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はてなキーワード: クラス替えとは

2011-10-06

不登校中学生彼女欲しい話

小学校の頃からぼちぼち学校行ってない。

中学校ほとんど行ってない。

そんでもって現在中3。かなりクズい。

学校行っていないが勉強してない。つまり頭悪い。

毎日ほとんど家にいて一日中インターネッツをしている。

プログラミングちょっとぐらいならできる。

RubyをやっていてCとかレイヤの低いことが大してできない。

よくOSとか作ってる人からdisられる。

英語分からん日本語情報がないとき困る、大変困っている。

もう10月なわけで、世の中の中学3年生は受験やらなんやらで忙しそうだ。

俺もそろそろ高校のことを考えないといけない。

そもそもまともに勉強していないから都内でも限られる。頭悪いかしょうがない。

定時制DQN巣窟というイメージがあるのでそれだけは嫌だ。

普通科に行ったらリア充生活できるのかもしれないけど、まあまた不登校になったらオワコンなので四部制の情報科にでもする。

そんなこと書いてもどうでもいいと思うので彼女欲しい話をしようと思う。

こんなクズがぐだぐだ書いても多分誰も読まないと思うが。

そんな俺にも彼女が欲しい。

どのくらい欲しいかってジョブズが亡くなって自分の手でAppleの新製品を発表できない後悔の念ぐらい彼女欲しい。

しかしよく分からない例えだ。

それはともかく彼女がほしい。

中学は中1の夏休みまで行っていたが、その頃に小学校からクラスメイトを好きになった。

もし友達と呼べるぐらいの関係ならクラスメイトとは書かない。

ずっと好きだし、今も好きなわけで、割と身元バレる前提で増田に書いている。

今まで2年半ぐらいこの想いをずっと伝えられないでいる。

リア充になりたい。

まあリア充になるには学校に行かないとならない。

俺は別に人間関係不登校になったとかなんだとかいありがちな理由で行かなくなったわけではない。

から行こうと思えば行ける環境にあるわけだし、実際最近行きたくなってきた。

あー学校行ったら好きなあの娘と話せるんだろうなとか毎日考えながらだらだら生きてる。

3年からクラス替えでまた同じクラスになったのに行かないのはすごくもったいない

クロックの低い年寄りHTCデュアルコア端末を使わせるぐらいもったいない。俺にくれ。

自分コンテンツ価値ある人間だとは全く思ってないが、せめてこの想いを伝えてから死んだっていいのではないか

14年生きてきたし今更死ぬわけにはいかない。せめて元を取らせろ。伝えてからじゃないと。

あーどうしたら伝えられるかなー

最近恐れていることがある。

ずっと好きだけどそのうち諦めがついたり今好きな娘よりも可愛くて優しい娘が目の前に現れたらどうするか。

もちろん今も好きだし、早く伝えたい。

からこそ伝えなくてはならない。

別にあの娘は俺のことなんかなんとも思ってないだろうし、もし少しでも考えてくれていたら嬉しいけど多分それはない。

でも考えてくれていたらなーとか考えるとあの娘にも迷惑だしさっさと伝えて片付けたい。

俺も早いとこ伝えてこの状況から脱出したい。

今年中には伝えたいけどやっぱり早ければ早いほどいいわけで、なんとかして伝えたいがなかなか勇気が出なくて伝えられないでいる。

なんだかなぁ

なんかここに書いたら少し気分晴れるかなと思ったらそうでもなかった。

何かツッコミがあればTB

追記

やっぱり学校行けと言われるのは当たり前か。

好きで行ってないわけじゃないから何かきっかけがあれば行けるんだけどなぁ…

111010 0:25追記

http://anond.hatelabo.jp/20111008133632

伝えられなかったら多分後悔するでしょうし、

想いを伝えてきもいとか言われていてもそれはまあ少なからず想定していないわけではないのでなんとかなります

むしろ何も言われないよりはきもいから無理とか明確な理由が分かったほうがいいので。

もうフラれてもいいのでさっさと伝えたいですね。

111019 0:39追記

俺があの娘を好きになった理由

小4のときの話。

そのころから不登校したりしていた。

そして、先生がやってくれたんだと思うのだが、俺にクラスの人が書いたメッセージカードとかくれたりした。

学校行けよ的なそういうあれで、あんまり不登校の人いないから聞けないけどだいたい経験あるらしいので割と普通にあるみたい。

その中に今の好きな人が書いてくれていて。

あれって全員分じゃないし先生勝手に決めたわけじゃないだろうし自分から書いてくれたんだろうなって考えてるうちに…

まずそれが違うなら俺の3年間根底から覆されるわけなんですが。

まあそれはもういい。

自分で書きたいと思って書いてくれたなんて少なくともやさしいんだなーって思うじゃん。少なくとも俺は思った。

こんなので好きになるの多分自分だけだと思うけど。リア充から見たらアホみたいに見えるんだろうな。

それを中1ですでに不登校になった9月下旬だか10月ぐらいに引き出しから見つけてなんか泣きそうになって、

やさしいんだな、そういえばけっこうかわいかったよね…とか考えてるうちに好きになっちゃった

なんかごめんなさい。

2011-07-05

仲良し機能とか

有名国産SNSサイトお話だよ。

仲良し機能は、マイなんたらが、本当に親しい人から知っているだけの人になって、表面上は関係性を保ちたいけど、実は冷戦だったり、破綻だったりと複雑な人間関係隠蔽するためのものなのかなと思った。

規約上あんまり若い子はいないと思ったけど、学校でいうと、ハブりとか仲間はずれとも言えるような気がした。

クラスでそんふうになったらいやだよね。学校クラス替えはあるだろうし、3年で終わりだから我慢しとけよ。

この機能を使っている人は、なんだか裏と表を使い分けているようで、なんだかなぁ

さっさとマイなんたらを解除すればいいのにね。

そんな疑念が思い浮かんだときSNSが結びつけていた思い込みの人間関係って希薄ものだと思った。

そんなふうに思った人は、ちょっとのぞく程度のユウレイ会員みたいなものになるのだろうけど。

この会社中の人ってこのSNSをほんとうに使っているのかなとも思った。裏切り機能みたいなのは精神衛生上よろしくない。

仕事で作っているものプライベートで使いたくないような気もするし、他社のSNSも偵察しないといけないだろうから、自社以外のものも使っているのだろうし。社長とか部長日記でお知らせとかしてんのかなぁ。社内の派閥ごとに仲良し機能がつかわれていたりとかさ。

長期的には徐々に人がいなくなってしまうんだろうなとニフの歴史を思い出してみたり。

押すボタンが多くなって、だんだんとめんどくさくなっているのは間違いない。処理できる情報量とそれを楽しめるしきい値バランスがよくないのかもしれない。作業ゲームみたいになると何をやっているのかわけがわからないよ

SNS日記に書こうかとおもったけど、そのSNSを心から楽しんでいる人に悪いので、増田に書いた。

2011-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20110625160826

まずはレスしてくれた人はありがとうございます

いじめ問題の話だからこそ、匿名で素直な意見の聞ける増田で書くのが適当だと思います

被害者が「許される可能性」を残すべきというのが甘いと言われるのは現状そう言われても仕方がないとは思ってます

事なかれ主義」で「問題はうやむやにすること」が美徳とされる日本で「許す」なんてことはできない。

学校内では、被害者は無言の圧力で許すことを強制されてる可能性が高いし、学校側は問題解決無しに加害者を許そうとしがち。

許す事=圧力に負けるという構造になってるならね。

(じゃぁ一般社会での、許される可能性を持つこと=甘い という事になるのはどういうロジックだろうか。

例えば食うに困ってした万引きも一生許されるべきではないのか。

それとも、他者を傷つけて著しく損害を与えた事例の場合、他者に与えた損害を同等の補償をすることが実質的に不可能だから、一生許されず償うべきなのか。)

一方で学校側と真逆ネット上では絶対悪VS絶対正義 みたいな対立軸になって加害者には何をしてもおkで中傷することに全エネルギーが使われる。

この乖離が問題で、片方は何も無しで許そうというスタンス(実際はどうか分からないけど傍からみるとそう見える)、もう片方は絶対に何があっても許すなというスタンス

個人的には「絶対に許すな」=思考停止だと思っていて、そこを乗り越えて「クラス替えをしろ(が適切な対策なら)」でもなんでもいいかメッセージを出す方が有益だろうと。

で、しかも滑稽なのは「絶対に許すな」っていってる人たちの大半がこの話が旬じゃなくなると、風の様にいなくなって別の話でお神輿担いでいるんですよね。

問題解決がしたかったら、学校側が動くまで圧力をかけ続けるべきで、学校が動いたら少しは許すべきなんですよ。

まり、「絶対に許すな」という人ほど問題解決には積極的でなくて、「許す余地」を与えている人のほうが問題を解決する可能性が高いのではないかと。

ただ、そこまで行くと現在匿名でゆるい連帯をもってリーダーが見えにくいコミュニティーでの炎上ではそこまでするのは不可能なので幻想なんです

あと、俺も過去いじめ経験しているから彼らを許さないけどこれは単なる私怨被害者のことなんてどうでも良いし正義なんてクソくらえ。と言われればこれらの話はすべて崩れ去ります

法律ではね。しかし、壊れて何も無くなった人にはその理屈は通用しなくなる

理屈が通用しなくて自分レイプしたレイパーレイプし返したらまたそれ相応の制裁が課せられるだけですよ。

学校学校先生に一体何ができるっていうの?

加害者に転校を促すとか、被害者加害者隔離するとかいろいろあるんじゃないかな。そういう事をするのが正しいならね。

学校がこの手の事件で良い方向に動くことなんてあったっけ

いい方向ってなんだろうか。加害者いじめ行為をやめて制裁を受けて、被害者普通の生活を獲得する事例はあるんじゃないかな。

>大抵「親呼び出しで話し合い」「形だけ謝罪させる」「泣き寝入りさせる」の3パターンしかない

炎上って、法律正論では解決できないか不法行為や中傷で制裁するしかない(キリ!。というデスノ的発想からも来てるよなぁ。

2011-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20110624220950

自分レイパーレイプされたんだから別のレイパーレイプしていいってことにはならないでしょう。もちろん自分レイプしたレイパーすら自分レイプする権利を持たない。

炎上必然的に発生する物だし、絶対悪だとは思わない。いい面も悪い面もある。

ネット上での度が過ぎる行為や単なる中傷いじめレイパーに対するレイプで、学校はこうすべきって具体的に憤ること=レイプ魔を糾弾するレイプ被害者の会だと思う。

問題解決無しに許せとは言わないし、最終的に許されなくてもいいけど、許される可能性を残すべきだとが大切だと思う。

非難の放棄ではなく、中傷の放棄。絶対悪の行為自体を弾劾するフェーズで終わらせるのではなく、被害者のために具体的解決策を考え圧力をかけることまですることが出来たら良い。

エンターテイメントとしての偽善から社会的正義の面被った偽善にできないかなぁ。ただそこら辺考えるとそもそも炎上人間本能で動いてるから社会正義で行動するなんて単なる幻想なのかなと。

炎上って学校からしたらすごい脅威なんだけど、炎上自体には「いじめた奴死ね」以外のメッセージが薄いから、炎上して学校側が萎縮することはあってもより良い行動や制裁をすることは少ないと思うんだ。

被害者の事を考えたら、クラス替えをさせるように学校電凸するほうが、加害者の家に電凸するより有益な可能性が高い。

でも、行われるのは面白みのある後者ばっかりで、それはエンターテイメント性が重視されるから

2011-05-29

高専への進学を考えている中学生とその保護者の方へ

私は某高専卒業したです

昨年、某国立大学の3年次に編入し現在大学4年生です

少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリットデメリット高専に向いている人、向かない人)をまとめました

最後高専入試がどのようなものかも書いておきます

高専への進学を考えている方に少しでも参考になれば幸いです

6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。

高専で学べること

まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校ですですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学したからすぐに数学英語国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります

もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校卒業してすぐの学生高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学からなにか特別なこと(例えばプログラミング電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。

ちなみに私のいた学科情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした

この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります

一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです数学英語国語はもちろん、物理化学生物地理歴史なども学びますしかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです地理歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。

逆に専門科目に直結する数学物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます

高専目的は「5年間でエンジニア養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです

専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。

また高専では専門や高校よりも高度な数学物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます

高専生活

高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的学生が集まっています。

6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがありますしかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的学生、と表現しました。もちろんアニメフィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはな環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽プログラミングサッカーアニメ、工作、麻雀カメラ、銃、ゲームバスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます

またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります男子女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校学科によっては1:1もありえるそうです高専ホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。

クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります

校風は自由で服装などの制限はほとんどありません。

また大半の高専には学生寮があります学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会したり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境した

6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事した。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。

部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます

もちろん体育祭学祭、寮祭などの学校行事もあります

その後の進路

高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです高専から就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人学生希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります

自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)

しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはなようです

さて、進学の方はといますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです

専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます

もうひとつ大学3年次(大学によっては2年次)編入です地元国立大学に編入する人もいますが、東京大学京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生東大京大に送り込んでいるところがあります。(各高専ホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです

6/1追記・普通大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月広島大学を受けて、7月筑波大学を受けて、8月大阪大学を受ける、など)複数の国立大学受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります

メリットデメリット高専に向いている人、向かない人)

メリット

・早くから専門をみっちり勉強でき、技術が身につく

・圧倒的な就職

大学編入も可能勉強次第で難関大学へも編入できる)

個性的学生が集まる

・自由な校風

就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる

高専卒は優秀、という一定の社会的評価がある(らしい

(6/1追記・編入試験で複数の大学受験できる)

デメリット

・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い

留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない

大卒とは昇進や昇給の面で待遇が異なる

女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます

・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです

普通高校が羨ましくなる

大学1、2生が羨ましくなる

高専に向いている人、向かない人

これまでの説明で高専いか普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます

高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました

しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます

高専入学するには

当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。

まず、高専への入学方法は推薦と学力試験の2つがあります

推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。

中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。

学力試験過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。

さいごに

中学生に戻れるなら、また高専に入りたい?」

こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。

中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください高専の雰囲気がよくわかると思います。

繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください


では、最後まで長文にお付き合いいただきありがとうごいました

2011-04-23

牛頭さんの中学時代

中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。

彼女言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないでしいと思った。知るのが怖かったのだ。

教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタート悪魔がせせら笑った気がした

はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。

昨日まで楽しかった学校拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。

私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期少年少女ありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。

無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。

2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものはない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。

私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。

血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界から情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。

無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活けが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。

オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このとき絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。

家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。

「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した

私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。

突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。

恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日目標ができて私は嬉しかった。

それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通ことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。

3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイト不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。

3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。

年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。

合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。

私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情ダムは決壊した

気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。

その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。

卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトアルバムに寄せ書きをした写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。

下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした

「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後最後味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした

帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい

2011-04-05

はてな株式会社はてブ内部を切り捨てにかかった

今回歓迎されていない仕様改悪だが、これはむしろ当然の流れなのである

Twitter連携を始めた時点で多くの固有ブックマーカーTwitterに流れ、今はてブだけを使っているのはいわゆる「老害である

はてブの機能は残しながらも、内部の膿を捨て去るのが、今回の仕様変更である

さて、Twitter連携含め一部のユーザーなどから「全部一覧で見れるのが良かった」というコメントをしているのがいる。

これこそが老害の思考である

Twitterライクな仕様変更したことからもわかるとおり、はてな内部ではその「全部一覧で見れること」の優先順位が下がっていることは明らか。

これは言わば「クラス替え」なのである

配置換えを強制的に行い、停滞した空気ムラ社会的雰囲気を破壊したのだ。

それだけ、一部ユーザーの悪質な行為が目に余ったのだろう。

とにかく、はてな開発陣はねちねちして気持ちの悪い古参ユーザーよりリア充スイーツを選んだ。

おっさんや非モテ童貞腐女子はクソして回線切断してクビ吊れってことですよ言わせんな恥ずかしい

2011-02-09

オタクこじらすとこんなんなっちゃうんだな

214 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 00:23:44 ID:DR9mkYMq [1/2]

どっかのまとめサイトに、

女子高生?たちが数人ロッカールームで着替えしてる

っていうシーンの絵があったんだ

なんでああいう絵の女子たちは下着姿で会話してるんだ

普通に考えれば、スカート履いたまズボン履く→スカート脱ぐ だろう

上着は仕方ないにしても…

下着だらけの光景想像して描いてる人の頭おかしい

それとも私が女だからか?

男の着替え中も、そんな感じに全部脱いでパンツ一丁(と靴下)まで脱ぐのか?

くっそイライラしてきた

(以下数人が214に同意)

223 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 01:36:59 ID:gjD7WnmZ

>>214

そんなのが普通なんて聞いた事がないな

女なんて友人と一緒に風呂入るのが男より抵抗ないくらいだし、

下着状態での会話なんてむしろ当たり前じゃないのかと思うんだけどな

233:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 02:58:04 ID:F7hrPx5E

1人で着替えるわけじゃなく更衣室にはクラス全員の女子が集まるわけで

学年が変わればクラス替えで別の女子とも着替えるし

小中高大と様々な人たちと着替えてるわけで

そういった複数の体験の中でで下着姿になるのが普通じゃないって言われてるわけで

「自身」の体験ではあるけど「個人」の体験ではなく、

周りの女子もみんなそうだったからそれが普通って言われてるわけで

しかもこのスレでも少なくとも2人が同じこと言ってるわけで

加えて言うと私も小学校から大学までずっとスカートの下にジャージ履いてからスカートいでたし

全部脱いでから着替える子はいなかった、いたにしても記憶に残らないくらい少数で

少なくとも漫画の絵のように全員が下着姿ってのはありえなかった

「見たことがない」じゃない時点で女であるけがいし

「下着姿になるのが普通だと聞いた」ではなく単に「聞いた事がない」だけなら

実際に体験してる人の証言のほうが信憑性高いのが普通なわけで

234 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 03:01:24 ID:agzSRst3 [1/2]

わざわざ男に言うんじゃなくても、

女子高あたりのの羞恥心ない振る舞いとか

今はメディアにいくらでも露出してるし

ナプキンパスーみたい教室で平気で投げ渡ししたりとかが

誰かの体験談としてフツーに語られてたり

そんな状態なのに下着会話なんてする訳ないとか

情弱が純潔の夢見てるのは痛過ぎです

236 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 03:07:25 ID:agzSRst3 [2/2]

そういえばフィクションにしても、少女漫画雑誌の着替え風景でも

わざわざ着替え中に小細工なんてしてませんよね

いちいちそんな所で女性作家が嘘をつく理由もないはずですけど、

小細工してるタイプフィクションなんて、少なくとも自分記憶はないですね

さてこれはどういうことでしょう

2010-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20101026120800

私自身、軽度ないじめクラス替えを機に止む程度の)を受けていたので、あの書き方のままだと不快なんですよね、実際。

彼がいじめのどこまでを見てそう書いたのかはわかりませんが。

ただ、あのブクマid:kamisetsuに対するブコメでの意見も、ある種いじめのそれを内包している。多数で(しかも揺ぎ無い正しさを持って)小数を卑下するのは、結局やってることはいじめと変わりませんから。政治する生き物と、いじめは不可分の関係なんですよ。

だからこそそういう閉じたコミュニティでのいじめというのは、結局和解などされないし、ずるずると平行線を辿るから、無理にでも解決するならどちらかにコミュニティの外に出てもらうか、コミュニティそのものを解体するしか無いんだとおもいます。いじめを解決すること自体が、不可能だとすら考えています。

2010-10-04

誰にも言えなかったこと

リアルで言えないからここに書く。 

 小学年の頃からもうすぐ二十歳になる今まで、なんとなくずっと死にたいと思いながら生きている。

この思考の原因はいじめられたことかもしれないし、いじめ発生の要因となった、私の空気の読めなさとか

コミュニケーション能力の低さとかからなる漠然とした他人への恐怖や自分の生きる社会への不安かもしれない。

 本ばかり読んでいた私へのイジメは小1の夏から始まって、でも私は3年になったらクラス替えがあるからと考えて、

暇な時はひたすら本にのめり込むという何も解決しない方法でそれから1年半耐えた。

 小2の秋に、学校から帰ると家に誰もいなくて、でもわざわざランドセルから鍵を出すのも面倒くさくて

玄関先に座り込んでいた時に、ふとクラス替えが終わった後、私は何をするんだろうと考えて、その時私は

自分から「将来の夢」というものが消え去っていることに気がついて、初めてどうしようもなく絶望した。真っ暗だった。

多分、この今のクラスを乗り切っても私が人とうまくやっていくことは出来ない、中学へ行っても高校に行っても私は

イジメられる、きっと就職してもイジメられるだろう、と思った。もう生きたくなくて、家に入って、

包丁心臓を刺して死のうと思った。でも、やっぱり怖いし、まだ色々な本を読みたいし、

だから死ぬのはいつでも出来るのでもっと辛くなった時まで取っておこうと思ってやめた。

でもその瞬間から死は私にとっての救い、最後の切り札となり、生は耐え忍ぶものであって、その褒美が死であるという

認識の下で学年末まで無事学校に通うことが出来た。

 小3になってクラスが替わり、予想通りイジメは終わり、友達と呼べる人も出来た。すごい美少女だった。

私はイジメがなくなって、昼休みに図書室へ行けるようになったことがひたすら嬉しくて、小6になるまで宿題もせずに

ひたすら本ばかり読んでいた。楽しかった。でも常に死にたいという思いが消えることがなかった。

 わざわざ死を選びたい訳じゃない。今の生活はそれなりに充実しているし楽しい

だからこそ、寝るときにこのまま目が覚めなくてもいいや、とか思ったり、誰か私に車でも

ぶつけてくれないかな、とか思ったりして、基本的に無気力に生きている。ずっと。

でもそれをわざわざ態度に出したりはしない。それが甘っちょろくて情けないことであるという自覚もあるし、

多分そんな人は私だけではなく、もっと辛い人も居て、さして特別なことでも無いと思うから。

でも、態度に出さないからこそ、リアル知り合いにそんなことは言えないし、他の人がそんな気分に対して

どう対処しているかなんて聞けない。けどやっぱりこんな状態は辛いから吐き出してみた。

2010-09-21

バレたときが怖いなあ

http://anond.hatelabo.jp/20100921010110

本人たちが「先生が私たちをのせるために方便を使った」ということを自覚したとき、何が起こるかが問題だ。そもそも担任の先生リーダーシップが無いから学級崩壊が起こるわけだし、この対応を見れば「今、形が整えばいいでしょ」という学級運営をしていることは明らか。

公立の小学校なら毎年クラス替えがあるんだろうから、来年度はこの先生にあたらないよう祈ったほうがいいよ。

代替案は「係」の撤廃。誰も何もしない状態で1カ月過ごせば、他のクラス大分様子が違ってしまっているだろう。「係をさぼるとどうなるか」が具体的に見えるようになったら、近所のクラス見学して回ればいい。で、クラスで話し合えばどうだろう。

話し合った結果「係なんかいらない」となるのなら、それはそれでOKしてやればいい。それが民主主義でしょ。学校の言うこと、先生の言うことが絶対だったら、君主主義でしょ。

何がなんでも学校の決まりを守らせようとするから、こんなことになるんだ。「なぜ、この決まりがあるのか」から理解させるようにしないと、結局、前よりひどい学級崩壊になると思うよ。

2009-12-28

他方で完璧ハブられ、他方で誰かに気に入られ輪の中心にいて、昔からグループ内での自分ポジションが全く安定しなかった。他人に依存してるから当然だけどね。

新学期クラス替えとか死にそうになってた。

気の合う人が見つかればどうにか凌げるんだけど、これが私には難しい作業だ。

初対面の人に話しかけるのは全然苦痛じゃない。寧ろ一回コッキリのコミュニケーションは割と好きな方だし得意だと思う。旅先とかね。

でもクラス替えとか入学式とか、そういう新しい環境下で友達作ろうと必死に話しかけても、むこうの反応がとても素っ気なく、話が続かない。

結構多くの人から、結構な確率で、初対面でいきなり嫌われてしまう。理由がよく分からない。その人の友達として私は不適格だったという、そういう事実だけ積み重なってきている。

私は友達を選ぶ立場に無く、常に選別される立場にある。だから人を選別する際の基準がわからなくって、ぐるぐると考え続ける。私の何がいけないんだろう。答えが見えない。

初対面でいきなり距離おかれるって相当くるよね、精神に。繰り返されるとどんどん根暗に卑屈になっていく。

親睦会とか飲み会とか行っても話回ってこねぇ。こっちから聞いてばっか。しかも答えは簡潔で相手無表情。書いてて泣きたくなってきた。

服が適当だからイカンのか。化粧薄いからダメなのか。見た目は重要じゃないっていう例が山とあるので、これらはサブのファクターだろうと思ってる。いや信じたいだけなんだけど。

それとも中身がダメなのか。初対面でいきなり中身がペケと判断されるって、相当ひどい性格してるのか私は。マナーとか立ち居振舞いは結構気を遣ってるつもりだけど、だめなのか。話も初対面だから当たり障りの無いこと話してるけど、そこじゃないのか。

馴染めたり馴染めなかったり、結果が両極端で自分は人付き合いができるのかできないのか判断付かない。off会とか行きたいけど怖くて行けない。

一人で行動するのが好きなんだけど、結局溶け込めない結果としての一人耐性なんだよね。

さみしい人間だなぁ。あーあ。まとまんね。

2009-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20090815222127

慶應内部進学、中学大学だけど、クラス替え毎年あったよ!

授業料高いだけあって、設備の質が高かったことが一番良かったこと、

悪かったことは、大学受験がなかったから将来のこと考えなかったこと。

でも、仲のいい友達は皆大学時代に知り合った子ばかり。

内部進学でも結束が強いのは、一部なんじゃないかなとおもったり。

学歴というか学閥の力強すぎ。慶應最強すぎ。

小学校中学校高校大学ぜんぶで慶應落ちたんだけどさ。

やっぱりうらやましいよ。慶應。最強ブランドだよ。

どの業界いってもかならずトップにいるもんね。慶應

ずっとクラス替えないんでしょ。そりゃ結束固くなるわ。

慶應排他的な雰囲気あるのはそのへんにも関係あると思う。

学歴コンプ。その通り。でも慶應最強という事実は今後もこの国ではかわらないと思う。

2009-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20090421040959

高校生の頃同じ状況になりました。

が、サボるとか絶対出来ない家風だったので仕方なく毎日行っていました。

 

確かに居心地は悪かったし、授業中に泣いてしまったこともありました。

そのうちに慣れてきて、毎日休み時間は、本持って行って読んだり、行きに雑誌買って読んだりしてやり過ごしました。

 

が、

 

どうも無視してるほうの何人かは、毎日来られるのがかえって怖かったようです。

怖いと言うか、どこか後ろめたい気持ちがあるのでしょう。

あーまた無視しなきゃいけないヤツが今日も平気で来てるー、と思うとうっとおしかったようです。

 

そのうちクラス替えになりまして、何人かは多分リセットしたのか、話しかけてきましたが

返事はしてもこっちからは話しかけないようにしていました。アホ臭いし。

 

私を無視しようと最初に提案した言いだしっぺは、隣のクラスになったんですが

先年度に私を無視したのがよっぽど楽しい思い出だったのか、どうもそこでも誰かを無視しようと言い出したようです。

 

すると、「んな子どもっぽいことにつきあえるかー」と言う人がいて、なぜか言いだしっぺが無視られると言う結果に・・・。

そのことは卒業後知りました。

 

なぜそのことを知ったかと言うと、卒業後に同窓会に出てこないのは私とその言いだしっぺだけだと風の噂で聞いたからです。

 

私には案内状が来ましたが自ら望んで欠席しています。やはりいい思い出ではないので躊躇してしまいます。

結婚して遠くに引越ししたというのも有ります。

 

言いだしっぺのところには案内状を出さないようにしていると聞きました。

無視された結果、よほどこたえたのか親まで出てきてややこしいことになったようで・・・。

 

今ではすっかりオバちゃんになりましたが、地元PTAで知り合った人とはあまり仲良くしないようにしています。

挨拶や立ち話くらいはしますが、一緒に食事や、家に上げたりはしません。

ご近所や、学区にはクラス替えがないですからね。

   

趣味を持っているので、楽しみを分かち合える友人は日本全国にいっぱい出来ました。

家族のことも自分で出来るだけ大切にしています。

 

参考になればよいのですが。

2009-04-15

新学期ですね!

さて、簡単な頭の体操をしましょう。

クラス替えで、あなたは40人のクラスに入ることになりました。

「2人組になって下さい」と先生が言いました。

さて、一体何組できるでしょうか?


簡単ですよね!

40人のクラスで2人組を作るだけです。

答えは当然「19組と余りが1人」ですね!

2人の組が18で36人、3人の組が1で39人、そしてあなたが一人です。


なんで3人組ができていつも自分が余るんでしょうね、ふしぎ!


追記

「3人の組が1人」とあったのを修正。

2009-02-20

10代に経験していないと恥ずかしい体験

10代に経験していないと恥ずかしい体験

名札を隠される

筆箱を隠される

上履きを隠される

ランドセルを投げられる

ぞうきんを投げつけられる

図工で描いた絵を取り上げられて笑われる

女子が悪口を言ってくるので反論したら言い合いになる

先生に怒られるが「○○君が話しかけてきたから注意してたんですーw」と嘯きひとり怒られる

皆がやっていることを同じように行ったら、何故か自分だけ「おいぃww」とか言われる

逆にやらないでいても「おーいいww」と言われる

休みの鬼ごっこでの鬼が、何故か放課後まで有効

○○菌ごっこで集中的に狙われて、放課後まで有効

そのまま定着し掛ける

水を飲んだ蛇口がトラップ扱いされる

すれ違ったときに手が当たったら「きゃあ!触っちゃった!」「ちょっと私で拭かないでよ!」と言われる

転校生に女子が、あいつとは話さない方が良いよwとか言ってるのを見かけるが、その女子と会話した覚えがない

給食を女子に配ったら泣かれる

男子にあいつに牛乳配って来いよwwwと煽られる

「私セルフサービスで良い?」と給食当番のとき言われる

「何か喋りなよw」と言われて喋ると「声がキモいww」と言われる

鬼ごっことかのグループ自分が入るとリーダー的な奴が「抜けた!」と言い出して全員居なくなる

休み時間に比較的仲が良いグループに近づいたら「何でお前?」と言われる

学年が上がりいじめっぽいことには対抗しようと考え始めたが、校内治安も上がっていてそういったことが一切起こらない

放課後遊ぶ約束をしていたので待ち合わせ場所に行ったら普通約束を忘れられていた

用事があるので放課後遊ぶ約束を断っていたら全く電話が来なくなった

学校と塾の学習内容を混同しないように無駄な気力を使う

林間学校の夜に話す相手が居ないので一番初めに寝る

寝付けないので3時間ほど同じ班のお喋りを布団の中で聞くことになる

リーダー役がじゃんけんで勝った順にグループを作っていく場合は当然のように最後に余る

二人組を作るが、相手が他に余った人が居ること気付くと「あ、ごめん…」といって離れていく

二人組を作らされそうな空気を察知してクラス内人数が割り切れるか確かめる癖が付いている

偶数なのに三人組を作るところが居て計算が狂う

席替え地雷と呼ばれているらしい

席替えランダム席にすると発表されてブーイングが飛ぶ中、ひとりほっとしている

席替えで隣になった女子が女子グループに慰められている

同級生が転校するときにクラス全員と握手するイベントで素通りされた

クラス替えで仲の良いほうの人は当然のように別のクラスに固まっていて、教師に仲の良い人が居ないと思われていることに気付く

新しいクラス偶数だとほっとする

昔はどうやって友達を作っていたのか想像も付かない

仲が良いのは昔からの友達と友達の友達

学生なのに年々友人が減っていくのを実家する

友達としての優先度が低いことを様々な箇所で実感する

2人きりで何を話して良いか解らない

3人以上になると「いたの?」状態になる

丸一日口を開かない

知り合いすら少ないのに顔も知らない他学年になぜか認識されている

口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、どう考えても捏造

口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、その頃は違ったのに今と同じように扱われていて、記憶が改竄されていることを実感する

休みにすることがないので本を読んでいたら遠くから「あいつ何読んでんだよw」「ちょっと聞いて来いよwww」

休みにすることがないので校舎を彷徨くようになる

休みにすることがないので薄暗い死角となった場所で時間を潰すようになる

休みにすることがないので寝たふりをしていたら、隣から「本当は起きてたりしてw」と聞こえてきてびくっとする

休みにすることがないので本当に寝られるように計画的に夜更かしする

休みにすることがないので寝ていたら起きたら6時間目だ

お前昼休み何処で食事してんの?と聞かれる

お前放課後なにしてんの?と聞かれる

お前普段なにしてんの?と聞かれる

いつも一人で居て楽しい?と聞かれる

何が嫌なことだったか忘れてきて別にどうでも良くなる

卒業アルバムの寄せ書き欄が白紙

卒業式後に直帰

2009-02-09

今日見た夢2つ

新入生の合格番号発表の様を目の当たりにし、

自分学生番号と新クラスについて廊下で調べて、

文ちゃん、ひろくん、その他と同じクラスになり、

文ちゃんと教室に入ってどこの席に座ろうかと思ってたら、

もうすでに席が埋まってて、HP(?)によると、

当日の朝早くからクラス女子が集まって親睦会をいろいろ開いて写真をUPしてた。

そしてひろくんハンディカム片手にいろいろレポし、インドの店でレトルトカレーとか盗んで女店員に捕まり、

「ワタシハシリマセン」とかとぼけて、「さんまさんに取れといわれた」といって、

さんまさんは家族のことを馬鹿にするのはタブーらしく、それ以外ならいいって感じだった。

フックンがそこから入るのはだめといってくる。

オザが話しかけてくる。就活実験概要思うように言えない話。

研究室にいくと、ネットワーク研究室のはずが、家庭用廃棄油を蒸留して、きれいにする装置があった。

ここって化学系の研究室だっけ?

それで、この装置で最終段階ってとこまできてて。

でも新規性を探すのに悩んでた。

2009-01-12

アイヌ差別の話

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html

痛いニュースはてブコメントを見ていて、ふと小学・中学の頃同じクラスにいたアイヌのA君のことを思い出した。

今から大体10年前、北海道の東のほう(帯広より東だけど釧路よりは西)の田舎町で起こったことを書いてみようと思う。

A君とは小3から中3まで7年間同じクラスだった。田舎学校だからクラスが3つしかなく、何年も同じクラスになるのは珍しいことではない。

小6のとき、担任の先生が授業でアイヌ文化の話をしていた。そのとき、先生がうっかり「A君はアイヌ」と口を滑らせてしまった。

それからクラス男子が陰でA君のことを「アドッグ」(→a dog→あ、犬→アイヌ)と呼ぶようになった。

小学校時代は特にイジメがあったわけでもなく、こういう陰口だけにとどまっていた。

その後、小学校卒業中学校に入学した…田舎だからメンツは全く変わらず。

中1の時は担任・副担任クラスメートともに恵まれ、特に問題もなく毎日が過ぎていった。

そして、クラス替え小学校時代に「アドッグ」とか言っていた人の多くと同じクラスになってしまった。

中2の秋頃、アイヌとは関係ないことがきっかけでA君を無視することになった。

それは自分含む友人3人で決めたことなのだが、その話は翌日にはクラス全体に広がっていた。

A君の死角から誰が言ったか分からないように「アイヌキモい」と言うとか……

公衆電話からA君の家にイタズラ電話をかけて「アイヌ!」と大声で叫ぶとか……

A君とアイヌネタにした某CM替え歌を作るとか……

とにかくやりたい放題やっていた。それでもA君は毎日学校に来ていた。

中3になると事態はさらに悪化した。A君に対するイジメがどんどんエスカレートしていった。

誰かの持ち物がなくなったときにはA君のせいにされた。わけもなく不良に顔面を殴られた。

学活と道徳の授業はA君イジメ問題の話で全て潰れた。臨時の学年集会もあった。

A君は小学校から毎日休まずに学校に通っていたのだが、中3になってからついにその記録が途絶えてしまった。

修学旅行の班決めも難航した。A君をどこに入れるかで5時間くらい話し合った。

結局、行動の班は俺とA君を含めた6人、宿泊も1日だけ同じ班となった。

その修学旅行の夜にA君と仲直りした。なぜここで仲直りできたのか、今でもよく分からない。

やがてイジメは終息に向かっていった。A君を無視する人もわずか数人になっていた。

その後、A君とは仲良くやっている。ただ、俺の母親とA君の母親の仲は今も悪いままだ。

A君は高校大学と進学し、現在東京で働いている。彼女ができたという噂も聞くが真偽の程は定かではない。

大学時代にA君に会ったとき、俺より服装に金かけている感じがしたから彼女がいてもおかしくないとは思うけど。

実は同じ学年にもう1人アイヌ民族の人がいた…この人はB君としておこう。B君はA君とは違ってイジメを受けていなかった。

というのも、B君は不良グループに属しており、イジメたら痛い目に遭うことがわかっていたから。

B君とは中1から中3まで同じクラスだった。B君はいつも下ネタばっかり言っていたような気がする。

A君のイジメには不良グループも多少は関わっていたけど、B君は何もしていなかったと思う。

B君は300点中30点取れば受かると言われている地元高校に落ちてしまい、高校進学を断念。

それから成人式同窓会でB君には何度か会ったけど、何とか仕事はしているようだった。

去年のある朝、母親から電話がかかってきた。「B君がNHKに出てるよ」と。

急いでテレビの電源を入れてみると…民族衣装を身にまとったB君がインタビューを受けていた。

B君は町のアイヌ文化保存会のメンバーとして活躍しており、そこにNHKの取材が入ったらしい。

合計80人の学年にアイヌの血を引く人が2人もいたというのは非常にレアなケースだと思う。

アイヌであるがためにイジメられたA君と、アイヌであることを誇りに思うB君……

A君は体格や性格に問題があるような人ではない。アイヌでなければまずイジメなんて受けていなかったと思う。

また、B君が不良グループに属していなければA君と同様にアイヌであるためにイジメられていたかもしれない。

アイヌ差別存在しないのならば、このイジメもなかったことになるけど、

俺はA君イジメに加担していたことは覚えているし、一生忘れることはないと思う。

2009-01-11

先に拒食症を解決しないといけないのでは?

http://anond.hatelabo.jp/20090111061126

20キロ痩せるということは何か精神的に不安定な状態があったのではありませんか? そういう心の奥底の問題を掘り起こすのは、本人にも家族にもつらいことですが、まずはそこにどんな問題があったのか探るところから始めてみてはいかがでしょう。

確かにクラスメイトたちには思いやりがありませんが、こちらから挨拶すれば返事はするのなら、まだ、そこで頑張れる望みはあります。逆に、踏ん張って、また、それなりに溶け込めれば「やり直しがきくんだ」ということを娘さんに経験させることになり娘さんの自信となるでしょう。

5月まではまだ間があります。そのときも同じクラスなら学年が進んでもクラス替えのない私立ですね。転校といっても簡単に思い切れないでしょう。

娘さんがご自分の状態をうまく他人に説明できるようになれば、周囲も扱い方を変えてくれるかも知れません。ひどくなるかも知れませんし、思いやってくれるようになるかも知れません。

行動することだと思います。

2009-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

サイン帳」を配るシーズンになった。

女の子クラス替えとか卒業の前に友達に配り、プロフィールとともに趣味とかメッセージとかいろいろ

書いてもらったものを綴じておく、あれだ。

あぁ、いやな記憶が蘇ってきた・・・

僕も小学校卒業の時期に何人かの女の子から貰いましたが、そういうのを書くのが苦手なのと恥ずかしさもあって

渡せないまま学校の机の中でグシャグシャになって入ってました。

で、結構好きだった女の子からも「書いて」と言われたけど、クールを装って

「そういうのは書かない」と(既に何人かから渡されていたのに)断ってしまいました。

その子の気持ちを考えると、悪いことしちゃったなぁと後からずっと後悔してました・・・

件の男の子もたぶん渡すタイミングが掴めなかったんだと思う。

2008-12-02

増田で書くよ

ダイアリーのほうは訳あって閉鎖中でね。

お前らさあ、これまでの人生で、新しい環境に足を踏み入れたことって何回もあるでしょ?

進学、就職クラス替えでもいいし異動でもいい。

そこで、「全員の」男と仲良くなれたか?

嫌いなやつ、ウマの合わないやつ、何人もいなかったか?いただろう。(反語表現)

でも、そういう「合わない」奴らと仲良くできなかった、嫌われたからってそこまで落ち込んだか?

いや、落ち込む人間も中にはいるかもしれないが……

別に、他の男と友達になったりすればいい話だろう。

さて、これが対女となるとどうだお前ら。

そのコミュニティに属する「たった1人の」女に邪険にされた、

ひどいときには「仲良くなれなかった」からって、異常に傷ついてないか?

「俺はもてないんだ」とか自己暗示をかけてないか?


全員の男と仲良くなれないことなんてザラにある。いはんや全員の異性をや。

「いけそうな女にだけアタック汁」とかいう助言がよくあるが、あれは要するに

「合わない女に冷たくされたからってショックを受けるな」ってことだからな。

え?「全部の女に冷たくされた」って?

ドンマイ。

2008-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20081115112744

き、きっとクラス替えのことだよ!あるいは中学進学とか!

で、短冊でこんなの思い出した。

http://ayacnews.blog57.fc2.com/blog-entry-1310.html

2008-09-14

腐女子人生を狂わされた

私は、漫画が好きなオタクです。今は大学生で女の漫画オタクです。

しかし、BLには興味ありません。寧ろ嫌悪している側の人間です。

最近腐女子というと女のオタク意味も表すとされる様子ですが、此処では腐女子は「BLが好きなオタク」という事にします。そっちのほうが分かりやすいからです。

本格的に漫画が大好きになったのは中学の時です。

漫画アニメが大好きで、好きなキャラクターも居ました。友達との会話にもそういった話題がよくでました。典型的オタクです。

当時は漫画が本当に大好きで、自分でも描いていましたし、将来の夢も一丁前に「漫画家」でした。

結構本気でなろうと思って、少女漫画雑誌に投稿もしました。将来は色んな人に読んでもらえる漫画を沢山描くんだと意気込んでいました。

それぐらい漫画が大好きでした。

しかし、私は「オタク」でしたが「腐女子」ではありませんでした。

少年漫画でよくある、男同士の友情や競い合いにも、変なフィルターをかけず、素直に「友情」として感動していましたし、恋愛も男同士にして楽しむ様な事ことはありませんでした。好きなカップリングもノーマルで、男と女でした。

そもそも私は、男キャラより女キャラの方を好きになるタイプだったので、男同士の世界に興味を示さなかったんだと思います。

BL存在は知っていましたが「世の中には色んな人が居るんだなぁ」といった感じで、嫌悪したりする様な事はありませんでした。

しかし、高校クラスメイト腐女子が居て、彼女に出会って人生が変わりました。

人生と言うと少し大袈裟かもしれませんが、私にとって漫画アニメはそのぐらい大好きな存在なんです。

彼女典型的腐女子でした。男同士に少しでも関係があれば、即BLにして楽しみます。その男キャラ恋人の女キャラが居ても関係ありません。

対象漫画アニメといった2次元だけではなく、戦隊ヒーローアイドルといった3次元でもBLにして楽しみます。

オタクというと、「根暗」「無口」というイメージが定番で、私はどちらかというとこっちに分類されるオタクです。

しかし彼女は、世間一般のオタクイメージと違い、積極的で明るく、友達も多くて慕われて居ました。学級委員に推薦される程です。

その性格はオタクの話をする時でも変わらないという事が問題でした。

彼女は、いつもBL萌え話をします。

「〇〇(男)は〇〇(男)の事を愛しているんだ!」といった感じでです。勿論話題に出るキャラクターホモという設定はありません。

他にも「ノーマルは大嫌い!」とか「〇〇(BLカップリング)は公式なんだ!」とか、学校休み時間放課後になるとずっと話していました。

彼女BLを扱うHPを運営していましたので、授業中にこっそりHPにアップするイラストを描いて、昼休みになると私たちに解説しながら見せに来ました。

最初は友達付き合いもあるし、「彼女には彼女楽しみ方がある」と割り切って話を聞いていました。

しかし、私の好きな男キャラBL萌えをしたり、私の好きなノーマルのカップリングを否定するような発言をされてから、彼女の話を聞くのが億劫になりました。

女という生き物は、常にグループに分かれて行動します。私はオタクなので彼女と他数名のオタク友達と一緒のグループでした。

他にも腐女子は居ますがどちらかというと無口なタイプだったので、彼女が積極的にBL萌え話をしていました。

だから、本当に毎日休み時間毎に彼女の話を聞いて居ました。彼女とは帰り道が一緒だったので帰りも彼女萌え話を聞いて居ました。

しかも私の通っていた高校は、3年間クラス替えが無かったので、最初は遠慮がちだった、BL萌え話も年々エスカレートしていました。

同人誌を持って来た事もありました。

そして、仲良くなってからは、腐女子友達の輪を広げるんだと、私にBL萌えしろと要求するようになりました。

結局私はそっち方面には行かなかったので、最終的に彼女も諦めていました。

しかし、彼女BL萌え話はずっと卒業するまで聞かされていました。

毎日の様に彼女BL萌え話を聞かされた3年間でした。

本当に朝から晩まででした。他の子と話していても、結局はいつものグループにまとまるので、彼女か私が学校を休む事が無い以上、彼女BL萌え話を聞かない日はありませんでした。勿論土日は休みでしたが。

その生活はもはや「洗脳」です。私の交友関係は狭かったですし、休み時間毎に聞かされる彼女萌え話は、日に日に私の視野を狭くしていきます。

そして、そればかりの生活が続いて行き、私が彼女BL萌え話を嫌悪するきっかけが出来ました。

私に、BLフィルターが出来たのです。

ですが私はBLが好きではありません。好きなカップリングはノーマルです。

しかし、少年漫画の男同士の友情を見ていたら「BL」に見えてくるのです。

特に少年漫画恋愛より友情を重視する傾向がありますから、友情が多く恋愛はオマケみたいなものです。

そうなると、少年漫画恋愛をされても「このキャラは〇〇(男)が好きななのに、本当に彼女の事が好きなのか?」と頭の中で疑念が湧きます。

私が好きなカップリングが重視されていた話でも、同様の事が起こります。そのカップリングが大好きでずっとその二人の事を追いかけて読んで居たのに、水を差されたように、私にあった情熱が冷めて行きました。

私の好きな男キャラが出てきても、「〇〇(男)の事が気になるんだな」と思うようになってしまい、素直に「カッコイイ」と思えなくなります。

そうなってくると、私は彼女BL萌え話を聞くのが嫌になりました。

しかし、既に形成されてしまったグループを抜ける事は、友達が居なくなる事と等しい行為でした。

なので私は、彼女に「BL萌え話をするのを止めて欲しい。」と言いました。

けど、彼女は理解してくれませんでした。

彼女BL萌え話はいつもと同じ内容で、自分の萌えを周りに言って回りたい性分は変わりません。

それでも私は何回もやめて欲しいと言いました。

そして彼女は「あいつは他人の趣味を理解しない心の狭い奴だ」と言う風な目で私を見てきました。

他のクラスメイトに「あいつは腹黒だ」「悪魔だ」「私の事をいじめて来る」と大きな声で言いました。

彼女は上記で書いた通り、慕われていて学級委員をする程交友関係の広い子で、一方私は友達は少ないし無口で暗い典型的オタクです。

周りが私の事を、彼女を通して知る事に障害はありませんでした。

私はクラスメイトから「腹黒」だと思われました。逆に1度「彼女の方が腹黒だ」と言ってみたら、ものすごい剣幕で「は?そんなわけ無いじゃん!腹黒はお前だろ!!」と言われました。親友の言う悪口は笑い事でも、親友の悪口は結束を固めて反論する。それが女子の世界です。

私はそれをきっかけに、彼女に何も言わない事にしました。

それに丁度3年の1学期頃だったので、早く卒業してしまおうと思いました。

卒業して彼女と別れてしまえば、もう苦しむ事は無いだろうと考えたからです。

しかし、卒業してからも私の苦しみは変わりませんでした。

彼女とは全く会っていませんが、私の思考にあるBLフィルターは無くならなかったからです。

それに彼女と別れてしまった事で、前に「あいつは腹黒だ」とクラス中に言って回られた事を思い出し、怖い思いもしました。

高校の友達と遊んでも「もしかして…」と思うと、友達の笑顔が恐ろしく思いました。

次第に、あんなに苦しんだのにまだ苦しまないといけないのか、そう思うと「BL」の存在が腹立たしくなりました。

BL嫌悪していくと、その分BLフィルターが強調されてしまうみたいで、もう男同士で会話しているシーンでさえ、見るのが苦痛になって行きました。

こうなってしまうと、漫画を読む事そのものが嫌になって来ました。少年漫画は極力読まないようになりました。

対象少年漫画だけではありません。

少女漫画でだって同様の事が起こります。それに少女漫画の方が、BLネタにしている事が多いし、過去BL同人誌をだして居た漫画家さんだっているぐらいです。

少女漫画が大好きで、昔は少女漫画雑誌に投稿していたぐらいですから、将来の夢をもぎ取られたような気分がします。(私が漫画家になれる技量があるかは別にして)

特に最近は「となりの801ちゃん」や「腐女子彼女」といった腐女子を取り扱った書籍が出たりして、BL腐女子を見る機会も多くなったような気がします。

その事がさらに私を苦しめます。どうして私はBLが嫌いなんだろうか。いっその事BLが好きだったよかった。と自己嫌悪に陥ります。

しかし、BLへの嫌悪は増すばかり。

漫画アニメを見ても、昔の様に純粋に楽しむ事が出来ません。大好きなキャラカップリングが出てきても嬉しくありません。

昔はキャラの絵を描いたりしていましたが、それも出来なくなりました。

私はオタクなので、今までずっと漫画アニメ中心の生活でした。絵を描くのも大好きでした。将来の夢は漫画家でずっとそれに向かって頑張って来ました。

しかし、此処に来て、楽しみがなくなってしまいました。

今は漫画アニメもあまり読んでいませんし、絵を描こうという気にもなりません。

だからといって、別に何か趣味があるというわけでもありませんから、本当に毎日同じような生活しかしていません。

彼女はもともと行動力もあるし、普通の友達も多いので普通に話していたらとても面白く、思い出自体に不満はありません。

私が1番楽しかったのは高校の時です。

しかし、BLフィルターは無くなりません。

今の私は腐女子BLも大嫌いです。

だから、中学の時に決意した将来の夢も諦めようと思うようになりました。その事がさらに私のBL嫌いを悪化させました。

本当は、そんな毛嫌いをしたくはありません。それに、漫画を楽しむに当たって、BLというジャンルは切っても切れないものだと言う事も理解しているつもりです。

それに、今でも漫画家になりたいと思っています。

けど、現実で私は今でもBLフィルターに苦しめられ、楽しかった事を楽しいと感じる事が出来なくなりました。

腐女子が取り上げられて居ると、不愉快な気分になるし、極力関与しないようにしています。

最近ではオタクの女を総称して腐女子と呼ぶ様になっている事も嫌で、「私は、私を苦しめているあいつらとは違うんだ」と言って回りたい気分になります。

本当はこんな醜い感情を抱きたくありません。皆さんと仲良くしたいんです。

しかし、どうやっても出来ません。

腐女子への嫌悪は一向に収まらないし、BLなんて単語を見るのも嫌なぐらいです。

ホモが嫌いな女子なんていません!」なんて言葉があるようですが、私には侮辱にしか聞こえません。

BLが好きな人が多くても、全員がそうであるわけではありません。

自分自身もオタクである事には変わりませんし、普通の人から見れば、オタクのくせにオタクを嫌って…という風に見えてしまうとも思います。

私にも問題があるとも思っています。

簡単に「じゃあBLを好きになっちゃえよ!」という風にもなりませんし、そうならないから苦しんでいるんです。だからといってこのまま嫌悪し続けていても何も変わりません。

漫画アニメを読むなら、楽しく読みたいです。

ただの愚痴でしかありませんが、私はどうすればいいでしょうか…。

2008-09-13

最近小学校で同級だった男の子の夢を見る。毎晩のように見る。

父が転勤族だったわたしは4年のときにその小学校に転入して、卒業と同時にまた遠くに引っ越した。

同窓会に参加したこともないし、中学から今に至るまではまったく接点はなかったんだけど、夢に出てくるものだからいろいろ思い出してしまって、こういうもやもやをどこに吐露すればいいものかわからないので今回初めて増田になってみた。叩かれるのはこわいので、誰にも見られずひっそりと落ちていってくれればいいと思う。

それはさておき、そいつはお金持ちの家の長男で、将来は父親の会社を継ぐことになっているといううわさだった。

毎年クラス替えのある小学校だったんだけど、そいつとは4年から6年までずっと同じクラスだった。

どこかひねたところのある子どもだった。

女の子同士の

「ねえ、今好きな人いる?」

という会話の遡上に上ることはなかったけど、頭が良く、スポーツも得意で、親譲りのものなのか人を惹きつけるオーラのようなものがあった。オーラって言うか、とにかく大物の風格を子どもなりに持っていたやつだったと思う。

5年のクラスで席が隣同士だった時期、内容は忘れたけど半分口げんかのような感じでいろんなことを言い合っていて、ふと

「なんだかこいつとは、夫婦みたいに何でもしゃべれるな」

と思ったのが強烈な記憶として残っている。

なぜ「夫婦」という単語がそこで出てきたのかはわからんけど、そいつと自分の間に、自分の両親が話しているときの雰囲気と似たものを感じ取ったからなのかもしれない。歯に衣着せぬ物言いで続く、間断のないことばのキャッチボール。劣勢になっても、他のやつみたいに「せんせーい、隣の人がうるさいです!」とかかっこ悪いことはしなかった。互いに相手と真正面から向かい合い、相手のことばを受け止めながら対話を続けていた。それに伴う緊迫感を、今思えばわたしはとても楽しんでいた。「手応えがある」って言ったらなんか偉そうだけど、そういう感触をぼんやりとそいつに抱いていたんだと思う。

はっきりとそいつを異性として意識したのは、小6のときだった。

国語の授業で「注目の的」という慣用句を習った。「班ごとに話し合って、これを使った短い文を作りなさい」と担任の先生に指示された。わたしたちは机をくっつけて「注目の的」を使ったうまい文を作るべく話し合った。そいつとは同じ班だった。

「的って言うとなんだか痛くて大変そうだね」とかアホなことをわたしが言っていたら、そいつがぼそっと小さな声でわたしに

「お前、クラスの注目の的じゃん。」

と言った。(わたしたちは「お前」「あんた」と呼び合っていた)

最初は意味がわからず、そいつがいつもとは違う様子でそっけなく言うものだから、わたしがクラス中に冷ややかな目で見られているような痛い子だと言いたいのだろうか、とか思って、信頼していたのはわたしだけだったのかなぁ、って気がして、なんだかさびしくなって黙り込んでしまった。

他の子が

「え?どういうこと?」

と聞き返すと

「注目の的って、魅力があって皆がいつも見てる、っていう意味なんでしょ。

 お前じゃん。」

と言って、あとは黙ってノートを取りはじめた。

班全体がしーんとした。

横の男子

「おおぅ…素敵ねぇ…」

とか、軽く冷やかすような声をあげた。

しかしそれでも空気は軽くならなかった。

わたしはそいつの真意を図ろうと、ちらちらとそいつの顔を盗み見た。

でもそいつはとうとうそれから一度も顔を上げず、班としての発表は他の子が考えた案で無難にまとまって終わった。

そもそも、わたしは別にクラス中の注目の的なんかではなかったと思う。

勉強ができて運動もできてリーダーシップもあって、っていう目立つ子は他にいたし、そういう子に比べたらわたしは平凡なほうだった。

でもわたしはそのとき、ものすごく「どきっ」とした。

それが自分でも意外で、どうしてわたしはこんなにどきどきしてるんだろう、とだいぶ考えた。

そして、たぶん、わたしはそいつに何かそういうのを期待してるんだ、というようなことが、うっすらと自覚できた。

でも相変わらず、女子同士の

「ねえ、好きな人いる?」

という会話の場で、わたしがそいつの名を挙げることはなかった。

何か、そういうところで軽々しくそいつの名前を出すことがいやだったのだ。

別に「好き」とか、そういうのとは違う、と思っていた。

「好き」っていうのは少女マンガみたく背景にお花を背負った感じでキラキラしていて、ロマンチックで、そんなのが「好き」だと思っていた。

あいつは、そういうんじゃないもん、と思っていた。

でも、他の女の子の口からそいつの名前が挙がらないかどうかを、いつもすごく気にしていた。

子供心に、あいつのいいところを知っているのはわたしだけだ、と思っていた。

皆あいつのことを、金持ち高慢ちきのいやなやつ、と思っているかもしれないけど、わたしだけは知ってるもん、わたしだけは、あいつのこと、わかってるもん、と思っていた。

幸い(?)わたしが知っている範囲では、そいつのことが好きだと言う女子はいなかった。

2学期後半から3学期にかけて、中学受験をする子たちの身辺が慌しくなり始めた。

わたしは父の転勤がほぼ確定していたため、転勤先の市立中学校に通うことになるだろう、と前もって親から聞かされていた。

そいつは受験組だった。進学塾にも通い始め、受験組どうしでどんどん仲良くなっていっているのが傍目にもよくわかった。

受験組の子がうらやましかった。

その中には前述の、本当の「注目の的」の女の子もいた。

やっぱり、わたしより、同じ目的を持った友達のほうが話も合うし、わかり合えるよなあ、そうだよなあ、と、思った。

あいつのことをわかってるのは、わたしだけだもん、そう思っていたのは、錯覚だったんだなあ、と思った。

そいつとまた前みたいに仲良くできるかもしれない、というそれだけの理由で中学受験を親に申し出てみたりもしたが却下された。

今考えると、めっちゃ好きやったんやん、と思う。

サイン帳」を配るシーズンになった。

女の子クラス替えとか卒業の前に友達に配り、プロフィールとともに趣味とかメッセージとかいろいろ書いてもらったものを綴じておく、あれだ。

わたしもクラスの人たちに一通り配った。

女子はもちろんのこと、男子も結構律儀に書いてくれてありがたいことだ、と思っていた。

もちろんそいつにも渡したのだが、そしたらなぜかそいつは半切れで

「書いてもいいけど、絶対に他のやつに見せるなよ!」

と言ってきた。

あまりの剣幕にビビッて

「う、うん、わかった…。」

と答えると再度

「本当に見せるなよ!約束だからな!絶対に見せるなよ!」

と念を押してきた。

何か知らないがその気迫にただならぬものを感じ、絶対に誰にも見せない、と約束すると、そいつは仏頂面のまま紙をランドセルに突っ込んで持って帰っていった。

それがそいつとの記憶の終わり。

結局、渡してくれなかったのだ。

別にそいつはわたしのことを何とも思っていなかったのかもしれないけど、わたしのほうは、たぶん、そいつのことが大好きでした。

子どもにしてはしゃがれた声も、ひねたとこも、自分では嫌だといっていた長めのまつげも、女の子みたいな丸っこい文字も、テレビ趣味が同じだったところも、たぶんすごく好きだったんだよ。

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