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はてなキーワード: ベッドシーンとは

2019-03-15

沢尻エリカ大河ドラマ出演決定で思うこと

沢尻エリカヘルタースケルターヌードを出してハードベッドシーン世間話題になり復活して

安達祐実子役時代イメージのせいで大人になってから仕事が減ったが花魁映画ヌードになって、ハードベッドシーン世間話題になり昔の安達祐実イメージを壊して人気が出て

美人女優おっぱい世間に見せたら、印象ががらりと変わって売れていくのだなぁと思った

AVデビューして最低の評価になってしまった女性芸能人もいるが

男性いくら裸の上半身さらしたところで話題にはならないので、女性の体はやはり武器になるんだな。

2019-03-13

セックス同意と非同意

話題になってたけどリアルに言うなら

同意無き場合は非同意である

じゃなくて

同意無き場合は非同意だと見なされる可能性がある

だと思う

なんか女性のために徹底をみたいな感じでそこもやっぱり主に女性が啓発してるけど、同意女性のためってより男性自衛のために取るって意味での方が有用性では上だと思う

自衛として身を守るための意識が結果そういう事を減らしていくんだと思う

やる奴はやるだろうけどそれでも少なくとも勘違いに巻き込まれ人間女性男性も減る

ある程度の関係なら雰囲気ムード同意とするっていうのは日本だけじゃなく欧米でもそうだから、全てで事の前に同意がなければ、というより事に及んで拒まれたらすぐに身を引く、そもそも拒んでるかも分からない状態には手を出さな自分のために、っていうのが現実としての望ましい対処になるんだろうなって思う

それでも男性側が襲ったって言われるリスクは無いわけじゃないから自信と確信がある時にどうぞって感じなんだけど

海外映画とか見てても十代の子キスして少し拒まれたぐらいだとまだトライするけど強めに拒否された瞬間一気に身引く、とか演出ベタってだけじゃない一連の反応として作品いであったりして、これは男性から自分は無理にはしていないってアピールでもあるのかなって思って見てて、それはやっぱり自衛意味でもあるのかなとも思う

あとお酒入ってたり勢いでのベッドシーンなんかじゃ必ず女性が上になって動くんだよね

それも見てる側への同意表現で次の日女性が後悔しても覚えて無くても合意だったって伝わるから

興味深くはあるけど実際そういう配慮倫理面で必要になるような事に欧米ではなってんだろうなって思う

スウェーデンかどっかじゃ双方同意したのが残るアプリが普及してるとか前になんかで見たけどそれもたぶん男性側がちゃん同意得た証拠って事でもあるんだろうなって思った

こういう話だと女性の思わせぶりな態度が、いや男性意識がって責任論になりがちなんだけど、あくまでそれは女性側への責任自衛の話だし、男性自分のためにこそ曖昧な事で追うリスク考えたらちゃんとしてった方がいいんじゃないのかなって思う

同意は無かったって言う女性に対して誰が責任を取るべきか結論が出て、もし男性側が悪くなかったと結果なっても、それが話題になってしまったり一旦でも強姦で訴えられたかもしれないリスクが消えて無くなる話でもないから、誰が悪い、女も悪いなんて話とは分けてまた考えるべき事なんだと思う

女性側がしっかり自衛してれば男性勘違いする事も減るんだって意見も見るけど、それでも現実的にその勘違いでしんどくなるかもしれないのは男性自身もだし、だからこそ男性側の自衛必要なんじゃないのかなって思う

酔った相手になんてそんな状態女性自分人生預けてまで賭けに出るって事だし正直割りに合わないと思う

同意とったり曖昧場合は手を出さない事で一晩相手と思った通りにならずに事に及べなかった、とはなるかもしれないけどそれと訴えられて裁判なんやかんやなる可能性なんてどう考えても比較にもならないよやっぱり

男性だって場合によって悪意無くても最悪人生半ば終わったようになっちゃうかもしれないのに

した方がいいと思う自衛

2019-03-12

anond:20190312200449

そういやテレビ映画なんて見なくなって久しいのでわからないけど

金曜ロードショーとかで気まずいベッドシーン事例は最近は起きてないのかな

2019-03-06

注意書きについて考えていること


一時削除していましたが、訂正分と追記を足しての再投稿です。

アンソロにABを前提とした過去モブA描写が入っていて炎上している件について。
私は当事者ではないが、この件でものすごくもやもやしており気持ちを整理する意味で、注意書きについて個人意見をまとめた。あくま個人意見

発端の炎上のあらまし

ABの特定シチュアンソロに、ABを前提とした過去モブA描写(回想としての軽いベッドシーン)を含む話が寄稿
【訂正】軽いベッドシーンとの記載不適切と指摘いただきました。「軽い」はあくま主観です。

モブAが入ってるなんて思わなかった!と嘆いた、固定派の中の一部が以下の行為Twitterで行う
・「絶対にあってはならない事」などの糾弾一部の人はかなり強い言葉を使う。(アンソロ側の発表後、「絶対あってはならないこと」「二度とこの界隈やジャンルには関わらないでほしい」など)
捨て垢で該当ページを掲載し作者アカウント晒す行為
追記上記は別々の人と分かりにくいとの指摘。別々の人です。

擁護派/否定派で多数の意見がでる

アンソロから、該当箇所についての詳細の発表。返金も検討中
【訂正】主催から内容許可をもらった共催の発表(主催と共催との見解)。一時誤り返金と書いてしまって申し訳ないです。訂正箇所読まない方もいるかと思い上は記載自体なおしてます。また、後日返金しないことを決定されてます

追記
「ABカプ固定アンソロ表記が正しいとの指摘を何度かもらったが、固定との言葉は使われていないし、かえって不適切かと思っている。
あらましがよくないとの意見をもらって確かによくないので、上記のような訂正ではなく消した方がいいかとも思ったが、訂正箇所が分かる方がいいとのことなので上記記載だが、詳細自体は、他の方がまとめているTogetterなどの方がわかりやすいかと思う。すいません。そもそもまるまるモブAの話がはいってるとの誤解している人がいたので書いたが、私のまとめ方がよくなかった。
https://togetter.com/li/1325896

今回の件へのスタンス

・AB前提の過去モブAが混じっていたこ
AB前提の話の中でのことなのでアンソロ趣旨からは外れていない。
注意書きをつけるという配慮は確かに足りなかったが、配慮が足りなかっただけではある。

モブA地雷なのに読んでしまった人
可哀想だとは思う。ただ、過激なことをする一部の人には同情できない。

・強い言葉での糾弾
後述するが、ここまでの言葉糾弾されることはしていないと思っている。

捨て垢で、同人誌の中身と作者アカウント晒す上記とは別の人)
明らかにやりすぎ。中身の無断掲載などありえない。しかも、リンクではなくTwitter画像投稿であり、設定次第で意図せず見てしまう人もでてくる。

注意喚起という名目
注意喚起であれば、まず主催に連絡し、主催から対応してもらうのが平和的かつ確実。
目的が腹いせでなく注意喚起なのであれば、中身を晒し上げて行うのは、方法が間違っていた。
追記】ここも書き方がわかりにくかったようですが、注意喚起で中身を晒したのは捨て垢の人の方だけ。晒しや強い糾弾は論外だが、言葉攻撃的でなければ、注意喚起自体は仕方ないとは思うが、コメント発表後の、二度とジャンルや界隈にかかわらないで欲しいなど言い過ぎだと思っている。


注意書きについて思っていること

過度の性的表現や、暴力表現や極度のぐろ描写等へ配慮した表記(R18/R18G)は法律フラッシュバック対策として必須だが、それ以外の注意は必須ではないはず。
注意書きは、苦手なものがある人にも楽しんでもらえるようにとの書き手側の配慮であり、あくまで"善意"。
今は、作品を選別するためのあらすじや概要に加えて、注意書きを丁寧に書いている人が多い(ただ、「地雷ある人は読まないでください」で済ませる人もそこそこみる)。作品の公開・頒布をする人は、人にみて欲しいから公開するので、読み手側への一定配慮はするが、それは本当にただの"善意"や、炎上や問い合わせの手間を減らすための処世術義務ではない。

注意書きくらい何も減らないし書いてくれて当然と思っている人もいるかと思うが、注意書きが嫌いな人(ネタバレなどの理由)も、詳細な注意書きを書くのが嫌いな人もいれば、注意書き考えるのだって手間である
批判されるかもしれない、注意書きがめんどう……といった理由で、公開しない話やネタはあるけど書けないものがあるという話もたびたび聞く。私個人で言うと、公開していない話の方が多いくらい。投稿のたびに、匂わせ程度も注意書きに書いてるが抵抗感も強い。あと、委託通販説明欄の文字数制限が厳しい。とらなら127文字しか書けない。注意要素が多いとあらすじもろくに書けない。
注意書きを書けば誰も損をしないし、誰もが幸せ!というわけではないことを知って欲しい。今回の件も、内容的にネタバレ的な注意になってしまう話ではあったわけだし。

また、「当然の注記を求めただけでお客様とか言われるのか」などの意見も今回多くみかけた。書き手読み手は対等であるあくま要望なら、してもいいと思っている。嫌いや苦手も好きに言えばいい。
ただ、これくらいやって当然と手間や善意を"要求"をしてきたり、手落ちを必要以上に糾弾したらそれはお客様だと思っている。
今回の件は確かに配慮漏れていたし、手落ちと言われても仕方ないだろうが、あくま趣味であるパクリ他者誹謗中傷があったならともかく、注意書きという配慮漏れていただけで、ここまで糾弾される筋合いはない。
アンソロ非営利個人出版物商業ではなく趣味での手落ちを許せないというのなら、やはりそれはお客様なんじゃないだろうか。

まりに当然のように丁寧な注意書きを要求する人が多いのをみて絶望したので、今まで善意で丁寧に注意書きを書いてたが、今後はもう一律「何かしらの地雷ある人は読まないでください」にする。
アンソロ用の原稿執筆中なのもあり、特にCP要素はないのだが、それでもこういったことで中身まで晒上げられて糾弾される事象を目のあたりにして、寄稿をやめようかなと少し考えもした。悲しくて支部に公開している話も全部下げようとも思ったが、なんだか固定派の中の一部過激人達の言い分を読んで逆に怒りがこみあげてきて元気になったので、好きに生きる。


追記
自分地雷持ちに避ける余地を与えないのか等の指摘は誤解。 上述の通り私は「何かしらの地雷ある人は読まないでください」とは書くので、地雷ある人は読まなければ済むと思っている。
AB前提でそれが主題でページのほとんどを占めていて、モブAモブBと過去関係を持っていたというのが数ページ入る割合なら、モブAやモブBはCP併記ではなく注意書き相当かなとも思っている。

地雷持ちへの配慮

一部の過激派には苛つきつつも、読みたくないものは読まなくて済むのが一番だよねとは思ってはいる。嫌いなものを嫌いというのも自由だ。

他要素一切なく絶対固定とわかる表記とか、読み専内で地雷もちの人のために話判定して大丈夫かどうか判断する地雷フィルターマイスター(?)的なの置いたりできたらいいのになとか。
問い合わせて確認も、大手さんになるとやっぱりその返信は手間で負担になるし(それもあって割とみなさん丁寧に注意書き書くのかもしれないが)、読む側で手間かけて解決してくれる仕組み(読み専で集まって情報共有したり、上述みたいにフィルター役友人に頼んだり)とかも、是非地雷持ち過激派の中で考えて欲しい。
注意書きもどこまで書くのか難しいし、地雷持ちが地雷持ち読み手と描き手書き手にヒアリングレビュー等を重ねて、どの程度まで注意書き書くのが適切かガイドラインもつくってそれを周知でもしてくれたらいいのにともよく思っている。

自衛してるのに!とみるが、ツイートでうっかり流れてきたとかならともかく、同人誌絶対固定しかいか確認もせずに読んでるのは、ここまで書き手要求する割には自衛が甘いと思う。後述するが、アンソロ名にABはいっていたからと、その脇要素として他CP入っていないと言う認識一般的ではない。
読んでただ泣いてる人には同情するが、書き手に色々求め、手落ちでここまでの糾弾するならば、それに見合う手間を読む側でかけてから言って欲しい。

ちなみに私個人にも地雷はあるのだが、あまりにもニッチ地雷なので注記などは勿論されないので、踏んだら心の中でだけ暴れてる。

追記
地雷持ちがそこまでしなくちゃいけないのか、あまりにも非現実的との指摘ももらった。
攻撃するほど嫌ならば、自衛手段は他にも考えられるとの話で、手落ちや配慮漏れも許せるならそこまでする必要はないと思っているし、上記はただのこういうことも出来るという一例。絶対しろなどとは言っていない。
ただ、趣味に手落ち無しは、認識も違う人同士がやっている以上100%を求めるのは難しいし、そうなると発表側以外での対策何かしら考えていけないかとの話。
私の日本語がよくないので、長々と書いても伝わらない気はするが……

色々

・「アンソロは固定派が安心して見られる本」という認識について
これは「そうじゃない」という意見がいくつか数千RTされており、アンソロとか固定派が一番見ちゃだめなものという意見も数多く散見されていることからも、少なくとも常識として定着しているような共通認識ではない。
そう思っている人がいても、そうじゃないと思ってる人がこんなに多ければ、そうじゃないケースのアンソロはもちろんでてくる。ABが多いジャンルCBアンソロでA→B要素ちょこっとあったりとか。AB本だからといって匂わせ程度も他CP要素がでてこないと保証されているわけではない(もちろんその場合配慮として注意書きあるのがいいが)ように、アンソロもそうだ(メインCPばかりのアンソロ読んでると少ないのかもしれないが)。
とはいえ主催者が駄目だといえば駄目だし、色々と面倒だしとAB以外要素もいれない書き手もいるだろうしと、これは主催趣旨で決まるのかなと。


追記1】
アンソロについては、主観意見のまとめ方がよくなかったです。
今ではABなら他CP要素は一切ないのが主流(あったとしても注意書き絶対ある)との指摘も多かったです。
どちらが主流かはわからないですが、やはりどちらの認識の人も、それぞれそれなりにいるのだと思ってます
今回も配慮もれではありますが、認識の違い(これくらいなら注意書きいらないだろう)が大きかったと思っていますし。
その場合、やはり固定派からすると認識違いの人がつくったものであれば他CP要素はいってる可能性はやはりあるので、頭の片隅に置いておいた方が自衛になるのではないでしょうか。


追記2】
記事削除中にもらった内容について

記事を消されたようですが内容はざっくり説明すると「自分は面倒臭いので絶対に注意書きをしないし相手自衛させる隙を与えないが、地雷持ちは自衛する努力をしてね。ちなみに注意喚起攻撃なので仲間内で共有する仕組みを頑張って考えてね。自分は何の努力配慮もしないけど」という様なものでした

自分は面倒臭いので絶対に注意書きをしないし相手自衛させる隙を与えないが
上記の「何かしらの地雷ある人は読まないでください」とだけ書くとのとおり、自衛の隙は与えます

地雷持ちは自衛する努力をしてね。
→これは実際、「相手糾弾するほどであれば」努力してと思ってるので否定しないです。

ちなみに注意喚起攻撃なので仲間内で共有する仕組みを頑張って考えてね。
→あれだけ強い言葉を使っていれば攻撃であると感じた。平和的な注意喚起ならいいと思っている。

自分は何の努力配慮もしないけど
→これについても、そう取られても仕方ないので否定しません。



ほかも一部修正たかったですが、訂正箇所がわかりにくいような文章修正になるので、汚いままですがこのまま投稿します。

2019-02-24

ストーリー物のAV

ストーリー物のAVが好きなんだが、寝取られ物やレイプ物で恋人旦那とのベッドシーンが無いのはどういうつもりなんだと思うわけよ。

2019-02-22

anond:20190221232105

別に600億って思うのもそうじゃないのも当然じゃないの

自分もみんなもそうだよってその子が言ったようにそれに疑問を持つの自由でしょ人それぞれなんだから

ファンでその子の肩を持つなら軽蔑するのも当然だし自由だけど同時にその子が600億って言ったのを自信過剰だとか軽蔑する自由もあるんだよ

自分とそういうものを好む人間との差が恐ろしいって自分自分の周りの人間問題がある、酷い事だと感じるのにそれを面白いと好む人間がいるのがって事だと思うけど是非は別としてそんなの笑いも価値観も人それぞれなんだから当たり前だしあなたが酷いと思うのはそうなんだろうけどだからってその相対的差異絶対的倫理観によるものであると疑いもしてない感じはなんか逆に怖いよ

それに未成年への問題提起は理解できるけど成人女性でもセクハラってそれある意味女性蔑視だって自覚あるのかな

女性セクシャルで下卑た笑いに興じないって偏見だし女性は嫌なはず女性にはやらせるべきじゃないってそれも女性に対する役割押し付けみたいなものでしょ

セカンドレイプって発想も気持ちは分かるし実際聞かれて嫌だって思う子もいるだろうけど正直押し付けだと思う

私も含め女性の大半は確かに嫌だと思うだろうけどそういう笑いを好む女性もいる以上問題はコーナーでも番組でもそこに女性が参加する事でもなく意思確認、決定への自由が認められない事にあるんじゃないの

セクハラって言うけどそういうセクシャルなコーナーがあってそれをこなさなきゃいけないなんて事前に理解できてるはずの事で女の子達が嫌な思いをしてるって言うならそれはやっぱりそうする事をどこかで強いた事務所なり何なりの問題でしょ

下卑た笑いが昔ほど支持されなくなって許されなくなってる話とあなた応援してる女の子達がセクシャルな面を切り売りする場に送り込まれてる事は別の話だよ

実際そのコーナーに同じくらいの年齢でも清純派売りの女優さん出すかって言ったら絶対ないだろうし

結局はそういう売り方を事務所が認めてその女の子がもし嫌だって思ってるのだとしたらそれを強制してる、もしくはその子嫌悪感より優先させるものがあると判断してって事でしょ

芸能界セクハラ横行とか言ってるけどセクハラ被害者側が定義するもので周りがどうこう言うのはお門違いだしだからこそ当人達の意思尊重が前提でそれが出来てないのは番組でもコーナーでもさんまでもなく女の子達側にいるそれを許してる誰かのせいだよ

未成年なら余計にそうでしょ

よく仕事を選ぶって言うけどその女の子達は選ばせて貰えてないんだよ

それを置いて廃止を求めますなんてちょっと色々混乱し過ぎじゃないのって思うけど

それを言うなら嫌だって子にはそういう仕事をさせないで欲しい、だと思う

コーナーやそういう笑いが無くなれば問題は無いんだからって思ったのかもしれないけど言うればヤンタンなんて昔からある番組をそういう女の子達や自分と同じ価値観リスナーのために変えていけって事だしそれはやっぱり傲慢じゃないのって思うわ

別にそれ言っちゃえばアイドルの子じゃなくても成立するコーナーでしょ

その女の子達じゃなきゃ成立しない上で女の子達が嫌がっててそれを事務所なりに伝えられる環境があるなら番組もその子達の意に沿ってそんなコーナー無くすなり何なりするよ

元々そういう女の子達のための番組っていうなら主旨として廃止って気持ちもわかるけど

キスシーンやベッドシーンがある役を受けたのに本当は嫌だったっていうのと同じだよ

嫌だったって思う事は悪くないしそこに同情したとしてそういうシーンは女の子は嫌な思いをするからみんな無くすべきって言うのはおかしいでしょ

その女の子たちが受けたのはセクハラじゃなくセクシャルさを伴う仕事なんだから

芸人が頭はたかれるのを暴力を受けてるって言うようなもんだし事前に知り得てその場にいるって事の意味を考えるべきだよ

仕事の内容知ってて文句言うなって話じゃないよ

必要なのはその仕事自体への糾弾でなく選択に本人の意思が反映されない事への非難て話だよ

そしてそういう客観的倫理性を問う事や環境改善を望むのならあなたのそういう仕事への嫌悪感女の子達への感情移入混同させて根拠とすべきではないんだよ

ハロプロヤンタンもよく知らないけどこういう話で色んな区別ついてない人多すぎると思う気持ちは分かるけど

2019-02-06

anond:20190206013620

全ては同意の下で対等であるって前提が必要から

アメリカ幼い事は弱さの象徴から童顔はそれだけで印象の面で女性として人として男性より弱く捉えられる

ドラマ映画でのベッドシーン女性が上乗っかってる率の高さもそれ

平等演出

あとかわいい系=童顔=好きな奴は子供性的に捉える嗜好って偏見からかわいい系のAV小児性愛者の需要を擬似的に満たして煽ってる反社会的ものだってなりがちだから

童顔への差別だけど

2018-11-24

女がおっぱい出すなら男はちんこを出すべき

昔のテレビ番組現代映画ベッドシーンで女の人はおっぱいを見せているのに男の人はちんこを見せない。(雄っぱいは出してても恥ずかしくないので論外)

女の人ばかり度胸が必要になって男はズルい

女優おっぱいを一度作品に出したらずっとレーズンまな板だの美乳だの残念おっぱいだの乳首が立ってるだの言われ続けて晒されて

俳優は同じベッドシーンでも失うものがない(むしろ女優さんの乳首とか吸えて得してる)

俳優だってちんこを映せばいいのに

でもちんこモザイク必要になるから日本テレビでは映せない

娼年映画は見てないけどどうせ

おっぱいうつっててもちんこは映ってないんだろう

男の人だってもっと辱しめを受けたっていいじゃん

女の人ばっかり搾取されるのは面白くない

男の人も今よりももっと性的に消費されてほしい

そう思うと枕営業してるホストとかはある意味立派だなと思う。女の人が買う商品として使われてる。

女の人が汚い男たちに人間じゃなくてただの肉で出来た人形として消費されてるように

男の人も女の人にもっともっとめしゃぶられて消費されるべきだ

ママ活という言葉ニュースで聞いたときは正直気分がよくなった。

若いイケメンが年老いたおばさんに金をもらって消費される。お互いいいことじゃないか

女の人がこれだけオモチャにされているのだから男の人も女の人に肉バイブとして使われたっていいじゃないか

2018-11-11

萌えが何故性的意味合いを持つ(と思われる)に至ったか

元来「萌え」という語自体には性的意味合いは無く性とは別概念として捉えられていたが、一般へ広まると同時にオタクの間で使われなくなっていった過程で何故、性的意味を持つ(と思われる)ようになってしまったのだろうか。

1995年パソコン通信文化がまだ華やかだった頃に初版が発行された用語辞典通信用語の基礎知識」では萌えについて下記のように記している。

元々は、まだインターネットなど普及していない時代草の根BBSで、しか自然発生的に生まれたと考えられる用語である

それは男社会であるので、当初「萌え」が表現したものは、可愛い女の子の素敵な仕草を見て湧き上がる感情、であったと考えられる。

しか時代の変遷を経て、「萌え」という語も広く普及するにつれ、誤用なども含めて様々な意味で使われるようになったと考えられる。

従って、現在に至っては、萌えという語自体に明確な定義を与えるのは困難である

https://www.wdic.org/w/MOE/%E8%90%8C%E3%81%88

たとえばエロゲーに対する批評で「萌えゲー」と言われれば、それは「エロ要素が皆無か極めて薄い作風一般アニメ漫画作品のような可愛らしい絵」を指すもの解釈されるケースが多い。

しかし昨今多用される「萌え絵」は全ての二次元絵を内包する巨大な概念として使われている節があり、「萌え絵は性的だ」「萌えエロは違う」という不毛な争いをも生んでしまっている。

(そも、時代と共に変遷する性的概念定義することそのものに無理があり、また性的か否かは画風で判断されるものでは無い。性交を直接描けばR18だがベッドシーンならR指定一般指定、という実写映画のざっくりレーティング比較的分かりやす基準と言えるが何故絵に対しては画風で判断するのか)

仮説1:風俗店看板広告からの発想

風俗店看板広告で描かれる二次元絵のほぼ全ては無断使用であると言える。出典はエロゲーなこともあれば一般アニメ漫画であることもあり、適当に選別していることが容易に伺える。無断使用されている方にとって見れば迷惑なことこの上ないが、無断使用されていることなど知りもしない人が見れば「アニメ絵の風俗店看板→このような画風は性的である」と擦り込まれ可能性は充分に有り得る。

ちなみに何故、風俗店看板二次元絵を使うのかというのも疑問だが、一説に寄れば「写真看板広告に貼るとこの女性を出せという客が来る」からだという。さすがに厄介な客も二次元絵ならこいつを出せとは言わないだろうという自己防衛である。いい迷惑だ。

仮説2:萌え○○からの発想

一時期のメイド喫茶ブーム煽りで、JKビジネスを含むライト風俗雨後の筍の如く激増したという。

このような店が名乗り始めたのが「萌えリフレ」「萌えエステ」「萌えマッサージ」であり、上記と同様に「風俗店が店名に使う言葉性的意味を持つ言葉である」と擦り込まれ可能性がある。

仮説3:二次元絵は全て萌えである

プリキュアの絵ですら萌え絵だと言われるのであればこれが実は正解かもしれない。

2018-11-06

anond:20181106133056

今時地上波で胸丸出しのベッドシーンあるドラマなんてある?

昔はそりゃあったけど。

今は例え映画でも地上波放映するならそのシーン削除されない?

ドラマ性的搾取助長しないの?

女優キスシーンや濡れ場、いわゆるベッドシーンセックスシーンを演じると、体当たり演技だと称賛される。

ベテラン女優に対してはそういう評価ではなく、貫禄の演技という感じになるのかな。

まり大体若手女優20代女優が言われている。

これが問題にならないのは成人した女性対象からなのだろうか。

時間帯もさして深くなく、大抵は全国で放送され、ほとんどの人間が見ることが出来るのに。

物によっては修正無く、女性の胸部が完全に映っているのに。

2018-11-01

anond:20181101152746

エロ主眼じゃない」っての「エロゲはHシーンだけじゃない」と同レベルでしょ。

ベッドシーンはあるけどオカズ目的で読むわけじゃない」と「そもそもベッドシーンが珍しい」はだいぶ違うぞ。

2018-10-05

"萌え絵性的搾取される"を考える

思考過程メモです。雑多な点は御容赦を。

前置き

落ち着いた頃合いなので掲題の語の意味について考えてみたい。(と書き進めていたがまた盛り上がっているようだ)

そもそも性的搾取される」という語の頭に「萌え絵で」は結合するのか?という日本語的な疑問はあるが、まずはこの用語自体が示す意味を考えたい。

性的搾取される」とは

まずは後半部分について考えてみたい。

安易イメージだが、たとえば「多額の借金を背負ったため風俗で稼ぐ」といった状況を指すと解釈する。

その原因の理由関係なく、性というプライベート領域に対して実質的自己決定権を持てない状態(=本来自分自身が持つべものを不当に奪われる)を「性的搾取される」と表現するのはイメージとしても理解できる。

よって、

 例文:「私は性的搾取されている」

違和感は無い。

(補足)ただし

 例文:「AV女優性的搾取されている」

はいわゆる「主語が大きい」に該当する不特定多数表現で認められない。「日本一を取って目標が無くなった」という言葉を残して引退した女優までをも「被害者」と括るのは余りに失礼というものだ。

萌え絵性的搾取される」とは

前項の理解ベースにすれば多少はイメージが……と思ったのだがやはりまだ難しいため順番に考える。

萌え絵で」とは

まず「萌え絵で~」の「で」は動作作用手段方法材料などを意味する格助詞である。言い換えれば「萌え絵を使って~」となる。

萌え絵を使って」搾取するのは誰か

ここからが難解である。たとえばここで「男性全て」が搾取なのだとするのはあまり乱暴というものだろう。

では出版社だろうか?

性に関する書籍は多くの出版社が発行し、利益を上げるのだから可能性はある。しかし巻き上げているのは金銭であり、支払っているのは購入者だ。また、出版社自身非難されるケースは目立たない(主にオタク男性非難対象となるケースを観測する)。

絵の描き手だろうか?

男性男性らしく、女性女性らしく描くことが非難されるのだとしたら誰も絵を描くことはできまい。また描き手についても直接非難されるというケースはあまり見られないように思う。また描き手には女性も多く、後述の通り何を搾取するのかという疑問が生じる。

萌え絵を好むオタク男性だろうか?

描き手でも無く、出版当事者でもない、一消費者に過ぎないオタク男性槍玉に挙げられるケースが多いので挙げたが、ここに至るロジックはどのようなものだろうか。

搾取されるのは誰か

これもまた難解である

当該用語に関して「当事者は私だ」と発言した女性いたこから萌え絵を見た女性個人」が搾取された者(当事者)だと解釈するのが自然と思われていたが、中には「この女性キャラは嫌がっているのにセクハラされている。これは性的搾取だ」という用法もあり、「萌え絵キャラクタ自身」が当事者とする考えもあるようだ。順に検討したい。

性的な何を搾取されたのか(パターン1)

萌え絵を見た女性個人」は萌え絵を見ることで、性に関する"何か"を搾取されたということになる。

だが当事者は当然、萌え絵を見たが為に性を切り売りする労働に就かされてはいない。よってそれに類するような感慨を指すものと思われる。

しかし繰り返すが、当事者であることろの萌え絵を見た女性個人は特段"何もされてはいない"のだ。

何もされてはいないが「搾取された」と謳う、ここにこの用語理解を妨げる最大の要因があるのではないか

性的な何を搾取されたのか(パターン2)

パターン1のような感慨に至る原因の思考実験も兼ねる。

性的な部分を"強調"された(なお一般論として絵は特徴を強調する)絵を見ることで、絵のキャラクタへ自己投影し、自らが不本意に辱められている=性的な要素を搾取されたと感じる(冒頭のイメージに近い状況と認識する)ことから、「萌え絵性的搾取される」と形容された説はどうだろうか。

絵のキャラクタの人権にまで思い至らせる豊かな発想力は大切にして頂きたいが、自己他人(人ですら無く、絵だが)の境界認識がまず必要では無いかと考える(ちなみに作品キャラクタが自我自己を持つことに興味関心があるのであれば Re:CREATORS あたりがお勧めです)。

ここまでのまとめ

心情として、「不本意にも性的労働従事するようなイメージで自らの性を搾取される」ことを指すものだと推測したが、これが「萌え絵を見る」ことで引き起こされるロジックの解明が必要と考える。

またその原因として、オタク男性が(恐らくは)搾取する側として定義される点も不明である。なお需要供給観点、即ち「オタク男性存在するから彼らが好む不埒萌え絵が量産され、良心女性を傷付ける」とする桶屋理論はあまりに短絡的であり、オタク男性は全て滅ぶべしの結論に至るのみでいうまでも無く時間無駄である



余録

キズナアイ性的搾取、以前に性的なのか

幾度も繰り返されてきた議論vtuberも参戦(被害)とは、隔世の感がある。

性的では無い」といえば「オタク感覚麻痺している」と返ってくるのもまたテンプレだが、たとえば自分ゲーム等の影響でレーティングについては下記の認識を持っている。

  R18:モザイクが登場する・性的行為の直接表現

  R15:乳首は見えるが行為は間接表現に留まる

  全年齢:乳首は見えず(描かれず)行為は婉曲的な表現(俗に言う朝チュン

これに照らせばキズナアイは全年齢表現であり、それ以上でも以下でも無い(アクション映画だと思って家族全員で見てたら唐突に濃厚なベッドシーンが出てお茶の間を凍らせるハリウッド映画こそきちんとレーティングして配慮頂きたいぐらいだ)。

胸の形が、上目遣いが、と言われてもそんなエロ目線で見ることができるのは根本的に視座が異なるためで相互理解不可能と考える。オタク受けしかしないキャラクタを人前に出すなという主張であれば起用した企業に言うべきだが、起用した企業がそのキャラクタのファン対象とした企画を立てたのならば「不満を持つ人達対象では無い」で終わる話だろう。

ゾーニング万能論について

これを唱える人は世の中には「良い表現」と「悪い表現」があり、両者は明確に区別分別可能であると思っている節がある。

このため「悪い表現」をゾーニングすれば「良い表現」だけが残り、世界平和になると考えているようだ。

ゾーニングして「悪い表現」が消えれば次の「悪い表現」が見つけ出されて消え、清く美しくなっていく世界をお望みとは世も末である

男性器を強調された表現を見たらどう思うのか?

性的搾取議論におけるテンプレの一つだが、個人の好みによる感情以外は特段どうも思わないケースになるのではないか

というのも、多くの男性男性性器を"息子"と称していることからも、男性基本的に"息子"には寛容であると思われる。

そういえば男の娘ふたなりジャンルは一体どちらの性を搾取しているのだろうか?という疑問に気付いたが俎上に乗ったことはあるのだろうか。

2018-06-14

ベッドシーンまでの導入が丁寧で、前戯シーンも丁寧で、

なぜフィニッシュアナルなのか

2018-04-27

anond:20180427172503

本場仕込みのベッドシーンの演技レッスンを受けられるかもしれないだろ! いい加減にしろ

2018-04-15

映画娼年」の感想 ネタバレ

石田衣良原作映画娼年」を観た。

衝撃的な体験だったのでここに記す。ネタバレしまくります

自分原作小説存在は知っていたが、読んだことはなかった。ただただ「松坂桃李エロい姿をデカスクリーンで観たい」という下心だけでこの映画を観に行った。

観賞後、頭に浮かんだただひとつ感想が「人生いちばん濃密で官能的な119分間だったなぁ」というもの

まず冒頭からセックスシーンからだった。さすがにびっくりした。生娘ばりにひゃっ…⁉︎となった。馬鹿デカスクリーンに映し出される、松坂桃李の引き締まった綺麗な尻。生涯忘れることはないだろう。

スクリーンの中の松坂桃李無気力をそのまま体現したような青年だった。そのへんの行きずりの女であろう相手とのセックスの後もだるそうで、本当にこんな生気がない男が娼夫になるんか…???原作未読の自分は甚だ疑問であった。

その後も死ぬほどセックスのシーンがあるのだが、松坂桃李、いや、森中領は娼夫としてセックスを通し、日々を過ごしていくうちに冒頭の無気力そうな姿から生き生きとした青年に成長していく様は本当に感動した。松坂桃李演技力に感服してしまった。最初猫背で少し引きずるような歩き方をしていたのに、最後のシーンでは胸を張って堂々と歩く森中領を観て、松坂桃李ってマジで天才だなと…。観賞後に改めてポスターを見ると、松坂桃李が森中領にしか見えなくて困る。

この映画には先ほども書いたとおり、死ぬほどセックスシーンがある。多分10前後はあった。でも、どのセックス最初から最後まで丁寧に描かれていたからどれも心に残っている。本当に綺麗なAVを観ている気分になった。

いわゆるベッドシーン、ラブシーンがある映画最初から最後まで描かれていないものが多い。しかしこの映画前戯からまり絶頂に達した(なんかこの言い方キモいけど良い感じの表現が見つからなかった)後のまどろみまでしっかりと、それでいて繊細かつ丁寧に描かれていて、監督のこの映画にかける熱をひしひしと感じた。カメラワーク素人にも分かるくらい凝っていたし、一番最後セックスシーンである領と咲良行為も、舞台で培ってきた表現なのかな?そんな感じのシーンだった(語彙力)

自分は領の一番最初のお客さんであるヒロミとのセックスシーンがお気に入り

我慢するのってすごくむずかしい。私、領くんと今すぐしたいな」という台詞からセックス。本当に最高だった。

賛否両論あるそうだが、自分松坂桃李の喘ぎ声?というか行為中の声もべつに良いと思う。リアリティがあるし。でも高速手マンはみてて痛かった。自分がされてるわけじゃないのに膣がヒリヒリしそうだった。

とにかく領とヒロミさんの獣のようなセックスは本当に素晴らしかったし、松坂桃李ヒロミさん役の女優さんどちらも凄いなぁと思った。演技であれだけ本能をむき出しにしたみたいなセックス表現できるなんて、俳優さんって凄い。

雑感しかないけど感想終わりです。

観賞後、映画館を出た足で本屋に向かい原作小説を買い、翌日には続編の「逝年」、その翌々日には完結編の「爽年」を買い、再入荷を待って映画パンフレットを買った程度にはこの「娼年」にドハマリしている。舞台を観れなかったことを私は一生悔やむであろう。

2018-01-09

今更録画した「君の名は」を見た

今更なので皆見てると思うん自分なりにですが、よかった点を淡々と挙げます

舞台ハリウッドありがちな近未来都市部でよかった。

主人公バニングの魅力をダニエルはよく出せていた。

・大迫力のビル倒壊シーンは本物のビル解体映像を使ったお陰でものすごかった この映像映画館でみたかった

テロリストが実は未来世界から来たAIバニング相棒AIというのは聞いていたが、その設定の練られ方はすごいとおもった

最後相棒としてAIを受け入れたのは良かった ハリウッドなら基本的人間至高なので壊されちゃうのかなと思ったいたのでこのラストハリウッド映画新時代だと思う

日本描写なんちゃって日本ではなく八百万神を表していたのは良かった

 

いまいちだった点、もう少し説明がほしい点

相棒AIはいつ入れ替わったのか?

中部電力黒幕にする必要はあったのか?

ヒロインのオーキスロボットなら主人公とのベッドシーンで気が付かなかったのはなぜか?

2017-12-11

月蝕歌劇団をまた観に行った記録

なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。

これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。

いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。

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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演

(前回の観劇の記録は

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923 

 を参照のこと)

ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。

御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。

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ただし。

自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。

(というか印象批評というワード小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ

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■全体として

歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。

で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。

普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。

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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。

さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。

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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。

これを多いと思うか、アリだと思うか。

いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。

リハーサルシナリオ練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。

自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。

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順番に見ていってみると。

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■前半の前座『詩劇ライブ メメクラゲ』(11月19日

先に不満点を言わせてもらうと。

演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。

左卜前役のベテランキャストカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。

休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。

おかげで貴重な戦力(岬)を空費。

トリの白永歩美キッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。

それにしても、あの大狼藉は、ハプニングプロットか。

ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。

しかし。

詩劇ライブというのがファンミーティング同窓会だというのなら。

いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。

と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。

ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。

うん、わかった。

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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』

詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスたっぷり見られたので実に良し。

はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。

(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)

なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?

リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。

岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。

あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。

そしてトリは白永歩美

朗読、歌唱と大活躍。

いつ見ても、この人は安定しているなぁ。

はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議キャラクター

そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。

知らなかった。

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さて本編。

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■前半の本編『ねじ式・紅い花』

つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。

実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、

「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」

といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。

前回の公演を観たときに、

「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」

と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。

原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。

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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。

(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)

それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。

これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。

最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。

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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。

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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。

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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。

今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。

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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」

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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。

高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議立ち位置

それが、この劇団の持ち味でもあり。

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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。

なんのことはない、 “ここから現実感見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。

多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。

少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。

そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。

つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。

というあたりで。

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そして、問題の↓

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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』

あー、うん。

むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。

あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、

「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」

と歯を食いしばっていたことを思い出した。

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はっきりしたこと。

自分に “前衛” を受け止める感受性はない。

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それでも、なんとか受容を試みてみる。

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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。

(2)明智小五郎小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。

(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。

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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。

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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。

クライマックス小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。

最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。

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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。

ねぇ、寺山修司って、ホント70年代80年代青少年カリスマだったの?

(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)

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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。

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ま、さておき。

これ以上はどうにも言いようがない。

自分にとって確かなことは。

高取氏オリジナルの作品、脚色作品のうほうがずっと面白い

ということ。

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さて。

キャスト、演出その他については、以下の通り。

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白永歩美

女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。

このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的ビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。

劇団のカラーを一人で体現しているような。

ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。

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というか。

実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。

それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。

その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサーディレクターの寵愛でもなく。

それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。

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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。

前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。

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例えば技能なら。

前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラーコメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。

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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。

いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。

脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。

群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。

長くなった。

ともあれ、健康にお気をつけて。

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■川合瑞恵

前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。

これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。

本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?

芸能関係って器用な人が多いのよね。

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■岬花音菜

演技はさておき、まずは狐舞。

今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!

これだ! これが観たかった!

いや、じつは、このところモヤモヤしていた。

「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」

でも、たしかに思いちがいじゃなかった。

ほんのちょっと前のことなのに、忘れかけていた。

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そこには、たしかに岬花音菜がいた。

およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。

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ちなみに。

あとから取材を試みたところ。

あの一連の動きは、ボランティアアルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。

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するとなにか。

自分の鑑賞眼は子供レベルか。

まあいいけど。

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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。

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さて。

キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。

この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。

じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。

ただ。

自分としては評価は保留としたい。

なぜって?

あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。

(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)

大竹しのぶアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美ピーターパンを演るのとは、意味が違う。

『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。

分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。

このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。

それもアリだと思うけど。

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■慶徳優菜

『紅い花』キクチサヨコ役。

昭和の山村、思春期の少年の心に思い描くマドンナ

うん。もうずばり田舎のマドンナそのもの

だけど彼女の評価も保留。

理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。

その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。

そっちの方はというと、うん、悪くない。

ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。

なんというか彼女は “月蝕、次世代プリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。

この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。

なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。

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はるのうらこ

なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。

キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。

(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)

これが。

『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。

あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。

慶徳優菜をサポートに娼窟パートカラーというか空気を完全に支配していた。

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あと、些細なことだけど。

キーアイテムとなるタバコチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。

取り出そうと悪戦苦闘して2秒。

見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。

架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。

はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。

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■宍倉暁子

彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。

さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。

今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。

彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン

たしかに分かる。

自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。

『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。

『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。

教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。

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大久保千代太夫

今回最高の当たり役の一人。

犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三ベースだと思われ。

自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。

『盲人書簡』の方は。

うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。

こればっかりは、いたしかたなし。

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■小阪知子

影の殊勲者にして功労者

前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。

馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。

自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。

1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。

もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者

月蝕歌劇団は後者の高能力キャストがいないと成立しない。

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■若松真夢

薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。

もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。

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城之崎リアン

詩劇ライブのみに登場。OGか。

男装の貴公子然とした男装の貴公子。うん、貴公子

そりゃ、男女問わず固定ファンガッツリと付いたことは想像にかたくない。

問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。

もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。

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■登利忌理生

前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。

自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。

本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。

あれか。学生演劇出身か。

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■音無ねむ

今は、まだ大部屋女優といった立ち位置

(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)

何者でもない。

何者にも、まだなっていない。

だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。

実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。

キャスティングの認識、間違ってないよね?)

陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。

まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!

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J・A・シーザー(と音響)

ふむ。ふむふむ。

エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。

(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)

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Bm....................BmM7(←Daugかも)

寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い

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Bm.............Bm........F#m..GM7

守 り 子 い な し て 門 し め る

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F#m.........Bm........F#m......Bm.E

ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)

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(間奏2+4小節)

E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm

+--------+--------+--------+--------+--------+--------+

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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..

守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て

.

Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7

か わ い が る 子 に 雨 や か か る

.

Fm#.........GM7.......Fm#......GM7

ど し た い こ り ゃ き こ え た か

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(間奏4小節)(以下同じ)

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※各コーラスの7、8小節目のメロディが元の民謡と違う。

 メジャーセブンに合わせて変えたか。

※地味に1コーラス目と2コーラス目以降でコード進行が違う。

 採譜するまで気が付かなった。

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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。

さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。

(今回はハードロックリズムビート

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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!

この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。

(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)

問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。

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  • ここで急遽訂正!!-------

本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。

お詫びして、訂正します。

以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。

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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。

うん、自分に言えるのはそれだけ。

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最後に音響について。

なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音タイミングがやたらと良かった。

何か条件が変わったんだろうか。

ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。

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プロップ大道具の印象は前回と同じ。

ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。

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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。

全体としてどうなのかって?

うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。

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まずは。

自分はもともと聖子ちゃんキョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュキャストライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。

なので、(おそらくは)キャストのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。

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しかしながら。

高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。

結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。

というあたりで。

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また機会があれば。

2017-09-25

月蝕歌劇団の公演を見に行った記録

なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。

怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』

ピーターパン 月蝕版』

自分にとっては初めての月蝕歌劇団

忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。

月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)

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■全体として

劇団標榜しているところの“アングラ”とは何か、つかんだ。

マジックリアリズム大衆演劇の合体だ。

これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。

自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス池澤夏樹イタロ・カルヴィーノ筒井康隆、このあたり(マルケス積ん読状態なので知らん)。

怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップマッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。

で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。

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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。

60年安保、70年安保的な新左翼臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。

自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。

でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。

2演目とも、終盤クライマックスマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。

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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。

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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。

キャストの紹介も兼ねている、のかな?

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良かったかって? うん、良かった。

ただね。

大正末期(1910年代)の冒険小説明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものアングラ時代(1960年代)の空気感舞台化しようとして、当時の若手(高取英1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。

寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。

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良かったところは……、

舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。

ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。

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くわえて、これは自分が舞台観劇初心者だからだろうけど、衣装舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚

これが新鮮。

そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀見世物小屋パノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。

(どうしても想像できない人は、映画でいうと

 『バロン』(テリー・ギリアム)、

 『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(ティム・バートン)、

 『落下の王国』(ターセム・シン

 あたりを思い浮かべてください)

同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。

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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。

実際、終演後にはチェキ時間があったりと、アイドル公演的な。

(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキ握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)

というわけで、全体として

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 1)呪術的なストーリーテリング

 2)箱庭的な幻想感

 3)若い娘さんたちが頑張ってる感

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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。

これで役満。いい気分。

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以下は、キャスト演出について。

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■岬花音

歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。

もともと彼女アンテナに引っかかったか舞台を観に行ったわけで。

行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。

純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。

いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。

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白永歩美

上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。

白永歩美

OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)

動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル

ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。

普段は何やってる人だ? 専属か?

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白川沙夜

コメディアクションストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートほとんど彼女一人で回していた。

アンサンブル彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)

イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。

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新大久保

どうしても必要なサポートには男優さんも入る。

で、この人。

発声から演技まで、一人レベルが違った。

いや、レベルというのとは違うな。

キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。

キャリアの違いか。

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■河合瑞恵

この人というか、この人を見て思ったことを書く。

河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。

宝塚OG的な妖艶な雰囲気が出ていて。

そこで気が付いた。

「この劇団、成熟した大人の女性の出番がない」

いや、大人の女性キャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。

少女ショタと男役とサポート男優だけで構成されていて、大人の女性存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団

いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。

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■嘴音杏

タイガーリリー役はさておき。詩劇ライブ歌唱

上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。

声量といいキャラクターといい、どれをとってもレベルが違う。

ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団ストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。

良いか悪いかは別として。

芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。

政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。

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■江花実里(と高畑亜美

明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さんベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。

客演らしい。

「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。

だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。

そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。

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■北條華生

緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい

調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。

吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。

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はるのうらこ

北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。

男役。

悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。

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中村ナツ子

な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!

Web/エディトリアルデザイナーライターイラストレーター、Photoshopper。

チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。

役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。

舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。

これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。

こういう人が一番まぶしい、そして怖い。

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プロップ舞台

足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。

ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。

周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。

意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。

ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。

なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。

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J・A・シーザー(と音響

絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。

主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル

これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界

こりゃ役者さんが大変だろうと思った。

あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングものJ・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うものボーカルありの既成曲で舞台でも歌うものマイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。

歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。

あとマシンガン銃声のポン出し、キャストトリガーを渡せるような仕組みはないものか?

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……んー、こんなところか。

機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。

自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。

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