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2017-09-25

月蝕歌劇団の公演を見に行った記録

なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。

怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』

ピーターパン 月蝕版』

自分にとっては初めての月蝕歌劇団

忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。

月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)

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■全体として

劇団標榜しているところの“アングラ”とは何か、つかんだ。

マジックリアリズム大衆演劇の合体だ。

これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。

自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス池澤夏樹イタロ・カルヴィーノ筒井康隆、このあたり(マルケス積ん読状態なので知らん)。

怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップマッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。

で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。

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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。

60年安保、70年安保的な新左翼臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。

自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。

でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。

2演目とも、終盤クライマックスマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。

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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。

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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。

キャストの紹介も兼ねている、のかな?

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良かったかって? うん、良かった。

ただね。

大正末期(1910年代)の冒険小説明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものアングラ時代(1960年代)の空気感舞台化しようとして、当時の若手(高取英1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。

寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。

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良かったところは……、

舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。

ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。

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くわえて、これは自分が舞台観劇初心者だからだろうけど、衣装舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚

これが新鮮。

そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀見世物小屋パノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。

(どうしても想像できない人は、映画でいうと

 『バロン』(テリー・ギリアム)、

 『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(ティム・バートン)、

 『落下の王国』(ターセム・シン

 あたりを思い浮かべてください)

同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。

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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。

実際、終演後にはチェキ時間があったりと、アイドル公演的な。

(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキ握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)

というわけで、全体として

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 1)呪術的なストーリーテリング

 2)箱庭的な幻想感

 3)若い娘さんたちが頑張ってる感

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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。

これで役満。いい気分。

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以下は、キャスト演出について。

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■岬花音

歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。

もともと彼女アンテナに引っかかったか舞台を観に行ったわけで。

行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。

純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。

いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。

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白永歩美

上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。

白永歩美

OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)

動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル

ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。

普段は何やってる人だ? 専属か?

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白川沙夜

コメディアクションストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートほとんど彼女一人で回していた。

アンサンブル彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)

イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。

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新大久保

どうしても必要なサポートには男優さんも入る。

で、この人。

発声から演技まで、一人レベルが違った。

いや、レベルというのとは違うな。

キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。

キャリアの違いか。

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■河合瑞恵

この人というか、この人を見て思ったことを書く。

河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。

宝塚OG的な妖艶な雰囲気が出ていて。

そこで気が付いた。

「この劇団、成熟した大人の女性の出番がない」

いや、大人の女性キャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。

少女ショタと男役とサポート男優だけで構成されていて、大人の女性存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団

いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。

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■嘴音杏

タイガーリリー役はさておき。詩劇ライブ歌唱

上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。

声量といいキャラクターといい、どれをとってもレベルが違う。

ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団ストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。

良いか悪いかは別として。

芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。

政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。

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■江花実里(と高畑亜美

明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さんベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。

客演らしい。

「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。

だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。

そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。

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■北條華生

緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい

調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。

吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。

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はるのうらこ

北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。

男役。

悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。

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中村ナツ子

な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!

Web/エディトリアルデザイナーライターイラストレーター、Photoshopper。

チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。

役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。

舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。

これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。

こういう人が一番まぶしい、そして怖い。

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プロップ舞台

足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。

ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。

周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。

意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。

ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。

なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。

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J・A・シーザー(と音響

絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。

主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル

これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界

こりゃ役者さんが大変だろうと思った。

あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングものJ・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うものボーカルありの既成曲で舞台でも歌うものマイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。

歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。

あとマシンガン銃声のポン出し、キャストトリガーを渡せるような仕組みはないものか?

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……んー、こんなところか。

機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。

自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。

2017-04-26

それを言うならサスペンスドラマをどうにかしてくれ

サスペンスって殺人ベッドシーンであるじゃん

怒鳴り声とか悲鳴とか聞こえるの疲れるから父がテレビ見てる間ずっとイヤホンで曲聞いてたわ

妹は平気なんだけど残虐シーンを嫌う母が苦言して妹泣き出すしろくなことな

おまけにあれだけ好き勝手やって最後綺麗事言えば締めてるつもりになってる

これこそ深夜にやるべきなんじゃないの?

http://anond.hatelabo.jp/20170425194716

2016-10-20

駅乃みちか】また話題になってる公共萌え絵問題についての考察

萌え絵エロいエロくないか不快不快じゃないか、見る人の感性がまともかまともでないか?みたいな話の先に決着点は絶対にない、ということをまず最初宣言しておこうと思う。

なぜなら上記の内容は全て見る人の主観から一歩も出ないから。

歴史文化、なんかの単語で置き換えたとしても、それは実は何にも説明していなくて、実は主観多数決のようなものしかない。

その辺の話は一旦置いておこうと思う。

ではここで何を論じたいか?というと、メインでは、なぜ不快と感じる人がいるのか、という問題かな?

絵画の裸婦像はエロくないとか、グラビア写真ならまだ許せる、でも萌え絵不快でたまらない的な声も多い。

そのへんをちょっと掘り下げてみようと思う。

俺の個人的な幼少の体験を書くと、

小学生くらいの頃、美術室で裸の絵とか像とかがあって、掃除時間とか図工の時間とかにそういうのを見ると、なんとなく気恥ずかしいような、なんでこんな物があるんだろう?という感覚はあった。

親と一緒に入ったレストラン、というか居酒屋っぽいところで、ポスター水着お姉ちゃんビールジョッキ持ってるのも、なんか意味がわからなくて不思議に思った。

地下街看板に裸のお姉ちゃん写真があるところがあって、まあ芸術的なんだろうけど、前を通る時にどうしていいかからないような感覚があった。

これに近いような経験って、誰にでもあるんじゃないだろうか?

もう少し大きくなると、家族で見てた映画テレビでのベッドシーン

気まずくなる瞬間あったよね。

これがエロへの不快さの原体験と言えるような気がする。

まり萌え絵写真か像か、とかに関わらず発生する感情である

この辺の感情って、まとめるとこうだと思う。

写真であれ映像であれ絵であっても、今その場の人がしていい格好・振る舞いじゃないと違和感が生じる」

その違和感は、気恥ずかしさであることも、目のやり場に困るという気持ちや、または不快である人もいると思う。

これはもう、「公共の場でやるな」主張と概ねかぶる

ただ、萌え絵問題はこの原体験に加えて、もう少し別の要素も絡んできていると思う。



10年近く前だと思う。

俺も健全若者で、綺麗なお姉ちゃんアイドルも好きだった。

しかし、用事東京に行った時、ホームに入ってきた電車が、アッキーナラッピングカーだったとき、なんだかすごい不快感を持った。

別にエロい格好でもなかったと思うし、宣伝の内容も見ていないし記憶にない。

あの宣伝ラッピングが、吉永小百合とか松嶋菜々子上品に写ってる宣伝なら、特に何も思わなかったろう。

でもアッキーナラッピングカーはなんか違った。

萌え絵不快問題はこれに近いと思う。


当時のアッキーナは、水着で毎週のようにグラビアを飾るほしのあきとかと違って、純正グラビアアイドルじゃなかったと記憶している。

あんまりテレビも出ないか素人っぽさがあって、そして当時18歳くらいだったと思う。

なのでなんとなく、東京若者文化象徴としてのエロさ、みたいなもの見出していたと思う。渋谷の援交女子高生みたいな?

からこそ、グラビアアイドルの見せるための綺麗なエロさじゃない、クラス女の子エロさみたいなものがあった。

そもそもエロとは何か?

それは、自分の延長上で性的行為連想されるかどうか?じゃないだろうか。

洗練された女の子より、素人っぽいAKBが受けるのも、「そこにリアルエロさ」があるから

例えば、桐谷美玲ドラマ打ち上げお酒飲んでいる写真が出てきたとしよう。

それともうひとつAKBギリギリ成人くらいの子が、AKBコスチュームで、ドラマ打ち上げお酒飲んでいる写真が出たとしよう。

どちらがえろいか?っていうと、たぶんAKBだ。

なぜなら、AKBって枕やってんじゃないの?とか、俺もうまく仲良くなればやれるかも、的な欲望対象になっているから。

それに対して桐谷美玲は、綺麗すぎてリアル欲望を見出せない。大好きなんだけどね。

まりだ。

真実不快なのはアッキーナじゃなかった。

自分オナニーを見せつけられた感覚不快だったんだと思う。



萌え絵問題はこの辺に当てはまる。

あの辺の萌え絵が、女性身体的特徴を誇張して描いていることに関しては反論はないと思う。

その誇張を、自分の身近なエロと結びつくのかどうか?が最大の焦点と思う。

女性女性身体的特徴を誇張表現された時、真っ先に結びつけるのは間違いなく自分身体だと思う。

その自分身体に関して、誇張された部分に周囲の人間が全員注目しているかのような気分になるのが、不快感の元と思われる。

身近という意味では、男だってそうだろう。

自分の嫁が女性身体的特徴を際立たせるような格好をした写真を、昼間仕事中にいきなり会社の壁に貼られたらものすごく不快になるに違いない。

それは延長上に自分セックスがあるから

グラビア写真芸術的裸婦像は、たぶん自分セックスを想起させないのが大きな違い。



そろそろまとめよう。

萌え絵に限らずなんだけど、女性身体表現を見て、不快に感じるかどうかは、チェックポイントがあるように思う。

1. その状況・ポーズ・構図等の意味を正しく理解できているか理解できないと不快に感じるケースが多い。

2. 強調された特徴が、自分セックスの延長上に結びつくのか結びつかないのか?結びつく人は不快

3. その絵を見る状況が、セックスを受け入れられる状況か否か。2を満たしていてセックスしたいと思えない状況で見ると不快

4. あと、身体的特徴を強調しすぎると不気味の谷差し掛かって不快


考察するに。

オタク萌え絵エロく感じないのは、その女性の絵を自らのセックスの延長上に結び付けられないからではないか

または、自分セックスパートナーとの身体的特徴があまりにもかけ離れている人。

あ、童貞は延長上に思えないってはなしじゃないよ!!

あと逆に。

過剰にエロさを感じる人は、強調されている部分にコンプレックスを持っている人。

周囲にそこを見られている、と思うくらいの自意識がある人。

自意識かはおいておいて、痴漢によくあったり、男性に不信感を持っているような女性なら、周囲の男性から自分がこんな風に見えてるんだ的なショックと不安感があるんでしょうね。

そりゃ不快だ。



それから最後に。

萌え絵を通して、オタクテンプレな像をすけて見る人がいる。

オタク嫌いな人ほど、わざわざ絵の向こうにオタクを見出す。

そして嫌いなオタク攻撃しようと萌え絵批判をする、って構図もある。

これはヘイトスピーチというか、オタクを低く見たいコンプレックスの表れのような気もする。

こういうのはなんか、話す価値がない。




まあ、なんだ。

不快不快じゃないかおかしいかおかしくないか、を論じることに意味はない。

不快に感じる人が一定数いるのが事実

全く何も感じない人も一定数いるのも事実

どっちが変とか正しいとか麻痺とかじゃない。

正当性マウンティングはもうお互いにやめましょう。

主催者としては、不快な層が一定数いるなら、やっぱりなんかしら必要じゃね?

と言って締めます

2016-04-01

[]三浦しをん舟を編む

一冊の国語辞典ができるまでをライトに読める

登場人物はそんなに多くないけど、それぞれが個性的でしっかり掘り下げられてるから読み応えある

ストーリーとしては都合がよすぎるところとか表層的なところしか触れられてないなってところもそこそこあったけど

天地明察は暦だったか

なんとなくあれも辞書っぽいと思っちゃってたけど

でもあのレベルなっちゃうと、例え面白くてもちょっと手を出しづらいと思っちゃう根性なしの自分には、

こんくらいが読みやす

最後もあっさり終わっちゃって拍子抜けしちゃった

辞書のうんちくみたいなのもほどほどで、ひけらかし感がなくて嫌味なく押し付けがましさを感じることなく読めた

タイトルからだけだとなんかとっつきづらい印象あったけど全然そんなことなかった

中高生くらいのときに読みたかったなあ

大人の今読んでも割と手遅れ的な教訓とか面白さがあって、自分を顧みると死にたくなるときがあった

はあ・・・

ウィキペディア見てたらアニメ化発表されたばっかだったのか

確かにノイタミナとかNHKっぽさはあったなあ

でもすげー地味になりそうなんだけど、というかアニメでやる意味あんまりない気が・・・

とりあえずベッドシーンのとこだけ見るかな

2016-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20160331141519

すっごい似たような人知ってる。その人も元増田と同じようなフラれかたしてたな〜。

その人(仮にAさん)の場合は顔もスタイルも頭もそこそこ良く実家も裕福ではあったけど、いかんせん性格根性が悪く(本人に自覚あり)、歳のせいか彼氏もなかなかできなくなり、仕事も行き詰まり結婚する見通しも立たんということで、いったん仕事をやめ某資格を取り、個人事務所を構えた(すべて実家の援助による)。

AさんのことはfacebookTwitterで定期的にウォッチしてたけど、小保方なみにその業界のオジサマたちにすり寄ってたね〜。

Aさんはそのうち業界でそこそこ力のあるオジサマと肉体関係になったけど、そのオジサマには本命彼女がいた。

それを知ったAさんは「裏切られた〜!」と2人のベッドシーン撮影した写真facebookうp

「もてあそばれた可哀想なアタシ」を周りにアピールしたものの誰も信じず、案の定、その業界で干されて消えていった。

以後2年間ほど消息不明だけど、今どこでなにしてるんだろうか。

軽くメンヘラ入った元美人って、20代、遅くとも30代前半までに結婚できてないと魔女化するよね〜と思う。

2016-02-05

女だけど男として彼氏を抱きたい

今年の正月に、年の離れた腐女子の姉の家に行った。私が中学高校の頃は「妹腐女子化計画」と称して、よく姉にBLを読ませられていた。好きにはなれなかったが、特に抵抗は無かったあたり、慣れって怖い。

30を過ぎた姉の本棚は相変わらずBLだらけで、相変わらず腐女子化計画を諦めていないらしく、7年ぶりにBLを読まされた。

男同士のベッドシーンを読みながら、彼氏の中に挿入する事をぼんやり考えていて、女のくせに、自分性別違和感を抱いた事もないくせに、男として彼氏セックスしたいらしい自分に気が付いた。なんだそれ。

正直、今までセックスするのは気乗りしなかった。相性とか技術とかそういう事じゃなくて、何かが根本的に違ってる気がして、どうしてもそういう気になれなくて、好きな相手でも性欲がわかない。その謎は解けたけれど、自分が分からなくなった。中に入れさせてくれなんて彼氏に言えないし、挿入しようにも私は女だから何か違うし。どうしたらいいのか全くわからない、どうしてこうなったんだろう。

私が知らないだけで、腐女子はみんな男の中に入れたいと思っていたりしないかな。もしそうなら少しは気が楽になるのに。

2016-01-09

二次創作とかそこら辺のもにゃもにゃ

中のひとです。

つっても「K社(仮)で本出してる原作者」なんで社内のひとじゃないけど、まあ、二次創作サイト利害関係者ではあります

別のかみつくつもりも否定するつもりもなく、どちらかというと考えの材料になるようにいくつか視点提供に来たよ!

まず、「いろんなもの一枚岩じゃない」っていう大前提は頭の片隅に置いておくべきだと思うんだよ。

二次創作にあたって、その原作者意識なんて、みんなも判ってると思うけど一枚岩じゃない。自分は「BLだろうがヘイト創作だろうが何でも来い」だけど、そうじゃない原作者の方だってたくさんいる。図書館に本が所蔵される、ということだって、いろんなスタンスがあるのは、ニュースを見てればみんなもご存知の通りだよ。

そして企業内部であっても、というか、そうだからこそ、全く一枚岩じゃないというのは多分覚えておいていいと思う。それは編集者AさんとBさんでは二次創作に対する好悪が違うという個人の趣味的な問題というレベルももちろん存在しうるんだけれど、もっと上のレイヤの、編集部方針問題かいう部分でも意見対立はあるんだ。

K社(仮)(という風にふんわり書いて話を続行する)の二次創作サイトなんてのは、社長直下の、社内のかなり高い場所から上位指令として企画が始まったわけだけど、かといって、企画遂行者や協力編集部ひとつ理念で固く結ばれているなんてことはなく、もっと社内の立場であるとか、政治的損得勘定であるとか、ぶっちゃけ派閥駆動してるよ。

(そうでもなければ似たようなライト文芸レーベル連続立ち上げでつぶしあうとか、サイトのものも似たコンセプトでバッティングとか、何やってんだあれって話だ。ああいうのも「要するに手柄を奪い合ってるのね」って理解のほうが正しい)

もちろん、企画遂行者の井上氏とかにインタビューすれば、それなりに理念的なコメントは出て来ると思う(確かそういうのもどこかで発表されてたはずだ)。でも、それが「K社(仮)の堅持すべき法や理念」ではないし、その証拠に、数年でうまく利益が回転しなければ、消滅や縮小するよ。利益を得るのが企業の使命なんだから、そういう意味では当たり前だよね。今目の前のチームを駆動するときに、ディレクションとしては理念必要から設定した、に近い。

しろ、あの種の二次創作を囲い込もうっていう動きは「小説家になろう」みたいなサイトが十分にマネタイズできる、っていう発見のほうが、大きな影響を与えていると思うよ。

以上が、(自分なりに出来るだけ)自分自身意見を脱色した「K社(仮)の中の人に聞きたい」に対する精いっぱいの誠実な回答です。つまり「そこまで確固とした理念なんてないし、参加者によって考えてることバラバラっすよ……そんな買いかぶりすぎっすよ……」というもの

次は個人的増田に対するレス。もちろんこれもまた、原作者一名のレスであって、代表するものではない。けれど、現場意見ひとつとして届けたい。

本家を超えることはないだろうし、これは本家を超えた!とか言われたらむしろ戦争が起きる。

戦争とかはそうかもしれないけれど、「本家越える」とか、普通にあるよ。

本家より面白い二次創作なんて、ざらにある。

これは自戒を込めて言うけれど、自分を含めた多くのプロが、プロになれたのは、そりゃアマチュアの多くよりは、そこそこマシな作品を作れるから、ではあるけれど、アマチュアと隔絶したぶっちぎりの差をつけた天与の作品を作れるから、ではないよ。

プロと(少なくとも作品を作る才能ある)アマチュアの間に「作る作品レベル」に、そこまで大きな差はない。

思うに、プロになるには、作品を作る才能以外に、プロになる才能(っていうか無鉄砲さ?)みたいなもの運命みたいなもの必要なんだよ。

と入ってもここでいう運とか運命は、出版社スカウトが見つけてくれるかどうか? とかコネ持ってるかどうかみたいな、夢見がちな話では一切なくて、もっと人生とか家庭環境の話でさ。

だって正直言って、マンガ家しろ作家しろ絵描きしろ、みんな堅気の仕事はいえないよね。「キミ来月原稿もってきてよ、デビューできるかも」っていわれて、実際最初印税が発生するまで、半年一年はかかるし、しかもそれで印税貰えたからって、一生生活が安泰になるなんてのは、夢のまた夢でしょう? 控えめに言ってもそれは将来の選択であって、賭けに負ければ、履歴書に空白が数年発生する。いくら本人やる気や才能があったって、初期段階では、家族とか、友人とかに(生活面とか理解とか)迷惑かけざるを得ないんだよ。チャンスが訪れた時にそれに乗っかることができるか? ってのは、そういう部分が大きい。家庭の事情プロを断念するなんてざらに訊く話だ。

まり、世の中には、描く作品面白さはそこらのプロ以上だけど、いろんな事情プロではない人――ってのがたくさんいるんだよ。もっともそれは10年前よりはずっと状況が改善してて、サラリーマンをする傍ら書き溜めた原稿が、Web人気経由で単行本化! みたいなケースが増えてきた。昔よりは、才能があるのに事情で埋もれる、は少なくなったと思う。でも、やっぱり、確率論的に「強いアマチュア」ってのは絶対にいる。

そして、そういうハイレベル二次創作をする場合キャラ世界設定が固まってるっていうのは、思ったよりも作品クオリティに対してアドバンテージをもたらさない。つまり二次創作でも別に敷居低くない」んだよ。

お話を作るうえで一番難易度が高いのは、エピソードを作って物語駆動する部分で、キャラ設定世界観設定って、大事じゃないとは言わないけれど、最難関じゃない。

(もちろんキャラを並べてエピソードは別作品から移植して、あるいはいきなりベッドシーンとなればそれはまた別の話だけど)

上記の視点で見る「この人なんで二次やってんだ? とっとと商業書けばいいのに」みたいなアマチュアの人って、結構いる。たぶんそういう人にとって、二次をやるのは本当に愛情なんだと思う。

まりここでいいたいのは「増田が思うほどプロアドバンテージって絶対じゃないよ」ってこと。もちろん手塚治虫とかレジェンドクラスの人はまた別だけど、いま現代でいえば、いろんなプロの人がいるから、いっしょくたに神格化はできないよ。

二次創作のことは好きですか。二次創作大事ものは、何だと思いますか。

物語のことは好きですか。物語必要ものは、何だと思いますか。

最後になるけれど、いま、ものすごい数のマンガが出てラノベが出て深夜アニメもやってて、百花繚乱だ。飽和状態にさえ、見えると思う。

でも、個人的には、全く足りてない。

何が足りてないって、市場規模や読者が足りてないんだけど、でもそれって送り手とワンセットなんだよ。

二次創作物語の一形態だと思う。物語が好きで、二次創作が好きだ。物語を作るのに必要ものは、物語りたい気持ちだ。物語りたい気持ちは、読む経験しか培われないと思う。つまり、優秀な物語製作者は、過去、優秀な読者だったはずだ。

日本には創作者も読者もまだまだ足りてない。どんどん増やすべき。だって個人的にそういう世界の方が好きだから。だからみんなでバンバン読んでバンバン書けばいい。

業界としてもゼロサムゲーム作品Aの読者が増えたら作品Bの読者が減る)なんて感覚は、さらさらない。もちろん自分自身にもない。むしろ、人気作品が増えてジャンルが盛り上がったほうが、みんなが幸せになると思ってる。

一枚岩じゃないので個人的なことしか言えないけれど、新年的に、そう思ってる。

つーか読み返したら危険なこと書いてる気もするけど増田しまあいいか。

2015-12-03

のうりん批判批判の人ってマジなん?

あののうりんポスターは、地域アピールとしてはエッチっぽすぎると思う。

ただそれだけですよ。

ただただ単純に、家族テレビを見ていたらラブシーンが始まったときのような気まずさを感じるだけですよ。

昼間になんとなくテレビをつけたら、昼ドラの濃厚ベッドシーンの真っ最中だったときの戸惑いと同種のものを感じるだけですよ。

エッチものだって好んで見るときもあるけど、時と場所を選ぶものでしょう?

ただそれだけのことを、萌え絵フォビアだ、オタク差別だ、女性差別を叫ぶフェミだ、表現の自由の抑圧だ…。

名前は知らないけど、女子学生エッチっぽくない萌え絵アピールは受け入れられて話題になってたじゃん。

あの女の子の絵でいいけど、萌えショップに貼るポスターじゃないんだから、もうちょっとエッチじゃない表情とかポーズのにしなよ、ってだけですよ。

それが通じない人がこんなにたくさんいるってのがおそろしい。

2014-12-09

二次元における男女胸部周辺に関する考察

いわゆる「やおい作品」において、男性同士のベッドシーンにで胸部を愛撫する場合、いわゆる「乳首責め」主に乳頭およびその周辺部のみが対象となる。

一方で女性場合は乳頭のみでなく、胸部全体を愛撫されることが多い。

これは、女性の胸部は、脂肪によって乳房形成され、それ全体をかたまりとして「おっぱい」と認識されていることによる。

脂肪によって形が形成されることにより、「つかむ」「変形する」「揺らす」「挟む」等の様々な行為が可能となっている。

しかし、男性の胸部には脂肪ほとんどなく、「おっぱい」という独立したものではなくあくまで「胴体」の一部として腹部と複合的に捉えられる。

したがって、その中で目立つ一点の部位として「乳頭」が相対的に注目されることとなる。


だたし、一部男性においても、鍛え上げた大胸筋により擬似的に構成された乳房、いわゆる「雄っぱい」というもの存在する。

大きさは鍛え上げたとしても最大でCカップ程度と女性の「おっぱい」よりは大きさでは劣る。

しかし、「おっぱい」はほとんどが脂肪構成されており、外部からの力により受動的にしか動かないのに対して、「雄っぱい」を構成するのは主に筋肉である

まり能動的に動かすことができるという点において、「雄っぱい」は「おっぱい」とは異なる可能性を秘めている。

「雄っぱい」の限界として、それを持つことができるのは全身を鍛えているか、太っていることが前提となる。

スレンダー巨乳」という体型は女性でこそ魅力的なものとして捕らえられるが、痩せ型の男性で胸部の筋肉のみが発達しているという体型は魅力よりも違和感を持つ者が多数であろう。

このように、痩せ型~普通体型に巨大な乳房は、女性場合はさほど不自然ではないが男性場合は大きな違和感が伴うこととなるだろう。

2014-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20140620001724

有川浩なんかは「そういう設定で結局恋愛かよ」という感じ。



いや、娯楽作品恋愛要素はあってもおかしくないでしょ。

映画トップガンだってベッドシーンまであったんだし。

有川浩作品特に塩の街」)は、ベクデルテストすらクリアしてないレベル

ヒロインの描かれ方がぞんざいだと思うが。

2014-02-17

こうの史代さんのマンガが好きだ

とりわけ、性のニオイがするシーンが好きだ

いやらしくないのに、なんだか生々しくてドキドキするので好きだ

具体的には、『長い道』の後朝の「あっ」って言うシーンとか

さんさん録』の布団カバーの中で指をからませるシーンとか

この世界の片隅に』ではそのものズバリベッドシーンとか(これもいやらしくない!)

いいよね

いいよねー

2014-01-28

理想現実

成人とアラサーの間で学士入学大学生彼氏無しでオタク腐女子。付け加えれば処女

スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。

考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。

周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。

今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。


予め言っておけば、私は喪女ではない。

初めての彼氏中学生の時に出来た。

頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義時間を過ごしていたと思う。

その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリング同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。

そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。

別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。

お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。

その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。

私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。

卒業も迫った時に初めてのセックス少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。

別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。

何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというもの二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。

前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリ行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBL美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。

そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。

唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。

とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。

そんな人間セックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。

これが断った理由だ。

後者母親から教育が原因だ。

そもそも当時から今まで、私は自分彼氏がいたという話を一度もしたことがない。

というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。

恋愛大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」

(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座守護に持つバトル漫画BL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)

ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。

そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。

女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠リスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子から、相手はちゃんとした人を選びなさい」

極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。

からこそ、私は彼氏を殴った。

私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。

お互いまだ若く、「リスク」を受け入れられる環境ではない。

そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。

彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。

次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。


ここからしばらく私の人生彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまたからだ。

次に現れるのは最初の、現役での大学進学の時である

初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板オフ板に嵌ってしまう。

オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。

私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。

それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。

そんなベテランが居た時のオフで知り合ったのが次の彼氏だ。

最初経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。

なので勿論最初はただ楽しく話をするだけの相手止まりだった。

しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。

同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。

何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。

開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。

こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。

最初ネットで知り合い、「あのアニメエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、

「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、

「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。

ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。

またしても私の頭が邪魔をした。


いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。

…本当に?

薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。

彼は喫煙者。私は嫌煙者。

バイトで溜まったお金フィギュアゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。

ドラマ映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマ映画も見る私。

記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。

そこでまた頭の中で考えが巡る。

「私は大切なこの体を、趣味時間を一緒に過ごすのが楽しいはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」

「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」

やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。

その頃から既にネット上では処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。

その考えと今までの教育合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。

その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。

何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。

一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。

私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。

理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。


この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。

この世に完璧王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。

それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。

でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。

実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。

そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初から

それにネット世界意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。

世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから

だとしても少なくとも非処女ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。

それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。

この後も数人、現実世界ネット世界出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。

成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。

こうして更に私の脳内メモ記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。


そして、今だ。

振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。

私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。

しろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。

こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。

誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである

幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。

自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。

「年を取ったらどうするの」とか、「病気の時はどうするの」とか、一人でいることに限界が生じる未来は確実に来るだろう。

その時までに私が理想を諦めるか、理想がやってくるか、今はまだ結論を保留にしておきたい。

2012-07-26

おおかみこどもの雨と雪を観てきた

これほどつまらない作品も久々に観た。

ネタバレ

序盤。ヒロインの花と狼男出会い

何の障害も挫折もない二人の馴れ初めは退屈でしかない。

狼男が、自分の正体を曝け出すシーンは、あくまでも神秘的に演出されており、汚らわしくないものとして描かれている。

当然、花は彼を受け入れる。

ベッドシーン

メロドラマが長い。感情移入も糞もない展開。

しかし、逐一「成長した二人の娘」の声でナレーションが挿入されるので、

これはあくまでプロローグであり、本編まで暫くかかるな、と視聴者にもわかる。

さっさと始まらねぇかな。

ちょっとの辛抱だ。

結論から言うと、最後まで、始まることはなかった。

一人目の子供が産まれる。雪。

この時、花は病院出産することを恐れ、自然出産を選ぶ。

ん? ってなる。

例えば……この過程をすっ飛ばし場合、観終わってから

「そういえば、出産の時、狼の姿で産まれてたら、どうしたろうね」

っていう、クソどうでもいい突っ込みを、敢えて先回りして予防されたような、

なんとも腑に落ちない感じがした。

このシーン、要るのか?

つまんねぇし、長いんだよ。

イヤ~な予感は募るばかり。

翌年に二人目、雨を授かり、狼男死ぬ

シングルマザーとなった花の生活が始まる……。

バイト大学も辞めて貯金で暮らすぎりぎりの暮らし

(いや、保険くらい入っとけよ。とか、そもそも在学中に産むなよ、などと思ったりしたが、何でそんな野暮なツッコミ入れたくなるかと言うと、無駄に説明ばかりの作品の癖に、肝心な部分でリアリティが掻き消されているからにほかならない)

夜泣する子供に切れる隣人。

虐待の疑いがあるとして詰め寄る児童相談所

遂に大宅から立ち退きを促される花は、田舎に引っ越すことを決める。

ジブリ空気感』を出したいのは十分わかったから、

冗長をどうにかしてくれ。サクッといってくれ。

ボロ屋に引っ越す。廃屋同然の木造住宅テンションうなぎ登りの雪。

何を見ても大声で笑い、走り回り、また笑い転げる……。

どっかでみたぞ。

トトロじゃん。

なんて言うと、したり顔で見下されるんだろうが、何度でも言うよ。

トトロじゃねーか。

ところで、この幼少期の雪、まじで声を当ててる子役が、上手い。

笑い方、ぐずり方、ヒスの起こし方、走ってる時のブレス、どれをとっても、リアル子供だ。

よって、宮崎あおい演じる花の棒っぷりが完全に浮いてくる。

ジブリも、富野由悠季もそうだけど、

中途半端リアルを求めて、「声優の演技を身に着けてしまった人は使いたくない」とか嘯いて、

こーいうところで露骨なギャップを作られると、ちぐはぐで、いらつくんだよ。

耳悪いんじゃねえの?

床を掃除して、洗い場を掃除して、雨漏りも修繕して、住めるようになる。

綺麗にしてみると、実はガラスの模様が可愛かったりして。

素敵な一戸建てに生まれ変わる廃屋。(また無粋いうけど、そうはいかねーだろ)

日暮しのために自家栽培を始める。

何度植えても病気で枯れる野菜達。

もうダメか……そこで農家ジジイが登場!

ようやくか!

と思った。そーいうアニメかと思ってたからだ。

ジジイは無愛想ながらも的確に指示を飛ばし

結果、作物は育つ。

案の定、活躍している。いいぞ。

遠巻きに見ていた村人たちも、徐々に花と交流していく。

それも、全てはジジイの差金だ。いいジジイ過ぎるな。

何の、代償もなく。頑張ってたから、助けたのだな。

しかしだよ。だがしかしよ。

野菜が採れて、村人とお裾分けしあって、

協力して、この田舎でも、生きていける。

ということが、説明された途端、もう出てこないんだよ。

まじでもう活躍なかったよ、ジジイも村人も。

説明の材料に使われただけ。

「このようにして生活していけてますから大丈夫です!」

って予防線を張られただけ。伏線もクソもない。

何の障害もなくなったわけ。花たちも、脚本も。

冬が来る。降り積もった雪山を転がって、走り抜ける。

はっきり言って、「生の躍動感」の押し付けなんて、見飽きてる。

一緒に見に行った友達は、ここが一番良かったって言ってたが。

まぁ、視覚的に面白かったら、それで良いんだろうな。

そして順調に子供が成長して、小学校に入って、

ようやくナレーションの年齢まで育って、

この時すでに一時間は経ってたんじゃないか

狼として生きるか、人間として生きるか、選びなさい。

人間としての自我が育った雪と、

狼として山を愛する雨。

姉弟の喧嘩のシーンなんかは、

つの間にか力関係が前後していたり、

腕白だった雪が風呂場で泣いちゃったり、

よくできてた。

それにしても雨は十歳で声変わり半端ねぇな。

で、嵐が来る。

唐突クライマックス。そりゃ尺たりねーよ。

無駄が多すぎるもん。

もうね、頭の中では、ストーリーの結末が、

俺がこうあって欲しいという道筋が、全部出来てて、

狼がネコバスみたく活躍して嵐の中、人間を救う、

CGも使いまくって視覚的に盛り上がりまくって、

前半のグダグダを全部ふっ飛ばしてくれるような、

スカッとする展開を望んでたんだけど。

雪は、誰も残ってない学校教室で、

初恋男の子と二人っきり。

自分が狼の混血であることを告白して、終わり。

花は、嵐の中山へ入っていった雨を追って、

転落して意識を失う(あれは全身骨折だと思うが、つうか死ぬと思うが。御都合主義が過ぎる。その辺の説明も是非ききたい)。

三途の川ライクな場所で夫に慰められて(本当にありがちという言葉を使うのも恥ずかしいくらいクソ演出)、

目覚めたら、雨に運ばれて駐車場放置プレイ

自分の道は自分で決めなさいと言った手前で、

行かないで~と泣く花。

母の強さ? そんなテーマ

なんつうの。女の……何なのお前? っていう矛盾

で、結局、雨は独り立ちしてしまう。

ところでお前は嵐の中、山で何やってたの? 見せ場ねぇー。

というか……

盛り上がる場所、ねぇー。

延々と説明。説明。説明の使い捨て

エンターテインメントが、そんなに嫌いなら、大衆映画やめろって思うんだけど。

ポストジブリ狙ってるなら尚更。

「しっかり生きなさい」とか言われても、失笑もののけ姫キャッチコピー

ED曲のアカペラ部分で、残っている精気を限界まで吸われた。

なんだ、この、げっそりする感覚は。

「浅いよ」と言われようが、

「わかってねー奴」と罵られようが、

ジブリパクるだけパクっと食って、

盛大にゲロをぶち撒けたような作品だった。俺にはそう思えた。

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