学校が嫌だったが、親は休ませてはくれなかった。
図工で絵の具を使うようになった時、今みたいに筆洗バケツは売ってなかったから
空き缶で作って用意するように言われた。
工作が得意な父が、250ml缶6本を針金で繋いで 取っ手も作ってくれた。
みんなそんな風に作ってもらっていたから、自慢とかしてない
なのに帰り道、いじめっ子に取り上げられ どぶ川に捨てられた
小2が入って取りに行くには 少々川幅が広めで、泣きながら追いかけたが
人通りもなく 缶の筆洗(水入れと言っていた)は流れていった。
40年もたったのに、笑いながら見ていた その2人の名前も覚えている。
一人は数年後病気で亡くなったが、もう1人は知らない。
中学の時、イケメンで何かスポーツやっていて モテていたのだけ覚えている。
泣きながら父に「水入れをいじめっ子に取られて、どぶに流された」と言うと
父は果物の缶詰の空き缶が2つ用意し、新しい水入れを作ってくれた。
あのいじめっ子2人が、あの件以来私にちょっかい出す事はなかったのだが
今は黄色い筆洗バケツが主流となって、見かけると思い出してしまう。
クラスの男子達のいじめ自体は、3年に上がってクラス替えになるまで続いた
担任は?何もしてくれませんでした。
最後の一行何の意味があったし
重松清の小説ネタパクんなwww