はてなキーワード: アルトーとは
もう若者じゃなくなって、この先を考えるようになった。
徐々にしぼんでいって、能力も衰えて、その中で1人でやっていくのって、かなりキツイんじゃないかって。
けれども、1人以外で何かをするにはもう手遅れになっている気がして、閉塞感がある。
男女の関係でお金を稼ぐ人たちや、イデオロギー的対立、二項対立と攻撃。
人工的に仕組まれたトレンドや設計された世論やらでSNSがあんまり楽しくない。ディストピアがもうここにある。
悪い感情で恍惚してしまう気がして、発信も閲覧も出来るだけ少なくしたらほんとに対話も無くなって、募る孤独で人生がもうほとんど敗戦処理だって思えてくる。
例えば、もう家庭も持てず、ただ労働力を提供するしかない私はそれ以外の価値を持っていないように思えて悲しい。
このまま人生を送ってもな……っていう虚しさばかりね。
孤独に生活をする人は年々増えているし、健康なうちはそれは結構楽だし、娯楽もそれなりに無料で楽しめる。
だから、わざわざ誰かと共同生活して、関係を持って。そうしたことをしなくても生きていけるがために、この閉塞感があるのかもしれない。
そう言ったA・アルトーの通りに器官なき身体を作ってやれないから、この人生は糞のように臭うだけの存在になっている。
肉体の機能の違いを理性でどうにかして捻じ曲げて、理想がおかしな道のりで成されようとしてて、
なんだかやっぱり彼が糞便性の探求で言っていることは身近に感じる。
両大戦間のヨーロッパで広く展開された総合芸術運動。この名称は1917年詩人ギヨーム・アポリネールが、自作の戯曲の装置を担当したパブロ・ピカソの舞台美術を指して言ったことに由来するが、24年アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム第一宣言』において、精神分析的な考察を加えた「夢の全能性への信頼に基づく」芸術の総称へと採用し、以後も指導的役割を演じた。
マニフェスト的にはロートレアモン(イジドール・デュカス)やアルチュール・ランボーの強い影響下にあった「シュルレアリスム」は、当初は文学運動としての側面が強かったが、「オートマティスム(自動記述)」の理念は造形芸術にも強い影響を及ぼし、20世紀美術の一大潮流を形成した。
代表的な人物にルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、アントナン・アルトー、ルネ・シャール、ルネ・マグリット
サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト(ともに後に除名)、アンドレ・マッソン?、ジョアン・ミロなど。
パリを拠点に活動していた多くの作家は、30年代末にはナチスの台頭によってアメリカに逃れ、アーシル・ゴーキーという最後の後継者を見出した後に終焉を迎えた。
シュールは終わったのだ。