大半のSNSには登録し、作品を投稿したり次イベントで頒布する同人誌の宣伝に使用したりしている。
上記のような使い方+同じ趣味や作品、CPを好きな人をフォローし、時にフォローされて交流を深めることにも利用している。
しかし、最近ツイッターアカウントを消してしまおうかと私は悩んでいる。
私は同人活動を始めたのは数年前からだが、ツイッターはそれ以前から利用していた。
ただ、頻繁に呟きをするわけでもなく、本当に登録しているという形だけのものだった。
それが今は、朝起きたらツイッターを開き、昼休憩でツイッターを開き、夜就寝前にツイッターを開く。ご飯3食食べるのと同じようにツイッターをしている。
自分でもツイッター中毒なのだろうなとは思うけれどもやめられない。(中毒なんだからそりゃそうだ)
やめられない理由のひとつに、ツイッターの「いいね」や「リツイート」の機能があげられる。
これ自体はいい機能だと思うし、この機能に私もずいぶん救われた。
原稿の進捗を呟く。
単純に気分がいい。
満たされたような気持ちになった。
「いいね」や「リツイート」というのは、大半が「あなたに共感しますよ」「あなたのこの作品・呟きいいね!」という意味合いで使われているだろう。(リツイートの場合はリツイートされた先での反応にもよるけど)
最初は、自分の創作したものがいいねやリツイートで広まり、感想をいただき、共感してくれる人、自分が共感する人と交流を深められ、なんて最高なんだという思いでいっぱいだった。
なにせ、私がWebで創作をしだした頃は個人サイトに溢れ、サーチやBBS、Web拍手やメールフォームなどを積極的に設置するスタイルで、イベントなどに出ない限り同じ趣味の方と交流できないだけでなく、感想ひとつ貰える機会もなかなかなかった。
それだけに、ラフに感想を送り合え、なおかつ思いを言葉にするのが難しい人や直接感想を送るのが難しい人は「いいね」や「リツイート」で好意を示せるのだから、ツイッターはすごいと思う。
だからだ。だからこそ、手軽に人と繋がれるこのツールにのめり込み、疲れ果て、今そこから離れようとしている。
「いいね」や「リツイート」、「フォロワー」の数が目に見えるのだから、もっと欲しい、もっと、もっとという欲求が生まれた。
それがいつしか、以前よりも反応がないと「あれ、今回のは良くなかったかな…」とあれだけかきたかったネタのはずなのに、ひとつの作品を作ったというスッキリとした気持ちにならなくなってきてしまったのだ。
『感想が欲しい』『反応がないから辞めます』系のツイートが定期的にバズる度に、「自分が楽しいから創作してるだけで、感想貰えなかったから辞めるというのはどうなの?」という意見が出るけれど、私は心の中で「そうだよね。私もそう思う」という思いと、「でも感想はやっぱり欲しいよ…」という思いに苛まれる。
感想別にいらない、系の人の話を見ていても、正直、「ツイッターや作品投稿サイトにあげている時点で、やっぱり誰かに見て欲しいんだよ。承認欲求あって当たり前だよ。人だもの」と思ってしまう。
そうじゃない、と言い続ける人もいるだろうけど、人が見る場所に投稿しているのだから、少なからず承認欲求があるはずなのだ。
そういうものだと思っているし、駄目なこととも思わない。
でも、そんな思いとは裏腹に「承認欲求があることが見えるのはなんか嫌な人間みたい」という思いも同時に抱えてしまう。
それが私は最後までどこかしっくりこない事があった。
同人仲間でも、私の本名を知っているのはひとにぎりの仲のいい人たちだけだ。
そんな中、ツイッターで知り合って、お泊まりし合うような仲になった友人。
LINEでもやり取りするし、本当の親友だと思っているが、最近その友人がツイッターの裏アカウントを削除した。
そのアカウントは身内のみ招待している状態で、私もその中の1人だった。
それが、別でもアカウントを作っていて、その裏アカウントはさらに少数の人としか繋がっていないようだった。
それにものすごくショックを受けた。
裏アカウントをかなり転々としていたその友人だけど、私のこともずっとフォローしてくれていたのに、どうして。
嫌になったのかな。
何かしたのかな。
そんな思いがぐるぐると渦巻いて、しんどい。
相手にとって私はボタン一つで離れられる存在だし、他に仲良くしてた人(中にはちょっと愚痴を言っていた人)とは繋がっていて、私との繋がりはもういいんだ、と思った。
そう考えてしまう自分が嫌だし、なんだかその友人に執着しているようでそれも苦しい。
リアルだと、直接何かを言い合ったり出来る。
でもあくまでも始まりはネットからだし、直接会うには距離も離れすぎている。
LINEで連絡を取っても、裏のさらに裏垢を教えてもいない人間が知っていたとなったら、それはそれで相手も気味悪がるだろう。
表垢では繋がったままなのが、またしんどい。
いっそ全部すっぱり切ってくれればいいのに。
ああ、でもそれはそれで精神的ダメージは大きいだろうな…とか思ったり。
ツイッターの恐ろしい面だと思う。
ツイッターは本当に素晴らしいツールであるというのは、私の本当の気持ちだ。
知らない世界を教えてくれるし、気軽に心が救われることもある。
でも、なんだか疲れちゃったなぁ。
こんな気にし過ぎな性格ではなかったのにな。
ああ、これがツイッター疲れか。
自分とリア友だけのために描こうよ 有象無象は見てもいいけど、見なくてもいいよっていうスタンスが健康だと最近思うんだけどどうでしょうか
今日も女は世界が自分の思い通りにならなくて苦しい苦しい