2018-10-14

きらいになったひと。

「これからストーカーの拗らせアンチとして応援したいと思います


ある日私にフォロワーさんが言い放った言葉だ。

この主語には私が入る。つまり私のストーカーの拗らせアンチということだ。

私はこのツイートを見た時唖然言葉が出ず、しばらく反応すればいいのか悩んだ。私にリプライしたわけではなかったけれど、間違いなく私関連の、わたしへの、切っ先を向けた言葉だった。どういういきさつでこの発言をしたのか、もう覚えていないし思い出したいとも思わない。というか思い出したくない。ただ、この言葉のお陰で私はこの人が大嫌いになった。憎くなった。怖くなった。もう二度とツイートを見たいとは思えなくなった。会話すらしたく無いと思った。

そしてこの言葉が私の心の深く沈んだ所に刺さり、ふとしたときにちくちくと私を悩ませるのだ。だからここに書く。今日唐突にやってきた、この行き場のない痛みを痛いと言うために。

私はしがない絵を描くことが趣味の、ただそこらへんにいる、あるジャンルにいる、あるキャラファンだ。そして所謂マイナーと呼ばれ界隈が狭く何かしらの投稿サイトも大して更新が行われることのない界隈に住んでいるファンであり、あるキャラを猛烈に好きなあまり、にそれしか描かないそればかりな本ばかりをつくる(自分であまり言いたくはないが)そのキャラに関してはこの人だと思われても仕方がない、ファンである

そんな小さな界隈にもう5年長も生きていれば、大体投稿する人も「何だか知っている」ひとになるのだが、その「何だか知っている」ひとがその言葉を言い放った人だった。

現在時点でだと正しくは「何だか知って”いた”」人なのだが、それは私よりずっと前にそのジャンル活動をされており且つその方を認知しており、しかしながら交流も無ければ交流をしたいとも思っていなかったため「何だか知っている」という表現となってしまった。

この人とどう交流が始まったかといったことはもう覚えていないが、交流していくうちになんだか歯車が合わないなぁと思ったことがあることは覚えている。

いや、正直に言おう。好きじゃなかった。

私は、この方が私に親しみを持ってくるのは別にどうでも良かった。感想を言ってこられたのも別にありがたかったし、もっと言えば小規模である界隈に活動をしているだれかが居るのは少し安心感があった。

でもどうしても好きにはなれなかった。それはその文章からにじみ出る性格だった。

Twitterは、投稿サイトでは分からない膨大な文章がその人を形作る。私はそのぽつぽつと呟かれる文章にいつも合わなさを感じていた。文章の書き方もだったし、記号の書き込まれ方や絵文字話し言葉だけで構成されたひっちゃかめっちゃかな読みづらい言葉たちも好きではなかった。書かれる言葉に納得できないこともあった。何かの発言で私への返信が来た時に、少し行き過ぎた指摘に首を傾げることもあった。でもそれは好きじゃないだけで、別に今の様にはっきりと「嫌いだ」と言えるような不快感は無かった。

冒頭の一文に戻ろう。

この文でとうとう「好きではない」から「大嫌い」になったわけだが、この文から後の自分感情はよく覚えていて、わけがからなくなったあととても気分が落ち込んでしまったのだ。嫌いなの?好きなの?なんでアンチ?追いかけるの?応援してくれてるの?様々な感情が私の中をぐるぐると渦巻いて吐きそうになった。そしてその方は続けざまに「本人はどう困るとか、もういっそ自分の考えに振り切って、アンチから嫌がらせもするしストーカーからいかます」と言い放ったのだ。

私はどういうことかもっとからず、何故こんな本人が見ると分かるであろうときにわざわざこの文章を書いたのか必死に考えたし全然今も分からない。振り向いてほしいのか、嫉妬心を燃やしているのか。そういえば私の作品が魅力的だとよく言っていたな、だなんて脳裏を過ったがそんなものはかき消える。

ただ、私はその人に初めて今迄持っていなかった「不快感」と「嫌悪感」を覚えた。それだけであった。

呆然と反応もしないうちにどうなったかといえば、先に私の別のフォロワーさんが食って掛かったため、戸惑いながらも対応するうちに発した本人から私へ謝罪DMが送られてくるという、さながら焼け石に水といったところである。そのDMの内容というのも今思えば滑稽なのだが、長々と言うのも面倒なので要約すると「自分がほれ込みすぎてアンチになったのだが気を悪くしたのであれば謝りたい」とのことだった。

じゃあ何故言ったんだよ!いくら呟きだからといっても訂正がきかない独り言だってあるんだよ!!

本当はもう大嫌いになったので金輪際関わらないで下さいといっても良かった。DMで言ってくるのも癪に障った。ツイート発言したのなら同じツイートで見て不快になった可能性のある方全員に謝ってほしかった。でも私はそこをぐっとこらえて、波風を立てないように優しく、気を付けてほしいと諫めた。

今思えばあのときすっぱりとブロックでもすれば良かったのかもしれないと思う。

私は優柔不断で、もしかしたら明日起きたら嫌いになってないかもしれない、忘れてまた楽しくおしゃべりできるかもしれない、そんな文章だけで人を判断して嫌いになるなんて、ただの呟きひとつでと自分に言い聞かせていた。ブロックでまたもめるのもめんどくさいとも考えた。いまもそうである。おかげでミュートにしてそっと距離を置く程度しかできない。

刺さった言葉はあれからずっと、ふとした瞬間に心を痛ませる存在となり自分作品に自信が持てないときや意欲がわかないときやつらいとき言葉を過らせる。そしてその人のことを無理にでも思い出される。あの不快感嫌悪感と共に、思い出したくない感情と共に。それがまた苦しくなり、もっと嫌になる。負の連鎖が続く。

そういう訳できらいになった。

あなたのことが、あの人のことが、大嫌いになった。

関係を戻りたいと言われたあの楽観さやすべてに苛立ち、大嫌いになった。

わたしはずるいので、直接は言いません。あなたが遠まわしに私を困らせ、苦しませたので同じようにずっと遠まわしに言いましょう。

そうして同じようにDMにて謝罪しましょう。とびっきりの長文で、あなたを好まなかった文章の形も言いましょう。


そうしたら、この苦しい感情や嫌な感情とお別れできるのだろうか。

その方の手から生み出された私の大好きなキャラ作品を愛することができるようになるのだろうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん