2013-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20130828090746

 私の経験からして、必死にした勉強が役に立たないことはないと思う。

 私は女でかつ発達障害。っつっても私がこどもの頃はそんな言葉もなかった。

 ADHD忘れ物落し物が多いので馬鹿にされて、なかなか友達もできなかった。

 特に男子からは、「女の癖に忘れ物をする」(忘れ物落し物おっちょこちょい男子にだけ許される特権らしい)ということでいじめられるた。

「成績がよくなれば、男の子はいじめにくくなる(自分より成績がいい女子いじめると、嫉妬だと思われてかっこ悪いので)」

といわれて、小4からとにかく勉強した。

 クラス替えで運よく仲良しができた。彼女たちが大好きだった。

 小中学校地区でも進学で有名で、多くの子国立か私立上位の高校を目指していた。

 でも私と仲良くなる子の半分以上は、そんなところは無理で、それ以前にまともな高校に行かれるの? というレベルだった。できる子は全国試験でも200位内とかだったけれど。

 できない子たちは暗記はできる。けれど、「仕組み」を理解できない。特に一番仲のいい子は、先生たちががんばって教えても、塾に通っても、数学英語の理解が及ばないようだった。

彼女のお兄さんは国立高校東大だったけれど、妹の勉強ができないのが恥ずかしいといって一切勉強を教えてくれないといううわさがあった。

 彼女たちの役に立ちたくて、とにかく勉強して、教えられるようになった。

 中学2年後半から高校入試が終わるまで、昼休み放課後数学、いや算数? 数字概念? それと英語の構文とは何か、みたいなことを毎日彼女含めた数人相手にしゃべくっていた。教えるというより、話す、語る、しゃべる。

 高校大学も、その後の就職も、あの子に理解してほしくて覚えてきたこと、理解してもらうための努力方向性・忍耐、そういった教えるための技術・教えられるようになるための技術で潜り抜けてきたと思う。

 誰か好きな人一人のために、がんばってみるとかはだめかな。

 あいつと会話できるところまで行きたいとか。

 尊敬できる人とかいないのかな。

 一人のためなら、コミュニティに入ったあとで何かすれ違いがあっても、コミュのなかでがんばるモチベーションは途切れないと思うんだよね。

 あと、勉強したことは一生無駄にはならない。

 学問から離れたとしてもね。

 経験財産

---

追記

 爆笑問題太田は、大学に入ったとき友達がいなくて、いつでも人がまわりにいる田中に学べば友達ができると思って、彼とくっついたらしい。

 友達や仲間の作り方なんて、そんなんでいいと思う。

 戦争や内紛のさなかとかでなければ、本当にほしいもの、生きていくのにどうしても必要ものって手に入らないはずがないと思うよ。

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん