はてなキーワード: ぼやきとは
デザイナ会社のweb部隊でディレクション・マークアップ・JS書いてる三十路前の女
30代後半~50歳手前のおっさんばっか。
入社当時は、10人ほどいた部隊はこの4年で6人辞めた。私も辞めたい。
社内でそれなりに評価は貰えてると思う。
同年代平均よりも貰ってるだろうし、出身地方の月給15万とか見るとこの道進んでよかったなぁと思う。
だけれど、仕事が楽しくない。
ディレクションが増え、実務でコーディングする時間が徐々に減ってきて..あれなんでここ会社居るんだっけ?と思うこともしばしば。
IT技術の勉強でもするかと奮起するが、何を勉強していいかいつも悩む。
情報系専門学校卒で、資格だけはとにかく持ってる。知識でっかちの豆もやし。
実際に手を動かすと、全く何も出来ない。
なにがしたいかわかんねぇ。
ノリと勢いでweb業界にいる私に、次何を学べばいいかおしえてちょ☆
保持資格
・Oracle bronze
基本情報午後のCASL勉強してた10年ぐらい前と応用情報受かって、ネットワークスペシャリスト受かるぞと燃えてた頃が、1番楽しかったな。
大学生を使って安くでアプリ開発なんて手法は、本当に恥ずかしいと思えよ。シャンラボの田中潤よ。インターンは、お前の奴隷じゃないんだ。
https://shannon-lab.co.jp/?p=10067
本来、インターンとは実力を発揮する場所です。仕事の経験をするっていうのもあっていると思いますが、教育して貰える場所というのは大分違う。
インターンで教育すると言うのはかなり間違っていて、それは人材採用の一環または社員研修の一環をインターンと呼んでいる会社があります。
弊社のインターンはどちらかというと実力を試す発揮する場所です。
人材採用をインターンと呼ぶ会社もあるようですが、インターンはインターンです。仕事を経験するか今まで学んできたものを実力を発揮する場所です。ローンを奨学金と呼んだり日本語はなにかと曖昧ですが、ここにきて調べると言うことを学ぶのではなく、学校で日頃からググって調べる=>実行して試す=>プログラムを書くを当たり前のように学んでおいてください。その能力を試す場所です。
日頃から Google を使いこなしていないと、いざ使おうと思った時に使えないんですね。学校で Google を使って調べて実際行動するこれを身につけておくことで、インターンに来たら就職したらそれを駆使してプロジェクトを進めるそういったことを行います。
自分で調べて自分で行動することは社会に出て当たり前のスキルです。この当たり前の能力が養われていない学生さんが多い印象です。これがないとこれからの時代は仕事をしていけません。Google が使える学生さんと使えない学生さんでは100倍ぐらい能力の差があります。プロジェクトを遂行できる学生さんとできない学生さんではまた100倍くらい差があります。
過去のインターンの記事を読んでいただけるとわかると思いますが、弊社のインターンにはあなたの能力がどれくらいか試す知ることができます。
人材採用の一環として囲っているのはインターンと本来呼びません。感想文などを見ると弊社のインターンは通常のインターンと違うと書かれている方が多いようです。実際、弊社では調べる実行を徹底的にやります。こちらの方が正しいインターンと思っています。ローンのことを奨学金と読んだり定義が曖昧になることが多く都合の良い解釈をするのが日常的になっています。お茶を濁し 定義を曖昧にすることを文科省が助長しています。曖昧な言葉から学べることはありません。もしかしたら弊社のインターンで一番養われるのは真実を見抜く目かもしれません。実践に近いことを経験することで得られる学びも大きと思います。
皆様のご応募お待ちしております。
その会社は大きな会社で、1万を超える従業員数なのだが、未だに上から「全員出社!」って言われてるそうだ。
業種によってはどうしようもないかもしれない。(飲食とか、物流とか。)
だけど、IT系で出社させてるその人は「出社しないとできない業務」なのだろうか。(エンジニアとか、デザイナーとか…。)
もちろんどうしてもって人もいるかもしれないけど、全員そうなの?って思ってしまう。
会食とか旅行とか、業務と関係ないところで感染するのは自己責任といえるけど、
業務で出社させるとなると、責任の所在が会社に紐づくのではないか。
変異株の影響で、どんなに感染対策したって感染してしまうと言われてる時代なのに…
と思ったぼやきでした。
このエントリは多分世間一般に言う腐女子にしか関係ないもので、第三者的には関係ない話です。
腐女子じゃない人による腐女子叩きは本筋と関係ないのでご遠慮くださいね。
「腐女子」という呼称を嫌ってる人がいる、というのは知ってる。
LGBTQへの理解が急速に進みつつある昨今、「同性愛の物語を好む人を腐ってるというのは自称も他称もやめませんか」という言説があるのは腐女子の端くれとして把握している。
事実同性愛は腐ったものではない。2020年代を生きる者としてその認識に異論はない。
だから「腐女子(腐男子)」というのをやめないか、とその言葉そのものの使用を縮小させたがる傾向にある。
が、待って欲しい。
ざっとネットで検索したところ、少なくとも2015年にも同じ議題を投稿している掲示板を見つけた。だが結局6年経った今、その掲示板に挙げられている呼称は浸透していない。
「BL好き」とか「BLを好む人」でいいのではという意見もあると思うけど、結局それは代替"単語"ではない。
今どき海外のドラマに腐女子が出てくることも珍しくない。日本語字幕の文字数には1秒3文字という制限がある。その限られた中で「BLを好む人」として「腐女子」と書けば今の日本人のほとんどがその意味を理解できるだろう。代替単語としてはそのくらい短くて、かつ浸透しやすいものじゃないと腐女子並の市民権は得られない。
方法としてはドラマだの漫画だのバズるメディアが代替単語を使い始めるのが手っ取り早いとは思うけど、ここまで確立されてる単語を塗り替えるのはこのネット社会では簡単なことではないと思う。そもそも「腐女子」という単語の歴史も結構長いでしょ。そんな簡単に塗り替わるわけがない。
「Shipperはどうか」という意見がある。実際私のいる海外BL界隈では「最近ドラマでBLにハマったんだろうな~」って人がShipperと使っている印象がある。
が、待って欲しい。
海外のスラングとしての「Ship」は「カプ」という訳が概ね正しいと認識している。つまり男女の指定がない単語だ。
My shipと検索すると男男、男女、女女のめいめいの推しカプが出てくる。
つまりカプを指定していないShipperの正しい訳としては「カプオタ・カプ厨」が正しいのであってBLだけを指す「腐女子」とはニュアンスが異なる。代替単語にはなっていないのだ。
このことを理解しないまま「私Shipper(BLだけ好き、HLやGLは嫌い)なんですよ~」「私もShipper(HLが好き、BLやGLは嫌い)なんですよ~」なんて会話を想像してみて欲しい。事故である。完全に事故である。
もう既に男女指定なく使われている単語を腐女子(BLを好む人)が横からかっさらってBL専用単語に仕立て上げるなら、それは色々と腐ってる行為ではないだろうか。じゃあもう腐女子でいいでしょ腐ってるんだから。
理想としては腐女子だの百合豚だの、同性愛の物語を好む人の呼称なんざ撤廃してHLと同じように特に何も単語がないニュートラルな趣味として扱われるのが理想なんだと思う。
ただ現状、宗教的に/生理的に同性愛が受け入れられない人がいる中でそれは不可能に近いし、オタクは割と何かに属することを好む人が多いので属性を示す単語がなくなることに不安を覚える人も多いだろう。
そんなわけでダラダラと書き連ねましたが代替単語もない上に世界が変わり切ってない中で「腐女子」って単語を一方的に狩るのは勘弁してほしいっていうぼやきです。
あとマジでShipperって単語を腐女子の代替単語として使うのをやめて欲しい。人から勝手に言葉を奪うな。この2点に尽きる。
アセクだと思ってたけど、なんか違う気もする。でも普通でもない気もする。
・自分から誰か(男性・女性問わず)に恋愛感情を抱いたことがない。
・性欲はある。性欲の対象は男性。実写の動画を見たりそういう漫画を読んだりする。
・付き合ったことのある男性は3人。どれも相手に求められて付き合った。
・上記のうちセックスまで至ったのは2人。いずれも最初とても気持ち悪かった。いわゆるぬいぐるみにちんこ付いてた感があり嫌悪感を抱いた。
・現在付き合っている男性とは長い付き合いで、彼の支えになりたいし一生一緒に居たいと思う。でも未だに目を開けてセックスできない。こんなこと本人には絶対言えないけど、未だに気持ち悪さがある。現実の知り合いとセックスするのが気持ち悪い感じ。顔云々ではない(イケメンの知り合いでも嫌だと思う)。こんなこと言っておいてと言われてしまうかもしれないが、本当に彼の事は大事で、両親を除いて唯一私が愛する存在である。
【追記】トラバで話が変な方向に持っていかれてるから一応追記しておく。
・他人を恋愛的な目で見られない点に違和感(昔から周りの「彼氏欲しい」というぼやきに同調してみるものの実際はそう思っていない、ということが多々あった)
・彼から好き好き言われても心から同じ言葉を返せない申し訳なさ(彼の事を「愛している」が正しいが、それはそれで恥ずかしいので「好き」に置き換えて伝えてる…と自己解釈している)
・愛する彼と目を瞑らないとセックスできない(気持ち悪いと思ってしまう)申し訳なさ
があって自省してみた。
特に特別視されたいわけでも何でもないし実際ものすごく困っているわけではないが、カテゴライズできたら気持ち的に楽なのになーと思って考えてみた感じです。
彼女はおしゃれやトレンドに詳しい今どき女子で、うちは田舎から上京してきたトレンドもおしゃれにも疎いいわゆるイモ女だ。
そんな二人が友だちでいるのもなかなか不思議なことかもしれないが意外と仲良くやれている。
いや。
やれていた。になるのか、、、
彼女はさりげなく蔑んでくるマウンティング女子的な一面があり、親しくなるほど酷さは増し露骨にマウントをとることが多くなっていた。
カースト上位の子と仲良くするとこういうコミュニケーションはよくあることなのかな?
なんてことを考えてモヤモヤでいっぱいになる日々が続いていた。
待ち合わせは決まって彼女の家で集まり、彼女のメイクが終わるまで待つのがいつもの流れ。
ただその日はヘアセットしていこうよと誘われ、その子の家で髪をセットしていくことになった。
あーこれとりあえずセルフでセットさせるやつかと思いながらYouTubeで巻き方を調べ自分で巻いてみる。
めんどくさいな~と嘆いていたその時だ。
YouTube Premium知らないの?
そして悶絶である。
一瞬にして動悸は激しくなり、過去に知らないおじさんとリカちゃん人形で遊んだキモイ思い出がよみがえり吐き気と憎悪に包まれていく。
彼女はずっとなにか話しているみたいだが全く耳に入ってこない。
てゆーかそんなことは知っているし、広告が無いのも確かに便利だとは思う。
でもたったそれだけじゃないか。
なぜそれでマウントをとってくるのだろう?
と心でぼやき、絶交することを決める。
そして、これからはもっと自分と同じ穏やかな人と仲良くなろうと心に誓う。
ああそうだ、その時からなんだか心が軽くなったんだっけ、、
その間ずっと当てていたアイロンによって髪は溶け
朝や夜中にPCやスマートフォンの画面は見たくない。でもちょっとした日誌やメモ代わりに文章は書きたい。紙のノートに書くとデータの検索や再利用ができないので、できればテキストデータで残したい。という動機があって、テキストを書くだけの端末が欲しいと思っていた。
なかなか良いものが見つからないというぼやきをここで書いていたところ、Pomera(ポメラ)DM30というものが売っていることを知った。電子ペーパーの画面にキーボードがくっついていて、テキストデータの入力しかできないやつだ。
調べたら1万5千円くらいで売っていたので、即買いした。半年くらい前のことだ。
いろいろ欠点もある機械らしいけれど、これぐらいの値段なら失敗してもそれほど痛くないだろうと思っていた。
それ以来、いまでは毎日朝に使っている。机の上からPCやスマートフォンを片付けて、Pomeraだけを置いてキーボードをガチャガチャやりつづけている。
書くことに集中できるのは心地よい。
購入直後にも書いたことだが、打鍵時の反応速度が遅い。キーボードのキーを打つと、一瞬遅れて文字が表示されるのだ。
これは最初のうちはひどい欠点だと思った。だが慣れるとたいしたことはなくなった。
考えながら文章を書く時のタイピングの速度だと、遅延がほとんど感じられないレベルだと分かったからだ。あるいは、自分のほうが遅延の発生する打鍵感に慣れてしまっただけかもしれない。いずれにせよ、この反応速度の問題は気にならなくなった。
電子ペーパー上の残像が画面上に残ってしまうことも、慣れてしまった。
ノートの罫線と同じで、書くことに集中しているとまったく気にならなくなるからだ。
購入時に不安だったが、いまではなんともない上記のこととは対照的に、いつまでも気になるのは、内蔵されているATOKの変換性能が良くないことだ。
使い続けるうちにATOKがかなり自分の文章の特徴を覚えてきたように感じられるが、それでもいまだに変換ミスを何度も、キーボードだけで間違えたところに戻って修正する作業にはけっこうなストレスを感じる。ATOKだけをアップグレードしてインストールできるなら、有料でも欲しいと思うレベルだ。
Pomera DM30には、書き終えたテキストデータをQRコードに変換してスマートフォンに転送する機能があるのだが、これは使わなくなってしまった。
一度に転送できる文字数が少なすぎて、ちょっと長い文章を書くと面倒なので、けっきょく、USBケーブルでPCに接続してデータ転送をしている。
とはいえ、Pomeraに書き込んだ文章を再利用したりバックアップを取ったりする作業を毎日やっているわけではないので、そんなに不便でもない。
いま価格comでPomera DM30を覗いたら、値段が5万円くらいに上がっていた。
1万5千円くらいで投げ売りされている時期に自分は買ったので、ありえない値段だと思う。
投げ売りが終わったとたんに希少価値が高まって、値段が上がったのだろうか。
「エンドユーザー・元エンドユーザーがあまり大っぴらに騒げない」点につきる。
騒ぐことで、マッチングアプリ利用者であることをカミングアウトしてしまうからだ。カミングアウトすることで、この人は他の出会い系アプリも使っているのではないか?P活とかもやってるのではないか?という疑念を交友関係がある人達に対してもたらしてしまう。だから少なくとも実名を出した状態で「Omiaiで自分の個人情報が流出した」とは騒げないのだ。
そうなると匿名の状態でのぼやきか、セキュリティにある程度詳しくてそれを対外的にも公言している(ここ重要)人がブログやSNSで触れるしかなくなってしまう。ふだんITセキュリティに触れてない人がOmiaiの件について触れると、「お前もOmiaiユーザーか?」という疑念をかけられ、同じように変な疑念が発生してしまうので、積極的にこの事案に触れることも憚られる。高木浩光氏がOmiaiに触れても「ひろみちゅの突撃キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」で済むが、そこらのITライターやインフルエンサーが下手に触れたら「お前Omiai使ってたの?」と突っ込まれてしまう。
異性と遊びに行くと、ほぼ8割方、初めて遊びに行った直後に告白される。
告白されなくても、その日から恋人の有無を聞かれたり、すれ違いざまに相手の友人が相手を小突いたり、付き纏いに近いことをされたり、顔を真っ赤にして話しかけてきたりする。
よほど鈍感でなければ、少なくとも好意を持たれているであろうことは気付く。
「貴方のことが好きです」と言われて、こちらも同じ気持ちだと返せたらいいのだが、種類が違うことは分かるので返せない。もしかしたら同じ気持ちかもしれないが、その次の性欲の有無で衝突するのは分かっている。
もちろん、正直にカミングアウトして、それでも交際している人はいる。でもそれでもいいと思う人は、仲良くなって初めて2人で遊びに行った直後に、友人関係と恋人関係を天秤にかけたりしない。
こちらとの友情を続けるより、もしかしたら得られるかもしれない恋人関係の天秤の方が重くないと告白なんかしないだろうから。
こうやって速攻で男女の友情が粉々になっている横で、自分が振った大好きだった元友人が、別の異性とは長く友人関係を続けていたりする。そして、長く異性と友人関係を結べる人間は大体恋人もいる。
こちらは片方持てないのに、持てない方だけ求められて、他人にとっての自分ってなんなんだろうと思う。
という、ぼやき。
※タイトルで分かりやすくアセクシャルと書きましたが、正式にはアロマンティック(恋愛感情を他者に抱かない)&アセクシャル(性的感情を他者に抱かない)です。人によるだろうけど、幼稚園〜小学校低学年くらいの感覚でずっと人を見てる気がする。
https://anond.hatelabo.jp/20210513214243
ただのぼやきのつもりがペロって書いたのがなんか色々言われててびっくりしちゃった。
いい年してプリキュア見とんなよってお前らも見てるんじゃん!よ!仲間~!
「かわいい」っていうのをプリキュアが見た目だけのことを言いたいんじゃないんだろうけどそれを人生経験片手程度の子どもたちに伝わるようにつくっているか?とか、「子どもたち(女の子たち)のために」っていうスタンスをどのくらい本気でやってるんだろうってのはちょっと前から思ってはいた。
「かわいい」がすべてではないことを大人は知っているけど子どもたちはこれからそれを学んでいく過渡期にいるので、メインターゲットをその年齢に据えてる時点でプリキュア制作側は伝えるメッセージやその伝え方に慎重にならないとって思っている。
プリキュアやその仲間が「かわいくないからプリキュアになれない」と発言しても大人は「今のプリキュアそんなこと言うんかい」で済ませることができるけど
知識や人生経験の少ない子どもたちにはその言葉がもっと大きなインパクトをもって伝わる可能性ってのを考えなきゃいけない。
フィクションと現実は地続きにあるし、子どもたちにとってはよりその垣根は低い。
あとトロピカルージュ!プリキュアの続きを見たけど他人をキュートさがないとか見た目で判断してるローラがみのりん先輩に「決めつけんな」とか言っててお前がそれを言うのかって思っちゃったわ。
自分のツイッターのフォロワーにプリキュアオタクが何人かいてファンの間で話題になってることはだいたいRTでまわってくるんだけどこれもちょろっと人を見た目で決め付けておいて説得力ないぞ笑!みたいなのは見たからこの辺はファンの間でも言われてるのかな。自分が普段からプリキュアガチ勢ではないので(見たり見なかったり)詳しくないところも多い。
ルッキズムに限ったことじゃないんだけどメインターゲット女児先輩は気にしないからあれこれ言うな!そんなもん扱わなくていいんだ!って問題ないじゃないんだよね。
そこをメインターゲットに据えた時点で責任持って作品つくらなきゃいけないんだよって話で。
大人と違って判断できる知識や経験が少ないので良いことも悪いこともそのまま吸収してしまう危うさがあって、大人が鬼滅を面白いと思いつつ子どもにはあまり見せたくない(暴力的だったりちょっとグロかったりするから)って親もいるでしょう。クレヨンしんちゃんとか芸人の発言やバラエティの演出もそうだけど。テレビでやってるから悪いことじゃない、みたいな感じで面白がって人のこと嘲笑したり暴力ふるってしまったり。それを矯正するのも親の義務っていうけど、1回テレビやなんかで見て覚えたものをなぜ良くないのかわかるように言い聞かせて矯正するってすげえ大変でしょ。親の立場からしたらいい加減にしてくれって話よ。何度教育したってテレビで人の尊厳踏みにじって笑い取るようなことやられまくってたら親の教育もいたちごっこの連続だし、ちゃんとしつけする親ばっかでもないし。大人の立場で見てても楽しくないしね暴力とか嘲笑とか。
それからメインターゲットが保育園~小学生くらいの女児、だとしたらその中にはシスジェンダーでもヘテロセクシャルでもない女児や障害をもった女児も当然含まれるんだよ。
過去作品だけどHUGっとプリキュアでは男の子もプリキュアになれるとか、アンリと正っていう友情なのかBLなのかみたいな感じで男性二人の関係を出しつつ最終話で生々しい出産描写もやるの先進的とか言われてたけどまったくそんなことはないと思っていて、
むしろ女性への出生賛美をうたってほまれのヘテロセクシャル要素をゴリゴリに出しておいて性的マイノリティーについてはほのめかすだけにするっていうのはおためごかしなんだよね。
都合良く使える部分だけいただいて、まぁ、さわりだけやっておけば先進的と思ってもらえるラッキーみたいな。
あ~男の子もプリキュアになれる、お姫様になれるってとこまではできたのに、残念だなぁ、扱うなら正面切ってやれば評価されるのに…って感じだった。
異性愛者っぽい描写も出産シーンも生々しくないけど同性愛っぽい描写は生々しいんですか?セクシャリティに対して一体どういう考えで作品をつくっているの?って思うよ。
ターゲットとしている層にもマイノリティに該当する子は含まれているのに。
スタートゥインクルプリキュアは肌の色が違うことで受け入れてもらえなかった過去のあるキャラクターのことを扱ってた話があってそれは良かったなって思う。(スタプリは全部をきちんと見てないので全体としてどうかはわかんないんだけど)
わざわざ同性愛者だ障害者だ外国籍だってマイノリティを出すならそうだとはっきり分かる描写を出す必要があるのか、と言われたら出さないことで存在しないことにしている。のけものにしているってことなので、その年令の女の子たち(子どもたち)のことを考えて作品作りしているというスタンスを出すなら見て見ぬ振りやおためごかしはもうやめろって思う。
そんな表現は大人の自己満足だっていうけど、むしろマイノリティを無視する作品って子どもに一体何のメリットがあるのか…?
自分がマイノリティについて気にしなくて済むカテゴリーだ、マジョリティである、強者だって指摘されるようで居心地悪いだけなんじゃないんですか?
女性の仮面ライダーいたんだし男の子のプリキュアもレギュラーメンバーで出せば良いし、仮面ライダーも赤ちゃん育てたらいいんじゃないの(仮面ライダー全部見てないからもう子育て要素とか取り組んでたらごめん)
売れないとか商業的に…っていうけどそれならもう「子どもたち(女の子たち)のために」つくっているっていうスタンスも見直したほうが良いんじゃないかな。
玩具購入資金源の親がそんなもん喜ばないだろ!っていう意見出そうだけどそれもおかしな話で、
それはつまり親が自分の子どもはマイノリティであるはずがないしそんなもの目にもいれさせたくもないし
目に入れさせてマイノリティに目覚めさせたくない、そんなやつらのことは理解させる気もない、ということにもなるんじゃないの。(あえてちょっと強いことばにしてしまったけど)
親としては子どもがマイノリティである可能性を思えば(誰しもがその可能性がある)ロールモデルにできる存在や勇気をもらえる存在(それこそエンパワメントされるような)を小さい頃から見せてあげて「大丈夫だよ」と伝えてあげたいし、
本人がマイノリティでなくても身近にそういうお友達がいる可能性もあるから寄り添える人になってほしいと思う。
もし身近にマイノリティなんていねえよって思う人は、あなたの態度や発言を見聞きしてマイノリティ当事者はあなたにカミングアウトも相談もしたくないと思ってる、だから周りにマイノリティがいない、と考えたほうが良いかもしれないですね。
いわゆるLGBTQに該当する人が血液型のAB型や左利きと同じくらい、だいたいクラスに一人くらいの割合でいるそうなので。
つまり、そのくらいいるとなると総勢50人を超えてきたプリキュアにもいてもおかしくないって話にもなるわけで。
アニメとはちょっと違うけどセサミストリートだと障害のある子や同性愛者のキャラクターがいるし、ディズニーでも扱ってたよね。
https://anond.hatelabo.jp/20210510205605
勘違いされている方があまりに多いようですので最後に書きます。
自己の欲求に基づき他人の創作物を勝手に利用改変して消費する、その時点で同じ穴の狢なのに、自身は自由を享受しながら他者の同レベルの自由を許せず攻撃する腐女子が気持ち悪くて嫌いです。(自分の好きを理由に他人の好きをわざわざ否定し他者を攻撃する者、また「カプ表記」系のあくまで自治ルールを倫理や道徳や法のように振りかざして他者を抑圧する者)
しかし、そうした方々に対して私が何か要求するのはお門違いです。彼らの行いは法や倫理に反していません。何度も書いている通り、私が嫌っているものを匿名日記に書き連ねた、それだけです。
私の「地雷」が男女的BLだと認識されてる方がいますが、違います。私は男女的BLを描きますし読みますし好きですよ。苦手なBL作品の嗜好はそれなりにありますが、それを話したところで何にもなりませんし、合わないものは見ませんのでストレスも嫌悪もありません。男女的BLに対しての認識は本文の通りです。
本文に書いていますが、男女的BLを好む人間が前述したような攻撃を他者に行っている場面をどのジャンルでも見てきました。しばらくは見なかった事にしてきましたが、何度もバッタリ遭遇するうちに徐々にそうした人間が嫌いになりました。
私が嫌いなそうした方々は、普段から嫌いなものを表明し地雷と名づけ、時には地雷を否定しこき下ろし、他者への配慮を要求し、自治ルールを守らない人間を攻撃していました。
そんな方々を嫌いだと思う私のお気持ちも、逆カプのように許せない人が多くいるんですね。読みたいから読むはずの匿名日記のぼやぼやとしたお気持ち表明など、わかりやすさ含めて何者にも配慮する必要は無いと思っていますが、そうは思わない、許せない人、多いのですね。ご意見・お気持ち表明・決めつけ・ぼやき、それらは楽しく読ませてもらってますが、私への要求・筋違いな糺弾を行う一部の方々から、私の嫌いな腐女子に通ずるものを感じ、今までの自衛は私にとって正解だったなと実感してます。
また、一見肯定されているように見える方でも、男女的BLは不当であるような文脈で書かれている方、その感情を持ってもし他者(例えば男女的BLを好む方)を攻撃するなら、私が思う気持ち悪い腐女子と全く同じです。
そうですか。私はそういう男女的BL好きなので、なぜ同調口調なのかわかりませんが、男女的BLを好む他者を攻撃さえしなければ、嫌いだと言う表明は自由にして良いと思います。
特に突然どこからともなく正誤なんて基準を引っ張り出されて驚きました。貴方は自身が持つ正解から外れていると思うときのみ「なぜ」を考えるのですね。
笑ってしまいました。私に主観的で一方的な要求をする貴方は、私より偉そうですね。
本文を読まれてないのでしょうか?それとも、大きな主語で括るなと言いたいのでしょうか?
初めから具体的に書いて掘り下げてますし、大きな主語で括ったところで「一部/全て の腐女子」どちらの意味も持ちません、文を読めばわかると思います。「全ての腐女子」と言う意味に捉えてしまったのでしょうか?それは誤読です。
そして私はこの記事に怒りは込めてませんよ。人に命令するほどに怒り心頭なのでしょうか。
わかりますよ。「リアルに近いから上」のようにマウントを取るリバの方は別ベクトルで気持ち悪いです。上も下もありません。
ただ、私は他人を裁くような立場ではないので全てをフラットには見ませんし、貴方の言う「固定派」が他者を抑圧する様の方を沢山見てきたので、そちらが嫌いです。
以上です。
通過点だった。あとで読むで登録したたくさんのほってんとりもすべて削除した。どうでもいい信用性のない情報ばかりだった。
ライフハックも必要なくなった。Feedlyにあるfeedも1000を超えてたけど、不快にさせるものは全部削除した。
いつか役に立つと思っていたものは2、3年経って、ようやく不要なものだと気付く。
日本の行き先を不安に煽るコラム、ブラック企業自慢、不幸自慢、制限させるアルファブロガーのポスト。セックスの話も、twitterの顔も見たこともないひとたちのぼやき。
結婚、婚活、勝ち組、負け組、あーしたほうがいい、こーしたほうがいい。くだらない新書を必死にレビューするおっさん。
よくわからないアニメの話、マナーの基本、しゃべりかた、書き方、コミュニケーション能力、鬱、家電、ハウツー、自己啓発、、、
バズるの基準は知らんがデイリーに何度も入っているからまぁ多分そこそこバズってんだと思う。長文で1000とか越えたことあるし。
まぁ何の自慢にもならならないけど
匿名で気持ちの赴くままに書き散らかした文章に多方面から反応をもらえるのは面白い、自分の書いた記事を元にビジネス系のブログを書く人もいたし。人のチラ裏を飯の種にすなと思ったけど。
書き手になると分かるが、有名ブクマカと呼ばれる人は本文読んでない人が多い、タイトルだけ読んで自語りするイメージ。それにスターが山ほど付いていたりするから謎。
読解力のある人のコメントはさほどスターはつかないことが多いが、質が高くて参考になる。
ブコメは一応ユーザー名を待つ『個』なので最低限の品位は保たれている印象。まぁやばい人もいるが大抵スルーされている。
匿名性が高まるほどに人間は醜悪になるのか、はたまた匿名性が高い場所に醜悪な輩が集まるのか、謎。
何故赤の他人にこれほど攻撃的になれるのかと思うもの必ずあるし、卑屈すぎると思うおっさんのぼやきも必ずと言っていいほどある。自信持てよ。人のチラ裏で嘆くんじゃない。ちなみに自分は記事にコメントしたことはほぼない。
ここでは書き散らかすのがメイン、それにコメントは自分が上の理由から結構読み飛ばしてるから。だって開口一番「馬鹿だろおまえ」なんてコメント読むと思うか?投稿者に読まれなくて可哀想だなこの人って思いながら読み飛ばしてるよ。
鼻息荒い長文コメントを書く人もいるけど、その熱量を自分の昨日の飯についてでも書いた方がバズると思う。
人間のアドバイス欲と説教欲って業が深いよね、おもろいなとつくづく思う。
あと野良校閲マンも絶対にいる、匿名で書く1円にもならん文章を文章を推敲すると思わないでくれ。これもアドバイス欲に入るのか『細かいことに気づく自分』という一種の優越感なか。人の記事で承認欲求満たすんじゃない。
男性にも、弱者にも限らず、何かしらのコンプレックスを持つ人ってもう決して他人には「救われない」ことに気づいてるんじゃないだろうか。
そのコンプレックスを恨んでてもしょうがない。でも辛さをぼやきたいし、文句や愚痴を言いたくなる。ただ他人にぶつけても多少の同情とたいてい反発が帰ってくるだけ。苦しんでる私はほとんど赦されなくて、ほんのちょっと恵まれてるところ(例えば積極的に性加害されにくい性別だとか、消極的でも性的に承認されやすい性別だとか)の優位なところだけが存在を赦される。
ヘイトとか人権侵害といった加害行動を許すべきではないが、そこに至ってしまった人を赦さないのは私の趣味ではないし、そういった加害を避けてきたのにコンプレックスや弱者性の強い境遇にいることに関しては、It' not your faultと32歳童貞限界異常独身男性の私で良ければ何回でも抱きしめて言ってやりたい。
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。
好きになったコンテンツはそのファンにも興味がわくので、当然ファンのみならずアンチたちの言ってることも見る。
5chのアンチスレもだし、Twitterやnote、増田、その他いろいろなネット上の色んな場所でのアンチやファンの発言を追って楽しんでいる。
それで気づいた傾向なのだが、
・法や倫理面で叩かれ、不誠実だ・許せん・軽蔑する・有害だなどと大義名分のある批判を言われている場合は、むしろコンテンツ全体の勢いには大して問題がない
・退屈、まんねり、しょぼい、地味、ぱっとしない、などと大義名分のないいちゃもんじみた叩きがされている方が、そのコンテンツが勢いを失う兆しとして危険
ということが言えそうである。
悪名は無名に勝ると言うが、その悪名の中にも言われてる方が将来有望な叩かれ方と、これを言われだしたらヤバいという叩かれ方があるわけだ。
そして、一見ダメージの大きそうな、理屈の通った叩かれ方のほうが将来有望の吉兆であるのが興味深いところだ。
いや、不正義こそが大成するのだからやるせないところだと言うべきかな?
コミュニティの雰囲気を思い出せるのはせいぜい5年くらいなので、それ以前はどうだったか言及を避けるが、とりあえずこの5年は色んな分野でこの流れが多かった。
言っちゃあなんだが、法的・倫理的瑕疵というのは、マジで訴訟開始されなければどうってことないのだ。
法的に明らかにダメで「訴えられたら負けるな、訴えられちまえ」と言われてても、本当に訴訟されなければ全然セーフだ。
エグくてお行儀の悪い成長戦略をとっている方が、悪評以上の速度でファンが増えるのでお得! これは娯楽分野における法則のようだ。
客層が悪くなる? それもむしろアドね。
ちょっとガラと頭の悪い客層の方が、依存してくれたり、後先考えず金を払ってくれたりするんだもん。
上等な商品をハイソな客に高値で売りつけるなんてのはごく限られたジャンルでのみ可能なことだ。
一般娯楽でちょっと客層が良くリテラシーがあるってのは、感情任せのお布施も少なけりゃ広告も踏んでくれない、必要な時にしか金を払ってくれないくせに質への要求のうるさい、面倒な客を抱えてるというマイナス要素である。
「信頼が毀損されて長い目で見れば損」なんて言いたくなるかもしれんが、えげつないやり方で一通り稼いだあとで、多少の品質向上に金を回すようになれば、消費者も他社企業も、勃興段階の悪印象なんか水に流してニッコリ握手してくれるのよ。
これはここ五年と言わず、ソシャゲの隆盛や、調子よかった時のニコニコ、著作権違反が溢れるコミケに企業が堂々とブース参加してる現状などを見れば分かることである。
お行儀が悪くても勢いのあるコンテンツ運営をした方がファンが増える。特に今後の社会を担う若い層を取り込みやすいのが大きい。
勢いがあるのでファン以外の目にも入るようになり、倫理や行儀の悪さについて正論でボコボコに叩かれまくるが、クリエイターの精神的ダメージ以外は別に問題がない。
ファンもアンチも過熱する、それこそが圧倒的成長中コンテンツである。
つまり、アンチの叩きに一理ある時ほど、それは無視してよいというわけだ。
だが、叩かれ方が、なんか退屈、なんかまんねり、しょっぱい、みたいに漠然としたつまらなさの指摘が増えてるとマズい。
この手の叩きには「その文句のつけ方、ただのお前の主観じゃん」と反論することが簡単だ。
しかしこのような、大義名分のないアンチの身勝手な叩き、あるいはぼやきこそが、暗い未来を予感させる。
灼熱の炎上嵐ではなく、わびしい隙間風によってコンテンツは衰えていく。
アンチや愉快犯の炎上を真に受けるのは賢くない。だが、(特にはてなーのような)良識派がやりたがる「アンチが言ってることはいっつも的外れ」と簡単すぎる理解をするのも賢くない。
娯楽コンテンツにおいては、アンチの発言に筋が通っている時ほどその叩きは気にしなくてよく、ぼんやりした退屈さや地味さをじめじめと主観的に叩かれてる時ほど危機を感じなければならない。このパラドックスを俺は提唱したい。
もう若者じゃなくなって、この先を考えるようになった。
徐々にしぼんでいって、能力も衰えて、その中で1人でやっていくのって、かなりキツイんじゃないかって。
けれども、1人以外で何かをするにはもう手遅れになっている気がして、閉塞感がある。
男女の関係でお金を稼ぐ人たちや、イデオロギー的対立、二項対立と攻撃。
人工的に仕組まれたトレンドや設計された世論やらでSNSがあんまり楽しくない。ディストピアがもうここにある。
悪い感情で恍惚してしまう気がして、発信も閲覧も出来るだけ少なくしたらほんとに対話も無くなって、募る孤独で人生がもうほとんど敗戦処理だって思えてくる。
例えば、もう家庭も持てず、ただ労働力を提供するしかない私はそれ以外の価値を持っていないように思えて悲しい。
このまま人生を送ってもな……っていう虚しさばかりね。
孤独に生活をする人は年々増えているし、健康なうちはそれは結構楽だし、娯楽もそれなりに無料で楽しめる。
だから、わざわざ誰かと共同生活して、関係を持って。そうしたことをしなくても生きていけるがために、この閉塞感があるのかもしれない。
そう言ったA・アルトーの通りに器官なき身体を作ってやれないから、この人生は糞のように臭うだけの存在になっている。
肉体の機能の違いを理性でどうにかして捻じ曲げて、理想がおかしな道のりで成されようとしてて、
なんだかやっぱり彼が糞便性の探求で言っていることは身近に感じる。
※この日記には「心が叫びたがってるんだ」のネタバレを含みます。
※また題名の通り高評価のレビューではないのでこの作品が好きな方の閲覧は推奨できません。
※数年前に観た時の感想を思い出しつつ書いているので間違っている部分があるかもしれないのでこのレビューを鵜呑みにしないでください。
※私の理解力不足故、的を得ていない部分もあります。ご了承ください。
私はよっぽどのことがなければどの物語も大抵「おもしれー!」という感想に至るのだが、人生においてどうしても理解できなかった物語がある。
それが「心が叫びたがってるんだ」だ。
「心が叫びたがってるんだ」に関して。
話題になっていたからどんなもんかねって感じでコミカライズを読んでみたのが始まりだった。
結論から言うとコミカライズ読んで意味がわからずキレ散らかしたのち地上波で放送されると聞き映像でも見たが再び意味がわからずキレ散らかしたというとても情けない話なのである。
序盤はいい感じに事が運んでおり、それこそ「おもしれー!」って感想だったのだが、中盤あたりから状況が変わる。
うろ覚えだがあらすじを書くと、とあるトラウマから言葉を話せなくなってしまった(正確に言うと喋るとすごい腹痛に襲われてしまう)ヒロインが文化祭かなんかで実行委員に指名されてしまいなんやかんやあって劇をやることに。
いろいろあってトラウマと向き合いつつ主人公と共に行動するにつれだんだん主人公に惹かれていくヒロイン…みたいな感じ。
あらすじを見るとやっぱり「おもしれー!」になるのだが、そこではないのだ。
※※ここからは作品の重大なネタバレになるのでこの作品を見てない方は作品を鑑賞してからご覧ください。※※
実は主人公には元カノがいて自然消滅という形で恋人ではなくなっている。
いろいろあって劇中でヒロインは主人公に告白するが主人公は元カノに未練があったらしく告白を断る。
ここが許せないポイント①なのだが、思わず「いーーーーーーーーーやそんな描写ありました!?!?」と取り乱してしまったのである。
主人公と元カノはクラスメイトなのだが、そんな描写はなかったように思う。
ここまで主人公とヒロインがそれぞれに向き合い過去を克服しようとしている描写はめっちゃ見たけど。
いやもしかしたらセリフや視線などの細かいところに伏線があったのかもしれないが…
それにしたってもうちょっとわかりやすく描いてくれたって良いじゃないか。
完全に2人のラブストーリーを見ている気分だった私はそこでキレ散らかしちゃったのである。
ここまで見せられていたのはなんだったのかと。
ここだけなら描写がわかりづらい映画だったんだなとまだ納得できる範囲だったが、この後もっと衝撃的なことが起こる。
なんとヒロイン、自分が何分か前に告白した人間を罵倒し始めるのである。
精神年齢低すぎない?どうしちゃったの?喋れなくて苦しんでたけどひたむきに頑張っていたあなたはどこに??
わからない…今まで私は何を見ていたのだ…
まあその後なんやかんやあって無事に劇は成功し幕を閉じる訳だがその後も登場人物の心情が全く理解できず何が何だかよくわからなくなってしまったのをよく覚えている。
鮮明に覚えてることと言うと物語とあまり関係ないところでやたらイチャついてるカップルがおったな…くらいだ。
感想のオチとしてこれが正しいのかわからないが、少なくとも「私には合わなかった。」ということだけはわかった。
〜以下、クソみたいなぼやき〜
世界一無駄に時間を使って数年前に観た映画にキレ散らかした事を書いてしまった。
この感想は何年も前にコミカライズ読んだ時と劇場版見た時のものをぐっちゃぐちゃにして書き殴ってしまったので記憶違いやめちゃくちゃになってしまっている部分もあるかもしれないが大目に見て欲しい。
余談だが、再放送の時にもう見るのが嫌になって実況アンチスレを覗いていたのだがcv細谷佳正さんのキャラが喋るたびにオルガで盛り上がっていて笑ったのをよく覚えている。
正直あのスレがなければ完走する気力も起きなかっただろう。
ただ、何年も時が経ち当時よりは経験を積んだであろう今また見たらもっと感想が変わるのかもしれない。
もしかしたら当時はわからなかった感情が読み取れるかもしれない。
このクソレビューの間違っているところを正せるかもしれない。
だが、私にはもう一度この作品を観る気力はのこっていないようだ。
これを見た誰か、この映画を見て良いと思ったら素晴らしいレビューを執筆して再評価という形でまた流行らせてくれ。
再放送されたらまた見るかもしれない。
最後になってしまうがこの作品、声優はとても豪華なので演技面で気になるところは全然無くむしろとても満足した。
そして何より水瀬いのりさんの声がうまく出せない表現は思わず「声優さんって、すげー!!」と感服してしまうほどであった。