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はてなキーワード: 資質とは

2020-02-23

anond:20200223172645

回数は確かに比例傾向にあるかもしれないが、根本は本人の資質と思う。

男も女も上手い下手は、どれくらい本当にいかせられるか、に尽きる。

はいったと嘘いえるから余計わかりにくい。本当に行ったときの表情と後の態度が違うから分かる子は分かるが。

まぁ、回数より人数か。決まった相手しかいかせられなかったら、やっぱり下手じゃないだろうか。

ぶっちゃけ本当のこというと、本当に上手い人間は、相手がどう思ってる感じてるのか感じる能力がある。第六感的な。

それを持ってるやつは、ごく少数。風俗でも少ない。

それを補うためには、相手が本当に感じているかを神経研ぎ澄ませるか、相手を敏感な状態にするか。

いずれにせよ、相手気持ちよく感じてるか、を用意するのがポイントになる。

うそう。よく間違うのがアルコールはだめだよ。あれは感覚を鈍らせる。麻薬系統も同じと思われる。技術あったら、そもそも要らないし。

2020-02-13

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

2020-02-12

歯医者JAVASCRIPT

https://hbol.jp/212378

この記事読んでへぇーって思ってる人、はあちゅう腐す権利いからね。

え、はあちゅうはニセ医療で、これはタイ最先端医療じゃん。全然違うだろ?

はい、そうじゃないんですよ。

医学知識医学判断能力がない人が書いた医療記事はどちらも同じなんです。

仮に、はあちゅうがこの記事書いたら、みんな「へぇタイ行こうかな?」って思った?

その時点で、あなた医療情報判断能力がないんです。

この記事の間違いは大量にあるけど、はてなにわかやすく言えば、

めちゃくちゃ良いプログラミング教室見つけた!っていう「増田プログラミング教室」の紹介記事が以下の感じだとどうでしょうか?

最先端JAVASCRIPTを用いた画期的ホームページの作り方を教える教室です(JAVASCRIPT世界の30億のデバイスで走る言語です)

また、最近流行りのAIの土台である機会学習を、MNISTというデータを使って、勉強できるんです。

これは、AIに知能があり、自動的に猫とおばあさん細胞発見できるというので、

世界雑誌ニュートンでも話題になりましたね。

これから国民一人ひとりがプログラミングを習う時代です。

ぜひこの増田プログラミング教室で、プログラムを習いましょう。

ね、頭痛くなる記事でしょ?上記記事レベルはこんなもんよ。

キーワードとして、「根管治療」(英語名Root Canal Treatment、以下“RCT”と表記

ラバーダム」、「マイクロスコープ」などを散りばめているだけで、上記文章と同レベル知識から

まず、日本保険適用の根っこの治療なんて、毎回200円くらいにしかならないから数千円なんて絶対適当

なぜ日本保険治療のことも理解していない人が、タイ治療については正しい記述ができると思えるのか不明


なぜ日本歯科保険診療が遅れてるか?

それは国がCOBOL縛りでプログラミング書けって縛ってくるのに、

患者グーグルマップみたいなサービス作りたいって言ってきて、

なんでも言語が使える自費診療すすめても、いや、保険きくからCOBOLでお願いします。って言ってくるからだろうが!

せめて日本学会関係者にでも取材して、なんでこういう状況になってるのかくらい聞けよ。

そもそも日本歴史的総合医ジェネラリストのまち医者)を増やすという医療政策をとってきたわけよ。

それは個人資質うんぬんじゃないの。出羽守がすぐにアメリカでは〜っていうけど、アメリカ歯医者、全員医者からね。

医学卒業して、そのあとで歯の勉強した人たちでエリート中のエリート。1日に3人患者みたら、生活できるから

15分おきに患者きて、インカムつけて仕事してる銀座歯医者なんかと比べちゃダメよ。

日本国民歯医者に通いやすいように、歯学部というものをつくった経緯があるのよ。

そのために供給過剰になってるけど、安く歯医者にいけるわけ。

最近は新専門医制度をつくって、分化していこうという話もあるけど、

患者側の意識が変わらないとなんでも屋を求めるから日本だとミスマッチしそうね。いろいろ面白いので調べてみてください。

あと、やぶが多いという話。うん、多いね

じゃあ、どこの歯医者いけばいいのか?

まず、クライアントであるあなた自分の歯をどうしたいのか、知識をつけること、

その症状に対して、得意な専門医がどこにいるのか調べること(歯学学会で調べられる)

学会症例報告などをきちんとしている開業医を調べること。

ここらへんでやぶはだいぶ弾ける。

え、めんどくさい?それなら、増田プログラミング教室行きですので、どうぞ。

クライアント要件定義する能力もないのに、SIer能力判断なんかできるかよっ!

あと、学会も誰でも自由につくれるので学会が言ってるから、というのは権威にはならないよ。

血液クレンジング日本酸化法医学会があるからね!

あと私は歯医者ではありません。ただの工学博士です。

2020-02-09

GIGAスクール抗争の視点 その2

その1では、MicrosoftAppleGoogleOS抗争についてみてきた。その2では、もっと小さい話、ネット上でのGIGAスクールをめぐる論戦について整理したい。

教育に関しては、専門外でも自分教育を受けた経験から語りたくなってしまもので、必要な前提知識現状認識もなくみんなが思い込みで好き勝手なことを言って噛み合わず、泥沼の混戦になってしまっている。

一台27万円のミスリード

そもそもおかし意見ネット上で飛び交い始めたのは、Newsポストセブンの書いた、ミスリード狙いの悪質な記事きっかけだ。嫌なのでリンクも張らない。

GIGAスクールとは直接関係のない渋谷区の事例を雑に一台27万円と記事にして、あたかも全国でそんな税金無駄が行われるかのように印象付けた。

その結果、「業者にぼったくっれている」とか、「無駄遣い」とか、GIGAスクール構想で27万円PCを導入するかのように勘違いした意見が噴出した。

内容を考えると、不当な高値ではないということは、NTTコミュニケーションズ稲田さんという人がまとめられているので、そちらを参照してほしい。

「1台27万円」はぼったくりなのか?

https://note.com/u17da/n/n1c5423754062

その上で、こんな構成だと渋谷区みたいなお金があるところ以外は導入できないため、そんな贅沢する必要ないというのが今回の標準仕様だ。

話の順番がそっくり入れ替えられているのがわかるだろうか。

政治主導の大型事業に対する批判世論喚起したいという意図の見える、ミスリード狙いの悪質な記事だ。

一人一台で目指すこと

悪質なマスコミに釣られた意見は置いておくとして、その他に多いのは、標準仕様スペックが低すぎるということ、学校にそんなもの必要なのかということ、ラズパイIchigoJamいいんじゃないのかということ、あたりだろうか。

こうした意見が出てくるのは、文科省が「何のために」という部分を説明しきれていないことが原因だと思う。

実際、一人一台で何をするのかというと、「Society5.0」とか「個別最適化された学び」とか「先端技術活用」とかよく分からない言葉が多く、イメージしにくい。

ただ、ここが不透明なままでは一人一台がなぜ不可欠なのかが共有できないので、ここは明確にしておく必要がある。

参考になるのが、GIGAスクール構想にあたっての文部科学大臣メッセージだ。

文部科学大臣からメッセージ

https://www.mext.go.jp/content/20191225-mxt_syoto01_000003278_03.pdf

この中のキーワードは、情報活用能力だと思われる。この言葉は、新しい学習指導要領にも出てきて、言語能力と並ぶ全ての学習の基盤なる資質能力位置付けられている。

この情報活用能力を掘り下げるために、頑張って下のリンク先の資料を読んでみた。

情報活用能力を育成するためのカリキュラムマネジメントの在り方と授業デザイン

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/09/18/1416859_01.pdf

その結果、これはデジタルシチズンシップのことを指しているのだと理解した。

あくま個人理解なので、違うかもしれない。だが、こう理解すると低スペックパソコンでも構わない理由説明できるので、こう理解する。

デジタルクリエティティではなくデジタルシチズンシップ

デジタルシチズンシップという言葉メジャー言葉ではないので、ピンと来ない人が多いだろう。

下のリンク先が非常にわかやすいので、とりあえずそちらを見てほしい。

【すべての子供たちにDQを】8つのデジタルスキルとは

https://medium.com/dqeverychild-in-japan/8-digital-life-skills-all-children-need-25e57b5365a9

スペック不足を指摘する人やラズパイを使えという人は、みんなデジタルクリエティティの話をしている。

彼らは恐らく、パソコンを扱うことに慣れていて、パソコンクリエティであるべきだという呪縛にがっちり縛られているのだと思う。

から噛み合わない。

iPhone3Gが日本で発売されたのは2008年iPad2010年LINEサービス開始したのは2011年LTEが2012年

今の小学生は、スマートデバイスインターネット普通に側にある中で成長してきた、人類史上はじめての世代なのだ

成長してから特別ものとしてパソコン出会った我々とは違う。

今の大人にとってパソコン問題は常にデジタルクリエティティ問題だった。

でも、子どもたちは違う。インターネットは生まれときから普通にそこにある環境なのだ

ドライビングテクニック習得する前に、彼らは身を守るための交通ルール理解しなければならないのと同じで、彼らはまずデジタルシチズンシップ習得しないといけない。

そのためには、安全を確保した環境で、大人が見守る中で使える端末を、一人一台持たせる必要がある。

家庭でそれができるなら問題ない。できない家庭があるから公教育でやる必要がある。

そのためには、安価な端末でなければならない。たとえデジタルクリエティティを培うのには不十分な性能しかなくても。

と、これがあの程度のスペックで構わない理由、そして、どうしても一人一台が必要理由だ。

端末スペックより大切なこと

この他の意見としては「導入しただけで終わるのではないか」、「使いこなせないんじゃないか」といったものがある。

これは、他の意見よりかなり現実を見た上での意見で、その分深刻だ。

現在のところ、情報活用能力、あるいは、デジタルシチズンシップ習得させる教育に関する具体的な実践は、この国ではほとんど行われていない。

先進校と言われるところでも、授業技術に優れた先生が、従来型の授業にうまく使っているだけで、子供たちの情報活用能力というより先生能力によって小道具としてICTを使っている。

このようなスタイルでは、デジタルシチズンシップ習得できない。

そもそも、従来型の一斉授業で習得することは不可能だ。

研修だけで、正しいパソコンインターネットの使い方を覚えた人がどれだけいるだろうか。

研修きっかけになるかもしれないが、普通はそのあと使いながら学ぶものだ。

プログラミングなんかは顕著で、なんとなく教えられたとおりに書いてうまく動いた時よりも、エラーが出てその原因を特定するために四苦八苦した時のほうが学ぶものは大きかったはずだ。

先生が完全に管理し、先生の指示通りに作業をするといった、従来の一斉授業の手法では、目的を達成できない。

端末のスペックよりもはるか重要なのは子どもたちが自分で考えてトライエラーを繰り返すことだ。ここが実現えきなければ、多くの人が心配しているように、一人一台パソコン無駄になってしまう。

教育情報化に詳しい識者が、この機会に一斉授業からの脱却を強く訴えているのには、こうした背景がある。

ただ、偉い先生はTo beを語るがAs isとのギャップを埋める方法や、妥協点としてのCan beを考えるのが得意ではない。このため、周囲はついていけない。

今の学校には、一斉学習を前提とした学習指導要領があり、現場ではそれを1年間消化するだけで手いっぱいになっている。子ども自由を与え、トライエラーを繰り返させる時間的余裕がない。

文科省が早急に考えないといけないのは、足し算の発想で膨れ上がった指導内容からICT活用することで省略や簡素化ができる項目や、個別学習代替できる項目を抽出し、子ども自由パソコン操作する時間を確保することだ。

これを現場に丸投げするようでは、GIGAスクールは上手くいかないだろう。

社会は変わるのか?

最後に、この先の展望を考えてみたい。

政令指定都市市長会が、文部科学大臣に将来的な更新費用も補助するように要望を出していた。

指定都市市長会GIGAスクール構想 に関する要望

https://www.kknews.co.jp/news/%E6%8C%87%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%B8%82%E9%95%B7%E4%BC%9A%E3%81%8C-%EF%BD%87%EF%BD%89%EF%BD%87%EF%BD%81%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%A7%8B%E6%83%B3-%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B

だけど、おそらく文科省は次の更新時には補助をする気がない。

それまでに、学校で一人一台パソコンを持つのが当たり前という状況を作り出し、ランドセルと同じように保護者に買わせることを目指していると思われる。

補助無しで更新する体力はどこの自治体にもないだろうから保護者が納得して負担してくれる状態になっているかどうかが最も重要になる。

そのためには、一人一台パソコンが埃をかぶるようなことなく、デジタルシチズンシップ習得有用ものであることが広く理解されることが必要だ。

そうなれば、社会認識は大きく変わる。

だが、学校カリキュラムが今のままでは、そのために必要時間そもそもとれない。

文科省が本気であることは、色々な面から感じられるが、一方で、明らかにマンパワーが不足しているのもよくわかる。

その中で、学校必要時間を確保するための方法検討できるのか、動向を注視したい。

間違っても、形だけの教員研修支援員の派遣などという対応に全力で取り組まないようにしてもらいたい。

特に支援員は、教員の甘えと依存につながり逆効果になるリスクが高いので、慎重にお願いしたい。

ということで、現時点では、また無駄投資になるリスクも大きく予断を許さないが、デジタルシチズンシップ義務教育課程で習得させる必要性は高く、今回のGIGAスクールにかかっているものは大きいということを広く理解してほしい。

2020-01-30

anond:20200130192344

想像力現実に実際に接したことがあるかどうかと個人資質だぞ

お金のある無しは関係ない

絵に書いたようなネトウヨでも人間人間になったら中国人韓国人に優しかったりするし

その逆に自称リベラル開発途上国人間に対してどこから物申してるの?発言したりするしな

2020-01-19

推せないジェンヌのやつ

SNSに向いてない人間からここで書くけど

センテンススプリングの推せる/推せないのやつ、俳優オタと2足のわらじを履く人間としては愚痴アンケートと何が違うんだという感じ。

書いてる内容もいわゆる「厄介」のツイートの内容と大差ない。

昔は1作だけトップやってすぐ退団、みたいなひどいジェンヌさんの使い方もあったけど今は長くやられる方もいても大体5作は平均してトップをやるので不遇なトップというのは見えにくい。

「○○さんの良さが分からない」みたいなアンケートもあったけどあなたがその人のことそもそもきじゃないなら良いところが見えるわけもないわけで…

私は各組チケットが取れれば欠かさず観に行くタイプですが、観る前はこの演目面白いのか?とか○○さんって歌/ダンス苦手だった気が…とか思っていても終わってみればだの演目スターさんにも良いところはあるし、楽しかったという気持ちで帰ることが出来ている。そんな時はいいところを今まで見つけようとしなかった自分が恥ずかしいとすら思う。

SNSをやられないジェンヌさんだからあい記事はむしろ目に入ってしまうかもしれない。

十倍の倍率をくぐり抜けて入団している人ばかりなのだからそんなことではへこたれない精神の持ち主だと思いたいけど、この記事を読んでモチベーションが落ちてしまうことがあったら私は本当に悲しい。

芸能界好き嫌いより無関心が1番本人にとってのダメージとは言うけれど、こういうのは流石に辛いと思うかもしれない。

ファンほとんどはちゃん演目と本人の資質をみているし、少なくとも私はそうでありたい。

皆さんは日本国内トップクラスの満足度を誇る舞台を作り上げている劇団の一員であることを誇りに思っていてほしいです。皆さんこれからも頑張ってください。

anond:20200119173922

その割にはメイク大変とかハイヒールが大変とか発狂してるよな

加えてそれを他者押し付け

性差ではなくて個人資質問題だと認識してるけどな

チンコマンコ脳とおれわたし素敵さんはジェンダーレスなのだ

事実脱毛しとるしなホストとかユーチューバーとか

2020-01-17

男だけど刀ミュを観に行ったら男を好きになった

ネタバレはしていないつもりです。

特定を避けるため、一部フェイクを含みます

BL要素はありません。

知り合いの女性(刀ミュオタクから、「チケットが余ったのでよければ一度観に来ないか」と誘われた。秋ごろのことだった。

彼女(以下、Aとしよう)はひとつの公演でそりゃもう何会場も回る筋金入りで、推し俳優リリースイベントバースデーイベントなどにも足繁く通うほどの生粋オタクだ(ほめてる)。都市圏ならば全国どこでも行くような人物であるが、もちろんこういうジャンルは得てしてチケット争奪戦が厳しい。というわけで仲間たちと複数人で申し込んで当たった誰かのチケットに便乗して……というのが通例になっているのだが、なんでも我々の地元愛知会場も同じように複数人で申し込んでいたところうまいこと全員当たってしまい、誘うアテがなかなか見つからなかったため試しに私に声をかけてくれたのだそうだ。(ちなみにA名義で4席あったため、共通女友達B、Cにも声をかけていた。)

最初は断ろうと思った。まあほぼ間違いなく浮くだろうし、「本当に観たい人がいるはずなのに自分なんかが行ってもいいのか?マナー的に。あとでツイッターで怖い女性ファンたちに匿名で叩かれ、磔刑にかけられるんじゃなかろうか」などということを思ったかなのだが、実際少なからず興味はあったのと、まあお金は出すんだし着席する権利はあるだろうと自分に言い聞かせ、誘いに乗ることにした。

私はもともと、女性向けコンテンツに興味がないわけではなかった。そもそも男性声優ラジオDGSとか)を聴く程度にはオタクであったし、アニメほとんど見ないものの、ハマってしまったFree!!のブルーレイは2期+劇場版までそろっているし(ちなみに推しは宗介)、最近ヒプノシスマイクの曲を聴いており、キャラごとのドラマパートまで聞くようになってしまったし。それに、件の刀剣乱舞サービス開始から1年程度はプレイしていたこともある。比較少年系の刀が好きだったので、蛍丸獅子王最後までメインの編成に入れていた。

しかし、2次元キャラでもなければ声優でもない、いわばゲーム原作が立ち上がった段階では関係のなかった、俳優たちによるゲーム原作ミュージカルに、果たして惹きつけられるような魅力はあるのか。一応演技のプロではあるが、歌のプロでもなく、ダンスプロでもない。原作への愛はあるのかとか、クオリティはどうなのかとか、気になる部分はいくつもあったし、今思えば少し懐疑的に見ていたような気もする。その答え合わせのために行ったような側面もあったと思う。

今回の会場はセントレアすぐ横のスカイエキスポという場所。初めて行く所だったので、少し早めに名古屋駅から中部国際空港駅への電車に乗ったのだが、まずここで驚いた。乗客の9割が女性。「え?これは”やった”(女性専用車両に誤って乗ってしまうの意)か?」と思った。必死背伸びし、血眼になって男性を探したところ、扉のすぐ前にスーツケースを持った初老紳士発見した。心から安堵した。私には彼が救世主メシア)に見えた。違和感に気づいてから紳士を見つけるまで時間にしてわずか3秒ほどのことであったが、私にとってはひとつなぎの大秘宝をめぐる壮大な冒険時間であった。ワンピースの正体が初老紳士だったらウケるだろうな。

多くの女性たちはよく見るとなんかカバンとか髪とかに似たようなヒモみたいなやつをつけており、ああ、彼女たちが今日の公演の来場者か、とそれで察しがついた。

私は音楽が好きでライブフェスにもよく行くのだが、そういったイベントに向かう来場者が一様に身に纏う”モード”みたいなものが好きだ。同じようなアイテムを身に着けた人々が、同じような期待感をもって同じ会場へ向かう。まったくの他人のはずなのに、全員で遠足に来ているような感覚に陥る。私は所有していた唯一の刀剣乱舞関連グッズ、蛍丸ラバーストラップカバンにつけながら、そんなことを思った。

到着したのは開演の1時間ほど前だった。先に現地に来ていたAと合流し、遅れてくるB・Cを待ちながら辺りを見渡してみた。女性ばかりだ。チラホラ見かける男性も、その多くは隣で開催されているFGOの展示会に訪れたような風采で、見たことあるキャラの見たことないグッズを手に奥の施設へと歩いて行った。事前には聞いていたが、男子トイレはがらんどうで、広々としたスペースの中に3人いただけであった。普通にめちゃくちゃ刀剣男子缶バッジつけてる方とかもいて驚いた。

B・Cとも合流し、我々は人波に流されるまま会場内へ吸い込まれた。会場内は予想していたより二回り以上大きくて、コンテンツ覇権っぷりを身に染みて感じた。

席は通路から4席分だった。私のにわか知識でも通路側は人気だと知っていたため、さすがに通路に接する席はAに座ってもらい、私はその隣に座った。Aはなんとも用意周到で、私の分のペンライトうちわまで用意してくれていた。刀ミュの専用ペンライトは優れもので、推しの色を先に登録しておけるらしい。私は操作指南を受けながら、スタンダード青色を初期配置として記憶させた。

またも話がさかのぼるが、私は以前からAに(オタク気質を見抜かれて)刀ミュ関連の画像動画の視聴を勧められていた。男性男性を推すというのは恐らくややイレギュラーことなのだろうが、その中で私は2人の”推し”を見つけた。

1人は鳥越裕貴氏。役は大和守安定だ。刀剣男子自体の役どころとしては真面目で実直ながら、どことな女性的で可愛らしいキャラクターだ。しかし、私はむしろ、役に入っていない状態鳥越氏に非常に魅力を感じた。というのも彼は、ツッコミが上手い。

これは私の持論なのだが、いわゆるコント的な場の空気になったとき、「なんとなくボケる」ことは誰にでもできると思っている。もちろんその巧拙については個人差があるが、ボケ簡単なのだ(だからこそ才能の発揮される部分でもあるのだが……)。対してツッコミは、才能だけでは解決できない。その場の状況を整理し、その場に応じた言葉を、できるだけ早く用意する能力は、長年のトレーニングによってのみ形成される。そうして身につけた能力を、玉石混交ボケ対応して発揮してあげるのだ。その点で、ツッコミサービスだ。だから、適切な、上手いツッコミができる人というのはボケの人数に対してかなり少ない。そして、鳥越氏のツッコミ能力は(少なくとも私が視聴したいくつかの動画でのトーク判断するならば)刀ミュ俳優の中では群を抜いている。おそらくこれは、彼が多様な人物積極的コミュニケーションを取り、相手尊重しながら話すことを心掛けてきたからなのではないか。そんな背景が透けて見えたりするところに人間味と魅力を感じた。(あと筋トレ動画シンプルに参考になった。)

もう1人の推しは、大平俊也氏。役は今剣。これは役のイメージと本人のイメージがぴったり合致する。中性的少年的で、あどけなさが残るところが氏の魅力だと思う。普通に顔が可愛い。初めて写真を見たときは、そういう印象だった。

ただ実は、彼に関しては開演前、これ以上の印象がとくになかった。動画などを見ていても、ただ容姿仕草が可愛らしい真面目な人という感じで、もう一歩魅力を感じる部分に欠けていた。強いて言うなら彼にはただ天真爛漫なだけではない、いわゆる「闇(この言葉が深い意味で使われることってほとんどないのであまり使いたくはないのだが)」を感じたような気がして、そこを興味深く考えたからなのかもしれない。(あとこれは完っっっ全に言いがかりなのだが、邦楽ロック界隈では見た目が中性的バンドマンほど性欲が強くてファンと寝まくっているという根も葉もない(たぶん葉くらいはある)噂がまことしやかに囁かれており、同じく大平氏も男性的な部分を見せたりするんだろうかという謎の興味もあったのかもしれない。)

そういうわけで、私はひとまず、2人のうちとくに人間として魅力的だなあと思った鳥越氏(安定)を推しとして設定し、ペンライトの色を決めたというわけだ。

私の席から見渡した辺りはほんとうに女性ばかりで、電車内の女性が9割だったとしたらここはもう99割が女性だった。男性存在についてAに訊いたところ、「まあほとんどが彼女に連れてこられてるだけの人だね」と言っていた。リア充爆発しろという一言でも言いたいところであったが、ここで爆発されたらイベントに影響あるし片付けとか面倒だろうな、と考えて口をつぐんだ。

照明が落ち、舞台が始まる。観劇自体がずいぶんと久しぶりだったので、なんだかいやに緊張した。隣に座るAは早速双眼鏡を取り出し、推しの額に光る汗を堪能しているようだった。(Aは同公演に何度も通っているため構成や内容を覚えてしまっており、推しが出てくる数秒前から出てくる位置にすでに双眼鏡を向けていたためさすがにすごすぎて笑ってしまった)

ドラマパートでは刀剣男子たちが次々に現れ、おのおののキャラクターらしい台詞で我々を楽しませてくれる。思っていたよりも総じて演技のレベルが高く、ちょくちょく挟まれる小ボケ普通に笑える。

そうこうするうち私が注目する安定が現れ、男子たちの会話の輪の中に飛び込んでいった。しかし、私はここで少し違和感を覚える。筋トレ動画を何度も見ていたせいか、あどけない口調の安定と兄貴肌の鳥越氏のイメージが重ならない。まあまあこれはこれでいいか、役なんだから、と納得させながら私は舞台のほうに居直った。

逆に、今剣は役と人物が寸分違わず重なった。大平氏の声・仕草は、本家ゲームで出てきた今剣のイメージほとんど同じだった。鳥越氏の力不足とかそういうことでは断じてなく、これは純粋大平氏の持つ魅力と、またそれを見越してあてがわれたキャスティングの妙だと思う。それほどまでに今剣の立ち回りは見事だった。

しばらくすると、おもむろに周囲の女性たちが起立し始めた。なんだなんだ、校歌でも斉唱するんかと思いながら付和雷同、私もペンライトを持って起立した。どうやらここからしばらくはライブパートらしい。ミュージカルと言いながらけっこう現代的な曲(EDMとかそっち寄り)なんだなあなどと思っていると、演者たちがステージで踊りだし、さらには客席中央ステージでもダンスが始まった。

私はまさに魅了された。大平氏のダンスである

先に言っておくが、歌もダンスも全員上手い。だがその中でも、大平氏のダンスは別格に感じた。なにって、踊っているのがはっきりと”今剣”なのだ。彼は背も高くない、体つきも華奢で、いわゆるダンサーとしての資質は他の刀剣男子に劣っているといえる。しかし、手足のフリが誰よりも大きい。大きいだけでなく、キレもある。そしてその懸命さが、彼のマイナス資質いっきプラスへと逆転させていた。ステージ上で彼の弱点は、はっきりと長所だった。「おそらく今剣が踊ったらこんな風なんだろうな」という彼なりの答えが、あのダンスには込められていた。

踊る彼を見て、この人は無敵だ、と思った。

ダンスに魅入っているのも束の間、舞台はまたすぐにドラマパートに戻り、ライブパートと交互に展開しながら進んでいく。そしてついに山場、俳優たちが客席まで降りてくるフェーズが訪れた。通る刀剣男子から直接手を振ってもらえたり、ウィンクされたりすることを、ファンサービスファンサ)というらしい。私は自分推しが通ったらなんとなくうれしいな、という程度で呑気に構えていた。(隣のAは推しの様子を見ながら奮起していた)

通りがかる刀剣男子たちをぼーっと見ていたときのこと、後ろ側からやってきた和泉守兼定が、私に向かって指をさし、はっきりと目線をくれた。一瞬、自分に向けられたものかどうかわからなかった。よくわからないが笑顔で応えたことだけは覚えている。こんなことを言うとタイトルの通り誤解されそうではあるのだが、私の知る限りあのとき感情に最も近いものは、恋だ。

理由説明できない。できないのだが、「イケメンが選んでくれた」という感情は、きっと男であってもうれしいのだと思う。それほどまでに私が受けたファンサは衝撃的だった。そして、推しでもない人でこれなのだから、これを自分推しから直接もらえるなどということがあれば、それはどれほどのクソデカ感情になるのか。想像すると、むしろ恐ろしくなるほどだった。

終演までのライブパート、私は自然と目で今剣を追っていた。彼の、あの衣装でのダンスもっと見たい。いつまでも見たい。だんだんとそう思うようになっていた。

終演後、私はAに感想を伝えた。予想していたよりずっと面白かったと述べると、Aはしたり顔であった。彼女は物販に行くと(地元なのでここでお金を落としたいという敬虔オタク然としたことを言っていた)私に伝え、人波に消えていった。

帰りの電車は行きよりも空いていた。今思えば、夜公演まで見ていく人たちがけっこうな数いるのかもしれない。私は大平俊也氏のツイッターアカウントを捜し、迷わずフォローした。



Fear, and Loathing in Las VegasというバンドMinamiというメンバーがいる。彼はステージ上で、まさに狂人だ。髪を振り乱しながら叫び、かと思ったらわけわからんパラパラみたいなダンスを踊り、でも楽器ちゃんと弾く。そして、嘘くささが一切ない。

Soil&”PIMP”Sessionsというバンド社長というメンバーがいる。紅白とき椎名林檎の後ろでヒマそうにしていたあの人だ。彼はジャズバンドの中にいながら、楽器を(ほとんど)弾かない。彼の担当は”アジテーター煽動者)”。悪趣味マフィアみたいな恰好で、ステージ上をふらつきながら、メンバー演奏のぞき込んだり、客席をメガホンで煽ったりする。ほんとうにこの役割必要だと思っているのか。どこまでが演技で、どこまでが素なのか。まったく読めてこない。

私は彼らを見るたび、自分に成しえないことをしていると尊敬する。

私は、エンターテイナーが好きだ。それは、役を”憑依”できる人のことだ。舞台の上で演じる人たちは、素の自分のままではもちろんいられない。しかし、役を演じすぎると、それはそれで嘘くささが付きまとう。だから役を演じていながら、まるでそれが役だと感じさせない立ち振る舞い。そういう”憑依”を楽しみに、私はミュージシャンライブへ足を運んでいる。

大平俊也氏は、まさにこのエンターテイナーだと感じた。彼は舞台の上で、間違いなく今剣だった。仕草や声の可愛らしさと、ダンスの躍動感。(あと顔の良さとかもろもろ。)それらをひっくるめて、私はしてやられた。

鳥越氏はもちろん好きだ。しかし、実際に見た舞台では(少なくとも刀剣乱舞という題材では)、大平氏のエンターテイナー性のが私にとっては魅力的だった。それだけのことだ。間違いなく今後も、鳥越氏の動画は見続けると思う。

私は自宅に帰り、もらったペンライトを取り出した。推しの色をピンクに設定し、棚にしっかりとしまった。次は、ピンク色のヒモみたいなやつも手に入れたいところだ。

2020-01-15

anond:20200114132919

自分なりにこういうことと考えているので、共有してみる。

【前提(仮定)】

●「やりたくないこと」は、社会的には何らかの経済価値がある事項であることが多い

(→会社の売上や研究成果等。社会的価値がないのであれば、そもそも嫌がる他人給料を払ったりしてまでやらせ必要がない。)

●「自分がやりたいこと」に、経済価値があるかどうかはケースバイケース

(→たまたま自分のやりたいことが経済価値がある(金を生む)人もいるが、そうでない場合も多い。)

●「やりたくないこと」に取り組む場合に、どの程度やる気や成果が減衰するかは個人資質/性格次第

【前提(仮定)を踏まえての整理】

●「自分のやりたいこと」が、「社会的経済的な価値のある」事である人は、粛々と自分のやりたいことをやれば良い。元増田はこのケース。

●「自分のやりたいこと」に「社会的経済的な価値がない」ひとのうち、「やりたくないこと」でもやる気や成果が減衰しない人は、「やりたくないこと」に取り組むことで良い。「やりたくないこと」は社会的には価値のあるものであり、それを通じて新しい成長もある。

ネットに多いのは、「自分がやりたいこと」に「社会的経済価値がない」のに、「やりたくないこと」をやらされるとやる気や効果が著しく減衰するタイプ

自分のやりたいこと」に自ら価値を付けられる(新たなマーケット作る)実力や意志も無いくせに、文句ばっかり言っている奴の多いこと。

要は適正を見極めるゲーム

好きなことをやるっていうか、要は適正を見つけるゲームでしょ。

誰にだって向き不向きはある。

そしてそれは遺伝的に決められてる要素だから学校の均質化したカリキュラムで個々人の資質が見い出せることはないってこと。

たまたま突出した才能があって遺伝子的に向いてることやって、さらにやれる環境が整っていれば誰でもそうなる。

でも多くの人は向いていることも見つけられず埋没してしまうから学校という環境が下支えになって底辺への転落を防ぐ役割になっているわけで。

から結局のところ、個々人でそれぞれの遺伝的要素に向いていることを見つけるゲームだってこと。

そもそもパラメーターも人それぞれ違うし、当然目に見えないから本当に向いてることなんてそうそう見つけられない。

まずは好きなことからチャレンジして、適正を見極めるっていうのは効果的な方法だよね。

ある程度できてるから楽しんで続けられるわけで。

吸収も早いから成長が楽しめる。結果続けられるという因果関係

すぐに辞めてしまうことには適正がないって判断もできる。

本当はみんながそうできればいいけど、適正だけじゃなく環境も人それぞれだから結局格差が出てきて複雑になっちゃうんだけどね。

やりたいことをやれるお金時間もない人が山ほどいる。

病気介護で好きなことができない人が山ほどいる。

から適正を発揮できるのは一部の才能と環境に恵まれ個人って一般的帰結に着地する。

難しいよね。

参考図書日本人の9割が知らない遺伝真実/SB新書

2020-01-14

森田太郎さん、めちゃくちゃ政権擁護する

NHKBs1番組で「日本人資質として上から言われたことをやるわけではない」と言って官僚のせいであると言っている。

2020-01-12

単純な接触回数と、負荷のかかる状況の共有で仲良くなった関係

目的限定された友好関係と言える

なので個人資質はそこまで大きく問われない

関係が解消されてからは戦友といったような関係に移行する

そこからは近況連絡くらいになる

anond:20200112111539

そう思ってるぞ

ただ全員が全員そうではなくて

しろ殆どの人が気持ちいい接客をしてくれる

マニュアルはあれどリアルタイムコミュニケーションから

個人資質/工夫によるところが大きいのに

ロクでもないのを見るとそれを全体として捉えがちな人がおるのよね

ロクでもないのは接客以外も仕事をしてもロクでもない

2020-01-11

しょっちゅう休む人、ってたしかにいる

こんなんで仕事になるの、って感じの

明確化してない問題負担が大きい場合もあるし

逆に責任が絞られすぎてて、いつ休んでも問題ないっていう場合もある

体がもとから弱い、あるいは病気その他で弱くなった場合もあるだろうけど

そういう場合はまず採用時に相談する場合が大半だと思う

職場業務状況や本人の資質確認してみて、問題ありそうなら配置転換とか考える

最終的にはこちらの都合と向こうの都合が合うかどうか、とそれだけの話

下っ端働きなのでどうしても出なきゃいけない、って日は案外限られてるし

調整も人数いればまあ回せるし

2020-01-03

anond:20200103154522

相関関係があることと、因果関係があることはまた別だ。

相関があっても何の関係はないことはよくある。

 

出生率が高いのは子一人を育てるコストが低い社会だ。

まり小卒の単純労働力を多数求めるような発展途上国である

 

産業が発展してきて4次、5次となっていくと、より高度な教育を受けた人間必要になる。

より高度な教育を受けた人間はより高給をもらえる。

たんじゅんに勝ち組である

 

男はこの勝ち組を目指す志向が強い。より高度な教育を受けたことで高給職についた男は

自分の子にも高度な教育を受けさせようとする。

しかし、高度な教育親の金銭をより必要とする。つまりコストである。 

コストな子を育てるためには、同じように高度な教育を受け高い資質保証される妻であるほうが効率が良い。

 

そういうわけでまず男が高コスト化し、

次いで女が高コスト化する。

 

このコストを下げるためには…あれであるアインシュタインが語った第四次世界大戦

この第4次世界大戦後には、日本出生率は"回復"しているであろう。

人口も減っていて産めよ増やせよ雰囲気だろうしね。

大学受験の思い出

もうすぐ最後センター試験であるもっとも、諸々の仕様変更があった結果来年度以降の「共通テスト」も現行のセンター試験とあまり変わらなそうではある。結局センター試験+個別の2次試験というシステムベストではないがベターな仕組みなのだろうと思う。

高校時代1人の友人がいた。彼は学校先生になりたかった。そのためには教育学部(いわゆる教員養成系、旧帝大教育学部名称こそ同じだが教員を目指す課程ではない)に入る必要があった。教育学部の中で一番レベルが高いのが東京学芸大学であり、第一志望は学芸大だった。ただ、教員養成系というジャンル特性上、一番レベルの高い学芸大でもセンターボーダーは7割5分から8割程度で、旧帝一工のようにべらぼうに高い訳では無い。したがって、元々頭の良かった彼はかなり余裕をもって学芸大に受かった訳である

YouTuberグループ東海オンエアの虫眼鏡氏も概ね似たような経緯で愛知教育大学に入っている。一定数その手の人間はいるようである

俺の周りで第一志望に受かった人物というのは指定校推薦組に加え、一般組でも実力に対してかなり控えめな大学を目指した人間殆どであった。そうでなければ、早慶国立を目指してMARCHMARCHを目指してニッコマといった人間が大半で、明治を目指して法政なら勝ち組だし、早慶を目指してニッコマというのもざらにいた。

大学受験界隈ではやたらと“第一志望”という言葉煽り文句に使われる。しかし結局のところ大学受験は元々の地頭による部分が大きく、なるようにしかならない。現状最適という意味でよりレベルの高い大学に入るに越したことはないし、就職活動でもSPI公務員試験において高校時代勉強した経験は活きる。その一方で、第一志望に落ちたところでそれが普通であり、別に何が起こる訳でもない。就職活動に失敗したとしてそれは大学名ではなく本人の資質問題である

大学受験如きでそんなに根を詰めすぎないでほしいなと思うし、周りの大人も騒ぎすぎないでほしいと思う。

2020-01-02

anond:20200102174243

目利きとかいうと卓越した個人資質問題になるけど、そうじゃなくて、日本科学技術文化を振興していくためのプロマネ重要課題設定、リソース分配の組織的な仕組みがうまく機能していないところに課題があるのでは。ただし、科学技術文化振興のプロマネができる人材ってもう国内で賄えないだろうな。

2019-12-31

2019年宮城県大学野球を振り返る

半年で見事にリバウンド、1年前の脂肪肝状態に戻った反省から断酒をしていたが、大晦日くらいは……ということで、アルコール支配された脳みそを振り絞り、何とか年内中に書いてみたいと思う。

春秋ともにリーグ制覇を達成した福祉大も、全国ではいずれも早期敗退と寂しい結果に終わってしまった。特に秋は最終回に4失策(実質5失策)という、鉄壁守備を誇る野球エリート軍団しからぬショッキングな形での敗退となった。

春は打力不足を露呈しただけに、秋は東海大相手に8得点課題の克服はアピールしたものの、自慢の守備があそこまで乱れては……4年になってからずっと良くなかった津森が最後最後復調の兆しを見せていただけに惜しかった。

春の反省で打撃を磨きまくった結果、秋は守備が疎かになってしまったのだろうか?

春は無双状態を続けていた山野も、秋は不安定さを感じさせるピッチングに終始した。ラストイヤーは、年間を通してモノの違いを見せ続けて欲しい。

レギュラー野手陣では、個性豊かで頼れる4年生軍団がゴッソリと抜けてしまうのが痛い。残された下級生レギュラーでは、プロ注目のショート元山全国大会決勝点となるHRを放ったサード楠本弟もラストイヤーを迎える。元山は、ドラフトを考えると走力でのアピール全国大会での打撃の結果がもうひとつ楠本は速球の対応と、意外に守備の安定感が課題。2人とも来年は、圧倒的なパフォーマンス数字を見せつけて欲しい。

下級生の投手では、三浦がまずまず活躍を続け、ノーノー男・綱脇が台頭してきたものの、椋木・佐川の2年生コンビがパタリと姿を見せなくなった。来年リーグ戦で投げているところを久々に見たいものだ。

野手では、最終的にスタメンを勝ち取った大里新人戦でキャプテンを務めた斎藤の打撃面での成長が著しい。走攻守そろうルーキー・杉澤も木製バットでの対応力に成長の余地があり、定位置の確保が期待される選手だ。

ロマンあふれる4年生軍団の全国出場があちこちファンから期待されながらも、福祉の壁を超えられなかった仙台大。

投手では大関稲毛田小林

野手では佐藤優、柿澤といった有力な4年生たちの全国での活躍が見たかった。

怪物・宇田川は、決して満足のいくシーズンではなかった。特に秋は、自慢の速球が走らず、フォーク頼みのピッチングが続いた。また、苦しい時のマウンド捌きにも課題を残す印象を受ける。素材は素晴らしいものがあるだけに、一つ一つを克服し、全国出場と最高評価での指名を目指し、精進して欲しい。

その他投手陣では、長久保松本佐藤亜と1年生の活躍が目立った。

特に1年生左腕らしからぬコントロール変化球の精度を兼ね備える長久保ピッチトンネルの使い方は、もはや学生レベルを超えていると言って良い。

来年以降も先発の柱として大きな期待がかかる。同じく実戦派の佐藤亜、サイズは宇田川以上の巨漢・松本と、今後の同校を担う投手たちの成長が非常に楽しみだ。

野手では、今津佐野といったスーパールーキーも早いものラストイヤーを迎える。コンスタント活躍し続けてきた姿は立派だが、来年はチームを全国へと導く爆発的な活躍にも期待がかかる。

その他、永長・益子小笠原大北川村といった経験豊富な下級生レギュラー組が残る点も大きなアドバンテージ

番手は、持ち得るパフォーマンスをフルに発揮できる学院大か(その点を県内高校で例えると、なんとなく三高が被る)。

長いこと4番・捕手を務めた渡邉離脱は痛いが、早坂という成長著しい正捕手候補がいるのは大きい。投手陣も速球派右腕が揃っており、左腕の台頭がポイントか。

野手陣も布施林田根本など打力のある新人が残る。新入生でも、一芸に秀でた逸材たちが入部予定とのことで、早いうちから出場機会を与えられるかもしれない。

学院とは対照的に、個々の能力資質は確かながらそれらを実戦で中々生かすことのできない工大は、投打において絶対的な柱となれる選手必要だろう。

軟投派投手で小刻みに繋いだり、新人戦のようにアベレージヒッターを4番に置いてなんとかしてもらうのではなく、有望株は多いだけに、王道の戦法で挑んで欲しい。

東北大・宮教大の国公立勢も、田村・鳩原・松下クラスはいかなくとも、例によって見所のある選手複数存在する(つい先日、松下独立リーグで再開すると知った時はものすごく嬉しかった)。

ラストイヤーを迎える東北大・中尾は素材だけなら先輩の田村と比べても遜色ないし、指にかかった時の140キロ超の速球は私学勢でも苦戦するはず。そろそろひとり立ちしなければならない時期だ。

宮教の速球派・青木も、ラストイヤーを迎える。速球のスピードは確かだが、1年の頃からほとんど変わっていないのも事実だ。今シーズンチェンジアップはじめ変化球に大きな成長を感じただけに、速球の進化次第では大化けも期待される。

東北大は、打力強化の成果が出てきており、椋木・山野高川学園福祉コンビ連続無失点記録を2年連続HRによって破るなど、インパクトのあるシーンを量産している(近年の二高といい、インテリ守備を捨ててでも打撃を強化するという方向に落ち着くのだろうか?)。

宮教も、4番も務める守備職人小原、あと一歩で盗塁王を逃したシュアな打撃も魅力な菅野高校時代は4番も大学洗礼を味わった猛肩・大川口など、見所のある野手散見される。全体的にパワー不足は否めないので、投打共々、一冬での成長を期待したい。

福祉一強の様相を見せる仙六リーグだが、すべての大学に見るべきものがあり、今後どう勢力図が変わってもおかしくない雰囲気がある。一度ハマると、高校に負けず劣らず魅力的な仙台大学野球を、来年度も追い続けていきたい。

2019-12-30

anond:20191230133114

生業と揃えるメンバー業務構築によるだろうの意味がご理解頂けなかったのであれば説明するけども「アスペ」って言われません?

・・・まぁいいでしょう。

以下が読み取っていただきたかった“行間”ってヤツです。

例えばA氏が社長ではなく投資家であるならば、「儲ける仕組み」を確立している会社投資する必要があるでしょうし、誰がやっても同じ結果にならない個人資質依存するビジネス投資するのは非常にバカげた選択だと言えるでしょう。

しかしA氏が投資家ではなく、社長事業主だった場合どうでしょうか?

A氏は「儲ける仕組み」を確立していなければ起業するべきではないでしょうか?

世の中に届けたい作品製品サービスがある、あるいは単純に日々の生活の糧を得たい際に、起業はするべきではないのでしょうか?

またその業務を補うためにパートタイムを含めた雇用はすべきではないのでしょうか?

もちろん答えはNOです。

その場合において必ずしも社長従業員ともにハードワークになるのでしょうか?

もちろん答えはNOです。

anond:20191230132833

「大きくなっても経営者個人資質依存している企業はある」が「小さいうちは経営者個人資質依存せざるを得ない」への反証になると思ってるとすれば、論理能力に欠陥があるとしか……

anond:20191230130055

規模が小さいときって少数者の個人的資質ややる気が全体を左右しちゃうんだよ。

具体的に言っちゃえば、言い出しっぺ=創業者経営者のがむしゃらなやる気や私生活を投げ打った労働が、全体の業績を決定しがちなわけ。もっといえば、たったひとりの意思者が労働者を食わせていく構造だとも言える。これって小規模である以上避けがたい。

そういう創業時の黎明ってのは、ドラマ的に言えばすごく盛り上がるし格好いいけれど、一般論で言えばブラックでひどい勤務体制ではあるわけだ。偉人伝としては免責されるが、例えばそういう人は家庭人としての幸福は(少なくともその時期)諦める必要がある。

そして、大きくなろうとするのは、大きくなることそのもの目的ではなく、安定することが目的なんだよ。

たった一人のやる気に依存する収益体ではなく、ビジネススキームマニュアルに従えば(相応に優秀である必要はあるが)誰がトップであっても収益を上げ続けられる組織になることが目的なわけ。そうすることによって創業者人間的な余暇を手に入れられるし、あるいは経営権を誰かに売って、自分あらたなる別の起業に向かったり、新ジャンルに手を出したりできるようになる。

2019-12-29

サービスを使う側での作業品質について

積極的提案は良い

が、こちらに意見し従わないレベルになると当然評価は下がる

こちからの指示に的確に応えるのが基本

これが早く精度も高ければ評価は上がる

が、そうは言っても同じ指示を繰り返すことはほとんどないため、指示の難易度仕事の精度を評価するのは印象でしかないことも多い

サービスの直接的なレベル評価は外部に委託しないと難しい

とはいえそこまでいちいち行うこともなく、通常はこちらに応じる表面的な部分での印象評価となる

コミュニケーション面で一般的礼儀マナーを弁え、適切なタイミングで定期的に報告があること、トラブルについては即連絡があること、これくらいで及第点であり必要な間は継続対象として評価する

では必要な頭数が減る計画となった場合に、どう判断するか

単価と現場業務との兼ね合いでより効率的な方を残す

スキルが高いとされても、単価が高い・現場業務期間が短い場合は手放す

現在現場では大きな差が出ないレベルで分業化できており、技術的な部分は別チームに切り出すことが可能

必要なのはスキルよりも現場業務知識の方になる

とはいえサービス会社人事権こちらにはないため、こちらの希望はあれど最終的には向こうの提案を元に条件を詰めて合意することになる

人柄や人となりの面で好感の持てる人物であるならそれはそれで望ましいが、あくま仕事上の関係であるため、仕事をする上で不都合がないようならそれで良い

人柄よりは組織としての行動ができていることの方を重視する

情報を自社やチーム内で共有し分担でき、チームメンバーと協力して動ける程度の資質があれば十分だ

ある人とは仲が良く連携積極的だが、折り合いの悪いメンバーとは口を聞こうとしない、好き嫌いがあるタイプ申し訳ないが資質として不適切評価する

役割に応じた仕事をやってもらう際に、特殊考慮必要となってしまうから

異動や役割の変更も業務上当たり前に発生していくものなので、特定役割特定人間関係のみで仕事するというのは割と大きなネガティブポイントになりうる

評価するとすればその逆で、一緒に仕事をするメンバー立ち位置の変更に寛容であるタイプ

さらには知識新メンバーに教え、指示を出していけるタイプなら申し分ない

こちらは指示出しするインターフェースとしての存在を変えることなく、作業の規模を大きくすることができるから

積極的コミュニケーション、いわゆる営業するタイプについての評価については、これはもう評価する側によるかもしれない

何気ない雑談普段からしていると体制変更についての打診も話しやすいところはある

が一方で推しが強いというのか、アピールが多すぎるのは個人的には面倒に感じる

必要な話はこちからするし、アピールに付き合うにも時間を取られてしまうから

日々の挨拶プライベートに踏み込まないちょっとした雑談をするくらいの関係が、一番適切な距離感だと思う

努力することができないキミたちへ

努力ってのはさ、やろうと思ってできるものではないんだよ。

ドーパミンっていう脳内物質があるんだけど、それが沢山脳内から放出されれば体が勝手努力するものなの。

逆にいうとドーパミンが流れないと、いくら頑張ろうと思っても頑張れない。結局努力できるかどうかってのも生まれつき決定されていた資質ってわけ。

から努力はもう諦めて怠惰無能自分を受け入れようよ。

高い理想掲げてそのたんびに挫折して自己嫌悪に陥ってきたんだろ?もう肩の力抜いて楽に生きろよ。

anond:20191229113457

加害性が邪魔なだけの資質とされ始めたのってここ百年くらいの話だろうし、そんな短期間で淘汰されんだろ

いずれ淘汰されるんだろうけど

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