はてなキーワード: 速達とは
8日
出来たかも?
喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい
検査薬 陽性
んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかないかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜
でもほんおいまらら
と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない
22日
初診
下の子を出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ
ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後の生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度
来週また診てみましょうとのこと
夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……
体がしんどいと思考がネガティブになったり普段は何てことない子どもの声にいちいちイライラしてしまう
つらい
翌月8?9?日
胎芽やっぱり確認出来ず
そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかわからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)
なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子どもの相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。
まぁまだ確定ではないんだけど
子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情
誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体に問題がっていうより精子とか卵子とかに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さない旦那がしょんぼりしてたのはちょっと切なくなった
改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた
診察だけでも数千円かかるから……
なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………
8日
9:00
昨夜22時〜絶飲食
お腹すいた
「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち
処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望
終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす
10:00
点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。
その後処置室へ
10:25
処置室へ
寒い。
処置どうこうより「全身麻酔で意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた
10:40
処置開始
全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は
「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」
知らぬ間に数十分過ぎてた
運ばれてるんだろうなー
「捕まっててくださいね」
ベッドに移動したんだろうなー
などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)
薬を嗅がされて…みたいなドラマやアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる
気付いたら個室ベッドの上だった
血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)
そしてまた眠る
11:15
初めて目を開けながら喋れたのがこの時
「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」
たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた
たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず
とにかくいろんな夢を見てた
12:47
起きる
13時過ぎ
しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー
痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む
食後診察
お腹すいた
こちらで用意するものは診断書(保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…
帰宅後の様子
1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)
でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝
翌日
再診
出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可が下りる
貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー
翌々日
寝て過ごす
昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む
翌々々日
あれー身体かるーーい!と思って朝から家事をバタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ
しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった
しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…
◎インターネット出願の流れ!
STEP1
画面の表示に従って出願に必要な情報を入力し、その内容をご確認ください。
:::::::分かる。
STEP2
入学検定料を納入する!
クレジットカード、コンビニ、金融機関ATM【Pay-easy】、ネットバンキングのいずれかを選択できます。
:::::::分かる。
STEP3
出願書類を郵送する!
出願書類を市販の長形3号もしくは角形2号封筒に入れて、登録完了画面に表示される期日までに下記の送付先に簡易書留速達で郵送してください。
送付先
〒●●●-●●●●
日本郵便 ●●郵便局留●●大学アドミッションセンター インターネット出願係宛
:::::::なぜなのか……。
東北新幹線が最高時速320キロ運転の新型車両が大部分を占めているのに対して、上越新幹線は最高時速240キロのまま放置されている。
しかも上越新幹線に投入されるのは、東北新幹線から転出したお古車両ばかり。
東北新幹線は北海道新幹線と一体化して運行している最重要路線なので、まあ東北よりも軽く扱われるのは受け入れられる。
だが、ようやく上越新幹線にも新型車両が投入されたかと思ったら、後述するように水没した北陸新幹線のために横取りされた。
上越新幹線の沿線には田中角栄という大物政治家がいたことは事実であり、確かに上越新幹線の建設経緯にそのような話があったことは事実であろう。
東北新幹線や北陸新幹線の沿線にも首相経験者(森喜朗や鈴木善幸)がいるのに、上越新幹線だけが悪者扱いされる。
上越新幹線が、東北・北陸と比べて国土軸を考える上で重要度は変わらないはずなのにおかしい。
2015年3月、北陸新幹線の長野~金沢間が開業した。それまで北陸新幹線(長野新幹線)は上越新幹線の支線のような扱いだったものが、立場が逆転して上越新幹線が支線扱いとなってしまった。
北陸新幹線の金沢開業に合わせて、上越新幹線はダイヤをばっさりと削り取られた。
昼間の時間帯の越後湯沢行きのたにがわは大幅に削減されたりした(新潟行きのときは特に変わらなかったけど)。
詳しく見てみると、2015年3月のダイヤ改正で上越新幹線は東京-新潟間の速達タイプのときが27往復から26往復に、東京-越後湯沢間のたにがわは16往復が9往復に減便された。
そして今年10月に日本を襲った台風19号によって、千曲川が決壊して北陸新幹線の長野車両センターが水没した問題である。
批判を恐れずに言わせてもらえば、長岡市民や新潟市民にとっては長野盆地が洪水になろうが何の関係も無い話である(千曲川が中流域で決壊したことによって、下流・信濃川の長岡・燕・新潟が助かったという問題は置いておく)。
しかしJR東日本は上越新幹線用に新造中のE7系5編成と予備車両1編成を北陸新幹線に転用させる考えを示したのだ。
ようやく上越新幹線でも最高時速260キロ運転が始まるかと沿線自治体は期待していた矢先に、北陸新幹線に「横取り」されたのだ。
これは長岡市民や三条市民、新潟市民は怒っていい問題なのではないか。
新潟・長岡よりも、富山や石川の方が重要だと、面と向かって言われたことに等しいではないか。
…というのを思いついた。
要するに、24時間営業している、ゆうゆう窓口のある基幹郵便局の近くに住んで、速達をつけて本の通販をする商売。試験が絡む本、例えば大学の教科書とか資格試験の本とか、千円二千円高くていいから、翌日欲しいってニーズは多いんじゃないか。
Amazonプライムで新品を買えばいいのかもしれないが、Amazonでも絶版になってるような教科書あるし、そもそも、Amazonは在宅じゃないと受け取りがまだまだ大変なところもある。郵便の速達は、不在でもポストに突っ込んでくれる。
関東関西名古屋翌日配送って店名にしてマーケットプレイスで本を売ればいい。
問題は、基幹局は都会にあって家賃が高いって事だが、基幹局の一部は、物流のために、都市部から離れた所にある。
浜松西郵便局なんか狙い目なんじゃないか?今見たら、浜松西郵便局の裏のアパートが家賃6万円で50㎡で即入居可。ど田舎ではないから、近くに定食屋あるし家事しなくて暮らせる。
浜松なら、多分、23:59までに持っていって速達で出せば、関東関西名古屋翌日届くはず。郵便局員は無理って言うと思うけど、それは保証できないってだけで、構わず出せば9割方届く。
23:00までの注文で関東関西名古屋翌日配送率99%とかやれば、一人暮らしなら食っていけるんじゃないか?
…という商売を考えついた。独身で本当に財産もなかったら多分やってたのだが、俺は定職についている最近妻ができたリーマンだし浜松にも住んでいないので、自分では商売できない。誰かやってみてほしい。
なんかないかな。
東京住みで、イベントに関わる仕事もしてるんだけど九州地方とも取引がある。
返信用封筒の入った書類を速達で送ったとしてもほぼ一週間かかってしまうのをなんとかしてほしい。
押印済みの原本二部送って、向こうにも押印してもらい一部相手先、一部こちら
という形になるわけだけど、まあだいたいこういうのって締切ぎりぎりになるじゃん。
厄介なのはイベント開催はその原本がないと「関係者として入場できない」ということ。原本は
事務所に保管してあるのでいいですよ、とはいかないのが難しい。
書類の確認のやりとりはメールでするのに、最後は現物を刷りだして送る。
そしてその現物の郵送にえらい時間がかかる。これがどうも納得できないというか、他にいい方法がないものか、と思う。
例えば、データを郵便局とかに持っていって「郵便局」お墨付きとして
その印刷物には例えば複製防止機能付きのマークが印刷されてるとかで、偽造を防止する。
こういうのってやっぱ難しいのかな。
「明日は届かないんですけど」チラッ
うっぜー!!!また出た!おどし!
だいたい、届かない、は嘘だ!
だいたい、隣県だぞ?北海道から沖縄に明日届けろってわけじゃないんだから、明日届かないはずないだろ、速達で。
17時を過ぎたら届くことは保証できない、これはわかる。それは百も承知、今回も明後日になっても謝りの電話入れれば何とかなる。「多分届かない」「まず届かない」ならわかる。「締切時刻を過ぎてる」でもいい。嘘ではない。
「届かない」ってなんだよ。一度でも同じ条件で届いたことがあれば嘘になるだろ。郵便局員は、そんな事もわからないぐらいバカなのか?それじゃ信書みたいに人の人生変わるかも知れない仕事はさせるなよ。
だいたい、窓口の奴が直接仕分けや配達をやるわけじゃないだろうに。あれか?郵便局員は、届かないと嘘をついて、郵便物を減らせ、と指令でも受けてるのか?
郵便局員の思想信条は知らないが、嘘をつくことを良しとする宗教はほとんど無いだろう。高給をもらってる訳でもないだろうに、なぜ、ゆうゆう窓口の郵便局員は、そこまで体を張って、自らの思想に反して郵便局を守るんだ?そんなに郵便局ってのは強権的なのか?
結局、いつものように、「そのまま出してください」と出させた。宛先さえ書いてあれば、それ以外に何が書いてあっても向こうは引受を拒否する権利はない。だから、すごすごと引き下がる。
最近よくAliExpressっていう中国の海外向け通販サイトをよく使ってるんだけど、
よほど大きいモノじゃなけりゃ配送料は無料とか、かかってせいぜい数十円とかだ。
で、配達はけっこういい加減だ。海を渡るのもあって、2週間くらいはかかる。
早いと1週間くらいの時もあるけれど、コンテナが埋まるまで放置されるとか、いろんな国を経由して運ばれるとかって事もあり、荷物はゆっくり来る。
トラッキング番号は発行されるけど、すぐに追跡できるようにわけではなく、結局海外での動きは把握できなかったりする。
国内に入ってからはさすがに普通の速さだけれども、人の手による運送(しかも無料の)ってこれくらいの遅さ・ゆるさをスタンダードとして認識するべきだと思う。
そういう標準から著しく乖離した速達サービスを無料でやることを問題視するなら、結局労働者としては辞めることで意思表明するしかないんじゃないかと思う。
速達でなくても明日届きますよという郵便局員の気持ちがわからない。
親切心なのか速達を受け入れたくないのか、かなりしつこく、「いいから速達でお願いします」と言わないと受け付けてくれなかった。願書で明日必着って封筒の表に書いてあるのに。
そりゃ、同じ都道府県内だから速達でなくとも、明日届くかもね、普通ならね。でも、速達なら、万一何かあったとき(大渋滞とか)でも、明日届けるようになんとかしてくれるかもしれない。
速達つけなければ、万一何かあったら届くのは明後日になるかも。
窓口の人はドライバーでも送付先の局の配達員でもないだろ。速達って書いてなかったばっかりに、何かあったときに明日届かなかったら責任取れるのか?
その不安が数百円で解消されるなら安いものだ。明日必着の「願書」で数百円どころか人生かかってるんだから、数百円ケチるより安心取りたいの常識で考えればわかるだろ。
(近年もそうでしたが)ここ数年、色んな鉄道路線を回ると観光列車のおかげで常に大盛況!それはいい。それ自体は実に喜ばしいこと。
けどね。
“なんかホームの一部をふさぐほど人だかりができてるなー。”
って、思って近づいてみると。みんな観光列車目当てでの行列ができている。
いや、もちろんね。公共交通の“彩り”なんでしょう?わかってますよ?
そんなことは。けどさ。
元々はきっと各鉄道会社の差別化戦略などで、鉄道お宅さんの力を借りて、鉄道路線のイメージアップの為にやっていたと思うんですよ。
鉄道路線にあった、プレミアム列車などが非常に豪華で。もちろんその会場の地域じゃないと、まったく楽しめないものかもしれない。
だから、金を落とそう。たぶん、最初はそんな感じだったんじゃないかと思うんです。
けど、最近って。
それ(鉄道路線における観光列車)はそれでやっているとは思うんですけど。
それとは別に、というか“それ以上に”各鉄道の拝金レベル、インフレが凄過ぎません?
いや、ほんとに一部の方から“野暮なこと言うな”という声が聞こえてきますが。言わせて下さいよ。鉄道お宅のひとりの人間として。
“いつから鉄道会社はブルジョワさんで人を集めるようになったんですか?”
“鉄道お宅の主流はあくまで平民で、一般人からしてみれば無駄がねを払ってまで利用してくれる大きな人たちが趣味を楽しむ場所だったんじゃないんですか?”
“まともな鉄道趣味はそんなにも頼りないですか?金に目を眩ませている人以外相手にしてもらうことができないんですか?”
もちろん、日本の全ての鉄道がブルジョワばかり目をむいているとはいいませんよ。
けど、ここ数年、観光列車然り、プレミアム列車然り、エスカレートしてませんか?
毎年、ネット上に“鉄道会社の拝金主義に庶民の怒り”みたいな記事もあがりますよね。
私はわざわざ見ないですが。増えてません?そういう記事も。
たぶん、結局、そういう記事がある意味人に喜ばれるから書かれるんだと思いますが。
便利な速達車両や技術に優れた鉄道車両などで盛り上がってほしくないですか?
予約が満杯になるほどの人気で、盛り上がるのは非常に嬉しいことですが。その大半の理由がみんな“富裕層が鉄道趣味に入り込んでいる”って悲しくないですか?
“金に目を眩ますのはやめようぜー。”
今月後半、晩夏の信州をクルマで筑摩山地越え、具体的には軽井沢~下諏訪の中山道伝いに和田峠(美ヶ原と霧ヶ峰の間の鞍部を通る感じ)越えを計画している。
ちなレンタカーで、行きの中山道武州路・上州路は新幹線、帰りの甲州街道はあずさを使う予定。
お土産は茂田井の明鏡止水と御園竹はマストとして、他にも見所や名産品をぼちぼち調べるつもり。
国鉄時代から何度もルートを変えつつ残ったという意味ではあけぼのといい勝負だったが、あけぼの無き今、そういう「しぶとい」列車は希少かも。
実を言うと北陸新幹線金沢開業後の金沢行列車名に、横軽廃止とともに消えた白山が復活するかと期待してたんだよね。
でもふたを開けてみたらはくたか続投!最初は白山の名前が半永久的に復活しないことが確定して悲しんだ。
確かに白山は東京から北陸方面を担うメインの特急だった。しかし横軽にリソースを取られまくって、微妙に近代化に取り残されていた路線の特急ということもあってか、長野方面への最速達手段という地位を築いたあさまに比べると、イマイチぱっとしなかった。横軽ファンとしてはちょっと悲しいけど。
だからあさまが新幹線になっても名称続投になった理屈で、白山が金沢行新幹線に返り咲けば結構な出世?という気持ちもあった。
しかし時間がたつにつれ、次第にはくたかのしぶとさを思うようになった。
そもそも東京-北陸ルートを担ってきた歴史は白山よりも長いしね。
最初に信越本線ルートで始まったはくたかが上越線に引っ越し(?)、ほくほく線経由を経て再び信越ルートに還ってきたわけだし。
、21歳女子大生です。
就活ずっとしんどかった。
まあでもそんなことはほぼ全部の就活生が体験しているので大したことはない。
私が言いたいことは
「就職活動中に痔になって辛かった」
痔なんて21歳にして関係ないと思ってた。子供産んだら、母親くらいの年齢になればくらいの感覚だったのにやつはきた。
休む暇なく説明会をハシゴ、家に帰ればES書いて、郵便局深夜窓口ダッシュかつ速達貧乏。
何もない日は便秘に。
ある日紙に血がつくようになった。
まさか21歳で痔になるなんて。
望むような情報は得られない。
この世に就職活動きっかけで痔になった人がいたら教えて欲しい。
四時間座りっぱなしなんてことはザラ。
病院に行く暇も元気もなし。
父のボラギノールを泣きながらなる日々が3ヶ月続いた。
気づけば私1人でボラギノールを1本使い切った。
就活をやっと終えた今でも、私は痔と戦っている。
何が言いたいのかと言うと就活はクソ💩
私の綺麗な肛門を返せ。
今は本当に大したことないので、病院にかかる必要はなさそうです。
宛名はプリンターで封筒に直接印刷しているが、“書留・特定記録郵便物等差出票”に毎回手書きで届け先を書かなければならない。
しかもその届け先欄がめちゃくちゃ小さい。宛先に長ったらしいカタカナの社名が多いので書くだけでストレス。
書留も配達証明も一枚の差出票にまとめて書くのだが(書留、配達証明の追跡番号と簡易書留の追跡番号でカテゴリが分かれているようなのでそのため。郵便局の指示。)更にそれぞれに速達が付いたり付かなかったりする。郵便局では小さな差出票にいちいち「書留」「配達証明」「速達」のはんこを押して時間を食う。しかも複写になっているのでいちいち2枚にはんこ。
最初から差出票に「書留」「配達証明」「速達」等の記載を入れておいてチェックマークを入れるだけにすればいいのに。
この記事は「転職(その2) Advent Calendar 2016」12日目のポエムです。
こんにちは。プログラマーをしていた akiraak です。今はサンフランシスコで英語の勉強ばかりやってるので、プログラマーではくイングリッシャーになってしまいました。
さて、転職は多くの人が知っているように大変です。しかし、海外企業への転職はもっと大変です。さらに、家も就職先も決まっていないのに海外に移住してしまうというのはどれだけ無謀な行動なのでしょうか。今回の記事の内容は、妻である ento がまさにそのような状態でシリコンバレーに移住し、そこで仕事を得るまでの1ヶ月半ほどのログになります。この無謀すぎる人間のログをお楽しみください。
2014年10月にベイエリアをakiraakと下見し、フィーリングが合うことを確認
2015年3/31 両親と久しぶりに会い、出生証明書と期限切れUSパスポートをもらう
4/26 USパスポート申請予約 (最初は5月17日で予約したが、キャンセルが出ないかカレンダーを見張った末、5月12日で予約できた)
5/?? 「entoとポッキーが先行引っ越しするのはありだよね」とakiraakと合意し、資金面で問題ないかを後で検討することに
5/11 MindMeisterで引っ越し関連作業をまとめるマインドマップを作る
5/12 USパスポート申請: 犬を連れていく関係上、できれば5月中に渡米したいのでなるべく早く用意してほしいとお願いする
5/13 同上
5/15 Googleスプレッドシートでお金の計算をし、アメリカにポッキーと先行引っ越しすることを決める
5/17 Sky Toursで飛行機チケット予約 (往復便をうまく使ったりなどして、片道便をお安く予約してもらえた)
5/18 completeapp.comにユーザー登録、その後随時todoにコメントをもらう (AngelListでみかけたスタートアップ)
5/18 自転車の運び方について製造元にメールで問い合わせ、返信をもらう
5/21 HanaCellにSIMカードを注文
5/21 USパスポート発送の連絡がくる
5/21 6月に泊まるAirbnbの予約に失敗 (Airbnb以外のサイト経由で別の人が既に予約していた)
5/22 LORO日本橋に適切なサイズの箱の有無を電話で問い合わせ、用意してもらう約束をする
5/24 RoomieMatch.comとroommates.comとroomster.comに登録、Redditにルームメイト/部屋募集を投稿
5/26 akiraak実家で晩ご飯をいただき、地元の友達が大事だとさとされる
5/27 USパスポート到着
6/05 飛行機搭乗
6/06 組み立てた自転車をLaurel Cycleryにメンテに出す
6/06 近所のスーパーマーケットのレジで「昨日引っ越したばっかりで、仕事を探してるんだ」と言ったら、「この前うちでジョブフェアをやってたんだけどね」と教えてもらった
6/06 TTGL見始める (Redditで会話したイギリスの大学院生のおすすめ)
6/08 RoomieMatch.comのプロフィールを更新 (2人用から1人用へ)
6/08 Creddle.ioにレジュメをアップし、Redditの校正スレに投げる
6/09 RoomieMatch.comでマッチングされたルームメイトから電話がかかってきて、部屋を見に行く約束をした
6/09 同じ家のAirbnbゲストにくっついてSF見物 (彼女も仕事を探していて、SFのMacy'sにスーツを買いに行った)
6/09 Whitetruffleに登録
6/09 Hired.comからプログラミングの問題を解いたら翌週の「オークション」に掲載するよ、と連絡がくるが、なかなか手がつかず最後までスルー
6/10 AngelList、Hacker Newsの「Who is hiring this month?」スレからめぼしい応募候補をリストアップ、Glassdoorでレビューを確認 (以下の記事を参考に、Google スプレッドシートにまとめていった http://robertheaton.com/2014/03/07/lessons-from-a-silicon-valley-job-search/ )
6/11 Soylentに発送先を連絡
6/12 AngelListで何社か応募、リモートOKのところを優先する
6/12 Underdog.ioから翌週にプロフィールを掲載するよと連絡
6/13 借りる部屋を3箇所内見し、仮決め: 家賃はAngelListに掲載されているエンジニアの平均年俸の40分の1を目安にした
6/15 借りる部屋を本決め
6/15 Underdog.io経由でB社から連絡
6/15 銀行口座開設を試みる (住所証明がなくてダメ、その足で自分宛の郵便を速達で送った)
6/15 Airbnbのホストさんがリクルーターを紹介してくれる
6/16 銀行口座開設を試みる (ソーシャルセキュリティカードがなくてダメ)
6/16 さらに応募 (C社含む)
6/16 Soylent到着
6/17 アスペの集まりに参加: 晩ご飯を一緒に食べる会 (「仕事を探してるんだ」と言ったら、「うちはいつも仕事を募集してるよ」と医療機器関係の会社を紹介してもらい、レジュメ校正ビジネスを始めたいという技術ライターさんに「無料で校正してあげる」と連絡先を教えてもらった)
6/18 C社とGoogle Hangoutミーティング (この時点でここに入る腹積もりをしたと思う)
6/21 TTGL見終わり
6/24 C社と対面面接 (6.5時間: エンジニア計3人とペアプロなど + みんなでランチ + 社長面接)
6/24 身元照会先を依頼、連絡
6/25 Lyftのタダ乗りクーポンでの帰り道、ドライバーさんに「仕事を探してるんだ」と言ったら、元奥さんがそれ系の仕事をしてるからと紹介してもらう
6/27 同上
6/28 同上
応募候補をまとめたスプレッドシートには、先方からの打診を含め、結局79個の会社をメモった。応募したのは14社で、何らかのリアクションがあったのは4社。大半はAngelList上でしか応募していないので、メールで直に応募すれば反応率は上がるかもしれない。職探しサイトでプロフィール登録したり応募したりする度に、レジュメの内容や言い回しをブラッシュアップしていくことができたことは、よかったと思う。
上で挙げた数社を含め、会社側から打診をうけた件数は以下の通り:
Whitetruffle: 11件
AngelList: 7件
Stack Overflow Careers: 1件 (リクルーターからはさらに1件)
Underdog.io: 1件
ホワイトボードでアルゴリズムの問題を解く系の面接の予習は、やろうと思いながら結局ほとんど何もしなかった。やったのは、過去のプロジェクトでやったこと・学んだこと・つらかったことなどの振り返りと、レジュメを書く中での自己内省。
ここまでは ento お引っ越しでした。僕はというとビザがないので日本でお仕事をしていました。そして2015年7月に渡米して結婚。10月に弁護士経由で配偶者ビザの申請。2016年7月に発行されたので8月にアメリカにお引っ越し。10月にグリーンカードも発行されて今に至ります。
先月、下宿先に一通のハガキが届いた(筆者は大学1年生。住民票は下宿先の市区町村に移していたが3/21までに転入していないため転入前の市区町村で投票することに)。2016年7月10日の参院選の投票所入場券だった。妙な嬉しさを感じた。
それから数週間、入場券についていた不在者投票の請求書を出す時間はあったが面倒臭がって送っていなかった。某アイドルが緑色のニュースで「余裕を持って投票しましょう」と言っていたにもかかわらず。
ギリギリでいつも生きている私は先日、速達で請求書を出してきた。
そして地元の選管から速達で書類が入った封筒が届いた。(手間かけてすまんな・・・)
封筒を持って役所の投票所へ行った。入り口にいた係員に封筒を見せるとまず通常の投票ブースではない場所に連れて行かれた。本人確認後、目の前で開封され、封筒の中から選挙区と比例代表の投票用紙とそれを入れるための封筒、候補者リスト2種が出てきた。
記載台は不在者投票専用のものがあり、通常は記載し終わると投票箱に入れるが、不在者投票は投票用紙を小さめの封筒に入れ、それをさらに大きめの封筒に入れるというマトリョーシカ方式だった。頭の中で某7人組の「そう来たか!」が再生された。
記載台で封筒に封をしたら、係員に声をかけて封筒2通を渡して終了。こうして初参戦を終えた。
まとめ
ハローワークの紹介で応募した。
時給 1,040円、6時間。5時から20時の間で交代らしかった。
終わったら、そのまま帰っていいとのこと。
そして、なんと求人票に書いてあることと違う説明をした。
雇用期間が短い。
長時間を3つに分けてシフト制のはずなのに、9時から15時と言う。
説明の男性がいなくなり、え?話ちがくね?と誰かに話したい衝動を抑えた。
みんな、「え?」って、きっと思ってたと思う。
もう、帰ろうかとさえ思った。
詳しく説明聞けばいいかとも思った。
1番目の男性が呼ばれて5分もしないうちに、2番目に呼ばれた。
待機で呼ばれただけか・・・、にしても、前の人の面接は、結構早く終わった。
1番目の男性が出て行ったのに、私はしばらく呼ばれなかった。
面接の部屋では大きな声の会話が聞こえた。
しばらくして、やっと呼ばれて、ああ、面接官の会話だったのかと分かった。
3人が長テーブルの向こうで仏頂面でいた。1人は女。、
折りたたみ椅子に座る前に離れた所にあるソファにバッグを置くよう言われた。
メモとボールペンは持っていていいか尋ねたら、面接だから要らないと言われた。
そういうもん?
すごい高いところから、見下されてる感じがした。
そういうもん?
その前に辞退したほうがいいかなと思った。
2名以上
2日前までに予約
帰りは自由席
運賃と特急料金が合わせて3割引、6000円も安い。
さらに決まったエリアでしか使えないお釣りがでない3000円のお食事券。
半額っぽく感じる価格設定。
行きの列車は、速達タイプに続行する各駅タイプや早朝すぎる列車だったりと条件が良くない。
決まったエリアのお食事は、近隣のお店の物価の1.5倍くらいの価格設定になっている。
スキー場のクーポン券を買って2000円のお食事券付といいながら、カレーとビールを飲んだら終わり的な日本円のレートと合致していない感が漂っている。
このあたりもマジックがあるような感じがする。
駅中の賃貸物件の売り上げが不振なので、集客の協力のためということがあるのかな。
ここまで差があると個人が払っている規定の運賃って何って気がする。
世界で一番乗降者数が多いらしい新宿駅。の、とある私鉄のホームの片隅の出来事である。
私が数年離れた小田急も、再び利用し始めて一年が経とうとしていた。
戻ってから実感させられたが、やはり私は物心付いた頃に生活の一部になっていた小田急に、愛着がある。
とはいえ、私はまだまだ若輩者である上、いわゆる「鉄道ファン」を名乗るには知識も足りないと自覚している。
自分が育つとともに小田急は、いろいろな思い出を私に与えてくれた。
一般的な子供と比べて、数多く電車に乗る機会があったこともその一因だろう。
自分の習い事も、父の仕事に相伴する際も、小田急に乗った。そして小田急に乗る度、1両目の一番前に齧り付いた。
そういえば、当時は運転士が前面のカーテンを降ろす理由が分からず、「そんなに子供に意地悪をしたいのか」と捻くれたこともあったと思う。
今となってはその意味を理解してしまい、ただただ当時の自分の未熟さを恥じるばかりである。
今から15年ほど前だったと思う。
疲れた父を引き連れて、当時自宅のあった小田急相模原駅まで各停で帰ろうとワガママを言った。
東北沢駅がまだ地下化はおろか改修すらもされず、2面2線(+通過線2線)だった頃。
通過待ちで止まっていた各停の中でも、ただただ前面で往く電車、来る電車を観察していた。
そんな私に運転士から声がかかる。「電車、好き?」といった感じのことだっただろう。運転士は、私と会話をしてくれた。
詳しい内容までは覚えていないが、子供だった私の心が非常に躍ったことを今でも忘れないほど、大切な思い出だ。
また、当時住んでいた小田急相模原駅は、各停と準急のみが停車する駅である。(※後に「区間準急」が新設され、停車駅に。)
それだけで、数の少ない準急がなんとなく特別な感じがして好きだった記憶がある。
(後に海外に旅立つ日、初電の「各停相模大野 相模大野から急行新宿行」なんてものに乗った時は、自分は非常に特別なものを味わっているような気がして、乗る前からワクワクしていた)
だからだろうか、後に夕方に新宿から一人で帰る機会が増えた時、あえて準急を待って帰ることが非常に多かった。
徐々に大人になっていき、前面への齧り付きもやめたが、それでも準急に乗って端の席で寝て帰り、たまに本厚木まで運ばれたりしていた。
そんなことをしていたから、新宿18:45という時間は私にとって非常に特別なものだったのだ。
感慨に耽ってしまって、まるで本題に移れない。そろそろ移ろうか。
友人と新宿で21時に約束をしていた私は、先の用事を早々に済ませてしまい、18時頃に新宿駅に到着することになる。
その時、電光掲示板にふと「準急」の文字を目にした。18時13分には、新宿駅4番ホームから町田行きの準急が出発する旨が記されている。
そして、3月ほど前から話題となっていた「夕方準急の急行への変更」のトピックも、ふと思い出す。
― 期せずして、"別れを告げる"機会を得たのではないか
そう思わずにいられなかった。
手持ちで写真を撮れるものはiPhone5Sのみという状態だったが、とにかく私は別れを告げることを決意した。
まず、18:13発の町田行きを数枚撮った。
しかし、既にこの時点でホームには数人、写真を撮る人が構えていた。
18:14、定刻より少々遅れて電車は出発していった。
このとき、15時頃に鶴巻温泉駅-東海大学前駅間で発生した人身事故の影響で、ロマンスカーの運休及び僅かな遅れを持った状態で、こんな日を迎えたことを再認識。
小田急新宿駅の18時台といえばロマンスカーも席が全て埋まるような時間であり、ロマンスカーが運休となってしまうと急行ホームには人が溢れ返る。
普段と変わらぬ日常を過ごしている人たちにとってみれば「災難な日」なのかもしれないな、などど心の隅で思った。
町田行きの準急が帰途に就くと、5段ある電光掲示板の一番下に、目当ての列車が現れる。
これを見た瞬間、私はなんとも言えない気持ちに包まれた。
ただ必死に、1本電車を見送る度に上がってゆく電光掲示板を見つめ、また写真を撮った。
そういえば、昔は向ヶ丘遊園での退避なんかなかったなとも思った。後続の快速急行からは新百合ヶ丘まで逃げ切っていたはずだ。
当然、向ヶ丘遊園で抜かさなかった時代の快速急行はノロノロ運転必至だっただろう。
効率を考えて、後にダイヤが改正されたのも当たり前の話であるのだが、なんとなく悔しいと思ったことがあった気がする。好きだった「準急」の自宅までの所要時間が、伸びてしまうのだから。
いくら好きと言っても早く帰りたいと思う気持ちは無いわけではなかった。
結局のところ、末期には向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・海老名と、終点までに後続4本もの急行に抜かされるものとなる。
始発新宿を18:45に出て、相模大野まで60分、終点本厚木までは80分もの時間をかけて辿り着く。
これらの駅への最速達列車との比較をすると、およそ2倍ほどの時間をかけていることになる。
時の流れは案外早いもので、少し待つと本厚木行きの準急は5番ホームに到着した。
到着前、他の列車よりは少ないながらも、この電車に乗るために並んでいた大勢の人を見て、なんとなく嬉しくなった。
この頃、「撮り鉄」と呼ばれる人たちもたくさん見受けられた。
明日は、十数キロ東に行けば、南北を結ぶ大革命が起こる。そんな日。
それでもここ、小田急新宿駅に足を運び、この「準急 本厚木」を撮るたくさんの人を見た。
そんな人々は、小田急にどんな想いを抱いているだろう。問いたかったかもしれない。
18:45の準急が到着した時、私は新宿駅ホームの西口地上改札側にいたが、少々人が多かったので南新宿側に移動することにした。
しきりに写真を撮る私を横目に、運転士の一人が別の一人に「なんですかこれ?」みたいなことを訊いていたようだ。
ベテランと見受けられる運転士は「今日準急本厚木最終日だから」と言っていた。
列車を撮ることに関して、運転士を始めとした鉄道会社の方たちも、快く思う人ばかりではないだろう。
しかし、少なくとも今日、撮影する行為を止められることがなかったことに関して、本当に感謝したい。
そんなことを思いつつビデオを構えた。
程なくして、耳慣れていながら、二度と聴けないであろう、放送が流れる。
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「準急本厚木行き、発車いたします。向ヶ丘遊園で快速急行の通過待ちを致します。」
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「Plllll.....5番ホームから 準急 本厚木行きが 発車いたします」
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たくさんの人を乗せて、本厚木へ向かっていった。
私は見送った。ありがとう。
そして、さようなら。
PGは、まず見積もりを依頼されます。この時ほとんどの場合、要求仕様書が無いか、あっても伝聞で情報が欠落もしくはエラーを起こしています。残念ながらエラー訂正機構は装備されていません。CRC、せめてパリティでも入っていればちょっとは違うかもしれません。期待出来ませんが。
ここでプロジェクトマネージャー(又は管理者・経営者等。以後PMと称する)から「最速でやった場合」「割り込みが入らない場合」「君がやった場合」or「部署内で最高ランクのPGがやった場合」「仕様変更が無い場合」という条件が付きます。
底辺PG諸君。ここでこの言葉を額面通りに受け取ってはいけません。
「【最速で】3ヶ月かかります」
と答えたらPMは【普通に】3ヶ月の工程を工程表に書き、見積書に3人月分の金額を書きます。そしてこれは後述する危険と隣り合わせとなります。
この危険を経験したPGは大抵リスクを込みで【黙って】見積もりを伝えます。
しかしPMはお見通しです。「高い」「そんなに時間がかかるわけが無い」と言い、受け付けません。何故なら実はPMの頭の中では既に「3ヶ月」なのです。PMは追い込むために見積もりの詳細を聞いてきます。
ここで素直に「リスク込み」と答えてはいけません。既にPMは前述の前提条件を述べているからです。無下に却下されます。
戦いたいPGかつPMが同じ会社であれば「後学のためにPMの詳細見積もりをお聞かせ下さい」と聞いてみるのも良いでしょう。ただし確実に印象悪化は避けられません。PMが発注元の場合は禁句です。まずキレます。そのまま発注されない事もあるでしょう。発注されなかった事を喜びましょう。
なぜキレるか。それは簡単です。「明確で論理的な理由が無いから」です。理由が無い上に実は既に予算が決まっており、それを超える事は許されません。予算を超えた見積もりはPMがさらに上層部・経営陣から怒られる事を意味するからです。理由が無いから理由をPGに考えさせているのです。PMが仕事をした気にさせるのも底辺PGの役目です。
予算を超えた見積もりはあり得ませんので、答えは「がんばります」しか残りません。しかしPMはそれすらもPGの口から言わせたいのです。でもよく考えて下さい。あなたの脳はオーバークロック出来ますか?
底辺PGが出来る事は、PMやユーザーが分からないように期間と予算を加算するくらいです。
一応、市場原理が働くため、安い方がいいに決まっています。金払いのいいユーザーや元請けってのはあんまり無いです。そして金払いの悪い所ほど後々してやられますので、最初の予算の付け方でどういう所かが大体予測出来ます。
そんなわけで、予算と期間に品質と内容は関わりがありません。もちろん企業の使命として、安くて良い品を、安くても利益を、は追求してしかるべきなのですが、日本の場合質と金額が比例するのは極一部。IT業では基本的に、安くて良い品を出来るだけ高速に、がモットーです。受注しなければ会社がやっていけないのは分かりますが、「安さ」だけしか売り物に出来ない会社は、IT会社として失格でしょう。
かくして、短納期低予算のプロジェクトが組まれるわけです。そのPMの理論からすると、高速バスで東京から新大阪へ行く方が、新幹線のぞみの指定席グリーン車で行くより高く、書留速達の郵便より普通郵便の方が値段が高い、という事になりますが。質、時間、価格の何がIT業と違うんでしょうか。
実のところ発注や作業開始は遅れている事が多く、納期に間に合わせるには発注前に作業を開始せざるを得ない場合が8割ほどです。実はここにも罠が仕掛けられています。
作業に取りかかろうとようやく出てきた仕様書を見ると、見積もり時の時と変わっていたり、追加されていたり、未だに仕様が無い場合がほとんどです。
「こんなものをこんな期間で出来やしない!」と憤慨してはいけません。なぜなら
という答えが返ってくるだけです。PMが見積もらない理由がここです。PMに見積もりを聞いてはいけない理由がここです。これは後々まで効いてきますので注意が必要です。「前提条件と違う」と反論するのは無駄です。PMはそれは忘れています。そもそも考えて発言していないので口が勝手に脊髄反射で言った事であり脳は関知していないのかもしれません。PMにとって最重要な事は「PG自身が言った事」です。そう、工程表にも議事録にも「3ヶ月」という数字のみが記載され、いわゆる「リスク」は何処にも書かれて残っていません。
PMやユーザーは絶対にリスクや前提条件を書き残しません。それがこの業界の伝統ある慣習だからです。
ここで言った言わないの不毛な戦いをしてもいいのですが、確実に査定は最低です。もしプロジェクトから外されたらそれは喜びましょう。
管理者や経営陣等からは「やる前に出来ない言うな。やってから言え」と怒られます。残念ながらこれも真に受けてはいけません。
設計、構築など作業をしている間もどんどん仕様変更・追加は流れ込みます。
PMは工程進捗を把握しているのでは無く、PGが【自ら】工程表や報告書に纏めます。遅延していれば遅延の理由も書き、挽回策があればそれも書きます。しかしPG個人が取れる挽回策などたかがしれています。と言うよりそれが分かっていれば遅延などしません。他の策は既に実行済みなので、挽回策には「残業・休日出勤」くらいしか書く事が残りません。しかしこれは現実にこれしか書く必要がありません。なぜならPMはこれ以外の挽回策は理解不能だからです。
仮に報告をしても「早すぎる。もっとやってみてから」「がんばれ」という答えが返ってくる事でしょう。
遅れを放置するPMもいますが、許容範囲はPMにもよりますがある程度遅れが見えてくるとPMから追求がやってくるようになります。
「なぜこんなになるまで報告しなかった」
そう、報告出来る時期というのは非常に限られています。多分プロジェクト工程(今の例なら3ヶ月)の中の30分くらいです。それより早いと相手にされず、それよりも遅いと怒られます。報告時期を見誤らないのもPG業の技です。
実装が難しかったり、無理難題は多々あり、その上工程が遅延しているので、相談をしに行きます。しかし、それは無駄です。
「自分で考えろ」
「やってから言ってるんじゃねぇ。やる前に言え」
他似たような答えしか返ってきません。非常に非生産的です。理不尽です。時間の無駄と考え報告・相談に行かないPGも多いとか。非生産的ですが、一応相談はしておきましょう。ただし時間は取られないように。
同僚やチーム員に相談してもいいのですが、昨今のプロジェクトは人員がスタンドアロンで動いています。したがって、隣の人やチーム員がが何をやっているのか知らない事が非常に多く、相談出来ない事も多いのです。PGにメンタル病が多いのは実は理由がここにあると自分は思っています。孤立感が半端無いのです。まぁ、元を追えば、そいういうチームを組む事、教育訓練しない事など、実は管理者・経営者が「カイゼン」や「効率向上」を題目に目の前の超短期的コスト削減だけを考えている結果なので、PGとしては何も出来る事はありません。管理者・経営者は中長期について考える必要が無いからです。なぜなら「その頃には自分は満額の退職金を貰って定年退職済み」だから。
実のところ単独の仕事をしていればいい、と言う事はあり得ません。同じプロジェクトの中からも割り込みや、他のプロジェクト・部からも割り込みは多々入ります。
始めに言ったじゃん。どうにかして。というのは無駄です。覚えてないし、「会社員なら当たり前だ」という答えが返ってくるだけです。「15分だけ」「ちょっとだけ」が頻発しますが、塵も積もればなんとやら、です。ちなみにこの件は査定・人事評価には全く影響がありません。
相談すれば「午前中はこの仕事、午後はこの仕事、定時後はこの仕事をすれば並列同時が可能だ」とあたかも新発見超名案を出したかのように返されるのが落ちです。そう、1日が24時間しかない事は忘れ去られ、PGが人間である事は忘れ去られ、思考の分断は効率を激しく低下させる事を知らないのです。
ここで断る勇気を持つのが大事ですが、職場内の雰囲気は格段に悪化します。評価は「人でなし」「自分勝手」「自分本位」「冷たい」。これらの視線に耐えられるのなら断りましょう。こちらからすれば「自分の時間を奪う方がよっぽど人でなしだ」と言い返したい気分です。
テスト工程も始まり、遅延が激しくなる上に、バグが発見されさらに遅延という状況が始まります。
ソフトウェアである以上、バグが無いプログラムなんてのはあり得ないのでバグを出す事自体は不可避です。
ところがPMは激しく怒り出します。バグの発見はPMに一報が行きPMが怒られるからです。
底辺PGはバグを出す毎にこっぴどく怒られます。中には仕様変更の事実がPGまで伝わっていないのにバグ扱いされる事も多々あります。
バグを出すと修正、テスト、再発防止策の考案などの厄介事が増えます。
再発防止策は通常「どうやったら自動的にそうならないか」を考えますが、あまりに根幹すぎるので、底辺PGの身分では権限が無く、出来る事が限られます。そしてPMが理解出来る策を考えねばなりません。結果「テストを増やす」「チェックシートを作る」とかになりがちです。しまいには「チェックシートのチェックシートを作る」などという意味不明の現象に陥ったプロジェクトを何度も見ています。
厳しく、それは厳しく怒られる上に、チームの前でさらし者にされる事、人格を否定される事も多々あるので、PGはバグを出さないように、見つけても出来るだけ極秘裏に解決しようとします。
「恐怖駆動型開発」
というもので、日本の場合ほとんどがこの開発手法をとられていると聞きます。この開発手法は書籍になっておらず、書籍としてよく売られているのはアジャイルな開発手法の本が多いです。知識として持っているのはいいと思いますが、役に立たないと思いますねぇ、恐怖駆動型開発の前には。まわりの人間も恐怖に巻き込まれないようにするため、どんどんスタンドアロン化が加速します。
その上、バグを隠すようになり、バグが出るようなテストを避けるようになるため、短期的に収束しているようにみえます。だから効果絶大と見るようです。リリースしてからが楽しみですね。
PMが空想から覚め、もう救いようが無くなった事が事実と認識出来るようになった時、ようやく、2度目の相談・報告時期が訪れます。ただし、PMの第1声は「どうしたらいい?」です。そんな事が分かっているのなら実行済みなので、黙っているしかありません。
するとPMは「何人入れれば良い?」と聞いてきます。意味が分かりません。IT業を労働集約型産業と勘違いしているのが未だに存在している事に驚きです。頭脳集約型の形態に人を入れて解決しようとはどういう脳をしているのか。一度解剖してみたいものです。多分、高校を受験する中学3年生の受験者が100人集まれば旧帝大の入試に合格すると考えているのでしょう。もしくは1Km走というのは1000人が一斉に1m踏み出せば1Km走った事と同じ記録である、と考えているのでしょう。
脳を電通で直結出来れば若干違うかもしれませんが、IT業の1+1は2では無く、良くて1.5。ましてやこれで増えていくのは3~4人までが限界でそれ以上は人を入れても上がらないどころか、マイナスになる事が常。
PGなら他のプロジェクト、他の部、他の会社に信頼出来るエース級のPGを何人か知っているかと思います。なのでついPMに「エース級を3人」等と提案しがちです。しかしこれは叶わぬ望みです。その提案に対する答えは「そんな事出来るわけないだろ」です。そりゃそうです。予算が無いのだから。
自分の仕事があるのに、何故かこの後から来た人員を纏めるようPMから指示が出ます。PMが指示出来ないからです。破綻は間近です。いや、既に破綻しています。
プログラムが出来上がっていく以上、バグをつぶす速度以上の割合でバグを注入していく事になります。
「混乱しているプロジェクトに人を入れれば、なお混乱するだけ」
という有名な文を実感する事でしょう。なお、実感するのはPGだけであり、PMは実感出来ません。
この辺で思わぬ事態が発覚します。実は発注が遅れていた事です。
発注日以前にドキュメントがあっては監査にひっかかるため、今まで作ったドキュメントを作り直しをしなければならないという、まさに想定外の事態です。ほとんどのドキュメントには作った日付や判子が押されているはずです。それを全部作り直しするのです。納期は間際です。これも納期までに間に合わさねばなりません。
PM(重ねて書くが、プロジェクトマネージャだけでなく管理者や経営者も含む)が発狂し始めます。宛先は底辺PGです。
中には「お前を精神的に追い詰めるしか手がねーんだよ」とストレートに言ってくれるPMもいたりしますが、あまり出会った事は無いですね。
あの手この手で精神的圧迫を始めます。圧迫すれば脳がオーバークロックして作業が進むと考えているからです。残念な事に、脳の別の部位がオーバークロックしてショートしてしまいます。
こういうプロジェクトを経験し、運がいいのか実力なのか、生き残った人達がSEとなり、いずれPMとなっていきます。
不思議な事に日本では、PGが成長してSEに、SEが成長してPMに、とクラスチェンジするものだと考えられている会社が多のですが。
自分としては、座標軸のX,Y,Z軸の様にPG軸とSE軸とPM軸と全く異なるベクトルだと考えています。X軸の先にY軸Z軸があるわけでは無い、と。もちろん、軸に沿っているだけでは無く、他の軸のベクトルも併せ持つのもよいエンジニアでしょうし、ベクトルの方向を伸ばし続けるのもよいエンジニアでしょう。
ところが、クラスチェンジするものだと管理者・経営者は思っているから、給与体系もPG<SE<PMとなっていたりします。この時代錯誤的階級社会はどうにかならないものでしょうか。
自分はPMを否定しているわけではありません。いいPMの元でいい仕事をしたい、と思っているだけです。今までに何度かそういう良い経験をした事はあります。それは成功経験としてモチベーションを保つために必要な事なのです。
PG至上主義でもありません。分業形態として、SEやPMは必要不可欠だと思っています。ただ、PGを粗末に扱っておきながら高品質の製品を要求する風習・慣習が納得出来ないだけなのです。