はてなキーワード: 投稿サイトとは
某投稿サイトの今日(2019.02.28)付けの日間ランキングの上位5作品の過去5日分のアクセス数を見てみた
少なくても4~5万、多い日は20万以上の日もある
アドセンスでのPVあたりの収益は0.2円とかいわれているので、数千円~5万円の収益に相当する。月間ではなく日々の収益。
・コンテストが開催されてたりする
・読者が多い
と、良い事だらけなのではある
ではあるが、
→既に書籍化作品があり、ファンも多い作家が次の書籍化狙いで投稿している。複数作品同時進行もよくある。
ということを考えると、別にお金なんていらないと考えている書き手以外は別の選択肢を探し始めるのが当然だろう
数年前からいろんな投稿サイトを見ているが、書籍化、コンテスト入賞以外での金銭面にメリットのあるサイトはほとんどない
自前のアドセンスを貼れるサイトはあることにはあったが流行らなかった
今小説投稿サイトを運営しているのは、昔からあるサイトか出版社が絡んでいるところばかり
1PVあたり0.2円とはいかなくても、とりあえず分配するよーというサイトが出てきて出版社と組めば、
大手の牙城を崩せると思うのだが、裏で協定でも結んでいるのかなんなのか、一向に出てこない
WEBサイトの運営には詳しくないのでわからないが、維持費にめちゃくちゃ金がかかるんだろうか?
にしたって多くのサイトが広告料で利益を上げているはずなのだが
ちなみに、某大手サイトの累計1位はわりと最近アニメ化もされた作品に変わったのだが、総PVは公式によると
5億超
最初はQiitaに書こうかと思った。Qiitaと言うのは技術者専用のポエム投稿サイトだ。
しかし書いてるうちにトイレの落書き感が強くなってしまったので、よりふさわしいこちらに投稿させてもらう。
後の駄文は暇な奴だけ読んでくれれば良い。
俺はトトロが出てきそうな緑あふれる田舎で育ち、今は東京でSEをしている。
地元に住んでいるのは皆、カンタのばあちゃんを具現化したような御老人方である。
彼らはガラケー、ビデオデッキ、固定電話といった最新機器は当然使えない。ぱそこん?何かそういう難しい機械あるよね?
テレビは選局をNHKに固定し、電源ボタンと音量ボタンだけどうにか使う。
"SE"として働いている俺のことを、たぶん半田ごてか何かを使う技師だと思っているだろう
(TVは内部でOSが動いているが、もちろんそれは知らない)。
彼らにとっては、一つの機器は一つの仕事だけをし、そのための操作は決まり切った1,2回で終わるのが理想なのだ。
そして一台で何でもできる機器、設定により操作をカスタマイズできる機器などは想像の埒外なのだ。
そんな彼らに仮にスマホやタブレットを与えたところで、もちろん使いこなせるはずがない。
3操作以上は苦痛である。それでは電源を入れ認証を外した時点で終わってしまう。
そんな彼らがITに触れるには、もう消去法でスマートスピーカーしかない。
とはいえ、彼らがスマートスピーカーを使う際に立ちふさがるものがある。一つはウェイクワード、もう一つは方言だ。
彼らは「アレクサ」「シリ」はもちろん「グーグル」を知らない。「コンピュータ」でかろうじてだろうか。
スマートスピーカーを使うために必要となる、これら起動時の言葉は彼らにとって呪文であり、そこに慣れ親しんでもらえるかという問題がある。
Youtubeで「津軽弁」で検索すると最初に出てくる動画を見ていただきたい。
ジジババを相手にする以上、スマートスピーカーはこれを認識しなければならないのだ。
あらかじめ、単語に切り分けゆっくり話してもらうことである程度は対処はできるだろうが、
ウェイクワードのカスタマイズ、独自の辞書を使った認識などは、
現在でもスマートスピーカーをごりごりハック&カスタマイズすれば一応は可能だ。
そこまで手間暇をかけ、スマートスピーカーを使ってもらう舞台を整えたとしよう。
彼らはスマートスピーカーを使うだろうか。たぶん、使わないと思う。せいぜい、明日の天気を訪ねるくらいじゃないか。
それでは手間をかける意味がないのかといえば、これが大いにある。
彼らにとって、「なんでも知ってる相手からいつでも答えが得られる」というのは未知の経験である。
例えば、明日の天気というのは彼らにとって「TVで天気予報が放送されるか、明日の朝刊が来るまで待つ」ものなのだ。
それをいつでも教えてくれるものに会う、という意義は大きいと思う。wikipediaで字引きができればそれは新時代の扉だ。
スマートスピーカーをきっかけに、タブレットなどを使う免疫がつく可能性もないわけではない。意味は大いにある。
[津田大介氏が語る『ダウンロード違法化議論の経緯』と『ダウンロード違法化の約束と反故の歴史』](https://togetter.com/li/1319239)を読んで気になったので
議事録はこちら(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/rokuon/index.html).
## [平成19年第2回(2007年4月16日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07042414.htm)
(津田委員) (増田中略) あと、もう一つやはり重要なのは、30条の外に違法複製物をするというときに、録音録画に限るのか限らないのかという問題も結構重要だと思っていて、インターネットの利用の実態というのを考えると、よいか悪いかというのは別として、インターネットのWEBページ上には、いろいろな雑誌とかほかの例えばオフィシャルサイトに掲載されているアイドルとかタレントの写真というのはどんどんブログとかにコピーされてアップされたりするわけですよね。それはやはり許諾はほとんどとっていない、ある意味、違法作成物ですから、そういったタレントの画像を自分の壁紙にしたいからパソコンに保存してということというのは日常的に行われていますし、例えば僕がどこかWEBの媒体に寄稿した記事とかというのも参考資料として使われるためにパソコン上に保存されて、それが印刷されてみたいなというのもあるわけですよね。
そういうときにやはり、それが全部違法複製物、違法サイトの複製というので、いわゆるキャッシュという一時的蓄積ではなく、明確に自分のパソコンに保存するというときに、そういったものがもうブログとかでカジュアルにある意味そういう著作権侵害というのが行われている利用の実態があるわけですから、そういったものが全部この30条の外に置かれることによって、カジュアルな犯罪者というのが増えてしまう可能性というのは非常に大きくなるのですね。
そういったことを考えると、もともとこの委員会は音楽と映像の補償金というある意味小さな話をするところだったと思うんですけれども、もうちょっとネットの広範な利用実態にすごく大きな影響を与える可能性があるので、それは十分慎重な議論をしなければいけないのかなということと、当然この30条の外に置くというのは、海賊版ですとか違法な状態等を何とかしたいという、そういった意図があるのかと思うのですけれども、でも、それであれば日本というのには送信可能化権があるわけですし、アップロードした人を摘発するという運用で十分なのではないのかなという気がしていて、やはり画像とかテキストというのは本当にネットではカジュアルにコピーされますから、そういう意味ではそれがやはり犯罪という形になってしまうと、私的複製の外になってしまうということになりますと、エンドユーザーに無用な混乱を与えることになってしまうのではないかなという懸念が1個あります。
## [平成19年第5回(2007年6月15日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07061916.htm)
津田委員) (増田中略) その30条のところに関して言うと、やはりいろいろな問題はあると思いまして、どうしても海賊版からの私的複製とか違法配信からのダウンロードを規制したとしても、家庭内の複製行為を取り締まることは実質的にはほとんどできないですよね。物事すべてそういった形で法改正の目的として家庭内の違法からのコピーをソースにしたコピーを取り締まろうということ、実際に取り締まれなくても抑止効果があるのであろうということであっても、じゃ実効性としてどれだけ意味があるのかという議論は当然あるでしょうし。僕はそこで大きな問題になるなと思うのは、ユーザーの側で自分が接している著作物というのが、利用許諾のもとに提供されたものなのか判断する手がかりというものがないという。特にインターネットみたいなデータ中心のものであると、これが違法なものなのか、これが合法的なものなのかというのはわからないまま、自動的に機械がコピーしてしまっているというところがあるわけで、そういった違法なものがコピーしているかしていないかということがユーザーにとってわからないという意味では、それが違法なものからコピーすることは違法になってしまうのだよということが前提になってしまうと、常に不安な状態でユーザーはインターネットというのを利用しなければならなくなると、そういった意味の悪影響というのはすごく大きいなと。
いろいろな議論がある中で、情を知って行なってというところで、そのコピーに関しては違法にするというような規定も、そういった制限規定みたいなのを用意するみたいな議論もあったと思うのですが、これ自身が利用者保護に役に立つかというとまた疑問もあって、結局ユーザーからしてみれば、情を知ろうが知るまいが、結局結果としてできるコピーというものは同じものになりますし、そうなったときにその辺は司法判断でどうにでも認定できてしまうのかなという問題がありますし。いろいろな権利者団体の方というのは大体インターネットの犯罪ですよということはよくキャンペーンも行なっておられますから、そういう意味ではユーザーが情報を知る機会というのは非常に増えているという考え方もありますし。
あと、もう1つ大きな問題としては、今「知的財産推進計画2007」のほうでもありますけれども、著作権法違反の非親告罪化ということがその検討項目として入っていて、これとセットで組み合わせたときに違法なダウンロードのものが30条の外になってしまうというときに、本当にいろいろなものが著作物に対して論じたり研究したり楽しんだりということが、インターネットを使うこと自体が常に何か犯罪行為に近くなってしまうというような意味でのエンドユーザーに対してインターネットが楽しめなくなってしまうという、そういう意味で悪影響というのはすごく僕は懸念されています。
話を多分その立法目的のところの話に戻していくと、何でそういった30条の外に置くのかという話の目的としているのはもちろん海賊版対策ということだと思うのですよ。海賊版対策というところで、でも、今の現行法で海賊版対策はできないのかというと、それはそんなことはなくて、当然日本には送信可能化権というのがありますし、海賊版をばらまく行為自体も基本的には禁止されているわけですから、本来海賊版を規制したいのであればその送信可能化権と海賊版頒布のそれを禁止というところで、そこで対処していくというのが本来の筋道ではないのかなと思います。やはり著作物を守るための保護が日本は甘いのではないのかという意見も多分あるかと思うのですけれども、ただ、やはり罰則という意味ではこの前の著作権法改正で5年以下から10年以下になっていますし、非常に罰金というところも上がっていますよね。そういう中で世界的に見ても水準というところでは非常に厳しい著作権保護の水準になっているというふうに僕は考えていて、そういうところでさらにそういった強化を、特にエンドユーザーに対して影響が大きい30条の変更を行って、また強化をするということはやはりその本筋からも外れているし、エンドユーザーに対してのすごく萎縮効果というのが大き過ぎるというところがあるのかと思います。
僕が最後に思うのは、この議論を持っていてユーザー的に極論的に言うと、今回の文化審議会の議論でこの30条を変えるのか、それとも補償金を残すかというもし二択なのであれば、おそらくエンドユーザーはある程度補償金があることによってユーザーが自由にコピーできるのだったら補償金があったほうがいいだろうと。そうじゃなくて、インターネットとかの自由にコピーができなくなってしまうみたいな、そういう可能性がある、インターネットを使っているだけで犯罪になるかもしれない。しかも、それが非親告罪化されて、いつの間にか自分が犯罪行為にわからないうちになっているかもしれないということ、そういったものの萎縮効果、しかも、それがよくわからないうちに法改正が進んでいるというのは、非常にエンドユーザーに対しては問題が大きいのではないのかと思います。幾つか論点ありましたが以上です。
(川瀬著作物流通推進室長) 委員、少し誤解をされていると思いますが、私ども前期の小委員会から今期にかけて30条の見直しの議論はいろいろな意見を頂戴しておりますが、その中で現行法は私的目的の複製に関しては、それが30条の範囲かどうかにかかわらず罰則の適用は除外しております。私どもとしてはその流れから言うと罰則の適用はないのではないかという資料は出させていただきました。
それに対して私どもの理解では、罰則を適用する必要があるという意見は1件もなかったわけですから、その自然の流れから言えば当然今回違法サイトからの複製について30条の適用範囲を外すとしても、特に罰則の適用が必要だということであればまた別ですけれども、今の審議の流れから言えば同じように罰則の適用がないということになると思います。ということですから、まだこの委員会の結論は出ていませんから、今の時点で言明するわけにいきませんけれども、今までの委員会の審議の流れからいえば罰則の適用は排除するという流れになると思います。
(津田委員) まさに本当に、それはインターネットというメディアの特性というのがおそらく今までの著作権ビジネスと相いれない部分というのは多々あるというか、インターネットというのはやはりネットというのがコピーを前提にした新しいメディアであるから、ゆえに従来の著作権法と齟齬が出てきているというのが、今こういった問題のおそらく根本的なところにあると思うのですけれども、仮にその罰則がないままいって、でも違法状態というのばかりが増えていくといったときに、それはユーザーにとってどうなのか、それが本当に正しい状態なのか。であれば、もともとそういった法改正をして、罰則がなくても違法状態ばかりが増えるという法改正をすることにどれだけ実効性があるのかという意味で、そのところの根本的な議論というのはする必要があるのではないかなと僕は思います。
## [平成19年第6回(2007年6月27日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07062817.htm)
## [平成19年第14回(2007年11月28日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07112907.htm)
違法サイトからのダウンロードに関して3点ほど意見を述べたいと思います。
まず、1点目は対象著作物の範囲に関してでございます。著作権分科会におきましても、ゲームソフトやビジネスソフト等のプログラムの著作物についても対象にという意見がございました。これにつきましては、著作権法でも随所に一般の著作物と異なる規定を置いているところであります。つきましては、被害実態が明らかであり、迅速な対応が必要な音楽、映像といった私的録音録画に関しまして、まずまとめていただいて、プログラムの著作物に関しては別途検討が適当なのではないかと考えます。
2点目は利用者の保護、善意者の保護に関してでございます。このパブリックコメントを見させていただきますと、違法サイトからのダウンロードにつきまして、これを違法とすることの反対理由といたしまして、一般のユーザーが知らないうちに、気づかないうちに犯罪者となるとか、損害賠償請求を受けるといった恐れが指摘されているわけでございますが、この中間整理でも明らかなとおり、インターネットの利用の萎縮効果を招かないように、利用者の保護の観点に立った手当がされているところでございます。
具体的には違法サイトからのダウンロードは罰則の対象としない、損害賠償請求についても「情を知って」等の要件を満たした場合はじめて責任を問われるということになっているわけでございます。これに対し、反対意見の中には中間整理の内容が必ずしも正確に理解されているとは思えないようなところが見受けられますので、特にここは重要なところであると思いますので、国民あるいは一般ユーザーに対してきちっと理解していただくような周知活動といったものが必要なのではないかと考えております。
3点目として(増田中略)
この30条のところでいうと、今、生野委員から必ずしも正確な理解に基づかない意見が多いのではないのかというお話があったんですが、例えば9ページの日本俳優連合さんの意見で言えば、抑止力として使うために早急に罰則規定を法定すべきであるという意見もあって、その権利者さんの望むところは法的な保護強化をという声があって、そういった状況と込みに今までの著作権法がどのように変わってきたのかという歴史的な経緯などを踏まえた上で、ユーザーがそういったところまで心配した上での反対であると。そういった文脈も込みでの反対の意見が多いということだと思っています。
もう1つは、今、生野委員から録音録画は切り分けて早急に対処すべきではないのかというご意見がありましたけれども、すべての著作物を30条で適用していただきたいという意見はパブリックコメントでもありますし、著作権分科会でもあったということは、著作権法30条の問題を考えるときに非常に大きな話であると思うので、私的録音録画小委員会で全部話し合うことが果たして正しいのか。ちょっとツウマッチな問題なのではないかなということがあるときに、パブリックコメントでもありましたけれども、30条から外すことはどうなのかということを一から根本的に議論するべきではないかという意見に僕は賛成で、それは私的録音録画小委員会ではなくて、これより上の法制小委員会とか、もうちょっと大きなテーマを扱うところで議論すべきではないかなという気がいたします。
## [平成19年第15回(2007年12月18日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07121906.htm)
ありがとうございました。
もう時間を過ぎておりますけれども。特に一般人のダウンロードの問題ですが、ここは著作権の審議の場ですから著作権しか見ておりませんけれども、知的財産一般に関係しておりまして、例えばニセブランド、これを外国から買ってもってきた場合どうかとか、それを日本で使っている場合どうかとか、一般人を知的財産とどう絡ませるかというのは非常に大きな問題です。したがって、これは非常に大きな問題ですが、それは置かれているその問題ごとに解決していくしかないと思います。
一番大事なのはやはり利用者の保護であり、不意打ちをくらうということがないという配慮が必要でしょう。情を知ってとか故意という要件が入るので、それは恐らく一番大きな利用者保護になるでしょうし、実際の訴訟を考えてみますと、警告をするといったって警告するときはダウンロードは終わっていますから、合法なダウンロードは警告で違法になることはないわけですね。ずっと継続的にやっているような人に対しては警告の意味があるかもしれませんけれども。そうなると余り訴訟としてどれぐらい使えるかという問題の疑問はあるのですけれども、先ほどどなたかおっしゃいましたけれども、違法にすることによる国民の意識の変化は期待できるかもしれませんし。
恐らく一番大きな問題は、You Tubeのような投稿サイト等、あれいくら違法な投稿を削ったってまずなくならでしょう、絶対不可能なんですけれども、ああいうものを合法のほうに取り込んでいくかという場合、ダウンロードを違法としておくことは意味があるのかなとか。そういう広い意味はあろうかと思いますけれども。恐らく個々の国民がこれでひどい目に遭うということは多分ないだろうと思います。刑事罰もついておりません。アップした人には刑事罰が科せられますがダウンロードには刑事罰がついておりませんので、まあこれに関しては一般のユーザーはそれほどひどい目には遭わないだろうという感じはしております。
おわり
koekoeとか言う投稿サイトがあるので載せてみて欲しい
とある作品投稿サイトで、1人の(サイト内だとそこそこ有名な)創作者のファンを何年も続けてる女がいた。
私もその創作者のファンであり、その女の事はそいつが描いてた創作のファンアートを見かけて知った。
その女のイラストは飛び抜けて上手いと言う訳ではなかったのだが、全て丁寧に描かれていて愛の感じられるイラストで、創作者に媚びる事だけ考えてファンアートを描いていた自分が惨めになりながらも覗き見する事をやめられず、いつしか創作者よりその女のファンアートだけを見るようになった。
しばらくして創作者がTwitterを始めていた事を知り、すぐにフォローをして会話をしていたら別の人にフォローされた。
あの女だった。
私は暫くの間この女の作品を追い続けてはいたが、一切ブックマークやコメントはせずにいたので、向こうは私の存在をTwitterで初めて知った様で、たどたどしい様子で向こうから「あなたも○○さんのファンなんですね!」と話しかけてきたので普通に返事をし、よく話す様になった。創作者の話をされ、細かいネタ等も持ち出してきて、会話には正直付いていけなかったが、そこまでひたむきに一つの作品を愛せるこの女が羨ましくて仕方なかったし、ストレスしか感じなかった。大嫌いだった、話すのも苦痛だった。別にこの女が悪くないのは分かってる、その創作者とは私の方が仲が良いし、絵だって私の方が上手いのに、何故だか劣等感が拭えなかった、こいつに勝ちたいとずっと思っては頭を掻きむしっていた。これが親友との出会いだった。
それからその女が創作者に恋心を抱いてる事を知るのに時間はかからなかった。
そこで私は、身体を使って創作者に取り入る事にした。オフ会をして、媚びて、そういう行為に至り、その優越感に浸る事で羨望、嫉妬は消えると思った。が、何も変わりはしなかった。それどころか余計に綺麗に、純粋に生きているその女と汚い感情にまみれた自分を比べて、惨めになるばかりだった。結局その創作者ともその後、友達という関係に戻った。
その女含め創作者達とリアルでよく遊ぶ様になって一年が経とうとしていた頃、創作者と女が付き合っていた事を聞かされた。幸せそうだった。それから恋愛相談をされる様になり、惚気話や喧嘩話に一喜一憂する様を間近で見ていた。
私は相手が安心出来る、笑顔になれる様な返答を心掛けた。そうすれば何だか救われる気がした、許される気がした。それを何年も続けているうち、その女に喜んでもらう事が生きがいになり、依存し、その女の為なら何でもする様になり、いつしかその女しか友人はいなくなっていた。
荒んだ家庭で理不尽に暴力を振るわれ、精神疾患になり、生きる意味など分からなくなってる自分が、平凡な家庭で健やかに育てられ、友人や恋人に囲まれて過ごしているあの女と話してる間、その間だけは、自分が普通の人間でいれる気がした。
何でこうなったのかは自分でも分からない、最初は大嫌いだった、今も幸せそうなあいつを見てるとイライラする、でも自分が普通であるフリをするにはそれしかない、いやそれも言い訳か、私はいつしか7年間その女を追いかけていた、近々、創作者とその女は結婚するらしい。
私は、失恋したのだ。
最初に描いておくのですが、水着までしか描いたことがない人です…。
なんでタイトルのような事を言われたのかと言うと、いわゆる萌え絵を描くのが好きだったからになります。
ことの始まりは、pixivに投稿していた絵の評価とともにリクエストがメッセージで届いた事です。
明らかに怪しいURLが貼ってあって「このポーズでこのキャラの裸体絵をお願いします」と依頼がありました。
リクエストも受けてないため、リクエストを丁重に断る事と18禁イラストは描かないことを伝えるために返信した所、
最初の頃は、断られたから気を悪くしたのだろうと落ち着くまで我慢しようと思ったのですが、
いつしかメッセージだけでなく、投稿する絵にさえも捨て垢含めて嫌がらせをしてくるようになりました。
そしてメッセージには、やっぱりイラストのリクエストがあり、最初の頃の丁寧な口調でのメッセージはもうそこになく、
「描け」
と一言でした。
それでも私は返信でリクエストの拒否を行い、これ以上同じことを繰り返すのならば、運営に報告する事を説明しました。
その後一週間ほど静かになったので、もう大丈夫かなと思ったのですが…2週間入ろうかという頃にまたメッセージが届き、
「報告したければすればいい、いくらでも捨て垢も作れるからな」とのこと。
その後にはいつものリクエストが描いてあって、最後に書かれていたのは「お前の絵はエロくらいしか存在意義がない」
「俺がこうやってリクしてやっているから認められてるんだ感謝しろ」と。
これを読んで、正直ゾッとしました。
私の絵は、お世辞にも上手いとは思えませんがずっと描いてきたためかフォロワーさんもたくさん得られ、
それなのに、この人は自分ひとりの力だと言い張り、執拗に強要してくるのです。
色々描きたいものもありましたが、こんなおかしい人がいるのでは安心して投稿もできません。
運営に報告してそれぞれのIDが停止されても、またこの人は同じことをしてくるのでしょう。
そう考えると、怖くて仕方なかったので自身のIDを解約することにしました。
フォロワーの方たちには申し訳なかったのですが、自身を守るためにも解約をしたほうが良いと思ったのです。
他のSNSでは、プライベートにしてあるので認証した人しか見えないようにしてありますが、
また嫌がらせを受けるかもしれないと考えたら、投稿自体が自爆になりかねないので。
今回の件で、ショックだったのは描いたことのない「エロ絵」が自分の存在意義だと言われた事でした。
絵の評価がそういう性的な部分でしか受けられないのも変な話です。
しかも描いたことがないものなのに、それを評価の対象というのは悲しい。
そこまで飢えているのなら、専門誌でも購入すればいい話ではないのかなと思うのです。
一般絵しか描かない人からすれば、そういう絵はそういう絵を描くことを好きな人が描けばいい話であって、
もし作品の工程で性的な描写も必要かなと思ったときに初めて描けばいい話ではないのでしょうか。
本当に今回は怖かったです。
IDを削除されても捨て垢はいくらでも作れると言われた時を思い出すと今でも怖い。
そのくらい簡単に作れてしまう仕様もどうかなと思うようになってしまいました。
とりあえず…
こういう言及してくる人が今回のような粘着質のある悪意な人なんだと実感しました。
悪意もなんにもなく普通に利用したいだけなのに心無い人が多すぎて酷い。
ハックに投稿してたけど更新してると下手でも閲覧数ブクマは増えてく。
読み切りでも長編でもいろいろ投稿して知名度を上げると良いかも。
pixivであまり振るわなかった人がニコ静ですごいお気に入り数になってpixivの評価も増えたって人見たことあるし、どうなるか分からんな。
前提として
・人を選ぶ内容。
・投稿の目的=偏った漫画ではあるが、好きな人は好きなはず・・・という気持ちを裏付けしたい
・より多くの人に見てもらい、出来ればコメントを貰い、次回作へのモチベを上げたい
基本的には良かった順。
描いてよかったなと思う。
投稿してから数日経ってもじわじわ閲覧数・コメントが伸びるのが良い。
気軽にコメントしてくれる人が多く嬉しい。
一応ランキングにも入っていたようで嬉しかった。すっごい下の方だったけど。
コメントはなし。
ブクマしてくれたのが誰か分かるので、読んで貰えた実感がある。
ページ数は短くもないのでツイッターとは相性悪いと感じた。
ファボRTしてくれる人が誰か分かるので見てもらえた感はある。
★XOY
評価システムが個人的には少し引っかかる。あんまりうれしくないな・・・。
★マンガハック
★note
→閲覧30前後/ファボ1
→閲覧50前後/ファボ1
他の人のどんな作品にも最低1はついてるので。
→閲覧数不明/ファボ2
閲覧数わからないので何ともいえない。
★コミカワ
→閲覧数不明/ファボ2
ここも閲覧数不明。
やたらと編集ページが重い。
反応なし。
★マンガごっちゃ
→閲覧0
でもまさかの閲覧0。反応0。
運営により削除。
★マンガ図書館Z
番外編
★新都社
検討したが、規約が厳しく断念。(他で公開済みのものは投稿禁止)
総括
どんなに頑張って描いても知名度がないと見てもらえるのは結局最初の数日のみ。
その数日でどこまで伸びるかが勝負。と言ってもそれもタイミングと運次第。
同人誌での発表も考えたけど、きっと多くて3人くらいにしか手にとってもらえないと思ったのでWEBにした。
閲覧数的には総合すると割と多くの人に見て貰えたと思うので満足。
ほとんど投稿した意味がないサイトもあり、そういうところには次からは投稿しないと思う。
インディーズで漫画を描くということがどういうことなのか最近よく考える。
プロではないので発表媒体を選択する必要があるし、少しの人にしか見て貰えないし、お金は貰えない。
その中でどうやってモチベーションを保っていくか?
自分が描きたくて描いているのだから反応なんてなくても・・・と思ったりしたこともあったが
やっぱりコメントが来ると嬉しい。
次も描きたいと思えた。
このインターネット時代、自己プロデュースは必須なのに・・・。どうしてもそれが苦手な人もいる。
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色んな意見を読んで、確かにURLをここに貼った方がいいかも、と思ったので貼ります。
よかったら読んでね
(コメントしてくれたら嬉しい)
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読んでくれた人ありがとうございました。すごいびっくりしてる。
結果的にここにURL貼ることが一番見てもらえたし、一番反応が貰えた。漫画投稿サイトじゃないのに!ありがとう。
返信ってとても苦手なので個々にはしないけど(ごめん)、感想ほんとに嬉しい。隅から隅まで読んだしスクショとったよ。
ショックな意見も中にはあったけど、きちんと読んで貰えて良かった。
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そのうちまた復活させるかも。
携帯を高校生になって始めて買ってもらって、念願だった投稿サイトに登録した
最初は好きなキャラクターを描いて投稿して、ワクワクしながら反応を待ってたしその待つ時間もソワソワしながら楽しかった。
いいねが一つついただけでもその日一日中嬉しかったし、ずっと見返してはニヤニヤしてた。
だんだん時が経って今現在はあの頃より上手くなってそれなりに評価も貰えるようになった
評価が付いてなかったら、低かったら恥ずかしいと思うようになりあの頃のワクワクではなくて不安でドキドキするようになってしまった。
自分が好きなキャラと自分が面白いと思ったネタで描いても周りの人にウケなければそれはないものも同然、評価されて始めて作品として認めてもらえるような感覚から抜け出せない。
絵を描くのは楽しい
でもこんなはずじゃなかったんだけどなぁ
もっと気楽に楽しんで描きたい。
ハァ〜〜〜気分は下がる一方キャラへの愛は変わらず…絵が上手い人は認められて下手くそは道端の小石以下の価値で発言権もないとか被害妄想も大概にして今日も今日とて絵を描く。
とにかく読者が多いので「とりあえず誰かに読んでもらいたい」「反応が欲しい」という人に最適。
二次創作SSコミュニティが源流ということもあり、特定ジャンルに人気が集中する傾向にあるが、
ランキングにこだわりさえしなければ、全体の作品数が多いぶん裾野は圧倒的に広い。
そのぶん競争が激しいことも確かだが。
設立経緯を考えれば仕方ないが、サイトの作りが古く、機能的には遅れを取っている感がある。アプリもない。
新しいだけあって「なろう」にはない機能が多いのが特徴。
ただし読者は少ない。
お膝元ということでKADOKAWA系レーベルの目に止まりやすく、
差別化を図るためか「なろう系」とは異なる傾向の作品が書籍化されることも多い。
サイト制作を担当したはてなを通じてはてなコミュニティとも繋がりがあり、「なろう」とはまた違った雰囲気ができている。
特定の作品に限ってだが二次創作が公式に許可されているのも特徴。
Web小説の書籍化に関しては老舗の出版社アルファポリスの直営サイト。
「なろう」よりも遥かに競争相手が少なく、書籍化までのルートも整備されている。
ただし出版社としてのアルファポリスの評判はいまいち良くない。
もともと「なろう」との距離が近かったため、人気作品の傾向としては「なろう」的だが、やや女性向けが強い。
アクセス数に応じてAmazonギフト券などに交換できるポイントが付与されるインセンティブシステムがある。
そのため純愛物・ミステリ・ホラーなどに強く、「なろう系」とはかなり異なる文化圏を作り上げている。
出版社ではないが編集部を抱え(編集者というよりプロデューサーやエージェントに近いようだ)、
人気のある作家へのアドバイスや、他の出版社へのアプローチなどもしているらしい。
「なろう」で二次創作SSが禁止されたときに、その受け皿として作られたサイト。
二次創作SSでは国内最大規模のサイトであり、アクセス数でも何気に「なろう」に次ぐ規模を誇る。
最近、神が自ジャンルを撤退した話をちらほらと見かけた。感想をもらえなかった神を止められない後悔のようなものが綴られていた。ファンとしては悲しかったんだと思うし、去る神の方も辛い思いをしたんだと思う。
そんな記事を読んでいて、きっとその世界に私はいないんだろうなと漠然と感じていた。
時おり好きになった作品で二次創作を書いて、同じ作品が好きな人とTwitterで繋がってフォロワーを増やすということが多かった。増やすといっても一桁単位の話で、私の作品のブックマークも一番にしてくれたのはフォロワーのことが多かった。自分が書いたものを喜んでくれたり、楽しみにしてると言ってもらえたり、投稿ツイートにいいねがつくだけでも嬉しかった。
それから私は今のジャンルにハマった。ジャンル自体が始まったばかりで、pixivの小説タグには作品がひとつかふたつぐらいしかなかった。私はジャンルに勢いよく沼ってしまっていて、その勢いのままほぼ週に一回ペースで小説を上げた。pixiv以外の投稿サイトでも多いときには1日に3本、2000字未満の短い話を書くこともあった。数打てば当たるというもので、同じジャンルで活動を始めた人たちの目にも止まってTwitterで動かし始めていたジャンル用の別垢にもフォロワーが増えた。主は絵を描く人たちで、その人たちが絵を投稿すれば三桁のブクマいいねはあった。
私はと言えば好き勝手に書きつつもよいときは二桁の反応をもらうことがあった。Twitterでも作品に関する反応をもらえて、嬉しかった。
けれどふとpixivの小説タグを見返した時、自分の作品しかないことが唐突に怖くなった。自分がタグを荒らしているんじゃないかと恐ろしくなって、自分の作品の多くを非公開にした。その直後にジャンルがアニメ化されたこともあったのだろうけど、小説タグに自分以外の作品が多く投稿された。その事を嬉しく思って、たくさん小説を読み漁った。
どの作品も魅力的で、文章も濃厚で、自分ではできない表現を易々としていた。
それと同時に自分の作品のつまらなさを見せつけられたような気がした。実際、自分が非公開にしたあとに投稿された作品のほうがブクマ数を稼いでいた。ジャンルに人が多くないからと2桁つけばいいと思っていたブクマを、あとから投稿された作品は三桁もらっているのを見た。なんなら自分がpixivに上げたあとの作品のほうが反応があることなんてざらだった。
けれど自ジャンルで話を書くことは好きだったし、私が書いた拙いものでも好きだと言ってくれるフォロワーはいた。フォロワーがTwitterで出した小ネタを話にして、その人に喜んでもらうというのが多かった。
しかしそんなことばかり続けていると、私が考えたものはつまらないんだろうなという考えに陥ったし、自分で話を考える力が失われてしまった。自分で考えた話はどれも似たような内容になっていて、読み直して頭を抱えた。
ジャンルではじめてオンリーが行われた時、私は人生ではじめて同人誌を作ってはじめてサークル参加をした。はじめてのオンリーということもあって開始直後にどのスペースも完売していて、少部数で持っていった私の本も全部売り切れた。すごく嬉しいと思ったし、そのあと感想をいただくこともあった。
しかし、再びあったオンリーでは新刊も既刊も、半分も売れなかった。具体的な数字を出せば、30部持っていってのその結果だ。
評価されないことも本が売れないことも、結果としては自分の実力不足の問題だ。結局私の書くものは内容もワンパターンで、文体も個性がないつまらないもの。腐向けを書くにしても事を為してる描写が下手くそで、自カプの話は大体オチもつけず終わらせている。
そんなのをこじらせて、最終的にはジャンルのせいだと思い込むようになっていた。この頃はジャンルの公式イベントに対する不信感やイベント現場でもオタクの問題行動が目についていて、余計にジャンルに対して批判的な視線を向けてしまっていた。ジャンルを知らない友人やフォロワーに運営への不満とオタクの愚痴を語るのが日課になり、腐向けに作った垢も不満と愚痴と自分の文章への嫌悪に溢れていた。
本当は私は私が書いたものが好きだった。文章は単純でも展開がワンパターンでも致してるシーンがつまらなくても、自分が書いてて楽しいものを書けて幸せだった。でも私は誰かの神にもなれなかったし、他人の目を気にしすぎて、自分自身の神にもなれなかった。
私はジャンルが大好きだった。売り込み方は下手だったけれど、関係者の熱意は間違いなくあった。ストーリーもキャラクターも魅力的で、今まで好きにならないタイプのキャラが推しになった。はじめて現場に行くきっかけになったこのコンテンツが好きだった。
今はせめて自分自身の神に戻るために、私は自分の好きだったものとちゃんと向き合おうと思う。
私が好きな私の文章を、私が好きであれるように。
私が好きだと思ったものを、好きだと思い続けられるように。
"低"収入すら直してないんだぞ?
リスクリターンに合わないんだよ。書く為に浪費した時間や病気になるほど推敲した時間、読んだ本や吸収した知識や経験、そういうのを全部含めてたまたま面白い形に力が抜けて出てきて、運よく拾い上げられたって話だろ? 実際に選考過程はブラックボックスだし、下読みから校閲まで出版側だってもう限界なんだろうよ。ついこの間の芥川の盗用だって競争率高過ぎてチェックしきれてない証拠じゃないか。
「宝くじ当たるかなぁ」って指くわえてる奴に「私は当たりましたよ?」って言って励ましになると思うのか?
アンタのやってるのは「利用者からはこんな感謝の声が!」って喧伝してる情報商材と変わらないんだよ。腰掛けで楽しかったって話を追い詰められてる奴にするなよ。
オッサンだってこんな場所に書く暇あるならそれこそ投稿サイトに出せばいいじゃないか。
それを何度も何度も繰り返して年功序列と薄汚い欲得と話題作りと政治の結果で自分の努力や時間は左右されるんだって気付いた時に、もうオッサンどころかジジィになってたらどう責任取るんだよ?
オッサンは体も売れなきゃ終身売春婦にもなれないし、下手に褒められて夢見続けたって当たらない確率の方がずっと高いんだよ。
他人に書けとか書くなとか言われてそれで左右されるならその程度なんだろうが、その程度すら自分で決められないで「なろうか"な"ぁ」って、何言ってんだって話だろ。
書く暇と体力あったら小銭貯めてnisaにでも少しづつ投資した方が確実にリターンあるって言ってんだよ。実際に貯金より利率高いんだから。
どうせそれもしてないんだろ? 書く為に投資が要らないとでも思ってるのかよ?
出版はもう焼き畑農業なんだよ。使い捨ての雑文要員を買い叩いてるなんて記事は検索だけで幾らでも出てくる。
訴えたい事もない奴に指先でキーだけ叩いて金が儲かるなんて唆すのは止めろ。
ああ、なろうかなぁ、じゃなくてhttp://syosetu.com/の事か?w
俺も書いてみようかなぁ(笑
15:32 追記
資格取得の勉強とか、アプリ開発とか、小説執筆とか、何かを成し遂げようと思ったことは幾度となくあるけど、何一つ大きな何かを完遂できた試しがない。
今年もなんたらスペシャリストとかいうIPAの試験受けようと云千円も試験料払ったのに現時点でほぼ無勉状態だからまあ試験日当日にバックれかますつもりだ。
ちなみに半年前は受けなきゃなーとか思いながらも申込みすらサボった。
アプリ開発だって、藤原竜也ツールレベルの細かいのは何回も完成させてるが大きなのはほぼコケてる。
企画はいろいろあったんだよ。決済機能付きの技術投稿サイト。2chAPIを実装した専ブラなしでも使用に堪えうる今風UIの掲示板。対立煽りながら漫画やアニメ作品を格付けさせて2つの作品間の優劣をハッキリさせるサービス。etc。
環境作ったりテーブル設計してマイグレーション走らせてAPI部分だけ作ったけどフロントエンド技術の習得で作業が止まったり、
企画に対して仕様が練りきれなかったり、単純に飽きたり、まあ理由はいろいろあるけどやる気が足りないっていう理由がまあほぼ独占してる。
今は英語の勉強を始めたくてとりあえず単語帳アプリの開発をしてるんだが開発の方に飽きかけてるせいで英語の勉強も始まる前に終わってしまいそうだ。
こんな自分はダメなのはわかってたからまず俺はタスク管理法というのを調べたよ。
Todoアプリはどんなのがあるのかとか、みんなどんな感じでタスク管理してるかとか、タスク管理法のプロマネ向けの書籍を読んだりもした。
そんで俺は平日の終わりに休日にやるべきことを、休日の終わりに平日にやるべきことをタスクとして洗い出してTodoアプリに登録するようにした。
ポモドーロテクニックっていうのを使って(超要約すると25分仕事→5分休憩を4回やって30分休憩、っていうのを繰り返すタスク管理テクニック)
25分の作業を1タスクとして、できるだけ細かく、そして無理のない範囲でタスクを洗い出すことにした。
作業の中には勉強とか開発のものだけじゃなくて例えばSteamの積みゲーを25分間×3回かけて崩すとかアマプラのドラマ何話まで見るとか、そういう遊びのタスクも含めて管理するようにした。
んで今はというと遊ぶ方のタスクだけ前半で綺麗に消化されて2ヶ月くらい前に登録した開発用のタスクをまた来週平日分のタスクとして繰り越そうとしている。
成果としては積みゲー消化がやけにスムーズになってしまっただけ。アレだよ。某Youtuberの『時間足りなかったので1分追加しまーす』ってのを人生の中で延々と繰り返してるんだよ。
ぶっちゃけどんなに緻密にやることをTodo管理しようとしても友人からの『マリカーやろうぜ!』のLINE通知があれば何もかもが崩れてしまう。
いや、そんなもんなくても崩れてるんだろうけど。いやだって勉強よりゲームやアニメって楽しいじゃん。
唯一長年続けられてるものといったら日課的な部屋の掃除とDSの脳トレゲームと筋トレくらい。
生産的なことは何一つやれてねえ。
ぶっちゃけこういうのって脳みそのレベルである程度決まってそうな感じするから単純な精神論行ってても仕方がない気がするんだが、
もうちょっと何か自分を追い込むような方法ってないのかなぁ。なるべくお薬とか以外で。
そろそろ人生的に転職エージェントに相談したり転職用ポートフォリオとか作らなきゃあかん時期なんだけど、このままじゃ転職すらままならねえぞ。
「これからもストーカーの拗らせアンチとして応援したいと思います」
この主語には私が入る。つまり私のストーカーの拗らせアンチということだ。
私はこのツイートを見た時唖然で言葉が出ず、しばらく反応すればいいのか悩んだ。私にリプライしたわけではなかったけれど、間違いなく私関連の、わたしへの、切っ先を向けた言葉だった。どういういきさつでこの発言をしたのか、もう覚えていないし思い出したいとも思わない。というか思い出したくない。ただ、この言葉のお陰で私はこの人が大嫌いになった。憎くなった。怖くなった。もう二度とツイートを見たいとは思えなくなった。会話すらしたく無いと思った。
そしてこの言葉が私の心の深く沈んだ所に刺さり、ふとしたときにちくちくと私を悩ませるのだ。だからここに書く。今日も唐突にやってきた、この行き場のない痛みを痛いと言うために。
私はしがない絵を描くことが趣味の、ただそこらへんにいる、あるジャンルにいる、あるキャラのファンだ。そして所謂マイナーと呼ばれ界隈が狭く何かしらの投稿サイトも大して更新が行われることのない界隈に住んでいるファンであり、あるキャラを猛烈に好きなあまり、にそれしか描かないそればかりな本ばかりをつくる(自分であまり言いたくはないが)そのキャラに関してはこの人だと思われても仕方がない、ファンである。
そんな小さな界隈にもう5年長も生きていれば、大体投稿する人も「何だか知っている」ひとになるのだが、その「何だか知っている」ひとがその言葉を言い放った人だった。
現在時点でだと正しくは「何だか知って”いた”」人なのだが、それは私よりずっと前にそのジャンルで活動をされており且つその方を認知しており、しかしながら交流も無ければ交流をしたいとも思っていなかったため「何だか知っている」という表現となってしまった。
この人とどう交流が始まったかといったことはもう覚えていないが、交流していくうちになんだか歯車が合わないなぁと思ったことがあることは覚えている。
いや、正直に言おう。好きじゃなかった。
私は、この方が私に親しみを持ってくるのは別にどうでも良かった。感想を言ってこられたのも別にありがたかったし、もっと言えば小規模である界隈に活動をしているだれかが居るのは少し安心感があった。
でもどうしても好きにはなれなかった。それはその文章からにじみ出る性格だった。
Twitterは、投稿サイトでは分からない膨大な文章がその人を形作る。私はそのぽつぽつと呟かれる文章にいつも合わなさを感じていた。文章の書き方もだったし、記号の書き込まれ方や絵文字や話し言葉だけで構成されたひっちゃかめっちゃかな読みづらい言葉たちも好きではなかった。書かれる言葉に納得できないこともあった。何かの発言で私への返信が来た時に、少し行き過ぎた指摘に首を傾げることもあった。でもそれは好きじゃないだけで、別に今の様にはっきりと「嫌いだ」と言えるような不快感は無かった。
冒頭の一文に戻ろう。
この文でとうとう「好きではない」から「大嫌い」になったわけだが、この文から後の自分の感情はよく覚えていて、わけがわからなくなったあととても気分が落ち込んでしまったのだ。嫌いなの?好きなの?なんでアンチ?追いかけるの?応援してくれてるの?様々な感情が私の中をぐるぐると渦巻いて吐きそうになった。そしてその方は続けざまに「本人はどう困るとか、もういっそ自分の考えに振り切って、アンチだから嫌がらせもするしストーカーだから追いかけます」と言い放ったのだ。
私はどういうことかもっと分からず、何故こんな本人が見ると分かるであろうときにわざわざこの文章を書いたのか必死に考えたし全然今も分からない。振り向いてほしいのか、嫉妬心を燃やしているのか。そういえば私の作品が魅力的だとよく言っていたな、だなんて脳裏を過ったがそんなものはかき消える。
ただ、私はその人に初めて今迄持っていなかった「不快感」と「嫌悪感」を覚えた。それだけであった。
呆然と反応もしないうちにどうなったかといえば、先に私の別のフォロワーさんが食って掛かったため、戸惑いながらも対応するうちに発した本人から私へ謝罪のDMが送られてくるという、さながら焼け石に水といったところである。そのDMの内容というのも今思えば滑稽なのだが、長々と言うのも面倒なので要約すると「自分がほれ込みすぎてアンチになったのだが気を悪くしたのであれば謝りたい」とのことだった。
じゃあ何故言ったんだよ!いくら呟きだからといっても訂正がきかない独り言だってあるんだよ!!
本当はもう大嫌いになったので金輪際関わらないで下さいといっても良かった。DMで言ってくるのも癪に障った。ツイートで発言したのなら同じツイートで見て不快になった可能性のある方全員に謝ってほしかった。でも私はそこをぐっとこらえて、波風を立てないように優しく、気を付けてほしいと諫めた。
今思えばあのときすっぱりとブロックでもすれば良かったのかもしれないと思う。
私は優柔不断で、もしかしたら明日起きたら嫌いになってないかもしれない、忘れてまた楽しくおしゃべりできるかもしれない、そんな文章だけで人を判断して嫌いになるなんて、ただの呟きひとつでと自分に言い聞かせていた。ブロックでまたもめるのもめんどくさいとも考えた。いまもそうである。おかげでミュートにしてそっと距離を置く程度しかできない。
刺さった言葉はあれからずっと、ふとした瞬間に心を痛ませる存在となり自分の作品に自信が持てないときや意欲がわかないときやつらいときに言葉を過らせる。そしてその人のことを無理にでも思い出される。あの不快感や嫌悪感と共に、思い出したくない感情と共に。それがまた苦しくなり、もっと嫌になる。負の連鎖が続く。
そういう訳できらいになった。
あなたのことが、あの人のことが、大嫌いになった。
関係を戻りたいと言われたあの楽観さやすべてに苛立ち、大嫌いになった。
わたしはずるいので、直接は言いません。あなたが遠まわしに私を困らせ、苦しませたので同じようにずっと遠まわしに言いましょう。
そうして同じようにDMにて謝罪をしましょう。とびっきりの長文で、あなたを好まなかった文章の形も言いましょう。
大半のSNSには登録し、作品を投稿したり次イベントで頒布する同人誌の宣伝に使用したりしている。
上記のような使い方+同じ趣味や作品、CPを好きな人をフォローし、時にフォローされて交流を深めることにも利用している。
しかし、最近ツイッターアカウントを消してしまおうかと私は悩んでいる。
私は同人活動を始めたのは数年前からだが、ツイッターはそれ以前から利用していた。
ただ、頻繁に呟きをするわけでもなく、本当に登録しているという形だけのものだった。
それが今は、朝起きたらツイッターを開き、昼休憩でツイッターを開き、夜就寝前にツイッターを開く。ご飯3食食べるのと同じようにツイッターをしている。
自分でもツイッター中毒なのだろうなとは思うけれどもやめられない。(中毒なんだからそりゃそうだ)
やめられない理由のひとつに、ツイッターの「いいね」や「リツイート」の機能があげられる。
これ自体はいい機能だと思うし、この機能に私もずいぶん救われた。
原稿の進捗を呟く。
単純に気分がいい。
満たされたような気持ちになった。
「いいね」や「リツイート」というのは、大半が「あなたに共感しますよ」「あなたのこの作品・呟きいいね!」という意味合いで使われているだろう。(リツイートの場合はリツイートされた先での反応にもよるけど)
最初は、自分の創作したものがいいねやリツイートで広まり、感想をいただき、共感してくれる人、自分が共感する人と交流を深められ、なんて最高なんだという思いでいっぱいだった。
なにせ、私がWebで創作をしだした頃は個人サイトに溢れ、サーチやBBS、Web拍手やメールフォームなどを積極的に設置するスタイルで、イベントなどに出ない限り同じ趣味の方と交流できないだけでなく、感想ひとつ貰える機会もなかなかなかった。
それだけに、ラフに感想を送り合え、なおかつ思いを言葉にするのが難しい人や直接感想を送るのが難しい人は「いいね」や「リツイート」で好意を示せるのだから、ツイッターはすごいと思う。
だからだ。だからこそ、手軽に人と繋がれるこのツールにのめり込み、疲れ果て、今そこから離れようとしている。
「いいね」や「リツイート」、「フォロワー」の数が目に見えるのだから、もっと欲しい、もっと、もっとという欲求が生まれた。
それがいつしか、以前よりも反応がないと「あれ、今回のは良くなかったかな…」とあれだけかきたかったネタのはずなのに、ひとつの作品を作ったというスッキリとした気持ちにならなくなってきてしまったのだ。
『感想が欲しい』『反応がないから辞めます』系のツイートが定期的にバズる度に、「自分が楽しいから創作してるだけで、感想貰えなかったから辞めるというのはどうなの?」という意見が出るけれど、私は心の中で「そうだよね。私もそう思う」という思いと、「でも感想はやっぱり欲しいよ…」という思いに苛まれる。
感想別にいらない、系の人の話を見ていても、正直、「ツイッターや作品投稿サイトにあげている時点で、やっぱり誰かに見て欲しいんだよ。承認欲求あって当たり前だよ。人だもの」と思ってしまう。
そうじゃない、と言い続ける人もいるだろうけど、人が見る場所に投稿しているのだから、少なからず承認欲求があるはずなのだ。
そういうものだと思っているし、駄目なこととも思わない。
でも、そんな思いとは裏腹に「承認欲求があることが見えるのはなんか嫌な人間みたい」という思いも同時に抱えてしまう。
それが私は最後までどこかしっくりこない事があった。
同人仲間でも、私の本名を知っているのはひとにぎりの仲のいい人たちだけだ。
そんな中、ツイッターで知り合って、お泊まりし合うような仲になった友人。
LINEでもやり取りするし、本当の親友だと思っているが、最近その友人がツイッターの裏アカウントを削除した。
そのアカウントは身内のみ招待している状態で、私もその中の1人だった。
それが、別でもアカウントを作っていて、その裏アカウントはさらに少数の人としか繋がっていないようだった。
それにものすごくショックを受けた。
裏アカウントをかなり転々としていたその友人だけど、私のこともずっとフォローしてくれていたのに、どうして。
嫌になったのかな。
何かしたのかな。
そんな思いがぐるぐると渦巻いて、しんどい。
相手にとって私はボタン一つで離れられる存在だし、他に仲良くしてた人(中にはちょっと愚痴を言っていた人)とは繋がっていて、私との繋がりはもういいんだ、と思った。
そう考えてしまう自分が嫌だし、なんだかその友人に執着しているようでそれも苦しい。
リアルだと、直接何かを言い合ったり出来る。
でもあくまでも始まりはネットからだし、直接会うには距離も離れすぎている。
LINEで連絡を取っても、裏のさらに裏垢を教えてもいない人間が知っていたとなったら、それはそれで相手も気味悪がるだろう。
表垢では繋がったままなのが、またしんどい。
いっそ全部すっぱり切ってくれればいいのに。
ああ、でもそれはそれで精神的ダメージは大きいだろうな…とか思ったり。
ツイッターの恐ろしい面だと思う。
ツイッターは本当に素晴らしいツールであるというのは、私の本当の気持ちだ。
知らない世界を教えてくれるし、気軽に心が救われることもある。
でも、なんだか疲れちゃったなぁ。
こんな気にし過ぎな性格ではなかったのにな。
ああ、これがツイッター疲れか。
一次創作に身を置いていて、拝見している方には、以前からツイッターで直接感想を伝えていた。時にはマシュマロも利用して行っていた。喜ばれた。ありがとうと言われていた。それが迂闊に言えなくなった話をする。
私自身も一次創作をしている。うん万字の文字を書いている。読み手はおそらく私のみ。リアクションをいただいたことはほとんどない。某投稿サイトで更新している。
なおツイッターでは一次二次問わず、創作されている方の作品を見て素敵だと思った方をフォローさせていただいている。たまにご縁があって相互フォローしていただくかたもいらっしゃった。
自分で読みたいから自分で描くので、二次であるような解釈違いやアンチなどという問題はない。ただしびっくりするぐらい何もない。一次かつ読み手は自分のみなので当たり前だけれど。なので感想くださいと言ったこともない。
そんな中での創作(自分の作品)は癒しだ。書き終わった文章は、ときどき見直すと読んで癒されてこんなことが書きたかったんだよなあとか続きを書こうとか思うことができる。
でも一方で敵でもある。遅筆だということもあるが、なぜこんなことにこんなにエネルギーを使っているのか、馬鹿じゃないの?と嘲笑する自分も間違いなくいる。
元気な時は前者が勝つが、へこたれている時は後者が勝つ。いつもなら黙って寝てしまったりだとか気分転換をするのだが、色々と余裕がなく先日はじめて、ツイッターで零してしまった。
するとそのあと、マシュマロやTLで、自分の感想が欲しいためだけに私の作品を読んで感想を伝えにくるのはやめてくれ、と複数違う方から言われた。リムブロしてくれと言われた。
今はツイートしたことを非常に後悔している。断じてそういう意図は含んでいなかった。でもそうとしか取れない発言だったということだ。
一回こぼす半年以上前から拝読して感想を伝えている創作もあったけれど、その作者さんからもやんわりと言われた。
これから新しい作品を読んで、感想を伝えると、その作り手の方には、ただの感想乞食が感想を送ってきただけの、鬱陶しいものでしかない。
もう作品への感想は送れない。とくにマシュマロなど匿名サービスを利用していない方へは送れない。その方にとって私の感想は気持ち悪いものでしかないので。
以上、感想を送れなくなった話でした。非常に申し訳ないことをした。
主に感想を伝え、自分の更新お知らせをしていたツイッターはアプリを削除した。
更新の知らせは投稿サイトからリンクで貼ることができるので問題ない。追いかけていた方の作品を匿名でこっそり見るぐらいは、許されると願いたい。
(((これはあくまで「国際問題」を盾に検索避けを強要してくるジャンル警察を批判するものであって、「二次創作は捏造だから〜サジェスト汚染だから〜」という話はしてないです。そこは個人の良識の問題だと思います。あらかじめ言っておきます)))
作品の存在が許容できないレベルにまずければ2009年の韓国騒動の時点で『二度目の人生を異世界で』みたいな目に遭っていたでしょう。サイト閉鎖、出版停止、アニメは永遠にお蔵入りのルート。
でも現実ではそうならなかった。
そもそも2009年の韓国騒動の発端は勘違いないしデマを多分に含んだインターネット上の投稿だとされています。センセーショナルな話題をマスコミが取り上げて話に尾ひれが付きまくって国会に波及し、すぐに鎮静化したというありがちなパターン。
海外でもこの騒動は軽くニュースになったりもしましたが、結局完全に流れました。ヘタリアが「それほどのもの」ではなかったからです。
批判されたヘタリア公式サイドが取った行動はキッズステーションでの放映中止とキャラクターとしての韓国の抹消。
2018年には韓国が公式グッズのラインナップに登場しているので、韓国サイドと書面を取り交わしたわけではないっぽい。自主規制の範囲内と思われます。
この時に作品の存在をに抹消しなかったのは、作品そのものには問題がないと判断したからでしょう。
事実、それ以後も公式サイドは実在国家の名称を使用したまま広報活動を続けていますが、現在に至るまで他国からの抗議は発生していません。
そもそも、存在を認識されること自体がヤバいジャンルだと思っているなら、伏せ字で検索避け〜なんて温い真似してないで個人サイトに引っ込むかツイッターでは鍵垢にするかしたほうがよほど得策です。ナマモノみたいに。
例えば英領や仏領なんてのは現実でもそれなりに使われるワードですよ。
逆に「国」なんてのはありふれた漢字なんですから92だの59だのと伏せ字するのは全くもってナンセンスでしょ。なんでそっちを伏せて国名一字表記を伏せないの?割と本気で。
制定当時は意味があったルールかもしれません。しかし、この大SNS時代に伏せ字程度の検索避けは意味を成しません。
さて、公式は平気ても二次創作なら国際問題になる!という不思議な感性をお持ちの方へ。
海外の大手二次創作投稿サイト(AO3、fanfic.netなど)で"Hetalia"と検索してみるといいと思います。検索避けなしの国名表記でNSFW(日本でいう18禁を含む)作品がゴロゴロ転がっていますよ。
大半が日本語よりもはるかに話者が多く、かつ外国人が理解しやすい英語で書かれた作品ですが、今のところそちらの二次創作が発端で問題が起きた事実はありません。
二次創作検索避けの是非についてはヘタリア1ジャンルのみで語れる問題ではないので表明しませんが、そういう事実があるということを認識しておいて損はないと思います。
ねえ。国際問題、起こりませんよ。
少なくともそれを理由にジャンル警察活動するのはまるっきりナンセンスです。
「今まで国際問題にならなかったのはAPHマナーを守ってきたから」
本当に?
ヘタリアという作品の「有害性」は市民団体にさえ目を付けられない程度のものだと、いい加減思い当たってもいい時期だと思います。
社会はヘタリアを見逃しているのではなく、ヘタリアを問題視しないのです。
それと、これは今回の件で見かけてビックリしたんですが、「人名表記は検索避けのために作られたもの」「日丸屋秀和氏が検索避けを推奨している」というソースは現在どこにもありません(あったら教えてください)。
人名はなんですか?と質問したファンには「検索避けに使いたい」という意図があったのかもしれませんが、公式にそう表明されたわけではないです。
「擬音で埋め尽くす」とか言ってる時点でエアプじゃん(笑)
話題になったキンキンキンでさえ序盤のほんの数行にすぎないのに。
なろう以外になろう系の投稿サイトがあるのか。
なんで嘘ついてまで叩きたいの?
なろう系の投稿サイトを結構好きで閲覧しているのだが、どうにも表現力が乏しい人が居る。
一ヶ月ほど前に話題になったキンキンキンキンという剣撃の擬音なんかがそう。
ある小説家は
鋭く甲高い剣撃音が響き渡る。
重い剣撃でさえも
鈍く重圧を感じさせる剣撃が始まった。その場にいた者たちは、異様なまでの重く響く轟音に息を呑む。
たったこれだけで表現できるものを、わざわざキンキンキンキンと音をずっと描き続けていき、行を誤魔化して埋めていく。
小学生がよくやる作文の行埋め方法と同じだ。書くことがないから意味のない事を書いて行を埋めていく方法。
なろう系の小説を書いている人の中には、とてもおもしろい物を書く人も居る。
が、擬音で穴埋めをして挙げ句に敵がいきなり俺は「〇〇(職業)」で「○○のスキルを持っているんだぞ」という
わけのわからない説明をするという表現力が何も出来てない小説家もどきも少なくはない。
なぜ売れたのか?と疑問にも感じるが、これは読み手側の理解する能力も低下していっているのが原因ではないかと考える。
書き手読み手共に、難しい表現になると匙を投げるレベルなのだ。