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はてなキーワード: 昭和30年とは

2022-12-21

トーキッズ大久保公園で立ちんぼすな

相手キモ親父でも1.5万出せば本番する

トーキッズ昭和30年代みたいな価値観になっとるな

赤線青線とかも知らんのだろうな

歌舞伎町大久保公園にまで来るんじゃねえよ、、

立ちんぼだらけだからトーキッズブランドみたいになってる

やめとけ、もし未成年なら補導されとけ

立ちんぼの売春処罰対象なんだけどなぁ、、、罰が軽すぎるんだよなぁ、、、

未成年だとこっちも困るんだよ、捕まりたくないのよ。

から未成年はどんどんしょっ引いてくれ、保護してやってくれ、こっちくんな

コラボなんとかじゃなくて、国と都が本気でやってくれよ

2022-12-19

昭和30年

祖父の代に大雪停電になり

井戸水をくみ上げるモーターが止まって

ハウス10棟全滅させたことがあったらしい

それ以来ディーゼルエンジンモーター2台の

非常電源を確保。先人たちの知恵だ

2022-10-03

NHKブクマカも雑踏事故を甘く見過ぎ

インドネシアスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたか暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html

はっきり言って間違いだと思う。素手暴力でこんなに死者は出ない。

一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。

日本警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。

 

行政権としての警察権力

警察司法権機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。

から雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。

店の外の行列放置していれば「ちゃん店員警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。

 

警備業というのは監督官庁警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長警察上がりというケースも多い。

元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である

右翼ボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼ヤクザと不可分の所も多かった。

 

昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマ放送されると雨後の筍のように警備業者起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営企業舎弟会社が大量に入り込んでしまったのである

警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。

一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以暴力の独占であり、警察コピーした暴力世間にあってはならない。

また、道路工事での交通規制でも警備員必要だが、土建業というのはヤクザ企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザ資金源になってしまう。

という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察監督庁とする許認可事業で、前科がある人間雇用禁止警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。

警察天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。

因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。

兎に角暴力装置代替ダメなのだ

 

日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。

雑踏での人の流れは流体として考える

 

雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。

 

一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。

例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合通路入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。

だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。

これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。

後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。

後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。

これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。

 

ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。

更にボトルネック手前の壁に当たった人間通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。

でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである

から「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態継続した状態にせねばならない。

 

ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。

立体交差する駅で秋葉原駅階段一本で山手線総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?

これは秋葉原通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設南浦和痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ

電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。

秋葉原では短い階段ホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険状態になってしまう。

 

地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路増設した。

出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。

過去の事例

 

日本の雑踏警備に影響を与えた事故というのがいくつかある。

 

彌彦神社事件1955年

新潟神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道石垣が崩れて100人以上の死者。

だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。

これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。

 

日暮里駅跨線橋事故1952年

列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故

対面クサビ状態ボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊

 

上尾事件1972年

雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧

翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京カオス状態に。

大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。

なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。

 

宇崎ちゃん献血ポスター騒動の地と閉鎖区画フォークゲリラ集会禁止政策

数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスター公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。

この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口JR京王の乗り換え通路である

ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。

この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。

照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。

実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。

ここが広くなっているのは1966年竣工西口立体化時に地下広場として作られたかなのだ1969年学生中心のベトナム反戦集会新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたもの東京都は「通路」に変更するという禁じ手使用通路公道占拠道交法違反)。

だがこの後も若者が集まり勝手ギター演奏などは続いていた。

そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。

 

時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場有効活用として即売会催事場としての活用をするようになった。

初めはしょぼかったが、やがて政策アピール掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用イベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。

そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。

 

上記のように日本警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。

広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在ロシアみたいな事になってしまう恐れもある。

で、最近だと東京駅や池袋駅西口渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。

そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。

あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。

 

という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。

インドネシアのは警察問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険構造なのだインドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか

1964年ペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。

警察が私らを人間扱いしていない」との被害者コメントが報じられているが、インドネシア警察人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。

日本警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているかである

2022-08-19

anond:20220819001542

せやね

親族殺人が多かったのはまさに昭和30年ごろまでやね

anond:20220818053625

これはガチリアルな話だが、昭和30年ごろまで本当に

基本的子供を産んだ方が経済的に得をする社会 」だった(実話)

何が得だったかって? {家内労働力が増える」だよ!!!

20世紀の中期までほとんどの世帯農家自営業個人商店漁師とか)

みたいな「家業」だったから家父長を中心に妻も子供も一緒に働くものだった

そしたら当然タダで使える従業員は多いほうがいいよね

それでどこの家も子供を5人も6人も生んだ(乳児死亡率も高かったし)

……しかぁし! 高度経済成長期以降、みんなサラリーマン世帯になった

子供は働かせるものではなく20歳ぐらいまで長々と学校に通わせるものになった

だって学歴がないと就職できない、おかげで養育費がかかって仕方ないのが現代

まり産業構造農村社会に戻すのが少子化解決の最大の策!!

実際にアフリカ最貧国は今でも一世帯に子供が5人も6人もいるではないか

ただし、それでは国際的経済競争にはついて行けずに国全体が貧しくなる

独身や子無しは別に好んでやってるぜいたくじゃねえんだよ

産業構造が変わって子供を持つことの損益基準が昔と変わったのが原因

これは近代個人主義思想とかフェミとか左翼かいっさい関係ない

文句なら蒸気機関株式会社発明した奴に言ってくれ(英国元凶

2022-07-26

anond:20220726003934

うん、いるいる。

で、やべえなって思うのが、

そういう人は全体のうちのごく一部なのに

そういう人が多数派

そういう人が当たり前

って空気なっちゃってることなの。

昭和30年代と平成30年代の犯罪率 高いのはどっち?

と聞かれて、かなり多くの人が平成30年代ってドヤ顔で答えちゃう空気ってさすがにやばくね? ってずっと思ってた。

2022-07-25

youtube昭和30年代の映像とか見てこの時代は良かったとか言ってる奴なんなの

百歩譲ってその頃に生きてたジジババなら、百歩譲って、dけどまあええわ。

だけど、生まれてもない奴がこんなこと言ってるのは流石に馬鹿丸出しだろ?

犯罪率、セクハラパワハラ大気汚染水質汚濁食糧事情、貧富の格差地方格差便所の汚さ、路上喫煙、道端のタン吐き、ゴミポイ捨て公衆マナー、どれも段違いに今の方がマシなんだが?

しかもそういうのみんな、統計とかで客観的証明されてるし。

2022-06-28

また、芸妓さんを体を売る「娼妓」(しょうぎ)さんと混同してはいけません。前掲書によれば、売春防止法施行された昭和30年以前の公娼制度の枠組みの中では、花街には、芸妓さんと娼妓さんの両方がいて、それぞれ別個の存在だったそうです。

 「芸」は売っても「体」は売りませんという気概を持ち、芸を磨き続けるのが芸妓さんなのです。いわゆる「旦那」が芸妓を「妾」的に囲うといった暗いイメージもある「水揚げ」も現在はまったく行われていないそうです。

2009年記事では体は売ってませんよという建前で押し通してたんだな

2022-06-20

2070年の日本希望の国になる

地方インフラは維持できなくなり、ベトナム中国農村若者移住してそのボロボロになったインフラを壊れるまで使い尽くす。

自給自足に躊躇のない移民達が田畑を耕し沢山子供を産み、少数派になった日本人も同じ生活スタイルが定着し地方出生率が上がる。

現在と同じ生活水準と消費生活大都市圏内だけで辛うじて保たれており、築60年70年を迎えた還暦タワーマンションも数回の大地震に耐え抜き日本20世紀技術遺産として世界から注目されている。

かつて都市部コンビニファストフード低賃金労働従事日本人生活を支えた移民達は、都市部周辺部居住を構えそのまま定住し子孫を残す。

この影響で都市以外の地方では、余るほどある空き家シャッターの壊れた商店街ベトナム街や中華街文化が花開き多様化が進む。

サラリーマン世帯生活してきた日本人は、都市部さらに激化する競争についていける層と年功序列以外では生きていけない層に分かれて後者移民達と同じ生活水準になる。

結果、様々なルーツを持つ人間が暮らす国となった日本画一的生活スタイルを維持できなくなる事から昭和30年代の生活水準とドローンマンションの40階に商品を届ける都市文化共存する国となり、能力のある人はより競い合いそうでない人は今ある物でハングリーに暮らす理にかなった国となる。

2022-06-15

日教組被害を受けた僕ら」の歴史的経緯

これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592

 

この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。

この言説のキーマン小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。

 

日教組批判が激しくなったのは1980年代後半から

日教組昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。

右翼による日教組批判特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである

街宣車大音量日教組日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校先生組合なんて知らんもんである。但し右翼一般受けは悪かったので日教組評価は下がらなかった。

また日教組集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量軍歌を流し音圧を競うようになった。

すると近所の会社仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。

でも日教組知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。

 

こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。

その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である

ソ連敵性喪失

右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼統一教会も皆同じだ。

だが1985年ゴルバチョフ書記長就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連改革政策ペレストロイカ推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。

それによって西側ではゴルバチョフ歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである

更にソ連共産党活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。

これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男ソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。

 

また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。

まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。

またソ連大使館前の道路街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバス20分以上立往生なんて事はザラだった。

 

こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。

だとしたら残存敵性勢力である日教組に向かうしかない。

という事でこの時期に日教組悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである

 

任侠右翼参入増による右翼街宣車の大増加

まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売テキ屋も同じだった。

区切りを引いたのは警察である

戦後右翼は、例えば児玉誉士夫など体制癒着しそれは米国従順という事でもあった。

1960年代末に左翼学生運動が盛んになるとこれに対する体育会右翼学生組織されていった。新右翼と呼ばれる。

新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。

ここを境に右翼系の政治結社誕生して行く。そしてそれらは「街宣車軍歌を流し辻説法をする」というスタイル確立していく。

この街宣車は最初旧軍自衛隊国防色(カーキと灰色バトルシップグレイ)だったのが後述の事情威圧感の強い黒塗りになっていく。

よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年から右翼政治結社街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。

因みに日本会議中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである

 

80年代になると校内暴力学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族右翼感染が進んだ。特攻服旭日旗暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである

更に暴走族ヤクザ構成員リクルートの場になる。

こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。

 

思想右翼の主な資金源というのは機関紙販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。

が、もう一つのパターン不正思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。

ヤクザが参入する主目的後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業商業活動暴力団が威圧をもって参入する事だ。

企業恐喝街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。

暴力手段行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。

 

因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり学生運動就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会不正糾弾する記事を書きまくり総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正総会屋が潰されると大方廃刊

だが技能を身に付けた者は大手メディアフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身結構居たのである

 

こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組集会8月9日反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエーススピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。

ハイデッキ観光バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ自動車電話冷蔵庫バーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党共産党のようなプロの街宣用スピーカーアンプを搭載して、北方領土の日にはフェリー陸路釧路とかの空港回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである

しか一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。

 

ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザ描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察問題視されていた。

そこで暴対法施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。

伊丹十三ミンボーの女には暴力団が右翼街宣車企業恐喝に来るシーンがある。この映画暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹ヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。

余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社道路に面しておらず、また同社は本社付近建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。

 

ちょっと長くなったが、「えせ右翼在日朝鮮人右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。

えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的ヤクザ運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。

 

90年代右翼不遇の時代 

こうして

1.バブル的に増加した任侠右翼暴対法により急速縮小

2.ソ連消滅により敵を喪失

となってソ連勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。

そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞コラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。

そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである

当時は欧州もみな社民政権リベラル人気で冷戦後世界情勢にも楽観的だった時代だった。 

 

 

 

続き→https://anond.hatelabo.jp/20220615180755

2022-05-09

中絶禁止から見た中絶擁護派のバカバカしさ(知能の低さ)

プロチョイス派はまったく感情論しか反論できておらず、「私はそれは嫌だ」としか言っていない。と言うか、そうとしか言えないことが、中絶自由を含む女権至上主義が、根本的に人権思想齟齬を発生させていることの現れだろう。理屈反論できているならばしているはずだからだ。これは中絶問題だけではなく、トランスジェンダー問題等、女権が他者の基礎的人権を著しく毀損していることの現れであり、もはや女権の一点突破では人権侵害が許されなくなってきていることにもつながっている。

は?こんなのただのミソジニーだろ

語るに落ちるとはこのことである思想信条個人自由であるので動機ミソジニーであろうがミサンドリーであろうが関係のないことだ。それはどのみち当人を含めて証明可能性は無いのだ。人権思想に則って論理展開をしているのであれば、その齟齬を提出すればいいのであって、しかフェミニズム関連ではほぼ100%毎度毎度このようなリアクションばかりであるこちらがミソジニーであろうがそちらがフェミニズムであろうが裁かれるのは行為だ、思想ではない。現に胎児を殺していることが批判されているのである

妊娠出産ってとてもつらいのよ~。そんなのを他人強制させるなんて…

生物種としての普通の営みである。私は出産強制したとしても、マクロでの影響はほぼ無いと思っている。ほとんどの女性出産していた昭和30年40年代50年代データにおいても男女の寿命格差は同程度だった。出産を間に組み込んだとしても女性は死ななさすぎるのである寿命格差是正と言う意味では、もっと死ぬべきだろう。数年単位寿命が短い(身体が弱い)男性に対して、最悪徴兵制およびそのバリエーションのような女性のみが受益者になる負担押し付けることが受忍限度内であれば、胎児生存権との比較で、出産女性が死んでもそれは受忍限度である。それが嫌ならば妊娠しなければいいのだ。

女が殺人罪ならば男も同罪だろ

私は別に同罪でもいいのだが、根本的には胎児生存権とのコンフリクトが誰との間で発生しているか問題だ。中絶殺人だとした場合殺人企画者(両親)と実行者(医師)が殺人罪になるのは当然である問題はその企画者に男性が含まれるのかどうかである男性同意必要である場合は、当然、企画者に含まれ得る。しかし多数のフェミニストが主張するように、男性同意必要なければ、当然、それは女性のみの責任に帰せられる。セックス関係ない。それは2人の成人同志の合意によるものであり、社会やまして胎児には関係のないことだからである私的契約なのだから、その範囲内であらかじめ条件や約定をつけておけばいいことであって、生物構造上、女性妊娠から逃げられないと言う事実それ自体は、男性には無関係である女性自身でそれを踏まえてうえで自己防衛するべきことであり、胎児にその負荷を負わせるべき理由は何もない。つまり中絶に関しては関係者すべてが罰せられるべきであって、男性医師場合によっては無関係者でいられるだけだ(非合法の飲み薬などで堕胎した場合)。ただし女性だけは逃げられない

これは女性専用車両などでアプリオリ痴漢案件とは無関係ゲイ男性などが負担強制から逃げられないのと同じことで、他人様に負担強制させておきながら、自分が選んだ結果で生じる負荷からも逃れたいと言う女たちはまさに「どの面下げて」と言う話である

2022-05-03

anond:20220503210820

よく「金バエ」「銀バエ」と言って、少しの輝きの違いで区別していましたね。それから、犬を飼っている家庭の犬小屋などには灰色の筋の入った艶のない「クソバエ」というのが今でもいますね。

アナタの挙げられた金バエ、銀バエというのは嗅覚の鋭さでは逸品のようで、特に馬肉の腐らせたのを置いて置くと、4、5キロからでも嗅ぎつけて飛んできます

現在でも、野山を走っていて道で撥ねられた狸やイタチの死骸には、カラスと金バエなどが密集していますね。

但し、現在生活空間では、昔のようにポットントイレも少なくなり(最低でも簡易水洗トイレが多くなりましたね)家畜の死骸、ペットの死骸なども丁寧に片付けられるようになりましたので、後は、野放しで飼っている犬、猫のフンが1番の発生源でしょうかね。

また、昔(昭和30年代頃)は家の天井や壁によく張り付いていた稍々小型の「家バエ」「黒バエ」なども、東京オリンピックを契機にドブや、河川の消毒が定期的に行われるようになってから、どんな田舎でもあまり見かけなくなりましたね。

家バエさえも、森の中の腐葉土や、死骸などを求めて森に帰って行ったのかもしれませんね。

2022-04-16

教科書無償は当たり前じゃないし、先人の恩はありがたく享受しなよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1873394

教科書無償は今では当たり前に思ってるかもしれないけど、戦後日本国憲法が制定されて即時に無償制度ができたわけではない。

戦後でも農作業を優先させるため学校行かせるより仕事優先させようとしてた家だってあったし、特に女子には教育不要、むしろ有害と思う文化だって残ってたなかで有償教科書買ってもらえない子はいた。

(もちろん買ってもらえないことの直接的な原因は貧しさからだが)

 

国民全体の願いをこめて、」とかの文言教科書無償運動の結果、子どもたちだけでなく、教職員保護者に向けて子どもの学ぶ権利とそのツールとしての教科書(と学ぶ権利)を守るための文言

どちらかというと、教科書無償権利を守るために引っ張りだされている言葉としての「国民全体の願い」だよ。

なろう系のテンプレじゃないけど、教科書捨てられるとか汚される系のいじめ昭和結構あったし、平成、令和でも完全に根絶してないでしょ。いじめのもの問題ではあるけど人の教科書を粗末にするのは重い過失だと理解してほしい。

 

日本国憲法前文の「日本国民は、~政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」に近い意味での国民全体の願いだよ。

国民政府の構図

 

政府行為によって教科書無償がなくならないように、国民全体の願いによって国に税金で出させているってこと。

から政府が偉そうに恩着せがましく施してやってるって内容ではなくて、むしろ国民が」政府へ求めた権利としての税金の使い方という内容だよ。

 

今回の話は、恩着せがましいの勘弁って、親がツイートしてるのがスタートだけど、先人の勝ち取った権利とそれを大事にって内容をみて恩着せがましいことは書くなってのは恥ずかしいよ。

政府に向かって恩着せがましいと言っているつもりだったかもだけど、国民政府の構図の中で政府に認めさせた先人たちからもらった権利・恩を享受してるんだからそのことは知っておいた方がよい。

恩を受けているのは政府にではなくて、二~三世代くらい前の無償化を制度にまで認めさせた国民に対してだよ。(昭和30年代に子どものために頑張った親たち)

恩を着せられたっておこるのではなくて、次の世代に渡していく必要があるよ。

 

あと、どちらかというとリベラルな人たちが勝ち取って、揺り戻しで後退させないために行われてる啓蒙が、約二~三世代程度の時間が過ぎただけで

どちらかというとリベラルな人たちにより「恩着せがましい」とか批判されてるのって、まるで歴史教科書を焼いてるようなものだと思う。

 

教科書はタダが当たり前なんだからとおもってたら、歴史的に勝ち取った権利が失われるのは、そんな劇的な歴史事件がなくてもさらっと起きるよ。

国の制度としての話なので国民国家的な色合いが強かったり、教科書検定制度とか

教科書についてはいろいろあるので、教科書に関すること手放しで礼賛とは思わないが、享受できている制度でもあまり当たり前だと思わない方がよい部類の事だと思う。

教科書無償は当たり前じゃないし、先人の恩はありがたく享受しなよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1873394

教科書無償は今では当たり前に思ってるかもしれないけど、戦後日本国憲法が制定されて即時に無償制度ができたわけではない。

戦後でも農作業を優先させるため学校行かせるより仕事優先させようとしてた家だってあったし、特に女子には教育不要、むしろ有害と思う文化だって残ってたなかで有償教科書買ってもらえない子はいた。

(もちろん買ってもらえないことの直接的な原因は貧しさからだが)

 

国民全体の願いをこめて、」とかの文言教科書無償運動の結果、子どもたちだけでなく、教職員保護者に向けて子どもの学ぶ権利とそのツールとしての教科書(と学権利)を守るための文言

どちらかというと、教科書無償権利を守るために引っ張りだされている言葉としての「国民全体の願い」だよ。

なろう系のテンプレじゃないけど、教科書捨てられるとか汚される系のいじめ昭和結構あったし、平成、令和でも完全に根絶してないでしょ。いじめのもの問題ではあるけど人の教科書を粗末にするのは重い過失だと理解してほしい。

 

日本国憲法前文の「日本国民は、~政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」に近い意味での国民全体の願いだよ。

国民政府の構図

 

政府行為によって教科書無償がなくならないように、国民全体の願いによって国に税金で出させているってこと。

から政府が偉そうに恩着せがましく施してやってるって内容ではなくて、むしろ国民が」政府へ求めた権利としての税金の使い方という内容だよ。

 

今回の話は、恩着せがましいの勘弁って、親がツイートしてるのがスタートだけど、先人の勝ち取った権利とそれを大事にって内容をみて恩着せがましいことは書くなってのは恥ずかしいよ。

政府に向かって恩着せがましいと言っているつもりだったかもだけど、国民政府の構図の中で政府に認めさせた先人たちからもらった権利・恩を享受してるんだからそのことは知っておいた方がよい。

恩を受けているのは政府にではなくて、二~三世代くらい前の無償化を制度にまで認めさせた国民に対してだよ。(昭和30年代に子どものために頑張った親たち)

恩を着せられたっておこるのではなくて、次の世代に渡していく必要があるよ。

 

あと、どちらかというとリベラルな人たちが勝ち取って、揺り戻しで後退させないために行われてる啓蒙が、約二~三世代程度の時間が過ぎただけで

どちらかというとリベラルな人たちにより「恩着せがましい」とか批判されてるのって、まるで歴史教科書を焼いてるようなものだと思う。

 

教科書はタダが当たり前なんだからとおもってたら、歴史的に勝ち取った権利が失われるのは、そんな劇的な歴史事件がなくてもさらっと起きるよ。

国の制度としての話なので国民国家的な色合いが強かったり、教科書検定制度とか

教科書についてはいろいろあるので、教科書に関すること手放しで礼賛とは思わないが、享受できている制度でもあまり当たり前だと思わない方がよい部類の事だと思う。

2022-02-04

anond:20220204212501

山崎猛 - 第38代衆議院議長運輸大臣自民党幹事長経済審議庁長官水戸市明治39年

佐野学 - 戦前日本共産党委員長、元早稲田大学教授 明治43年

松野頼三 - 元防衛庁長官、元農水相 昭和9年

竹内潔 - 元参議院議員、元科学技術庁長官

戸井田三郎 - 元厚生大臣 昭和13年

友部達夫 - 元参議院議員 昭和20年

福田康夫 - 元内閣総理大臣 昭和30年

橋本龍太郎 - 元内閣総理大臣 昭和31年

平沼赳夫 - 元経済産業大臣運輸大臣 昭和33年

与謝野馨 - 元通商産業大臣、元自民党政調会長、元経済財政担当大臣、元官房長官、元財務金融担当大臣 昭和33年

佐藤観樹 - 元自治相、元国家公安委員会委員長 昭和35年

広瀬勝貞 - 大分県知事、元経済産業事務次官 昭和36年

谷垣禎一 - 元自由民主党総裁、元金融再生委員会委員長、元国家公安委員会委員長食品安全担当相、元財務昭和38年

丹羽雄哉 - 衆議院議員自由民主党)、元厚生相 昭和38年

橋本大二郎 - 元高知県知事 昭和40年

中川雅治 - 参議院議員自由民主党)、元環境相、元環境事務次官 昭和40年

中川昭一 - 元経産相、元農水相、元財務金融担当昭和47年

鈴木俊一 - 衆議院議員自由民主党)、元五輪担当相、元環境相 昭和47年

遠藤宣彦 - 元衆議院議員無所属昭和57年

水野賢一 - 元参議院議員無所属昭和60年

黒田太郎 - 愛知県議会議員 昭和60年

山田太郎 - 参議院議員自由民主党昭和61年

柿沢未途 - 衆議院議員自由民主党) 元東京都議会議員 平成元年

新妻秀規 - 参議院議員公明党平成元年

津村啓介 - 元衆議院議員立憲民主党平成2年

牧原秀樹 - 衆議院議員自由民主党平成2年

2022-01-19

anond:20220118235558

今時、結婚するのが当たり前って発想のやつのほうが気持ち悪い。元増田昭和30年より前に生まれただろ?

2021-10-07

日本80年代舞台にした最近作品はあるのかな

ドラマ映画でも漫画でも小説でも、ここ10年以内に発表された「日本80年代舞台にした新作」はあるだろうか。

ちょっと古めが舞台だと90年代だったり、もっと古いと60年代(というか昭和30年代)まで遡ってしまう。

70年代まれが小中高の時代を懐かしめる、最近作品を見たいな。

(「今日から俺は」は当時の作品原作からちょっと違う)

 

 

追記

ありがとうございます。なるほどゲームがあったか

アオイホノオ」は読んでるのに忘れてました。

2021-09-26

小室圭さんを応援している

自分関係のないことでやたらと怒る人がいる。おそらく、実害があるから怒っているのではなくて、常に何かに対してイラついているのが好きなのだろう。私はそう解釈している。

昨今、取り沙汰されている眞子さま小室圭さんのご結婚話題などは、まさにその典型ではないかと思う。

はじめに断っておくと、私はお二人のご結婚にはとくに反対ではないし、お互い好きなら結婚して問題ないと考えている。

からそもそもお二人の結婚断じて反対という人がこの先を読んでも、不快になるだけだろう。

断固反対という方はどうかこのページを閉じて、世の中に溢れているバッシング記事を参照していただきたい。

***

さて、ここからが本題である

私は小室圭さんの生き方が好きだ。間違いなく優秀な方だし、これから活躍してほしいと思っている。

小室さんは少年期にお父様を亡くされている。

まり少年からずっと母子家庭で育ってきた。

人知れず苦労したことも多かったのだろうと思う。

だが、ICU合格してアメリカへの留学も果たし、卒業後はメガバンクに入行した。

相当な努力家でなければ成し遂げられないことだ。

優秀なのは間違いないのだが、よほど努力もされたに違いない。

銀行退職後はパラリーガルとして法律事務所に勤務しながら大学の夜間課程で経営法務を学び、さらアメリカ大学法務博士課程へと進学する。

知っている人にとっては言うまでもないことと思うが、弁護士になるには非常にお金がかかる。

日本弁護士になるには大学法学部卒業後、さら法科大学院へ進学するのが一般的だ。

奨学金を借りて進学する学生も多い。

もし小室さんの借金批判に値するのなら、少なくとも日本では金持ちの家庭に生まれないと弁護士を目指せないことになってしまう。

「親ガチャ」という言葉話題になったが、親ガチャの不運を嘆く層と、小室さんを批判している層はどの程度一致しているのだろうか。

ガチャ賛同しつつ小室さんをバッシングする、などという矛盾した行動を取っていないことを願うばかりだ。

そもそも結婚するにあたって借金があるのはけしからん、という論理が私にはさっぱり分からない。

ギャンブルアルコールへの依存で膨らんだ不毛借金ならともかく、夢を叶えるための学費として借りたお金ではないか

公費借金を返済するのが目的だろう」などと言う人がいるが、正気だろうかと心配になる。

借金を返済するために、皇室女性に接近して結婚する。

そんなことが打算的な策略によって実現できると思うのなら、もはや世の中に思い通りにならないことなど1つもないだろう。

お二人は、お互いに惹かれ合って結婚を決めた。

それだけである

まり牧歌的だろうか。

皇族からといって一般人と完全に切り分けて考える人のほうが、余程きわどい思想の持ち主のように私には思える。

***

私が小室さんについて書きたかったのはこのぐらいだ。

身も蓋もないことを言うと、お二人がご結婚されたとしても、私自身の暮らしに何か影響があるわけではない。

よって、正直なところ私には「なぜそんなに批判する人がいるのかが分からない」のである

どちらかと言えば、これを書いたきっかけは「批判する人たち」の動向を目の当たりにしたことにある。

冒頭にも書いたように、自分とは明らかに関係のない、自分暮らしに何ら影響を及ぼさないことで怒る人がわりといる。

まず、この事実に驚いた。

これは私の個人的な推測でしかないのだが、批判している人の多くは皇室思い入れがあるわけでも、日本古来の伝統を重んじているわけでもない。

おそらく、ごくシンプルに「嫉妬」しているのだろう。

たいていの人は、小室さんほどの能力がない。

ICU合格する学力はなく、メガバンクの熾烈な選考に勝ち残って内定を獲得することもできない。

国際弁護士になる夢を実現するために、メガバンク退職する決断力もない。

法律事務所パラリーガルとして働く能力も、アメリカ大学院に留学する語学力もない。

もちろん皇室女性相思相愛になることも生涯ないだろうし、世間から猛烈にバッシングされても結婚を貫く胆力も持ち合わせていない。

まり批判している人たちの大半は小室さんにかなう要素が何ひとつない。

から罵り、批判するしかない。

いや、見方によっては批判している人たちが優位な部分もある。

たとえば、「自分借金をしていないが、あの男には多額の借金がある」といった発想なら、自分自身が「正しい」側に立てる論拠を獲得できる。

借金はよくないよね」

「相当な借金があるのに皇室女性結婚するなんてあり得ないよね」

「だから批判されても仕方がないよね」

清々しいまでにシンプル思考だ。

もしくは、

小室圭という人は世間から批判されているらしい」

「何か悪いことをしているに違いない」

「それならバッシングしても構わないだろう」

この程度の認識の人もかなり多いと思われる。

批判している人々だって、ほじくり返せば過去に汚点の1つや2つありそうだが、さぞかしご自身は一点の曇りもない清廉潔白聖人君子から小室さんのことを批判し、許せないなどと断じるのだろう。

***

皇室に関わった民間人へのバッシングと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは美智子さまのことだ。

皇室に初めて民間人が嫁ぐのと、皇室女性民間男性結婚するのでは状況が異なるが、一部メディアから執拗バッシングされているところは共通している。

美智子さまがご結婚されたのは、私が生まれるずっと前のことだ。

だが、当時一部メディアから激しいバッシングを受けた美智子さま失語症になられたことは知っている。

想像を絶するストレスがかかっていたのは間違いない。

昭和30年代のことである

眞子さま小室さんとの結婚を貫くようだ。

令和時代なのだから皇室女性意思尊重されてもいいのではないか、と私などは思う。

ここでやめておけばよかったのだが、反吐が出るほど嫌いな某ニュースコメントを私はうっかり見てしまった。

この件に関する報道ものすごい数のコメントがついていた。

中には「このバカ女は……」などと、何とも無礼まりない罵詈雑言を書き残している者までいる。

人間とは、自分関係のない出来事にこれほど憤り、自分とは違った世界暮らしている(と思い込んでいる)相手に対して、これほど無礼になれるのかと驚愕したものだ。

公費税金が使われているのだから国民文句を言う権利がある、などともっともらしい持論を展開する者もいた。

一体、この発言者が納めた税金のうち、いくら宮内庁で使われているのだろう。

微々たるものであろうことは、あえて説明するまでもなく明白である

仮に結婚なさったとして、この発言者が納める税金が増えるわけがない。

ちなみに、お二人の結婚がこれほど炎上するに至ったのは、どうやら某週刊誌が発端のようだ。

小室さん自身借金母親金銭問題に関して、週刊誌がほじくり返さなければ明るみに出ることはなかった。

一部メディアバッシングしているのは、美智子さまときと全く同じ構図ではないか

昭和30年から少しも進歩していない。

お二人のご結婚に対して憤慨したり罵ったりしている人は、週刊誌が作り上げた特異な市場で愚弄されていることに気づいたほうがいい。

週刊誌はそのうち別のネタのほうが部数が伸びると見て、新たな「市場」を開拓するのだろう。

そして、間もなく世間はお二人のご結婚にまつわる騒動を忘れ去っていくのだろう。

***

話を戻すと、お二人の結婚について憤っている人の多くは、自身安全地帯にいて、自分とは関わりのない世界のことだから安心して批判している。

注目すべきは、そもそも自分暮らしには何ら関係のないこと」を批判しているので、批判したところで何も変わらないし、自分生活圏には1ミクロンも影響を及ぼさないことだ。

したがって、自分自身が飽きるまで批判し続けることができる。

まるでストレス醸成と解消のエコシステム、あるいは永久機関のようだ。

自分関係のないことで憤り、批判する人は、おそらくこの「永久機関」を求めてやまないのだろう。

から批判しているわけではなく、本気で何かを変えようという気概もない。

「怒り続けたい」という衝動目的化している。

アドラー心理学風に言えば、怒りたいから怒っているのだ。

勝手に憤って批判し、オリジナリティ溢れる罵詈雑言を撒き散らしている有象無象など放っておいて、お二人にはどうか幸せになっていただきたい。

時を経たら、多くの人を魅了するラブストーリーとして回想されるのかもしれない。

私は、小室圭さんを応援している。

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