はてなキーワード: 社会人とは
よく見ているユーチューバーが喧嘩していた友人と仲直りをして、動画を撮ったとの事で思わず書きたくなった。
おれはあんまり人に依存しないし、来るもの拒まず去るもの追わずな精神で日々を過ごしている。
故に職場でも嫌いな人はいないし、割と誰にでもコミュニケーションを取れている自負がある。
何でも話せる友人が1人いるし、それで基本的に何とでもなっている。
彼とは中学生の時に知り合い、ずっと何でも深い話を話せる友人だった。
彼とは何度も喧嘩をしたが、その度に深く話し合い解決をしてきた。
お互いの思いの丈を語ることが大切なことだと思わせてくれた人物でもある。
ただ、おれは心のどこかで彼をずっと見下していた。
おれより運動もできなければ、頭も悪く、努力もできない、おまけに性格も悪く、口だけ達者な薄っぺらい人間だと思っていた。
今では、その評価にプラスしておれが人生で唯一憎悪を抱いて良いと思い込める人間となった。
この思い込みがあることで身の回りでどんなに嫌な人がいても「あいつよりはマシだな」と思えることができる。
彼はYouTubeをやっているのでたまにチャンネルを覗くが全く再生されていない。
ゲームの実況をしているアーカイブを見た時には誰も視聴者がいない中、独り言を言いながら一生懸命にプレイしている姿を見てとても哀れに思えた。
それと同じぐらい心が踊った。
おれは性格が良いと思っていたがまだまだ人間らしさがあるなと一安心した。
彼が2ヶ月に1度ほど夢に出てくる。
おれの邪魔をすることもあれば、おれに泣きながら許しを乞う無様なシーンの時もある。
どちらも、おれは顔を踏んだり無視をしてその場を去るような行動をとっている。
時には腕を切断したり、攻撃的なことをしていることもある。
彼は仕事を辞めているようなので、世間一般で言う彼とおれとの評価は天と地ほどの差がある。
世間の評価など真に受けたりはしないが、この関係性のために彼の心が少しでも痛むのであれば、おれにとっては喜ばしいことになり得るだろう。
なぜ、ここまでおれが彼に敵意を向けるようになったか。
社会人になってから彼から遊びの誘いをよく受けていたが、仕事や当時恋人だった妻との関係からなかなか遊ぶことは叶わなかった。
今思えばそれで良かったと思っている。
最後の遊びの誘いを妻の妊娠を理由に断った時、彼から祝福の言葉がなく「やることやってるねえ」という人の神経を逆撫でするような発言が出てきた。
上述しているようなシビアな状況下であったため、精神的にも彼の言葉はかなり刺さった。
それから、全く彼とは連絡をとっておらずおれ自身もどんどん世間とは孤立してSNSも一年ほど辞めていた。
そんなある日、久々に某SNSにログインしタイムラインを見返していた際に彼のアカウントを見つけ投稿を遡って見ていた。
その際に明らかにおれと妻を指して投稿しているものを発見した。
「これが最後の誘いだ、断ったらもうこちらからは誘わない。」と何故か上から目線で投稿がされていた。
時期も遊びを断ったタイミングと同じだったので自分に向けられたメッセージと確信したおれは「脇が甘いよ」と返信したら、全てのSNSをブロックされた。
大変情けないと思った。
そこから、彼が定期的に夢に出てくるようになった。
最近はYouTubeの更新も止まっており、大変に気分がいい。
逃げに逃げ続け、空っぽになった彼が無様に世を去るかことを心待ちにしている。
0になった経緯をふわっとぼやかして書くと、
・学生までの友人
→親の金銭トラブルで親と絶縁しており、友人経由で居場所を突き止められると困るので連絡を取れない
→何人か居たけど、以前は仕事の愚痴や旅行の話メインだったのがメンヘラ…政治…フェミ…LG…の話がほとんどになり嫌になった(否定はしないです、ただ毎日その話をされると辛い)
女性の同僚は居らず特に趣味も無い、このまま死ぬまで話し相手もいないのか…と思うと寿命まで長過ぎるなと思った。社会人になって同性の友達ができた人、どうか作り方を教えてください。
小1の時はゴリラというあだ名の女子がいじめっ子から守ってくれた
ゴリラと言われていたけど俺より背が低くクラスで一番かわいい子だった
でも気が強くて男子と対等に渡り合うからそういうあだ名を付けられた
相変わらずいじめっ子はいてゴリラ女子はいなかったけど他に守ってくれる子達もいた
小5の時、いろんな子から一緒の班になりたいと言われるくらいの人気者になった
小6の時、女子2人に呼び出されあんたのあの糞生意気な妹をどうにかしろと言われた
二人は妹と同じバトン部だったけど、スポーツ万能の妹への妬みだったのだろう
人一倍気が強くて男勝りの性格の妹には直接言えないから気の弱そうな俺に言ってきた
妹とは毎日喧嘩してたけど流石にそんなこと聞き入れられるわけが無いから口論になった
そしたら女子の1人が、あんたの笑い顔がキモい、ビンボウニン、ボットン便所と言った
家が貧乏、汲み取り式トレイというのは一番触れられたくないことだった
みんなが陰口を言っているように思えて人間不信になり他人との距離が測れなくなった
人の目を見て話せなくなった
親しい人でもそれが例え友人でも気安く下の名前で呼べなくなった
まだ男子とは話せるだけましだった
女子が集まって話していると悪口を言われているようで怖くて近寄れなくなった
告白したこともされたこともラブレター1通貰ったこともなかった
バレンタイデーとか卒業式の第2ボタンなんてどこの世界の話って感じだった
でも対人恐怖症がまだあって電車通学がつらかった
たまに行く合コンで連絡先を交換したいと言われるようになった
脛を蹴られたこともある
俺がどれだけ酷いことを言われても先輩たちは見て見ぬふりだった
盆休み明けに先輩たちがよく出勤してきたなもう辞めると思ってたと驚いた
ストレスで十二指腸潰瘍になっても上司から会社に来いと言われた
そのうち上司が説教するとそれがモニター映像のように見えるようになった
上司はお前は瞳孔が開いている、脳のスイッチを切って俺の話を全然聞いてないと言った
この人は厳しい人だったがいつも社員の退職理由は人間関係が1位と言っていた
だから直属上司はこの人のいる前では絶対にパワハラをしなかった
俺もこの人には何も言わなかったが、それでも全てを察していた
元上司が俺の悪い噂を流していたが、それを信じる人は少なかった
新しい直属上司も嫌な奴だったけれど、元上司より100倍マシだった
でも相変わらずコミュ障だったから同期や先輩から合コンに誘われても断っていた
人数合わせで強制参加の合コンで連絡先を交換したいと言う人がいた
でもやっぱり二人だけで会うと口下手だから1回会って終わりだった
その後の合コンで会った何人かと連絡先交換したけど2回会えればいい方だった
結局、いつまでたっても彼女はできなかった
社会人3年目の時、大学のゼミ同級生の男1人と女1人から飲みに誘われた
同僚女子は普通にしていればかわいいのに、笑うと目も口も一直線の変顔になった
口元には薄っすら大きめのアザがあり笑うと引き伸ばされて目立った
俺は彼女とは初対面なのになぜか臆せず話せた
飲み会後、1週間経っても彼女の満面変笑顔が忘れられずゼミ男に相談した
ゼミ女子に連絡したら実は彼女を俺に紹介したくて飲み会に連れて行ったのだと言った
2人とも凄く性格がいいのに彼氏彼女がいないと聞いたからだと言った
ゼミ女からなぜ当日に彼女と連絡先を交換しなかったのかと怒られた
あなたは人が良すぎる一刻の猶予もないのを全く理解していないと言われた
ゼミ男は飲み会の翌日には彼女の連絡先を聞いてきたぞと衝撃の事実を告げられた
とにかく急げ1秒たりとも逡巡する暇はないこの電話を切って今すぐ行動しろと言われた
初めて二人だけで会った日
ランチを食べた後ショッピングに行くとメンズ服屋に連れて行かれた
彼女に着せ替え人形みたいにあれを着ろこれを着ろと試着させられた
店員の前でも平気でかわいいかわいいを連発するから恥ずかしかった
その間ずっと変笑顔全開で楽しそうだった
俺が人前でかわいいって言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいと言うと
まだまだ男らしさ女らしさが求められる時代だった
自分の笑い顔のほうがよっぽどへんてこだと言った
それを俺が笑ったら、笑いすぎ失礼すぎると怒られた
それまでにもそういう風に思ってくれた人はいるとは思うけど
口に出して面と向かって言ってくれた人は彼女が初めてだった
俺はずっと無理して男らしくしようと背伸びしていたと思う
彼女にそう言われて肩の力が抜けた気がした
ここでこんな文章を書くくらいにはこじらせている
もう20代後半なのに、未だに毎日のように親のこと考えてしまう。もはや何が許せないのかもよく覚えていないのに、いちいち許せなくて、いちいち許せない自分のことが一番許せない、何が許せないか覚えてないのに!!(笑)
父親は私が中学生の途中頃から精神疾患を患ったらしく、そこからほとんど無職だったように思う。それまでは仕事しかしていなくてほぼ家にいなかった人だったので、知らん人が突然家にずっといる感覚(今も)。
父親は毎晩アルコールを飲み、基本的に毎晩記憶をなくしていた。夜に私たちが何を言っても覚えてなくて、「そんなこときいてない!なんで大事なこと言わないんだ!」と怒ることもあれば、もちろんどんなひどいことを私たちに言っても覚えていないので、まさに無敵。とりあえず機嫌で食卓を支配するようなタイプ。父親と母親も仲が悪いので、私はおうちではとにかく「子はかすがい」労働。二人がリビングにいる間は険悪にならないように、父が機嫌を損ねないようにニコニコと楽しく会話を回して、できるだけ2人を2人きりにしないようにして、母親とふたりの時は父親の愚痴をいっぱいきいてあげていた。えらい!
家はずっと不安な場所だったけど、特に自分が寝た(ということになっている)後の時間が恐怖だった。親が共謀して(?日本語おかしいのはわかってるけど一番しっくりくる単語を使う)私を嫌っているという確信をもっていたので、私が寝た後に父親と母親がリビングで話していると、悪口を言われていないか確認しなければならなかった。あとはいつか母親が私を捨てて出ていってしまうかもしれない、それが発生するなら深夜だろう、と思っていたので、とにかく夜の物音を超警戒する必要があった。あとは、よく分からないことがいっぱいあって不安だったから(父親の病気の詳細とか、ちらっと耳にしたギャンブルか投資かで負けて作った大き目の借金?のこととか、なんにも教えてもらえなかった)、大人たちの秘密をなんとしてでも盗み聞きしなければいけなかった。そんないろんな動機があって、寝たことになっている時間のあとは、心臓をバクバクさせながら息を押し殺して階段の途中に座ったり、床に耳押し付けたりして、必死に親の会話をきいていた。一番不安な時間だったけど、今日は悪口言ってなさそう、母親もでていかなそう、と安心を得られる時間でもあった。
父親と上手くいかないことがある度、母親には「まああの人は病気だからしょうがないんだ」と言われたし、父親にも「俺は病気だからむにゃむにゃ」と言われ暮らしてきたが、「じゃあ父親の「本当の性格」部分はどこなの、、、?」とずっと疑問である。前述したとおり、私は「病気」になってからの父親しか知らないので、どこからが病気の仕業で、どこまでが「性格」なのかわからない。そこで「病気なんだからしょうがない」と言われると、もう私には心の中で怒ることさえ許されていなくて絶望。病気の父親の症状を受け入れない私は病気に理解がなく、心が狭い悪人なのである。まあそもそもこんなことを考えていると、じゃあ「本当の性格」部分が悪だった場合は親を恨んでもいいと思っているってコト!?それってそもそもいいんデスカ!?とも思って結局私の思考が悪いし、まあとにもとにかく相手は病気だからこんなことを思っている時点で私が悪いのはずっと知っている。すみませんでした。本当はそんなことないよとずっと誰かに言ってもらいたいのかもしれない私はマジで極悪。(本当にそんなことなくないのは知っているので本当にそういうことは言わないでいいです。)病気の父親にイライラする時点で私の許されなさは確定している。心の狭い悪人であることが人生の早めの段階で確定してしまっている。アーメン。と、自分に対しては本当に事実悪人だと思うけど、これを口に出してしまうと、同じ境遇で同じ気持ちの人まで否定してしまうことになってしまうなと思うので、そんなことないよ、と言ってあげたい。きっとそんなことないよ~!
そんな居心地の悪い家だからもちろんずっと家を出たかったけど、私が家を出たら親のどちらかがどちらかを殺す殺人事件が起こるかもしれないと割と真剣に思っていたし、あの父親を母親だけに託すなんて、自分だけが幸せになって親を見捨てているみたいで申し訳なくて、大学でも社会人でも実家を出ることが出来なかった。というと責任感あるいい子っぽく聞こえるけど、罪悪感と責任から逃れたかっただけ(というまたまた悪人なところがでてしまっている理由)!実家を出ようと思ったタイミングは何度もあったけど、私が実家をでたことにより発生しうるありとあらゆる可能性(離婚、別居、殺人事件、母親が病む、父親がもっと病む、など)に対して責任を取る覚悟が持てなかった。実家が持ち家であれば適当に遠くに進学/就職して「やむを得ず」実家を出ることでその「責任と罪悪感」を回避するムーブが可能だったと思いますが、実家が東京の身軽な賃貸(どこまでもゾンビのように着いてくる)のわたしにとっては、家を出ることの理由は「私が家を出たいから」しか基本的にありえず、つまり、その決断によりなにかが起きた場合、それは全て私の家を出たいというエゴのせいなのであるから、その決断をするためにはその責任を取り、罪悪感に耐える覚悟を決める必要があった。この覚悟は何年かけても全然決まらなかったし、結局諦めた。諦めて、シンプルに海外に逃げた!海外に行っちゃえば、私は「家を出たいから家を出る」のではなくあくまで、「『海外に住みたいから』『やむを得ず』家を出る」だけであって、別に家族を捨てたことにはならず、罪悪感から逃れつつ家をでれる、唯一の選択肢だ!と思った。他人に対してというより、家族と、なにより自分に対して正当な言い訳がつく。さすがに海外まで着いてこられることはないし!!天才である。
いまは海外に自分で家を借りて住んで、自分の心の安全を自分で守れる環境を手に入れることができた。でもどこか満たされなくて、結局こうやってブツブツ言っている。今の「今」は確かに素晴らしくて、もう追加で傷つくことはないけれど、結局それは過去にもうついた傷まで癒してくれるわけじゃないんだな、と最近気づいた。わたしは別に、うざい父が悲しかったわけではなく、うざい父から守ってくれない母(結局自分と父の方が私より大事、自分>父>私)が悲しかったわけでもなく、ず~っと愛されてないなと感じて暮らしてきたのがすごく悲しかったんだなと気づいてきた。愛しているひとに面と向かって自分の死をちらつかせたりするのかな、愛している人に迷惑をかけていると知ったらお酒せめて一杯くらい減らせないのかな、あんなにしょっちゅう家出するかな、ぜんぶ「しょうがない」のかな、私よりお酒が大事なのは「しょうがない」のかな。愛している人が理不尽にキレられているのをみたときって「かわいそう」だけいうのかな、え「かわいそう」って感想でてくる?私は死ぬときは大好きな友達にケアなんてさせないし、お酒のんで迷惑もかけないし、愛している人が傷ついていたら一緒に怒って、私は君のこと大事に思っているからね~って伝えてあげるんだからね。せめて、わたしはわたしのつらさとがんばりを、誰かに知ってほしかったし、あわよくばちょっとくらい褒めてほしかった。特に、それをいちばんしてほしい人にしてもらえたら、それで良かったんだよ~。
といっても、私は虐待されていたわけでもないし、大学卒業までお金出してもらったし、もっと大変な心身の「ケア」をしていたひとたちみたいな苦労をしているわけでもないし、本当に、これで謎に辛がっているのは私のせいだと、本当に心の奥底からちゃんと知っています。すみません。でも、この辛さが自分の性格の悪さに起因するものだとしても、辛いと感じた/ていること自体は事実であることは自分で認めないと、先に進めないのかなという気もする。うまく言えないけど。
唐突に終わり。こんなポエム、しまっておけばいいんだけど、しまっておくべきなんだけど、結局、だれかに聞いてもらいたい気持ちになってしまった、やっぱりダメ人間!特におちはないのですが、私と同じような悪人がもしいたら、私たちはやっぱり悪人だけど、あなただけが悪人なわけではないんですよと伝わったらうれしいです。というのは嘘で(悪人なので)、これを書くことで私だけが悪人なわけではないことを知れたらいいなと思いました。だから共感した人がもしいたらどうにかしておしえてね。もう2桁年こんなことを考え続けて、はじめて文章にできて結構すっきりしたかも!すごい!気持ちを文章にできるって大きな進歩だ、すこし元気になった、あしたもがんばろ~。
彼がちょっと変な行動をすることがある。体に毒ではないと思うけど、一応やめさせたい
彼は肉体労働をする仕事で、身体を動かすのが好きだ。よく自転車とかに乗ってる
暑い時期になると、自宅の中で超薄着になるのは基本で、上半身に何も着なかったりする
そして夏になると、上半身に何も着ていない状態で、体臭対策として……自分の身体(地肌)に直接ファブリーズをかけている
何度もシュッシュッと吹きかけて、汗臭さを消そうとしてる。いや、毒じゃないとは思うけど
「それ、衣服にかけるんだよ~」
「毒かもしれないよ」
どうやって、このクセを直したらいいの?
もう二度と行かないように書き散らす。
「リアル脱出ゲーム」と書けるのはここだけだ。
大筋は特定の部屋に閉じ込められ、謎を解かないと脱出できないというもの。
様々な状況やコラボ物などもあり最近は聞いたことのある人も多いんじゃないか。
自分は月に一回以上行く、いわゆる「謎クラ」だった。
成功率は5.6割ほど。コンテンツ全体を通して、成功できるのは参加者の
体感3割ほどなので、慣れもあるがそこそこ成功している方だとは思う。
難しいコンテンツの回を成功した時のあの感覚は、本当に良いものだと
思うので行ったことの無い方はぜひ味わってほしい。
そして、最近は全く謎解きを楽しめないどころか、行くのが怖い。
今も新作の告知を見るたび、行きたい気持ちと、
気持ちが湧いてくる。いや本当に行きたいけど嫌なんだよ。
自分でもなにいってんだこいつって思うけど聞いてほしい。
その際、ゲームによっては1チームの最大人数が決められている。
2人でチケットを買えば、現地で知らない誰かとランダムに組み合わされる。
中々社会人で予定を毎回合わせて行けるものでもない。中毒者以外は。
よって、自分はだいたいがソロ、もしくは妻と2人での参加になる。
まず現地のランダム組み合わせによってはそこで詰む。
聞かれるのだ。毎回悩む質問を。
「リアル脱出ゲームのご参加は何回目ですか?」と。
正直に答えれば、両手両足の指なんてものじゃないのだ。
でもそれを言ったとたん、【初心者と組まされるリスクが高まる】。
タスクが増えるのだ。たまったもんじゃない。成功率も普通に下がる。
一回の金額だって決して安くは無いのだ。映画2本分位するんだぞ?
初心者と組ませた割引くらいしてもバチは当たらないレベルの苦行になる。
これが行きたくなくなった理由の一つめ。コンテンツの敷居が低くなった結果、
お前が一人で解けばいいってものでもないんです。本当に。
謎解きの手も足りなけりゃ、謎を一人で抱えれば不満の種にもなる。
それでもまだ頭の良い初心者の方と当たれば救われる。
最大6人参加のゲームに、2人でそのまま放り込まれる事もあるのだ。
手が足りない! 頭も足りない! 時間も当然に足りない。
どうしようもないのだ。失敗した言い訳が出来たと思うしかない。
そして二つ目。
初心者と組まされるのが嫌、という話にも繋がってくるのだが、
成功を目指すあまり、謎解きの体験自体を純粋に楽しむことができなくなってしまった。
今回は失敗しないだろうか、ヒントはどこだ、同行者のレベルは…
そんなことばかり気にするようになってしまった。
今回の謎は何かな?と純粋に楽しんでいた、リアル脱出ゲームに行き始めた
頃が懐かしい。
そして何より成功して感じるものが、上に書いたような独特の感覚よりも
「安堵」なのだ。ああ失敗しなくてよかった、この公演は検索して
成功者が多かったし難易度も低かったし…云々。もう全然精神は脱出出来てない。
こっちだって、たまたま組んだ初心者に楽しんでほしくない訳ではないのだ。出来るなら脱出成功して、楽しい思い出を持ち帰ってほしい。また来て
だいたいの公演では、始まる前に席に案内されると、同行者同士の自己紹介が
始まる。そこで「経験者です」と自己紹介し、失敗した時のあの情けなさ。
たまたま組んだ方、グループで来た同行者を問わない。誰に対しても感じる
あの罪悪感こそ、成功至上主義へ押し上げた原因であり、あれを味わいたく
こんな無能感を金を払って味わう必要がどこにある?という話である。
3つ目。多分何処にでもある、リアル脱出ゲームに限ったものではない話。
無能感、と書いた続きにもなる。「本物」の話だ。
やばいのは初心者だけではない。稀に組む、「本物の熟練者」だ。
彼らは快刀乱麻を断つ勢いで謎を解き、余裕があれば取り組んでね、という
なんだこいつら…(ドン引き)
成功は勿論する。何なら制限時間に余裕もあり、一度きりの最終提出を
余裕をもって見直せるのだ。
成功としてカウントできない成功回なのだ。なぜかって働いてないから。
上の失敗と同様だ。比較して無能感を味わい、心は全く満足せずに帰路につく。
書いてて思ったけど本当にめんどくせぇなこいつ…
以上、長くなってしまったが、自分がリアル脱出ゲームを楽しめなくなった
弟に「男性社会人と女子大学生の恋愛と、大学生同士の恋愛は別物だから、男子大学生のうちに女子大学生と付き合ったほうが良いと思うよ」って言ったら、「できたらしてるよ、うるせえな」って言って友達と遊びに行った
これらを指すのだと思うんだけど
社会人になって、いわゆる締め切りを守っていればいくらでもサボっていいとか(コロナのせいもある)
つい、サブスク系で利用していないサービスを解約しないでダラダラと払い続けたり
そういうのもこれに含まれるのかな?
何かまた別の言葉がある?
自分は社会経験も豊富ではない上、今まで小さい会社に勤めていただけだったから、こういった仕事は初めてだった。
で、新人たち。まぁ見事に挨拶もしない、返事もしない。こちらが問いかけても全く無反応。
一人だけ反応しようと素振りが見られるが、周りが静かすぎて合わせて沈黙する結果、全員が無反応。
自分たちが社外の人間だからだろうか、とも思っていたが、直属の上司にも全く同じ反応。
「連絡事項があります」と声をかけても、喋ることをやめない。
まぁ、社会経験のなさか……よく言われるZ世代の特徴か……?とは思いながら、そこは現状様子を見ている。
ちなみに、ここの社風はなかなかに古風なThe 体育会系だ。(研修プログラムの中に、走り込みや登山などがある)
そんな感じだからか、勝手な偏見で「こんなだりぃ事やってられっかよ!」みたいな、反発心があるかといえばそこは全然なかった。
とにかく自主性がない。いわれたことはきちんとやる。その代わり、いわれたこと以外は全くしない。
今回の学習方針が「自主性を育てる」だったのも相まって、割と研修者に決定権を委ねる、という事を多々行っているが、皆とにかく困惑する。
誰も動かない上に「いやそっちで決めろよ」という空気すら流れる。
そんな研修者たちの自主性のなさや熱量の低さと社風の古式ゆかしいシステムが、第三者から見ていてあまりにもアンマッチだった。
都会とは到底言えぬ場所に会社を構え、その周辺に引っ越しをさせる。ある人はアパートやマンションを借り、ある人は社宅へ居を構える。
居住地でさえ会社に縛られる。その他の様々なアクティブな雰囲気をまとった行事もあいまって、研修者の性質とのギャップを感じ、頭をひねった。
自分なら間違いなく息苦しさを覚えて、こうも変な風習に縛られるのなら、さっさと離脱してしまうだろうな、と考えた。
でもすぐに、こういうのって割と社会人として普通なんだろうな、と思った。
自分の社会経験の薄さもあいまって、判断に困るのだが、それでもある種自分に社会性がないのだな、と気付いた。
税の仕事をしてるのだけど、今年入った新入職員の子が、机の上にぬいぐるみを置いている。
なんなのこれ、と最初は思ったけど、職員同士の雑談でわかった。あれは「すみっコぐらし」のキャラクターのようだ。
それを見たほかの部署の人が、その子に「それ、かわいいね~」とか「○○のおかあさんだ」とか、からかって談笑してた。
それはまだ許せるんだけど、そのぬいぐるみは市民からも見える位置に置いてある……。
さすがにまずいだと思って、上司2人(係長と課長)に「あれはいいんですか?」と相談したものの、「いいよ、それくらい」とか「あれぐらいの年の子なら……」など、聞く耳をもってくれなかった。
あの子は未成年とはいえ、社会人だ。職場にあるデスクに手のひらサイズのぬいぐるみを置くのはやりすぎである。
5、6年続けてた夜勤の業務をやめて、9時〜17時くらいの業務担当になった この4月から
思い返せば中学のときから便秘気味で、社会人になってからは痔にも悩まされてきたんだけど、
なんかうんこの回数増えたなとはずっと思ってたんだけど
「もしかして朝型になったから便秘治ったの!?」と思い始めた というか多分そう
夜勤のときは毎日昼過ぎに起きて1日1食ドカ食いとかでやってた で寝るのは夜中の3時とか
今は8時までには起きて3食きっちり食べるし寝るのも23時ごろ 我ながらだいぶ健康的になったなと感じてる
それはマジでそう。
社会人になってから東京に出てきたから付き合う階層が完全に固定化されている。
頭悪いのに都心に住むって、地主とか相続じゃない限り無理だと思うんだけど全員それなの?マジ?というのもある。
お前の地元の同級生が全員SAPIX行ったとして、MARCHとかの中堅大落ちて誰でも入れるような大学行くやつが一定数出ると思わん?
地元の同級生は教育意識高い家庭は皆無で、塾なんか行ってないし大学行く奴は学年の半分くらいでその大多数がMARCHよりも下の大学って感じだったわ。
ただ、作品を読んで「不快だ」と感じた気持ちを書き記したいだけだ。故に、その作品名や作者については記さない。
ただし、詳細は触れないが、物語の簡単な説明・登場人物には触れるので、作品を読んだ事がある人なら分かるかもしれない。
件の作品は、集団自○を企てるサークルの話だった。SNSで知り合い、とある島に集う事になった彼等の群像劇…というか。
高校生、社会人、様々な立場の人物が登場するが、それぞれの動機には強弱があるらしく、その描写がわりと書かれていた人物と、ほとんどない人物がいた。
…というか。まず言わせてくれ。主人公的な男子高校生の行いが、まずアウト。自分に告白してきた女子高校生に乱暴するのだから。
その場面(文章)は高速スキップした。見るに耐えないからだ。何故こんな場面を入れたのか。最初の不快はここだった。
いくら相手が告白してきて、好意があったかもしれなくても、相手の同意の無い行為は犯罪でしかない。
それを最初に「そうした行為を推奨する目的ではない」と断っていても、誰でも簡単にインストールして読めてしまうようなゲームに入れた時点で問題があるだろう。
この作品に限らず、不快な表現をするアプリゲームが多すぎる事にも辟易している。
総じて言えるのは、「ゲームを遊ぶ人への配慮不足」。文章にせよ、映像にせよ、目にした人がどんな気持ちになり得るのか。
全ての人への配慮が難しいとしても、せめてセンシティブな話題や、デリケートな内容を扱う時には、配慮や注意をする努力が必要だと思う。その努力が、作品の中ではあまり感じられなかった。
作品のテーマというか、作品を通じて言いたかった事が何なのか、よく分からない読後感も不快だった。
作者自身があとがきで「正解を書きたかったわけではない」というような事を書いていたが、扱うテーマが重たいものである以上、その書き方や提起の仕方には、もっと配慮が必要であると感じた。
共感を呼びたいのか、投げ掛けたいだけなのか。描き方や配慮の浅い作品では、メッセージ性に欠ける。
現に、私はただただ「不快だ」という感想しか残っていない。作者や製作陣の頑張り…には申し訳ないが。
要は、中途半端なのだ。多くの登場人物を入れすぎて、一人一人の内情を想像する余地も少ない上、場合によっては理不尽に、残酷に命を奪われる人物もいる。
今、振り返ってみても、結局作品を通して何が言いたかったのか、よく分からないという一言で終わってしまう。
賛否両論が分かれるテーマはいくらでもあるが、あまり考えなしに投げ掛けるだけ、というのは無責任に思う。
(考えなしに、とは言ったが、作者の考えが全く無いわけではなく、確か設定資料?やら、あとがきやらに書いてあった気はするが、重さを感じない言葉だったので覚えていない)
他にも、人妻に接近し過ぎる独身男性や、グロテスクな描写、快楽殺人犯など、不快な要素は多々あったが。
申し訳ないが、二言申すなら、描写不足。配慮不足。これに尽きる。
人の生き死に、特に自ら望むような場面を描くのであれば、直接的な表現も含め、心理描写は本当に慎重に描くべきだろう。
敢えて軽いタッチで…という姿勢なら、描き方が浅すぎて伝わらないし、描く必然性が薄れる。
総じて、後味の悪い印象を覚えてしまった。ふと他の方の反応が気になり、レビューを見てみると、不自然な好評価コメントが並んでいた事に驚いた。
私の価値観を押し付けるつもりはないが、この話はそうした次元のコメント以前に、不快という感想が勝ってしまった。
残念ながら、不快と感じた事自体に議論の余地はない。私にとっては、何故この作品に高評価が付いているのか、といった事の方が疑問ではある。
これもこの作品に限った事ではないが、作品に何らかの共感や感動を覚えた人々の感性は、必ずしも共通する部分ばかりではない。
皆、自分に置き換えたり、単純に好きなキャラクターがいたから等、感想の抱き方も千差万別だ。至極当然だが。
しかし、昔から「名作」「素晴らしい作品だ」と言われる数多の物語において、多くの人々が共通して「良い」と感じる部分があるのも確かだ。故に名作は色褪せない。世代も時代も越えて愛される。
割と真面目にコレなんだよな
スポーツを楽しむとか体を作るではなく、勝負に勝つとかライバルに勝つとか言うのが目的になってるからな
子供の成長は凄まじいと思う。
毎日顔を合わせているから細かい変化に気が付きにくいが、新しいおもちゃを買った時などすぐに順応するところを見ると驚くことが多い。
人間は何かしら悩みを持っていたほうが人間らしくて良いと考えている、おれでさえ自身の成長感がないことに頭を抱えている。
恐らくこのまま普通に頑張って、耐えて、適度に力を抜きながら過ごしていくと定年になるだろうと思っているからだ。
もちろん、世の中の情勢によっては急に解雇されたり、会社そのものがなくなったりするかもしれないが、その時はその時で別のことを仕事にする覚悟ができている。
そもそも、自分の成長を実感できた経験が中学生の時の受験勉強と高校の部活と大学の部活だけで、どれも明確な指標をクリアできていたからだった。
社会人になって何も結果を出していないものだが、いつのまにやら何事も【運】で片付けることが多くなった気がする。
上記の成長でさえ運が噛み合っただけだと。
せめて自分の【運】だけでも【成長感】が持てるように日々を過ごしたいものだ。
次は自分の【運】について書いていきたいと思う。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
接客が向いてなかったようで、先輩にはイライラされるし、私もビクビクしてしまうし、
大学の講義中から、このあとバイトがあると思うと憂鬱になり、胃がキリキリして、この世の終わりくらい絶望していた。
3ヶ月くらいで辞めた。
やっぱり向いてなくて、人によって教えるやり方が違ったり、教えてもらってないことを指摘されたりして
居心地が悪く、うっすら「できない奴」のレッテルを貼られているのがわかり、
バイトのある日はやっぱり絶望してお腹が痛くなり、1ヶ月くらいで辞めた。
接客じゃなく、手を使ってモクモクと目の前のタスクをこなすだけなのでかなり心が楽だったし、そういう作業が得意だと知った。
今までと違って全然絶望しなかった。バイト行く前にお腹も痛くならなかった。
研修期間がしっかりあること、オフィスが綺麗なこと、みんなスタートが同じなこと、対面接客ではないこと、
発信のみなので受電より楽だったことなどにより、今までの接客バイトよりは嫌な感じじゃなかった。
それでもやっぱり知らない人に電話をかけるっていうのは緊張して、ちょっと嫌だった。
新卒で入った会社はブラックで毎日死にたくなるほど嫌だった。半年で辞めた。
その後派遣社員として務めた会社はみんな優しくて、叱られることもなく、ストレスフリーで、3年ほど続いた。
朝起きても出勤が嫌にならない。お腹痛くならない。そのうち後輩も入ってきて、初めて仕事を教える立場にもなった。
他の人からも頼りにされて、仕事をできる自分を誇りに思えた(慣れれば誰でもできる簡単な雑務だけど)
このあとコロナがきて転職を繰り返して今の職場(ほぼテレワーク)に至る。嫌な気持ちにはならない。
本題。
他人になったことがないのでわからないんだけど、仕事は「しんどい」のが普通で、「しんどいけど耐えるもの」なのか。
例えば大学1,2年のときの接客バイトは本当に行きたくなくて絶望してたんだけど、
誰しも仕事とはそのくらいに感じるもので、それを我慢して勤めるものなのか。
ストレスのほとんどない職場なんて滅多に遭遇しないもので、普通は嫌な思いを感じながら働くものなのか。
私は昔の接客バイトは本当にしんどくて辞めて、今の仕事はしんどくないから辞めてないだけ。
社会人の皆様は、このくらい「行きたくない、辞めたい」って思ってるけど、それを耐え抜いて頑張るのが普通なのか。
私にストレス耐性がなさすぎてすぐ辞める癖がついてるだけなのか。
仕事って「常にそれなりのしんどさ・行きたくなさ」を感じながらも続けるものなんですか?
今の職場がもしかしたら仕様が変更されて今後しんどくなりそうな予感がするが、
自分の職歴の中では一番勤続年数が長くて今更辞められるか?なんのスキルもないのに三十路で転職できるか?って迷ってしまった。
「嫌い」というよりは「怖い」の方が合っているかもしれない
社会に出てそれなりに歳と経歴を重ね、改めてつくづく思うのは、妻や身内以外の女というのは基本的に「うっすら怖い、警戒対象」なんだよね
近くにいる女が、面白半分で男を痴漢扱いし陥れたり金銭を脅し取るヤバい奴じゃないかとか、フェミ思想で被害者感情が異常な人間で無いかとか
あるいは勘違い(では済まない話なのだが)で突き出してくる様な人間では無いかとか、かなり警戒している
ブサメンだとは思いたくないが、「この人は痴漢する様なタイプでは無い」と思われない自信は全く無い
ある日突然、社会人生を殺される恐怖が、常にある
社会に出ても、ある事ない事好き勝手に噂話して周囲に吹き込む幼稚な子供大人な女や、感情的なクレーマー気質の女にも、否応なしにエンカウントしてしまうし
仮にそういった女性と同じ職場で働かなければいけないとなると、細心の注意を払って接せねばならず、それでも何か気に食わないとセクハラ認定される恐怖は常に付きまとう
その時は妻がいたが、町中でいきなり見知らぬ女性に激昂され絡まれた時は、社会人としての本当に死ぬかと思った、死ぬ程恐ろしかった
女が男の事を警戒するのは当然だと言わんばかりに居直り、そういった言動を当然だと思っている感覚の女を、男は大いに恐れている
さてこういう事を書くと男は女に性欲を~と思い上がった事をほざく女性は多いが、悪いけどそんな性欲強い男の方が少ないんですよ、特に若い男性ほど
ありもしない性欲の性的対象にさせられている!と被害者感情を募らせてる割には加害者感情には鈍感なままに、男全体に対して敵意・悪意を剥き出しするのだから話になんねーよ
まさに「負の性欲」
ぶっちゃけさ、こういう話に対し弱男とか非モテとか妄想で決めつけて加害してくる女と、親しい身内の女性と、同じ性別・人種とは思えないんだよね
俺等が痴漢含めた性犯罪を犯す様な性犯罪者や凶悪犯罪者とは同じ性別・人種だと思えない様にさ
「何かよく分からないけどとても恐ろしくてキモい存在」でしか無いんだよ
君達が、大半の男に対して思っている様に
女性はさ、自分達の結構な割合が、キモくて怖い得体のしれない気色悪い人種と思われている事を、もう少し自覚した方が良いと思うよ
社会が求める「真人間のハードル」は昨今ますます伸び上がりを見せている。
平成に入るまでは「毎日風呂に入る」ということを達成できない社会人もそこそこにいたが、現代においてはそんな人間は精神疾患を疑われて病院を紹介される。
そんな中でもオタク達は未だに「毎日風呂に入っているのに臭いと言われるのはおかしい」と言いながら、漂白剤を使わずに洗濯して部屋干しした服を着て、汗や雨の臭いが染み付いたリュックを背負って出勤してしまっている。
生活における常識のアップデートをする機会がオタクにはないのだ。
社会で普通に生活をしていれば、他人ときちんとコミュニケーションしていれば少しずつ求められるハードルが上がっていっていることに気づく機会もあるだろうが、オタクにはそれも難しい。
オタクが生活というものについて情報を仕入れる最大の機会はインターネットとなるが、そのインターネットでさえも「コミケの前には風呂に入ろう!入ってきた!ヨシ!」を未だに繰り返していて周回遅れも良い所だ。
アニメを通じてオタクに「ちゃんと殺菌されてない生乾きの服を着てはいけないし、汗をかきやすかったりワキガ体質ならデオドラント製品を使うべきだし、靴は二足を使いまわして毎日脱臭処置をするべきなんだ」と伝えてやる必要があるんだ。
オタクが未だに「野原ひろしの足が臭いのは外回りのサラリーマンだから仕方ないとクレヨンしんちゃんに書いてあった。つまり、オッサンの足が臭いことについて文句を言うやつは働いたことのない子供かニートなので無視していいんだ」という感覚で生きているのは、オタクの周囲に新しい感覚を教えてくれるコンテンツがないからだ。
無臭もしくは素晴らしい体臭を設定された美少女たちを描いた作品ではオタクを啓蒙できない。
特別に体臭を描くときでさえ「アポクリン汗腺!」と冗談めかしているようでは、オタク達に正しい社会人生活というものを教えることも出来ない。
小学校で習ったはずの裁縫さえまともに出来ない自分を「俺はママ属性のキャラじゃないからなあ」で済ませている彼らに、生活力を身につける機会を与えてあげなければいけない。
そういった使命感を持った作品が社会に求められているのではないだろうか?
・洗濯
・入浴
・掃除
・整理整頓
・契約
・金銭管理
・筋トレ
・勉強
・教科書で習う科目
・音楽
・美術
・戦史
・性教育