はてなキーワード: ノミックとは
幾何学的ラングランズ・プログラムと M 理論・超弦理論の関係を、抽象数学を用いて厳密に数理モデル化する。
まず、以下のデータを考える。
- このスタックはアルティンスタックであり、代数幾何学的な手法で扱われる。
- 𝑋 上の ᴸ𝐺-局所系(つまり、平坦 ᴸ𝐺-束)の同型類全体のスタック。
- これは、基本群 π₁(𝑋) の表現のモジュライスタックと同一視できる。
幾何学的ラングランズ予想は、以下のような圏の同値を主張する。
𝐷ᵇ\_ℎₒₗ(𝐵𝑢𝑛\_𝐺(𝑋)) ≃ 𝐷ᵇ\_𝑐ₒₕ(𝐿𝑜𝑐\_{ᴸ𝐺}(𝑋))
ここで、
この同値は、フーリエ–ムカイ変換に類似した核関手を用いて構成されると予想されている。
核関手 𝒫 を 𝐵𝑢𝑛\_𝐺(𝑋) × 𝐿𝑜𝑐\_{ᴸ𝐺}(𝑋) 上の適切な対象として定義し、それにより関手
Φ\_𝒫: 𝐷ᵇ\_ℎₒₗ(𝐵𝑢𝑛\_𝐺(𝑋)) → 𝐷ᵇ\_𝑐ₒₕ(𝐿𝑜𝑐\_{ᴸ𝐺}(𝑋))
Φ\_𝒫(ℱ) = 𝑅𝑝₂ₓ(𝑝₁∗ ℱ ⊗ᴸ 𝒫)
ここで、
𝑝₁: 𝐵𝑢𝑛\_𝐺(𝑋) × 𝐿𝑜𝑐\_{ᴸ𝐺}(𝑋) → 𝐵𝑢𝑛\_𝐺(𝑋), 𝑝₂: 𝐵𝑢𝑛\_𝐺(𝑋) × 𝐿𝑜𝑐\_{ᴸ𝐺}(𝑋) → 𝐿𝑜𝑐\_{ᴸ𝐺}(𝑋)
問題点は、この核 𝒫 を具体的に構成することが難しく、これが幾何学的ラングランズ予想の核心的な課題となっている。
ヒッチン写像を導入する。
ℎ: ℳₕ(𝐺) → 𝒜 = ⨁ᵢ₌₁ʳ 𝐻⁰(𝑋, Ωₓᶦᵈⁱ)
ここで、ℳₕ(𝐺) は 𝐺-ヒッグス束のモジュライ空間、ᶦᵈⁱ は 𝐺 の基本不変式の次数。
完全可積分系: ヒッチンファイブレーション ℎ は完全可積分系を定義し、そのリウヴィル可積分性がモジュライ空間のシンプレクティック構造と関係する。
Kontsevich のホモロジカルミラー対称性予想に基づく。
𝐷ᵇ\_𝑐ₒₕ(ℳₕ(𝐺)) ≃ 𝐷ᵖⁱ 𝐹ᵘₖ(ℳₕ(ᴸ𝐺))
ここで、
- 𝐷ᵇ\_𝑐ₒₕ は連接層の有界導来圏。
- 𝐷ᵖⁱ 𝐹ᵘₖ はフカヤ圏のコンパクト対象からなる導来圏。
この同値は、ヒッチンファイブレーションを介してシンプレクティック幾何と複素幾何の間の双対性を示唆する。
𝐷ᵇ(𝐹ₗₐₜ\_𝐺(𝑋)) ≃ 𝐷ᵇ(𝐻ᵢ₉₉ₛ\_𝐺(𝑋))
ここで、
- 𝐹ₗₐₜ\_𝐺(𝑋) は 𝑋 上の平坦 𝐺-束のモジュライスタック。
- 𝐻ᵢ₉₉ₛ\_𝐺(𝑋) は 𝑋 上の 𝐺-ヒッグス束のモジュライスタック。
作用素:
M 理論におけるブレーンの配置:
- ℝ¹,³ は 4 次元の時空。
- Σ は曲線 𝑋。
Lurie の高次圏論:
幾何学的ラングランズ・プログラムと M 理論・超弦理論の関係は、以下の数学的構造を通じてモデル化される。
これらの数学的構造を組み合わせることで、幾何学的ラングランズ・プログラムと M 理論・超弦理論の関係性をモデル化できる。
私マウスの旅してるって話ししたっけ?
エルゴノミックのやつでマイクロソフトのおっぱいみたいな丸いマウスが廃番になってそれから困ってマウスの旅に出掛けたまんまのー
おかえり!そしてただいま!を言っていなかったような気がするのよ。
ちなみにおはようからおやすみまでは、
そんでその
私のマウスの旅は終わったわ。
とうの昔にね。
高いけど、
その安い版のジェネリック他社のマウスエルゴノミックのやつ3000円弱のを好んで使っていて安っー!っつって喜んでいたんだけど、
弾かれて回した方向と逆にスクロールしたり上下にぷるぷると交互にスクロールし始めたりと、
部品の耐久性の弱さの証明を3台ぐらいこの3000円のマウスを買ってみて、
その都度その都度買い直しまくりまくりすてぃーだとなんだかアホらしいことに気付いちゃった山脈に向かってヤッホー!って叫んだんだけど。
それなら大奮発して
清水の舞台から飛び降りて実際に死んだ人はいないって伝説の境内にあるあの重い2トンあるでお馴染みのゼットソードを持ち上げに行こうと京都寄った際に行ったけど、
もうさー!
そんでもう大奮発して清水の寺からデラックスに飛び降りて美味しいランチでも食べようと近所を散策してみようと思ったけど、
やっぱり京都市の中のメジャーな観光地は人がパンパンであんまりオススメ出来ないわ!
でも一瞬だけ一瞬だけ
あのまんが日本昔話の絵に出てくるようなオープニングの龍が書いてある私もそれ再放送でしか見たことないんだけど、
そのお寺のその絵の書いた下に行くことが1回だけ出来て、
まるで龍がガオー!って鳴くような反響の音がして、
それができたので、
本当にガオー!って鳴ったから凄かったわよ!
そんで何の話しだっけ?
マウスの話しのただいまお帰りの話しで、
おはようからおやすみまでを見つめるのはライオンで、
私はちょっと大奮発して清水のお寺からデラックスに飛び降りたけれど未だかつてそこで舞台から飛び降りたとて
死んだ人はいないって伝説を叶えるための手に持ちやすいマウスを探していたって、
えいや!って大奮発して買ったの。
結構もう使い込んでいるけれど、
なるー!
ちなみになるー!って言うのはなるほどー!のことで、
今だけにしか言えないなるー!なのよ。
そんで、
そう言ったようなことの言い得て妙なことわざが無いところがもどかしいわ。
結局これはなんのお話だったの?って思うほど
私は高いマウスをえいや!って清水の舞台のデラックスなところから飛び降りた気持ちで大奮発して買ってみて正解だったわ!
そう思うと、
いっそのこと
えいや!って飛び降りるコンテンツをショーとしてそこから清水の舞台から鳥人間コンテストすればよくない?って安直に思っちゃうんだけど、
どうかしら?
何個か買い集めたので、
あとちょっとは持ちこたえることができるけれど、
キーボードはマウスほど激しく消耗しないことに激しく同意って言う意味の禿同!と言いたいところなので、
もしかしたら一生分賄えているのかも知れない鴨鹿!
そんな鰯気な気持ちにはなっていられないのよね。
チリには今まで3回ぐらいは行きたいなーって思ったぐらいなほどよ。
うふふ。
ランダムで決まると行っても鮭と鯖の2種類から選ばれるそれはランダムと言ってもいいのか分からないぐらいな
思わず内田裕也さんばりに鮭な!ベイビー!って朝から美味しくいただいた次第よ。
グレープフルーツを1玉買ってきて、
輪切りにしてボトルに入れて一晩置くまでもなく、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そろそろキーボードを探す旅にも出なくてはと思います。愛用しているのはマイクロソフトのエルゴノミックのkeyboard 3000で安かったので、なんとなくそれを使っている感じです。
が、結構使っているとキーの印刷してある文字が消えて、誰かが私の席に着いたときキーボードに文字がなくて打てない!ってクレームを言われますが、自分では何も支障ないのでそのままにしています。
手もとを見ずに打つのはできるのですが、たまに手もとを見て打つときは自分でも分からないときが一瞬だけあります。
湾曲したタイプのキーボードがしっくり手に合うので、もうまっすぐのタイプのは使いにくい感じもします。
なにかいいのがないかと湾曲したタイプを探す旅に出たいところですが、売り場ではほとんどまっすぐのタイプしかないので、ネットで探して漁ってみようかなと思います。
いろいろキーボードのことを調べていたら自作キーボードの世界もあるらしく、凄い世界だなと思いました。
今のところキーの利きが悪いと言うこともないのですが、たまには気分転換したいところですね。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
増田の旅はまだまだ終わりそうにないですが。
マウスを探す旅に出ました。愛用しているのはマイクロソフトのエルゴノミック丸いマウスを使っています。
が、結構使っているとボタンの効きがなんとなく鈍く悪くなってくるので、今までで3つぐらい買い替えています。しかも毎回それで6000円ぐらいかかるのは流石に痛い。
と言うことで、そのマイクロソフトのエルゴノミックマウスを越える、シンプルな機能で腕に優しく握りやすいものを探す旅に出たというわけです。
こればっかりは店頭で実際に手に取ってみなくてはと言うことで、これを越えそうなマウスがあるか期待していなかったのですが、
いきなり手にしっくりくるサンワサプライのMA-ERGW10Nがいいかも!と思って買ってみました。1日も使えば慣れてくるので案外使い心地良いかもしれません。これも結局は4000円ぐらいはするのですが多少は安くおさまりました。
マウス沼とはいかないでしょうが、マウスの旅は楽しいかも!と思ってしまいました。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
増田の旅はまだまだ終わりそうにないです。
24歳、来週から社会人3年目。元々あまり姿勢がよくもないし、おまけにデスクワーク中心。お陰で肩こりが本当に酷かった。
どうにか改善しようと思って色々試してみて、今のところ「効いたな!」って実感するのは以下。
歪な形だけど効果は絶大。手首と肩の疲労感が全然違う(あの手首がこってる感じが殆どゼロだし、肩も張らない)。
2. モニタを縦使いする
ノートPC+外付けモニタ という職場環境で、何も考えずにデュアルで使ってきたけど、首動かすのが嫌で縦一画面にしてみた。
視線の移動が減って本当に楽。A4を原寸大で表示できるのも地味に助かる。(仕事で論文とか図面読んだり書類作ったりするのが多いこともあって)
(ただ結構目立つらしく、お偉いさんが来て「最近の若者はスマホと一緒で縦画面に違和感がない」と謎持論を展開していった。別にそういう訳ではない)
あとは姿勢クッション?が気になってます。あれって効くんだろうか。
何か良いアイデアあったら教えて下さい。是非取り入れたい。
あくまでタイプカバーのバリエーションの一つとしての希望である。オプションで構わない。
理由は以下に集約される。
だいたいからして最近のノートPCは薄すぎる。特段モデル名をあげなくても理解してもらえると思うが、「打鍵感が向上した」「入力に問題はない」と評されるそれらのモデルは「我慢できる」という意味であって、決して「入力していて気持ちが良い」ということではないんだよ分かってくれ。メーカーは消費者のニーズが「薄さ」ただその一点にあると確信してるように見える。開発競争に血道を上げるうちに、ついに打鍵感まで犠牲にするようになってしまった。ユーザーは酷い我慢を強いられていて、モデルチェンジごとに浅くなっていくキーストローク、底づきの硬さ、指先の苦痛を我慢するため修行僧よろしく新打鍵スタイルを模索するようにまでなってしまった。厚ぼったくても良い、重くても良いから、頼むからキーボードは犠牲にしないでくれ。そう思っている同志達がいると私は強く確信している。
さて、ここで考えうる『こだわりキーボードカバー』を紹介しよう。現行タイプカバーは約300g、これらのモデルは200g増えて約500gとなる。本体と合わせれば約1.2kgで厚くなるが、至高の入力環境を提供する。
http://japanese.engadget.com/2014/02/11/grannote-3mm-3/
横幅もちょうどあうサイズであり、Type-Sではキーストロークの調整が入っているためノウハウを転用すればタイプカバーへの搭載も夢ではない。
http://www.4gamer.net/games/118/G011863/20141101006/
あなたに確信して欲しいのは、これらは物理的に可能であって夢ではないということである。ロット数はあまり出ないだろうから単色、最悪の場合英字配列のみになる可能性もあるが、天下のSurfaceであれば1オプションとして絶対に提供可能であるということである。打鍵感の良いノートPCへ回帰して、タイパーを至福の環境へと誘う。実現のため、我々は薄いキーボードにNO!と言わなければならない時期に来ている。
他の自治体とか国とかを相手に交渉して有利にになるようにするわけでしょ。お金大好きってヤツに任せないと逆に不安だし。
トランプとか言ってることめちゃくちゃだけど、金好きって意味では一貫してるし、あんなのが米国大統領になったらアベちゃんじゃ心配じゃん。アベノミックスとか言って買いまくったドルを全部持って帰りそうじゃん。
もうさ、クリーンなイメージはいいから田中角栄とかみたいなんでいいからお金大好きで頼もしい奴に政治家やってもらいたい。このさい甘利でもいいよ。ちゃんと成果あげたらちょっとぐらい私腹肥やしてもいいからその分頑張って。
出張だっておれらの代表としてでかけていくわけで、しょぼいホテルに泊まるより一流んとこ止まって欲しいし、くるまはヴィッツ乗ってるより運転手付きのリムジンに乗っていって欲しいし、いつもヨレヨレの一張羅よりオーダーメイドでビシっと決めて欲しいし、赤ちょうちんじゃなくてちょっといい感じのバーで飲んでいいじゃん。庶民感覚とか言って庶民みたいな体で外に出ていくよりよっぽどいいと思うの。そのぶんちゃんと仕事で成果出してくれれば。
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比較生産費説は自由貿易を通して富が増加する=豊かになることを説明した理論です。
ここでまず踏まえておかなければならないのは豊かになるとは誰が、何に対してかということです。物財の市場における総供給量が増え、需要者、つまり消費者が豊かになるということです。
ここのところでの異論はあまりありません。説が唱えられてから既に200年の「実験」の蓄積があるのですから、上記の点については事実として扱ってよいでしょう。
比較生産費説が最近、ホットトピックになっているのは、TTPの問題があるからですが、アメリカでもTTP反対論は根強くあるようです。
抗議に参加した人々はTTP協定が仕事と環境に与える潜在的な影響に対して注意喚起したかったと言っています。
「私たちは雇用を求めるためにここにいます」とロレーヌ・アシュビー(66)(シカゴの南東側からの引退した公務労働者)は答えています。
「小さなビジネスを行って、本当の雇用を作り出す人々がここにとどまることが難しくなってきているのです。TTPは雇用を作り出す人々を後ろからナイフで刺すようなものです」
「あまりにも多くの過去の貿易協定は普通の人々を犠牲にし、ウォールストリートと大企業の役立ちました」と彼は言いました。
「私たちは、この地域から海外へ送られた何十万もの高給与の仕事を見ました。また、私たちが必要とするものは、シカゴで、および世界中で労働者の生活水準を実際に改善する貿易協定です」
日本のTTP反対派の人たちもこの言い分には深くうなずくでしょう。日本でもアメリカでも互いを敵視しながら同じような言い分を言い合っているわけです。
こうした言い分に対し、経済学の人たち、というよりもサミュエルソンっぽい新古典派総合っぽい人たちが、誤謬だ誤謬だもっと勉強しろよって膝寄せて鼻を突きつけているわけです。もっとも、その人たちも完全に歯切れがいいわけではなくて、「それは別の話」とか「一時的な痛み」とか、言及している「部分」もあるわけです。
それが果たして別の話なのか、一時的な話なのかというのが、本当は問われるべき問題であろうと思います。
80年代のレガノミックスは、一般に言われているのとは違って、大規模な財政支出と減税による「需要刺激による」景気刺激策でした。レーガンは言っていることはともかくやっていることは無茶苦茶ケインジアンでした。アメリカはそれ以後、蕩尽的消費社会に突入してゆくわけですが、基本的に好景気=インフレです。しかし実際にはインフレ率はそうでもなかった。需要の増大を上回る供給がもたらされたからです。つまり輸入拡大です。この構造はレーガン政権以後、現在まで基本的には続くのですが、では、81年から比較して、「一般アメリカ市民の所得」は増えたのかどうかという話です。全消費者の消費可能量が増えたかどうかという話ではないですよ。リカードさんのおっしゃるとおり、全消費者の消費可能量は増えた、つまり市場は豊かになったに決まっています。しかしそれが、「一般アメリカ人の所得」の増大につながったかどうかという話です。
レーガンから現在までの話ですからね、すでに30年間の記録があるわけです。
決して「一時的な話」ではありません。
結果は言うまでもありませんね。「パパはなんでも知っている」の頃は、パパがフルタイムで働けば子供を大学に行かせられました。今では、ママも働いて、それどころかダブルワーキングをしても、かつかつの生活をしている人が大半になっています。そういう人たちに向かって、理論は正しい、おまえたちが間違っていると言っているのがサミュエルソンのシッポの人たちであるわけです。
比較生産費説の理論的完璧さにもかかわらず、どうしてこのような現象が生じてしまうのでしょうか。
答えは簡単で、産業ごとの特性が異なるからです。比較生産費説は産業ごとの特性をならして、「単位」扱いするところから始まります。産業ごとの特性の問題には最初から対処しきれないというか、扱っている領域そのものが違うのです。
例えばA国とB国がそれぞれ半導体とカカオ豆に特化したとしましょうか。しかしこの両商品はそもそも需要量が違います。必要度合いも違います。産業をスタートさせる難しさの度合いも違います。他産業を発展させ、雇用を創出する能力も違います。もっと言えば収益性も違うわけです。
不安定、低収益、低需要、低波及力の産業に特化した国、つまりモノカルチャーの国が国際経済の荒波にゆられて「豊かになる」どころの話ではなかった原因の根本はここにあります。
労働集約的-資本集約的、高収益-低収益で相に分ければ4つの相が分かれることになります。
「国民の雇用を確保し、そこそこ安定的な経済環境を構築する」のを目的にした場合、もっとも効果的なのが労働集約的-高収益の産業です。ありていにいえば製造業、第二次産業です。
国民経済にとってはコアとなるこの産業が奪われたからこそ、「全体としては経済成長をしながら、格差の増大をもたらし、一般国民の貧窮化を招いた」のがアメリカの姿であるわけです。
これに対して次のように説明するサミュエルソンのシッポがいます。
「給与の高い仕事に転職するということは、比較優位の産業に労働力が移転しているということである。比較生産費説は労働者の経済行動の中にあらかじめビルトインされている」
だから、雇用の喪失は起きない、起きたとしても一時的な調整期間中ものだ、というわけですね。
あなた、30年間を調整機関と呼ぶ神経って、なんていったらいいんでしょうね。
東大に行っているあなた、卒業したらゴールドマンサックスに入りたいなんて思ってるでしょ。給料いいですもんね。給料がいいってのは、生産性が高いということです。もうひとつ、労働需要に対して供給が追いついていないということです。あなたと同じレベルの人を400万円で雇用できるならそうしますよ、ロックフェラーでも。そうしないのは、需要に対して供給が追いついていないからです。
農民が工場労働者になり、事務員になり、というところまではまあそこそこアメリカの労働者でも対応できたかもしれません。もちろんその過程でも脱落していった人はたくさんいるわけですが。
比較生産費説が言っているのはこういうことです。製造業が新興国に特化しても、先進国はさらに生産性が高い産業・職に移動してゆけばよい。みんながジョブスになれば1000万のアップルが誕生して、たくさんのiPhone を手にできるよ!ということです。
それが100年、200年のスパンならばあるいはそういうことも可能かもしれません。しかし現代においては変化はあまりにも急激でありすぎます。
TTPを巡る議論で私が非常に気にかかるのは、TTP賛成派があまりにも気軽に「経済学」を看板にしたがるところです。そしてそれは、「おまえは経済学を知らない」と相手を貶めるために用いられているように見えます。現実の事象について具体的な論拠を求められれば、「経済学は深淵でおまえには分からない」とばかりに現実の問題には何も答えないまま、モデルの話でけむにまきます。
経済学はそういうものではありません。少なくとも、そういうものだけが経済学ではありません。ガルブレイスが生きていたら、なんというでしょうか。
そうした言論的脅しに屈せずに、みなさんは分からないものは分からないと言ってください。納得できないものは納得できないと言ってください。説明できないのは説明できない人の責任であってあなたが頭が悪いからではありません。