はてなキーワード: 陣痛とは
乳首の表面に傷ができて流血している。
我が子は口が小さいらしく、どの体勢で飲ませても傷を吸うので激痛で泣きそうになる。
乳頭保護器も役にたたない。
幸い血液入り母乳は嫌がらず飲んでくれるけど、吐き戻した母乳がほぼ鮮血でビビる。
だからといって吸わせないとおっぱいがパンパンに張って痛さで寝返りすらうてなくなる。
搾乳や自己マッサージは100%乳腺炎になり、母乳外来でマッサージを受けるまで
熱と全身の痛みでまるで老人のようにノロノロとしか動けなくなる。ので諦めた。
ありがたいのかなんなのか、飲ませていれば乳腺炎にはならないので、薬を使うまでには至らない。
夜泣きやグズりは誰かに助けを求める事ができるけど、こればかりはどうにもならない。
陣痛よりはまだましと痛みに息を止めながら飲ませている。
パラリンピックの出場選手が有する各種の障碍は、医療ミスが原因である者が少なくない。
例えばボッチャ。脳性まひを有する障碍者の競技だが、脳性麻痺は胎児期~乳児期の医療ミスで起こるケースが大半だ。特に陣痛促進剤の使用ミスによるものが30%を超えるというデータもある。
他にも難病の診断や処方を間違えて症状が悪化して体が動かなくなったとか、そういうケースが多い。
パラリンピック日本勢の活躍を通じて、出場選手個人に注目が集まり、「なぜその障碍になったのか」をマスコミから深く掘り下げられてしまうのを医療側、特に日本医師会は恐れている。
自分達のミスが晒されてしまい、強い批判にさらされてしまうのが嫌なのだ。
ただでさえコロナ患者の受け入れ拒否で維新とかから責め立てられている中、更なる炎上要素の追加は何としても避けたい。
だからパラリンピックに強く反対していたのだ。その分の医療リソースは別途確保されているのに関わらず「何かあったら対応できない」などの無茶苦茶な理論を使って。
その思いむなしくパラリンピックは開催され、一番活躍されたくなかったボッチャ選手団が奮闘しているという皮肉な結果が出ている。
人生で最も痛かったのは内視鏡のはずが腹かっさばいた婦人科手術の麻酔が切れ(というかわざわざ切って)手術台から下ろされる瞬間と、
小腸閉塞になりかけてすんごい下痢したあげく緑色の液体を口から吐いて入院した瞬間
どっちも優勝
出産なんてたいしたことない、陣痛というけど痛みどうこうというよりどうしてもいきみた~くなるだけ
いきみを我慢するのは葬式でくしゃみをがまんするようなものなのでこれいじょう我慢するのは無理やんけ!とはなる
ちなみに生理痛もひどく痛い時期があったけどもう婦人科手術が痛かった甲斐があって今はらく
結石と痛風はなったことないけどじじばばの同窓会ならそろそろ1hanageを確立できるんじゃないかなぁ
は~~~~もう一人くらいうんでもよかったのにできんかったな~
この増田を書いたものです。トラバ・ブコメの叱咤激励、ありがとうございました。
その後どうなったかのご報告ができておりませんでした。
・21wで早期破水、陣痛促進剤による分娩の末、死産となりました。
待望の第一子であり、計り知れない悲しみでした。
葬儀を終えて数日後、妻が「私が殺した」と半狂乱になって暴れだしました。そのまま自傷行為に走ろうとしたので私も必死で抑え込みました。
妻の持つ包丁が私の指を掠めて出血したのを見て、ようやく妻は落ち着きを取り戻しました。
お互いボロボロの状態の最中、妻から2つのカミングアウトがありました。
①結婚する前から摂食障害を患っており、今日まで毎日毎食後、胃の中の物を全てトイレに吐いていた。
①については付き合う前の10代からずっと続いており、50kgという数字をキープしていないと耐えられない、との事でした。
空腹感を感じるたびに食事・間食を取り、即座にトイレで吐いていたそうです。
私は一度も嘔吐する音なんて聞いたことがない、と言ったら、隠していたシリコンチューブを見せられました。
これを胃袋まで飲み込み、腹に力を入れるだけで内容物が綺麗に吐き出せるそうです。
ずっと体重が増えない事には気づいていました。お腹が大きくなるにつれ体重はある程度増加するものという知識はあったので大丈夫なのか?と心配でしたが
妻から、産婦人科の先生には「お腹の赤ちゃんが栄養取ってるだけで問題ない」と言われたと聞かされており、それ以上の追求はできませんでした。
シリコンチューブを見せられた時はものすごくショックで、なぜ今まで話してくれなかった?と聞くと「こんな異常な行動が理解される訳がないし、軽蔑されると思った。ただでさえ摂食障害がコンプレックスなのに、これ以上傷つきたくなかった」との事でした。
②在宅勤務がメインですが、コロナ禍の最中であっても弊社は時折一泊二日の出張があり
その時間はLINE等で妻と連絡を取り合うこともできず、ずっと家で独りでした。
あまりにも長過ぎる時間が苦痛で、その時に喫煙の欲求がフッと湧き出てきて、耐えきれず一本だけ吸ってしまった。それから私が家にいない時は隠れて吸い続けていたそうです。
タバコの香りの気配は感じる事があったのですが、妻から「上階の人がまた窓開けてタバコ吸ったみたい」という説明を聞かされていたので、まさか妻自身が吸っていたものとは思いもよりませんでした。
喫煙のリスクはわかっていたのか?と問い詰めたところ、全て調べた上で覚悟して吸っていた。独りになった時、どうしても我慢ができなかった。精神衛生上良くないと医者が判断する場合は少量なら許される場合があると知った。という返答でした。
聞かされた直後、まず、摂食障害について話してくれなかった事がショックでした。二人で望んでいた妊娠でしたが、妻がそんな状態なら妊娠は考えなかったはずです。
次に、裏切られた、という気持ちになりました。
妊娠発覚後からは炊事掃除洗濯は全て自分がやっており、まぁ単に私が家事好きで同棲期間中から独りでずっとやっていた延長なので威張る気持ちは特に無いのですが、それでも栄養バランス等考えながら毎日料理していたので、全て無駄だったんだなと思うと非常に悲しかったです。
お腹の赤ちゃんを大切に想いながらこのような行動が続いてしまっている時点で、これは当人の努力でどうにかなる問題では無いのだ、と判断しました(喫煙中はいつも「ごめんね」と泣きながらお腹を撫でていたそうです)。
子を失った悲しみと突然のカミングアウトによるショックでどうにかなりそうでしたが
おそらく今日まで一番苦しんでいたのは自分より妻のほうだ、と強く実感しました。
妻は「こんな自分はもう嫌だ。治したい。なんとかしたい」とも口にしました。
私は、自分の意志で欲求をコントロールできない時点で、専門家による治療が必要なレベルだと安直に判断しました。
禁煙外来と摂食障害について相談できるところを探そう。私も一緒に探す、治療に協力する、と伝えました。
すると妻は狼狽えて「私のせいで死産になったっていうのを病院の先生に伝えろというのか?そんなことしたら絶対に怒られる。耐えられない」「私は自分の力で頑張って克服したい。なのにそれを支えようとせず、第三者の前でお前は私に恥をかかせようっていうのか?」と言いました。
ここで、私の心はポッキリ折れました。
生まれてくる赤ちゃんのため、父親になる覚悟をもっと強く持て、と言われ続けてきました。
子供が真似しそうな私の悪癖はすべて直せと言われ、努力してきました。
「子供のために」とずっと言ってきた妻が、その子供は妻自身の行動で取り返しのつかない事になり、更にその事よりも「人前で恥をかきたくない」という自身のプライドが優先される。妻はそんな人物だったのだと、この時気づきました。
もう僕にはこの人を愛する事も支える事もできないし、その動機もなくなりました。
離婚については散々妻と揉めて、ひとまず双方の合意に至ったので
(妻に管理させていた100万の貯金が過食嘔吐のための食費でスッカラカンになっていましたがもうどうでもいいです)
離婚してからは、自分自身の時間をゆっくり過ごしたいと思います。
折角多くのアドバイスをいただいたのに、こんな結末となってしまった事が心残りです。
本当にすみません。
で、出産のときってスムーズにことが運ぶよう、会陰をパチンと切開するわけだ(切開しなくても産める人もいるらしい、たぶん経産婦?)。
切開しないと赤ちゃんが通ったとき裂けてしまう可能性が高い。裂けた傷よりは綺麗に切った傷の方が縫合しやすいので、予め切っておくという寸法だ。
で、私はというと、切開してもらったのにその上で裂けた。
私は体つきが華奢なんだけど、それに比べて赤ちゃんがビッグサイズだったらしい(3500gで平均より上)。
哀れ私の可愛いアソコはズタズタになった。
分娩後すぐ縫われたけれど、陣痛出産の痛みを乗り越えたら大抵の痛みは大丈夫なんていうけれど、会陰縫合もフレッシュに痛かった。
1ヶ月経つ頃には一応クッション無しでも座れるようになったけれど、それでも痛い。
不潔になりやすいところだし湿っているしで、傷の治りはどうしても遅かった。
私にできることといえば患部を清潔に保つことだけ…
毎日風呂で洗いながら傷をチェックし続けて8ヶ月、ついに可愛いアソコは過去と寸分違わぬ健康を取り戻した。
長い8ヶ月間だった、痔にはなったことがないのでイメージで話すけれど性器が痔になったような痛痒さがずっとあった。苦しい道のりだった。
完治の嬉しさを記念に記す。
我、パイプカット体験を増田の集合知に寄付せんと欲する者である。容易く調べられることは記さない。自分32妻38子1人有り、断種については合意を得ている。
なぜパイプカットをしたのですか?と聞かれれば、(自分の)快感のために(妻に)生中出ししたかったから、というのがすべてである。これについては理屈抜きで生が一番としかいいようがない。そして生でやりたい男が、別にナマでやらなくてもいいという女性と性行為を行うにあたって、どう避妊すべきかという道理を自分の尺度で考えると、こちら側の欲望につき、避妊用の一切の負担もこちらが請け負うべきであると言い切ってよい。(てめえの性欲のために奥さんにピルを飲ませるんじゃねーよ、と俺の中の真の男が囁く)
もともと、数年前にどこかでパイプカットおじさんのブログを見つけて、その選択肢を知って以後、心のどこかでは、やりたい、やらなければならない、と考えるようになっていたのだと思う。そして、第二子を作るか作らないか、という不安定な状況が、作らないという結論に収まったため、自分の生殖能力は完全に不要なものになり、手術を受ける準備は整った。だが、実を言えば、そこから1年ほどは何もしなかった。なにしろ不要不急の手術である。ことが動いたのはある夜、イった後のベッドにて、パイプカットを受けようかな、と冗談めかして、妻に言ったことだった。パイプカットが何であるかを知らぬ妻に一から説明を施すことになった。妻は、好きにすれば良いと言った。そして、それを友人にも伝えてみた。人は、声に出して他人に伝えると、その言葉に自らが駆られることがある。言い出した手前、やらない理由がないことを、ただ億劫で滞っていた状態から、先に進めることができた。不要不急であるがゆえに踏み出せない人は、存外、周りの人に伝えてみるのがいいと思う。それは否定されるかもしれないし、肯定されるかもしれない。(まだそんなことで消耗してるの?と処置済みの傷跡を見せられるかもしれない)いずれにしろ、いずれかの道を選べる。我々はいつか死ぬ。結果ではない。主体性を持ち、やる、やらぬを自己決定することが重要なのだ。でなければ死の間際に後悔という手痛い代償を払うことになる。(その前に勃たなくなるかw)
受けた手術は2か所切開法。電気メス?的なもので精管焼き付けて日帰りの手術だった。手術費用、時間や日程などは、だいたい調べた通りだった。最初、病院の受付にて、物腰のよい女性事務員にパイプカットを受けたいのですが、と言うのが一番高いハードルかもしれない。逆に言えば、そこまで行けば、あとはアンケート票を渡されて、成り行きに流されるのみだった。手術は緊張したし、術中、右の精管を引っ張られるときに玉をぎゅぅぅぅ、と握られたような痛みが3秒ほどあった。これは想像していたよりも痛かったが、子供を産むときの妻が陣痛で苦しんでいた姿を思い浮かべたら、あれはこんなものじゃないぞ、と自分を鼓舞できた。あるいは、つわりで入院して食道が裂けて吐血した妻の妊娠時に比べてみろ。つわりは終わらず、毎日下剤を飲み、床に伏せて苦しんでいた姿を思い浮かべろ。たいした痛みではない。覚悟が決まった。同様の痛みが精管を焼くときに一瞬走ったので少し驚いたが、そのときにはもう、たいした痛みではなかった。そして、左の精管のときは痛みがなかった。これは私見だが精管の長さが関係しているのかもしれない。玉が緩んでぶらぶらのときにも左のほうが長い形をしているのだ。あるいは、局所麻酔の効きが少し違ったのかもしれない。いずれにしろ、今後も痛みに耐えるときには妻の力を借りることになるだろう。
術後、当日は安静にしていたせいか、手術部位に痛みは感じなかった。当然ながら、射精は行っていない。
その翌日、軽く自転車をこいで、ダンベルベントオーバーロウを行ったが、痛みはなかった。シャワーを浴びたが、絆創膏は貼っている。まだ射精は行っていない。
娘を死産してちょうど1年が経った。
お互いに3人兄弟の末っ子で、子どもは最低でも2人欲しいね、なんて話をしていた。
でも子供は何年経ってもできず、不妊治療を始めることになった。
今は夫婦の3組に1組は何らか不妊治療をしているらしい。まったく珍しくもなんともないことだ。
不妊の原因はわからず、結局1年間かけても成果が出なかったので、高度不妊治療に移ることになった。
そして、本当に本当に運よく、1回目の体外受精で妻は妊娠した。費用は合わせて100万円くらいで済んだと思う。
不妊治療はゴールが見えない。何百万円もかけて、結果が出るかどうかもわからない。
多くの場合、不妊の原因すらわからない。あらゆる面で、つらく厳しい治療になる。
夫である僕も何度か同行したが、不妊治療のクリニックの雰囲気は形容しがたいものがある。
あれは本当に強靭なメンタルが必要だ。もしこれを読んでくださっている方で、奥さんが不妊治療をしている人がいたら、ぜひ1度でいいから一緒に行って隣に座っていてあげていてほしい。それだけでいい。
僕たち夫婦は、家族、ごく親しい友人数人に妊娠の事実を伝え、ひっそりと妊娠生活を開始した。
幸い妻にはつわりがなく、安定期に入った。安定期に入っても周りにはほとんど言わなかった。
あの不妊治療のクリニックの雰囲気を見てしまうと、簡単な気持ちで周りには公表できなかった。
少し奮発して、4D超音波エコーというのを撮影した。おなかの中の子どもは、一人の完全な人間の形をしていて感動したことを覚えている。
妊娠して5か月目に入り、妻が倒れた。
急に夜中に激しい頭痛で動けなくなり、タクシーで妻のかかりつけの総合病院の救急外来に向かった。
診察の結果、血圧がかなり高いとのことで、入院して様子を見ることになった。
病院の先生からは、夫婦同席の元、最悪のケースを想定した病状の説明がされた。
なんで医者はこんなに不安をあおるような言い方するのかな、なんて夫婦で話をしていた。
でも、入院して2週間経っても、妻の病状はよくならなかった。
医者から、妻の病状を専門で診られる他の病院のセカンドオピニオンを受けてほしいといわれた。
妻は、小さい頃からお世話になっているこの病院で産みたい、ほかの病院に移るのは嫌だと言った。
僕は、専門の先生に一度診てもらうだけだから、と妻を説得して、紹介された病院に向かった。
病院の診察室に入ると、大部屋に10人くらいの医者が待ち構えていた。
この瞬間、あぁ、妻の病状はかなり悪いんだ、と気付いた。
一番歳がいったベテランの医者から、妻の今の病状について説明があった。正直内容はほとんど頭に入ってこなかった。
唯一覚えているのは、赤ちゃんの命よりも、母体の命を優先する、という言葉だった。
診療が終わり、なんで医者はこんなに不安をあおるような言い方するのかな、と妻は話していた。
もしかしたら、ダメかもしれない、なんて僕の口からは口が裂けても言えなかった。
別の日に、改めて治療の方針について医者から話があった。また部屋には10人くらい医者がいた。
1日でも長く、赤ちゃんをお腹の中で成長させるために、できる限りの治療をする。
妻は泣いていた。
それから妻は、弱音一つ吐かずに、毎日注射をし、薬を飲み、手術までした。
会社の健康診断の血液検査で倒れる僕からしたら、本当に尊敬しかない。
かなり強い治療を続けたが、妻の病状は良くならなかった。
二週間後、主治医から、夫婦同席の元で今後の治療について説明したい、と言われた。
ついに来てしまったと思った。
妻には、一度外で待っていてほしいと伝え、僕が先に個室に入った。
妻が横にいると、僕自身が耐えられないと思った。
最初に治療の方針を説明してくれたベテランの医者は目をつむって部屋の端で静かに座っていた。
その隣で、他の医者から今の妻の病状について説明された。医者も少し涙目になっていた。
もう妊娠を続けることはできない、一日でも早く子供を出さないと妻の命が危ない。
僕はわかりました、と言って、妻を呼びにいった。
席に座った妻に対して、医者が話し始める前に「やっぱり、赤ちゃんダメだって」と声を振り絞って、妻に言った。
これからの人生、こんなに悲しいことはもうないんじゃないか、と思った。
でも、妻がもしいなくなったら、もっと悲しい、それだけは確かだった。
妻に隠れて自分も泣いた。
正直、ここから先の記憶はかなり曖昧だ。記憶を消そうとしている自分に抗って、今思い出しながら書いている。
妊娠中断の合意書へのサイン、両親への連絡、会社への連絡、そして休むことなく出産の準備に入った。
この時期になると流産はできず、陣痛を誘発して普通に出産することになる。
違うのは、赤ちゃんは外に出ても自分の力で息を吸うことができない、ということだけだ。
数日後、予定通り娘を出産した。
夫婦と娘、3人で写真を撮り、短い時間だが3人で一緒の時間を過ごした。
息つく暇もなく、葬儀業者に連絡をし、両親を呼び、あっという間に葬儀が終了した。
妻の体調は、入院時の体調が嘘のようにみるみる回復し、1週間で退院できることになった。
妻は、命をかけて娘を産んでくれた。
死なんてものは世の中にありふれている。夫婦にとって特別な死も他人には関係ない話だ。
こんな話、誰かに知ってほしいとも思わない。
でも、妊娠には、あの時こうしておけば、何かしてあげられたのでは、なんてないことだけは伝えたいんだ。
誰も悪くないし、どうか自分を責めないでほしい。
こんな自分勝手なエントリを最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。
投稿主です。色々あり勢いに任せて書いてしまった。ブコメ、トラバ等々ありがたい。
で、元投稿はイクメンポエムへの苛立ちが主になっているが、反応を見て、伝えたかったのはこれではないなと思い直した。俺は弱音を公然と吐きだしたいのだ。いや、そんな重たい感じじゃない。軽口叩く感じで愚痴りたいだけだ。疲れたと言いたい。手抜きしたと言いたい。言うだけでいい。けれど言えば多方面から、何よりも妻から責めらるかも知れないと思うと怖いのだ。私のほうが大変だと言われたらグウの音もでない。足りない、もっと頑張れと言われたらなんかもう家出してしまいそうだ。もちろんそんなこと妻は言わない。だろう。が、イクメンのキラキラした投稿やそれに紐づく賞賛の声を見て、俺が勝手に「頼れる男親像」を演じ、勝手に苦しんでいるのだ。別に俺、マッチョなキャラでもないのに。ほんとそんな投稿見るもんじゃない。
それでまあ、ぐにょぐにょとした感情変換を経て、キラキラした投稿に反発するテイになった。すまなかった。と思って改めて確認してみたけどやっぱムリだ。特に「大変なママを労わろう」的なやつ。母親のサポートしてれば育児がうまく回るのか?まじか。
まあでも、他人がどうかは知らないが、俺にとっての育児は、特に初期は無力感と妻へのコンプレックスまみれだったので、ああいった投稿も分からんではない。陣痛に耐える妻の横で間抜けな顔して突っ立って、気休めにもならない励ましの声をかけ、助産師さんには屈託ない笑顔で「お父さんも産めれば良かったのにね」と言われ。ミルクを作って冷ます間に息子のギャン泣きはヒートアップし、おっぱいで宥める妻から屈託ない笑顔で「あなたにもおっぱいあればいいのにね」と言われ。悪意がないことは分かっているが、出産も授乳もできない俺は実に役立たずだなと思いつつちゃんとやっている風を装い続けていた。
だからこの滑稽さを、もっとラフに共有できたらいいなと思っている。今はどうなんだろうな。おっぱいには敵わんなあって言ったら、「男性にもできることはいっぱいあるから」とか言われんのかな。言われないかな。
※色々意見があって面白かったが本当になあ、と思ったのは「もっと酷い状況にある女性は圧倒的に多く、お前はそれよりずっと楽」ってやつ。本当になあ。俺が育児でグチグチできるよう、そういう家庭が支援される世の中を目指したいわ。
子を産んだ翌日の夜。トイレから帰ってきて取っておいたミカンを食べ、もう寝るつもりで個室の電気を消した。豆電球、と今は言わないのだろうか、小さなオレンジの灯りだけでもなんとなく目が冴えてしまって、アイマスクを着けた。真っ暗。これがよくなかった。出産のことと、同じフロアの新生児室にいる息子のことを思ったが最後、しゃくりあげながら泣いてしまった。アイマスクの中が涙でぐちょぐちょになった。
分娩台には十一時間いた。子宮口は開いているが赤ちゃんが出口に降りてこない、もう少し粘って産まれないようなら緊急帝王切開になると言われてから、子が出てくるまでの二時間は永遠に感じられた。そりゃあもう孤独だった。先生は最善を尽くしてくれたし、当直の助産師さんは優しかったけれど、あの苦しみは誰にも共有できない私だけのものだった。痛みに耐えるとき、私は目を瞑った。これは嫌な夢だと思うことにした。夢ならいつか終わるから。不思議なもので、数十秒ごとに来る激しい陣痛の波の中、本当にまどろんでいた気さえする。
はじめはその孤独を思って、少女みたいに泣いた。次にはこの体験と引き換えに得たものを思って、自分のこれからに泣いた。
これが産後ハイと呼ばれるものだと、後から知った。ただ、その四文字で終わらせるのにはあまりにも悲しいから、文章に残しておく。
先程、第一子を出産してきた。自然分娩で誘発剤を使用してだった。体は思っていた以上にガクガクしており、胃が気持ち悪いのに寝付けない。そのためこの時間に書いている。
分娩施設を決定する際、自然分娩を選択したら周りの先輩ママさんから沢山「痛いよ!」とご忠告を受けた。鼻からスイカだのドラム缶だのとの例えをよく耳にしては、娩出時がさぞかし痛いんだろうと想像していた。産休に入ってからは、イメージトレーニングも兼ねてTwitterの出産レポートを読み漁っていた。じわじわと陣痛が増強し、耐えられなくなっていくお母さんたちの描写を読んで覚悟を決めなくちゃなあ、と思う傍ら、目についたのが「いきみたいのに子宮口全開になるまでいきめないのが辛い」と言うレポートだった。いきみたいとはなんぞや、猛烈にうんこを踏ん張りたいけど踏ん張れないようなものか、と想像し、最大限に尻の穴を閉めればなんとかなるのでは、と思っていた。出産までは。
予定日超過しても陣痛が来ないことによる誘発分娩だったので、入院してからバルーン挿入やら促進剤の点滴を開始ししばらくするまでは余裕があった。重たい生理痛程度の痛みであれば、助産師さんと笑顔で話をしたり携帯を少しいじる程度には。しかし、尻のあたりに異変が起きてから余裕なんて急に吹き飛んだ。
はじめは「あれ、陣痛に合わせて屁が出そう」という感覚だった。陣痛が消失すると共にそいつも消えるので、「屁に見せかけたいきみたさってやつかな、そいつには引っ掛からねえよ」と内心笑っていた。
しかし徐々に子どもが子宮口に近づくにつれて、まず陣痛の痛みが尋常じゃないくらいに増した。それまでは深呼吸を4-5回すれば波は引いて行ったのに、深呼吸しているうちに痛みの波がピークに登っていく。そして、そこに突如尻が爆発しそうな衝撃が襲ってきた。屁なんて可愛いもんじゃない。うんこだかなんだかもうわからない。全部ぶちまけてしまえと言われてるような衝撃だった。もちろん尻の穴をリラックスさせたり閉じたりして、深呼吸にて乗り切ろうとする。3回、4回となんとかその波を乗り切った。しかし陣痛はより強まり、尻の穴から何かを出そうとする感覚を抑えようとするうちに体中に力が入る。尻だけではなく体幹や太もももビクビク動き、その時だけは陸に揚げられた魚のような気分になった。
助産師さんからは「子宮口が全開になるまでは、いきみたい感覚が来てもいきまず頑張りましょうね。それまでにいきむとお股がズタズタに裂けちゃうから」と説明を受けた。尻が爆発しそうになった際の子宮口は9cm。あとわずかに子宮口が開くまでの時間が果てしなく長く感じた。
かつて何回かうんこを漏らしそうになったことはある。その時も脂汗が止まらず死ぬかと思ったが、出産時のいきみたさはそれとは違った。痛い、苦しい、出したい、耐えられない、もう何もかも漏らしていい、でもいきんではいけない。そんな感覚が1分おきに襲ってくること約30分。頭がおかしくなるかと思った。波が来る都度呼吸に集中し、尻の穴あたりの力を抜くことに全力を尽くした。助産師さんに謝りつつ、何度も尻やら股周りを押したりさすったりしてもらった。助産師さんがいなければ、尻の圧力に負けて何度いきんでいただろうかと思うと頭が上がらない。
その後子宮口全開のため、分娩姿勢に入った。楽になったかと思いきや、尻が爆発しそうなタイミングと自分が踏ん張るタイミングがちょっとずれたりしてもどかしいのだ。しかも陣痛と、今まで体に力が入っていた分の疲れが相まって娩出のために頑張りきれず、半ば朦朧としていた。最早頑張ろうなどと自分を奮い立たせることもできず、助産師さんの声かけに従うだけの状態になりながら踏ん張っていたら、子どもが産まれてくれた。
子どもは可愛い。ものすごく可愛い。だが陣痛の痛みと尻の圧力に解放されたこともどうしようもなく嬉しい。それほど初めてのお産はしんどかった。
次に子どもを授かることができれば、できれば無痛分娩がいいと今は考えている。「無痛分娩は楽をしている、出産は痛みを乗り越えてこそだ」と言う意見があるのも知っているし、無痛分娩のリスクも知っている。しかし、もう一度あの猛烈な痛みと爆発しそうな尻の圧力を体験しろと言われたら、私は無痛分娩を選択したい。
今、産後ハイの状況だと自覚している。読みづらい文章を長々書いて申し訳ない。
最後に、サンシャイン池崎氏の呼吸法は本当に役立ちました。朦朧とした頭の中にサンシャイン池崎氏が全力で呼吸している姿が目に浮かんで頑張れました。この場をお借りして感謝の気持ちを伝えられたらと思います。
何が楽しくて1週間股から血をだばだば出さねばならんのか、と言ったところ。
しかもまだ授乳もあるので、今の私の体は上からも下からも血液を出してることになる。
生理があることは妊娠できるであろうといういい事だし、健康のバロメーターのひとつでもあることは承知している。
けど、不快。
ふと、男に肉体的に辛いことはないのか?と思った。
例えば勃起すると痛いとか、射精すると「射精痛」がある人がいるとか、月1で1週間ほど精液か尿辺りが垂れ流しになるとか。
もちろんそんな事は今までの人生で聞いたことがないが、男女別に呼ばれる保健体育で伝えられて秘密にされたりしてないか。
月1で痛みと共に血を流して、妊娠で悪阻や陣痛の痛みを感じ、出産の出血もあるのに更に授乳で血を持っていかれる女と、出すだけで肉体的な負担はほぼ無い男。
あんまりずるいとか言いたくないけど、ずるいなぁと思ってしまった。
(追記)
やっぱり基本的に肉体的に痛みや大変なことはないんだなって思った。
強いて言うなら暴力の欲望が強い人は抑えるの大変だってところかな。(ホルモンが多いと考えるべきなのか)
もちろん他にもフィジカル的に大変なのはあると思うけど、それは女もあるよ。
母乳がどうのとか保育園可哀想だとかいろいろ言われたりもするし。
男も母乳的なの出るとか、月1で金玉が張りまくって歩くと痛いとか、繁殖に伴う苦痛がないよねいいよねって話でした。
ちなみにピルは前まで飲んでて助かってたけど、まだ授乳が必要な子がいるから今は難しい。
終わったら再開してみようかな。
言ってるのは別にいい。ほとんどの人は痛みに苦しんでいるのは間違いないだろう。千差万別のようだが。
だけど、痛みを感じないのはビビりだから脳が何か出してるとか、どこで聞いたのか書いてわざわざ嘲ってくる人はそうとう嫌な奴だよね…(ビビりだから脳が解決しようとするとか、興味深いがそんなに上手くいくものだろうか。面白いけど。調べる。)
しかも怒りの対象の自分にだけ嘲りをぶつけるのではなくて、引き合いに知り合いを出してきて知り合いごと嘲ってるのが気持ち悪い。
その知り合いが相当に嫌いで全く関係ない場所で馬鹿にするのを我慢できないか関係ない場所だからこそ突然ぶっこんできてるのか。
求められてない自分語りを最悪のタイミングと、そういう空気の読め無さが絶対悪みたいな場所でやってしまい怒りに触れた。良くなかった。
あと、自分自身悔いている私が良くなかったことは、その場所に集まった人たちには特に品性の無い卑しい事だと嫌われるだろう事を書いてしまった事。それへ意趣返しのようなことが(気のせいの可能性もある)時間差で書かれていて、直接非難されるよりも、その人には論外なことだったんだなとわかった。良くなかった。
陣痛がなかったこと、リアルでは特に人に言わない方がよさそうだな。
陣痛が無かったからって、妊娠中何もなかった訳じゃないし、みなそれぞれ違うだけだけど、憎悪を掻き立てるきっかけに飢えてるような人のおもちゃになる。