もう若者じゃなくなって、この先を考えるようになった。
徐々にしぼんでいって、能力も衰えて、その中で1人でやっていくのって、かなりキツイんじゃないかって。
けれども、1人以外で何かをするにはもう手遅れになっている気がして、閉塞感がある。
男女の関係でお金を稼ぐ人たちや、イデオロギー的対立、二項対立と攻撃。
人工的に仕組まれたトレンドや設計された世論やらでSNSがあんまり楽しくない。ディストピアがもうここにある。
悪い感情で恍惚してしまう気がして、発信も閲覧も出来るだけ少なくしたらほんとに対話も無くなって、募る孤独で人生がもうほとんど敗戦処理だって思えてくる。
例えば、もう家庭も持てず、ただ労働力を提供するしかない私はそれ以外の価値を持っていないように思えて悲しい。
このまま人生を送ってもな……っていう虚しさばかりね。
孤独に生活をする人は年々増えているし、健康なうちはそれは結構楽だし、娯楽もそれなりに無料で楽しめる。
だから、わざわざ誰かと共同生活して、関係を持って。そうしたことをしなくても生きていけるがために、この閉塞感があるのかもしれない。
そう言ったA・アルトーの通りに器官なき身体を作ってやれないから、この人生は糞のように臭うだけの存在になっている。
肉体の機能の違いを理性でどうにかして捻じ曲げて、理想がおかしな道のりで成されようとしてて、
なんだかやっぱり彼が糞便性の探求で言っていることは身近に感じる。