はてなキーワード: テレビ番組とは
http://anond.hatelabo.jp/20170605185724
「あの今、ペラペラ言われましたけど、構造改革特区と、国家戦略特区、全く別物じゃないですか。構造改革特区はボトムアップで上げてくるんでしょ?だから、加計学園の名前が入って上がってくるんですよ、そりゃそうですよ。当たり前!で、国家戦略特区は、総理が全部決める仕組みでしょ、ね、国家戦略特区諮問会議は、地域だって、政令で、総理が決める、諮問会議だって議長は総理でしょ。山本幸三さんなんかね、えー、諮問会議の、議事録をまとめるぐらいの権限しかないんですよ。山本さんいなくたって、諮問会議開けるんだから。全て総理に集中してんですよ。今回、新しい獣医学部認めるということで、告示出しましたけれど、これだって、松野文科大臣と内閣総理大臣の名前で出てる告示ですよ、つまり全ての権限は、総理大臣に集中してるのが、国家戦略特区の仕組みなんですよ。それを全然関係ない、ボトムアップの構造改革特区の話を持ち出して来て、そういう混同させる、これ自体が、本当に、印象操作そのものなんですよ、大体、前川喜平さんに印象操作してんのは総理、あなたじゃないですか?そんなことばっかりやって、恥ずかしくないんですかねぇ(安倍:そっちが恥ずかしいよ)。さて、もう一度聞きますけども、総理、働きかけがあったら、もう一枚のパネル(安倍:冷静にやろうよ、冷静に)責任とるという発言を、3月13日、参議院予算委員会でされていますけれども、総理、責任ってどういう意味ですか?もし、働きかけが証明されたら、どんな責任とるんですか。」
「今、また認識の間違いをされますから、説明しますが、構造改革特区と国家戦略特区、この違いをよく理解されていないんだと思います(宮崎:それはあなたですよ)。まずどちらにせよ、サブスタンスを議論してるんですから、まず皆さんの時は、構造改革特区というのは、上がってきたら、めくら判ですか?違いますよね(宮崎:えー?何をいってんの)上がってきたら、め、めくばらんですか?これ、あがって、あがって、あがってきた、あがってきたものをですね、あがってきたものを精査するわけですよね、で、あがって、あがってきたものについては(宮崎:答弁させてください)、先ほど申し上げましたように、自民党政権においては、熟度等も含め、あるいはですね、獣医師会等との関係においても、対応不可、対応不可であったわけであります。国家戦略特区、国家戦略特区においてはですね、まさに、今治市ということで、それも上がって来るんですよ。で、大きな中で、国家戦略的にですね、国家戦略的に穴をあけていくということで、決めて行きます。ですから、その中で、我々も、医学部を決めました。医学部を決める、新たに新設をしました。でも医学部を決めるに際して、私が成田市とか、言ってるわけではないんですよ。たとえば、私が、養父市とか、言ってるわけではないんですよ。もし、そう思っておられるんだったら、全くこれ、考え方、変えられて、というか、ですね、全く理解が、全く理解が、間違ってると、言わざるを得ないんですよ。で、最終的にはですね、最終的には、何でも、どんな仕組みであれ、最終的に決めるのは、内閣総理大臣ですよ(宮崎:違います。)(この発言やばすぎるだろ。そりゃ私は立法府の長でありますっていうわ。)そして、どんな、色んな会議、たとえば、経済再生諮問会議だって、私が議長です。様々な議長があります。でも私が、そこでですね、勝手に色々なことを決められるんだったら、そもそも諮問会議の意味がないじゃないですか(与党:そうだ!)。私は根本的に、宮崎さんは間違っている、こう思いますよ。で、いずれにせよですね、いずれにせよ(差し出されたメモを見る)。の、今の、あの、めくばら、えーめくら判についてはですね(宮崎:はぁ?めくら判について?)、ちょ、ついては、言葉として、問題がありましたので、訂正をさせて頂きますが(宮崎:ああなるほど、はい)、しかしですね、いわば、これはですね、あの、基本的にはですね、上がってきて、上がってきてですね、先ほど申し上げましたように(宮崎:質問覚えてます?)、国家戦略特区諮問会議でですね、民間議員がですね、民間議員が、民間議員が、真摯に議論をするんですよ(宮崎:質問覚えてますか?)。ですから、皆さんのこういう議論に対して、民間議員の皆さんは、怒ってますよ。その意味に於いてですね、どんな決定においてもですね、どんな決定においても、その決定に、問題があるんであれば、責任をとるというのは、当然のことであろうと。(なぜか席に帰ろうとする)」
玄葉
「いや、責任をと、責任があるから、責任を、私の、私の責任をとると、え、え、これ、中身についてはですね、中身については、あの、敢えて申し上げる必要はないと思います。」
「ペラペラペラペラ適当な制度論を述べられましたが、最後はそのー責任とは、言う必要がないって。いや、総理がね、申し訳ないんですど、構造改革特区と国家戦略特区について、全く理解されていないということが、よく分かりました。これね、たとえば、平成30年4月に開学、あるいは四国に、四国とは限りませんが、広域的に、他の獣医学部がない地域に限る、あるいは一校に限る、こういったものは、ライバルであった京都産業大学を追い落とすために後からはめられた条件じゃないか、こういう疑惑があるわけですよ。それだから、ここに出てきます、藤原審議官、和泉補佐官、木曽参与、萩生田官房副長官、総理の意を受けて一生懸命やっている。それは、この制度が総理の非常に強い権限で、トップダウンで行われる制度だから、そういうことも言えているし、実際に、このように、総理の意向だということが、平然と出てくる状況にある。構造改革特区のように、下からただ上がってきて、それを審査するというものでは、ないんですよ。区域だって、決めるのは、最後は総理がきめてるんですから(安倍:ええー!?)そこ、知らないんですね、知らないのがよく分かりましたよ。もう一つお伺いしたい、テレビ番組で、あ、これ違う、ラジオで、次官なら大臣と一緒に、私のところに確認に来ればいい、内閣府との議論で、なぜ反対しなかったのか、と文科省は反対していたけれど、前川氏個人が、自分のところに反対だと言いに来なかったと。だから、何で来なかったんだと、言いたいんですよね。総理のご意向だと言われても、私に聞けば分かったのにと。そもそも、和泉首相補佐官から、総理はいえないから私がいうと、かまされているんですよ。なんで、そういった状況で、総理に、これ、和泉さんの言ったことは本当ですか?藤原さんの言ったことは本当ですか、と聞きに行けますか?聞きに行けるはずないじゃないですか。違いますか?」
「あのー、まぁ宮崎委員が言ってることは、端から、端から破綻してますよ。今、総理が決めるということは、総理はご存じなかったと言ったんだけど。つまり、それは、私が決めてないから、私が知らなかった。これ、言ってることがですね、全くですね、全く論旨が破たんしてると思いますよ。いいですか、場所等をですね、決めるのは、まさに、まさに国家戦略特区諮問会議ですよ。あの、読みました?議事録、オープンになってますが(宮崎:(元気よく)ゼンブ読みました!)いや、おそらく、いや、それは、私はなかなか、だから、読んでいるとは、いや、それはねー、あの(宮崎:だから大した量じゃないんですよ、公開されてんのは)いやいや、すみません、それはね、いま相当動揺されましたが、それは読解力の、読解力の問題だと思いますよ、読解力の問題なんですよ、その中で、その中で、じゃ、その中で、例えばですね、医学部と獣医学部の意味、についての議論もなされて、なされていますが、ご存じですか。(玄葉:いいから、答えなくていいから)あの、で、で、ご存じないようですが、つまり、それはですね、保険診療、保険診療でやっている、医師とですね、自由診療でやっている医師(獣医師かな)、これは、保険財政、あるいは国家財政にかかわりがないので、根本から自由にすべきだという議論が、これは結構強くありました。しかし、国家戦略特区というのは、その中で何とか、キリのように穴を開けていく、ということであります。そして、それに関わる人たちがいる、業界の人たちがいる中で、キリをあけていく(?)中で、議論を進めたわけで、ありまして、突然ですね、たとえば、加計学園のために、一校に絞るということにしたわけでは、ない、わけでありまして、広域的に、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限る、一校に限るという要件は、獣医師会等の慎重な意見に配慮したものでありまして(これは山本大臣がすでに撤回した言い訳)。これは、獣医師会等から、こういう要請があったんですよ。これは常に、たとえば医学部を作る場合にもですね、医師会と、相談を、します。その中でですね、最初は医師会、強い反対がありましたよ。厚生労働省もそうです、その中で、何とかということで、国際的な大学を作るということで、成田を決めた、わけで、あります。また、安倍政権下においては、東北にも医学部を、作った。それは、いわば、被災地、あるいは、原子力災害から立ち直っていく中において、そうしたものも含めて、医学部を作ったわけでございますが、今回の場合においてはですね、今回の場合においては、鳥インフルエンザとかですね、口蹄疫、狂牛病、これ、一気に広がっていく伝染病、動物から動物、動物から人にうつっていくと言うものに対して、産業医不足している、あるいは産業獣医が不足している、あるいは獣医公務員が不足している、獣医師が地域に偏在をしているという中において、四国に一校もないというのは、どう考えてもおかしいわけであります。四国の多くの議員、ま、獣医師と特別に関係ある人は別ですよ、四国の、多くの人たちも、これは強く望んでいることでありまして、これはまったく、私は、問題がないんだろうと、このように、考えているわけであります。いずれにせよ、私がですね、私の意志で、どこだということをですね、決めるということは、全く、あり、えない、ということは、ハッキリと申し上げます。」(はい答えてないー)
「何か、質問を何をされたのか、忘れてしまったようで、最後まで答弁ありませんでしたけど。ま、色々、デタラメがありましたけれど、例えば、獣医学部ないのは、四国だけじゃないですよね、北陸もないし、信越もないし、北関東もないんです。そして、広域的にない部分に限る、という文章が、獣医師会の意向で入れたというのは、これは全くのデタラメです。これまでの答弁でも、山本幸三氏が、既に、それは撤回をされている答弁です。なぜなら獣医師会は、全国的な見地からという石破4条件を尊重するべきだという考えだったからであります。総理が長々と関係ないことを答弁してくれたので、時間がなくなりましたが、前川喜平氏を証人喚問するように要求をして、私の質問を終りたいと思います。」
今井雅人議員の質疑の中でも、山本幸三大臣が加計学園はA42枚だった、京産大は20枚だったということに対して、加計学園は構造改革特区で、政府に20枚とか26枚とか詳しいペーパーを提出しているんだとおっしゃっていましたけど、諮問会議の議員はその資料を共有して無いでしょ。諮問会議が決めて、総理、大臣はノータッチだって言うのなら、熟度を判断した諮問会議が得ていた情報以外のものを根拠にするバカみたいなことやめて欲しいんだけど。まぁこれは総理のウソだけど。
あと平山佐知子議員に、4条件をクリアしているかと聞かれたときにそれを判断するのは今治の分科会だといってたんだけど、これもウソだよね。
第五条 政府は、国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する施策の総合的かつ集中的な推進を図るための基本的な方針(以下「国家戦略特別区域基本方針」という。)を定めなければならない。
2 国家戦略特別区域基本方針には、次に掲げる事項を定めるものとする。
(略)
3 内閣総理大臣は、国家戦略特別区域諮問会議の意見を聴いて、国家戦略特別区域基本方針の案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。
4 内閣総理大臣は、前項の規定による閣議の決定があったときは、遅滞なく、国家戦略特別区域基本方針を公表しなければならない。
5 政府は、情勢の推移により必要が生じた場合には、国家戦略特別区域基本方針を変更しなければならない。
6 第三項及び第四項の規定は、前項の規定による国家戦略特別区域基本方針の変更について準用する。
7 内閣総理大臣は、必要があると認めるときは、国家戦略特別区域基本方針に基づき、第二項第六号に規定する提案の募集を行うものとする。
第六条 内閣総理大臣は、国家戦略特別区域ごとに、国家戦略特別区域基本方針に即して、国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する方針(以下「区域方針」という。)を定めるものとする。
一 国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する目標並びにその達成のために取り組むべき政策課題
3 内閣総理大臣は、区域方針を定めようとするときは、国家戦略特別区域諮問会議及び関係地方公共団体の意見を聴かなければならない。
安倍さんは自分では国家戦略特区の認定に介入する立場にないとか言ってたけど、残念だけど、国家戦略特区の基本方針を定めるのも総理大臣だし、区域方針を決めるのも総理大臣なんだよね。その中の具体的な区域計画を認定するのは区域会議だけど、そこから上がってきた計画の最終的な決定権はこれまた総理大臣なんだよね。何を持って、自分は関与できないとか言ってるのかさっぱりわからん。構造改革特区は前も言ったけど、関係閣僚の同意が必要だけど、国家戦略特区にはそういうのは全然なくって、諮問会議の役割も最終的に決定するわけじゃなくって、あくまで意見をあげて、総理大臣がそれを決定するシステムになってるんだからいい加減なこというのやめてほしい。
あと分科会の役割については、国家戦略特別区域法には役割の規定はされてないし、石破4条件のような「国家戦略特別区域における産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成に関する目標並びにその達成のために取り組むべき政策課題」を定めるのは区域方針で、決定者は内閣総理大臣って書いてあるし。
これは参考資料2にこちらの特区の区域方針をつけてございますけれども、この区域方針の早期実施に向けまして今治市の分科会を設置させていただきまして、この区域方針に記載してございます項目の中で今治市固有の具体的な事業、資料3に小さな点で書いてございますが、7点でございます。クールジャパン外国人材の就業促進から最後の小型無人機の公共インフラの保守管理など、今治市で御活用いただける可能性のある項目につきまして、新たな制度改革、規制改革について重点的、集中的に取り組む仕組みを、こういった分科会という形で議論いただくという趣旨でございます。
って区域会議での分科会設置の趣旨説明でも、政策課題をクリアしているかどうかを判断するかは諮問されてないし。どうみてもそれをするのは総理大臣だって、第6条に書いてあるし。専門家が入った分科会で、問題にされてないから、石破4条件クリアしてるっていう論理は単純に言って、頭おかしいとしか思えないし、それで自分は関係ないっていうのは完全に印象操作としかいえないですわ。
http://yukashikisekai.com/?p=8739
COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン~
明らかにそれっぽいのは、1と強いていえば6?くらいがそれっぽいかなぁ?あとは認識の違いというか、相当広義に「日本すごい」番組をとらえているらしい。
世界が驚いたニッポン! スゴ~イデスネ!!視察団 ってのもあるらしい。これは切り口がそれっぽい。
「増えている」と批判している人も、意識の高い人らしく「普段はあまりテレビを見ない」とか言っていて具体的な番組名や内容とかには言及が少ない。
日本はスゴい!系テレビ番組の増加は何が原因か。ツイートまとめ
https://togetter.com/li/741872
とにかく日本すごいという切り口が許せないらしい。あとは日本に物申す系の外人タレントの孫引きだったり、あんまり情報がある書き込みが少ない。
具体的な番組名や内容に触れてもらった方が話が展開すると思う。
ゲームが好きです。しかしソシャゲが世の中の大半を占め家庭用ゲーム機などの買い切りのゲームの需要が減っている昨今、特に日本のメーカー。
極端な話ソシャゲはなくなってほしいと思っていますが、そうなるとテレビ番組のスポンサーの多くはソシャゲメーカー
サイゲームスなどのCMは頻繁に流れてます。ソシャゲは寿命が長く、1つのゲームのCMが長い期間流れるため嫌いな人もいると思いますがそれがなくなればバラエティーなどの番組スポンサーは少なくなってしまうというジレンマ。
数年前の家庭用ゲーム機の天下の時代に戻って欲しいと言う思いもありますがその反面テレビにスポンサーがいなくなり放送できなくなる恐れもある。
プラスに受け止めるとソシャゲに課金してくれる人のおかげでテレビにスポンサーが付くという考え方もありますがそこは買い切りゲームに頑張って欲しいけど1つのゲームで長い期間のCMは難しいし、
なんだかな~。
テレビ東京で土曜20時に放送中の出川哲朗の充電させてもらえませんか?がなぜ面白いかを考えてみた。
普通の旅番組なら旅先の観光地を最初から最後まで散策するがこの番組では目的地に行く過程を楽しむため自分も旅をしている感覚になる。また観光地ではない場所を紹介しているためとても新鮮。
出川の飾らないキャラもいい。ゲストとのカラミもそうだが一般の方とのふれあいも見ていてほっこりする。
そして一番の見どころはバイクでの旅というところ。充電をしなければいけないタイムリミットも決まっているため無理にでも一般の方やお店側に充電してほしいと頼まなければいけないためふれあいが生まれる。
私も見始めた頃は最新のバイクでもっと長く走行できるのではとかバッテリーのスペアを持っていけばいいなどと思っていたがコレくらい充電が切れやすい環境のほうが制約もあって面白い。
そもそも一回の充電で走行距離が長いバイクを使うなら電車や飛行機で現地へ行けと言う話でw
最近のテレビ番組は深夜からゴールデンという流れが多い。その理由は低予算の中でやりくりして面白い番組を作っているからで。モヤさまやバス旅も他局で真似されたようにこのバイク旅も先人になって欲しいです。
最近は、テレビ番組で進化した文房具が取り上げられると、だいたいオレンズネロが「ノック不要のシャープペンシル」として紹介されて、中には「これまでにないある機能が」などと言っているところも。でも、オレンズネロのすごいところは自動芯出し機構と極細芯の融合であって、ノック不要のシャーペン自体は昔からあったよね?
販売者 | 商品名 |
パイロット | オートマック、オートマチック、アクター、オートマチックえんぴつ |
三菱鉛筆 | エーテック |
コクヨ | EZ・PENCIL |
トンボ鉛筆 | ランナー、ランナージュニア |
サクラクレパス | AT MATIC |
ゼブラ | ノクティ、ノックレスシャープ、フリシャオートマチック |
ぺんてる | テクノマティック、オレンズネロ |
オート | ホライゾン、オートシャープ、ノノック |
プラチナ万年筆 | ハヤーイ |
サンスター文具 | ノックフリーシャープ |
ダイソー | 自動繰り出しシャープペン |
無印良品 | 自動的に芯が出るシャープペン |
ロットリング | altro、400 |
ファーバーカステル | アルファマチック、グリップマティック、TK-matic |
ディクソン | センセマティック |
ステッドラー | マイクロマチック |
不明 | 魔法のシャーペン、魔法のグリップペン |
昔、とある会社のサイトに掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。
この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。
4,5,6条が素晴らしい。
【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】
【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】
【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】
【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】
【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負】
"
【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】
校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。
校正には知識が必要です。だから、校正マンである自分は仕事の関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分の知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!
自分の知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分の知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業のプロフェッショナルなのです。
【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】
校正の仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程で使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典も出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異、ほとんど同じだと思っている時点で確認にプロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題のひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネットを情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体やインターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物(書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネットで情報を得る場合には、必ず複数のデータを調査し、公式サイトなどのデータを確認します。校正で大切なことは、信頼できる情報で確認すること!疑わしい情報で確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。
【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】
職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正のプロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります。校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態で校正に挑むのが、確認作業のプロフェッショナルとしての基本です。
「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!
【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】
校正のお仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間の無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミスを発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様に安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験で100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります。100点満点を目指すなら、200点目標の確認作業をしてトントン。校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。
校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミスの可能性はなくならないのですから。
校正作業が完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります。校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!
自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分が他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚な姿勢で校正に対するのが、確認作業のプロフェッショナルです。その謙虚な姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤の役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マンを廃業した方が賢明(…!?)です。
なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マンを廃業すべし。
(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識や能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。
【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負】
校正のお仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることなく任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります。制作社は、作品にケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミスは校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜!制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作も校正もプロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから…
校正病(笑)の一種に「文字パニック」という症状があります。日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常の生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字や意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単な漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業のプロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)。
文字パニックとは別に校正マンがかかりやすい病気として「本が読めなくなる病」もあります。活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識に誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思と時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合、子供が学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板、広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイトの情報をプリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。
何事にも興味を持ち、広く知識を習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分の知識で確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます。校正ではさまざまなジャンルの文章を校正するため、歴史、社会、自然、科学、技術、産業、芸術など広い分野の知識が必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味が理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります。校正に費やせる時間は無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。
前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識を習得するための心得をもうひとつ。友達との何気ない会話、家族との日常、職場で流れているラジオ、テレビ番組やCM…等々、日々の生活は情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまいます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報を収集することはできませんよね。不特定多数を対象に情報提供してくるラジオやテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体をちょっと意識するだけで、情報収集のきっかけは生まれるのです。
校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マンの能力があらわれてしまいます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合、校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マンで大丈夫?」という状況を引き起こしてしまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。
(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マンが鉛筆で書き込んでおくこと。
"
https://news.yahoo.co.jp/byline/sakaiosamu/20170515-00070949/
そのころはパソコンも家になかったから、一生懸命テレビ欄調べたりして
*
それから10数年ファンと呼べる人はいなかったけど、最近別の人のファンになった。
*
ツイッター活動を始めてみる。名前やハッシュタグで検索して、さらに関連するハッシュタグで検索して、
よくツイートしている人をフォローして、その人がフォローやRTしている人を追いかけたり、フォローしたり
感想もツイートしたり、リアタイ中はハッシュタグを追いかけたり…
*
誰かと、「○○ってかっこいいよね!」「あのドラマのあのシーンが良かったよね!」って話し合えるのが
こんなに楽しいなんて知らなかった。
自分が見ていたテレビ番組について、ほかの人の感想を読むのが楽しい。
見逃した番組について、ほかの人が教えてくれる。
それに参加したくて、観た番組についてはなるべくツイートしようと思った。
星野源のファンではないけど、「おげんさん」もリアタイできたから、ハッシュタグつけてツイートした。
「おげんさん」はツイートしたくなる要素が盛りだくさんだったし、
*
私が追いかけていた頃とはもう環境も情報量も何もかもが違うから、一概に比較はできないけれど、
ここ数十年でコンテンツの楽しみ方は大幅に変わったのだと、
それも、SNSを中心に「誰かと共有する」楽しみ方になったのだと、つくづく思う。
ドームクラス邦ロックとホールクラスのロックバンド、ライブハウスクラスのロックバンド、ジャニーズ(嵐、NEWS、ジャニーズJr.)のFCに入ってる新人ジャニオタです。ロック系人生のほうが長い。
ジャニーズで入ってるFCでいまのところ一番変なのはNEWSのチケット申し込み。
これが元増田が書いてる「先振り込み」制。ちなみにNEWSは現在東京以外はアリーナクラスでツアーをしている。東京は東京ドーム。
振り込み時には、何公演でも申し込めるので10万円いくのは簡単。当たるのはだいたい1アカウント1公演。まあ、1アカウント1公演しか当たらないのが見えてるからたくさん申し込んでる人は複数アカウント持ってる人がほとんどなのでは?ということだよね...。(今年のツアーは全滅してる人をちらちら見たのでNEWSのびてんなあ、と思ってる)
手数料が本当に手数料なら、700円で儲かってるのは日本郵政なので、ジャニーズがこの方式をやめたらいちばん取りっぱぐれるのはこの1社だと信じてる。1アーティストで700円×10万口分とかいくだろうし。
そもそも、ほかのポップス、ロックのアーティストも発券までに1000円前後プレイガイドに手数料とられるので一回振り込んだあとの事務手数料としてあまり違和感がない。
ほかの増田読んでで「現金確保のための先振り込み」という視点になるほど、と思った。昔は本当に現金確保のためだったのかもね。今は「無駄な申し込み防止」と上記金融機関との関係性な気がしてる。
嵐は事前抽選制。ネットで申し込みをして、当落がメールでくる。電話で先に確認することもできるけど、その日に結果メール来ることわかっていて数時間早いだけの電話に死ぬほどリダイアルしているジャニオタってすごいなって思ってる。地方公演は公演決定した時点で宿も交通機関もほとんど抑えてるので、数時間の差をあせる理由がわからない。というかそもそも、みんな先に抑えすぎてるので公演1週間前とかに宿を探したほうが効率よかったりするので、最近はそうしている。
以前、インディーロックおっかけの札幌公演と嵐の札幌ドームがぶつかって飛行機なさすぎて死ぬ思いをしたので、そういう意味でジャニーズのドームスケジュールとエグザイルのドームスケジュールはジャニオタになる前から確認してた。
ジャニーズJrは気になる公演しか見てないから全部はわかんないけど、舞台はネットで申し込んで当落出てから振り込みが多いように思う。個人的に残念ながら...というメールの山が築かれているというのは考えないでおく。誰かクリエDのチケットを...
ジャニーズJrのFCに入ってから面白いな、と思っているのは当日券待機制度?みたいなやつ。公演期間の特定の期間中、行ける日程を1つ選んで登録しておくと空き席が出た場合(関係者席とか分なのかな?当たったことないからよくわからん)にご案内がくる。会場までの所要時間も登録しておく必要がある(笑)「いつでもよい」の選択肢もあるんだけど、なんとなくFCからの連絡に出られなかっただけで会員の内部ランク(そんなものがあるような気がしている)が下がりそうでなかなか怖い。
ジャニーズのコンサートチケットは、一社提供でやっていることと、舞台装置や映像の手の混みようからはかなり安い(8000円前後)と思っている。これはそもそもFC会員数が多いことで成り立っているものだと思うし、給料制と噂されるジャニーズが金をブッ込んでるのは基本的に舞台とコンサートということで、そこのぶれなさは素直にすごいなと思う。
あと上記で「ネットで申し込み」と書いたものは、たいてい電話などほかの手段でも申し込めるようになっている。ユニーバサルサービス。テレビ番組でうつってる観客の募集も各FC毎にあるんだけど、去年まで、まさかのリアルファミリークラブ事務所(渋谷)までいって申し込み、発表も受験発表みたいに会員番号が張り出されるという制度もあってほんとに驚愕した。
ちなみに規模感の話をすると、嵐のFC累計会員数が200万人、NEWSは23万人。嵐はぶっちぎりの数です。嵐、ドームの当選確率と座席数からアクティブアカウント数を逆算したことがあるけど、100万アカウント以上が生きてると思う。年会費4000円なので、何の活動もしなくても嵐だけで40億円以上が入ってくるわけで、ジャニーズJrがレッスン料無料っていうのもうなずけるなかなかの組織。
映画好きの女子大生を主人公にした、安田剛助先生の『私と彼女のお泊り映画』という漫画があります。僕の大好きな作品です。
この漫画の最新話の一部が2ちゃんねるに抜粋掲載されて、そのスレッドがまとめブログにまとめられたことでちょっとした話題になりました。
映画通の男「邦画はクソ。黒澤映画だけは認める」 女さん「はぁー(クソデカイため息) 論破してやるわ」
【映画】なんだよこの漫画www【注意】 : 2chコピペ保存道場
よくいる「ちょっとオタク入ってるめんどくさい大学生」がここまで見事に再現されるとはwwwww : 無題のドキュメント
この男子大学生が登場する回は実は僕もあまり好きではなくて、というのも、彼のキャラクターが如何にもな“ステレオタイプの自称映画通”すぎるからです。
主人公・小春の最後のセリフ「あなたが好きなのは『映画』じゃなくって『映画が好きな自分』じゃない??」を言わせるためにでっち上げられたキャラクターで、所謂邦画ファンの仮想敵でしかありません。
そういうのを言い負かす啓蒙的な作風はこの漫画に求めるところではありませんでしたし、そもそもこんな事言う自称映画通なんて今どき存在しないだろうと思っていたのですが……
というか、少し引きました。
8名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:36:48.05 ID:M9GbgbRG0
言う女に同意できるわけ無いだろう
別に男が悪いとは思えないのだが
69名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:56:57.52 ID:nt7/WWjT0
265 名前:/名無しさん[1-30].jpg[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 22:34:42.86 ID:naDWyRswp
言ってることは間違ってないな
クソみたいな映画を絶賛するアホ女多すぎ
もちろん、邦画に対して肯定的な意見も多くあるのですが、ネット上とはいえこんなアホみたいな大学生に同調する人間が多くいることに驚きました。
そしてここからが本題です。
思えば確かに、ここ最近のネット上での邦画叩きは目に余るものがあるなと感じていました。
個人的に、その流れは三池崇史監督の『テラフォーマーズ』が公開されてから加速していったように感じられます。
漫画原作の映画が増えてきている昨今、『テラフォーマーズ』の出来が芳しくなかったという風説を受けたオタク達が挙って“漫画原作の映画は叩いていいモノ”、そこから派生して“邦画は叩いていいモノ”という風潮を作りあげているのではないでしょうか。
漫画作品が映画化されるという報せが届く度に、2ちゃんねるやTwitterのようなSNS上で、まるで親の敵に出会ったかのごとく、批判の嵐が巻き起こります。続いてビジュアル、予告編が公開されると、その勢いは更に加速していきます。やれ再現度が低いだの、コスプレ大会だの、ダサいだの安っぽいだの。
批判有りきのバイアスを掛けて見れば、正当な評価などできようはずはありません。公開前の作品に対してそこまで否定的なことを書き続けるのは最早ネガティブキャンペーンの一種でしょう。しかもそこから「だから邦画は糞だ」みたいな論調に持っていくのだからもう目も当てられません。
そんな差別主義者、邦画レイシスト達に、僕はモノ申したい。観もしない映画を批判するんじゃないと。邦画は、あなた達の批判オナニーのおかずじゃあ無いんだと。
はじめにことわっておくと、僕自身は別にそれほど邦画が好きというわけでもありません。映画はよく観ますが、圧倒的に洋画のほうが多いです。
こんな記事を書いておいて何を言うのかと思うかもしれませんが、重要なのは映画そのものが好きだということです。日本に住んでいる以上、邦画も映画興行の一角です。邦画の衰退は、日本映画興行全体の衰退につながります。
邦画レイシスト達を批判するのは、邦画を擁護したいというよりは、日本の映画を取り巻く環境に対する悪影響を危惧してのことです。
さて、ネット上で同意の声が聞かれる、「お泊り映画」の大学生の主張ですが、彼が邦画をショボいとする根拠として
の二点をあげています。明らかに、ろくに邦画を見ていない人間らしい的外れな批判ですが、彼はこれが真理だと言っています。
先に言ったように、このキャラクターは小春の最後のセリフを引き出すために設定された馬鹿な仮想敵で、そもそも発言に正当性なんてあるはずはありません。しかし、一部の邦画レイシストは彼同様これが真理だと思っているようです。
わざわざ間違った発言をあえてしているキャラクターの間違いを指摘するのは野暮というものですが、こちらもあえて、彼が如何に的外れは批判をしているのか示しましょう。
まずは、ケータイ小説ばかりのイメージ。といっても、『世界の中心で、愛をさけぶ』がケータイ小説原作でないのは言わずもがな、今日日ケータイ小説なんて名前も聞かなくなった死語同然のワードで、恋空がブームになったのももう随分前です。病気で殺しとけばいいと思っているような邦画といえば、最近だと『バースデーカード』や『四月は君の嘘』、あとは事故死ですが『Orange』あたりもそのイメージでしょうか。なんにせよ、ここ最近ではそれ程多くないように感じられます。
なので、男のイメージを前時代的と断ずることは容易です。ただ、安直なコンセプトという意味では確かに現状邦画の一角を占める存在が有ります。
現在公開中の『PとJK』や『ひるなかの流星』をはじめ、少し遡るだけでも『今日のキラくん』や『オオカミ少女と黒王子』や『溺れるナイフ』や『ヒロイン失格』など、枚挙に暇がありません。加えて、『ハルチカ』や『リライフ』や『君と100回目の恋』など、本来少女漫画が原作ではない映画も、そのイメージに取り込まれています。
しかも、このたぐいの映画はヒロインとその相手役に現在売り出し中の俳優/女優を起用して話題作りをしているので、二点目のアイドル性重視のキャスティングにも引っかかってきます。つまりこの一角は、彼の批判を真向から受けるゾーンということになります。
正直に言うと僕自身、この辺りに対しては公開される度に「またか」という気持ちにもなりますし、違いもよくわかっていません。だって観てないから。
確かに、この一角は邦画の一側面では有りますが、無論これが全体を体現しているわけではありません。マーケティングが大々的だからそのように感じてしまうだけです。
逆に言うと、観ていないからこそそれらの映画がショボいのかどうか判断はできません。
例えば『ひるなかの流星』はレビューサイト「KINENOTE」で67人の平均点73.4点との評価がくだされています。鑑賞人数は少ないですが、キネ旬が運営するサイトなのでそれなりの映画ボンクラ達が集まっているはずなので、この評価はなかなかのものだと思われます。どれも同じように見えても中身が違うのは当然で、玉石混交する中にはちゃんと面白い映画があってもおかしくはないのです。
つまり、コンセプトの安直さがそのまま映画のショボさに繋がるかというとそんなことはないということです。
この程、マイケル・ベイ監督が『トランスフォーマー』シリーズの量産体制に入り、既に14本分もの脚本が仕上がっているという報道がありました。14本って、相当な量ですよ。『トランスフォーマー』は作れば売れるが約束されているからここまで攻撃的な体制が取れるのです。これこそコンセプトの安直さの極みでは無いでしょうか。そして、『トランスフォーマー』シリーズ一本一本がショボい映画ではないことは皆さんご存知のはず。
あとは、マーベルスタジオも自社のコミック原作の映画をどんどん量産していますよね。2020年までの上映計画が既に確立されている。これも当然、作れば売れるが約束されているからです。そして、こちらのクオリティに関しても周知の通り。
少女漫画原作の邦画群もまた作れば売れるが約束されているコンセプトだから量産されているわけですが、それを以って製作が手抜きだと断ずるのは浅はかにも程が有ります。
実際に観てみると、本当にどれも同じような映画に観えるのかもしれません。しかし観てない以上、その一点で批判するには感情に寄りすぎているのではないでしょうか。
それに何より、そういった映画群が対象にしているのは女子中高生です。それが邦画全体であろうはずはありません。安直なコンセプトもアイドル性重視のキャスティングも、それが対象にするのが女子中高生だから効果的なのです。邦画を批判して悦に入ってるような、オタクや中年男性なんて端から対象にしていません。
なのにそれを論ってショボいだの言ってるのは大人げないの一言につきます。
ケータイ小説のような、今で言うなら少女漫画原作のような映画だけが邦画じゃあありません。そんなことを言っている人は、マスメディアの宣伝にしかアンテナを張っていないと自白しているようなものです。映画に対する関心が薄い、芸能ニュースだけをみて映画情報を仕入れている気になっている人間に、邦画全体を批判する権利なんてありません。恥を知ってください。
先程も言ったとおり、僕自身はそれほど邦画を観るわけではありません。昨今よく漫画の実写化失敗例として挙げられる『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も観ていません。なぜなら興味が無いから。
両作品とも、アニメは観ていました。特に巨人は、現在放送中の第二期も毎週楽しみにしています。大好きな作品です。しかし映画は、特に興味がわきませんでした。
そもそも映画は、テレビ番組や雑誌掲載の漫画とは違い、観るかどうかの判断の多くは観る側に委ねられます。だって、わざわざ映画館に足を運んで、1800円のチケットを買わないと観れないのだから。
ザッピングしていて目にとまることも、とりあえずで録画することも、買っている雑誌をパラ見して視界に入ることもないのです。テレビなんか比じゃないほどに「嫌なら見るな」が成立するコンテンツなんです。
漫画が原作の映画が公開されて、それがひどい出来だったか原作ファンが憤る。これは理解できます。その作品が好きで、その作品の新たな一面が見られるのだと期待に胸を膨らまして劇場に足を運び、目にしたものが原作を踏みにじるような駄作だったなら、それは批判してしかるべきでしょう。また、はじめからバイアスをかけて劇場に臨み、批判箇所をピックアップしながら鑑賞し、帰ってネットにそれを書き連ねる。僕自身はあまり理解できない楽しみ方ですが、それも正当なことでしょう。なぜなら能動的に足を運んでお金を払って鑑賞しているのですから。
しかし、そうでない人間はなんなのか。ビジュアルや予告編が、それどころか実写化の報せが出ただけでクソ認定してメタクソに叩き、果ては邦画の体制までもバッシングする邦画レイシストはなんなのか。原作のファンで、実写化した姿など見たくないというのなら、見なければいい。最初から期待が持てないのなら、無視すればいい。原作が好きだからというペラッペラの免罪符を掲げても、その実やりたいことは何かを批判して快感を得ることでしかないのではないでしょうか。確かに上映期間中はテレビでもCMが流れたり芸能ニュースを席捲することもあるでしょう。でもそんなのは、上映期間中のほんの一ヶ月程度と、それ以前の宣伝期間の、正味二ヶ月程度のものです。それさえすぎれば、余程のものでもない限り、もう目にすることはなくなります。
例えば『銀の匙』や『男子高校生の日常』や『ひぐらしのなく頃に』が実写映画化されたことを覚えている人が果たしてどれくらい居るでしょう。どれもアニメ化もされた大人気作品ばかりですが、映画の方はまず話題に上がりません。その程度のものなのです。
無視していればそのうち過ぎ去っていくのをわざわざ叩くのは、原作愛でもなんでもありません。批判して快感を得たいだけのただのオナニーです。漫画原作映画は、邦画は、邦画レイシストのおかずでは決してありません。
『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も僕は観ていません。なので両作品に対して言及することは出来ません。便乗している人間はともかく、観た上で批判している人たちの意見は正当なんだろうなと思います。
しかし僕も、漫画実写化の中でも悪名高いあの作品は観ました。そうです、『デビルマン』と『キャシャーン』です。
『デビルマン』は、今でも漫画実写化の際に名前を挙げて「だから実写化は糞だ」という批判につなげる格好の材料となっています。2004年の公開にも関わらず未だに話題性を持続している、ある種伝説的な作品です。
これ一作で邦画批判につなげるのは短絡的に過ぎますが、実際この映画がそびえ立つ糞なのは事実です。僕自身観た作品なので遠慮なく言います。本当に酷いです。苦行かと思えるほどに。評判の悪い映画はあまり積極的に観ようとしない質なので、自分の中ではクソ映画の極北として君臨している作品です。
しかし『デビルマン』は本当に極端な例です。漫画実写化が全てこのレベルなら邦画批判も已む無しと思いますが、このレベルのクソはなかなかひり出せるものではありません。納豆が臭いからという理由で日本料理全体を批判するのはお門違いというものです。というのも、『デビルマン』と同年に公開され、クソ実写化の双璧と並び称される『キャシャーン』が、蓋を開けてみると実はそれほど酷いものでもないからです。
確かに手放しで褒められる作品ではないのですが、少なくとも『デビルマン』に比べると兆倍面白いですし、見応えがあります。PV畑出身の紀里谷和明らしく映像面のこだわりは強く、サイバーパンク的意匠が凝らされたディストピア風美術を日本で展開する舞台は一見の価値が有ります。アニメ原作であることを意識して、アニメーションを取り入れた演出がなされていたのも斬新でした。実写用にブラッシュアップされたキャシャーンのデザインもかっこ良く、今のアメコミ映画の隆盛に先駆けていたとすら思えます。クライマックスで明かされるダークヒーロー然としたキャシャーンの背景も、賛否は別れる気はしますがテーマに重みが出て興味深いです。主演の伊勢谷友介や悪役のブライキング・ボスを演じる唐沢寿明の怪演を始め、キャスト陣も申し分ありません。冗長な展開や説明的且つ啓蒙的すぎるセリフ回しが鼻につくことはあっても、『キャシャーン』は『デビルマン』と並んで語られるような作品では断じてありません。そもそも『キャシャーン』への批判は、設定改変によってキャシャーンのヒーロー像を歪められたことに対するファンの憤りからくるもので、映画そのもののクオリティとは別の由来です。
しかし、漫画実写化の際に『デビルマン』と『キャシャーン』の名前を挙げて批判している人間が居ます。彼らはまず間違いなく『キャシャーン』を観ていません。邦画レイシスト達の共通理解として“『キャシャーン』は叩いていいモノ”があるからの現状なのです。このことからも、邦画レイシストが如何に短絡的で、感覚的に邦画を批判しているかがわかります。彼らは邦画を観ていません。イメージと伝聞でしかものを語れないのです。
近年、僕が観た邦画の中で面白かったと感じた作品をいくつかあげます。(一応、アニメは除きます)
・『ちはやふる 上の句・下の句』
・『アイアムアヒーロー』
・『寄生獣』
・『シンゴジラ』
・『残穢』
・『日本で一番悪い奴ら』
・『SCOOP!』
・『クリーピー』
どれも大々的に宣伝された大作映画ばかりで、映画通が好むミニシアター系とかじゃありません。更に上の三つは漫画原作です。どれも実に面白い邦画でした。これらよりつまらない洋画をいくつも挙げることが出来ます。
映画が好きな人間であれば、意図的に避けようとしない限り邦画を観ることもあると思います。そのどれもが全く琴線に触れない人間など本当に居るのでしょうか。漫画を原作にしていても面白い作品はたくさんあります。邦画全体となれば尚更です。
本当に観ていれば、やたらと批判なんて出来ないはずです。それは、自分の感性も批判することになるのですから。実際、邦画それ自体が肌に合わないという人もなかにはいるのでしょう。しかし、SNSで邦画叩きをしている人間が皆そうなのでしょうか。おそらくそんなことはないでしょう。多くは叩きたいから叩く、邦画は叩いていいモノだから叩く、と思考停止している人間なのではないでしょうか。
自分はモノを見ないで感情的に対象を批判する、欠片の理性も持ち合わせないような人間ですと自白して、恥ずかしくはないのでしょうか。
僕もまたこうして、邦画レイシストなんてアホなネーミングの仮想敵を作って、一方的に批判を飛ばして悦に入っているだけの人間です。さっきも言ったとおり、邦画そのものに対して特別な思い入れはありません。
しかし、こうして文章にして発信することで、仮想敵だと思われた邦画レイシストが食らいついて、話題になってくれることを密かに望んでいます。
映画は好きです。邦画にも好きな作品がいっぱいあります。『銀魂』や『トーキョーグール』や『鋼の錬金術』等、観に行こうと思っている漫画原作の映画もあります。自分の好きなモノを理由もなく批判する人間は当然不愉快です。何よりも僕の映画ライフのために、そんな不快な人間が一人でも考えを改めてくれることを願っています。
【テレビ番組】殺意を覚えるほど無能…!? フジテレビのコネ社員の能力がわかるアノ番組とは? (TOCANA) [無断転載禁止]©2ch.net
232 : 名無しさん@恐縮です@転載は禁止2016/02/27(土) 04:22:43.47 ID:RKKhPAla0
小仲 正重(こなか まさしげ、1973年[1] - )は、フジテレビ編成制作局バラエティ制作センター
私は、アイドルに恋をしている。
決して叶わないと分かっていて、それでも恋をしている。
自分では、もうどうしようもない感情で、「誰かを好きになる時理由なんかは必要ないの」と曲の歌詞にこれ程共感することはないだろうと思う。
痛い、とは分かっているから、どうか私の話を聞いてほしい。
友人の勧めで画面越しの彼に出会ってしまった時、何もかもどうでも良くなるくらい彼に惹かれた。
ひたむきに、でもファンを見つめる目をキュッと細めて幸せそうに微笑んでいた。
あぁ、なんて素敵な人なんだろう。
それから彼に関する全てを収集した。もっと知りたい。もっと彼のことを知りたい。
私がそれまでなんとなく知っていた彼よりも、彼はもっと男気があって芯が通っていて凛とした人でした。
普通の女の子が青春時代に味わう淡い恋も、すべて彼に気持ちが向いてしまいました。
もちろん誰にも言えず心の中だけで、誰にもこの恋の事を言いませんでした。
彼氏もいましたし、成績も学年順位1桁を争っていましたから、傍から見たらとても充実した日々を送っていたように見えたでしょう。
けれど、勉強を頑張っていたのは彼の行った大学に行きたかったから。
彼氏のキスも、目を閉じた私の瞼の下には、大好きな大好きな想い人の姿が浮かんでいました。
最低でしょうか。
それでも、彼が大好きでした。
テレビの向こうでキラキラの笑顔を向けながら、無理難題にも果敢にチャレンジしていく姿がどうしようもなく好きで、どうしようもなく愛おしかったのです。
このままではいけない、と思ったのです。
このまま画面の中の人、ステージの上の人に淡い恋をしていたって、何にもならないのだから。
別の趣味を見つけ、徐々に彼を避けるようになりました。
進学先で辛いことがあった時は彼に縋りたくなったけど、それではいけないと強く言い聞かせて。
背けていた現実に目を向けて、大切に大切にしていたコレクションも全部売り払いました。
どうしても捨てられないものだけを残して。
たくさんの彼で埋め尽くされていた私の部屋はがらんとしてしまいました。
私の部屋、こんなに広かったっけ。
ひとしきり泣いて、それから捨てられなかったものを2度と思い出すことがないように奥深くに仕舞いこみました。
彼への興味をいよいよ失った頃、友人からの誘いで再び彼の所属するグループのコンサートへ出向くことになりました。
この時の私はもう、あの涙はなんだったんだというくらい彼への恋心をすっかり失っていましたから、絶対大丈夫だと思ったのです。
いま、今の自分なら、ただただ普通にコンサートを楽しめるはずだと。
そんなの、無理だった。
大好きな彼が私の目の前のステージから出てきた瞬間、もうダメだと思った。
どうしようもなくその細いのに男らしい背中に抱きついて、あなたが好きだと言いたい衝動に駆られた。
勿論、そんな事は実際出来っこないけど。
大好きだった彼の声、大好きだった彼の姿。
私はやっぱり彼の全てが大好きで、それはきっと形を変えても永遠に残る美しい恋なんだと。
社会人になったらさ。
でも言えないから。
だから普通のファンの振りして、今日も楽しく昨夜のテレビ番組でのあなたの事を職場の人と話す。
あなたはコンサートで「可愛い」「大好きだよ」「心から愛してる」「俺の命だよ」って言ってくれる。
だから、
あなたが「長い髪の子が好き」って言ったから、髪はロングだし毎日手入れも欠かさない。
あなたが、「美意識の高い子が好き」って言うから、だらしない生活に鞭打って食生活から振る舞いまで気を付けてる。
あなたが、「フリフリとかパステルカラーの服が好き」って言うから、日頃からスカートを履いて、女性らしい格好をしてる。
あなたの「自慢の彼女」で居るために、あなたに「可愛い」と言われて恥じないように。
例えあなたが私のことを知らなくても、私はあなたの為を思えばなんでも頑張れるんだよ。
そうやって私の言動ひとつひとつに、あなたの「好き」が詰まったまんま。
今日も仕事に疲れたら、パソコンの中で儚げに歌うあなたの横顔を見て、もう少し頑張ろうって思うんだよ。
一日頑張った身体を引きずって帰ってきたら、またあなたの香水を身に纏って、あなたの柔らかな歌声を聴きながら、あなたのサラサラの金糸を頬に感じながらただ愛される夢に深く沈み込むのでした。
そうして私は6年間、片想いをしている。
そんな私の想い人は、