子供のころ、というか思春期にイジメられていた。小学校4年生のときがいちばんひどくて、クラスの男子にも、女子にも、先生にも味方がいなかった。学校でも家でもひとりぼっち。理由は、私に発達障害があったから、だと思う。いまでも人間関係はひどく苦手だ。
5年生になってクラス替えがあって、イジメは少しましになった。マシになったもう一つの理由は、4年生の最後の日、担任が「◯◯さん(私)は一年間よくがんばりました」とか学級会で言ったからかもしれない。あのときの気持ちはたぶん一生忘れない。晒し者にされた気がして屈辱的だったし、なんか自分がその場にいないみたいにものすごくしらけて、なんだよ、いじめに気付いてたのかよ、って二重に裏切られた気持ちになった。イジメに気づいてなかったんなら、許せた。でも、この大人は、私が一年間傷つき続けるのを、ずっと見てたんだ。見てて、何にもしなかったんだ。
まあ、それはいい。そのあと、イジメの中心だった女の子から謝罪の手紙をもらったりもした。そのとき自分でもびっくりするくらい、何にも感じなかった。いじめっ子に勝った、ていう喜びも、今さら何を言ってるんだっていう怒りも感じなかった。あのころの私の心は完全に死んでたんだな。もうなんにも感じなくなってた。
でも、とにかくこのイジメ体験で懲りて、自分を守るために少し社交的になった。仲の良い友達もできた。女子からのイジメはなくなったんだけど、からかいや蔑みという形で男子からのイジメは続いていた。イジメで一番傷ついたのはこの頃なのかもしれない。
そのころみんな思春期真っ盛りで、誰が誰を好き、とか誰が一番人気とか、男子も女子もそんな話ばっかりしていた。人気者って言っても、子供のことだから、みんなが可愛いとかかっこいいというのに乗っかってわーわー言っているだけだったんだけど。で、学年で2,3人スター並にモテる子がいた。それがたまたま私の仲のいい子だった。
いつも仲のいい友だち3人でいたんだけど、一人がとにかくすごく人気があって、もう一人もけっこう人気があった。だから男子がいつも寄ってくる。寄ってきて、おしゃべりをするんだけど、あとの二人と私に対する態度がぜんぜん違う。あとの二人をちやほやしまくって、返す刀で私を落とす。それまでニコニコしてた男子の顔が、私がなにか話した途端豹変する。「誰がてめーなんか好きになるかよ。キモいんだよ」
そんなことが続いた。言葉でも態度でも。悲しかった。世界中に味方が誰もいないって感じてたときより、辛かった。今思えば、心を開いているときのほうが、人って傷つきやすいんだよね。
イジメって集団のなかの序列づけっていう機能がある。毎日、毎日、そうやって自分の序列をすりこまれていった。私の友達は上位、私は最下層、気がついたら、自分のことを醜くて、汚くて、不潔で、キモくて、誰にも愛されないモンスターだと感じるようになっていた。もともとアスペで言葉を額面通りに受け取りがちだったしね。中学入る頃には立派な醜形恐怖症のできあがり。私は醜いんだ、誰にも愛されないんだ。でもすこしでも、人に不快感をあたえないようにしなくちゃ、いつもニコニコしてなくちゃ。仮面みたいにほほえみを顔に貼り付けて生きてくようになった。その後いろいろあったけど、割愛。
なんでこんなことを思い出したかっていうと、この頃の体験に今でも自分の恋愛観が影響されてるって気付いたから。私には今でも恋愛を序列で見る癖がある。自分の序列より上の男性を好きになってはいけない。もしそんなことをしたら何をされても、どんなに傷つけられても、みんなに嘲笑されても仕方がない。そんな感覚がどこかにある。一方で、好きではない男性に告白をされると、とても落ち込む。私なんかを好きにさせてしまってごめんなさい、って思う。だけど同時にその男性が気持ちが悪くて仕方がない。その気持ち悪さってなんなんだろうなって思う。多分「私なんか好きになる価値なんてない」という感情と、「私はこの程度の男性にしか相手にされない、価値のない女なんだ」ていう感情がアンビバレントに絡まり合って、訳わからなくなってるんだと思う。だから、自分にとって魅力的な男性も、魅力のない男性も、同じように両方怖い。
人間に序列なんて、ないのにね。男にも、女にも。
男でそういうルートを通った奴って 長じて「恋愛」とか全然言わない人間になる気がするけど 女だとちゃんと恋愛したり告白されてごめんなさいしたりするようになるんだなあ 若い女...
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恋愛しなきゃ人間じゃないっていうより主人のいない奴隷はひどい目に遭う的な抑圧の方が近い気がする。 誰かの所有物でない女は犯罪被害にあっても「守ってくれる主人がいないよう...