに行って買うのはやめろ。ワークマンとワークマンプラスの店の区別もついてないだろ。あれは、一部の目の肥えたインフルエンサーが優れた商品だけをピックアップしてバズっただけだ。おすすめされてる商品を買うだけならまだいいが、何の下調べもせずに行くと地獄を見るぞ。
・インターネットで小綺麗な格好をするための知識なんてググったらすぐ出てくるだろ。甘えんな。一つアドバイスするなら、YouTubeで検索した方がメンズファッションプラスみたいな罠にかかる確率が低いぞ。あと、なんか知らんが金を払わないと得られないようなレベルの情報を俺に求めてるブクマカが一部いてみっともないぞ。お前は俺の客じゃないからな、勘違いするな。
・俺やtogetterで口汚くダサいとディスった人をファッション村の一部の凝り固まった思想を武器に上から目線で叩いてくる嫌なやつと勘違いしてるやつがいるけど、俺たちは単に小綺麗な格好を身につけた嫌なやつだからな。三角形の内角の和が何度になるか分かってなさそうなレベルのやつがブコメにたくさんいたから口を出さずにはいられなかったんだよ。
人並みの格好をできた方が外に出た時楽しいし、自分が本当はどんな格好をしたいのか、どんな服を着たいと思ってるのか気づけるようになるぞ。
痴漢はごく普通の娯楽で、ごく普通の男性がやっていた時代があったんだよ。
出勤前のちょっとしたお遊び程度の感覚で痴漢する男性が沢山いて、それを公言しても別に咎められもしなかった。
「女も触られたがっていて、触られて喜んでいる」と本気で思っている男性も沢山いた。
今で例えるなら「風俗通い」くらいの認識か?まああんま上品な話ではないし公言したら多くの女には嫌われるから言わないけど男同士では何とも思われない、
男なら誰もが痴漢くらいした事あって当然だよな、というそういう感じ。
警察もその程度の事で騒ぎ立てる女の方が頭がおかしい女、痴漢なんかでいちいち警察の手を煩わせるな、という認識で
だからこそそういう状況を変えるべき、とされて「痴漢は犯罪です」というポスターが作られたわけで。つまりそれまでは犯罪とすら思われていなかった。
接触確認アプリをインストールせずにいて、その後コロナに感染した人から、コロナうつされたら、僕はその人を恨むだろうなぁ。
接触があったことを早期に本人が気付くことで、その後の感染伝播を抑えられるんだけど、入れてなくてアラート気づかなかい人は本来避けられた感染伝播を意図的に引き起こしたって言える。
その人は周りの人の安全とかよりも、なんとなく自分の情報(かなり悪用のリスクが低く、今後さらに安全性が高まると期待されるもの)を守りたいって判断したって事だろう。
もっと言えば、インストールしないって公言してる人は、周りの人の健康や命より、私のなんとなくの個人情報(?)が大事ですって公言してるって事だろう?
出来れば僕や家族や、僕に縁ある人全てに近付いて欲しくないし、出来れば家から一歩も出ないで欲しい。
PS4の『The Last of Us 2』が事前のメタスコア大絶賛一色とは一転していざ発売されると前作ユーザーから賛否両論となりユーザースコアが激低で結果的に主要サイトの中でほぼ唯一批判的に評価していた日本のIGN Japanのレビューが海外ユーザーから再評価される怪現象が起きている。
2020年6月19日に発売されたPS4用ゲーム『The Last of Us Part II』。日本では「ラスアス2」、海外では「TLOU2」と略されることが多い。ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) のファーストパーティー(傘下スタジオ)であるノーティドッグ (Naughty Dog) が開発を担当し、SIEより発売された。アメリカのヴァージニア州に本拠地を置くノーティドッグは、『クラッシュバンディクー』シリーズや『ジャック×ダクスター』シリーズ、そして近年では『アンチャーテッド』シリーズによって知られている開発会社であり、2001年よりSIEの傘下スタジオとなっている。
前作『The Last of Us』は2013年にPS3で発売され、2014年にはPS4でリマスター版が発売された。PS3版とPS4版を合わせると現在までに約2000万本以上を売り上げている。メタスコアでは95点を獲得し、数え切れないほどのメディアによって表彰された( https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_accolades_received_by_The_Last_of_Us )。
ゲームのジャンルとしては三人称視点のアクションアドベンチャーであり、サバイバル、ホラー、ステルス、シューターといった要素を含む。プレイヤーは成人男性のジョエルと少女のエリーを操作し、ゾンビがはびこる終末的世界を生き延びるために冒険を繰り広げる。オープンワールドではなくリニア(一本道)ではあるが、開発チームが「ワイドリニア」と呼ぶ自由度の高いリニアな空間は、開発者の企図した凝ったゲーム体験とプレイヤーの自由な探索という相反するゲーム性をバランス良く両立させるものである。
Metacritic(メタクリティック)というレビュー収集サイトによって、主要ゲームサイトのゲームレビューの点数を収集、平均したもの、それが「メタスコア」であり、それとは別にユーザーが投稿した点数を平均したものが「ユーザースコア」である。
Metacriticは1999年に映画レビューサイトとして始まり、その後サイトの評価収集対象にビデオゲームを加えた。メタスコアは現在では世界で最も重要視されるゲームの評価基準のひとつとなっている。単純にいえば、あるゲームに100点をつけたレビューサイトと60点をつけたレビューサイトがあれば、それらを平均した80点がそのゲームのメタスコアとなる(実際にはメディアごとに重要度というものが設定されており、その重み付けを反映してスコアが計算されるため、もう少しややこしい)。
『The Last of Us Part II』は世界各国のメディアによるレビューで絶賛され、2020年6月20日10時(JST)時点では94件のレビューを平均して95点という非常な高評価を受けた。過半数を越える実に50件ものレビューが同作に100点満点を与えている。
このメタスコアは2020年に発売されたゲームのなかで最高評価であり、その下には同じく95点の『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』、93点の『Half-Life: Alyx』、91点の『あつまれ どうぶつの森』などが続く。なお日本のユーザーに馴染みが深いタイトルで言うと、『ファイナルファンタジーVII リメイク』は87点、『仁王2』は85点、『バイオハザード RE:3』は84点である。( https://www.metacritic.com/browse/games/score/metascore/year/all/filtered )
PS4タイトル全体の中では、97点の『Red Dead Redemption 2』(2018年)と『グランド・セフト・オートV』(2014年)に次ぐ順位である。( https://www.metacritic.com/browse/games/score/metascore/all/ps4/filtered?sort=desc&view=detailed )
しかしその中にあって、日本のIGN Japanは10点満点で7点とやや厳しめの点数をつけている( 過去との決別で残された物語『The Last of Us Part II』レビュー https://jp.ign.com/the-last-of-us-2/44388/review/the-last-of-us-part-ii )。レビュアーの福山幸司は前作が「ビデオゲーム史上に残る、マスターピースであることが疑いようがない」とした上で、「残念ながら『The Last of Us Part II』は、前作を超えるどころか、共に並び立つことすら許されないほど、いびつな出来栄えとなってしまった。」と評した。福山が同作に批判的な評価を下している原因は、主にそのストーリー面についてのものだ。Metacriticに収集された94件のレビューのうち、ラスアス2にIGN Japanと同程度またはそれ以下の評価を与えているメディアは、ほかにGAMINGbibleとGame Revolutionだけである。
IGN Japanは6月13日に福山によるレビューを発表し、さらにその翌日には同編集部のクラベ・エスラによる同作のレビューをめぐる分析記事が掲載された( 世界各国のメディアが『The Last of Us Part II』を大絶賛! IGN JAPANの評価が激しく異なる理由を紐解く https://jp.ign.com/the-last-of-us-2/44460/news/the-last-of-us-part-ii-ign-japan )。相反する評価を受けるビッグタイトルは時々あるが、それを分析した記事が投稿されるのは頻繁にあることではなく、それだけラスアス2が注目を集めるタイトルであること、IGN Japanのレビューが異色であったことを示していると言えるだろう。
2020年6月19日にいざゲームが発売されると、ユーザーからはたちまち賛否両論が巻き起こった。議論の的となるのはやはり主にストーリー面についてであり、前作のファンからの批判が多くを占めた。Metacriticのユーザーレビューは、2020年6月20日10時(JST)時点では17984件のレビューを平均して3.3という酷評としか言いようのないスコアになっている。
そして、このような酷評を与えられるにつれ、IGN Japanのレビューが再評価されつつある。興味深いのは、海外のゲーマーの多くが(日本のゲーマーが『ファミ通』のクロスレビューに対して揶揄するのと同様に)多くのメディアの絶賛レビューはメーカーから受け取った金銭によって操作されており信用に値しないと信じ込んでいる点だろう。以下、ツイッターでひっかかった意見の一部。
まおんも@nagineco
MichiruBOSS @N6Gi7
I think one of the best review about Tlou2 is from IGN Japan. If you are interestes, go check it out.
Sublem @DarthSublem
Whooo boy, friend is pissed off at TLOU2, he says it's a PoS because the fucked the story so hard. IGN Japan was right. Gameplay and graphics are great, but the story is complete ass. He told me about the story and ending, and I have to agree. It's basically a big FU to TLOU1
(友人がラスアス2に立腹している。ストーリーがとても酷くて凹んでいるらしい。IGN Japanは正しかった。ゲーム性とグラフィックは素晴らしい、しかしストーリーは本当に最低。彼はストーリーとエンディングについて語ってくれて、私も同意した。今作は基本的に前作に対するFU (Fuck You) だ)
The Last Of Us Part IIを5時間程度プレイしてみたが、IGN Japanのレビューで言いたいことが序盤をプレイしただけで、非常によく伝わってきた。7/10という点数になるかはともかく、賛否両論になるのがほぼ確実なゲーム。クリア時に今の感想を塗りつぶすほどの展開になっていると嬉しいな。
Mashiro@li__xunhuan
#TLOU2
高真剣@scaa315
Rich Price@richprice16
I’m only 3 hours in, but the IGN Japan review of game resonates the most so far. They basically said it’s a good game, but not 10/10. The gameplay is virtually identical to the original, which is 7 years old.
(まだ3時間プレイしただけだが、いまのところIGN Japanのレビューが最も共感できる。基本的には良いゲームだと言えるが、10点満点はない。ゲーム性は7年前のオリジナルとほぼ同じだ。)
Metacritic needs to make it that the Critic Reviews are based on actual critics and not paid off journalists. The only legitimate review on there is from IGN Japan. Even THEY were generous.
(Metacriticは、そのCritic Reviewsが実際の批評家に基づいたものであって報酬を受け取ったジャーナリストによるものではないことを明らかにする必要がある。唯一の正当なレビューはIGN Japanによるものだった。それですらまだ手ぬるい。)
IGN Japan did a better job review this game.
This game is not a masterpiece, is not a 10/10 or 9/10.
I don't care about gay or bi characters, i think that is amazing but the story of this game is a 6/10.
Yes the graphics are amazing but that alone is not what makes a great game.
(IGN Japanはこのゲームレビューで最も良い仕事をした。このゲームはマスターピースではないし、10点満点でも9点でもない。私はゲイやバイのキャラクターは気にしない、それは素晴らしいことだと思うけれど、でもこのストーリーは10点満点で6点だ。)
Sublem @DarthSublem
Friend has, he says the story is dog shit and just takes a shit on TLOU 1.
From what I can tell, IGN Japan was right, and everyone who gave a 10/10 was obviously paid off
(友人は今作のストーリーはラスアス1の上にひりだした犬の糞だと言った。私の知る限りではIGN Japanは正しかったし、10点満点を付けたやつは明らかに金をもらっている)
ラスアス2
まだ半分だけど、俺は苦手
IGNJのレビューも納得だわ...
話が重くて辛いとかじゃなくて単純に話がつまらなくて辛い
#ラスアス2
Ivanhoe20@Ivanhoe20
It means IGN Japan is less biased than IGN USA in terms of criticism
Let me tell you this IGN gave the game a 10/10 and most def is sucking up to ND and sony but IGN japan gave the game a 7/10 and said the story is bad and did not follow the same route as the first one so i wouldn't trust any gaming journalists or company on an honest review
(IGNは10点満点で10点を与え、Naughty Dogとソニーにおもねっているが、IGN Japanは同作に7点を与え、ストーリーは良くなく、前作のようにはなれなかったと言う。だから私はゲームジャーナリストや企業が誠実なレビューをするとは信用できない)
I don't believe to the 100% ratings, I don't believe to 0% ratings either...
IGN Japan gave the game a 70% score, probably what it really deserves.
(私は100点の評価は信じていないし、0点の評価も信じていない……。IGN Japanは本作に70点を付けたが、おそらくそれが実情に近い。)
vεr†rø@DaytimeCurfew
The thing with IGN is that you can pay them for a review. Like almost any "credible" reviewer. IGN Japan tho, thats a realistic review
(IGNについて重要なのは、レビューのために彼らに金銭を支払うことができるということです。ほとんどの「信頼できる」レビュアーと同様に。ING Japanは現実的なレビューだったけれども)
Nemui@Gelzoniansuss
IGN Japan summed that up pretty good there.
Graphics are out of this world. Its beautiful.
But well... new characters only to throw them away.
It seems like they couldn't buy IGN Japan in the end haha
(IGN Japanはかなり上手くまとめている。グラフィックはこの世のものとは思えない。美しい。でも、、、新キャラはそれらを投げ捨ててしまった。結局のところ彼らはIGN Japanを買収できなかったようだ。笑)
わからん。
考えられうる要因としては、ゲーマーの「ポリコレ疲れ」やTroll(荒らし)がある。
前作から引き続き主人公を務める女性主人公エリーは、本作ではレズビアンであることが明らかになり、新キャラクターでバイセクシャルのディーナと接近する。新キャラクターのレブはトランスジェンダーの少年である。今作でメインキャラクターの一人となるアビーは、発売前に誤って噂されていたようなトランスジェンダーの女性ではなく、単に「女性らしさ」がないだけの筋肉質な女性である。ラスアス2のシナリオを手掛けたNaughty Dogのイスラエル系アメリカ人のライターNeil Druckmann(ニール・ドラックマン)は、自身はシスジェンダーの男性であるものの、フェミニスト評論家Anita Sarkeesian(アニータ・サーキシアン)からの影響を公言しており、ジェンダーイコーリティや多様性に配慮したゲーム作りを心がけている。2004年よりNaughty Dogで働く彼は、前作『The Last of Us』や『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』のクリエイティブディレクターおよびライターを務めた。
ユーザースコアの世界には、Troll(荒らし)によるreview bomb(レビュー爆弾、レビュー爆撃)というものがある。『Death Stranding』のケースでは、1万8000件以上のユーザーレビューから約6000件以上が削除され、それにより「5.1」だったスコアは「7.3」まで上昇した。有名作の発売の際には、このようなreview bombの存在もまたよくある光景となっている( レビューサイトが「デス・ストランディング」への「疑わしいユーザー評価」を大量削除してスコアが一気に急上昇 - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20191210-removed-death-stranding-suspicious-ratings/ )。おそらく今回のラスアス2でも、後日いくらかのレビューが削除され、揺り戻しが起こるだろう。
しかしツイッターでの評判などを見る限り、この低評価の原因はTrollによるいたずらだけとは思えない。結局のところ不満を集めるのは、新メインキャラクターのアビーが男性に媚びたところのない政治的に正しい女性キャラクターだったからではなく、前作で辛い旅をともにしてプレイヤーがさんざん感情移入した主人公ジョエルがポッと出のアビーによく確認もされずあっさり射殺され、ジョエルの代わりにそのアビーを長時間にわたってプレイアブルキャラとして操作しなくてはならないというゲームの構造によるもの、それにとっちらかって焦点の定まらないストイーリーラインによるものだろう。