はてなキーワード: カラコンとは
大久保加代子の左目(右目は奥二重)
深澤真紀(名前知らないからぐぐった、こんなはっきり一重の人でもテレビに出られる時代になったんと驚嘆した記憶がある)
澤穂希(メディアに登場する中では、スポーツ選手は相対的に一重を多く見る。アイプチとか邪魔なんでしょうね。でも視界は広い方が有利になりそう)
木村佳乃とか寺島しのぶとか広末涼子とかは奥二重なのでは。奥二重かつ黒目が大きく見える人は珍しいと思う。
ちなみに山口小夜子はしっかり二重。
一重だから不細工になるということもないけれど、一重なのに不細工じゃないという奇跡は本当に珍しい。すでにブコメにもあるように、大きな目(大きな黒目、黒目が閉める割合の多さ)は多くの動物にとって保護欲を喚起させるので、幼さ、愛らしさに通じるという研究がある。ご承知のとおり「妻と畳は新しい方がいい」という伝統を守りロリ文化を誇るわが日本では、黒目がちであることが可愛らしさに通じる。アイプチはもちろん、黒カラコンの隆盛の理由はそれ。最近のアイドルの写真はどれもこれも黒カラコンばかりで、CGもしくはオリエント工業みたいでちょっと怖い。
ロラン・バルトが彫刻刀で切れ込みをうっすら入れたような目とかなんとか形容したアジア人の目が、増田が嘆いていて、ハリウッドやパリコレで「アジア人らしさ!」と押し付けてくる、シャルリー・エブドみたいなところに嬉々として描かれる、日本でも「狡賢そう」「起きてる?」「ブサイク」などと形容されるタイプの目なのであって、黒目がそれなりに見えている一重(奥二重)はこういった印象をあまり与えない。
余談だけれど、「黒目がちょっと大きい(く見える)」アイドルはそれだけでアドバンテージがあったのに、いまでは技術で埋められてしまう時代なのだなあと、芸能人ワナビーの苛烈さを思って心をいためている。(広末涼子とか、松田聖子とか、「目おっきい!」と思わせた筆頭だと思うのだけど、どうでしょうか?)
ところで自分が10代のころもアイプチ(的なもの)はあった。びっくりするくらい不自然だったから、「あいつあんなブスなのに見た目気にしてんだぜwww」という嘲笑の的になることが目に見えているので手を出したことはない。
昔は一重がもてはやされていたというわけではなくて、大きすぎる目はギョロ目って言われていただけ。なんか平安時代でも、目がぱっちりしてて涙袋がかわいい、的な記述があったはず。
ブコメで「家族はみんな二重」って言っているのは、「家族はみんな白人」て言ってるようなもの。(両親白人で実子のケースなら当たり前だろってことと、『差別なんて気のせいじゃない? 気にしなけりゃいいよ!』という無神経さなんだよ、ってこと)
またまた話がそれるけど、自分のまぶたを手でちょっと持ち上げて、友人のあいつは黒目がこのくらい出ているなと試してみると、いやもう視界が広いのね。びっくりする。羨ましい。自分では自分の視界しか知らないからちゃんと見えていると思っているけれど、例えばインド人なんかと比べたら確かに半分くらいしか見えていないのかもしれない。もちろん、焦点の合う範囲は変わらないんだけどさ、上のほうに高圧電線がある場合なんか、インド人のほうが早く気づけるんじゃないの?
そんでインドに行ったときに、会う人会う人すれ違う人すれ違う人、というか私の狭い視界に入る人みんな、とにかく目玉がでかい。おめめぱっちりとかいう可愛いらしいものじゃなくて、目玉がでかい。もうね、同じくらいの身長であっても、虹彩の大きさがぜんぜん違う。瞳の色は千差万別なんだけど、虹彩も、白目も、「目玉」感を圧倒的に押し出してくる。目玉に負けて値切り心が折られそうだった。いや、人種によって目玉あるいは虹彩のサイズが違うということはあるのだろうか。誰か教えてください。
まあアラフォー独身の自分からしてみれば、非モテの原因に一重は関係ないと思うけど、二重なら出発点は少し底上げできたというのは確か。多くのブコメのように世の人は「あいつ一重でブスw」とは思わず、単純に「あいつブスw」としか思わないから、アイプチでもカラコンでも、解決できる術は利用しちゃって心の平穏を得られればそれでいいよね。
自分のことで申し訳ないけど、人生で一度くらいは、お世辞でもいいから、せめて「馬子にも衣装ね!」で充分なので、容姿に関してポジティブな発言を耳にしたかったなー、と30代くらいまでは思っていました。ババアになると等しく世間は冷たいから、婆も不細工な婆も非人間扱いだからいっそ気楽。でもババアになるまで呪縛は解けない。
容姿も人種も生まれも厳然たる差別が存在するので、そこから脱せない人は呪うしかないし、恵まれた人は呪いを目にすると不快になるだけで配慮してくることもほぼないので、まあ他人を気にせず自分の心を保つほうが健康的ですよね。健康的であることと、世人から求められることとは一致しないことも多々ありますが。
実写版ちはやふるは面白かった。実写化の噂がある氷菓もちゃんと丁寧に作れば面白くなりえると思う。
でも実写版咲-Saki-は何をどうやったら面白くなるのか見当がつかない。
例えば、忠実にっつってピンクや赤や紫のカツラをかぶってカラコン入れた超ミニスカートの女子が目にCGの炎を浮かべながら麻雀を打つ図というのを想像したら、これはもう何をどう頑張っても寒い。
個人的な好みだけど、現実的じゃない髪色や髪型のキャラが現実世界を歩くのが好きじゃない。ワックスでがっちり固めて原作と同じ髪の形にしたりとかも。
別に髪の色とかを原作そのままにしなくても、そのキャラらしさは出せると思う。漫画やアニメだから成立するものというのは確かにある。
髪や語尾等は突飛な感じを抑えて、部活にかける思いとか仲間との交流とか試合の緊張感の雰囲気なんかを前面に出して、部活青春群像劇として描くのがいいかもしれない。
咲-Saki-本編というよりもシノハユっぽい感じで。けどその場合、麻雀の試合をどうしたものか。
地味な競技であっても、たとえばポーカーの勝負をスリリングに描いた名作映画なんかもあるにはあるので、面白く描くのは不可能とは言わないが難易度はかなり高い。そもそも麻雀のルールの認知度が低い。花や炎や電気やアバターのようなケレン味あふれる演出は、麻雀を知らない人にもどちらが優勢か、どれくらい相手が強いのかを分かりやすく示す役割も大きい。観客やチームメイトのリアクションでどうにかなるだろうか。不可能ではないとしても、作る上での難易度はさらに上がりそうだ。理想を言うなら、実写版るろうに剣心の殺陣くらいのケレン味のバランスが望ましいのだけど。
あれこれ書いたけどまあ無理だろうなとは思う。きっとコスプレアイドル映画だろうなとも思う。B級映画も嫌いじゃないのでそういう楽しみ方もできなくはないかもしれないけど、原作が好きだとちょっとキツい。
いちおう公式サイトは時折チェックするつもりではいるけど実写版を見るかっつったらたぶん見ません。
実際に見て面白かったりしたら教えてください。
終わろうと思ったところで1つ思いついた。ドラマを4話の後に劇場版というのが、4話のドラマがそれぞれ清澄編・龍門渕編・風越編・鶴賀編で劇場で決勝戦とかだったらちょっと面白そう。そしたら見る、かも。
石原さとみは米国大統領特使に見えないし、英語も下手だから、全然合わない……というのは、これまでにさんざん指摘されてきた。だから、ここでは繰り返さない。
では、それだったら、どうするか? 彼女を下ろすか? それとも、別の役に割り当てるか?
東宝はどうやら石原さとみを押しつけたいらしい。(進撃の巨人もそうだ。) だから、はずせないらしい。だとしたら、他の役を割り当てる必要がある。では、どの役?
お薦めは、泉ちゃんの役だ。「君がまず落ち着け」というセリフはどうでもいいが、華麗な人脈を誇るところがいい。泉ちゃんが華麗な人脈を持つというのは、どうにも不自然だ。あいつが華麗な人脈を持つはずがない。そんなタイプじゃない。磊落すぎる。細かな気が利くとは思えない。
その点、石原さとみなら、適役だ。彼女ならいかにも人脈がありそうだ。フランスにもコネがありそうだ。(昔の彼氏が首相か大統領になっていた、とかね。)
ただし、泉ちゃんの肩書きである政調副会長というのは、彼女にはふさわしくない。そこで、首相秘書官というのはどうか? これなら、首相が亡くなったあとで、特別チームを補佐するというのは、おかしくない。
泉ちゃんには消えてもらって、かわりに石原さとみが首相秘書官として登場すればいい。それなら、「石原さとみが米国特使だ」なんていう荒唐無稽な配役は、やらないで済む。かわりに米国人女優を使えば、米国での興収もアップするはずだ。サンドラ・ブロックあたりを使いたいところ。(高額のギャラが払えれば、という条件で。……払えるか? とても払えそうにないが、払える。なぜならその分、米国の配給会社が高値を出してくれるから。サンドラ・ブロックを出すだけで、米国の興収は大幅アップだ。)
ちなみに、石原さとみを使ったことでは、米国人の観客たちから笑いものになっている。「英語をまともに話せない女性が、米国大統領をめざすって、何かの冗談か?」と。
なぜにサンドラ・ブロック ?
石原さとみみたいにかわいくて、しかも米国大統領を目指せるほどの貫禄がある、という2条件を満たすので。
この両方を満たす女優が他にいれば、挙げてみてください。別にサンドラにこだわるわけじゃないので、もっといい女優がいれば、そちらでもいいですよ。
たぶん誰入れても同じことだったと思うので石原さとみが見れるだけ良いのでは。
石原さとみを消すわけじゃないですよ。お間違えなく。彼女は登場したまま、配役を変えるだけです。
泉ちゃんを おろすなんて とんでもない
松尾さんは消えるけど、松尾さんが石原さとみに代わるんだから、かわいくなるだけいいのでは?
スカーレット・ヨハンソンがいいな。
http://gqjapan.jp/entertainment/movie/20120717/w_sj
彼女のギャラだけで、シン・ゴジラの製作費全額を上回りそうだ。
スカーレット・ヨハンソンを上回る。
http://matome.naver.jp/odai/2140720956822370601
高嶺の花でした。ごめんね。
私も一瞬そう思ったけど、ベッキーも石原さとみも身長は 157cm で、同じ。
英語は、ベッキーは「苦手」であるとのことなので、ベッキーの方が下手。
ベッキーの方がいいのは、瞳だけ。石原さとみもカラコンを入れれば良かったかも。
http://blog.livedoor.jp/sky_wing2010-geinou/archives/49411631.html
シャーロットケイトフォックスは、私も好きだし、演技力だけなら申し分ないが、いかんせん、米国人は誰も知らない。ゴジラの宣伝で各地を廻らせても、誰も知らない女優では、宣伝効果がゼロ。コストはゼロ同然だが、効果もゼロ同然。普通の女優なら、コストの何倍もの宣伝効果があるので、普通の女優を使う方がマシ。たとえば、スパイダーマンやバットマンのヒロインとか。(名前は忘れたが。)
セリフの量をうんと減らして、演技力を求めなければ、ミランダ・カーでいいんだけどね。
アメちゃんに笑われようがどうでもいい。
どう思われるかが大事なのではなく、アメリカの興収が増えるかどうかが問題。興収が増えないと困るでしょ? アメリカの興収を増やすためには、米国人を登場させる必要があるんだよ。
2014 ゴジラだって、作中に日本人がいっぱい登場したから、日本では大ヒットした。仮に日本人が全然いなくて、出演はアメリカ人ばかりだったら、日本ではあれほどヒットはしなかっただろう。
世界的ヒットを狙うには、「オール日本人」では、やはりまずいんだよ。うまくやれば、全世界ヒットで、日本の興収の 10倍を世界で稼げる。日本よりは世界を狙うべきだろ?
【 続編 】
就活の時に少しでも見た目がマシになればと思い使い出して、社会人数年目になる今までズルズルと使い続けてしまった。
黒目の大きさなんて言ってしまえばそれだけだけど、自分では使用前後に大きな差があるように思えてやめられず、なかば依存状態に陥っていた。
社内で誰かに面と向かって指摘こそされなかったが、なんとなく整形しているような罪悪感に苛まれていた。
もういい加減普通のコンタクトにしようと思った最大の理由は、目の健康上の問題と、月々数百円でも節約したかったから。
という風に思っていたけど、本当はもうアラサーに近づいて、瞳に光がなく黒目がやたら丸い自分の顔に違和感を覚えたからだと思う。
いざやめてみると、こんなに簡単なことだったのか。
確かに黒目は小さくて目つきも悪いけど、だからどうしたんだと思えるようになった。
何より目が乾かないし、見た目に不自然さがない。ようやく人間の目になった気分だ。
カラコンをやめても、コンタクトと化粧はやめられないけど、年をとって、見た目含むいろいろな自意識からじわじわ解放されるのが本当に心地良い。
もっと顔も身体も軽くなって、いい年の取り方をしたいよ。
続きです
私はZ君指名にしてO子ちゃんはフリー客ってことにしたので、いろんなホストさんがまわってくる。私はもう永久指名が決まってるので、名刺貰えなーい(笑)
永久指名ってなんだかすごいよね。結婚ですらいつまで持つかわからないのに、ホストさんを永久に指名するって。
口座とも呼ばれて、その人の裁量でツケにしてもらうことも可能らしい。私は「いつもニコニコ現金払い」をモットーにしてるのでツケで遊ぶのはあり得ないです。
☆他のホストさん
Z君が居なくなって最初に来てくれた子、S君がすごかった。顔は並(あとで見たら表に飾ってあるパネルの子だったんだけど、写真修正し過ぎて誰だかわかんない)で、若すぎるし好みでも何でもないって思ったんだけど、すぐに引き込まれた。物腰が柔らかで、騒音の中で酔っぱらって無茶苦茶な私の話をきちんと聞いて受け答えできて、発声が良いのか非常に話が聞き取りやすい。この人はどんな職業についても成功するんじゃないかと思った。っていうかまずは今やってるホストで大儲けだね!
そして目が普通の人と全然違う。カラコンのせいだけじゃないですよ。じーっと見つめる、清らかな赤ちゃんのような目だと思った。なんだか非常にやばかった。
なんで赤ちゃんを連想したのか、あとで気づいた。オキシトシンが分泌されたんだよ。母性本能、愛情、信頼が湧いてしまったのですね。うひゃ~
彼は指名ナンバー1の人だったようです。O子ちゃんが見せてくれた名刺、名前が筆ペンで手書きでめっちゃ達筆だった。S君、恐ろしい子!
こんな人が次から次へと来たらえらいことになる!と思ったのですが、あとは想定内に楽しいイケメン陣と、あまりお話もできない新人さんの玉石混合状態でした。ほっとした(笑)
他の賑やかなテーブルでシャンパンオーダー。「もう一本いっちゃう?よっしゃー2本!あともう一本?」とかマイクでわーわー騒いでて、結局女の子二人で5本はオーダーしてた。すごく楽しそうだったから良いのだけど、払えるのかなーと心配になりました。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20160421233307
http://s.ameblo.jp/e3-noguchi/entry-12149502439.html
カドカワはほんと、見境なくアメブロ子育・妊婦系マンガ書籍化するな…。
最初は面白く読んでいたのですが、家出やら汚メシやら(不味そうな飯ってこういうものか!みたいな…)、その辺コメントで注意されれば配信でコソコソ愚痴るとか…そして端々に出てくる頭いいアピールなど(誤字脱字多いので説得力ない)…ブログが広まるにつれてどんどんお山の大将になっていってしまって残念でした。
ご本人は気に入ったコメントしか承認しないようなので、コメント欄はまるで女子校のよう。
あの汚メシに「すごい〜、ちゃんと作っててえらいですね!見習わなきゃ」と書いてあるのを見ると、保育園云々の前に、意識の低いプレママがいることに恐ろしくなります。EMIさんの食事なんかを見習ったら貧血妊婦続出します。
分娩のときにカラコンするって言ってたのはどうなったのでしょうね。
コメントで止められまくってもなんの反応もしないので、やるのでしょうか。
オフィシャルブログの管理人さんは、そういう反応はきちんと返すものだと思ってましたが、スルーなのかな。
もともとやっていた破天荒な配信の内容から、ある程度まともさが求められる妊婦ブログへの移行のギャップにも無理がありすぎたのか、毎度力技すぎる。芸能人であればとっくに炎上してそうな非常識、お姫様っぷりには、うーん、ってなります。
もともとワガママでだらしないのが売りだった人なのに、そこはそのままに、妊婦の優越感がプラスされて、もうほんとマタニティハイの人怖い。
たしかにしんどいし不自由にはなるけれど、それを理由に好き放題していいのとは違うと思う。
妊婦を大事にしてくれ、と要求するのであれば、もっと病院などで妊婦の教育をするなどしないと無理でしょう。
EMIさんのように、数字だけの、全く意味のない体重管理をする人が増えていくだけです。
ごはん抜くのは自分の自己満足のためであって、赤ちゃんには害しかないもの。
そんな精神性の妊婦を大切にしようなんて、思えなくて当たり前。
女子高生の前髪を切って、県の教育委員会も先生も何がしたいんですか。
新学期に慣れる暇もなく、始業式離任式赴任式入学式式式式の合間に「学年集会」があった。
まぁ二年も女子高生をやってたら想定の範囲内なんだけど。そこでまぁ受験生だからしゃきっとしなさい的な話を聞き流しつつ、話は最後の生活指導になった。「来週、服装検査があります。次回からは県の教育委員会の生活指導要項が変わったので、それに則ることになりました。では女子は~」ともう衝撃的な要項の数々。
・前髪は眉上、あるいはピンでとめる
一発目の眉上で私の思考は停止。
最近三戸なつめやら武井咲がしている、あれだ。男ウケ最悪に加え小顔の美人だけしか似合わない「オン眉」。さらに眉毛の自由が利かないド田舎女子高生にとって眉毛を隠す前髪はもう、命と言っても過言ではない。その前髪を眉毛よりも上で切り揃えろ、と。
さらに続ける事には、「その時だけピンでとめるなんてことが無いように。」校則を考えたわけでもない一介の教職員が、その校則の意味を考えたはずも無いような教職員が、あたしたち女子高生の退路を断ったのだ。
あたしの学校は進学校だしそこまで厳しくする必要もあるとは考えにくい。
もう、許される事態ではない。
そもそも、何故前髪を眉上で切りそろえる必要があるのか。目にかからない前髪を忠実に守ってきたのは、校則の言わんとすることを理解することができたからだし。(邪魔だし見苦しいし、学業の邪魔である)肩より長い髪を結ぶのも同じだ。
さらに言えば、カラコンや髪を染める事ピアスを開けるのが禁止されているのは不自然に自分を着飾ることになるからだとあたしは解釈している。
前髪を眉上で切り揃えたら成績が上がるのか、生活態度が良くなるのか、あるいは眉毛が隠れていると何らかの不都合があるのか。
ぼさぼさの眉毛が正直あたしは嫌いだし、その眉毛をいじらない代わりに隠していた。というか、そういう女子はもうごまんといるだろう。田舎であるあたしの県ですら。
そのぼさぼさで見苦しい眉毛を晒し上げるような校則の改悪である。
ほんとうにやるせない気持ちで、昨日美容室で髪を切ってきた。服装検査は明日。さよなら、あたしの前髪。大学生になったら迎えに行くね。
その「ギョッとする」自分の感覚だって文化的偏見に基づくものだと自覚できているならいいけど。
こういう意地悪い見方を無自覚にして差別意識をあらわにしつつ、「か弱い普通の人」とか素朴ぶるとしたら、
それこそ人間のグロテスクさを感じるよね。仮にタトゥー画像から滲み出るものがグロテスクだったとして、
まだファッションとして自己顕示のためにタトゥー入れてる人の方が可愛く映るくらい。
だいたい「ギョッとする」みたいな嫌悪感をのさばらせていたら、世の中保守的になって前へ進めなくなるんだよ。
狩猟採集時代の人類のムラに現代人を数人送り込んだら、化粧をする女性をみて気持ち悪がるだろうし、
髪染め、つけま、ネイル、カラコン、ピアスみたいなファッションにもギョッとして
あまりの文化的差異に気持ち悪さや威圧感を感じ、真似た村民を弾劾しだすだろうね、それこそ自傷行為とか罪状をこじつけて。
どの時代にも「生まれ持った身体を弄るのはよくない」という自然派は居るけど、
その「よくない」という感覚は所詮宗教や思想的な一面にすぎず、絶対的な正義では全然ないのに、
そういう人ほど自分の正しさを盲信している。
そういう自然主義にのっとるなら、本来、外科手術や薬を含むあらゆる医療は拒否されるし、
自然食品以外を食べるのも自傷だし、服を着るのも異様なことだけど、それは現代の文化では当たり前すぎて
相当ラディカルな人でない限りは無意識に受け入れてるくせにね。
まあ俺自身は出不精なダサ男だしタトゥーなんて柄でもなく自分がやりたいともさらさら思わないけど
ファッションの範疇に収まっている他人に直接被害のないようなものを嫌悪感で叩く世の中は嫌だ。
そんな「痛いニュース」が可視化したみたいな最低な世の中はね。
似たような例で言うと、缶バッジをジャラジャラつけて闊歩するオタクとかだろうか?
自分はやろうと思わないけどそういう子がいることを責めるのは違う、そういう感覚。
実際迷惑行為をしていたりしていたら、その時その場でその事について責めるべき話で、
私は変にプライドが高く、黒髪、メイクに抵抗があるスッピン喪女だった。外見に関しては世間の人様が私と一緒に歩いてる所を「誰かに見られたくない」と思われない程度の「清潔感」や「小奇麗」なスタイルをしていた程度だった。因みに腫れぼったい一重。コンタクトレンズも怖くて出来ない人間だったから授業中だけ眼鏡。
勉強を頑張ったり、何かしらの成果物を残す方向で、皆に認められようと努力し、クサイ言葉だけど「ありのままの自分」の姿で生きてきた。
メイクに抵抗があるのは、中学の頃からずっと。何だか顔に美術を施してるみたいで…何よりもメイクしたら最後。まるっきり自分の顔じゃあない。本来の自分はどこ?
正直顔面詐欺だ。詐欺な顔で友達を作っても(釣っても)、この顔で寄ってきた子達と友達になっても真の友達じゃないし、何か仕事をしても正当な評価じゃないから。だから、不細工だけど小奇麗にしていて数字を残していれば、私はそれで良いと思い込んでいた。
それは、非常に浅はかな考え方だった。それに気が付いたのは、進学してからだ。
1個上の先輩を好きになった。電車の窓に映ったスッピンの私の顔がどこか「女」の顔になっているのが、自分でも解った。ほっぺたはどこか赤いし、表情が違う。変な言い方をすると、世界中の人達を愛せる様な、今なら何でも許せる、そんな大らかな気持ちを抱いてた。体中がポカポカして、無意識にスキップでもしちゃうんじゃないかって位。
先輩に告白したい。でも出来ない。しちゃいけないって解ってた。理由は2つ。
好きだったけど、偏差値も人として(既に先輩は大人と対等に会話できる人だった)色々スペックが違い過ぎて。お呼びでない感はもう空気感で伝わった。私は告白なんてする土俵にすら上がれない事は、本能的に悟った。だから、告白できなかった。
それから、先輩は煌びやかな造形美な女性が好きだった。北川景子や佐々木希、滝川クリステル。同級生や学内に居る女子に対しても、そう言った華やかな女子に対する態度と、素朴な女子に対する態度とはあからさまに違っていた。
私は自分のちっぽけなプライドをへし折って、メイクしたり垢抜ける事は出来なかった。結局は自分の個性を、私は取ったんだ。初恋だったのに。今ある自分の素材の範囲内でのオシャレと減量(163cn 46kgになった)。私のプライドと折り合いを付けた努力は、その程度だった。案の定、造形美な華やかな女子や先輩方とは、足元にも及ばなかったし、一緒の空気さえ吸えない程の外見。
そうこうしていると、私は某男子から告白された。外見が太ってて背も低くてキモい男子だった。例えるなら、銀魂の「ハタ皇子」そっくりだ。性格は社交辞令を真に受ける様な、それでいてナルシストな男子。学校の皆は彼を茶化しちゃいけない相手として接してきた。何か茶化したら、ちょっとした一言で自殺しちゃうんじゃないか。そんな様な男子。
どこかのブログで「僕は性の対象として観てない女子から、性の対象として見られていたと知った時ゾッとした。好きでも無い女子から告白された時、「死ね」と思った。精神的にもダメージが大きかった。だから、不細工と自覚している自分からは絶対に告白しない。正直言って、相手の女性からしてみたらテロの被害者である。」というのを読んだ事がある。
まさにその通りだった。私は彼から告白された時、丸で末期がんを診断されたかのような、奈落の底に突き落とされた。
私の事が好きな事は何となく解ってたけど、クラスメートとして、適度な距離を取りつつ、挨拶をする程度にしていた。私は彼に対して決して誤解を招く様な発言も行動もしてなかったと思う。害はないと、思っていた。だから、ノーガードだった。突然呼び出されて、告白された。
「何で私なの?」
「だって、〇〇さんは美人だし、△△さんは可愛いし、僕には到底告白なんて無理だから。でも、貴女は僕とあいさつしてくれるし…」下を向いたまま、何故かコーヒーのストローの紙でずっと折り紙?をしている。
つまり、私は彼にでさえ「コイツなら嫌とは言わないだろう。素直だから、自分の意見を持たない良い子だから、自分にも手が届きそう。」と思われていた程度の存在だった。
自分の市場価値というものを、痛いほど実感した。先輩に好かれたいとか告白なんて、もう絶望的なレベルの人間である事も、十分痛感した。
こんな精神的に病む事を、先輩に経験して欲しくない。だから、今の私は、先輩を好きになる事すら迷惑がかかる存在。一方、ハタ皇子の気持ちもよく解る。だから丁重にお断りした。それでも毎日毎日、距離を縮めてきて「友達だから、良いよね?」と昼食を同席してきたり、フィールドワークの際もついてきた。終いには、「昨日、忙しそうだったけど、なんのイベントだったの?友達なんだから聞いても良いよね?」とやたら詰め寄ってきた。
「友達」という大義名分で、どんどんとハタ皇子が近寄って来て、気持ち悪いという気持ちがやがて、「ウザイ」になった。
「いい加減にしてよ!」と叫びたかった。でも、言えなかった。私も、一歩間違えれば絶対に先輩に盲目になり猛アピールしてたと思う。そうなったら先輩は私を再起不能にするまでに一喝するだろう。それを想像すると、背筋が凍った。だからハタ皇子の気持ちも解るし強い口調で「いい加減にしてよ!」だなんて言えなかった。
私は、考えるに考え、笑顔を作りつつも、徐々にフェードアウトして、なるべく同じ授業を取らない様に、気を使いながらニアミスしない様に、学校生活を送った。
そして7年が経った。
私は卒業してから、アイプチに手を出し、都内の有名美容院巡りを経て出会った女性スタイリストさんが独立して経営する小さな美容院に通っている。
お堅い仕事柄、スーツだけれども、私服も、シンプルながらも地味すぎない、小物を使ったファッションを採り入れて、無理のない、背伸びをしない、オシャレを楽しむ女性になった。雑誌は買わないけれど、オシャレな女性を見ては真似をしたり、服の配色や自分が絶対似合う服を把握。女を楽しんでると思う。
アイプチの効果は偉大だった。周囲の人たちの態度がまるで違った。人扱いから、贔屓扱いしてくれるようになった。「可愛くなったねえ」「お姉さんになっちゃってまあ」。苦手だったコンタクトも克服できた。因みに、つけま・カラコン無し。アイメイクもアイプチだけ。と言うか出来ないよね、アイプチノリだし。
社会に出てから、男性から告白されるようになったし、「美人」とか「班のマドンナ」とか言われるようになったり、視線も多く浴びるようになった。周囲から見返りを求めずチヤホヤされる事も初めてされた。女扱いが初めてばかりので必然的に私は、しどろもどろで腰が低くなる。「調子に乗らない良い子」「付け上がったり高飛車じゃないから良い」とか。
人間ってここまで私は変われるんだ…プライドをへし折った、それだけで。別世界な社会人生活を送っている。
人間ってここまで外見が違うと扱い方が変わるんだ…。人間不信じゃないけれど、人間の心って不思議だな、と思った。同じ「私」なのに。
漸く、軍資金も、経済基盤も、社会人としての生活も、衣食住も、整った。
けれど、卒業後から同窓会などには一切出ていない。例の先輩に私が何故か告白しフラれた事になっている様だ。そしてハタ皇子からはリベンジをされそうなので(実際FBに友達申請が来た)恐いし、正直行けない。先輩の件も、ハタ皇子の件にしても、その二つを考えると、どうにも腰が重くなった。
経済的にも精神的にも女としても、成長したら、先輩に告白するつもりだった。今がその時だと、思ってた。腰が重い…でも、その思いはムダだった。
既に先輩は就職して赴任先で出会った、同業他社の女性と結婚したみたい。去年から東京に戻ってきたみたいだけれども、もうパパなのかな。
「遅かったか」と思ったけれど、不思議とショックはそこまでなかった。だって、好きならお互い自然にそうなってたはずだし。それに、社会人になってから「人を好きになる事」という事を改めて実感した。身が焦がれるような恋が、この世にこんなにあるんだって事も知ってしまったから。素敵な男性が、沢山いるんだって、知ってしまった。
だったら学生時代に、告白してればよかった?という思いがよぎる度に、ハタ皇子からの告白の精神的ダメージを思い出し「私は正しかったんだ。」と思えた。
何よりも、このプライドの高い私が、メイクに手を出し、自分を変える・捨てる、なんて一新させ、今の生活があるのも、ハタ皇子のおかげなのだ。
ハタ皇子が私の市場価値の低さを、結果的には教えてくれた、目を覚まさせてくれたんだ。
いつか、私が好きになる男性に、失礼のない様に、見た目も可愛くなる様に、ほどほどに気を配るつもり。
因みに、二重になったので、今はアイプチを卒業。今は普通に昔の同期と会ったり、先生と会ったり、コミュ障も大分なくなったかな。
私にとって、自分を見つめる事は、とても大きな壁だったけれど、強引な形で向き合わざるをえなかった事で、喪女的外見から卒業できました。
でも、矛盾しているけれど、今でもスッピンで勝負している女性達にはエールを送りたい。私は負けたけれど、彼女たちの「ありのままの姿」で家族を持ち生活を送る方々には敬意を示したいと思っている。
乱文で御免。ここまで読んでくれて、有難う。
なんか既にさんざん色々言われているが、渋谷と六本木のハロウィン行ってきたし、コミケにおいてはスタッフ参加・コスプレ参加・サークル参加もしたし、所属企業が企業参加もしてたんでこの件については意見をいう資格があると思って、言う。
とにかく、コミケと比較してハロウィンコスプレ連中を叩いている奴はアホだ。私は断言する。
「コスプレは自分たちが主流」という考え方もあるだろうけど、確実にあちらのほうが主流になっている。「人数が多ければメインストリームなのか!?」という意見もあるけど、人が多けりゃまぁメインストリームでしょう。さて参加者の数を正確に測定するのは日本野鳥の会を雇っても難しいんだけど、まぁコミケととなコスを合わせた数よりは多いだろうな、と言うのはチラ見でも分かると思う。
「多数がやってるからと言ってマナー違反はマナー違反だ!」という人は、自分を振り返れば分かるだろうけど、コミケ参加者だってマナー守るひともいれば守らないひとも居る。人数が多くなれば守らない人が多いような気になるものだ。
これは最大の問題なのだけれど、渋谷六本木のハロウィンは本質的には主催者がいないイベントなのだ。川崎ハロウィンはほぼ実行委員会の下にあるが、渋谷六本木については、個々のクラブイベント等の集合体に過ぎず、全体を統括する責任者だとか、共同代表だとかはいないのだ。ゆえに警察の対応も場当たり的な交通整理になるし、人の流れの動線についても責任を持つものがいない。交差点の真ん中で写メろうが、ニコ生しようがUstreamしようが、だれも止めない。警察も止める権限がない。
一応シブハロ実行委員会というのもあるが、あれもパルコとか幾つかの店舗のイベントの統括に過ぎず、渋谷のハロウィンについてなんら責任を負うものではない。
この点、コミケについてはコミケット準備会の私的なイベントであり、主催者の決めたルール(コスプレ来場・徹夜組・過剰な露出・消防動線の確保など)に従わないものはもちろん、「単に気に入らない人間だから」というだけで参加を拒否する権限すらある。一方で、その範囲内で法令違反(わいせつ物・火災・動線の失敗による転倒事故)などがあれば管理責任として、最悪は代表者や担当者が刑務所に入るリスクすらある。
また一般的な神社などのお祭りと比較する意見も見られるが、あれも神社の氏子組織とかが実行委的なものを作ってたりしますね。
ゴミ箱については、コミケのひとたちもあの巨大なコンテナゴミ箱がない状況で、ゴミをキレイに捨てられるなら言ってくださいね〜と思う。
公共担当した人ならわかるけど列移動後のゴミはどうしたって残ってるし、館内担当の人もサークル撤収後にゴミが残ってるのは何度か見てると思う。
東京都が早く、ハチ公のとことセンター街の角海老のとこあたりとかにコンテナゴミ箱設置してくれれば改善されると思う。逆にコミケだってコンテナゴミ箱を無くして「ゴミは絶対に絶対に持ち帰ってください。コンビニで買ったとかしるか!」ってやったらゴミだらけになるのではないかな。上野公園の花見だって、コンテナゴミ箱を設置するまでは恐ろしい量のゴミだらけだったし(平成元年はまだそんなだったぞ)、まぁ今も酒入って朝までやってるから多少はゴミだらけだけど、昨今はちゃんと片付ける度も高いと思うよ。
あ、あと意識高い参加者はどちらにもいて、コミケだって16時過ぎに隣サークルのゴミを拾って捨ててる人とかもいるし、渋谷も朝の…6時だっけな?ゴミ袋とトングを配ってて、路上のゴミを拾うボランティアコスプレイヤーたくさん居ましたね。素晴らしいです。
まぁ酒飲みながらコミケやるやつもあったんだけど(コミケットスペシャル)、あんまりガッツリ飲む感じじゃなかったんですよね。その点、シブハロは終電過ぎてからがメインで、クラブやバーなんかの酒を呑む店がメインだったりするのもあって、ちょっとテンションがおかしい人が増えるってのはあると思う。
「酒飲んでるからって許されるなと思うなよ」ってのはあるが、正直コミケでマナーが良いのは酒が飲めないからであって、アニソン系のダンパとか行くとわかるけどぶっ壊れっぷりはヲタ層でも昔から酷かったような・・・。
理由5:着替え場所(更衣室)の問題。または「コスプレ来場(家からコスプレ)はノーマナーなんですけど!?」問題。
更衣室が無い、そしてハロウィンメイクは化粧室を汚しやすい(血糊とかが飛んで洗面台がひどいことに)というのはある。
例えば六本木ヒルズのお手洗いについては、「ハロウィンメイク禁止」の札が貼ってあった。そうでなくとも、トイレで着替えたり仮装のためのメイクをするのは他の利用者の邪魔になる行為だ。
一般のコスプレイベントでは、これは禁止事項にあたる。コートを羽織って参加すらダメという扱いがほとんどだ(一方でメイク・つけまつげ・カラーコンタクトは許容される傾向がある)。だが、コレは必須事項だろうか?
これらは実際には、運営者側の問題であり、さらに言えば徹夜組等で苦情が来たため・・・とかじゃないだろうか。コミケは運営方針として、基本的には『禁止事項は少なく』の方向で動いている。だから禁止事項になるのは「明白な危険(あからさまな武器と判別つかないもの)」「他人の迷惑(コス着替えでの化粧室専有とか)」に限っている。
そんななかで、長年ずっと疑問だったのが「コスプレ来場禁止」のルールだ。これ禁止するくらいなら、もっと前から「エロ紙袋禁止」をするべきだった。
ただし、正直なトコロで言えばコスプレエリアトップは館内や公共・外救とかとは違うルールっぽくてよく知らない。
とにかく別に、コスプレ来場したってそれが本人に恥ずかしく無いのであればいいんじゃないか?と思う。過激な露出がある場合ならコートとか羽織ってね。
むしろコミケの更衣室はゴミゴミした大部屋に押し込められて、キャリーバッグの上に鏡置いてメイクして…ってやってらんねーんですよ。メイク終わったあとにカラコン入れ忘れたことに気がついて手を洗いたくても洗面台は無いので外に行くかそのままの手でカラコン入れるか(目が荒れるのでやってはいけない)。。。あそこで血糊コスやったら、ジュータンの上に血糊ぶっこぼすやつが毎日10組は出るね。
血糊の話は次節に、露出については次次節に譲る。
今年も去年も、電車の中で血まみれナース服の連中をダース単位で見てたし、血まみれリーマン風ゾンビさんが酒飲んでぶったおれて寝てるのはどう見てもガチでオヤジ狩り後なんじゃないかと心配になる。血まみれでもシュッと立ってスマホ見てつり革掴んでりゃ多少はマシなんだけど。
いずれにせよ、これは
扇情的な格好、という意味ではコミケやとなコスのほうがひどいのは多いと思う。なお一部クラブとかでは過激な格好をしてるところもあると聞くが、そういうのは会員制で入れなかったりするしさておく。
一般の路上で扇情的な(谷間やヘソ・下乳が出る程度の)格好をすることの是非はあるが、コミケやワンフェスでシェリル・ノームやキルラキルコスプレがたくさんいた事を考えると、路上における露出の程度は問題ではない気がする。
「公共の道路でやることが問題なんだ!」というのも、最近のコミケでは庭園エリアとかの公共エリアとほぼおなじところでやってるのはある。
はいはい盗撮で毎年逮捕者出てるコミケはおうちに帰ろうね。。。
なお警察が100人以上出動しているのは、主に交通整理の問題であって、コミケだって公共の人たち(駅の案内・信号周辺などなど)に数百人を配置してるうえに、そもそも信号がほぼ無い湾岸エリアだもん…。
「そもそも渋谷とか狭いとこでやんなよ!」と言うのは納得ではあるが、ガイジンは渋谷と六本木がやたら好きなんだよ!理由は知らん!
「コミケは外国人がたくさん参加してる!」って言うけど、少なくとも所属企業の外国人従業員30人前後のTwitterやFacebookを見る限り、コミケに行ったのは2,3人くらいだけど、ハロウィンは20人以上いってたからな。
もちろん外国人にも趣味はあるけど、初音ミクが好きすぎて日本に就職したガイジンですら、ハロウィン参加していたからな(コミケももちろん行ってたけど)。
あと、やっぱりパット見でガイジンと分かる人たち(非アジア系の外国人たち)の存在率考えても、渋谷六本木のハロウィンはコミケの10倍はガイジン密度高いと思います。
実際に歩くとガイジンばっかだなーって思いますよ。コミケじゃごくたまに見るくらいですね。
まぁコミケは既に文化となってて、日本に留学してコミケ含むオタク文化について論文書いて博士号取った人とかもいるのにくらべると、ハロウィンは文化的にまだまだーというのはありますが。
巨大レンズぶら下げて取る専なカメコは多分ハロウィンには居ない・・・か居てもかなり少ない。コミケだとカメコ率以上に高いのに比べると、みんなスマホかせいぜいコンデジ。
何十人も取り囲んでローアングラーが張り付いてスタッフがカウントするまで囲みが動かない・・・ということはない。
コレについてはよくわからない。結局のところ外部経済であるのは飲食ぐらいで、コミケだってなんだかんだでオタク同士の輪のなかでの内部経済みたいなもんじゃないのだろうか。ハロウィンの警備で警察が出て税金使ってるけど、コミケも救急車も警察も消防もキテルんだヨー。だから熱中症対策はちゃんとしようねー。
ROを経験した人間にはなかば常識ではあるが、ノーマナーという言葉は
> 「自分にとって不愉快な行為をした人間」に対して「ルール違反」的な意味合いとして、レッテルの貼り付け
として使われている。
総論:
そんなわけで、渋谷と六本木のハロウィンを綜覧して語ってみた。とは言え六本木も渋谷も、ストリートではなくてクラブの中で様々なことが行われていて、その中では新堂エルのマンガに出てくるような黒人が、新堂エルのマンガに出てくるようなことをしているのかもしれない。新堂エルのマンガに出てくるようなことをしたい。
とにかくコミケ参加者たちが自分たちが特権階級のように言っているのがムカつく。既にメインストリームはあちらに移っていて、完全に時代から取り残されつつあるのに「マスコミはダブルスタンダードだ」としか言ってないのがムカつく。時代は現在、新たなる局面へ向かいつつある!我々も表に出ていくべきときなのだ!時代は新たなオタクたちのものだ!立てよ国民!
目のふちに刺青とか、整形とか、高品質なカラコンとか、ここ10年で美容系は進みまくってるよ。
主にミュゼが頑張ってるんだけど
今の化粧技術はすごくて。スッピンならクソブスがちょいかわいいくらいになる。
これが行き過ぎていて。今、スッピンなら普通くらいの顔の女がちょいブスくらいの扱いになっている。化粧したブスのほうが、普通のスッピンを簡単に抜くから。
なんでこんなに化粧の強さが増したって、骨格ごとの化粧のやり方のバリエーションや化粧品の品目も増えたし、整形も安価だし技術や評価基準も確立してるし、アートメイクなる刺青や、カラコンも当たり前、痩せる方法が確立(運動、栄養法、管理法)されたので化粧する前提のBMI22をわりと簡単に満たすことが可能になった。
また、芸能人やモデルの試行錯誤で化粧のやり方のバリエーションやかわいいと思われる顔のバリエーションが増えた。
しかし、これらのメイクは、落とし穴ってか。「vsイケメンorドキュン」用なのだ。
普通の男は、これらを見て、「ああ、かわいいんだろうな」とは思うが、「付き合いたくないな」と感じる。だって、面倒くさいでしょ。そんだけ頑張ってる女が求めてくる欲求ってどんだけ。
しかも、それってイケメンやドキュンみたいな自分に自信アル奴対象のファッションだったり(リア充的コミュニケーションに溶け込める)、コミュ力だったりするから、フツメンは疲れる。
ラインのスタンプ押し捲って、顔文字なんて、面倒くさいのと一緒。
この系統の女と普通の仕事するのすらダルイのに、ましてや付き合うなんて考えない。相手の女からしても、イケメンやドキュンに対するファッションなので、フツメンに興味ない。
イケメンやドキュン用のコミュニケーションや考え、見た目を作ってきたのだから、ますますイケメンやドキュンが好きになるのは当たり前、女にしてもそいつらと付き合うほうが楽。
だけど、イケメンはせいぜい10%いるかいないか。ドキュンはDVばかり。女もこれにはドン引きして、お互いイケメン用のファッションを作りあった女友達しか付き合えなくなる。
つまり、フツメンもイケ女を避けるし。イケ女もフツメンが苦手。
これだと思う。
ヤマンバ、イベサー、ガングロ…ギャル・ギャル男はどこに消えたのか?
http://ddnavi.com/news/221113/a/
去年の記事だけど、わりとまともに書かれてる。
読モらの活躍などによって一般層にまで渋谷のギャル文化が流行したこと、そしてギャルファッションが産業化したことによって間口が広がり、先鋭的な部分や不良性が薄まり、ギャルファッションは普通の人のものになりました。ギャル文化はエッジィなものではなくなってしまったのです。
カラコンやつけまみたいなギャル固有の文化もいつの間にか、清楚系ビッチの中に溶け込んでいるしね。
従来の渋谷のギャルの正当な後継者には「ネオギャル」という存在があります。彼女たちはヤンキーのように地元志向ではなく、性格はアグレッシブ、経済的に余裕のある家庭出身の人が多いですね。そして文化や経済のグローバル化を非常に意識していて、ファッション面では髪の毛がプラチナのように明るく、肌は色白です。代表的なのはモデルの植野有砂さんや、串戸ユリアさんなどです。
また水商売系のギャルの一部も「ネオギャル」に含まれます。彼女たちの中には、そこで得た資金をもとに海外留学を目指す子もいますし、従来からいたような自分の店や会社を経営したいと思っている野心家の子たちもいます。彼女たちも渋谷ギャルたちの後継者といえるでしょう。
この前実家に帰った時に、地元で仲がよかった友だち達と約3年ぶりに再会した。
美人で性格のいい友だちはキャバ嬢をしながらヒモの彼氏を2年前から養っていた。
家が近かった友達ももれなくギャルになり、ドラッグストアでレジ打ちしながら改造したワゴンR海に繰り出しナンパを待つらしい。
同じ趣味を持ってた友達は、派遣を3度辞めて、期間工になりお金を稼いではK-popのアイドルの追っかけをしてるらしい。
デキ婚した友達は、旦那が帰ってこなくなった為、実家で暮らしつつ新しい彼氏をSNSで探していた。
話が全然合わなくなっていた。たった3年なのに、と思った。
なんとかして以前の面影を探したくて、必死に共通の話題を探したけど、
愛してる、おまえだけとかとにかく歌詞が直球な歌を歌う聴いたこともないような歌手の話、
k-popやExileや三代目や浜崎あゆみの話。どこのエクステがいいかとか、車がどうしたとか、
男にナンパされたとか、イオンに同級生のあいつがいたとか、そんな話が延々と続いた。合わせて大げさに笑ったり、相槌をついたりしかできなかった。
キャバ嬢になった友達が、「格好がおしゃれやね、東京の人は違うわ」と私のユニクロの服を見て言った時、
心底来なきゃよかったと思った。仕事の話を聞かれて曖昧に答えたら、「さすがうちらの希望の星!」って言われて、やっぱり心底来なきゃよかったと思った。
こんな寂しい思いをするんなら、facebookでいいね!を押すだけの距離感でお互いに何も知らないままずっと長く付き合っていたかった。黒々しいカラコンが、余計に皆の元の顔を分からなくさせてた。
きっと今度は誘われないと思う。
テスト前だけど書く。
「二次元があればいい」とかいう言葉を最近は全く聞かなくなった。
本田透とかがなんか言っていたのは知っている。
だけど最近は「二次元があればいい」も本田透も聞かなくなった。
エビデンスは全くない。いや、本田透を見なくなったことはAmazonで検索をかければわかるけど、「二次元が俺の嫁」なんかいうニュアンスの言葉は見なくなったことへの証拠はない。
福岡とかいう田舎から京都に来たあまり頭のよくないやつは二次元があればいいなんか言っている。
もう、二次元があればいいなんかほとんどの人間が嘘だってみんな気づいている。
欲望に正直になってきているんだ。
二次元をダシにして性的魅力を持てるものが生身を楽しもうとしている。
レイヤーなんていい例だろう。
正確には完全には消えてないが、ほぼ意識しないレベルに消えた。
ってのも、にちゃんのなんかのスレを見ていたら、
「生まれるときに、顔か金持ちの親に生まれるか選ぶとしたら、金持ちの親に決まってるだろ」ってレスを見たから。
かなり納得した。
このレスを見たとき、「俺なら金持ちの親より頭の良さを選ぶな」と思った。
俺は高学歴で同世代の5倍くらい稼いでる高収入だが、ブサメン。そのことで、特に悩んでなかったんだけど、
3年くらい前から、いない歴=童貞ということでちょっと焦ってしまった。
それまでは、「馬鹿で低学歴で何もできない家畜の豚みたいな人生送ってる奴とか哀れすぎ。それで金も無いなら人間に生まれた意味ないなそいつ」くらいに思っていた。
リアル女性よりも、AVや二次元のほうがはるかにいいじゃんとしか思ってなかった。
しかし、仕事も落ち着いてくると、いない歴=童貞はヤバイ。子孫残せないじゃん。「子供残せないとか遺伝子の死だろ?遺伝子のセキトリゲームに負けてるんじゃん。俺負け組みじゃん」って思った。
焦ったので、モテル方法だの、恋愛術だの、ファッション雑誌だの、ファッション系の友達だのと声をかけて色々やったが。
まったく彼女はできなかった。
コンプが始まりだすと、にちゃんまとめとかでも、女は見た目しかみてない、※ただしイケメンにかぎる、夫はATM。などの言葉が真にせまって聞こえた。
うんうん、その通りだと、女叩き系のスレを読み漁り。がーるずちゃんねるだのの男叩きしまくってるレスを見ては女への失望を増やしていった。
高級風俗やキャバクラなども覚えて、女の見た目にも飽きてしまい。セックスよりオナホールやエネマグラーが最強だと確信を深めていた。
女に対して、まったく興味がなくなり。
単に女を攻略するっていうそういうゲームをやりこんでいる気分だった。ドラクエのレベル上げのように、装備を整え(ファッション、髪)、呪文を覚え(トーク)、能力値を上げ(ダイエットや筋トレ、日サロやカラコン)、ボスごとの特性を覚えて(女性ファッション誌や若い女との話題つくり)みたいなゲームを続けていた。
余りにもクソゲーすぎて、受験やスポーツなどの高尚なものに比べて余りにも中身の無いゲームすぎて。こんなもんで規定されてる恋愛ゲームはなんてクソなんだろうと思った。
俺は、生まれるときに、顔より金より頭が大事だと思っている。性格なんてのも、顔の次も次5の次6の次。
俺が自分の子供に選ばせて上げられるなら、シコメでもブサメンでもいいから、頭がいいのを選べと教えるだろう。
なら、結婚相手はブスで頭いい女が望ましいなと思った。
頭いい女は俺になびかないだろうが、じゃあ次は資産家の娘だなと思った、だって次は金だから。
ここまで考えて、ようやくわかった。俺は間違っていたかもしれないと。
「雰囲気イケメンだのナンパだので付いていく女は三流」と女はよく言うが、「イケメンに囲われるのはかわいい娘ばっかりだからwブス女の嫉妬乙w中身が無いと叩かれるバンギャは美少女クッソ多いからw」と思っていたが、本当だったんだな。
三流女捕まえてもなんもうれしくない。だって、金があれば見た目だけなら風俗でいくらでも買えるから。ってか、イケメンスカウトが必死こいて二束三文の給料で頑張って美女を風俗だのに持ってきて、俺みたいな金持ちはコスパ最強でいいとこ取りしてるわけだから。いうなれば、豚を狩りする労力ゼロで豚を食える消費者が最強みたいな。
だから、見た目で女に飽きて、見た目で女に興味持てなくて、見た目がまったく興味そそられないから女を叩くっていう、俺の女叩きの根幹部分がおかしいと気づいた。
俺は、これまで女の頭の良さにまったく興味を持てなかった。
だって、女が頭がいいと言っても、男のほうがトップ層は上だし。と。正直、受験で勝った自分を肯定したかったし、頭の良さとIQの高さだけが俺のプライドで、俺は発達障害で他人とナチュラルな付き合いをするのは無理だから、そこにこだわってたんだと思う。
頭が良くないと自分はカスだと思ってるし、ユダヤ人なんかも、頭がよくないと人種としての価値は無いから必死になってるあたり、俺の意識の持ち方はある意味肯定されていると確信しているし、今もしている。そしてユダヤ人のように、劣等感と差別意識もキッチリある。
しかし、子供のことを考えると、女の頭の良さも十分大切じゃんと思った。したら、女の頭のよさを考えることも意味が普通にあった。
女は、高学歴高収入のブサメンを「ATM」としてみてるし、若い内の価値がある部分をイケメンやヤリチンとさんざん遊んで、廃品回収でブサメンに残飯処理させるのはどうなの?って思ってた。女は男の中身=頭を見てないから、女の頭を叩いてもいいじゃんと思ってた。やられたんだから、やってもいいだろって思ってた。
しかし、違った。女の頭が男より劣ってるとか、そういう話は意味がなかった。
女は女枠での頭のよさが試されてるし。それはスポーツで女枠の中で女が試されるのと同じで。男女での比較は意味が無いと。