はてなキーワード: 陣痛とは
あぁ、死刑囚とはこのような心持ちかとじんわりじんわり恐怖が襲ってくる。
通された病室は分娩室も兼ねていて、隣の部屋では今まさに分娩中だ。
断末魔のような、悲鳴のような、とにかく聞いたことのない女性の声が聞こえる。
かと思えば火が付いたように泣き叫ぶ赤ちゃんの声も聞こえる。
天国と地獄が同時に訪れている。怖い。ほんとうに怖い。
女性ってあんまり大きい声を出さない気がしていて、私から見ると周りの女性ってすべてきちんとしていて、そんなきちんとしている人達が断末魔をあげている。
非日常だった。次は私の番かと思うと心の底から妊娠したことを後悔していた。
果たしてどんな痛みなんだ、鼻からスイカてなんや、今頃独身の友達は「結婚したーい!」とかいいながら酒飲んでるんだろうな、くっそ羨ましい、けつが痛い、とにかくけつが痛い。いぼ痔のラスボスが来たような痛み。もしくは1駅10分くらい掛かる特急に乗ったときに訪れた急な下痢方面の腹痛。
時折助産師さんや看護補助の方が来てくれる。その都度痛い怖い痛い怖いと言ってみるがみなさんにとっては日常、わかってはいるが「大丈夫ですよ~!」としか言われない、そらそうだ!わかっている。でも不安で怖い。本来、そういう緊急性のない不安とか痛みをピィピィ言うのは夫もしくは親なのだ。助産師さんに訴えることではないのだ。でもいないのだ。コロナ禍なのだ。誰も病室に入れなかったのだ。実質一人で産むのだ。
何度もシュミレーションした。でもなんの役にも立たない。痛い。痛い。けつからダチョウの卵がでてきそう。座っていられない。この椅子が楽になりますよ!と置いていってもらったけどとにかく留まっていることができない。
かといって歩いていてもつらい。さらにめちゃくちゃ眠たくなってきた(そういう生理現象らしい、しらんかった)。とりあえず分娩台兼ベッドに寝転ぶ。痛い。
助産師さんが来て子宮口をごそごそ確認しているうちに破水した。
この後さらにひどかった。
もう叫ばずにはいられない。下手なAV女優のようにひらすら痛い痛いと叫んでいた。
だめですよ、リラックスしてくださいと言われるがもう痛みでどうにもできなかった。
骨盤が全部折れるような、けつ穴にそれこそスイカ突っ込まれるような、もう気が狂う1歩手前まで来たと思った。
それが延々。
ほんの2、3時間ではなく13時に病室に入ったのにすでに23時になっていた。
絶対に終わることはわかっている。産むしかない。なのに経験がないぶん時が永遠に思えた。
夜中ずっと痛みと戦っているとだんだん痛みに慣れてくる。とりあえず紛らわすために痛い痛いーーと言っているが徐々にもういいや…という気持ちになってくる。
朝になってようやくいきんでいいですよ!といわれた。知らない各位に説明すると、うんこしたいのにしたらだめ!っていう状態がずっと続いていた。赤ちゃん降りて来ているので出したい!いきみたい!という欲求がすごいのだが、ほんとに産まれる段階までにいきんじゃうと出にくかったり母体が体力消耗したり、とにかくいきんじゃだめなのだ。うんこしたいのにしかもなんなら便座に座ってるのにうんこすんな!という状態だったのだ。
なのでいきんでいいですよ!は待ってました!ありがてぇー!行くぜおれの括約筋!ぐらいテンションあがった。ようやく出していいんだ!と前向きになれた。
そこからは早かった。うーんウーンと何回かして、でもどうもだめですねってなって吸引する器具を持ってきてくれて赤ちゃんの頭をぎゅっと引っ張ってくれてずるんと産まれた。
何日も何日も便秘してたの。
ずーっとずーっとお腹が重かった。
それが全部一気にずるん!っと出た。
あの気持ちよさは他に類を見ない。いやあるか、超便秘後のするんとうんこか。そんなうんこないだろ。やはり類い希。
その後は胎盤が出てこなくて無理やり引っ張られてなんなら陣痛以上に痛かったけど産後のテンションでなんとかなった。
ほんとに辛かったのはこのくらいの時間だな、病室入って数時間後。
でも不思議なんだけど、また産みたいなーと思っている。ほんとに不思議なんだけど。
子無し30代女性の一人が思っていること。
でも何よりも恐ろしいのは、その麻酔無し出産を「普通」分娩と呼んでいること。
1940年の頃には、硬膜外麻酔による無痛分娩がアメリカで始まったことによって、無痛分娩が世界的に普及するようになりました。
出産に麻酔を用いる方法が確立されていないならまだしも、約80年前から導入されている国も存在するのに、未だ麻酔無しで行うのが一般的だなんて「異常」では。
加えて、硬膜外麻酔を使ったとしても、陣痛はあると聞くけど、「無痛」って呼ぶのは何故?
長くなったけれど、言いたいことは、出産にまつわる呼び方を変えてほしいということ。
日本に産科医が足りないことは知っているけれど、でも呼び方を変えることはできると思う。
国外で開腹手術をするときに、「Painless laparotomyとは麻酔有りの開腹で、Normal laparotomyは麻酔無しです」って説明されたら「狂ってる!」と叫びたくなりませんか。
体をハサミで切っても気付かないレベルの痛みを、麻酔無しで耐えさせること。それを「普通」と呼ぶのは本当に怖い。
(体をハサミで切るとは会陰切開のこと)
「日本女子ならこれが普通だ!我慢しろ!」‥は勘弁して下さい。
鈴木さん
それで、「これはおかしい、緊急手術だ!」ってなるんですけど、お医者さんが元軍医の人でね。「貴様は日本男児か!」「はい! 日本男児であります!」「では痛くないな!」ってそのまま開腹手術をしました。
えーーーー! それ耐えられるものなんですか!?
鈴木さん
耐えられません(笑) 全身麻酔がなくて、塗るだけの麻酔ですからね。鎖でベッドにくくりつけられて、お腹をバーッと切られて。自分の腸が引っ張り出される感触も分かるんですよ。あまりの痛みに「ギャアーーー!」と叫んだら「日本男児なら我慢しろ!」ってビンタが飛んでくるんです。さすがに気を失いましたね。
あたし男で、尿管結石やりまして、急激に襲われる正体不明の痛みで悶絶、そのまま病院に運ばれた。
おなか痛いなーから、30分くらいで今まで経験したことのない痛みに変わった。
痛みの箇所は下痢が発生したときと同じ部分だったし、嘔吐もあったので、酷い食中毒かと思った。痛みからか冷や汗が酷く服は大雨が降ったような状態で、シャツを取り替えてもすぐにびしょ濡れになる。
全く予期していない痛みで、全然心当たりがなく、ヤバい病気になったのかと思った。
で、この痛みは出産に次ぐ痛みらしい。
それを聞いて「マジか出産ってすごいんだな」という気持ちを持ったが
他人に「出産のほうが痛いんだから平気平気。私なんてー」みたいな人が数人いて、なんで俺の痛みを相対化するんだと怒りを覚えたよ
実際に痛いし、苦しいのに何でお前の経験で俺の苦しみを軽んじられなければならないんだよって思った。
それに痛みマウントで痛くてつらいほうがえらいんだったら、交通事故で頭かち割った経験がある俺のほうがずっとえらいじゃねーか。重体からの生還してんだぞ。緊急で開頭手術してんだぞ。頭蓋骨ホッチキスみたいなので繋げてんだぞ。意識なかったから痛みとか関係ないけどさぁぁぁ
でもそんなこと言われたらお前イラつくだろぉぉぉぉ
おそらく出産している女性も、同じように先輩ママや陣痛レベルの大けがをした男性による痛みマウントとられているんだろうな。そしてイラついているんだろうなって思った。
あたし男で、尿管結石やりまして、急激に襲われる正体不明の痛みで悶絶、そのまま病院に運ばれた。
おなか痛いなーから、30分くらいで今まで経験したことのない痛みに変わった。
痛みの箇所は下痢が発生したときと同じ部分だったし、嘔吐もあったので、酷い食中毒かと思った。痛みからか冷や汗が酷く服は大雨が降ったような状態で、シャツを取り替えてもすぐにびしょ濡れになる。
全く予期していない痛みで、全然心当たりがなく、ヤバい病気になったのかと思った。
で、この痛みは出産に次ぐ痛みらしい。
それを聞いて「マジか出産ってすごいんだな」という気持ちを持ったが
他人に「出産のほうが痛いんだから平気平気。私なんてー」みたいな人が数人いて、なんで俺の痛みを相対化するんだと怒りにもおもったよ。
実際に痛いし、苦しいのに何でお前の経験で俺の苦しみを軽んじられなければならないんだよって思った。
それに痛みマウントで痛くてつらいほうがえらいんだったら、交通事故で頭勝ち割った経験がある俺のほうがずっとえらいじゃねーか。重体からの生還してんだぞ。頭に鉄埋まってんだぞ。意識なかったから痛みとか関係ないけどさぁぁぁ
でもそんなこと言われたらお前イラつくだろぉぉぉぉ
おそらく出産している女性も、同じように先輩ママや陣痛レベルの大けがをした男性による痛みマウントとられているんだろうな。そしてイラついているんだろうなって思った。
無事子どもが生まれてまもなく3歳になるので。長かった妊活記録の概要。
いつだったか、ノリで子ども産むなって増田があったけど、ノリで産まないためにした行動の記録でもあるので。
ただこの妊活記録には体外受精もうんたら検査とかも出てこない。
結婚して1年ほど経過して夫婦で子どもを持つか、持つならいつ頃かという話をした。
妻側から、仕事を辞める気はない、今のペースで続ける、そもそも育児に向いてる人間じゃないからワンオペするくらいなら子どもはいらない。と言われた。
妻としても子どもに興味がないわけではないがどうしてもってほどじゃない。
その上、ワンオペしろとか家事育児分業できない状況になったら絶対虐待親になるから無理。とのことだった。
まぁはっきりと悪阻もない、陣痛もないくせに育休も取れませんでしたはねえよな?と恫喝された。
僕としては子どもが欲しいが妊娠出産は最悪生死に関わるので、そんなことを妻に無理強いはできない。
妊娠出産以外のことはすべて男でもできることしかないので育休取得をするしかない。
だが妻の会社は男性が8~9割の会社で妊娠しただけで退職に追い込まれる可能性があったのでそちらから確認。
結果、妻の会社はほぼ男性しかいないせいで育休制度を誰も取得してくれないのでぜひ取得して欲しいと言われた。
保育園に入れたあとでもいろんな事情の家庭があるから無条件で3歳までは育休が可能な上、中学卒業まで時短もできるという自由度。
数少ない女性社員(後に出世し妻の上司となる)が提案して制度を作っていたらしい。
これ聞いて「自分も子どもがいるからなんだろうね~」って言ったらこの女性は独身子なしで自分は子どもを生みたくない育てたくないと言っているらしく、自分の無意識のバイアスを認識することとなった。
妻の会社が予想外に高待遇だったが、僕の会社がもうだめだった。
男性の育休取得歴は3日間のみ。あとは女性だけ。女性の正社員の年単位の育休は認められるのに男になると認められない。
上司にそれとなく聞いてみたが「俺は取らせてやりたいんだけど他の部署でも(男性社員に)取らせてないのに」とか、上司の上司の顔色を伺ったり政治的要素が急に絡みだす。
自分のいた部署の場合、僕が育休を取ると上司が僕の仕事をやることになることが予想されたのでそれが嫌だったのかもしれないが。
別部署で3日間の育休取得していた男性に話を聞いたらその人は互いの両親が車で30分以内に住んでいるため自分は3日間取得し、あとは義両親にサポートを丸投げだったらしい。
彼が言うには彼の上司はかなり理解があり、むしろ1ヶ月とか取らなくて良いの?みたいな感じだったと聞いた僕は年単位での取得も可能なのではと感じて異動願いを出した。
今までとくに出したことのなかった異動願いを出したことで再度上司と面談。
洗いざらい話した後、異動願いを出していた部署の上司とも面談。しかし、異動願いを出した先の部署の上司も「1ヶ月くらいならって思うけど年単位で取るつもりなの?」と言われ撃沈。
ただ攻略は可能かもしれないし、何事も経験だし、というかもう異動願い書いてしまったし、ということでその年の春、異動。
異動先の上司を攻略できなかった場合、妻にワンオペを強いることになってしまう…。
そこまでして子どもをつくるか?ということをかなり話し合ったけどね。
子ども云々抜きにしても当時の会社だと僕や妻、両親になにかあっても柔軟な働き方は無理だと思ったのでいずれにしても転職は安心して生活するために必要だろうと結論を出した。
たかが育休でこんだけ荒波立つ会社おかしいだろって妻にも言われた。今になるとほんとにそうだなと思う。
育休が確実に取得でき、その実績もあり、年収が下がらない会社を探さなくてはならなかった。
エージェントを利用して転職活動をしながら、年単位での育休取得を誰でも利用できたほうが良いのではないか~という話を当時の上司にしたが
引き継ぎが~とか俺は良いと思うんだけど〜とかなんか色々言われた。きっぱりとここで転職の決意を固めた。
エージェントには育休が絶対に絶対に取れることと、子どもがいる人もそうでない人も働きやすい会社というのを念には念を入れて伝えていた。
仮に子どもができなくても子持ちが働きやすければ子なしも働きやすいだろうという考えもあった。
比較的通いやすい距離にあり、男性の育休取得歴があり、役員も取得している会社で、まだ子どもはいないけど今後のこと考えてどんな状態でも安心して働ける会社で働きたいと伝えたら
面接してくれた人事の人が「そう言ってもらいたくて制度を充実させてるのでぜひ使って欲しいです~」って言ってもらえた。
育休とかの制度は基本入社1年以上の人しか使えない(労使協定とかで決めてたりする)ので妻とも相談して1年経ってすぐ取得するのも申し訳ないので、2年は働こうとなった。
今の職場の上司には転職の理由も今後の家族計画についても話していて理解をもらえて、別に入社1年経ってたらいつでも使って良いんだよと言ってもらった。
同性パートナーシップ制度みたいなのも作ってて申請すると異性婚夫婦と同じようにお祝い金が出たり諸制度が使えたりするので、別の部署にはなるが同性パートナーがいる社員もいて、
いろんな立場や境遇の人がいるんだと、当たり前のことなんだけど、改めて考えるきっかけとなった。
その手の研修もかなり力を入れてて、自分の子どもがマイノリティだったら、とか同僚の子がマイノリティの可能性もあるんだよなとか考えるきっかけとなったし、
悪阻はそこまでひどくなかったようだが切迫早産気味で入院したりとバタバタしたが健康な子どもが生まれた。
分割して育休が取れるので、妻と交互に取ることにした。
義両親のサポートを得ながら僕も最初の半年間育休を取得した後一旦復帰、子どもが1歳の頃に2度めの育休を取得して妻が職場復帰。
専業主夫状態で義両親とたまに両親のサポートを得てワンオペというのも経験したりして、最初の会社のときに子ども産んでたら絶対妻も僕も崩壊してたなと思った。
保育園の送り迎えは通勤経路上ということもあり僕がしているし、熱を出したりしたときの緊急連絡先も基本は僕。
それでも仕事ができている。
正直言うと転職で少しだけ僕の年収は下がった。今後上がる可能性は割りとあるけど。
それでも夫婦ともに満足してる。
ワンオペになったら虐待親になると言っていた妻もそんな様子はない。もちろん夜泣きとかストレスたまったりするしイライラすることもあるけど、それは僕も一緒なので分かち合うストレスでもあったりする。
生まれる前に沢山話し合ったことで、互いの不安をさらけ出せたのでやばくなる前にお互いにフォローしあえたのもあると思う。
子どもは急に湧いて出てくるわけではないので準備は大切。
最初は産んでもらうからにはこっちも何かしないとな、みたいなギブアンドテイクな考えでの行動だったけど、妊活?を通して夫婦ふたりで子どもの人生をスタートさせるんだ、という覚悟を持つ機会にもなった。
予定日も近づきつつも出産はまだかな〜なんてのんびりしていた。
寝て起きたら昨日との違いにびっくり?!
お腹いたいな?
陣痛か?
破水したのか?
尿漏れか?
無事に病院へ
陣痛室で1人わめき動いてたらたまにNSTが外れて助産師が来ること複数回。
あっという間に分娩室へ。
分娩室へついてどんどん痛くなる陣痛。
それでも有名なサンシャイン池崎のろうそくの火消す動画を思い出して、頭にサンシャイン池崎を思い浮かべながら力む。
無事に出産。
赤ちゃん産むために力んでたサンシャイン池崎中の記憶よりも、産んだ後の処理?で胎盤出したり、縫われたりした方が痛かった記憶。
とりあえず陣痛出産は人生で痛かった出来事ランキング1位にノミネートです🏅
コロナで夫の立ち会いは出産直前直後の短い時間だったけど、個人的には陣痛中暴れ回る姿を見られなくてよかったかも。
生まれて初めて見た自分のお腹から生まれた赤ちゃんはかわいかった。
初産なのに病院着いてから出産まで6時間くらいで終わったから安産?ではあるのだろう。
陣痛痛かったけど。
子宮口開いてくれて良かった。
無痛分娩ってお産が大成功で母子共に健康だったら「やってよかった!無痛分娩最高!」ってなるんだと思う
でも、無痛分娩を選んだことによって陣痛がとまり、分娩も停止でいきめなくなるとか
トラブルが起きることもありうる
無痛分娩のための注射を打った後、羊水塞栓症になり、赤ちゃんは意識不明の寝たきり、お母さんは子宮全摘になったケースがある
出産当日は無痛分娩の注射を打った後に38度程の熱が出た。原因が発熱によるものなのか、なんなのか未だに不明と言われているが
病院側はぜったいに注射のせいで発熱したなんて認めない。医者も病院も裁判に負けたら困るから。それに、注射のせいで発熱したとしても調べようがない。立証のしようがない
私は産婦人科医に無痛分娩のデメリットについて聞いたことがあるが、お産が長引く可能性がある等ふわっとした話しかされなかった
無痛分娩でお産の最中に予期せぬトラブルが起きて「えっ?えっ?どういうこと??」って思ってるお母さんはたいてい無痛分娩のリスクの浅い部分しか勉強していない
無痛分娩によるあらゆるリスクを調べまくり、調べ尽くした妊婦は無痛分娩を怖くて選べない
そりゃ、医療従事者のなかにも無痛分娩を選ぶ人もいる。たくさんの無痛分娩を見てきて、トラブルが起きるのはごくごく一部だから自分は大丈夫なんだろうと思って無痛分娩を選ぶ。そんな医療従事者でもときには無痛分娩処置からの緊急帝王切開になったりする
まあ、リスクのことばかり考えていたら妊娠、出産なんてできない。五体満足で子供が産まれてくる保証も、子供が無事に育つ保証ないのだ。ただ、わたしたちは男から精子をもらって自分の子宮を使ったギャンブルをするだけ
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
よく真のフェミニスト扱いされてるエマ・ワトソンは国連スピーチで男の自殺の多さに触れて「男女共に、自由に繊細な感性を持つべきです。男女共に、自由に強くなるべきです」と語っている。そしてこれを見た男が「これこそが真のフェミニストだ」と男から見たフェミニズムを語っている。私はこの光景を見るたびに一体フェミニズムって何なんだろうと思う。
そもそも正しいフェミニズムを男が語ることに違和感があるのだ。フェミニズムは女性のためのものであるべきだ。男女平等主義であることと女性のために声を上げることは対立しないはずだ。例えば生きやすさを数値で表すとする。理想が100点だとすると男は80点、女性は30点くらい。そこでフェミニストが「女性も男と同じ80点ほどにはなるべきだ」と主張する。すると男は「いや、男だって完璧に生きやすい(100点)わけではないんだけど?」「男女平等と言うなら男の足りない20点にも声を上げてくれるんですよね?」と言ってくる。別に男が自分たちで声を上げて足りない20点をどうにかしようと思うのは勝手だ。男女平等を履き違えてフェミニストに男の足りない20点をどうにかしてもらおうとするのはおかしい。フェミニストが"男のため"でなければいけないなんて傲慢だ。
ピルは34年、バイアグラは半年、これが何か分かるだろうか。新薬が海外で発売されてから日本で許可が下りるまでかかった時間だ。経口中絶薬も厚生労働省が配偶者の同意が必要という見解を示した。女性は自身の身体の自由すら保証されていないのだ。自分の身体すら自由ではない気持ちが分かるだろうか。身体構造として男は射精して気持ちよくなるだけのノーリスクで子供を作れて親を名乗れる。女性はというと何か月もつわりやだるさに耐え、好きなものも食べられず好きなところにも行けず、出産は命懸けで想像を絶する痛みを経験しなければならない。「無痛分娩もあるじゃん」? 無痛分娩は無痛ではない。陣痛が始まってからしばらくは待つ必要があるし硬膜外麻酔という背骨の奥にある硬膜外腔に注入するため、神経損傷の危険性もある。そうして親になっても子育ては母親の仕事と共働きだとしても育児や家事を押し付けられる。子供も産まない自由もあるなどと軽々しく言うな。生理によるPMSや痛みに耐えなければいけないのはどの女性も同じだ。生理用品を買うのも自費、生理用品と聞いてナプキンだけを想像する人も多いだろうがそれだけで済む人はむしろ少数派で多くの人は鎮痛剤やピル、お腹を温めるための貼るカイロや鉄ドリンク・サプリを併用している。女性に生まれただけでこれらのことに耐えるのが当たり前とされる。女性に生まれただけで子供を望んでいなくても妊娠のリスクが伴う。レイプされたとしてもアフターピルは薬局で買えない。常に女性は性犯罪のリスクに脅かされている。女湯や女性用トイレさえ自称心が女性の身体的男に侵略されようとしている。何を根拠に心が女性と言っているのだろう。女性差別を受けるのは身体的女性のみだ。どうして社会的ジェンダーを解体しようとならずに身体的男が女性を名乗って女性の安全を奪う方向に物事が進むのだろうか。身体的男を女性と認めなければ差別主義者として社会的に殺すと脅してくる自称フェミニストもいる。フェミニズムが女性のためであることを求めるのがそんなにおかしいことなのか。男の言う真のフェミニストなんて男にとって都合の良い概念でしかない。男社会に迎合した人たちが真のフェミニストと呼ばれ持て囃されている中で、本当の真のフェミニストは存在が差別だと迫害されている。
明け方、自宅で陣痛らしきものを感じ始めた時、寝ている夫を起こしてその旨を伝えたところ「えっ、ぼ僕はどうしたらいい?」と発言後、すこしだけ慌てた様子を見せたと思いきやそのまま二度寝をしていた。
陣痛がきたらやることリストを既に渡していたのになんて頼りない人なんだろう、とほんのり絶望しながら、入院の準備を一人で進めた。
その後陣痛が本格的に痛くなってきた頃、私のうめき声に気づいた夫が危機感を抱いたのか起きてきて準備を始めてくれた。
コロナ禍での諸々の制限のため、病院まで送ってもらったものの玄関前で夫とはお別れをした。
私は無痛分娩を選択していたのだが「無痛」といえど全く陣痛を経験しないわけではなく、ある程度身体の準備が進んでから麻酔を入れることになっていたため陣痛室で2〜3時間ほど痛みに耐えた。
子宮口が少し開いてきた頃ようやく処置室に移動し背中に管を入れ麻酔を注射(点滴?)した。
数分後にはそれまで感じていた規則的なお腹の痛みは嘘のようになくなり、下半身に保冷剤を当てられても冷たさを感じることさえできなくなった。
併せて、お腹にバルーンを入れたり、陣痛促進剤を打つなどしてお産を進める準備をした。
処置後再び陣痛室に戻り、軽い食事を摂ったり、持参したおやつを食べたり、スマホをいじったり、仮眠をとったりしていた。
麻酔が切れてくると痛みで何もできずうめき声をあげるだけの存在になってしまうので、度々ナースコールをして麻酔を追加してもらった。
途中からポンプを繋いで自動的に麻酔が入るようになり、そこからは一度も痛みを感じることはなかった。
麻酔を入れていなければとてもじゃないが眠れる痛みではないらしいので、無痛分娩を選択してよかったなと思った。これが12万円の追加費用の価値だ。
ただ、麻酔の副作用もゼロではなく、陣痛はないものの身体のいたるところが猛烈に痒くなった。
掻いても麻酔が効いているせいで掻いた気にもなれず苦しい。冷やした濡れタオルをかゆい箇所に当て気を紛らせていた。
麻酔を入れ始めてから約7時間後、子宮口7センチで破水し、分娩室へ向かうこととなった。身体に痛みはないものの、ほんの数メートルの距離だが車椅子に乗せてもらい移動した。
そこからあっという間に子宮口9.5センチまで進んだので夫を自宅から呼び寄せ病院の駐車場で待機してもらうことになった。
しかし子宮口9.5センチからなかなか進まず、結果的に夫は駐車場で4時間待機することになった。
私は、分娩台に乗ってからもおやつを食べたり、眠ったり、待ちぼうけの夫には悪いがかなりリラックスして過ごしていた。
しかし時間が経つにつれ徐々に吐き気を感じるようになり、分娩台の上で4〜5回ほど嘔吐した。ただ、吐いた後はスッキリするのでさほど辛くはなかった。
この吐き気が麻酔の副作用だったのか、陣痛中よくあることだったのかは聞いていないため分からない。
時折、身体の中から何かが出てきそうな、便意や痛みに似た妙な感覚があり辛かった。助産師さんにその旨を伝えると肛門のあたりをギューと押してもらうことでかなり楽になったのでやはりプロはすごいなと思った。
子宮口全開大になってからもなかなか赤ちゃんが降りてこず、お産を進めるために破膜することになった。
破膜後30分程でようやくGOサインをもらったので夫に連絡を入れた。
夫が分娩室に到着するタイミングでちょうど吐き気の波が来ていたため、入室するやいなや下半身丸出しおっぴろげ状態で桶を抱えてゲロゲロしている姿をどーんと見せることになってしまい少し恥ずかしかった。夫にとっても、かなりショッキングな光景だったように思う。
吐ききってからはお産に集中した。夫は私の隣に立ち、とても真剣に励ましたり応援してくれたり、たまに水を飲ませてくれたりした。
しかしいくら応援されても赤ちゃんは出てこない。陣痛がないため、いきむタイミングやコツががつかめなかった。
お医者さんが「介入しますね」と言い、私の腹部に全体重をかけるようにしてグイグイ押し出してくれた。それに合わせていきんでみたものの結局自力で出てくることはかなわず、会陰を大きく切開しての吸引分娩となった。
お産が終わればそのような言葉をかけられるものだと思っていたが、期待していた言葉は聞けず、分娩台に横たわる私のすぐ隣で赤ちゃんへの心臓マッサージが始まった。
お医者さんと助産師さんたちがよく分からない言葉で会話をしていた。どこかに電話をかけ、よく分からない言葉で説明をしていた。電話の相手はどうやら小児科の当直医のようだった。
コウノドリ読まなきゃよかった、と思った。当直医が呼ばれるシーンはろくなことが起きないからだ。産休で暇な中、ちょうど漫画アプリで全話無料だったから読んでしまっていた。
不安で不安で仕方がない中、そのまま会陰の処置をされた。かなり縫われたようだが、それを気にする余裕はなかった。また、これも麻酔のおかげで痛みはなかった。
分娩台の上からだと、隣で処置をされている赤ちゃんの様子がよく見えなかった。赤ちゃんに繋がれた機械に、SpO2 85の文字が光っていた。
SpO2って95%以上が正常値じゃなかったっけ。新生児は80台でも問題ないのかな。そんなわけないよな。死んじゃうのかな。いやきっと無事だよな。でも死んじゃったらどうしよう。
そんなようなことをグルグル考えて、出産の余韻に浸ることはできなかった。
後に夫とこのことを振り返ったが、この時の私は「このままショック死するんじゃないかと思った」と言われるような表情をしていたらしい。
しばらくして私服姿のおじさんが分娩室に入ってきた。さっき電話をしていた小児科の当直医らしかった。
あまり慌てた様子はなく、助産師さんたちに状況の確認と指示を出していた。
検査へと連れていかれる直前に短時間ならカンガルーケアができるよと言われたものの、その数分で何かが手遅れになるのが怖かったので拒否をした。家族3人の写真を数枚だけ撮り、そのまま赤ちゃんを見送った。
赤ちゃんと共にお医者さんも助産師さんも分娩室から出て行き、夫と二人きりになった。
その時夫とあれこれ会話をした。夫は私を労ってくれていたような気がするが、赤ちゃんのことが心配なのと、疲れ果てて眠いのとで頭がいっぱいいっぱいで、今となっては何を話したかあまり覚えていない。
しばらくして助産師さんが戻り、立ち会い終了の旨を伝えられた夫は分娩室から出て行った。
私はそのまま分娩台の上で気を失うように寝落ちした。
2時間ほどで起こされ、車椅子に乗せられ、個室へと連れていかれた。
部屋についてから入院に関するあれこれの説明を受けたものの頭がぼんやりしていたため何を言っているかさっぱり分からず、とりあえず分からないことがあれば聞けばいいやと思いナースコールの番号だけ覚えて眠ることにした。
2〜3時間後に目が覚めると、下腹部と会陰の傷が信じられないほど痛かった。
しばし耐えてみたものの、もうだめだと思いナースコールをかけると、枕元にロキソニン置いてるってさっき説明したよと言われた。そんなの覚えてません。
ロキソニンを飲みしばらくすると少し痛みが引いてきたので再度眠りについた。
翌朝、朝食が部屋に運ばれてきた。ご飯が美味しいと評判の産院を選んでいたため、朝からかなり豪華な食事だった。
しかし食事の豪華さ以上に、妊娠中に感じていた味覚の変化が元に戻っていることにいたく感動した。美味しいものを美味しいと感じられることはとても幸せなことなのだと思った。
その後ハミガキをした際、妊娠中ずっと悩んでいた舌の白さが軽く磨くだけで綺麗になることに気づき、これにも大変感動した。
たった1日でこんなにも身体の状態が変わることが不思議だし、面白かった。
お昼頃には赤ちゃんが保育器から出ることができた。すやすやと眠る元気そうな姿を見て、ほっとして涙があふれた。無事で本当によかった。
産後は母児同室がメインなのだが、「ママの休息と回復が最優先」と言ってくれる助産師さんたちの言葉に甘えて、ほとんどの時間をナースステーションで預かってもらった。
入院中には、だっこの仕方、おむつの替え方、ミルクの与え方、沐浴の仕方、産後の過ごし方などを教わった。
事前に育児本やYouTubeで勉強していたものの、座学と実践は全く違う。下半身の激痛に耐えながらふにゃふにゃの新生児を相手にするのはとても大変だったが、愛おしく、充実した時間だった。
最終日、チャイルドシートを搭載した車で夫が迎えにきてくれた。素晴らしい秋晴れの退院日和だった。
分娩・入院費用で既に42万円を支払っていたものの、諸々の処置や薬代等で追加費用が6万円ほどかかった。一時金の直接支払をあわせて、計90万円也。共働きでよかった。でも、出産も保険適用にしてもらえると嬉しいです。
帰宅後、お祝いのケーキを夫が買ってくれていた。妊娠中に食べられなかったお寿司も出前をとってくれた。お寿司とケーキを、ベビーベッドで眠る赤ちゃんを見ながら夫と二人で食べた。
出産の思い出をインターネットの海に流していつまでも見返せるようにしておこう、あわよくば誰かからおめでとうと言ってもらおうというよこしまな考えで書いたものでしたが、思いのほか多くの方に読んでもらい、お祝いの言葉をいただけて大変嬉しいです。
まだ退院から1週間も経っていませんが、少しずつ新生児との生活にも慣れてきました。
分娩直後はどうなることかと思いましたが、赤ちゃんは元気です。今日もたっぷりとミルクを飲んでたくさんお昼寝しています。
たまに悪魔のように泣き喚いてどうにもならない時もありますが、元気に泣いてくれる方が嬉しいよねと自分と夫に言い聞かせてほどほどに奮闘しています。
昨日ようやく命名ができたので、今日は出生届等の書類を用意しています。確定申告のことは何も考えていなかったので、ちゃんと調べます。ブコメでのアドバイスありがとうございました。
また、冒頭で少し夫の愚痴を書いてしまいましたが、つわりの酷かった妊娠初期から今現在まで、ずっとフルパワーで支えてくれている最高の夫です。
陣痛開始時の二度寝は、100点満点中10億点取っていた中での減点マイナス10点で9億9999万9990点になったくらいなのであまり気にしていません。
またツイッターランドで「無痛分娩に反対する無理解で時代遅れな親」みたいなのがバズってたので、
無痛分娩オプションは10万円ほどかかるが、夫は無痛の方がいいんじゃない?という感じで、
病院を探す時点で無痛ありのところを条件に入れていた。
自然に陣痛は始まったものの予定日から1週間オーバー、胎児の体重3000gオーバーということで、
初産な上に小柄な自分にはかなりハードルが高そうでビビっていた。
産婦人科の助産師さん(女性)に相談すると、「子宮口もかなり開いているし、薬に頼らなくても産めるよ」と言われてかなり反対された。
どんどん大きくなってくる陣痛に不安と恐怖が大きくなってきて、悩んだ末無痛にすることを決断。
ドスン!と車にぶつかられたぐらいの衝撃。
そこからお産になるんだけど、麻酔のせいで確かに痛みは鈍くなってるものの、
いきんでくださいと言われても力が入らない。一生懸命いきんではみるんだけど、
いっこうに出てくる気配がないまま数時間が経過し、体力を消耗しきってしまった。
先生が直々に吸引分娩を行うも出て来ず、最終的には大柄な先生がお腹の上に乗っかり、
全力で押し出すという力技で命からがらひねり出した。
産めた時は幸せホルモンが大量に分泌されて多幸感に包まれたけど、
会陰も切開して大量に出血して、夫によると唇が真っ青で死相が出ていたそう。
これから無痛を選択する人にアドバイスするとしたら、しっかり食べて体力を蓄えておくこと。
いきみ方のイメージを(臨月になる前に)ある程度持っておいた方がいいかも。
麻酔してからいきなりいきんでくださいと言われてもどこに力を入れればいいのかのかわからない。
とにかくいきむという重要な行為に対して麻酔でハンデを背負うことになるので、
私みたいに筋力がない人は大変かもということは覚えておいてほしい。
あとは赤ちゃん自身が自力で出てこようとするかどうかという要素もあるので、安産になるかどうかは運次第かなあ。
会陰切開した後を縫い合わせた傷に触れるのが怖くて、産後半年はセックスもできなかった。
この出産経験がかなりトラウマになって二人目を産むのも怖かったんだけど、
数年後通常分娩を選択したら拍子抜けするほど安産だった。分娩台に乗って30分以内にスルッと出てきた感じ。
赤ちゃんの大きさが小さかったのもあると思うし、一人目の経験でいきみ方を体が覚えていたのかも。
もちろん痛いのは痛かったけどね。
どちらにせよ出産後の多幸感というのは、他ではちょっと味わえないな。
これに味を占めてそのまた数年後また産むことになるんだけど、長い妊婦生活と痛みや苦しみを
乗り越えて産んだあとはどんな方法であれ、とっても感動的。
変な話だけど本当に感動するってこういうことなんだな、って思う。
通常分娩での難産を経験してないので、自分の経験だけで無痛より通常の方がいいというつもりはないけれど、
無痛ならではのデメリットは、比較的安産だった時の痛みというデメリットを上回ることもあるので、
通常より無痛の方が無条件でおすすめということはないとだけは言っておきたい。
生まれてすぐは「はー陣痛がなくなってお腹がらくになってよかった。
こいつかよ半年も中から蹴ってたのは。産ませた旦那よせいぜい可愛がれよ」ってくらいの気持ちだったけど
自分の親がきて「かわいい!~しようとしてる!泣いてる!」っていろいろ指摘されたとたん
「あれ、これ人間の子供ってやつだわ!」って自覚がわいて、びっくりするほどかわいくなった。
「湿ったものが気持ち悪い」とか「甘いものがたぶん好き」とか「25度前後が好き」とか、
成人とほぼほぼおなじセンサーがついてるってのがわからないうちはかわいくないんだろうな。
3歳くらいまでは激かわいくてつい甘やかした。寝顔が天使。
その後もいるだけで誇らしい子だった。まあ戸惑いも大きかった。
成人後の今はスマホばっかりながめてるけどなんかしらんけどやっぱかわいい。
風呂入れとかの指示で素直にいうことをきくときとかは特に可愛いなって思う。
あとでかける前に小遣いやったらその一部で好きそうなお土産を家族全員に買ってきてくれるとこもかわいい。
あと部屋に来てくれっていわれて一緒にベッドに腹ばいになって動画みてたら肘があたった痛いぞとかなんかいちゃいちゃ?するときもかわいい。
そのあと恋人?から電話がきて通話するから部屋でてけっていわれる。かわいくない。
もっとしょっちゅう風呂にはいったらもっとかわいいのにとおもいつついってもきかないので放置している。
あと他所の子は普通だった。自分は下の兄弟と一緒にいた期間がながいので、走ってる子とか階段で遊んでる子に「おいおい危ないぞ」ってすぐ口に出して言う。(NPCみたいなもんだよな)
それ以外は放置だった。けど
やっぱり自分の子がうまれてからは赤ん坊でも2歳児でも仕草から「●●しようとしてる」がそこそこ読めるようになっててかわいい
(よく赤ちゃんておもしろい顔してるんだよね。しかめつら=うんちふんばってるとき、けげんそうな顔で凝視=うまれてすぐは目のピントが合いにくいのでがんばってみようとしているとき)
初めて妊娠した友達に出産の時1番必要だったものを聞かれた→結論「テニスボールと夫」
https://togetter.com/li/1945946
コメントに「無痛分娩と帝王切開がより一般的になればいい」みたいなことが書いてあるが、帝王切開が手術だと知らない人未だに多くないですか。帝王切開なんて名前のせいも大きいのではないか。
帝王切開の名前の由来は知っているが(Wikipediaにも載ってるし)、未だに「帝王切開」という一般名称がそのままなのが良くないのか。「切腹胎児摘出手術」とかいう名前にすりゃいいのだよ。無理か。
帝王切開は手術である。腹を切って子宮という内臓を切る。これは日本では医学的な理由がないとしない。「手術しないと母親か胎児あるいは両方死ぬか重篤な障害が残る」場合である。
(コロナ流行ってからはコロナに感染してしまった妊婦さんは感染を防ぐために帝王切開になったらしいが。)
「陣痛痛いから手術ね」はありえんし、そもそも腹切った方が痛いし一生傷痛むで。場合によっては傷口と腸とかが癒着してえらいことになるんじゃ。
自分の場合は予定帝王切開であった。手術の数日前に決まった。慌てて手元にあった「初めての出産」本の帝王切開の項を見たが、1ページくらいしかなかった。大した参考にならんではないか。ネットで検索し、当時一番役に立ったのが2chの帝王切開スレだった。経験談や入院の際の役に立つアイテムなど大変お世話になった。
いよいよ入院。前日昼から食事抜き(だった気がする)。夜から飲み物もなし。手術前のインフォームドコンセント。妊婦かつ骨盤内手術のためダブルの血栓リスク。血栓出来て詰まる場所によっては最悪死ぬ模様。
自分は部分麻酔で済んだので、手術前にまず腰椎に麻酔。これが激痛らしいのだが、自分は陣痛が始まってしまっていたため陣痛が痛すぎて注射の痛みを全く感じなかった。不幸中の幸いであった。
いよいよ腹切り。幸い麻酔が効いて痛くない。ちなみにネットで読んだ話だと、緊急帝王切開で一刻を争うために麻酔効く前に腹を切り始め絶叫手術になった人がいるそうな。予定で良かった。
しかし手術で麻酔かけたからって「痛くなくて楽したねー」なんて言う人いるかね?しかし帝王切開だけは言われるのだ。「帝王切開で楽してさ〜」と。なんでだよ。いてーよ。
大体手術始まって10分弱で赤ちゃん出てくる。早い。呼吸確保した赤ちゃんとご対面した後、赤ちゃんは保育室へ。一晩保育器で監視。赤ちゃん死にやすいから24時間は保温して要監視。
麻酔は術後すぐ切れて激痛が来る。子宮収縮剤を点滴される。文字通り、子宮を収縮させるためである。経膣分娩だと分娩中に子宮が収縮するわけだが、帝王切開だと収縮しないので薬で収縮を促すのだ。なので後陣痛と腹の傷のダブル激痛。痛み止めの注射を一回だけしてもらえるのだが、これは手術の傷にしか効かない。後陣痛には無力である。筋肉注射で痛いですよ〜と言われたけど腹の傷が痛すぎて注射の痛みはわからなかった。不幸中の幸い(2回目)。ちなみに痛み止めは大して効かなかった。痛いわ。
血栓とむくみ防止のために足にはバルーンマッサージ器を装着。空気で膨らませたり抜いたりして一晩中足をマッサージ。シュコー、シュー、と音がうるさくて傷でヨレヨレの体にしみる。
忘れてたが手術前に尿道カテーテル入れた。これも痛いらしいけど入れたの麻酔前か麻酔後か忘れた。痛かった記憶がないので。不幸中の幸い(3回目)。
発熱もして一晩ほぼ激痛で眠れず翌朝病室へ戻る。カテーテル抜くのも痛いらしいが、傷の痛みで(4回目)。病室へ戻れば夕方からは歩行訓練開始である。子宮の傷口が腸等と癒着するのを防ぐためだ。絶食からのー、歩行〜。背筋伸ばして歩いたほうが痛くないよ!と助産師さんに励まされる。痛い。
手術で胎盤は大半取ってしまうものの、後産はあるので出血が続く。子宮内ののこりもんを排出するために助産師さんが腹をぎゅうぎゅう押してくれる。手術の傷の上から。フゴォ…と唸るしかない。
入院したのが大部屋だったのでトイレが遠い。トイレ行くの大変でしょう、と看護師さんが部屋に便器持ってきてくださったが、さすがに大部屋で他の人もいるのにするのは…とトイレまで唸りながら歩いた。
このあと数日は後産のために傷口ぎゅうぎゅう押しが続く。痛いよ。
11日目に退院した頃には痛みはかなりましにはなっていたが、しばらくは傷の痛みがフレッシュであった。
その後もうひとり出産し帝王切開歴は2回になった。ちなみに一度帝王切開をするとその後の出産は普通は帝王切開になる。何故かというと、一度子宮を切ると切った部分が薄くなり、次の出産時に陣痛が来ると子宮が破裂する確率が高くなるからである。子宮が破裂すると大体30分以内に腹を切り胎児を取り出し出血を止めないと母子ともに死にます。帝王切開後の経膣出産をVBACと言い、やる人もいるけれど日本でも子宮破裂で病院が訴えられたことがあり、手掛ける病院は減っている模様。産科も減ったしな。
VBACの歴史については各自検索で。元はアメリカで入院期間減らして医療費を安く上げるために30年くらい前に流行ったらしい。
日本だと「自然な出産」へのこだわりやら「帝王切開は楽してる、甘え」みたいな考えのせいも少なくはない気もしなくもないけど。
話がそれたが、最後に腹を切ってから10年以上経ったが、未だに痛む。寒いと腹の傷は痛む。元から月経痛が酷かったが、月経のたびに刺すような痛みも加わった。痛みのアンサンブル。
あと便や尿が溜まると子宮あたりに激痛が走るの、癒着してるんですかね?しらんけど。
こんな感じで、帝王切開は楽じゃない。手術だよ。自分の場合は比較的術後の回復が良かったので、もっと大変な人も沢山いると思う。帝王切開した人に「楽できてよかったじゃーん」と言う人にはなんかちょっとした呪いをかけたい。うどん食べると鼻から出るとかな。結構痛いよねあれ
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
もうすぐ、日本では最大級のゲームのRTA(リアルタイムアタック)イベント「RTA in Japan Summer 2022」が開催されます。今年も楽しみです。
でも今年はリアルタイムでの視聴は叶わないかも。時を同じくして、出産RTAを走る予定だからです。
現在37週、出走予定は8月21日。でも胎児の気分次第で前後します。
出産RTAは、まず走るに至るまでが大変で、多くても一生に数回しか走ることができません。走者の身体的・精神的負担、そして運要素がめちゃくちゃ大きいです。
初産はいわゆる初見RTAです。経産カテゴリに比べてタイムが出にくいようです。人によっては陣痛開始のタイマースタートから丸一日経過することも。その間病院から出されたご飯を食べつつ痛みに耐えてお産が進むのを待つとか…なんだか想像できません。。
産科の栄養士さんには、出てきた食事はしっかり食べてください、出ないと持たないです!と言われました。でも先駆者の皆さんのコメントを見ると「そんな余裕なかった」とも…
自然に陣痛が来るのを待ってタイマースタートとするカテゴリです。
ここまでの経過は特に問題なく、planned(計画出産)カテゴリではなくこちらで走ることになりそうです。
経過によっては予定帝王切開となり、RTAの出走自体を断念しなくてはいけないこともあるので、ここまでの幸運に感謝です。もちろんタイマースタートまでも、その後も最後まで何があるのかわからないのが出産RTAの怖いところですが。
欧米ではメジャーですが、日本ではまだまだ走者が少ないカテゴリです。個人的にはもっと走者が増えてほしいなと思っています。
無痛と言っても、途中までのチャートはnatural(自然分娩)カテゴリと同じです。ある程度までは痛みに耐える必要があります。
タイマースタートから急にお産が進んでしまった場合は、急遽最後までnaturalカテゴリに変更して走る可能性もあります。