はてなキーワード: クラス替えとは
20年ほど前の話。
幼かったので顔面に座ってもらったり、太ももに頭を挟んで貰ったり程度で体の関係は無かったんだが、アブノーマルプレイはしていた。
当時の自分は彼女より身長が10cm以上低く、力も弱かったため叩いても痛くは無かったと言うのもある。
彼女も楽しそうだったが、ある日そんな雰囲気がクラスにも感染し同じクラスの男子生徒達が彼女に暴力を振るった。
背が高かった彼女は難無く男子生徒を払い退け怒ったが、エスカレートしていき彼女は虐められるように。
彼女と自分はあくまでSMプレイだと説明したが、理解して貰えず彼女への暴力はクラス替えまで続き、
正直虐め被害者と付き合っている事が恥ずかしくなった自分はクラス替えと同時に彼女と関わらなくなった。
いい年して彼氏が居ないというのが他人にばれると色々とお節介を焼かれるわけだけど、その中で言われる「ちょっといいなと思う人もいないの?」というのがよく分からなかった。
私は物心ついたときからデブで可愛い服とかお化粧とかも興味ない、でも人と馴染むのは割と得意でクラス替えのあともすぐに隣の席と話が出来るし、男性にそれをやっても惚れられないので男女関係なく友達として話せる、そういう感じのデブスキャラ。
だから普通に仲良い男性は何人もいて、友達だからもちろん好きだし、いい所も悪い所もあると思ってる。
でもそれを「ちょっといい人」に含めたら、よっぽど反りの合わない人以外全部対象になっちゃうじゃない? 何なら女性の友達も含んじゃうじゃない? きっとそういうことを聞かれてるんじゃないだろうから…私はまだ未経験だけど、「この人いい!」って思う瞬間があるものなのかな? 恋は突然に!って感じ? とか思ってた。
が、さっき急に脈絡なく気づいたんだけど、積極的に恋人を作ろうとしてる人って、きっと異性(同性愛者なら同姓)と会ったときはいつも「恋人としてどうか」っていう視点で見てるんだね!
チャンスをモノにできるのはチャンスを待ってる人だけ、みたいなことなんだ。ようやく分かったよ。遅ぇな!
自分としては今のところ特に彼氏も欲しくないので、その視点を持つのは欲しくなったらでいいやと思うけど(そのときはもう売れ残りで手遅れかもしれないけど)、言われたことの意味が分かってスッキリした。
女子高に通っていたんだけど、高校3年生の春くらいまで、殆どクラス替えとかもないのに、クラスになじめなかった。いじめられていたわけじゃないんだけど、シャイでなかなか皆の輪の中に入れなかったんだよね。でも、クラスメイトは皆おもしろい話をしてて、私も皆ともっと仲良くなれればいいな、私もおもしろい話したいな、とずっとモヤモヤ悩んでいた。
そんなさなか、おばあちゃんに誘われて、地元の温泉に行った。地元ではかなり有名な温泉で、利用客も多い。ゆとりっ子の私は、慣れていないのであんまり温泉とか好きじゃなかったんだけど、大好きなおばあちゃんの誘いだったので行った。行った日は土曜日で、人が多かった。マイペースのマイグランマはさっさと脱いで先に身体を洗いに行ってしまって、裸眼0.05以下の私は危ないからゆっくり段差に気をつけながら温泉に入って歩いていた。
そしたら、「良いお尻してるねー!!」っていきなり、知らないおばちゃんに後ろからパァン!って尻を叩かれたんだよ。パァン!って。結構な勢いで。軽快な音が温泉に響き渡った。当たり前だけどびっくりした。お尻を叩いたおばちゃんを振りかえると、おばちゃんがすごくびっくりした顔をしていた。目をこらしてみたけれど、やっぱり普通に知らない人だ。多分、知り合いか誰かと勘違いしたんだろう。私も再度びっくりした。「あっ…すみません…」っておばちゃんがぎこちなくモニョモニョ言って、私も「あ、いえ、すみませ…」て何故か謝った。それから何度かヘコヘコお辞儀をしながら別れたけど、今思ってもかなり気まずい雰囲気だった。お尻がひりひりした。
その話を、何気なく学校ですると、何故かすごいウケた。大人しい私がそんな話をするから、ギャップでおもしろかったんだろう。そしたら、クラスメイトが集まってきて、あっという間に私の「良い尻」エピソードが広まった。そしたら、「◎◎ちゃん(私)のお尻、前からいいって思ってたんだよね」って言う子があらわれて、ますます私の(お尻の)株が上がった。その頃は隣町から自転車で高校に通っていて、毎日15kmくらい自転車で走っていたから、お尻がひきしまっていたんだ。それはともかく、そんなこんなでその一件から本当に笑いの絶えない高校生活になった。一年間くらい、お尻揉まれまくったけど。でも、本当にあの時お尻叩かれてよかったなぁ。あの時のおばちゃん、ありがとう。きっかけって大事だね。
オッスオラ相貌失認!
本日めでたく「ホントにやる気あるの?」って言われて接客業のバイトを首になったから記念に相貌失認だとどんなことが起きるのかを適当にかいていくぜ!
ちなみに今ググったら相貌失認テストとかいうページ(http://www.5lm.info/)があったけどこれは駄目だ!
名前も顔も分からねぇから間違えるとかそういうレベルじゃねぇんだ!誰だこいつらは!辛うじて認識できている人を正解にしたら正答率が100%になったぜ!そりゃあそうだよな!
最初に言っておくが相貌失認っつっても程度も個人差もあるからあんまこまけぇこと突っ込んでくれるなよ!
それじゃあいくぜ!
いや落ち着いて面と向かえばちゃんと分かるが人ごみの中に居られたりするともうさっぱりだ!
子供の頃は迷子になるともう母親を探し出せる気がしなかったぜ!
出かけるときは毎回親や兄弟の着ている服を頭に叩き込んでいたぜ!
次にクラスメイトだ!覚えられん!
クラスメイトをきちんと分別出来るようになったころにはクラス替えとかざらにあったぜ!
中高一貫のバカ学校に通っていたが烈火のごとく顔が覚えらない上にみんな同じ制服だったせいで地獄のような毎日だったぜ!
ただし教授の名前とか顔は分からん!なんであいつらみんなおんなじようなスーツのおっさんなんだ!もっと個性を出してくれ!
向こうが覚えていてくれてこっちが覚えていなかった時の気まずさすげぇな!
こちとら毎日何百人と相手してんだ!
いや服とか毎日同じにしてくれたら覚えられるかもしれないけどちょっとそんな客には来てほしくない
あとバイト先で辛うじて覚えたとして街中で声かけられてもちょっと無理だ!勘弁してくれ!俺はカウンター越しのあなたしか認知できない!
スーパーで親しげに話しかけてきていつもと同じテンションを期待されても困る!誰だ!常連の田中さんか!そのクルックルの頭は田中さんか!すまん!わからん!
美人の女優とか軒並み分からん!同じような顔にしか認識できない!綺麗な造作してることは分かるぞ!
あとイケメンも大体全滅だ!印象が薄い!玉木宏は声で分かる!でも最近玉木宏あんま見ねぇな!割と好きだったから頑張ってくれ!
そして外人は壊滅だ!男と女と黒人と白人と黄色人種と大まかな年齢しか認識できねぇ!
具体的に言うとDr.パルナサスの鏡って主役の俳優がどんどん変わってく映画があったんだけどあれ俺見終わって解説見るまで人が変わってるのに全く気付かなかった!!びっくりした!!
だってみんな渋いイケメンだったんだもん!わかんねぇわ!吹き替えもずっと一緒だったし!
こんな感じだ!別に悪意があるわけでも人間に興味がないわけでもないぜ!
ただホントに覚えられないんだ!マジで!自分でもびっくりする!
お前らの周りにも「えっちょっとこいつ大丈夫?」ってくらい人の顔を覚えられない奴がいるかもしれない!
そんな奴ももしかしたらこういう相貌失認だったりするかもとか思って生暖かく見守ってやってくれ!
ムカついたら執拗に名前を名乗ってやってくれ!頑張って覚える!
以上!新しいバイト探しに戻るぜ!!
【追記】
オッスオラ相貌失認!バイト先に制服返しに行って昼寝して起きたらブクマとか俺史上最高でビビってるぜ!
とりあえずトラックバックにあった相貌失認のテストをやってみたけど英語の時点で大分心折れそうになった!
お好み焼き喰いながら適当にやったら38点だったけど本気出せば俺はもっと上に行けると信じてる!
つうかこれ本当に健常者でも80%とかいけんのか?!無理じゃねぇ?!
あとトラックバックのお前!お前!
突然の劣っている発言は止めろ!自覚はあるしお前の言いたいことも分かるがぱっと見の文面で動揺する!
俺相手だから良いが下手な障害者相手だとめっちゃ怒られたり後引かれたりする奴だぞそれ!気をつけろ!
あと方向音痴は俺もそうだ!何か行きと帰りで同じ道だと認識できない!困るよな!
あとブクマコメで大変そうだとかしんどそうだとか言われてるがぶっちゃけ言う程大変でもないししんどくもない!
生まれつきこうだったから特に変わったことをしてるとも思ってなかった!
きちんと覚えられたら便利だろうなとは思うが特別辛いとは思わん!すまん嘘だ!バイト首になったのはつらい!
ちなみに「何で接客業を選んだのか」って言うのは時給だ時給!
いわせんな恥ずかしい!ジャイロキャノピー欲しいんだよ!
向いてないとかめちゃくちゃ言われてるが別に顔が覚えられんからって相手の話が分からない訳でも声が出ない訳でもないから会話が出来んって訳じゃねぇぞ!
俺自身は人と話すの嫌いじゃないんでその場限りだけで客を接する仕事は結構好きなんだ!心配してくれてありがとうな!
ただ客と何度も密接に関わるような接客は向いてないな!
以上!
流石に暫く接客業は懲りたのでとりあえず新しいバイトは暫く倉庫の軽作業だぜ!
待ってろ俺のジャイロキャノピー!
「付き合っている人がいるんだ」
耳を疑った。
「えっ、そうなの…。知らなかった。ごめん」
今まで行った自分のアプローチがすべて空虚となり、恥ずかしさと同時に申し訳ない気分になった。
やさしく微笑むと、どんなヤツなんだと想像する隙もなく、聞いてもいないのに恋人について語り始める。
失恋直後の自分には残酷過ぎた。これ以上は詳しく聞けなかった。
今週末もデートするに違いない。先週末もデートだったに違いない。それどころか今までずっと週末はデート三昧だったに違いない。毎年クリスマスを一緒に過ごしていたに違いない。お正月は二人で初詣に行ったに違いない。家族ぐるみの付き合いをしているに違いない。ご両親も認める仲に違いない。「昔はここで一緒に遊んだっけねー」なんて言って、近所の公園でもデートしているに違いない。「あの先生はどうだった」「あのクラスメイトはどうだった」なんて話題が尽きないに違いない。修学旅行は一緒の班で回ったに違いない。運動会も同じチームで協力し合ったに違いない。体育のときはフォークダンスで手をつないだに違いない。バレンタインデーには机の中にチョコを仕込み合ったに違いない。席替えのとき、クラス替えのときは「一緒になれたらいいね」なんて言い合ったに違いない。同じ学校に進学するか話し合ったに違いない。受験勉強も励まし合ったに違いない。学校卒業するときは一緒に泣いたに違いない。卒業式の日、伝説の木の下で告白したに違いない。初めてのエッチは照れまくりだったに違いない。そして休みの日は猿のようにやりまくったに違いない。子どもの時から「結婚しようね」なんて約束しているに違いない。好きなこと嫌いなこと、すべてを知り尽くしている仲に違いない。今まで生きてきた分の、語り尽くせない思い出がいっぱいに違いない。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
勝てない…。
「恋人がいる人を好きになった」「略奪愛」「彼氏持ちを落とす方法」「彼女持ちを落とす方法」なんてキーワードを検索して出てきた恋愛指南の記事を要約すると、こうだ。
「諦めずに良好な関係を続けよう。そして、ケンカするときを待とう。不仲を相談している隙に心を奪おう。長期戦は覚悟だ!」
そもそも、幼なじみ同士が別れることなんてあるのだろうか。あまりに強すぎる絆。越えられない壁。どうやったって今から相手の幼なじみになることはできない。
ふと、自分には何故こんな素敵で仲の良い幼なじみがいないのか。いらだちを覚えた。
大学生の間に私は成長したのだろうか。 生まれたときから世界には完璧という概念が存在しており 人間が人間であることを放棄しない限り、人間は成長することはないと思っていたので 成長という表現を聞いたときは不快感がずっと存在しておりました。 私の頭の中は、相対評価ではなくて絶対評価であっても、小学生のときがピークでして それから10年以上、ずっと退化するのに耐え抜くだけの時間を過ごしました。 中学受験塾という環境で過ごして、中学受験をしました。 入学した学校は、とある物差しでは関西で5番目くらいの学校 希学園の偏差値表で、灘が63、東大寺が61、甲陽が59、洛南(併願)が58、大阪星光が55 (当時は西大和は52、今はもう少し大きな数字だと思います)(女子は神戸女学院が54) 星光の入試配点は国語120数学120理科80社会80の(傾斜)配点で、合格最低点は7割 7割というのは高い方(6割が平均的)で、得意不得意が日本一レベルだった私には無駄な難関でしかない。 母数のレベルが低いテストによる合否判定は、得意不得意が異常な私は生涯を通して最高でもE判定しか出ないシステムであり 私は当時からその仕組みが理解できたけど、まわりにいた無能たちはそれすらも理解できなくて話が通じることはありませんでした。 そしてその成績の私には、言及するには心理的抵抗が大きかったのですが、灘や甲陽の配点は国語200算数200理科100で合格最低は6割 私の心の奥底には、星光よりも灘の方が簡単ではないのか(妥協して甲陽)と思ったこともあったのですが 灘も甲陽も兵庫県で、非常に残念なことに星光は家の近所にあるという環境の違いもあったりしまして。 当時の私のテストの答案はいつも同じでして 算数は冒頭から順番にすべて正解、一番最後の問題は時間切れ。テストは毎週ありましたが、計算ミスもしないのですべてがその結果になります。 社会も冒頭から比較的には正解率が高かったのですが、正解に自信が持てないので非常に時間がかかり、100点中後半50点ほどは常に白紙での提出でした。 理科は物理と化学は算数に同じ。生物と地学は興味がなかったので社会と同じ。 国語は文章問題2題が多くて、いつも片方しか読む時間がありませんでした。そして常にクラスで最下位。塾全体の公開テストでも下から数人目。 公開テストは600人ほど受けていて、上から10位までは名前が公開されます。(科目ごと+3科目合計+4科目合計) 当時4科目合計で名前が載ってた人は、国際科学オリンピックでメダルをとっていたり、当然のように東大医学部に行ったことまでは把握しています。 そして名前が載るのは「S1クラス」という能力別クラスでの1番目のクラスばかりになるのですが、 算数で時間が足りたことがあって、そのときに「H1」という平均以下のクラス所属で私の名前が載ったことがあります。 すごくどうでもいいですが、能力別クラスでは定期的にクラス替えが行われるのですが、私の成績が算数はクラストップ、国語はクラスビリで安定していて 「H1」という所属クラスってふつうは変動するのですが、なぜか入塾時から小6の途中まですべてH1のままで動くことがありませんでした。 小5までは谷町九丁目教室ではS1からS5とH1からH3、小6からはS0からS8とH1からH6でした。つまりH1っていうのは偏差値では50以下です。 なので志望校として決定されるのは星光になるわけですね。また星光合格者の中では、私が一番下のクラス所属でした。 自分の記憶力が残念なので想定外に長くなりました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 さて、小6の3月から2年間にもなる長期間、虐待の日々がはじまりました。 その結果、定期テストの前に、勉強するということもしたことがありません。 中3の時の、通知表の成績は、高校への内部進学の基準になります。 全科目の平均が60点が条件で、テストの点数そのままが通知表の点数になる科目もありますが、 平常点を用意したり、救済措置を用意して下駄を大量に用意すう教師もいます。 学年人数は200人で、毎年学校を追い出されるのは10人とか。他の学校よりも多いと思います。 中学受験での話を想定外に長く書いたので、少しここは省略します。 日本語を話してくれない教師への反発もあって、中3での通知表成績はビリから2番目の人(50よりは上)よりも10点くらい下です。 T野(体罰数学教師)の数学で、一番はじめて満点を達成したのは、M君ではなくて私だったりします。 名前が汚いからという減点は毎回受けていましたが。 英語のS水(中1中2での担任)も相当無能でゴミだったし、 国語の学年主任(中3での担任)もゴミだった。愛のかけらなどどこにもなかった。 テストのために勉強する、という行為はしたことがなかったですが、テストの最中は中学受験時代での私の哲学をただただ耐え抜く日々でした。 そして、私の中には中学受験での自己評価をもとにした学力観というものがありまして 勉強したと言えるような時間は、授業中に教師が答える前に自分の脳内で答える予習的学習と テスト時間中における、問題作成者との、問題を通したコミュニケーション、その2つだけ。 私は私自身の美しい過去を尊敬しており、またそう言えるためだけに命をかけております。 信じるかどうかは好きにすればいいと思いますが、勉強したと言えるような時間は上記以外には特にないまま 高校入試を受験するみたいでした。(受け身) 甲陽の高校入試の配点は英語200数学200国語200理科150で、合格最低点は脅威の5割。 西大和の高校入試の配点は忘れました5科目で、合格最低点は7割。 西大和の高校入試の数学はレベルが高くても小6レベル以下の問題でびっくりしました。(過去問とかも知らない)計算用紙にポエムを書きました。(計算用紙も提出です) そういえば、テストの最中にはテストに向かい続けるという呪縛を本当に無駄に守り耐えてきたのですが さすがにあれなので、問題用紙に脳内ポエムを絞り出す習慣が発生していました。 私の問題用紙に書かれた脳内ポエムの絞り出し、見たことある人いるでしょうか。 その一部は高校時代にやっていたブログに模写投稿されていたりします。 といいますか、私は言葉から行動に移すような経験が一切ないと思います。 国語という科目が全くわからなくて、表現能力は障害者でしかないのです。 表現というものに、全く価値を感じる機会が今までずっとなかったのです。 (相手の意思とは関係ない)教えてくれる人間が自分視点の環境には存在しなかったってことです。 この世に信頼できる人間が1人もいなかった。 そうすれば、こうなります。 存在する存在空間の、表面結果が表現されるだけで、それだけでしょ。 伝えたいと本気で思える人間が私の前に現れることがなかった。 脱線しましたけど、西大和は不合格になりました。人生初の不合格です。計算用紙になんだこの数学はアホかやるきあんのか、って書いたのが相手を激怒させたのかもしれません。 入試の科目で満点とれてるのは西大和の数学が人生初だと思う。(大学入試では同志社物理とセンター物理が満点。センター物理って小学生でもry) (大学入試数学は私は全く訓練がされてないので、同志社レベルでさえ時間足りないです) そして、甲陽おちた場合、出願は2校しかしていないので、いく高校がないです。 けど合格してた。勉強して合格したわけではないので、何も感じなかった。 自分の人生は他人事で、どうでもよかった。 人は過去を美化するという表現を見かけることがあります。 この表現の意図はこうです。 そんなわけがない、人間をなめるな。しかしすべてを説明するのは一生かけてもできない膨大さ。情報を努力して絞り、本質的な情報を簡略に表現する意図がある。 人間が人間であるための努力だ。 そして過去が存在しない人たちからの言及をそらし、内心ほくそ笑むための表現です。 人間であることを放棄した人が、人間を舐めるな。 人間は、人間を人間だと信じている人たちだけで暮らせばいいです。(そう信じることしかできないんです。) 脱線の方が長くなってしまいました。ごめんなさい。 高校。高3で人生で初めて、通知表に0がつきました。 英語の定期テストで選択問題が初めて0問で、(授業でやった)東大京大等の英訳和訳問題のみだったのです。がんばったけど0点でした。 けど留年とかされても高校にとって迷惑になるので、卒業という形で平和に追い出されました。 中学では宿題をだす教師はいて、平常点が存在しました。 高校では宿題をだす教師はおらず、自分で勉強する人たちが自分の意志で医学部とかにいってた。 東工大の大学入試の配点は理数系が68パーセントで、合格最低点は忘れました。(ふつうの東大生であれば英語国語0点にしても東工大には合格する程度の合格最低点です) ちなみに早稲田理工は理数系67パーセントで慶応理工は70パーセントです センター試験本番は現役時が47パーセントで、物理に関しても波長って何?λってなんてよむの?らむだってなに?って思いながら知恵とセンスを絞って問題に正解してました。 浪人した時は、波長とはなにか、λがらむだってよむんだって知りました。 一切の本も読まずに、微分とか極限の解釈でただ単に考え事をしていたら、テイラー展開って表現されているものが発見されました。 数学は自分で問題をつくって遊ぶことしかしてなくて、浪人時代の1月も2月も一回も過去問とかやらずに 自分で問題つくっては遊んでました。 (1)30!の一の位は0である。ここから始めて十の位百の位と順に左に見ていく。最初に0でない数字が現れるまでに連続していくつの0が並ぶか。 (2)(1)において最初に現れる0でない数字を求めよ。 (3)ここで「n!は10^kの倍数である」これをみたす自然数kのうち最大のものをpとしてf(n)=10^pとする。このとき以下の数の一の位の数字を求めよ。 (イ)100!÷f(100) (ロ)100000!÷f(100000) (4)100兆の階乗を10進法で表示したとき右から数えて25兆番目にある数字は偶数であるか奇数であるか調べよ。 問題を読んでほしいためこのようにしてみた →方法論は省略して 100兆(10進法)=101101400兆(5進法) 100兆!÷10^(25兆-2)≡2^(25兆-2)×4!1!1!1!1!≡6 …□6が4の倍数なので□は奇数です 普通の電卓を使用して 2の常用対数の小数第10位の値を求めよ。 とかに関しては、あるごりずむとかいうやつっぽい。 AA>Bと同値はA>√BまたはA<-√BまたはB<0(A実数)または-√(-B)<Ai<√(-B)である。ではAA<Bは? とかに関してはすうがくっぽい。 大学に入ってからも痛感しますが、勉強したことがないので、勉強のやりかたが全くわからない。 環境というものは目には見えない力なのです。 クソみたいな社会に適合してたまるか、という環境も世の中には存在します。 社会に適合化された言葉を使ってしまうのは屈辱でもあります。 なにが世界を破綻させているのか。それは現実主義者の存在です。 「数学に対する価値観は、誤答を解答として提出したのであれば死刑にすべき」 の意図している意識が共通認識となれば、世界は平和になるのではないかと思います。 共通認識と共通認識における努力さえあれば、別に死刑にする必要はないです。 いつかきっと、人類が私の意図を理解することができればいいなって。 おなかがすきましたね。 http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
もう20年近い昔の話なので、詳細は覚えていないのだが、「同じ人間だ」と理解したということだけは非常に深く印象に残っている。
私は田舎ののんびりした町で生まれ育った。中学1年生のころまで、先生は難しいことを知っている立派な人だと思っていた。担任の先生のことは、若いイケメン先生も渋いオジサン先生も肝っ玉系おばちゃん先生も、だいたい大好きになった。
中学2年生の時の担任は、新任の女教師だった。何がそんなに嫌だったのかはもう忘れてしまったが、ヒステリックで理屈に合わない(と子供心に思うような)ことを言ったり説教したりしてくるので、私や友達はその先生のことが嫌いになった。陰で先生の悪口を言ったり、説教に反論して帰りの会を泥沼化させたりしたこともあった。
そんなふうにして中学2年生の1年間は過ぎ去った。だが残念なことに、3年生になってクラス替えが行われても私の担任は変わらなかった。一緒に悪口を言っていた友達は別のクラスになった。私は落胆した。
転機は修学旅行の夜に訪れた。旅館の部屋の床に布団が敷き詰められ、友達と枕を投げながらガールズトークを繰り広げる。やがて消灯の時間になるが、まだまだ話は尽きていない。明かりを消してひそひそ声で盛り上がる部屋に、担任が入ってきた。怒られる、と思ったが、そうではなかった。先生は私たちの話に加わって、一緒になって別のクラスの女生徒の悪口で盛り上がっていた。それを聞いて私は初めて、彼女も私たちと同じ人間だ、10歳も年の違わないただの小娘にすぎないのだ、ということを理解した。
生徒と一緒になって他の生徒の陰口を言うなど、教師としてあるまじき行為、かもしれない。だがこの経験は私にとって良い方向に作用した。
彼女が同じ人間であることを理解したら、彼女の理屈に合わない言動も少しは許容出来るようになった。いままで先生という存在に完璧を求めすぎていたのだ。この一件以来、彼女と私の関係もいくぶん良好なものになった。おかげで卒業まで穏やかに過ごすことができた。
学校が嫌だったが、親は休ませてはくれなかった。
図工で絵の具を使うようになった時、今みたいに筆洗バケツは売ってなかったから
空き缶で作って用意するように言われた。
工作が得意な父が、250ml缶6本を針金で繋いで 取っ手も作ってくれた。
みんなそんな風に作ってもらっていたから、自慢とかしてない
なのに帰り道、いじめっ子に取り上げられ どぶ川に捨てられた
小2が入って取りに行くには 少々川幅が広めで、泣きながら追いかけたが
人通りもなく 缶の筆洗(水入れと言っていた)は流れていった。
40年もたったのに、笑いながら見ていた その2人の名前も覚えている。
一人は数年後病気で亡くなったが、もう1人は知らない。
中学の時、イケメンで何かスポーツやっていて モテていたのだけ覚えている。
泣きながら父に「水入れをいじめっ子に取られて、どぶに流された」と言うと
父は果物の缶詰の空き缶が2つ用意し、新しい水入れを作ってくれた。
あのいじめっ子2人が、あの件以来私にちょっかい出す事はなかったのだが
今は黄色い筆洗バケツが主流となって、見かけると思い出してしまう。
クラスの男子達のいじめ自体は、3年に上がってクラス替えになるまで続いた
担任は?何もしてくれませんでした。
ミ社の事例から考えてみた。
はるか昔のニ社の事例でもいい。
どちらもずっと同じコミュニティを維持しようとして自壊していった。
他の移転先ができたともいえるけれども、それぞれ自らの領地の中に新天地がつくれなかったことは確かだ。
参加しているメンバーの新陳代謝ってことなのではないだろうか。
クラス替えとか転勤とか、そういう類のものを強制的に発動させる。
古参ユーザーにしてみてはたまったものではないが、旧はてな村が行き詰ってきたら、新はてな村を開拓する。
ミ社も二社も第二ミなんとかとか新ニなんたらをつくれば良かったのではないか。
新しいほうでは、コミュニティとか会議室を新しく移住したメンバーで再構築する。
そんなリストラクチャリングが求められていたのではないだろうか。
自分の子供ながらもちょっと変わっているところがあるので、こういう時もあるかとは思ったが、イジメがあったりしたら、それは初期で正すべきだし、思いきって聞いてみた。
最初はなかなか口を開いてくれなかったが、「話してみるとスッキリすることもあるよ」と諭したら、ポツポツと語ってくれた。
・その友達の良いところを三つ書いて下さい。
注:結果は誰にも秘密なので、回答は正直に書きましょうね!
娘はそこにEちゃんの名前を書いた。
娘は友達を家に連れてきたことはないが、図書委員を一緒にやっているEちゃんの話はよくしている。明るくて活発な子で、自分にないものを持っているところがいいと思っているようだった。
このアンケートからしばらく経って、そして昨日先生から、「この前のアンケートのことでちょっと話があるんだけど」と呼び出されたそうだ。そして、「言いにくいけど、Sちゃん(娘の名前)だけ、お友達とお友達同士でなかったの。Sちゃんは、友達を作るためにもう少し自分から努力した方がいいかもね」と言われたらしい。
聞いていてはらわたが煮えくりかえった。そもそもアンケートを行う意図も意味不明だし、その結果を本人に伝えることはもっと意味不明。
娘は先生には言わないで欲しいと言ったが、こんなこと黙っていられる親がどこにいるか。
モンスターペアレントと呼ばれようが、これから先生に直談判しに行って、発言を訂正させようと思う。
ブコメありがとう。「訂正させても親が満足するだけで、子供の傷が癒えるわけではない」との指摘に冷静さを取り戻した。先生に直談判するのは止めた。
ついさっき娘が帰ってきた。顔はこれまでに見たことがないぐらい晴れやかだった。
今日は口が軽かで何があったかこちらから言わずとも教えてくれた。
以下、いつになくハイテンションで話す娘の話を自分なりに整理したもの。
・今日はクラスの当番である図書委員の活動でEちゃんと一緒になった。
・娘がギクシャクしていたら、Eちゃんの方が「どうしたの?」と話しかけてきたので、娘はアンケートのことを何とか伝えたらしい。
・Eちゃんが黙ったのを見て、いたたまれず先生に委員の仕事が終わったことを伝えにいくために、職員室に行くと、Eちゃんが突然職員室に入ってきた。
・そして、Eちゃんが担任の先生に「先生、私、嘘をついちゃいけないのに嘘をついてました。Sちゃんが私の名前を書いてくれないと思って、友達なのに友達と書きませんでした」とアンケートの訂正をお願いした。
・それを娘は横で見て、Eちゃんとの誤解が解けた。
本当は、途中でEちゃんのちょっといいエピソードを娘がちょこちょこ挿入してきたので、こんな時系列の説明ではなかったが、恐らくこういうことだ。
先生に文句を言いにいかなくて良かった。先生も、アンケートの問題を理解してくれたんじゃないか。
こういうことを大人が全て解決するのではなく、子供同士で上手く対処してくれたのが何より嬉しい。
親としては子供が成長する機会になったのではないかと思う。言葉にして伝えなければ伝わらないものもある。
私立のエスカレーター校なので、Eちゃんとは中学、高校と一緒になる。
これからも、良き友人でいてくれたら、親としては心強い。
・恋愛ラボ 09話「その笑顔が……」ニコニコ動画:Q http://www.nicovideo.jp/watch/1378443899
(09話に繋がる08話はバンダイチャンネルで視聴可能。 http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=3683)
・漫画では3巻に該当。Amazon.co.jp: 恋愛ラボ 3巻 (まんがタイムコミックス) eBook: 宮原るり: Kindleストア http://www.amazon.co.jp/dp/B00DISI8Y6
注:時間がない人はhttp://anond.hatelabo.jp/20130911002541をご参照。補足ありがとう。
・ソシオメトリー - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
・asahi.com(朝日新聞社):小4担任、「一番嫌われている人」募り公表 生徒が提訴 - 小中学校ニュース - 教育 http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY200805100057.html
・生徒に調査「同じクラス嫌な人」 千葉の中学、クラス替えの参考 - 47NEWS(よんななニュース) http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012031601001314.html
・ソシオメトリーをもう一度 http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC331.HTML
お酒を飲みに行くらしい。https://twitter.com/megtan/status/377377669576679425
私の経験からして、必死にした勉強が役に立たないことはないと思う。
私は女でかつ発達障害。っつっても私がこどもの頃はそんな言葉もなかった。
ADHDで忘れ物落し物が多いので馬鹿にされて、なかなか友達もできなかった。
特に男子からは、「女の癖に忘れ物をする」(忘れ物落し物おっちょこちょいは男子にだけ許される特権らしい)ということでいじめられるた。
「成績がよくなれば、男の子はいじめにくくなる(自分より成績がいい女子をいじめると、嫉妬だと思われてかっこ悪いので)」
小中学校は地区でも進学で有名で、多くの子は国立か私立上位の高校を目指していた。
でも私と仲良くなる子の半分以上は、そんなところは無理で、それ以前にまともな高校に行かれるの? というレベルだった。できる子は全国試験でも200位内とかだったけれど。
できない子たちは暗記はできる。けれど、「仕組み」を理解できない。特に一番仲のいい子は、先生たちががんばって教えても、塾に通っても、数学や英語の理解が及ばないようだった。
※彼女のお兄さんは国立高校→東大だったけれど、妹の勉強ができないのが恥ずかしいといって一切勉強を教えてくれないといううわさがあった。
彼女たちの役に立ちたくて、とにかく勉強して、教えられるようになった。
中学2年後半から高校入試が終わるまで、昼休みや放課後は数学、いや算数? 数字の概念? それと英語の構文とは何か、みたいなことを毎日彼女含めた数人相手にしゃべくっていた。教えるというより、話す、語る、しゃべる。
高校も大学も、その後の就職も、あの子に理解してほしくて覚えてきたこと、理解してもらうための努力の方向性・忍耐、そういった教えるための技術・教えられるようになるための技術で潜り抜けてきたと思う。
誰か好きな人一人のために、がんばってみるとかはだめかな。
あいつと会話できるところまで行きたいとか。
一人のためなら、コミュニティに入ったあとで何かすれ違いがあっても、コミュのなかでがんばるモチベーションは途切れないと思うんだよね。
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追記
爆笑問題の太田は、大学に入ったとき友達がいなくて、いつでも人がまわりにいる田中に学べば友達ができると思って、彼とくっついたらしい。
友達や仲間の作り方なんて、そんなんでいいと思う。
戦争や内紛のさなかとかでなければ、本当にほしいもの、生きていくのにどうしても必要なものって手に入らないはずがないと思うよ。
と、元記事を馬鹿にしてたら、
今度は「高専を行くのはやめとけ」という超ネガティブな元高専生の寄生記事が新着に上がってきた。
http://shimobayashi.hatenablog.com/entry/2013/08/06/高専はすごいかも知れないが行くのは止めてお
クラス替えも何も学校それぞれだろ。。。高専には狭い単位での専門のくくりがあるのかもしれないけど、
例えば高校に入ったまでなら、5年分の学生が居る分、普通の高校より"ムラ"はでかいし、
編入する事も出来るし。
つまりはひきこもり気質なキモイ人間だと言うことはよくわかった。
ってか、高専って、高校の中では結構偏差値高い方だと思ったんだけど違うのかな。
勿論、都内にあるような進学校と比べたらあれだけど、
子供のころ、というか思春期にイジメられていた。小学校4年生のときがいちばんひどくて、クラスの男子にも、女子にも、先生にも味方がいなかった。学校でも家でもひとりぼっち。理由は、私に発達障害があったから、だと思う。いまでも人間関係はひどく苦手だ。
5年生になってクラス替えがあって、イジメは少しましになった。マシになったもう一つの理由は、4年生の最後の日、担任が「◯◯さん(私)は一年間よくがんばりました」とか学級会で言ったからかもしれない。あのときの気持ちはたぶん一生忘れない。晒し者にされた気がして屈辱的だったし、なんか自分がその場にいないみたいにものすごくしらけて、なんだよ、いじめに気付いてたのかよ、って二重に裏切られた気持ちになった。イジメに気づいてなかったんなら、許せた。でも、この大人は、私が一年間傷つき続けるのを、ずっと見てたんだ。見てて、何にもしなかったんだ。
まあ、それはいい。そのあと、イジメの中心だった女の子から謝罪の手紙をもらったりもした。そのとき自分でもびっくりするくらい、何にも感じなかった。いじめっ子に勝った、ていう喜びも、今さら何を言ってるんだっていう怒りも感じなかった。あのころの私の心は完全に死んでたんだな。もうなんにも感じなくなってた。
でも、とにかくこのイジメ体験で懲りて、自分を守るために少し社交的になった。仲の良い友達もできた。女子からのイジメはなくなったんだけど、からかいや蔑みという形で男子からのイジメは続いていた。イジメで一番傷ついたのはこの頃なのかもしれない。
そのころみんな思春期真っ盛りで、誰が誰を好き、とか誰が一番人気とか、男子も女子もそんな話ばっかりしていた。人気者って言っても、子供のことだから、みんなが可愛いとかかっこいいというのに乗っかってわーわー言っているだけだったんだけど。で、学年で2,3人スター並にモテる子がいた。それがたまたま私の仲のいい子だった。
いつも仲のいい友だち3人でいたんだけど、一人がとにかくすごく人気があって、もう一人もけっこう人気があった。だから男子がいつも寄ってくる。寄ってきて、おしゃべりをするんだけど、あとの二人と私に対する態度がぜんぜん違う。あとの二人をちやほやしまくって、返す刀で私を落とす。それまでニコニコしてた男子の顔が、私がなにか話した途端豹変する。「誰がてめーなんか好きになるかよ。キモいんだよ」
そんなことが続いた。言葉でも態度でも。悲しかった。世界中に味方が誰もいないって感じてたときより、辛かった。今思えば、心を開いているときのほうが、人って傷つきやすいんだよね。
イジメって集団のなかの序列づけっていう機能がある。毎日、毎日、そうやって自分の序列をすりこまれていった。私の友達は上位、私は最下層、気がついたら、自分のことを醜くて、汚くて、不潔で、キモくて、誰にも愛されないモンスターだと感じるようになっていた。もともとアスペで言葉を額面通りに受け取りがちだったしね。中学入る頃には立派な醜形恐怖症のできあがり。私は醜いんだ、誰にも愛されないんだ。でもすこしでも、人に不快感をあたえないようにしなくちゃ、いつもニコニコしてなくちゃ。仮面みたいにほほえみを顔に貼り付けて生きてくようになった。その後いろいろあったけど、割愛。
なんでこんなことを思い出したかっていうと、この頃の体験に今でも自分の恋愛観が影響されてるって気付いたから。私には今でも恋愛を序列で見る癖がある。自分の序列より上の男性を好きになってはいけない。もしそんなことをしたら何をされても、どんなに傷つけられても、みんなに嘲笑されても仕方がない。そんな感覚がどこかにある。一方で、好きではない男性に告白をされると、とても落ち込む。私なんかを好きにさせてしまってごめんなさい、って思う。だけど同時にその男性が気持ちが悪くて仕方がない。その気持ち悪さってなんなんだろうなって思う。多分「私なんか好きになる価値なんてない」という感情と、「私はこの程度の男性にしか相手にされない、価値のない女なんだ」ていう感情がアンビバレントに絡まり合って、訳わからなくなってるんだと思う。だから、自分にとって魅力的な男性も、魅力のない男性も、同じように両方怖い。
人間に序列なんて、ないのにね。男にも、女にも。
小6の娘から「お母さん、仕事辞めて」 働く母親のジレンマ〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121112-00000006-sasahi-soci
これに対しid:kobeni_08がブクマ。
そもそも「成績で決まる塾の席順」がかなりカルチャーショックなんですけど… あと、受験勉強って母親が監修できるもんなのか?そんなことできる人のリソースが、もんすごい勢いで一家庭に投下されてるってのも…
いわゆるNバッグを背負っていた小学生として思うところがあるのでキーボードを打ち込むことにする。
毎週土曜日にカリキュラムテストという出題範囲の決まったテストが実施され、
総合得点の上位20人と算数、国語、理科、社会の各科目は上位5人はその結果が廊下に掲示される。
で、算数の授業では算数の、国語の授業では国語の成績に応じて、席順が教室の前のドアの横に貼り出される。
自分の教室では2人用の机が3列あり、黒板に一番近い真ん中の机の左から1位から順番に座る。
つまり黒板に近い生徒は成績がよく、教室の後ろにいる生徒は成績が悪いことが一目でわかるわけだ。
個人の成績表と全国ランキングもテストのたびに配られ、競争心を煽るあらゆる手段が取られていたと思う。
ただ自分たちはあんまりこの席順には執着していなかった。むしろ何ヶ月かに一度実施される公開模試、
この公開模試の結果によって席順ではなくクラス替えが行われるのだ。
自分の教室では成績がいい順に栄冠組、3組、2組、1組の四クラスあって、栄冠組とそれ以外では授業時間、内容と宿題がかなり違う。
親としては同じ学費を払っているのだからよりよい授業を受けさせたいから気合が入る、
自分としてはクラスが変わると友人や好きだった子と一緒にいられなくなるから気合が入っていたと記憶している。
学校での人間関係や親との関係が決して順調ではなかった自分にとって、塾でできた友人たちと休み時間や行き帰りに一緒にいられないのは想像するだけで恐ろしかった。
2,3週間くらい前からカリキュラムテストの勉強と同時進行で過去の公開模試や問題集をひたすら解いていた。
そのおかげもあってか自分は小学4年の時から小学6年を通じて栄冠から落ちることはなかった。
そういえば今でも好きだった子は年に一度くらいは夢に出る。
まあ初恋だったんだろう。元気にしているだろうか。
山のような宿題が課されるんです。ほんとに山のような。
中学受験が終わった時に今まで解いた問題集とプリントを縦に並べたら当時の自分の身長ぐらいあった。こんな量を小学生に管理させるのは無理。
そうなると母親が監督になるしかない。母親が監督になるしかないのだが、母親が中学受験の経験がないと、上位校にいくのは厳しいのではないか。
実際母親の”受験ママ友”の学歴とその子供の受験結果を思い出すと相関はあると感じる。
ノウハウの蓄積の差や、子供に指導するときの説得力の差は大きい。
母親が今までの人生でやったことがないことををやれ、というよりも自分もできたことだからお前もやれ、という方がまだ納得しやすい。
それとママ友は共働きより専業主婦の人が多かったはずだ。共働きだと遊びたい盛りの小学生を週4、一回3時間近くの塾通いをさせ、宿題とプリントを管理し、
最も集中して勉強する金、土、日につきっきりで教えるのは難しい。この上家事もやるわけで…
この娘はそんなに勉強して将来どうするの。
↓
↓
収入と家庭の安定はそれなりに相関する
↓
家庭の安定は家庭の幸福にそれなりに相関する
と自身は思っている。
中学受験はあくまで通過点だと言うことはわかっている。上の相関だって絶対ではない。ただ何もしないよりかはマシではあると思う。
2月1日まであと3ヶ月を切っている。がんばれ受験生。
自分にとってのトラウマは、他人にとってはとってもいい思い出だったりするんだよね。
というか、高校2年の時の記憶全て、思い出したくもない。
それまでは、それなりに仲良くなれる人がクラスに必ず数人いた。
だけど、その年だけは違った。
ギャルっぽいノリのねーちゃんたちの中に、内気な女子(オタク)が混ざったと書けば、
仲いい友人はみんな文系コース。自分だけ理系。そりゃークラスが違って当然だ。
仲いい友人はみんな放送部。自分だけ演劇部。部活での接触だってない。
(ただ、進路選択も部活も、自分の選択を後悔したことはありません。やりたいことはやったので)
実際のクラスに行ってみなきゃ分からない!と思って始業式に臨んだけど、見事に波長が合わない人ばかりでまた泣いた。
「元2年2組はとっても仲が良かったって聞いたよ!毎年同窓会してるんでしょ?」
一度も呼ばれたことねーよ。
最後にクラス冊子を作ったけど、本当に書くことないから呪いの言葉を一行だけ書いて出した。
このクラスでいいことなんて一度もなかったって書いてさ。
こんな自分でも冊子をもらったけど、中身を見たら、妬ましくて憎くて仕方なくなって、その日のうちにばらばらに切り裂いて捨てた。
青い海の沖縄へ、3泊4日の旅。
1年生のときにさ、仲いい友達数人と約束してたんだよ。同じグループになろうねってさ。何度も確認したんだよ。
結局駄目だったけど。
実際はただ忘れていたんだと思う。裏切りとかではないと思う。
仲良しの友人らは、新しいクラスの友人らと一緒にグループを組んでいて、私の入る隙間なんてなかった。
どこのクラスにも、イマイチ雰囲気に馴染めない「余り物」っていうのが存在する。
自分たちがどことも馴染めない、どこからも必要とされていない存在だっていうのが悔しくて
(必要とされていない、は言い過ぎかもしれない)
余り物でもめっちゃくちゃ旅行楽しんでやるぜー!って感じで張り切った。頑張った。
力の差ゆえの理不尽な要求は呑まざるを得なかったけど、
(ギャルなねーちゃんに部屋の交換のことを言われたらNoとは言えなかった……)
それ以外ではもう吹っ切れて行動した。さすがに旅行前の下準備+3泊4日の間、行動を共にしていると、
今までそんなに顔を合わせたことのない面々もめっちゃくちゃ仲良くなった。
3日目の夜は最高に楽しかった。「私たちが一番楽しんでるよね!」とか言い合ったりした。
ここで終われば、いいお話だったね、で終わるだろう。
いつまでも引き摺る自分が女々しさこそ憎むべきだし、無くすべきだと思う。
最近、高校のときの友人(1年のときの仲良しな友人ら)とよく食事をする。
その度に、もやもやが広がっていく。そうだね、君たちは、何も気にすることなくただ楽しんだよね、きっと。
この前、「増田も同じ班だったよね、いやー、最高だったよね!」なんてことを言われたから、思わず
「違うから!私にとって修学旅行はトラウマだから!」と言って、話題そのものを断ち切ってしまった。
私にだって、楽しい思い出がたくさんあったのに、トラウマなんてことはないのに。
それと同時に、そんなに楽しかった思い出が、友人らの脳内では大変都合よく改変されていて、
なんといいますか、楽しければ記憶って曖昧になるんだなと思った次第でございます。
忘れたいのに未だに忘れられないトラウマと、忘れたくないのに忘れていく楽しい思い出。
逆だったら良かったのにね。本当に。
今朝目覚めたときにふと思い出して嫌な気分になったのでここに書く。
中学生の頃の話だ。
おれはクラスでは目立たない地味な生徒だった。
そもそもクラスで目立つのは、運動ができたり勉強が得意だったりイケメンだったり……まあそういう生徒なわけで、
そのどれでもないおれはクラスではすこし浮き気味の存在だった。
かといっていじめられていたわけでもなくて……。
地味なおれは同じように地味な子と友達になり、ひっそりと毎日を生きていた。
それでよかった。とくにクラスの人気者になりたい・目立ちたいという欲はなかった。
地味すぎて、二年生になっても三年生になっても、理科教師(担任ではない)に名前を覚えてもらえず、
たまたま「肌が白い」ことが共通していた別のクラスの男子(××)の名前で指されることが何度もあった。
そのたびに「いや~お前肌が白くて××と似てるんだよなぁ」と笑われたりして嫌な気分になった。
ちゃんと毎回授業に出ているのにね。
クラスでも「ちょ、こいつまだ名前覚えてもらってないのかよ(笑)」みたいな空気になって、とても恥ずかしかったことを覚えている。
さて、ここからが本題。
クラス替えの紙を見て、おれは愕然とした。
おれの在籍することになった3年3組のメンバーは、
見事に上で書いたような、いわゆる「運動ができる奴・勉強ができる奴」で固まっていたのだ。
おれと同じ地味な生徒はおれも合わせて4人だけだった。男子20人中4人……1/5。
そう、3年にもなれば、同学年の奴のことはだいたい把握しているものだ。おれだけでなく、
もうみんなそういう区別がつくようになっている。できる奴かできない奴か、どのグループに所属しているのかなど……。
それをさらにおれに思い知らせるように、
隣の3年2組の「運動ができる」男子がやってきて、3組のクラス表を見ておれにこう言ったのだ。
「いいなぁこのクラス。体育祭とか圧勝じゃん。すげー楽しそう。なぁお前、おれと替わってくんね?」と。
おれの顔は確実にひきつっていたと思う。いや、替われるなら替えてほしいくらいだ、と思ったのも確かだ。
そして、それよりなにより、やはり誰が見てもそういうふうに映るのか、と悲しくなった。
おれ以外の地味な生徒3人も憂鬱な表情を浮かべていた。
そんなわけで、
おれはこの中学最後の一年間、このクラスでやっていける自信はまったくなかった。
授業の合間の休み時間は、教室を離れて誰もいない所に行くか、机に突っ伏して寝るフリをするかの二択だった。
たまに、気まぐれにおれにちょっかいをかけてくる4/5の連中が嫌で仕方なかった。
向こうからしたら「かまってあげてる」程度の認識だったのかもしれないが。
そんなおれでもなんとか毎日ひっそりと学校生活を続けて……(体が弱いということもないので、毎日学校に通っていた)、
修学旅行は基本、班行動であり、その班構成によって修学旅行のすべてが決まるといっていいだろう。
おれはおれ以外の地味な3人と同じ班になることもなく(最初から諦めてたけど……そんなうまくいくわけがないって)、
気が合わない、ほとんど話したことのないヤンキー(でも運動ができてイケメン)とデブ(太ってるけどクラスの人気者)と同じ班になった。
修学旅行当日。
事前に立てた計画通り、この班でいくつかの寺社を巡った。
雨が降っていたな、そういや。
今ならもっと楽しめるのだろうが、当時のおれはお寺とかそういうものにまったく興味がなかったので、
なんで京都まできてこんなところ歩かなければいけないんだろ、と思っていた。
道中、同じ班のデブに声を掛けられた。
なんだろうと思ったら、そのデブは
「今夜さー、寝る時、お前とか××(おれ以外の地味な3人のうちのひとり)とかハブられると思うよ~」と
無邪気に言いやがった。
ちなみにおれのクラスの男子は2部屋に分かれて就寝するということで、2グループに分けられていたのだが、
おれの寝る部屋にはおれとその地味な3人のうちのひとり以外はヤンキーやデブの仲間しかいなかった。
おれは「ああ、そう。ふーん、別に……」とか、さして問題じゃないようにふるまった。
心の中で、そんなの言われなくてもとっくにわかってるよ……と呟いたりして。
そんなこともあって、旅館に着いても憂鬱だなぁ……とぼんやりと駅のホームで電車を待っているときのことだった。
そのホームではいくつかの班がクラス関係なく合流し電車を待っていたのだが……
おれがぱっと見一人にいるように見えたのだろう、1組の男子Yがやってきておれに声をかけた。
その1組のYは、学年で人気投票をとったら確実にベスト3に入るほどの超人気者だった。ま、スポーツもできるし超イケメンだから当然だけど。
おれとそのYは小学5、6年と中学1、2年で同じクラスが続いたので、何度か話したこともあり、
おれ自身、Yのことを「おれみたいな地味な奴とも話してくれる、いい奴。さすが人気者だなぁ」というふうに思っていた。
で、雨の中長時間歩いたこともあり、上のデブの発言もあり、おれはちょっと頭が痛くてぐったりしていて、
声をかけてきたYにも「いや、ちょっと頭痛くて……」みたいなことを話していたら、そいつがやってきたのだ。
そのKとおれは、同じ小学校に通っていたというだけで、一度も同じクラスになったことはない。
そのKはYと同じ部活に所属し、クラスのボス的存在だった。ちなみにKは5組、Yは1組ね。
KはYと親しいので、Yに「よお」とか挨拶してきた。
そこでようやくKはYの隣に立っている、暗い表情のおれに気づいた。
そしてKは言った。
「あ、おれこいつ嫌いなんだよね」
え?
耳を疑った。
頭の痛みのせいか、ぐらぁと体が揺れるのを感じた。おれは突然のKの発言に呆然とするしかなかった。
なんで?
おれなんかした?
Kと関わったことなんか一度も無いのに。
ていうか何その言い方。
まるで虫を見つけて「あ、おれこの虫嫌ーい」と言うような、軽い感じ。
いきなり向けられたKの敵意に、おれは吐きそうになった。
隣にいたYが「そういうこと言うなよ~」と笑って返していたが、それもショックだった。
ああ、その程度なのか……と。
怒ってくれとは言わないが、なんていうか、もうちょっと真面目に返してほしかった。
あとになって、このときのYのことを思い返して複雑な気持ちになった。
超人気者のY……もちろんおれもYのことを人気者として認めていたし、いい奴だと思っていた。
それでもあの場でのああいう対応に、おれの理想のYとのギャップを見た気がしたからだ。
幻滅したといっていい。
「あ、おれ、班の人のとこ行かなければ」と言いながらその場を去った。
その夜、ハブられておれと地味な3人のうちのひとり以外が
部屋で騒いでることなんかどうでもよくなった。
こうして書いてみても、いまだにあのときの嫌な気分は消えない。
Kに言われたときのことは今でも鮮明に思い出せるし、今朝みたいにふとしたときにフラッシュバックする。
おそらくKは言ったことを忘れているだろうけど。
こんな、いじめとも呼べない体験ですら10年以上経っても心に刺さるんだから、
今いじめられている人たちは卒業してからももっとツラいんだろうなと思った。
嫌なことは簡単には消えない。
どうすればKのことを払拭できるのか……まだわからない。
おれは今後もたまにKのことを思い出しては嫌な気分になるのか。
都合よく嫌な記憶を消してくれる人もいないし。
あーあ。
よくあること……でも、本人にとってはそうは思えないんだけどね。
K、見てるか?
お前のトゲは今もおれに刺さってるよ。
クリティカルヒットを与えてしまい、逆にそのことを根にもたれるようなって、小学校を出るまでいろいろな場面で困った。
なので、変に反撃に出るってのも考え物だと思う。
反撃して決着がつけばいいけど、逆に負けちゃって余計に立場が弱くなることだってある。
子分になって服従する関係性ができればいいのだが、子分じゃなくて搾取先でしかないのだ。
先生に申し出るのも、賭けだ。
先生の対応如何では、妙なクラス会議になって、逆に悪い立場に追い込まれることもある。
親も何らかの組織の一員なので、その後ろ盾が弱い立場にあるときは、それなりの効果しかない。
先生だってただのサラリーマンだ。聖職者ではない。残念だが、強いものには弱いんだ。
子供対子供の関係性だけでなく、親の所属する組織、宗教、政党、地縁のような目に見えない属性があり、それらの力関係もすべて、子供たち同士の関係性に否応なしに入り込んでくる。子供にはがんばる競争を煽っておきながらも、勝者はあらかじめ決まっているんだ。
ちょっとしたつまらないことで揚げ足をとられて、追い込まれる。
いじめる側は、そのつもりがなくても組織的な行動を証拠なしにするだけでいじめ状態に追い込める。
そんなのに個人で立ち向かうのは困難だし、クラスという枠組みが変化するまでその関係は固定化されてしまう。
クラス編成の運がいいか悪いかの問題でしかない。番号順に並んで前後のヤツは、苗字の五十音の近いヤツだ。阿部君は一番前のほうで、渡辺君は、一番最後だ。「あ」で始まる名前は大変だ。第一声で空気をつかまないといけない。そんな理不尽なことは運の一言で片付けるしかない。
クラス替えまで我慢するとか、卒業するまで我慢するというのが、一番だった。
図書室でも保健室でも逃げ込めばいい。そっちのほうが絶対に楽しいぞ。
とにかく、学校という枠組みを自分の人生のメイン作業からはずして道を見つけよう。
大人になってからのいじめのほうがより巧妙かつ合法的に行われるのだ。
ブラック企業なんて、その最たるものだし、パソナルームなんてお仕置き部屋や望まない配置転換だってある。
結局、ある程度の多数があなたを望まないときは、いったん身を引いて、新天地を求めるしかない。
シビアな判断を要求される場面で迷ったときには、みんなが笑顔で卒業できるか、何年後かの同窓会を楽しく迎えられるかと考えるといい。
会社だったら、円満に退社して、送別会をやってもらえるように行動するしかない。
いじめる側もいじめられる側も常にうまい上がり方を考えて、大人に振舞うしかない。
先に断っておくが、このエントリでは当事件の事実関係や市や学校の対応、ネット上の意見などに一切関与せず、「いじめ」と「自殺」について個人的な意見を述べるものである。
滋賀県大津市で起きた男子中学生の自殺を巡って世間に様々な声が上がっている。
Twitterを眺めていても、数は少ないながらも多種多様な人たちが共存する僕のTL上ではこの件を巡って、「いじめ」あるいは「いじめと自殺」を巡って活発な意見交換が行われており、日々感服するばかりである。インターネット上において「いじめ事件」が大々的に取り上げられるのは何も昨今に限った話ではない。何年も前から日本の各地で痛ましい「いじめ」についての事件が起こるたびにインターネットではそれについて激しいレスポンスが生まれてきた。それらは基本的に「いじめ」について批判的な意見なのだが、時にそれらは過剰すぎるといっていい反応に発展し、自称「正義の味方」たちが暴走したりすることはあるいみネット界隈においては日常茶飯事であった。僕自身は事件の経緯や事実関係などとはまったく別に、それらの激しい反応が巻き起こるたびに辟易したことを覚えているが、ここ数年でその状況は大きく、とは言わずともかなり変化したと考える。一昔前なら、こういった痛ましい事件が起きた場合、インターネット上での反応はほぼほぼ一種類だった。すなわち、「いじめた奴をぶっ殺せ」である。もちろん、言葉や表現、論調や論点の違えど、その大体は「いじめた奴をぶっ殺せ」だった。もちろん、感情論で言えば、そうだ。だが、はっきり言ってしまうが、今回のような「自殺」というキーワードが俎上に上がるほど苛烈で、悲惨な「いじめ」の事例に関して言えば、そんな短絡的な方法では問題の根は解決しない。
それはなぜか?
答えは単純である。
たとえ「その子」をいじめた連中が全員死のうが、少年院送りになろうが、ネットで晒し者になろうが、
いじめられた「その子」はもう大概「普通の人生を普通に生きる権利」を奪われているからだ。
何年か前に話題になった「いじめられているキミへ」の寄稿文らしいのだが、思うところあるので引用させていただく。
死なないで、逃げて逃げて
あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。
あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって、会社がいやになったら、会社から逃げているのです。
次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。
そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。 それでも、あなたの親があなたを無視するのなら、学校あてに送りましょう。あなたをいじめている人の名前と、あなたの名前を書いて送るのです。
はずかしがることはありません。その学校から、ちゃんと逃げるために、「遺書」を送るのです。
死んでも、安らぎはありません。死んでも、いじめたやつらは、絶対に反省しません。
だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。
あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。
僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
どうか、勇気を持って逃げてください。
「いじめられる方に問題がある」
最早時代錯誤過ぎて目が泳いでしまうようなおサムい台詞だが、これはわりと最近まで(ここ重要)いじめられっ子に対する教師や親の言葉として一定の説得力を持っていたことは悲しいことながら事実である。
んなワケねーだろボケ!!
「いじめられる方に問題がある」
→まず、これは最も頭が悪い意見だ。が、実際のところ「なぜいじめが起きるのか?」という答えに対して、ほとんどの人間がこの馬鹿みたいな空虚な言葉を目を伏しがちに言うのである。いいか、それは断じて違う。なぜかといえば、この論理は、「いじめられる」と「問題がある」というふたつの出来事が、あたかも因果関係があるかのように触れられているという点だ。「あの子には問題がある」→「だからいじめられる」という理屈だ。だが、こんな馬鹿な理屈があってたまるだろうか。確かに、人間だれしも社会的な人間関係を営むに際して「問題」を抱えているものだ。「空気が読めない」とか「性格が悪い」だとか「ええかっこしぃ」だの、はっきり言って枚挙に暇なんかない。そして、その「問題」を抱えていない人間も、この世界には一人もいない。誰だってできる限息がしやすい場所、陽の光があたりやすい場所にいたいと思うし、少なからず利己的になることだってある。もしくは、そもそも人間関係を営むことについて不得手だったり、嫌いな人間だっている。それは「社会的な(笑)」観点から言えば問題なのかもしれない。気に入らない人間だっているかもしれない。はっきり言えばムカつくかもしれない。だが、それだって仕方のないことだ。どうやっても自分には受け入れられない性格の人間というのは存在するし、そういう人間とどうしてか同じ空間で過ごさなくてはいけない場合だってある。そういう場合はもう、仕方のないことだから、適度な距離をとって「うまくやる」しかない。それはもう、どうしようもないことだ。だが。だが、である。
「(自分にとって)その人に何らかの問題があったから」といって、その人をいじめていい理屈なんかこの世界のどこにもないんだよ。
仮に、ものすごく性格がよろしくなくて、みんなに鼻つまみ者にされている人がいたしても、それははっきり言ってしまえばその人の「問題」だ。
社会的な営みをする以上、共同体において「邪魔」な存在というのはどうしても出てくる。それも仕方のないことだ。
もっと具体的に言えば、共同体において「ぼっち」の存在が生まれてしまうのはごく自然なことであり、それ自体は何の問題もない。
何のことはない、単にその人がその共同体に「合わなかった」だけの話だ。その「問題」ということについてだって、現実世界側のインターフェースが引き起こしたバグのようなものだと考えればたいしたことはない。コミュ障? キモメン? んなことは別に「問題」じゃない。もしそれで自分にコンプレックスやルサンチマンを抱えている人たちがいるのならば、もう素直に意識を別に向けるべきだ。今はインターネットという素晴らしい道具があり、その他にも数えきれないほどの環境や世界がある。はっきりいって現実世界なんかあまたある世界の表層のひとつにすぎず、僕達が保持している肉体はたんなるいちインターフェースに過ぎないわけである。だから、「あ、ここ自分には合わないな」と思ったらさっさと身を引いて別のコミュニティなり世界なりを探すことが自分にとっても相手にとっても健全だ。
だから、もし「いじめ」られている子がいるのであれば、その場から黙って去ることが最善の索なわけである。
僕は、「いじめられる方に問題がある」とも、「いじめる方に問題がある」とも思っていないので、「いじめ」が起こりそうな状況になったらデウス・エクス・マキナよろしく「席替えたーいむっ!」とする方がいいと思っている。
ならばこそ、すべての「いじめ」は上記の引用文のように「逃げて逃げて生きる」ことをすればある意味解決するのではないかと思われる方もいるだろう。
だが、そうは問屋が卸さない。というか、そんなにこの問題が単純であればこんなに酒によった勢いでエントリを書いていないわけで、ここからが本題である。
問題は、「逃げて逃げて生きた」として、その子が「普通の人生を普通に生きる権利」は依然として不当に奪われたままであるという点にある。
確かに、いじめられて、その結果自ら命を絶ってしまう事例があったとしたら、そんな悲しい話はない。
だが、それにもまして「逃げて逃げて生き抜いた」としても、そんなものは「死ぬ」のちょっと手前くらいの選択肢であり、最後の手段なわけである。
一口に「逃げる」と言っても実に様々な手段がある。
不登校になる、引きこもる、グレる、転校する、引っ越す、留学する……いろいろだ。
だが、どれにも共通しているのは「確実に人生が狂った」という厳然たる事実だ。
もし「いじめ」なんかがなければ、「その子」の人生が外的要因によって狂うことはほとんど無かったはずだ。
自分の命に対する自衛手段として、上記のどの手段をとったとしても、その子の人生はその時点を以てルナティック・モードにとつぜんモードチェンジする。
不登校にしろ引きこもりにしろ、その延長線上にあるのは学校の中退であり、すなわち人生の落伍である。「学校を辞めたくらいで『人生\(^o^)/オワタ』だなんてとんでもない!」とおっしゃるかたもいるだろう。じゃあ逆に言ってやる。あなたも、今の仕事なり学校なりを今すぐ辞めてみろ。転職のあても、転校のあてもなく、たったひとり殺伐とした世界に取り残されたとして、「よーし! 人生これからだぜ!」と思えるというのか。ただでさえどん詰まりの袋小路に迷い込んだこの現代日本で、大卒の就職率が5割だとか6割だとか言われている時代に、無職の高校(中学)中退者が「普通の人生を普通に生きる」ことができるというのか? 立場を変えて発言しよう。僕が中小企業の採用担当だったのなら、昼食無職職歴なしの人間なんか、なにがどうあっても採用したくない。感情論なんかじゃない、ごく合理的な数理的な判断だ。
転校だって引越しだって、かなりハードルの高い「逃走手段」である。というのも、なによりもまず、家族の協力が必要不可欠だから。
親御さんだって、もしかしたら仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、お金の問題だってある。少なくとも「普通の人生を普通に生きていたら」かかる必要のなかった負担を負わなくてはならない。要するに、この時点で「いじめ」というのは「いじめっ子」と「いじめられっ子」の問題ではなくなるのである。ちょっとした「ムカつき」や「面白半分」が、一人、ないし数人、いや、ともすればもっと大規模な人間の「普通の人生」を狂わせるのだ。これが「いじめ」が「普通の犯罪」なんかよりも数段質の悪い点だ。「窃盗」であれば、早い話盗まれたお金が戻ってきて、犯人が警察に検挙されればひとまずは解決する。「器物損壊」だって、家裁か何かで妥当な損害賠償が請求されればそれ以上の発展はない。被害者にとってはたまったものではないが、少なくともそれ以降は「普通の人生」を送ることは可能だ。だが、「いじめ」に関しては――はっきり言ってしまうが――いかなる手段をもってしても、すでに起こってしまった「いじめ」を、それが発生するより前の状態に復元するのは不可能だ。いや、これについては語弊がある。「いかなる外部からの干渉をもってしても」いじめの根本的な問題は解決などしないのである。教師がいじめっ子に謝罪をさせたり、クラス替えをしたり、退学や停学処分をしたとしても、「いじめっ子」が「いじめ」たという事実は消えやしないし、「いじめられた子」が「いじめられた」という事実だけは覆しのしようがないし、取り返しも、補填も、まったくできやしないのだ。
「いじめた側が、本気で反省して、その後の人生のすべてをかけていじめた子が『普通の人生を普通に生きられる』ように全力で奉仕する」
より陰湿化が進む現代のいじめにおいてこんな奇跡みたいなことが果たして起こるのかどうか、僕は知らん。多分、99%の確率で起こらないだろう。
世の中の90%のいじめは、「なんとなく」「特に理由なく」「おざなりに」して、審判のホイッスルなくして「終わったっぽい」感じで終わる。
理由は分からない。とりあえず、台風が温帯低気圧になって北海道の上の方に消えて行くように、いつの間にかなくなってたりする。
残りの9%は「いじめられた子」の自殺なり「逃走」によって終わる。なんとも救いのない話である。
もしあなたがいじめられていることに対して何か負い目を感じているのであれば、とりあえずそれは忘れてください。
自分がいじめられることに対して、「仕方ない」だとか決して思わないでください。
あなたも生きている人間ですから、人間関係について至らない点、至らなかった点だっていくつかあるでしょう。
ですが、はっきり言いますが、そんなことで、地球上の誰一人だってあなたをいじめていい理由なんかにはならない。
あなたが、あなたの人格や過去の行動、家庭環境や趣味嗜好、思想信条によって、いじめれていい理由など、これっぽっちも、ありません。
そして何より、あなたは、「普通の人生を普通に生きる」権利を持っています。
そりゃあ、誰もがオリンピックに出たり、アイドルになったり、東大に入ったりはできないのも事実です。
ですが、本当はそんなことはどうだっていいんですよ。
あなたは、学校帰りに友達とマックに行ってダベっていいし、家に集まってモンハンをみんなでやっていい。
絵を描いて褒められていいし、ご飯が美味しいと感じていい。かわいい女の子を、かっこいい男の子を好きになっていいし、告白して振られて泣いたっていい。
好きなアニメを見て、好きな本を読んで、好きな場所へ行って、眠くなったら寝て、眠くなくなったら起きて、生きて、生きていいんです。
普通に勉強して、普通に進学して、普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供ができて、普通に生きて、普通に生きて、普通に死んでいいんです。
もし普通が嫌なら、人一倍頑張って、自分が特別だと思える人生を手にいいれればいい。
ですが、それ以前に、あなたは、およそこの国の人間が「普通だ」と感じているあらゆることを手にする権利を持っています。
だから、あなたは自分を責める必要などまったくない。あなたは何も悪くない。もっと言えば、あなたをいじめた人間すら、悪くないのかもしれない。
僕には起こってしまった「いじめ」を解決する魔法のような手段はしらないし、これから起こるであろう「いじめ」を未然に防ぐ奇跡のような手段も知らない。
だけど、あなたが、「いじめられて損なわれた」からといってあなたが「普通に幸せと感じられるような人生」を生きる権利を失ってしまったわけではありません。
だから、自分勝手なことを言えば、本当はあなたは「逃げて、逃げる」必要なんてないんだ。表面上は「戦略的撤退」をする必要があるかもしれないとしても、
あなたの人生が「嵐のような不運」によって損なわれ、汚され、失われる必要などない。
それどころか、あなたは、その「普通の人生を普通に生きる権利」を人一倍、もっともっと今まで以上に傲慢に、尊大に主張していいんですよ。
「いじめられた」ことを理由に、あなたが自ら自分の可能性を閉じてしまう必要なありません。
もっと自分勝手に、生きればいい。でも、引きこもってもいいことは「何も」ないので、何かしらのキッカケで外にでるといいと思うよ。
そんでいまいじめてるお前。
まー今のお前なんかには分からないだろうけど、お前のやってることはおよそ人間がなす行動のうち、もっとも悪辣で、非道で、無意味なことだからな。しかし人間ってのは残酷だよな。自分の利益にならないことでも、何かのキッカケさえあれば、人を嬉々として苦しめることができるんだからな。俺はお前のことなんか知らないし、お前の生い立ちや人生観なんか知らない。お前が何かお前の中で正当な理由をもって「それ(とあえて言う)」をやってるとしても、それも知らん。だが、結果としてお前はお前と同じ、一人の人間の「普通の人生を普通に生きる権利」を「奪いかけて」いるということを考えろ。今日お前が美味しいと感じた夕食、今日お前が面白いと感じたテレビ番組、今日お前が楽しいと感じた帰り道。その子のそれら全部を、他ならぬお前が奪おうとしているっていうことを考えてみろ。俺はお前なんかに同情しない。お前の中にどんな理由があるにせよ、それはお前が「それ」をやる理由にはなりえない。なんの妥当性もないし、なんの解決手段にもならない。だからといって、お前が考えてること、感じていることがまったくの間違いであるとも言えない。だが、「それ」と「これ」とは別問題だ。お前の中でいかなる繋がりを持っていたとしても、それは、本質的なところで無関係だ。だから、やめとけ。お前がそいつのことを嫌いならそれはそれでいい。だったら関わるな。何もするな。意識を別のところに集中させろ。暇だったら黙ってオナニーでもして寝ろ。そんで、もしお前がかつていじめられっ子だったのなら、なおさら、やめろ。お前にも色々な事情があるのか知らないが、それはもう忘れろ。許さなくて良い。ただ、忘れろ。それ以外は何もするな。そんで、自分の好きなことだけ考えてろ。好きな本だけ読め。好きな音楽だけ聞け。好きな場所にだけ行け。好きなやつとだけ絡め。だから、決して「それ」を生きるモチベーションなんかにするな。そんな人生、悲しすぎる。
どうか気負わないでください。それを自分のせいだと思わないでください。
自分を無力だと嘆かないでください。自分を卑怯者だと罵らないでください。
何か特別なことをする必要なんかないんです。ただ、黙って、普通に、普通に接してあげてください。
いじめられている子が何より苛まれているのが、「ひとりぼっち」という孤独感です。
どんな暴力や陵辱よりも、「ひとりぼっち」というのは辛いです。
誰も味方がいない、誰も自分のことを助けてくれない、そういう状況こそ、危険です。
過剰なことなど何も必要ありません。ただ、声をかけてあげてください。
人の目が気になるのであれば、メールでも、なんでもいいです。
とにかく、その子を孤独にさせないでください。その子が、そこにいていいことを、示してあげてください。
めでたく、先月末で25歳になりまして、今日も曇天の空のもとcoffeeを飲みながら、みなさんの他愛ないお話に耳を傾けております。
男
私立大学文学部中退(就活決まらない、ストレスで卒論手に付かない、資金難のため留年不可)
容姿は悪くないけど良くもない 顔貌は整ってて適当に筋肉がついてお腹も出てないし髪もフサフサ(就活時は10円ハゲが二箇所できてたけど治った)
いわゆる転勤族の家系であり、学生時代に何度か転校した。6年に進級する際にも引越しして以来交友関係は冷淡になったと思う。転校先ではたいていすぐ仲良くなれるけど、本音ベースで付き合ってきた自信はない。
中学一年でいじめデビュー。 とはいうものの、陰口や嘲笑の類で暴力やモノ隠しなど、報道されるほど深刻ではない。十分我慢できる範囲だったと思っていたが抜毛症になり、これも嘲笑の的になる。このあたりで教師が感づき、「いじめ」とはっきり口にして以来すべてが収まった。決定的だったのはクラス替えだとは思うが。とはいえ良い教師でした。離任式を経て他の学校行っちゃったけど。
高校受験は失敗。地方住まいなので公立が強い。ろくに勉強しなかったので当然だけど(たぶん10時間もしてないと思う) そんな背景もあるけど、翌年には他学区の受験生が不当に不合格にされているという報道が受験先の高校を筆頭に問題となった。中学の成績は評定、内申点共に優秀だったようで、不合格は担任も残念そうだった。 ちなみに私がその受験校で、実際どうだったかは問い質していない。親は不満そうだったが。 ちなみに私立で一番評判のいい附属高等に進学。
高校でコミケデビュー。しかし、人ごみが苦手なので二回で引退。部活動に打ち込む。勉強との両立ができずに成績が落ち込み、やむなくエスカレーターに頼る。とはいうが、ハードルを下げればMARCH入れるよというレベルではあったので、たんに背伸びしすぎたのかもしれない。少しめんどくさい話になるが、エスカレーター先はMARCHより偏差値は低い。要はMARCHを狙える成績だったが、ホームページや実際に足を運んで見て、面白そうだとは思えなかったので、これならランク下げてもこっちのがよさそうだ、とエスカレーターを頼った次第。ここの選択は正しかったと今でも思っている。
大学デビュー。友達の毛色がこれまでと違い、ぼっち気味になる。が、似たような変態はいたもので、そういう変態とは最終学年までよくつるんでいた。教員にも恵まれ、心からおもしろいと思えることがいろいろあった。が、遅刻気味になり成績は凡。遅刻を気にしない授業では一番の評価は多かった。
そんなこんなで就活を迎えたわけだが、実際面接に進めたのは10社程度だった。私の頃にはもうテストセンターがあり、その成績は特に対策しなくても使いまわせる程度に良い点数だったと思う。そんなわけで面接にはほぼ確実に進めたのだが、どうもやはり態度がよろしくないというか性格がひねくれているというか鼻につくというか、まあ何かしらあって面接はてんでダメだった。それ以降は先述の通り。
大学を中退してからは一年ほどニートだった。少し頭を冷やせと親が面倒見てくれた。中退して今更何を頭を冷やすのか。ちょうど一年に差し掛かろうかというあたりで東日本大地震が直撃。無傷。それ以降は仕送りで貯めた額でとりあえず半年ほど生きて、バイトを始め、それからまた半年ほど経って慣れてきたのが今。
ない。あるわけないだろう。
バイトの分際で仕事はなかなかできるらしく上司からの評価もまずまずらしい(評価は面談で見せられる)。もしかしたら正社員になれるかもしれないが、周りのバイトのおっさんたちを見ると厳しそう。「バイトから社員になる動きが強くなっている」とはいうが、それは「私が正社員になれる」ことを何も保証しないし、「他人を蹴落として椅子が開くのを待たないとムリ」と別な上司からも言われている。バイトしながら就活をするにせよ、ここあたりの選択はかなり響きそうだ。
何が恐ろしいって、バイト一つで親に依存せず生活できているということだ。しかし切り詰めている。本来なら、普通に生活してなお将来のために貯金できていなければならない。今年から減免とはいえ奨学金の返済を始めようと思う(昨年は猶予)。これが加わるともう貯金なんてできない。じゃあもうひとつ掛け持ちしようか?日雇い短時間アルバイトをはさみながらならば、他のスケジュールを圧迫しないだろう。まあ、どんな生活しても無様な死に方しかしないだろう。親より先に死にさえしそうだ。
一人はアトピーがひどい女子で、もう一人はキモがられてる男子。
クラス替えで自分のクラスにその二人のうちのどちらかが居ると、一年間はその子だけがいじめられる。
絶対にいじめられない子というのも居て、かっこいい男子か、かわいい女子は、どのクラスになってもいじめられない。
お母さんと一緒に子供服のモデルをやっている女子が居て、その子が女子の中で一番有力。
中学受験の塾に行っていてスポーツもできてかっこいい男子が居て、その子が男子の中で一番有力。
私(ゆとり)の頃より学校が階級社会になるのが低年齢化しているように感じた。
いとこは「絶対にいじめられない階級の子」ではないので、自分の利益を考えるなら、「絶対にいじめられる子」に同じクラスになって欲しいだろう。
いとこが「絶対にいじめられる子」を救いたいと思うなら、「絶対にいじめられない階級の子」になるしかないだろう。
半端な階級の子が手を出すと、自分もいじめられるようになるだけで、「絶対にいじめられる子」をいじめから救うことはできない。