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はてなキーワード: 初級シスアドとは

2020-05-22

プログラミングスクールに通ったゴミの末路

https://note.com/mksaryo/n/n69472228f68a

この、「プログラミングスクール卒業したゴミ面接した結果」という記事はてブ話題となった。

ブコメでは「ゴミは言い過ぎだ」「筆者の人間性を疑う」のような批判的なものが多かったが、雇う側の立場としては至極まっとうな意見でもあったとも思うよ。

実際にプログラミングスクール卒業した2008年製のゴミの末路を見て、プログラマ目指すのに、スクールに通うか通わないかの参考にしてみてほしい。

2007年に、初級シスアドとれたのでプログラマなれるんじゃねと勘違い

当時26歳だった私は、上京し某プログラミングスクールに通い始めた。40万支払ってジャバの動画を見る日々。講師はいたがジャバ知らないので質問もしなかった。

ジャバの動画を見終わって、はれて卒業した私は、エスアイアーやソフトハウス面接を受けまくった。

しかし、ポートフォリオ自身プログラミングスキル証明できる成果物)など全く作っておらず、実技試験ではフィズバズテストもできない有様。あんなにジャバ動画見てたのにね。もちろん変数引数の違いも分かってない。誰か雇うかと。

そんな就職活動半年ほど続け、ようやく正社員採用してもらえた。

だがそこで待っていたのは、C++既存コードメンテ作業だった。この頃にはジャバとかどうでもよくなり、ただプログラマとして潜り込めば良しとした。

ただ案の定何もできず、一日中ググって終わりという日々が続いた。そして一ヶ月半で解雇

27歳。プログラマになるの夢はすっかり消え去り、ただ東京で食いつなぐだけの生活が始まった。

失業手当が尽きた頃、派遣会社登録。督促コールセンターにぶちこまれ、3ヶ月で逃げ出した私には、日雇い派遣がちょうど良かった。漬物工場和菓子工場物流倉庫で黙々と働くほうが性に合ってたようだ。

そんな生活が続くわけもなく、結局上京してからたった1年半で地元に逃げ帰ることになりました。

今は地元運用保守SEとなり、ほとんどコードを書かなくて済んでます

2012-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20120724025818

二度目まして、はてな

就職を諦めるという選択を書いた者です。

今日も落ちちゃったよ、3次選考、お手紙、無念。

思った以上に反響があってびっくりした。

応援の言葉も読みました。

から感謝する、ありがとう

スペック書いてなくって、自分を男だと思った奴がいたことがイチバンビックリしたよ。

地方ではそこそこイカした大学の現役4年女子大生です。

専攻は文系情報処理学科

サークルみたいな活動は3つくらいノリで掛け持ち。

スキル普通自動車免許情報処理関係が3つ、簿記会計が2級。

http://anond.hatelabo.jp/20120724025818 さん、あたりー、応用情報持ってるよー。

初級シスアドを高校のときにとってたら、大学でタダで受けれた。

バイトは学費と生活費がかかってる。

こんな時間日記を書いているのもそのせいだよ。

学費は9月までに後期分納めたらもう考えなくていいって思うと、にやにやしてしまう。

http://anond.hatelabo.jp/20120724025818

容姿の話も気になった。

そんなに酷くない顔だと思うんだけど、こればっかりは他人の意見を聞かないと分からない。

接客のバイト吉高由里子を幼くした感じっていわれたことがある。

自信は全くない、整形したいって思うほどではない。

女子力低いのは否定できないですヨ。

カワイイはつくれる信者

http://anond.hatelabo.jp/20120724025818

ブラック定義は、個人的には2つある。

・3年くらいは生きてそうなこと(公開されている資料みて)

・説明会で質疑応答の時間があるか

休日がなかったり、給与ナマポ以上ほしいけどムリならまあいいかくらいに考えてる

自分ひとり生きていくための生活目標で、多く望んでないと思う。

実際、はてなからみてブラック企業と思われる企業(入れ替わり激しいという噂)にもイラナイっていわれたから、もしかしたら贅沢なのかも。

こんな感じ。

あと、1つ黙っていたことを追記する。

はっきりいって、これが自分就職活動が上手くいかない原因だと思うので、悲劇のヒロインになりたくて黙ってました。

自分高卒で働く予定だったこと、つまり自分が本当は大学いけるほど頭がよくないってことだ。

就職活動するのは2度目。

というわけで、高望みはしてないとも思う。

高卒内定貰ってた会社サブプライムによる経営破綻で高3の夏に消えた。

大きな会社じゃないけど、働いてる人は一生懸命で、事務職でそういう人たちを支えるだけの存在になれるってなって、内定してうれしかった。

うれしすぎて、全商全種1級とか初級シスアドとかに挑んで、一人でバカみたいに浮かれてた。

大学に進学することになったのは、割愛。

ナントカ推薦って形で大学に進学して今の自分にいたります

高卒就職するつもりだったから、リクルートスーツきてるにーちゃんねーちゃんと同じ位置で面接とか受けてたよ。

本当はテストセンター抜けれるほど頭のできはよくない。

だいたいは1夜漬けと直前暗記でしのいだり、人脈で勝負してきた。

高卒就職するのが当たり前な、しかも、就職と書いてニートと読むのが当たり前のような高校を出てる。

アルファベット大学に入るまえの事前学習で教えてもらったレベル

>文章を読む限りだけど、採用しないと思う。仕事学校の延長にみてるように感じるよ。

この意見が図星すぎて、言葉にならんかったぜ。

仕事を失って大学きちゃったんだから、世の中不思議なもんです。

短い内定期間に研修受けて、仕事がどんなものかは、うっすら分かってるつもりだった。

なんかね。

偏差値低すぎる自分」が企業にばれちゃって落ちてるんじゃないかなあって思ってたんだよ。

高卒内定貰ってそこつぶれていま就職活動してまーす、なんて履歴書に書いてるわけでもないけど、どこかで品のなさかなにかがばれちゃってると思ってた。

はてなはてブみて、ちがうなって考え直したけど。

今日のお祈り通知も、鳴らないスマフォも、前期期末テストも。頭悪いからだけじゃない。

運が悪いだけでもない。

自分に足りない、女子力とかを、まずは身につけようと思う。

「運が悪いだけだ」という周りの声はどうしようもないから、これからも悩むかもしれないです。

一緒に仕事をしたいと思わせることって、難しすぎですな。

一緒に仕事をしたいと思ってもらえるって、幸せすぎなんでしょうな。

8月の内定ラッシュ、今年も時期がずれずにここらになりそうです。

「もう死にたい」っていうところまで、頑張ります

ありがとう

2012-03-02

大学中退からいかにして年収900万まで登ったか書く

田舎から上京して東京とある著名な私大に在籍。その1年目にして叔父がまさかの倒産。両親が保証人になってたせいで、家族全体として多額の借金を背負う。学費稼ぎのためにコンビバイトを始めるが、逆に単位を落としがちになり、その結果、育英会奨学金が止まった。生活で精一杯のため大学中退することにした。なぜか両親の逆鱗に触れ、勘当される。このとき2000年成人式を終えたばかりの春だった。

大学中退高卒扱いだ。学歴武器仕事しようと思っていたために、どうやって生きていけばいいのか目標を見失った。一人暮らしから無職にもなれない。まずコンビニバイトをやめようと思った。

最初は新社会人の就職活動と同じような感覚マイナビをひとしきり見てたのを覚えてる。ここで給料相場観を掴み、フロムエーとかanで求人を探した。技術が身につくなら何でも良いと思っていたが、求人からIT技術者人口が相当薄いんだろうという事を感じた。その結果「IT企業で雑用ができる」「初心者歓迎」のような説明のある企業に応募することが多くなった。

IT企業ではないが「システム部門での雑用」ができる中小企業があったので応募。「残業できますんで働かせて下さい、中退した理由は色々ありますが、とにかく仕事がしたいんです」と素直に申し出たところ、賞与がないという条件付きで採用された。月給17万前後新入社員歓迎の飲み会全裸になったのが大ウケしたのが良かった。バカ田大学のバカが来たと言うような感じでバカにされながら仕事したが、それでも真面目に雑用をこなしているうちに徐々にシスアド仕事ができるようになってきた。

この会社で覚えたことは結構ある。

DreamWeaverで【「更新情報」ページの更新】という作業を任され、HTML学習のキッカケになった。

「とほほ」を参考に、JavaScriptが少しずつ書けるようになった。

携帯向けサイトを作ることになり、無理してPHPPerlも覚えた。画像の圧縮処理も覚えた。

PHPを覚えるとデータベースへのSQL発行もそれほど抵抗なく身に付いた。

Windowsネットワークの調整を進めるうちにActiveDirectoryの知識がついた。

中小企業なので専門のネットワーク技術者がおらず、Ciscoコマンド勉強できた。

この結果、最終的には社内で使うサイトを構築から任されることになった。資格でもプログラム言語でもないが「仕事する人にとって使いやすいWebサイトGUI)を作る」というデザイン技術は確実に身についたと思っている。

働き始めて2年目で初級シスアド基本情報に挑戦して両方とも合格した。このとき情報シスアドも挑戦したが午前科目で不合格。これは翌年も挑戦して合格した。

コツコツ貯めたはした金で、株式にも挑戦する。ちょうど紙幣バラ撒きのパフォーマンスで有名な「あしぎん株」騒動に乗っかり、30万円の大損をする。ここで自分には儲けるセンスがないことを思い知る。しか仕事に対するモチベーションを大きく上げることになったと思う。

この会社では色々な知識が入ってきてレベルに応じた仕事ができるいい環境だが、入社条件があるだけに、どんなに頑張っても昇給はなさそうだと考えるうちに将来が不安になった。クレジットカードショッピング枠のリボ返済がきつくなり、返済に追われるように転職を決意する。2006年

ここで参考にしたサイトは Re就活マイコミ。物は試しと色々なIT企業面接に出向くも、ほぼ全滅。採用されたとしてもマルチまがい商法に参加するような会社だったりして、入社後すぐ辞めたりした。

面接に落とされた原因は恐らく4点。

技術専門用語で語れないこと。

例えば「ワン側の設定もできる?」「経験のあるフレームワークは?」と言われても曖昧な返事ばかりしてた。仕事場で身につけたノウハウと、その内容を指し示す用語が頭の中で全然リンクしておらず、チグハグな回答しかできないのである。それを説明するために専門用語があるのだ、と思いながらとにかく用語を勉強した。

活舌が悪いこと。

自分の声をマイクで録音し再生してみた。そしたら実際恥ずかしい活舌だった。こんな努力は誰にも見られたくないと思いながらも、とにかくマイクに録音して治す作業で、苦手なサ行を治した。まだ治りきっていないけれど、自分の声を聴いて「自分の声じゃないわぁ」と言っているうちは自分の声を理解してない、そう思うように頑張った。

人相が悪いこと。

まずマユゲを整えるようにした。知り合いに会うたび「印象変わったねー、マユゲ剃ってるーwwwおっかしーwww」と屈辱を受けるも、なんとか耐えた。そして、2ヶ月に1回は美容室に行き短髪にするよう心がけた。最初は入るの出るのも恥ずかしかったが、2回目、その美容室お姉さまに「久しぶりー!伸びるの速いねー!」と可愛く言われたのが妙に嬉しくて、それ以降美容室に抵抗なく行けるようになった。あと、自分の顔はヒゲがあったほうがカッコいいらしいと言うことも分かる。第三者の意見大事だと思った。

自分に自信がないこと。

高級デリヘルを頼んだ。即解決した。あの150分は今でも強烈に記憶に残っている。

今までやってきた仕事をどう面接表現するのか、何が目的で働きたいのか、今から働こうとするその会社に対してどのような手段で貢献するのかを正しく話すことができれば、それだけでいいんじゃないか、と思うようになりました。その結果、会社ニーズマッチしていないことが分かれば、素直に他あたるのも大事だなぁとも思うようになりました。

上場を目指す会社に運よく入ることができ、年収が1年目350万。しかし社内システム関連業務全体における役付きの地位がまわってきて、このご時勢で入社3年目にして900万まで伸びました。そして今に至ります

2009-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20091024112921

他に何もアピールポイントがないのであれば「英検3級」でも

運転免許(AT限定)」(自家用車なし)でも

初級シスアド」でも枯れ木も山の賑わいで書くべきだと思う。

答はもちろん「いいえ」だ

欄を埋めれば褒められる学校テストしかやったことがないんじゃないのか

http://anond.hatelabo.jp/20091024112921

横だけどさ、基本情報技術者って履歴書に書くとまずい?

初級シスアドが出たからちょっと訊きたくなったんだけど。

初級シスアド管理者の下っ端で、基本情報技術者開発者の下っ端じゃん。

実際に何も評価されない気はする。

http://anond.hatelabo.jp/20091023113517

予想以上に否定的なコメントが多いけど

英検3級とか漢検3級とかは中学校によっては

半ば強制的に受検させられる学校もあるぞ。

(学年単位とか学校単位での団体受検)

「3級&初級資格履歴書に書くべきでない」というのは

ある意味就活セオリーではあるけれど

他に何もアピールポイントがないのであれば「英検3級」でも

運転免許(AT限定)」(自家用車なし)でも

初級シスアド」でも枯れ木も山の賑わいで書くべきだと思う。

2009-09-08

転職に成功したので書いておく

田舎から上京して東京のとある著名な私大に在籍。その1年目にして叔父がまさか倒産。両親が保証人になってたせいで、家族全体として多額の借金を背負う。学費稼ぎのためにコンビバイトを始めるが、逆に単位を落としがちになり、その結果、育英会奨学金が止まった。生活で精一杯のため大学中退することにした。なぜか両親の逆鱗に触れ、勘当される。このとき2000年成人式を終えたばかりの春だった。

大学中退高卒扱いだ。学歴武器仕事しようと思っていたために、どうやって生きていけばいいのか目標を見失った。一人暮らしだから無職にもなれない。まずコンビニバイトをやめようと思った。

最初は新社会人の就職活動と同じような感覚マイナビをひとしきり見てたのを覚えてる。ここで給料相場観を掴み、フロムエーとかanで求人を探した。技術が身につくなら何でも良いと思っていたが、求人からIT技術者人口が相当薄いんだろうという事を感じた。その結果「IT企業で雑用ができる」「初心者歓迎」のような説明のある企業に応募することが多くなった。

IT企業ではないが「システム部門での雑用」ができる中小企業があったので応募。「残業できますんで働かせて下さい、中退した理由は色々ありますが、とにかく仕事がしたいんです」と素直に申し出たところ、賞与がないという条件付きで採用された。月給17万前後新入社員歓迎の飲み会全裸になったのが大ウケしたのが良かった。バカ田大学のバカが来たと言うような感じでバカにされながら仕事したが、それでも真面目に雑用をこなしているうちに徐々にシスアド仕事ができるようになってきた。

この会社で覚えたことは結構ある。

この結果、最終的には社内で使うサイトを構築から任されることになった。資格でもプログラム言語でもないが「仕事する人にとって使いやすいWebサイトGUI)を作る」というデザイン技術は確実に身についたと思っている。

働き始めて2年目で初級シスアド基本情報に挑戦して両方とも合格した。このとき情報シスアドも挑戦したが午前科目で不合格。これは翌年も挑戦して合格した。

コツコツ貯めたはした金で、株式にも挑戦する。ちょうど紙幣バラ撒きのパフォーマンスで有名な「あしぎん株」騒動に乗っかり、30万円の大損をする。ここで自分には儲けるセンスがないことを思い知る。しかし仕事に対するモチベーションを大きく上げることになったと思う。

この会社では色々な知識が入ってきてレベルに応じた仕事ができるいい環境だが、入社条件があるだけに、どんなに頑張っても昇給はなさそうだと考えるうちに将来が不安になった。クレジットカードショッピング枠のリボ返済がきつくなり、返済に追われるように転職を決意する。2006年

ここで参考にしたサイトは Re就活マイコミ。物は試しと色々なIT企業面接に出向くも、ほぼ全滅。採用されたとしてもマルチまがい商法に参加するような会社だったりして、入社後すぐ辞めたりした。

面接に落とされた原因は恐らく4点。

技術専門用語で語れないこと。
例えば「ワン側の設定もできる?」「経験のあるフレームワークは?」と言われても曖昧な返事ばかりしてた。仕事場で身につけたノウハウと、その内容を指し示す用語が頭の中で全然リンクしておらず、チグハグな回答しかできないのである。それを説明するために専門用語があるのだ、と思いながらとにかく用語を勉強した。
活舌が悪いこと。
自分の声をマイクで録音し再生してみた。そしたら実際恥ずかしい活舌だった。こんな努力は誰にも見られたくないと思いながらも、とにかくマイクに録音して治す作業で、苦手なサ行を治した。まだ治りきっていないけれど、自分の声を聴いて「自分の声じゃないわぁ」と言っているうちは自分の声を理解してない、そう思うように頑張った。
人相が悪いこと。
まずマユゲを整えるようにした。知り合いに会うたび「印象変わったねー、マユゲ剃ってるーwwwおっかしーwww」と屈辱を受けるも、なんとか耐えた。そして、2ヶ月に1回は美容室に行き短髪にするよう心がけた。最初は入るの出るのも恥ずかしかったが、2回目、その美容室お姉さまに「久しぶりー!伸びるの速いねー!」と可愛く言われたのが妙に嬉しくて、それ以降美容室に抵抗なく行けるようになった。あと、自分の顔はヒゲがあったほうがカッコいいらしいと言うことも分かる。第三者の意見は大事だと思った。
自分に自信がないこと。
高級デリヘルを頼んだ。即解決した。あの150分は今でも強烈に記憶に残っている。

今までやってきた仕事をどう面接で表現するのか、何が目的で働きたいのか、今から働こうとするその会社に対してどのような手段で貢献するのかを正しく話すことができれば、それだけでいいんじゃないか、と思うようになりました。その結果、会社ニーズマッチしていないことが分かれば、素直に他あたるのも大事だなぁとも思うようになりました。

上場を目指す会社に運よく入ることができ、年収が1年目350万。しかし社内システム関連業務全体における役付きの地位がまわってきて、このご時勢で入社3年目にして900万まで伸びました。そして今に至ります。

2009-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20090407091437

初級シスアドソフ開までは実務経験なくても通るしね。想定としてもじっさいの運用としても高校大学生向けと認識して間違いないだろう。

上級シスアドとかシスアナみたいな高度試験になると一気に高齢化する。合格平均年齢も40歳くらい。

http://anond.hatelabo.jp/20090407091437

むかーし実際に受けに行ったですー。

年代ばらばらでした。若い子もいた。自分が受けてた部屋では、年配の方が多かったです。

情報処理関連の資格は欲しい、でも基本情報技術までは要らない人が受けてるのかなぁと推測。

コード書かないユーザの立場なら、初級シスアドで事足りるもんね。

http://anond.hatelabo.jp/20090406103952

基本情報とか初級シスアドって、会場にも制服を着た高校生がうじゃうじゃ居て、レベルとしては高校生大学生レベルくらいが普通なんだろうなと思ってたけど。

日商簿記3級とかと同じくらいのレベルじゃないかなあ。

初級シスアドなんて、統計情報を見ても一番多い受験者が大学生で、その次に高校生が来るレベル

 http://www.jitec.jp/1_07toukei/excel/03_kinmusakibetsu_20a.xls

2009-04-06

大学一年目の秋に初級シスアド合格か……

http://anond.hatelabo.jp/20090406000943

大学に入って一年目で初級シスアドに受かるのは、実は結構難しい。

いや、できる人には簡単らしく、そういう人ほど初級シスアドを軽視するのだが、できない人は本当勉強してもなかなか合格しない。ネットだと「初級シスアドなど持っていてもしょうがない」と言った意見を見るが、これはできる人間が軽視しているだけである。(そもそも、ネットの文化が形成される初期のころは、そういったリテラシーの高い人ばかりだったのでそういった発言が染みついているのである)

そういう人に合格率は30%弱程度であると言うと、思わぬ合格率の低さに驚かれることが多い。世の中には初級シスアド学習コースなどは山ほどあり、書籍も山ほど出ている。どれも簡単に合格できると言うことを標榜している。しかし、実際にはこの合格率である。伊達国家試験ではない。

これを簡単と感じるか(あるいは苦痛と感じるか)、そうでないかが結構分岐点だったりするようである。増田氏は一年目ということで当然春ではなく秋ということになり、一発合格であろう。初級シスアドSQLが分野に含まれているので、ある程度その当たりの仕組みを感覚的に吸収できる人でなければ……単純に「パソコン好き」というレベルでは、そのあたりの短期間での突破は難しいと思う。

無責任なことは言えないが、この点で元増田の基本能力は結構高いような気がする。

<追記>

ブクマに反応。

b:id:hosigaokakirari 元増田大学前期で取ったって言ってるから春試験なんじゃなかろうか。情報系だと高校生でも取る資格だし。 2009/04/06

試験の出願はその年の2月が締めきりで、4月受験なので、大学に入ってから取得なら絶対に間に合いませんぜ。高校生のうち時期に出願してあるなら別だけど、出願受付時期が受験の最後のころにかぶるから考えにくいと思う。

<追記さらに追記>

大学一年と言うことは、受験戦争を勝ち上がった直後。その秋に向かって勉強をし、そこで取得したと言うことに対しての話である。時間の話も含まれている。100キロを一日で走りきった人と、年間で歩く距離が100キロとでは、全く評価が異なるだろう。そういった話なので、そこを見逃さないようにしてほしい。そしてこれは他の上級試験との相対評価ではなく、世間全体の絶対評価の話のつもりだ。

馬鹿の壁、と言う本がはやったことがあるが、できる人は本当にできるが、できない人は全くできないものだ。そしてできる人はできない人が何故できないのか理解できないし、逆にできない人の気持ちなど、できる人間はわからないのだ。それは声を大にして(顔を真っ赤にして半泣きで)言いたい。っていうかできる奴の「簡単ですよ?」ほど信頼できない言葉はないと思う。そしてネット連中(っていうかたくさんの増田たち、はてなーたちは特に)は基本的に「パソコンができる」人間なのでそこからの相対評価では辛い点数がでて当然である。

10年以上ひきこもっていた

大学に馴染めず休学してから10年以上ひきこもっていた。
大学は再休学を繰り返した後に退学。

「(親が死んだら自分も死ぬのかな、、死んでもいいや・・)」みたいに自分を騙し、将来のことを
出来るだけ見ない・考えないことに習熟することで心を落ち着かせ、穏やかに過そうとする、そんな生活。

脱ヒキへの様々なサポート・支援事業、web上のヒキ情報サイト等は全て上記"将来"を想起させられるので回避。
ひきこもり同士が悩みや愚痴を言い合うネット上の場でさえも、必ず将来不安が話題になるため、回避。
ひきこもりSNSはおろか2chのヒッキー板すら見ない。見れない。

なによりも意識に上がらないように避けていたのは、こんな自分を支えている、親の想いについて。
あまりにも向き合えなすぎて、それが脳裏に浮かぶなりほとんど自動的に右から左へと意識の外へ追いやってしまう。

でもロボットコンピュータでない以上は完全に自分を騙せなどしないし、心の底には黒い澱のようなものが
蓄積していっていたのかもしれない。
また、定年を迎えた父が心のバランスを崩したこと、それにより結果として私と父との関係性が変わったこと、
更にそのような父に根気強く付き合う母の姿を見たことにも影響を受けたのかもしれない。

厳密な原因は分からないが、この春になってから急に、将来に関する不安感が今までのようには
散らせなくなってその結果顕在化し、同時に「自立したい」「自立しなくては」との思いに追い立てられるように
精神状態が変化したのだ。
本当に突然に。

そうなった日以降、床屋に行き、服を買い足し、生活用品を買い足し、身元証明用にパスポートを申請し、
携帯契約し、etc.と毎日用事を作っては外出してる。
ひきこもり電話相談に初めてtelし、支援団体を紹介してもらい、ハロワカウンセリングを受け、
職業適正検査を受け、ハロワ就活セミナーの予約を入れ、求職サイト等で求人を確認し。

家族とは普通に会話出来るものの自分の対人能力がどれだけ劣化してるのか分からず不安があったが、
とりあえず電車や人ごみ等で過剰に緊張するようになってたりとかはないみたいで良かった。
明日は紹介してもらった支援団体に行き家族以外との会話能力がどれくらい劣化してるのか確認したい。

一ヶ月前の自分に言っても信じられないだろうが、今はこれらの(錯覚かもしれないが)前に進んでる感の
得られる行動をしないで一日を過ごすほうが辛いと感じる。
腹の中での不安感の占める比率が膨らむ感がある。

冷静に見るなら(良くも悪くも)半ば安定していたヒキ状態からあまりにも急な変化なので、ひょっとして
何らかの精神疾患とかなのかな?と思わなくもない。
一方で客観的に見て不安や焦りを感じて当然の状態なので、それ自体はあって当然だとも思う。

母からは、あまり焦りすぎて狭い視野で職を決めずに、やりたいことやれることをきっちり考えて調べた上で
決めた方が良いのではと助言されている。
自分としては年齢(30代前半)のこともあり焦りの感が強い。

三十路大学中退、職歴無し、資格は10年前に休学前の大学1年前期で取った初級シスアドのみ。
現実的には出来る事は非常に限られているかもしれない。
でも今は出来ることを探してやっていく以外の選択枝はないし、また、そうしたいとも思っている。

2009-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20090130040848

ネットワークエンジニアで、いきなり正社員となると難しいんじゃないかな。

いや、運とかコネあればいいかもしれないけど。

個人的経験だけど、プロバイダ等のユーザサポートを踏み台にしていくのがいいんじゃないかな。

少なくとも、接続メールの設定、ホームページアップロード等についての窓口をやるテクニカル系を希望すれば良いかと。

請求とか、住所変更とかを行う管理窓口に行かなければ、自然と最低限の知識は身につく。

プロバイダサービス過剰で、ITやネットワークを使ったサービスのごった煮みたいなところ。

そこから好きな分野見つけてステップアップしていけばいいんじゃないかなぁ。

あと、資格もいきなりネットワークスペシャリストを目指すのではなく、ITパスポート初級シスアド、.comMaster★ なんかの資格から順々に取っていき、勉強する意思と能力があることをアピールすることも必要だと思うよ。

2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080724035950

プログラマーお仕事

あたし・・・実は・・・プログラマーなんだ。

ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。

でも、どうしても言えなかったの。

あたしがプログラマーだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。

わかってる。わかってるよ。

プログラマー初級シスアドを通った人だけがなることができる、カスタマープロフィットに関わるシリアスビジネスだって。

でもね・・。

でもね、全然ちがうんだよ。

あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。

あたしは汚れている。

あたしのキーボードは、汚れているんだよ。

プログラマーになったとき、すごく嬉しかった。知り合いのハッカーになったような気でいたの。

あたし馬鹿だから、お客様ビジネスを作るんだ!なんて、本気で思ってた。

でもね、全然違ったんだよ。

元請から言い渡された Sヨ の詳細設計仕様書は全く別のものだった。

お客様ビジネスを、まるでビル・ゲイツのように平等に助けるようなものじゃなかった。

あたしたちプログラマーに課せられた任務、・・・・それは、デバッグ だった。

生きるべき仕様と、それ以外のバグのふるいわけ。

そして、それを見守ること。

ねぇ知ってた?

この世界には、あるんだよ。こんな日本のど真ん中にね、平然と、あるの。

どうなっても大丈夫バグっていうのが。

プログラマーはね、それを見守るの。

プログラマー六本木ヒルズホリエモンで、勝ち組特権階級の象徴だからね、

そこにあるだけで、まるでビジネスが行われているかのような錯覚を起こさせる。

あたしの仕事は、そうやって、平等にビジネスが行われているかのように見せる暗幕みたいなものだったの。

ソフトウェアなんて、全然、救えなかったよ。

救う義務も権利も、この任務にはなかったの。

例え、その仕様がどうすれば助かるか、明確に解っていたとしても、

あたしたちは元請の命令が無いかぎり、何一つのコーディングもできない。

苦しいとサポート電話をかけ続けるクレーマーがいても、

あたしたちにはパッチ仕様変更も与えることはできないの。

ただ、ただ、走って火消し屋を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。

でもね、この国の「火消し屋」は非常に貴重な存在

火消し屋は稀有な存在

夜なんかになれば、一つのフロアにどこからともなく現われるの。

たくさんのプログラマーたちが、一人の火消し屋に群がっていた。

先生、コアを吐いている人がいます!」

先生、表領域が苦しい人がいます!」

先生サニタイズが弱い人がいます!」

先生デッドロックでもがいてる人がいます!」

懸命にプログラマーたちが叫んでた。

でも火消し屋は一人。

私も声を荒げて「苦しい言い訳をするプログラマーがいます!」って叫んだの。

でも、ここでもふるいわけが始まる。

人員レベル、難度、納期。そんなものが現象と一緒くた になって命令が言い渡される。

「とりあえずスタックトレースを」

と言ったきり、火消し屋は朝までチームのもとに来れなかったの(お客さんのところに言い訳に行った)。

その日、10秒ごとに Mantis の履歴が増えた。

「苦しい、苦しい、まだ苦しい」

「もう少しだけ待ってください、今火消し屋、来ますから・・」

何度も火消し屋のもとに走ったけど・・・。

火消し屋は、今にも心臓の止まりそうなお客さんと仕様と納期の折衝にあたっていた。

あたしは火消し屋に背中側から叫んだ。

「null チェックを入れても、まだぬるぽみたいなんです!」

「ガッ!」

コメントアウトの行数を上げた。でも駄目だった。QA からの質問は止まない。

そのバグだけじゃない。

トイレに連れて行ってください(コンプライアンス的な意味で」

「基板が焼けたから替えてください」

「エスタロンを飲ませてください」

「ブートが走らないんですが」

「眠れません」

デバッガを走らせる。

忙しさにコードが荒くなる。

残業時間が 400 越えたプログラマーエレベーターに乗って外に出て行こうとする。

遠くのフロアで、缶コーヒータバコの売り切れ音が聞こえる。

必死にあたしもふるい分けた。

今、一番検収ハネられる危険があるバグから、一番仕様満たしてないバグから、手を差し伸べなきゃ。

「いつになったら納品されるんだ!」と言われても。

「単価高い」と言われても。

私は頭を下げたり、ちょっと言い争ったりもしながら、

バグが、バグが、バグが」と言う人のとこに走ったよ。

家から家族が消えていた。離婚届をかいていた。

あたしはカーネルだ!と思った。

一刻を争うバグ対。火消し屋に聞いてる時間は無かったの。

あたしは火消し屋の指示を待たずにロジック検査をした。差分プログラミングの extends だった。

急いで火消し屋に連絡した。

「差分プログラミングの extends です。継承元のコードいじっていいですか?!」

「いや、コードを見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」

コードは胸を掻きむしるようスパゲッティしていた。

「待てません!リリースします!」

あたしは火消し屋の指示無くパッチコミットした。バグの症状はスッと納まった。

それは駄目なことだったけど、一人のバグを救ったことに、あたしは浮かれてたの。

貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々と自席に戻ってきたの。

自席の・・・・

自席のモニターの一台の波形が、フラットになってた。

あたしは急いでスタックトレースに飛んだよ。

でも、亡くなってた。

ログを吐けないプロセスさんだった。

システムコールも呼べない人だった。

あたしは、その日、目の前の苦しいバグに夢中で、ps なんか見てなかった。

それでもね、・・・あたし、まだ、プログラマーなんだよ・・。

火消し屋は QA に「いつ何があってもおかしくない COBOLer の書かれたコードでしたから・・」と時間稼ぎの工作をしていた。

QA のテスターは「ありがとうございました」と額に青筋を浮かべてバグレポートに「仕様です」と書いて取り下げた。

そして、あたしにも「プログラマーさん、ありがとね」と言ったの。

大好きな、ソフトウェアだった。

このシステムが立ち上がる頃から知っていて、αリリースから知っていて。

「自分は寂しがり屋だから、最期は dankogai に手を握ってもらいながらホッテントリ入りしたい」と言っていた。

あたしが新人の頃から知っていて、viカーソル移動が苦手だったのも知っていて、

Xenix はわしが育てた」が口癖だった。

「まぁ、・・・歳だったし、運用中にも止められないって言ってたからなー」

と火消し屋があたしの背中ごしに言った。

あたしは GC モニターの記録を見てたの。

その記録には、波形が Full GC 後もヒープ使用量が右肩上がりとなりメリリークするさまがしっかりと記録されていた。

高負荷だから死んだんじゃない、そこにはメモリリークで死んでくプロセスがあった。

でも、そんなこと全部まるめこんで、kill んじゃって仕方ないっていうプロセスが、そこにはあったんだ。

似たようなことはざらにあった。

何人ものプログラマーが、自社ビルの屋上の端から零れていったよ。

でも、あたし・・・プログラマーなんだ。

誰も、辞めろって言わないの。

火消し屋は鉄火場にブチ込まれただけだから、言わない。

顧客は実情がわからないから、言わない。

プログラマー同士は実情がわかってるから、言わない。

IPA はきっと、全部知ってて、それ込みで「それが10年は泥のように働けということだ」と言うかもしれないけど。

いや、言わないか。IPA は、何も言わない。きっと。

救えたかもしれないバグを、プログラマーは一番わかってる。見えてしまう。

PM の指示が適してないのも、判断が遅いのも、仕様変更履歴がのってないのも、全部わかってる。

それでも「あの時!」と、自分の行動と判断を何度も振りかえる。

その向こうにはいつも「あのとき、こうしておけば」が、くっきりと見える。

でも、救えなかった責任も、見過ごした責任プログラマーには問われない。

プログラマー仕事は、責任を負うことじゃないから。

プログラマーって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。

プログラマーなんて、なんの仕様検討も許されていないのに、

パッチ一粒すら出せないのに、

設計一つ指示できないのに、

テストパターンに関わることなんて、一つも独立してできないのに、

テスト部門が持たされてるのはプログラマーコールだけなんだよ。

どんなに辛くてもプログラマーしか呼べないなんて。

そしてあたしたちは色んなものを抱えて、バグの前に立つ。

火消し屋が来ること、来れないこと、

できるデバッグがあること、ないこと、

SIer未来、残された時間

色んなことを知りながら、本当の意味世界を変えられるコーディング力もないままに、

さも救いのギークが舞い降りたかのような顔で。

IT ギョーカイが崩壊していく。

全然止められない速度で。

その日○製作所の城で、あたしは見てるんだ。

沈んでいく汎用機の命を。

それがね、2008年プログラマーお仕事



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不謹慎かつ日本語崩壊でサーセンwwww

医療な人とコンピュータな人ってネット上見てる限りにおいては親近感抱いてるっぽいよね。

 
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