2021-03-27

人生の閉塞感

ちょっとしたぼやきなんですけどね。

もう若者じゃなくなって、この先を考えるようになった。

徐々にしぼんでいって、能力も衰えて、その中で1人でやっていくのって、かなりキツイんじゃないかって。

けれども、1人以外で何かをするにはもう手遅れになっている気がして、閉塞感がある。

 

理想を振りかざして何かが攻撃されるのを沢山目にする。

男女の関係お金を稼ぐ人たちや、イデオロギー対立二項対立攻撃

人工的に仕組まれトレンド設計された世論やらでSNSあんまり楽しくない。ディストピアがもうここにある。

悪い感情恍惚してしまう気がして、発信も閲覧も出来るだけ少なくしたらほんとに対話も無くなって、募る孤独人生がもうほとんど敗戦処理だって思えてくる。

例えば、もう家庭も持てず、ただ労働力提供するしかない私はそれ以外の価値を持っていないように思えて悲しい。

 

このまま人生を送ってもな……っていう虚しさばかりね。

 

孤独生活をする人は年々増えているし、健康なうちはそれは結構楽だし、娯楽もそれなりに無料で楽しめる。

から、わざわざ誰かと共同生活して、関係を持って。そうしたことをしなくても生きていけるがために、この閉塞感があるのかもしれない。

 

 

人間は病んでいる。人間は誤って作られているからだ。

そう言ったA・アルトーの通りに器官なき身体を作ってやれないから、この人生は糞のように臭うだけの存在になっている。

肉体の機能の違いを理性でどうにかして捻じ曲げて、理想おかしな道のりで成されようとしてて、

なんだかやっぱり彼が糞便性の探求で言っていることは身近に感じる。

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