はてなキーワード: ぼやきとは
歳の離れた弟がいる。
俺は大学から上京して一人暮らしをしているので、弟が10歳以降は盆と正月に会うくらい。
弟が高校生になってからは、東京の俺の家に泊まりにくることが多くなった。
弟は特に都会のあれこれには興味がないらしく、どうしようか迷って結局家でゲームするか、ほぼ毎回ディズニーランドに連れて行ってる。
家族旅行のない家庭だったので、それでもめちゃくちゃ喜んでくれる。
俺は申し訳程度に自炊をしているのだけれど、そんなに凝ってない料理でも作るとうまいうまいと食べてくれるし、勉強を教えてほしいって言ってきたり。
友達の兄弟は大人なってから口も聞かないとかたまに聞くけど、歳が離れているせいもあってか、俺は弟のことはとにかく可愛い。
友達の兄姉に姪っ子ができてバカかわいがりしているのを見たことがあるけど、多分あんな感じだと思う。
先月、弟がまた遊びに来ていた。
夜、寝る前に一つ相談をされた。
子供の前で喧嘩しないようにこそしていてくれたが、子供だけが二人が離婚しない理由になってるのは明らかだった。
弟も高校生になって、それを顕著に感じているらしい。
恐らく自分が大学まで出て、無事就職したら別れるつもりなんじゃないかと。
俺も弟の予想は的外れじゃないだろうと思った。
弟は決して出来の悪い方ではないのだが、俺のように東京の大学に行くほどではないと自分で思っているらしく、
(奨学金の返済がつらいと俺がぼやき続けていた影響もあるかもしれない)
地元の大学に行くつもりで、だから最低でもあと四年は両親に付き合わせる羽目になる。
それが心苦しいが、まさか気にせず別れてくれとも言えないらしい。
正直、家を出る前は俺も同じ居心地の悪さをひしひしと感じていたから、弟の気持ちは痛いほどわかる。
しかも、弟は俺がいないので、余計つらいだろう。
弟がこんなにも自分に懐いて、よく東京に遊びに来てくれる理由が分かった気がした。
そして、弟に頼まれたことが、自分を養子として引き取って欲しいとのことだった。
養子、つまり誰かを子供に迎えるということが俺にとってあまりにも非日常過ぎて面食らったが、弟は真剣そのものだった。
そもそも兄弟は養子縁組できるのか?とか疑問が浮かんだが、その辺も弟は既に調べてきていた。
両親の不甲斐なさはさておき、弟にそこまで頼りにされることは兄として正直嬉しい。
養子にするまではやりすぎじゃないかと思うが、東京に来て、俺と一緒に住んで、東京の大学に通えばいいんじゃないかと思った。
家賃や光熱費を俺が負担してやれば、地元の大学に行くのとほとんど変わらないだろう。
しかし、その提案をする前に、俺には一つ気がかりなことがあった。
それは、俺の存在が弟の世界を狭くしてしまってるのではないかということだ。
弟は、小学生の頃(俺がまだ地元にいた頃)こそ、よくふざけて笑う明るい子供のイメージがあったのだが、思い返してみれば、俺が家に連れてきた友達とばかり遊んでいて、自分で友達を作るということをしてこなかった気がする。
弟が弟の友達を家に連れてくる機会というのは滅多になかった。
学校には毎日真面目にいってるらしいので、ただ俺より大人しいタイプなのかもと思うが、土日もほとんど遊びに行くことはないというから心配になる。
まだ高校生なのでそれは焦ることではないのかもしれないが、彼女もできたことはないらしい。
弟の同級生ともなると歳が離れすぎていて、なかなか学校での様子を聞く機会もない。
母親が保護者面談などで聞く限りは、いじめられたりすることも、周囲と揉めることもないらしい。
心配するほどのことではないのかもしれないが、このまま俺が兄兼父親兼友達のような存在になってしまったら、ますます弟はその関係の居心地の良さに甘えて、外での関係性に力を入れなくなってしまうのではないかという不安があった。
とりあえず、弟には、家が居づらくなったらいつでも逃げてきていいと言った。
それから、俺もまだ頼りないけど、経済的な支援ならするから、大学から実家を離れることについても考えてみたらいいと。
本当に高卒で働きたい意思があるなら、母親の言葉に必ずしも縛られる必要はない、そこの説得は手伝ってもいい、と。
心配だったけれど、とりあえずそう言い聞かせて家には帰した。
弟は、俺の前でほとんど叱られるようなことをしたことがないが、
あれで頑固なところがあるので、たぶん何も言い返してこなかったところを見ると、納得はしていないのだろうと思った。
受験のことを考えると、そろそろ意思を固めないといけない頃だろう。
まだ高校生の弟に、何が自分にとって最適か、全部自分で考えろという子も酷な話だ。
かと言って、弟の人生全てに責任が取れるとは思えない自分が情けない。
一体どうするのが兄として正しいんだろうか。
作れたらTwitterとマストドン(と他SNSサービス)をいっぺんに見れるマルチクライアント用アプリが欲しい Twidere的な
何故かっていうとかつて存在した某SNSサービスからの難民が鳥か象に分岐したから負いきれない
それだけならTwidereで非常にありがたいのだけど、TL見ながら投稿ができないのが難点
開発できもしないのに偉そうだなあ自分
亡きShootingStar系の…でなくてもいいから文字だけでいいからTL見ながらその場で投稿できる機能があればかつてツイ廃だった身としては嬉しい TLと投稿画面が切り替わるのがだるい
今までもGoogle日本語入力の使い勝手そのままで罫線一覧や数字キーボードのみが出せたら楽だし作れたらいいのにと思ってた
Gboardは記号一覧の表示のデカさとステッカーが気に入らんから却下
泥厨だし自分さえ使えればよいのだけど言語なるものが多々あるらしいし、プログラミングも授業の一部分で日本語でプログラミング?で亀を動かすソフトしか軽く触ったことがない
ぐちぐちぼやいてばかりであるが、どっから手を付ければいいのかわからん
不満を飲み込んでばかりのままじゃいけないとはわかってるけど難しすぎそうでこわいんだな
というぼやきの放流
おま環かもしれん。
※ただの愚痴。二次創作の話ですが、原作者への配慮や権利云々、一般との棲み分けとかの話はしていません。もちろん同性愛への批判なんてしてないからね※
自分のことをざっくり言うと、キャラ解釈は公式に沿いたいっつー絵を描くオタクです。
腐文化がこんなに女オタク界隈で大きい顔(っていうかメジャー面?)してるのが、単純に疑問なんだよネ。
既存作品でBL創作(妄想)してる人全員がその作品を見て初めからその解釈をしてるって考えるのは不自然じゃない?
元々BL文化を知っててそういう関係性が好きで、その作品にその関係性を適用していると考えるのが自然ってモンでしょ。
BL知らん人がBLじゃない作品を見て腐妄想しないでしょ?だから腐女子ってのは自分の好きな関係性を既存キャラに当て嵌めてブヒってるってことじゃん。
言葉悪い表現だけど、原作レ●プって思ってしまうっす。(もっとイイ言い方なかったのかよ!)
公式のキャラ解釈大事にしてる人(私)からしたら地獄わよ。だってそのキャラは公式でゲイって言われてないもん。ゲイでもない男同士でベーゼなんざしねェーよ。
でも二次創作女オタク界隈入ると腐女子が圧倒的多数派じゃん。公式で一切言及されてない解釈が最大手ってどういうこと!?(おま環?)
驚き桃の木21世紀。解釈違いしかいね~~~~~~~~~!激孤独侍。
腐がイヤなら界隈にいるなよ、っつーツッコミ待ちではない。
だって界隈にいないと本当に自分の絵、誰にも見てもらえないんだもーん!好きなキャラの絵は公式じゃなくても全然見たいし、自分の描いた絵もファンの人たちに見てもらいたいよー。
自分の好きなジャンルだけかもしれないけど、女性多い界隈に行くと腐(エ□も多い)ばっかだし、かと言って男性の方に行くとエ□ばっかだし。
なんでだよ!!!!!!!!公式で性的な描写ないよ!(自分の推しキャラDSだからなおさら絶対にそんなことしないし)
男同士の友情はBLに改変されるわ、性にただれたキャラにされるわ、二次創作ではこれが主流なのかーっ!?
いや分かってるよ。二次創作ってそういうもんだって。公式で出来ないことを皆形にしてるのは分かってる。
見たくなけりゃ見るな!じゃないんだよー、そんなこと自分が一番分かってるよ。公式からの供給だけじゃ、強欲で貪欲な己には足りないんだよー。
(しゃーなし)界隈にいるnot腐絵描き女オタクの自分には少々肩身が狭いというか、TLに解釈一致する人がいないというー。孤独だー。(自分がドマイナーというか、ストライクゾーンが狭すぎるだけなのか。)
棲み分けたい気持ちと棲み分けた先はボッチという事実に苦しむオタク。苦しみながら今も界隈にいる……。
昔は腐女子のことをよく分かっていなかったのもあって(≒女オタクだと思っていた)、自分のこともふわっと腐女子だと思ってた。今までずっと腐女子だらけの界隈にいたし(ジャンルは転々としてたけど)、自分も男キャラが仲良くしてる絵やマンガばっか描いてたから。
当時は嫌悪感という嫌悪感はなかったし、腐女子神絵師さんたちの神絵はよく見に行ってた。〇〇くんかわいー、とかこのネタおもしろ~、とかそれくらいの気持ちで見てた。
二次創作界隈に、BL文化にどっぷり浸かってなかったというのもあると思う。
ツイッターで趣味垢をリア垢から隔離させてから二次創作界隈との距離はグン!と縮まった。私が絵を描く頻度も上がったし、フォロワーさんと話す機会も増えた。
違和感を自覚したのは腐女子フォロワーさんたちとオフ会した時。腐女子という人種とガッツリ会話をしたのはこの時が初めて。
推しCPたちの恋愛のあり方、将来、どんなセッ久する!?、そんな会話が多く飛び出し、驚きの連続。
肩身狭すぎて推しCPいないと人権なかったよあの空間ー。もちろんそんなことはないし、こっちが被害者面してるだけですけど。
腐女子の皆さんの会話に全く話についていけなかったことから、自分が腐女子ではないと自覚した。
単純にBLやエ□が苦手なんじゃ?とも思ったが、というよりは推しがそうなっているのが苦手ってだけだった。だって公式でそのキャラたちエッチしてないし(大体の作品そーだよ)。解釈違いです!
腐女子との、根っこからの乖離を自覚した。自分はキャラ単推しで、その子が友だちと仲良くしてるのが好きだから自分が腐女子だと勘違いしてしまっていたことも自覚した。
自覚があやふやなオタクがBL文化に触れて卒倒したってだけのエピソード。
こういうのはもっと早いうちに経験する人が多いのかも?私がこの歳まで同人誌買ったことも読んだこともイベントに参加したこともなかったから、気付くのが遅かっただけなんだと思う。
えと、(身内が見てるといけないから)弁解するけど、フォロワーさんたちはいい人ばかりです。表現方法は違えど公式を愛しているのは同じだし、今でも仲良くしていただいているし。
単に私があなたたちのキャラ解釈が受け入れられなかったってだけ。一般の目に触れないようにしている方ばかりだから全くもって批判じゃないし、これからも自由に幸せに創作してほしい。
もちろん、腐妄想以外のキャラ解釈の話とか、オタトークはとても楽しいよ!?〇話の〇〇くんカワイイ!とか……。(〇話の〇〇と××完全に付き合ってる!は違う。w)キャラをカワイイという目で見てる私も大概ですね、ハイ←
萌えトークするオタ友は欲しい!!ワイワイ喋るの好きだし。でも周りに解釈合う人がいない。どこかにいるのかな?(ただでさえマイナージャンルだから出会えていないのじゃ)
結局言いたいことは、なんでBLやドスケベがメジャーなんだよ~~~って疑問。愚痴っぽくなってしまったが。
皆スケベ好きだねー。いや嫉妬でもなんでもなくて、単純な疑問。私の頭がおこちゃまなだけか?わからーん。
腐もエ□もないフラットな解釈(偏見)な仲間いないのかー。かー、かー……(エコー)
まとめると、こう。
・おまいらの妄想の産物でしかないBLがこんなに二次創作界隈で大手なのはナゼ?
・人目に触れる機会が多いからメジャー界隈にいたい!でもメジャーと解釈が合わない!ドマイナーオタクより。
以上。^^;
増田の女オタクお気持ち表明大好きだから自分も書いてみたかっただけですー。
誤字脱字とか文章ヘタクソ!とかの報告はいらんよ。内容についての言及ヨロシク!
【7/22追記】
思ったより反応あってウレシー!ありがとうございます(^^♪
>好みの解釈ではない人を見下す人と友達になりたくないと思うよ……
やっぱりそうなのかなー?見下してるっていう自覚はないんだけれども、第三者からそう見えるのなら見下してるんでしょうなー……。気を付けなければ。といっても難しそうだけど。
えーっ!w当方00年代生まれのピチピチギャルでございます。そんなにヘンな口調かあ……汗
おめでたいし嬉しい。
でもやっぱり少し複雑な心境になってしまう。
毎日どれだけたくさんツイートしていたフォロワーさんも彼氏ができた途端大半は浮上しなくなった。
あの子もあの子もあの子も、、、先月前彼氏ができたフォロワーさんも今やすっかりツイートしなくなった。
彼氏ができても浮上率ががそこまで下がらない子はツイート内容がほぼ彼氏になる。そしてやはりだんだんTLから居なくなる。
どこかのツイートで見た「彼氏の話ばかりされてしんどいのは僻みというより知らない人の話ばかり聞かされるしんどさ」というのがしっくりくる。
別れたとかでTLに戻って来る子もいてもツイート内容が前以上に日常的というかオタク離れしているように感じる。
要するに寂しい。みんな大好きなフォロワーさんなのに遠くなってしまったみたいで。何より寂しいと思ってしまう子供な自分も嫌だ。素直に全肯定で祝福できる人間になりたい。大人になっていくみんなはいつまでもオタクではいられないのだろうか。
私はまるでダメな喪女オタクなのでこの気持ちを共感できる人は少ないだろうし結局最後にTLに残っているのは私だけなんだろうな。
最近一部界隈で話題になっている30歳腐女子の「32歳腐女子の友人目線」とかいうはてなブログ、読んだ。
読んで、個人的にいろいろ思うところがあったのでここに書き捨てておく。
私は、おそらく30歳腐女子さんと同じぐらいか、あるいはそれ以上の田舎出身である。
どれぐらい田舎かというと、地域の子どものほとんどが小学校から高校まで同じ学校なんてことも珍しくないレベル。
小中の顔ぶれは大半が4歳5歳ごろからの幼なじみで、親同士も長年の付き合い。
だから単なる幼なじみや友達というよりは、友達と家族の真ん中というほうが正しい。そういう関係の人が何人もいる。
なので、該当ブログを読んだとき、指摘の内容はともかく、筆者たち三人がAにそこまで干渉してしまう気持ちがなんとなくわかってしまった。
というか、序盤の「みんな保育園からの幼馴染み」を読んだ時点でなんとなくオチが察せた。
わかる。わかるんだよ。単なる友達じゃなくて、お互いの家庭事情や過去に何があったのかもよく知ってるから、つい思わず「友達相手にそこまで言うなんて」と言われても仕方ないお節介をやいてしまう。
将来に直結する収入や仕事に関することならなおさら。(まあ服装やメイク、財布あたりは完全に女子特有のマウントだと思ったが)
正規ageも、客観的に見たらマウントやら見下しやらに分類されると思うんだけど、少なくとも当時の筆者ら三人は本気でAの将来や家庭事情を心配して言ってたつもりだったんだろう。と、勝手に代弁してみる。
ただ、口出ししてしまったその「気持ち」がなんとなく理解できるというだけである。
おわり
そもそも恋愛をした事がないので恋愛感情がどういうものかわからない。
恋愛漫画も読むしドラマも見るけど自分に当てはめることができない。
小学生のときに一度だけかっこいいなと思ってる男の子がいて好きかもしれんと思ったことがあるが、結局それは恋愛感情ではなくアイドル的なかっこいいなーだった。
一応何度かは男性に好意を持たれたこともあった。けど自分は普通にいい人だなあとか、ただ親しくなった人ってだけだったのでいきなり恋愛感情を向けられるのが正直気持ち悪くて泣きそうになった。
もしかして高校生の時に学校帰りの道で痴漢されたことがあるからそれが原因で男が嫌いになったのかと思ったけど、別にAVとかエロ漫画とか見れるしテレビで男みても普通だしなんかよくわからなくなった。
かわいい女の子好きだったし、将来は女の子と結婚してえ〜みたいな気持ちになったりした。(家にかわいい女の子いたら最高!みたいな気持ちで)
レズものでも抜けるしもしかしてと思ったけど、現実で性行為できるかってなるとうーん?となるしただ性癖にかすっただけかもしれんと思った。
なんだかんだ性欲はあるけど恋愛のことになるとよくわからん。誰かとエッチしたいとかそういう欲求がない。
それのせいでこのままずっと独身なのかもしれんという気持ちになってきた。
親には結婚だの何だの催促されるし友達もそういう話をすると私ヤバいのか?と思うけどやっぱりいまいち恋愛だの結婚だのがピンとこない。
もう籍とかいれてただ一緒に暮らすだけの仲いいパートナーがほしいなと思う。
でもそういう人はなかなかいないんだろうな。
(追記)
一応誰かと一緒に過ごしたいなという欲はあるしイチャイチャするくらいはしたいなとも思う。でも性行為がくっついてくると自分は応えられないなと思ってしまうのでなかなか難しいなーと思う。
Instagramではよく妊活に関するエッセイコミックを書く人がいる。
私も子供が欲しいから、そういった投稿を見て共感したり、ときには一緒に哀しんだり喜んだりしている。
でも、そうやって共感できるのは
同じステージにいる仲間に対してだけなのかもしれないなぁと思った。
5年余り、原因不明の不妊治療をしていて、少し前からは体外受精も始めている。
長く子供ができなくて踏ん切りがつかないので、最終段階まで進んだ形だ。
そんな中、
「ずっと子供が欲しかった」というInstagram(&ブログ)の投稿を見た。
そのインスタグラマーには元々好感を持っていたし、他の妊活コミックエッセイを読むのと同じ気持ちで読み進めていった。
その人は「妊活」といっても、
その程度の期間で、
きっと、そんなタイトルでなければ
私の心はこんなに波たたなかっただろう。
私だってそうだけれども?
妊活漫画と言うけれども、産婦人科に行って人工授精ですらやってない程度。
そりゃあ、子供が欲しい人にとっては
毎度生理が来るたび悲しい思いをするんだから、その悲しみにチャレンジ期間の長短やステップは関係ないよね。
その時辛かった気持ちは、本物だよね。
それは、わかっている。
何年も何年も治療しても、
その幸福を得られていない私たちの気持ちを、考えたことはあるんでしょうか。
考えていたら、そんなタイトルつけないよね。
私を含め妊活中の人は、このエッセイには好感を持てず、コメントする気にはなれないんだと思う。
大きな声で「辛かったんです」と言っているのだ。
私は正直、読まなきゃよかったと思ったよ。
自分と同じように苦労して、
ようやくたどり着いた妊娠出産なら、微笑ましい気持ちで読めたと思う。
タイトルが、そういった苦節を感じられるようなものだったんだもの。
でも実際は想定と異なり、私は苦い思いを抱えてしまっている。
乗り越えてきたと思ったんだけどな…
まさか、妊活期間の違い・ステップの違いで、自分の中でこんな反発が生まれるとは思っていなかったよ。
ただ、今回こういった地雷原を
自分が抱えていると言うことを知れたのは、不幸中の幸いだったね。
今後は、こういった地雷を踏まないようにSNSも活用していくわ。
母になった人たちに対する醜い感情は乗り越えたと伝えていた夫には言いたくないし、
当然親にも、友人にも、
吐き出せないから、この場でぼやかせて頂きました。
子供が来てくれないんだと言われたら、ほんとそれまでだよね…
4月から社会人になった。若干古臭いけど多分ホワイトな職場。そして同僚や上司が優しい…今のところは。
当然だけど、自分には上司がいる。めちゃくちゃ偉い人からまぁまぁ偉い人まで何人もいる。
その中の1人、Aさんは別の部署の偉い人だ。部署が違うので自分から話しかけに行くことはほとんどないが、同期とセットで時々向こうから声をかけてもらっている。「今日暑いね」とか「分からないことある?遠慮なく聞けよ。」とか、そういう感じ。Aさんは明るくて若い子とお酒が大好きなおじさんで、若手の、特に女性社員を中心として、色々な人にあれこれ声をかけている姿をよく目にする。
(自分が研修中なので)Aさんの仕事ぶりは全く知らないが、コミュニケーションもノミニュケーションも大事にしていて明るい上司。
ある人がこう言っていた。「Aさんって良い人だよね」と。
本当にそうなのだろうか?
Aさんは入社3ヶ月の自分から見てもハッキリと分かるくらい露骨に、何人かの「お気に入り」がいる。もちろん「お気に入り以外」に対して露骨に冷たく当たったり、意地悪をしたりすることはない。だが、「お気に入り」がいる以上は当然「お気に入り以外」が生まれるわけだ。そして「お気に入り以外」から見るAさんは、「自分のお気に入りを作って囲う人」だ。(ここで言う「お気に入り以外」は自分のこと。なんとなく「お気に入り以外」というより、同期も含めて「研修中に辞められると困るから今は気を使っておこう枠」な気もするが…。)
人間誰しも好き嫌いがあるのは当たり前。お気に入りもいれば気に入らないやつもいるし、何の興味もわかない人もいる。自分だってそうだ。
でも、ここは職場なのに。職場なのに、「お気に入り」を作って、それを隠しもしなくて、多分みんな知ってて、そんな人が「良い人」なのかなぁ。
正直ストレートにムカつく上司も、何となく関わりづらい上司も、怖い上司もいるから、そういう人に比べたら断然Aさんは「良い人」なんだと思うけど…。
それとも、自分が「お気に入り」じゃないから嫉妬してるだけなんだろうか。
一応付け加えておくが、自分はAさんのことが嫌いなわけではない。好きでもないけど。それはあの陽キャオーラが苦手なだけで、決して性格の問題ではないとここに明記しておこう。
ミリシタ3周年企画としてライブ一挙放送して今月はとんでもないミリオンライブ月間になっていますが、
ライブ映像を見すぎて逆に精神が辛くなってきた限界オタクは居ますでしょうか?
ここに一人居ます。なのでとりあえず一度全部ここに吐き出しておきますね。
とにかく、楽しみだった7thが無くなったことがこんなにも辛いなんてという感じですね。
まぁこの辛さは実際に企画していた側はこんなもんじゃないんだろうなと
準備をして動いていた側の…JUNGOの気持ちを察しても、筆舌に尽くしがたいものがあるだろうと…。
で、なんというか、まぁ自分が目にしてる範囲レベルなんですが、
1st~3rdの方がセトリは良かったなぁという感じの感想が多いというか、どうなんだよお前ら本当にっていう感じなのです。
ついでにグリマス時代の人たちのぼやきも出てくる始末で、本当にもうどうなんだよっていう感じなのです。
他人の考えなんてどうでもいいはずが、お前ら今更何を言い出してるんだよという感じなのです。
私は6thSSAのセトリで怒りのお便りを送ったけど、お前らはどうだったんだよという感じなのです。
この気持ちをすべて吹き飛ばせる可能性のあった7thは本当にどこいっちゃったんだよという感じなのです。
しまいにはGoogleからミリシタについてクソみたいな記事もオススメされる始末で、同意してる奴もいるしどうなんだよという感じなのです。
内輪向けとか本当にどの口から出ているんだよという話なのです。
シャニマスがやりたければシャニマスをやって居てくれという感じなのです。
ユニット追加されてVも手を出し始めたシャニマス、今が一番面白いんだからシャニマスを遊んでくれればいいと思うのです。
本当お前ら全員張った押すぞ!という感じなのです。
単純にお前が飽きたならそれでいいだろという感じなのです。
まぁでもミリシタで3年、グリーからで7年もやってれば飽きるのは当然で、仕方ないかなと思うので何かテコ入れは欲しいけど。
とにかくもう7thで最高のミリオンライブ!を見て、今のミリオンライブ!が最高なんだよ!って殴り倒したいのです。
でも、それができないのが、SSAで終わっちまってるのが、本当に辛いし悲しいし悔しいしこんなんで全く終われないし未来を見せてくれっていう感じなのです。
っていうか私みたいな人居ないんですかね?居ないみたいですね。異常ですね。みんなもっと気が狂っていてほしいです。
私は正気だ!
グリマス時代とミリシタ時代という時代の分かれ目があるミリオンライブ!
では、ミリシタでは?
39プロジェクトは一体どこへ行くのか?
そもそもそういった目的があること自体が珍しい気がしますが、やっぱり無いのは辛い。
いつの間にやら3年目。
確かに少しずつ劇場の関係が変わっていっているのは読み取れるが、目指している位置がわからない。
イベントで毎月曲が増えるのは嬉しいし、コミュの表現がどんどん良くなってきてるが、
目的が無いのは辛い。
でもチュパカブラはかなり良かった。glow mapは周年で聴きこみたいのでまだ全然聴いてない。超楽しみ。
セトリはクソ!と言いたいところだった6thだがそれはそれとして見たいものは完全に見れた。
自分はグリマス時代は3rd終わった後ぐらいから入ってるので、
正直グリマス時代のほうがよかったとは口が裂けても言えないんですが。
人もミリシタになって下手すると10倍ぐらいにはアクティブ増えているわけですし。
1st~4thの流れをもう一度改めて見てる中でグリマス時代にとらわれている人も多く、
いっそ全員成仏してくれという感じなのですが、
ここら辺の線引きがもはや曖昧でよくわからないという感じなのです。
それにしてもミリシタが来てから毎年本当に楽しみだった3周年の秋葉コラボもなくなってしまい、残念…。
ただ、手作りの39配信はやってくれて本当に本当に嬉しかった。よくわからんぐらい泣いた。
3周年、どうなるのかな。何かあると嬉しいな。
この気持ちを吹っ飛ばせる日は来るのかな。ライブはいつできるようになるのかな…。
ここまで書いてもうなんもかんもコロナが悪い。
本当に許せねぇよ。
といっても一人ぐらい演者亡くなってしまうんじゃないかぐらいの
危機感あったので今のところ全員生きているのでとりあえずは本当に良かったなと思います。
まだ全然過ぎ去ってないけど。
この世はクソ!
何を言っているんだと思うかもしれない。
だがWEB広告や書店に並ぶ本のラインナップ、深夜アニメで取り上げられる作品をいくつか思い返してほしい。
一昔前に比べて随分と同性愛を取り扱う作品がぐっと増えたのではないだろうか。
それこそ一般的を超え、もはや過半数を凌駕するのではないかと思えるほどには。
たいていハーレムではないだろうか。ついでにチートまでついてきてはいないだろうか。
異性愛は異性愛かもしれないが、それは少しいびつなのではないだろうか。そう感じざるを得ない状況だ。
同性愛を描く作品が増えたことについては、そう悪いことではないと思っている。
つまりそれは商業で売れるものと判断されたから販路に乗るわけで、そこが一昔前とは大きく変わった部分なのだろう。
呼んでもいないのに勝手にしゃしゃり出てきて、公式でもないくせに世界観を語り、自分自身の主張が正しいと突然わめきだし、異を唱える者を集団で叩き潰そうと牙を剥く。
何で某ゲームとか設定に異性の兄弟を匂わせただけでぶっ叩かれたんだろう?
なんで?
どうして?
それともキャベツ畑で収穫されたの?
男がいれば女はいるし、女がいれば男はいる。そうやってみんな生まれてきたはずなのに。
なーんで自分たちの好きなBL、GL、CPのみが大正義だなんて盲目的に信じ込めるのかな。
いやそれを信じること自体はいいよ。別に迷惑をかけているわけでもないし。
だけど同性愛に関してあんまり興味がないみたいな反応した人見かけた瞬間、差別主義者だ!囲め!!ってポリコレ棒で叩き始めるのやめてくんない?
誰かがNLの話してるところにシュバってきて気持ち悪いとか聞きたくないとかクソだとか一方的に批判するのもやめてくんない?
もうNLの話できないじゃん。
あーあ、滅茶苦茶だよ。
自分は弱者だって主張しながら人を殴るのって気持ちいいんだろうね。
殴られた側はうんざりするけど。
報復になりそうだけど。
そういう風にならないことを祈っているよ。
ごめんでももう一回だけ言わせて。
初めまして。
先日ふとした出来心でツイステッドワンダーランドに関するお気持ちブログを読んでしまい、それ以来色々と考えてしまっている別ジャンルの腐女子(いい歳)です。
まずはじめに、私のスタンスとこの文章で何が言いたいかという結論だけ先に書いておきます。
私はツイステのことを特別好きでも嫌いでもないし、作品自体になんらかの罪があるとは思っていません。(そのうち気が向いたらやってみたいなと思っています)
その上で、
「この作品はコンテンツとして公式に供給されているものだし、それを楽しむことは何も悪くない。しかし作品の性質上、苦手な人にとっては極めて苦手なものになると思うので、楽しんでいる人もちょっとだけ、苦手な人に配慮してあげたらいいんじゃないか」
と思っています。
ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
私が言いたいことは以上なので、ここで引き返していただいて全く構わないのですが、色々と考えたので以下に雑考も置いておきます。
どうしてそういう思いに至ったか、が気になる人はどうぞ。長いです。
私自身は特別ディズニー作品に思い入れの深い人間ではないのですが、ツイステが発表された時は、それでもかなり驚きました。
ディズニーアニメといえば、「おとぎばなし」、「メインキャラクターは可愛い動物やプリンセス」、「海外アニメ特有の絵柄」といったイメージが強く、実際にこれまで公式に配給されるコンテンツはその大枠を出ないものであったと思います。
これに対し、ツイステはそうした従来のディズニーアニメ作品のイメージをよくも悪くも覆すものでした。
(※ディズニー作品でも実写映画はもうちょっとダーク&アダルティな雰囲気のものも多いと思うので、ここではツイステと、ツイステの中でモチーフとして使用されているディズニーのアニメ作品のみに絞って考えています。)
ディズニーアニメとは、「大人も子どもも楽しめて、教養やユーモアに富み、映像は美しいか、または可愛らしい。血が出ない。グロくない。一般的な感覚ではエロくもない。子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」だと思っていましたので、「そうした作品群を原作(モチーフ)とした、サブカル的な作品が、公式コンテンツとして配信された」というのは素直に驚きです。
ひと昔前、ディズニーには「著作権にめちゃくちゃ厳しい」というイメージがありました。
近年はディズニーに限らず、版権元がファンアートに寛容な雰囲気が広がっており、ここ数年の間にはディズニー関係のファンアートを目にする機会が大幅に増えた(体感)と感じています。
ですが「ディズニー作品は手を出してはいけない聖域あるいはハザードゾーン」というのが暗黙の了解、もとい暗黙の常識だった時代は確かにありました。なので、いかにも女性オタクに受けそうな(というと語弊がありそうですが、私自身女オタクで別に女オタク蔑視はしておりません)、二次創作が盛り上がりそうな毛色の作品を、あのディズニーが、公式コンテンツとして出してきたのは驚きを通り越して衝撃です。
こうした驚きを経て、私が次に思ったのは「この作品、面白そうだけどヤバそう」でした。
なぜそう思ったのか、というと、居並ぶ美麗なイケメンたちを見て「これエロ同人とか描く人が出てくるよね?」と咄嗟に思ったからです。
エロ同人が悪いとは言っていません。好きです。
ただ、「ディズニーのエロ同人がまかりとおる時代になる」なんて一昔前なら考えられないことでしたから、エロ同人もたしなむ年代物の腐女子として、素直に「ヤバくね!?」と思ったのです。
そして、ディズニーはそういう日本のオタク文化をも許容するのだろうかと驚き、首を傾げ、同時に「この作品を蛇蝎の如く嫌う人も出てくるだろうな」と感じました。
以前拝読した「お気持ち」ブログで、「ツイステはキャラクターの性的搾取」という文言を目にしました。
その意見の正誤、公式のコンテンツが性的かどうかはさておき、あたりを見回してみると現に「ツイステキャラに性的な目を向けている人」が少なからずいるということは間違いではありません。
もちろん、すべてのツイステファンの方がそうではないと思いますが、事実としてツイッターのTLには「●●くん、えっち」「R18同人誌買いたい」という声が、ごく普通に流れてくるようになりました。
元々そういうTLですので、それ自体に驚きはありません。
公式はそれすら意識して売り出していると思いますし、「そりゃそうなるよね」という感想です。
あんな美麗なキャラ達を並べ立てられて、ストーリーもよいという評判。
それを受けて、このサブカル大国で世のオタク達が何をし始めるのか、天下のディズニーが想定していないわけがない。
個人的には、ツイステを発表したことで、ディズニーはツイステに関して「多少のことは許容する」という方針なのだと解釈しています。
ですから、二次創作してる人を白い目で見ることもないですし、楽しみたいように楽しめばいいと思う。
でも一方で、「従来のディズニー作品が好きだった、ツイステは受け入れられない」人の気持ちを考えると、辛い気持ちになります。
(※従来のディズニー作品が好きで、ツイステも好きになれる人は今一点の曇りもなくハッピーだと思いますので、ここでは考慮していません。)
子供の頃から慣れ親しんだ大好きなキャラクター、をモチーフとしているキャラクターがいる。
そこまでは多分許容範囲でしょう。でも、それを「えっちだ」と言ってはばからない人がいる。
中には「原作は知らないけど」と言っている人もいるかもしれません。
「原作もツイステも好きで楽しんでる人」にとっては問題ないかもしれませんが、「原作は好きだがツイステは苦手な人」にとっては、その状況は辛いだろうなと思います。
「AはBをモチーフとしたキャラ」と、「BはAのモチーフになったキャラ」では主体が違いますよね。
元々Bが好きな人からしたら、なんでこんなことに、となるのは、自然な感情かなと思います。
さらにAが有名になって一人歩きし始めて、AもBも知らない人にAの情報だけが残る、ということにもなり得る。それは悲しいし、悔しいですよね。
でも、公式という一次ソースが提供しているものを消費者が消費して楽しむことは何も悪くないのです。
では怒っている人は何に怒っているのだろうと考えると、私は、「ツイステを公式のものとして送り出した公式」に腹を立ててる人が多いんじゃないかなあと予想しています。
与えられたコンテンツを楽しんでる人たちが悪いわけでないとしても、作った公式が、それに乗っかる世の中が、悲しくてしんどくて、結果的に多少的外れな言論になったとしても、吐き出したくてしょうがなかったんだろうなと思います。
ディズニーアニメ同様、「子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」にカテゴライズされるだろう作品です。
オタクになっても、腐女子になっても、その作品は私にとって特別な存在であり続けました。
キャラクターを擬人化(美形化)した二次創作を読んでみたこともあるし、それはそれで楽しんでいました。
でもそれには「二次創作だったから」楽しめていたという側面があります。
なぜなら、「原作者は絶対にそんなことをしないはず」と(勝手に)信じているからで、私も私の好きなジャンルで公式がツイステのようなコンテンツを出してきたら恐らく発狂します。
(ネタ、ギャグの一環で片付けられるジャンルであれば別かもしれません。)
言葉が悪くなってしまいますが、「ツイステでディズニー作品が汚されてしまった」と感じる人は、「ディズニー公式のコンテンツとしてこういうものはありえない」と(勝手に)信じていたのだと思います。
今まで「ありえない」と思っていたものが、公式的には「(実は)アリだった」というのがここへ来て明らかになった。「勝手に信じて勝手に裏切られただけ」という人もいるとは思いますが、私個人的には、ディズニーはそう信じさせるムーブをしてきたと思っています。ですから裏切られたと感じる人がいても無理はないと思うし、そういう人達にはお気の毒と言うより他にありません。
公式が敵に回ると本当にひたすら辛いんですよね……だって、どんなに嫌でも公式なんだもの。
二次創作だったら「二次創作だから」で目を瞑れることも、公式にされたらしんどい。逃げ場がない。
そういうモヤモヤを抱えて、でもどうすることもできない人達がいるということを頭の片隅に置いてみませんか。
「みんな住み分けるべきだ!」とは言いません。ただ、「住み分けたい人が自主的に住み分けられるように、手伝ってあげられませんか」と申し上げたい。
フォロワーさんたちがどんどんハマっていった結果、TLがツイステ関連ワードで溢れ、本来探したい情報が埋もれるという現象は私のTLでも既に起こっております。
今はワードミュートしていますが、他の方が指摘されていたとおり、タグや作品名の表記なしで回ってくるファンアートは防ぎようがないのです。
私はツイステが特別好きでも嫌いでもないので、周ってきたら「最近本当多いな…(アカウントごとミュート)」で済みますが、ツイステが苦手な人にとっては、それらを一瞬目にすることさえ苦しいと思うのです。
「勝手に苦しんでいるだけ」「嫌なら見るな」と思う人もいると思います。その言い分も、分かります。
でも、楽しんでいる側は特に困っていないのですから、「嫌な人には届かないようにしてあげる」くらいの配慮はしてあげてもいいと思うのです。大した手間ではないし、タグをつけておけば探す側にとっても容易で一挙両得ですよね。
ちなみに外野的には、ファンアートの投稿時にはキャラ名だけでなく作品名も一緒に入れてほしいなと思います。
(キャラが多いうえ、あだ名で呼んでいる人もいたりすると、ワードミュートでは拾い切れないのです。)
最後にもう一度、ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
なんでこんな自分にとって毒にも薬にもならないことをとくとくと考えてしまったかというと、昨年、大好きだったとある作品のとんでもない続編が発売され、「公式がこれを公式のコンテンツとして出してくるのか」と憤怒と憎悪を滾らせてしまった自分の気持ちを思い出して、「ツイステが苦手な人」に共感しすぎてしまったのです。
辛いうえに、気持ちを吐き出したら反対意見がどっと押し寄せて、なおさら辛くなったよね。そう思ったらますますしんどくて、その気持ちもわかるよ、そう思っちゃっても仕方ないよって、聞こえなくても言いたかった。
そのブログによって傷ついたツイステファンの人もいるでしょうから、どっちが悪いとかいうことではないんですが、吐き出さずにはおれなかった人の気持ちもわかるんです。
ミュート徹底してもトレンドに上がってたら防げないし。でもツイッターやめられるわけでもないし。自分の問題でしかないけど、辛いものは辛いですよね。
うれしいと思う自分がすごく嫌だ。
呪詛に近いので読んでも楽しくないです。ただどっかで吐き出したかっただけだから許してほしい。金ロを楽しめるオタクは読まない方がいい。
あと純黒とか本編とかのネタバレしれっとあるかもしれないからそこも注意かもしれない。
チョコエッグを食べながら「あ~緋色の弾丸楽しみだけど正直公開してほしくない、滅茶苦茶見たいけど公開してほしくない。公開したとしても金ロで流さないでほしい。」とかちょうどお昼ぐらいに考えてた。
ツイッタートレンドみたら載っててビビった。開いたら来年延期になっててパンヨッシャした。うれしすぎて今すっごい目キラキラしてる。ただ来年まで処刑が伸ばされたともいえるのでなんとも言えない気持ちもある。
こんなこと思う自分が悪いのはわかってるんだけど、映画でチュウ吉にオタクが一瞬でもつくのが怖い。むしろ一瞬だけつくのが怖い。辛い。
本編での扱いとかより、公式関係の悪ノリやオタクのおもちゃにされるのがすごく怖い。チュウ吉顔も声帯も良いしさ。
あかあむ尊い!とか叫んでる腐女子が寄りつくことも、映画見てから京極さんカッコイイ!とか言ってる夢女子も羽田には近づいてほしくないんだ私は。
赤安キャッキャ、(園子いるのに)京極夢女子!とかやってるTwitterがキツすぎて辛かった。原作やテレビアニメで出てもそんな話題にしないくせに映画になったとたん一気に増えるオタクくんが私は嫌いだ。
純黒すごい好きだった。キュラソーが好きだった。だからあかあむあかあむ叫ぶオタクが流れてくるツイッターが辛すぎて金ロのときはトレンドとかタグとか見ないようにしてた。
キュラソーと少年探偵団との関係とか最後の観覧車とか本当に辛かった。でも好きだった。だから赤安ばっか注目されて「キュラソー?あー赤安の映画にいたよね!」みたいな扱いが辛い。
これ打ってて思い出して泣いてるんやが情けないぜ助けてくれ純黒のこと考えると涙出てくる。マジで好き。
自分は腐夢どっちも嗜んできた人間だからそういう楽しみ方に対して理解はあるつもりだ。しかしそういう目で見ることを理解できないジャンルだってある。
誰だってそういうジャンルはあると思う。私のそれがコナンだっただけ。
腐夢みたいな楽しみ方する人が一概に悪いとは思わない。でも、多数派がそっちのように見えるインターネットがやっぱ辛い。
ちっちゃいころから読んでる漫画だからこそ、腐夢視点で見てるオタクや公式がそっちよりな言動するのが辛いんだろうなと思う。
先日ツイステに対するお気持ちがいっぱい出たとき、こういう感情持ってる人もやっぱいるんだなって少し安心した。
幸い本垢相互に金ロはしゃぎオタクがいないから、公開前後地上波前後あたりは検索を控えるようにしようと思ってる。
去年の夏頃に存在が知られたはてブオープンチャットだが、去年増田で周知されてから何も発信されず、オープンチャット内で起きている事についてどころか、その存在すら忘れられていそうなので、ここに現時点の様子を残しておこうと思う。
去年、はてぶオープンチャットについて書かれていた増田はこちら→ anond:20190826180719
上記の増田が伸び、ホットエントリーにまで登っていたときには参加者1000人超えの大手であったが、それからは熱が冷めていくように徐々に減っていき、だいたい500人前後に落ち着いた。1000人のときには1日に未読数600件超えになっているほどの盛り上がりであったが、今では100~300件程度。それも常に同じような人が会話しており、会話の参加者だけだと100人居ない気がする。そんな感じである。 治安はすこぶる良く、まれに「ブクマお願いします」と互助会の使いが来るが即座にキックされている。
これについてはわかりやすく、食事5割、ぼやき3割、はてブ関連2割である。もちろんこれは体感である。それぞれ簡単に書いていく。
まず食事。このオープンチャットははてブの名がついておきながら話されている内容の半分がこの食事である。自炊やお店で食べる料理の写真が昼から夜にかけて結構な頻度で投下される。とにかく食への関心が強い。都内住みのユーザは共同で美味しい店マップなんてものも作ってたりする。他に特筆すべき点といえばある料理だけ人気が異常であることだが、これについては後述する。とにかく、このオープンチャットのメインは飯であり、ブクマカ飯オープンチャットといっても過言ではない。
次にぼやき。これは単純に「暑い!溶けそう」みたいな鳴き声に近いテキストのこと。誰に向けていってるか謎で、またどこからか返事が帰ってくるのも謎である。朝方やお昼時に多く、未読数をかさ増しする存在でもある。鳴き声という意味では時折書き込まれる「ちくわ大明神」も含まれるかもしれない。特に書くこともないので省略。
一番大事なとこ、はてブ関連。主にホットエントリーの記事についてや面白いブコメ、炎上して上がってくるつぶやきについての会話が多い。参加者がはてブユーザしかいないので全員が同じ話題を知っているためか結構会話が進む。この空気については後述する。
他のオープンチャットに所属していないため比較は出来ないが、ここならではの文化のようなものがいくつかあるので紹介したい。
まずはビリヤニについて。このオープンチャットとビリヤニは深い関係があるが、その影響か、頻繁にビリヤニについての話題や写真が投下される。ここまでビリヤニ好きのコミュニティある?ってレベルで認知されており、このチャット空間でだけカレーやハンバーグと同列の扱いとなっている。オープンチャット初期に現れたビリヤニ警察はもはや崇拝対象。本当に何者なのか。
次に議論がしやすい空気について。何か議題がホットエントリーにあったら、それについての建設的な議論が自然と進んでいく環境があり、今日までそれが続いているように思える。お気持ち長文を書き込んでも煙たがられたりはしない。これは良いことだと思う。とはいえチャットなので議論の始まりは突発的だし、勝手に終わる。印象的な議論といえば、宇崎ちゃんの献血ポスター問題についてで、この話題についてはチャット管理者のもふもふ社長も参加し、長いこと議論していたように思う。彼が当時書いた増田( anond:20191018190306 )もオープンチャットで共有された。議論と称しているが、所詮はチャットなので限界があって、議論かと思ったら各自お気持ちを書き続ける学級会だったりする事もある。
あとははてブユーザであるが故なのか、賛同するときに星の絵文字を返信したりする文化がある。これは誰かが呼びかけたりすることなく勝手に定着した。でっかい星とか流れ星とかいろいろあるけど、使い分けはされていない。
他に、面白かったことといえば、入室時の名前を使った手斧投げがある。手斧!手斧!という割にそんなものが飛ばない当オープンチャットであるが、一時期、入室時の名前を使用して手斧を投げるユーザが出現し騒然となった。具体的にどんなのかというと、システムのメッセージで
みたいなのが流れる。ユーザ名がそれなので、誰のメッセージなのか、同一犯なのか等わからずじまいだった。これは最近は見ていない気がする。
このオープンチャットで起きた最近の変化について書こうと思っていたが、思いの外前置きが長くなってしまったのでそれについてはまた今度。
バイト先の「ふぃよるど」というノルウェー料理店がコロナの影響で閉店することになって、全員で乃木坂まで閉店作業を手伝いに行った。全員といってもおれ自身を含めてバイトは学生の3人だけだったが、小さな店の厨房設備や什器を回収業者のトラックに運び込むにはその人数で十分だった。
夕方には作業が終わって、最後に3人でご飯でも行こうかということになり、平林の車に乗って南青山・六本木方面に行ったはいいが、どこも営業自粛中で閉まっている。
「どうする?」とおれが訊くと、「どこでもいいよ、ラーメン屋でもなんでも。ちょっと調べてみる」とディキンソンがiPhoneを取り出す。ディキンソンは女子大の英米文学科に行っていて、本名は別にあるのだが、エミリー・ディキンソンとかいう詩人について卒論を書くつもりらしい。理工学部の平林と経済学部のおれはその方面に全く無知だったので、詩人の名前の響きだけで衝撃を受け、以来店では彼女をディキンソンというあだ名で呼んでいた。
車内では爆音で日本語の歌がかかっている。バブル期ぐらいの日本の音楽を集めるのは平林の趣味で、とくにアイドルの音源を偏愛していた。高校まで競技水泳をやっていた平林は運転席でイカリ肩を揺らしながら酒井法子?の歌に合わせて All Right, All Right と裏声で歌う。
恋を失くした
悔しいけど
「あった、開いてるとこ。オメガラーメン。麻布十番。どう?」ディキンソンが後ろの席から画面を差し出す。青山霊園を走る車の中で、平林は相変わらず All Right, All Right と裏声で歌う。「ちょっと、うるさい」とディキンソンが平林の頭を押さえつける。おれは助手席からiPhoneの画面を覗き込む。「いんじゃないかな。あとは車停める所か、探してみる」
オメガラーメンは空いていた。というか客はおれたちしかいなかった。カウンター6席ほどの店で、3人並んで座るとけっこう密だったが、今日いっぱい密だったので、いまさらどうしようもないよなと話しながら座った。
「えいらっしゃい」と店主らしき人がカウンターごしにメニューを置くが、オメガラーメンと一行書いてあるだけだ。3人ともオメガラーメンを頼んだ。
出てきたのは真黒なラーメンで、独特のぬめりがあるスープから肉の塊らしきものが突き出している。ビーフカレーのようにも見えるが、中央に配置された白髪ねぎの小山がラーメンらしい外観をかろうじて保っていた。
味はなんというか、微妙だった。3人とも無言で平らげて店を出た。
代々木上原に住むディキンソンを途中で降してから、赤羽に実家がある平林と田端に住むおれは北へ向かった。
「また3人でこうやって会うこと、あるのかな」
「どうかな。まあ、あるんじゃないかな。当面、全員日本にいることになりそうだし」
「どういうこと?」
「咲は、あ、ディキンソンは、秋からアメリカの大学に留学が決まってたんだけど、話が流れちゃったらしい。コロナのせいで先行きがわからないからって。それでけっこうがっかりしてたんだ」
「そうなのか」としか言えなかった。
なぜおれは知らないのか。なぜ平林は知っているのか。なぜディキンソンの下の名前を言ってからディキンソンと言い直したのか。
動坂下の交差点で降してもらい、セブンイレブンに寄ってからアパートへ向かうあいだ、胸に覚えのない異物感を感じ続けていた。それは甘すぎたオメガラーメンによる胸焼けなのか、ディキンソンにこれまで自分が何かを感じていたことにたいする動揺なのか、わからなかった。
一年以上前に「旦那が実録ウェブ漫画を描いている 」を書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20181214131654
かなり前の日記ですが、そこには
「旦那が実録漫画を書いていて私も登場しているが脚色されすぎている」
ということを書きました。
以前の日記を書いたあとも何度も訴えたけど、
離婚の主な原因は
あーもうこれ将来もずっと変わらないんだな、
全部ネタにされるし漫画の自分が1番かわいいんだろうなと思ったら
別れる決意ができた。
とのこと。箇条書きにすると
・いきなりクレヨンしんちゃんにみさえが出なくなったらおかしいでしょ?だからそれと同じで妻も出続ける
だそうだ。
いやそういうことじゃないだろうと説得しても聞く耳持たず。
私からしたら恐怖だ。漫画の中の妻がいなくても平気っていうのは
どうすんだろ。別の女ができたらそれを妻として描くのかな。
どうでもいいけど。
他のウェブ漫画がどうかはしらないけど、
でも他人の家庭なんか関係ないか。ネットに発表されたことが全てだ。
捏造は不幸を生むと思うし、嘘の報いがあってほしい。
※ミュージカル(広義)巻き込んでごめんなさい
※双方において「一般的」「平均的」「代表的」ファンではない自覚はあります
「君変わってるね〜〜〜」と言われて嬉しかったり煩わしかったりした。
舞台を趣味に挙げると「ミュージカルってなんかいきなり歌うよね笑」
「なんか女の人の趣味って感じ」「なんか無理なんだわ」と
聞いてもいないのに全拒絶されることがあるのですが
深夜ラジオも同じくらい全拒絶されやすいジャンルだと思っています。
俳優でアーティストでさえ下ネタを言うのが粋という世界が深夜ラジオなので。
モテとか考えるなら正直どちらも挙げないのが正解。
ラジオは主に中高生の受験勉強のお供でお世話になり、今はミュージカルに全振りしています。
今日、日本ミュージカル界の豪華メンバーによる動画が投稿されて
その界隈は大いに湧いていたのですが、
私は「自分の応援してる人いねえ・・」「人気者の集まり・・そうですか・・」と
ひねくれたおしていたので同志がいないかと探しに行ったのですが
ミュージカルでは立場の弱いひとや権利や平等を取り上げることが
非常に多いので、今回の発言に関して怒る人が多いのは当たり前です。
それがたとえ「コロナで風俗に行けないのでダッチワイフを買うか真剣に悩んでいる」
というリスナーへの回答だったとしてもアウトだったと思います。
そっかー、そうだよなーと思いながら
そういえばミュージカル(広義)でも
露骨な「オカマ」描写、頻発する「頭がいかれてる」「精神病なんだ」
とかポツポツ思い出す。
でもそこを批判されたら「わかるけど、いやそれはね・・」って
言いたくなると思うんですよ。
で、本当に一緒にするの申し訳ないんだけど
あの薄汚い番組とあの薄汚いおっさんに救われる瞬間も確かにあるんですよ。
テーマが重くて引きずったりして、でも見れてよかったなと帰路についたことも
なんか辛くて寝れなくて25時にひっそりラジオ立ち上げてしょうもない話を聞いて
低俗なネタでゲラゲラ笑って、いつもと変わらない放送に安心して眠りについた夜もある。
そして冒頭に戻りますが
「なんか歌い出すのがさ〜」という外野は
「とりあえず全部聞いて!それから言え!」と思うし
それでもやっぱり無理という人は必ず出てくる分野であり
その人を克服させることはほぼ不可能なので
まあ無理して見なくていいので放っといてください・・と思うのです。
漫画やアニメで定期的に上る乳がうんたら女キャラうんたらの議論のときにも
思うんですけど、何も知らない外野からジャンルごと石を投げられるのって
今回の発言、是非は確実に非です。
「六代目神田伯山真打昇進披露興行」の新宿末廣亭(10日目)千穐楽のゲストが桂文枝(六代目)だったのだが、その日の
楽屋に桂竹丸・三遊亭笑遊が遊びに来ている(桂文治に「(今日は用も無いのに)何しに来たの?」と不思議がられている)
後に目的は「この日のゲストである桂文枝に挨拶して『落語を教えて貰う』=伝授して貰う」事だと判明するのだが、その
際のやり取りがとても興味深い。
https://www.youtube.com/watch?v=DT9EIEO96qU&t=376s
桂竹丸「あの師匠、恐れ入ります。あの~落語を教えていただきたいんですけれども」
桂文枝「あーいえいえ、なるほどなるほど…」
桂文枝「あー、どうぞどうぞ…じゃ、お二人に、送らして…書いた物と…家から送らしていただきます…」
桂竹丸「あーありがとうございます…」
桂文枝「(付き人・マネージャーに)じゃあ(お二人の宛先)きいといて」
三遊亭笑遊「師匠、「ぼけてたまるか」の枕を、使わせてもらっても」
桂文枝「あーもちろんもちろんもちろん、どうぞどうぞ、どんな枕でした?」
桂文枝「え?」
元増田の「直々に稽古」キットなるものは100%妄想で書いたけれども、結構当たらずとも遠からずな感じがしている。のだが。
動画をよく見ると、竹丸・笑遊が共に「桂文枝」の名刺を手に持っているのが確認出来る。「ちゃんと文枝師匠と挨拶を交わした」
このやり取りが必要な世界だという事は何となくわかる「人の創作落語を作者の同意なしに何勝手に口演してるんだ?」という
「ぼやき酒屋」は桂文枝(六代目)が桂三枝だった頃に演じていた創作落語である。
噺の内容を知っている人は多分分かると思うが、内容は明らかに上方落語の一つである「上燗屋」を現代的にリファインしたものになっている。
「上燗屋」は酔客があの手この手の口八丁手八丁でもって只酒只飯にありつこうとするというのが笑いの肝であるのに対し、ぼやき酒屋の方は
お題通り酔客の「ほやき」そのものが笑いの肝である。ぼやく内容に楽屋ネタを織り込んでもいいし時事ネタも大いに使える。演者にとっても
客にとっても言わば「勝手の良い」ネタであると個人的には思っている。
この「ぼやき酒屋」桂文枝(六代目)の創作落語である事は周知の事実であるので、文枝以外の噺家が演じるには、たとえどんな大師匠だろうと
「桂文枝直々に稽古を付けて貰う」つまり伝授してもらう事が絶対条件としてあるらしい。これは上方落語だろうと江戸落語だろうと、どの
団体所属だろうと一切無関係である。「直々に稽古」と言っても内容は至って形式的で、
二、文枝師匠に直接会って頭を下げて「直々に稽古」を付けて貰う事の許しを得る。
三、文枝師匠から快諾を受けて「直々に稽古」キットを授かる(大抵の場合、後日郵送でと思うけど、中身は口演DVDとか文枝の銘が入った公式台本、そして手拭い、みたいな感じだろう。)
以上の儀式を通過した噺家だけが「ぼやき酒屋」の口演を許されている。これは桂文枝(六代目)が生存している限り継続される筈の、現在のプロの落語家全てに課せられているしきたりである。
妄想です。
これまでの私の行動の結果、不幸な結末を招来しているのだが、結局、自分の中で悪魔を育てていたことが原因だっていうことが分かって絶望した。
悪魔とは、
である。
良い子でいようとする。
自分の本来の生き方ではない生き方、直感に従った生き方でもよいとする。
もともと優等生であろうとした私に自然に芽生えたものかもしれない。
これがあると最悪である。
もともとそんなになかったんだと思うけれども、某元北海道地方のローカルバラエティ番組に影響を受けて形成されてきたんだと思う。
それを真似してしまって、これがウケるものだから取り入れてしまった。
確かに、人生つらいときはある。それを笑いに変えるのは天性の才能だと思う。
しかし、それをわざわざ自分の人生に取り入れて悲観することはない。
これについては、院生時代の不遇な時期に、取り入れてしまったこのぼやきを、人に披露することで育ててきてしまったんだと思う。
小人閑居して不善を為す。
バイトをしなかった結果、生活リズムも必然的に乱れ、自分で何かを成すこともなくなる。
種銭があれば殖やそうとも思うのだろうが、ないから諦める。チャンスを逃す。
悪徳以外の何物でもない。
これらの悪魔に水をやり、食糧をやり、としてやってきた結果、30代の今がある。
手元には何もない。
転職できるだけのスキルもなければ実績もないし自信もない。配偶者もない。孤独と不安感のみがある。
さて、どうしたものか。
詰んだな。
求めている対象が手に入らない苦しさから、それをとうとう憎んでしまうようになってしまう心理というのは珍しくない。自分もまた、そういう誘惑に何度屈しそうになったか知れない。はてブでもツイッターでも、どうして僕が暗黒面に堕ちなかったのかをいぶかしく思っている人も多かった。ここでは、毒を吐きたくなったときにどのように抑えたかを共有したい。
一般的に、結果が出ないときには次のようなことを意識している。頑張れば結果が出るとは限らないと認識する。過程そのものを楽しむ。女性がいなくても楽しめる趣味をたくさん持つ。それから家族や友人を大事にする。友人からのアドバイスとは時として的外れで、かえって傷口を広げてしまうこともあるけれど、そういうときは失恋のことは伏せていて、普通に遊んでいればいい。それだけでも気が晴れる。
一つ目。自分は相手から好かれなくて悲しく、悔しいのだと直視する。とてもつらいが、この感情を無視しようとすると、悲しみは怒りへと変わってしまう。怒りが二次的な感情だといわれる所以だ。悲しみとは何かを失ったというサインで、怒りは相手が期待に添わなかったとサインとされる(1)。この段階で対処しないと、怒りは憎しみになってしまう。憎しみとは厄介な感情で、無駄に精神のリソースを食う。
二つ目。論理的に考えるように心がける。「女性はいつも自分を嫌う」というのは実は正しくない。「今回この女性には恋人としては受け入れてもらえなかった。次の女性の場合はどうなるかわからない」というのがより現実に近い。こういう「全か無か思考」は「認知の歪み」の一つであり、うつ病の原因の一つといわれている。うつ病にならないとしても、必要以上に自分の機嫌を悪くする行為だ。対処法は(2)に載っている。簡潔に言うと、自分の不合理な考えに一つ一つ反証していくことだ。面倒だが、やってみると楽しい。
三つ目。自分が男性だというだけの理由で受けた仕打ちや、不快な思いのことを考える。例えば、電車で隣になっただけで警戒されるような目つきでにらまれたとき。あるいは、攻撃的なフェミニストが、男性の失礼な態度だけではなく、男性が女性のことを「かわいいな。素敵だな」と思う感情そのものも否定するような発言をしたとき。そういうミザンドリーに満ちた文章を読んだ時にどう感じたか。ぐさり、と胸に冷たいものが突き刺されたような気がしなかっただろうか。ここで自分が、公共の場で女性を叩く発言をしたら、見ず知らずの女性が同じ思いをする。そんなことを僕は望むだろうか。
僕はフェミニズムがいけないのだといっているのではない。むしろ大賛成だ。女性の選挙権、セクハラを受けない権利(3)、功績をあげているのに忘れられている女性にきちんとスポットライトを当てること、その取り組みはすべて立派だと思うし、心から応援している。まだこの世には性別による不平等や偏見がいっぱいあり、これをみんなでなくしていくことこそが、僕らや次の世代の幸せへとつながっていくはずだ。僕も自分の中の偏見と闘っていくつもりだ。ただし、言葉を選ばないと両性の間に分断を無意味に生んでしまう。誰にだって怒る権利はある。間違ったことがあるときには怒ったっていい。時には厳しい表現を選ばないといけないことも当然ある。でも、不公正を公衆に訴えて世の中を改善していくことと、自分の不機嫌を見ず知らずの人間に通り魔的にぶつける暴力とは、厳然たる区別があるはずだ。少なくとも自分は、公共の場で他人を口汚くののしるような真似はしたくない。
少々熱く語ってしまった。本題に戻ろう。
四つ目。公共の場で女性を馬鹿にする発言をすることは、自分にとてもよくしてくれた母、祖母、姉妹を馬鹿にすることになる。同時に、未来に付き合い、結婚することになる女性、それから生まれる娘や孫たちに対する侮辱である。自分はまだ出会っていない家族のことを馬鹿にしたくない。
それに、自分の尊敬する文筆家や科学者の多くが女性だ。女性が馬鹿であるという謬見に対する、強烈な反証だ。
インターネット上には様々な声があふれている。ある女性は「なんでもきちんと話し合いで解決したい」という。別の女性は「なんでもかんでも気持ちを察してほしい」という。ある人は「男性からの性的なまなざしに耐えられないと」訴え、別の女性は「異性として意識されなくて悔しい」とぼやく。そういう意見を総合していくと、矛盾の塊というかキメラが発生する。こちらを立てればあちらが立たずだ。さらに「どうしたらいいのですか」と尋ねても、「私はあなたのママじゃないから自分で考えてください」といわれる。そこで困ってしまう。一生懸命行動しても、誰かからは怒られるのだ。ある種のダブルバインドである。
そういう時に思い出したいのは、結婚できるのはたった一人、という事実だ。自分が一番好きな人の幸せを一番に考えて、ほかの人の意見はスルーする。それでいいではないか。相手はこちらの面倒を見ないし、自分も赤の他人の機嫌を取る必要はない。
最後に。誰かに復讐してやる、という気持ちの時には、じっとしているのがいい。他人を憎んでいる心理状態はとてもつらく、幸せからは程遠い。人を呪わば穴二つ、である。そんなときは、家でゆっくり休むといい。肉体が健康でないと、精神の健康もおぼつかない。
相手に八つ当たりしない自信があるのなら、風俗も決して悪い選択肢ではない。ハグしてもらうだけでも怒りは収まることがある。相手から優しく触れてもらえる時には、言外の「あなたを男性として尊敬しています」のメッセージを受けている気がする。たとえそれが作りものだとしても、触覚や嗅覚はどんな言葉よりも雄弁だ。もちろん、人によっては空しさが増えてしまうかもしれないので、諸刃の剣だ。利用の際はよく考えてほしい。
あくまで理想なので、すべてを満たすことは難しいかもしれないが、希望はこういう形だ。
問題は、自分の好みが良く笑うタイプの女性か、研究者タイプの女性か、よくわからないことだ。とはいえ、これは実際に会ってみないことにはどうしようもないのだろう。
苦しかった。悔しかった。けれども、これでいいのだと思う。自分はこの方法ではうまくいかないのだ、そしてモテないのだと直視することができた。自分の実力がこの程度だと理解したことで、やっと素直に結婚相談所に向かうことができる気がしている。
もしもいきなり相談所に直行していたら、将来浮気したくなり、結婚生活を破壊してしまったかもしれない。恋愛はすごく疲れる、ということを体感したことで、落ち着いた生活へのあこがれも強まった。仕事でもそうだが、自分はこのくらいのことはできるが、これ以上はだめだ、という理解が、体調管理には必須なのだ。
今回も長くなってしまった。モテないことのぼやきならいくらでも書けるだろうが、ここで切り上げたい。
読んでくれてありがとう。
(3) 僕も女性からのセクハラを受けたことがあるので、そういう屈辱感を相手に与えるなんて真似はしたくない。もっと異性同士が、もちろんいろんなマイノリティを含めて、尊敬しあう世の中になってほしい。