好きなことをやるっていうか、要は適正を見つけるゲームでしょ。
誰にだって向き不向きはある。
そしてそれは遺伝的に決められてる要素だから、学校の均質化したカリキュラムで個々人の資質が見い出せることはないってこと。
たまたま突出した才能があって遺伝子的に向いてることやって、さらにやれる環境が整っていれば誰でもそうなる。
でも多くの人は向いていることも見つけられず埋没してしまうから、学校という環境が下支えになって底辺への転落を防ぐ役割になっているわけで。
だから結局のところ、個々人でそれぞれの遺伝的要素に向いていることを見つけるゲームだってこと。
そもそもパラメーターも人それぞれ違うし、当然目に見えないから本当に向いてることなんてそうそう見つけられない。
まずは好きなことからチャレンジして、適正を見極めるっていうのは効果的な方法だよね。
ある程度できてるから楽しんで続けられるわけで。
吸収も早いから成長が楽しめる。結果続けられるという因果関係。
本当はみんながそうできればいいけど、適正だけじゃなく環境も人それぞれだから結局格差が出てきて複雑になっちゃうんだけどね。
だから適正を発揮できるのは一部の才能と環境に恵まれた個人って一般的な帰結に着地する。
難しいよね。