はてなキーワード: ぼやきとは
むっちゃ転がるやんと思いつつ、妙に気になった。
人生って逆転すんのか?
ここでいう逆転とは、おそらくゲームの勝ち負け的なものがひっくり返るという意味合いだと思う。
でも人生のプレイヤーって1人じゃん、いいように転がったとしても「好転」だろ。
他人と比べて、収入の高さが逆転した(入れ替わった)、地位が逆転したとかはあるだろうけど。
まあキャッチコピーだし「好転」より「逆転」の方が目を引くのもわかる。語感の良さみたいなのも。
(ちなみに「組織をクビになった」というニュアンスのタイトルだったので、正確には転職ですら無いんじゃとも思った。解雇されてから職を得るのは再就職では…?)
とにかくその時は前述の通り「まあラノベのキャッチだし」で納得してすっかり忘れていたんだが、いまテレビをつけたら「逆転人生」というタイトルの番組がNHKで流れていた。
割と日本語に厳格そうな放送局のイメージだったんだけど、まじか〜…と思いぼやきに来た次第である。
逆転を決めまくる人生とかなら。
女子バレーならどういうバレーなのかだし、バレー女子ならバレーに纏わる女子を指す。
【 追記】
とある定点Pから観測してきたことに対するぼやきだったんだけど、思いの外反応があってびっくりした
地域だったり医療機関の役割(病院なのかクリニックなのか)で全然見える景色は違うだろうし、嘘松的な意見に対しては特に言うことはありません
自分も病院とか重症患者を扱う精神科や心療内科の実情は知らないので
自分のところの患者はライト層が多いし、希死念慮が強すぎたり依存や障害が強い場合は病院に送るような小さなクリニックで
だからこそ社会に戻れる可能性が高い患者が多いし、社会の縮図みたいなものが一部反映されているような気もしている
上手く書けてなくて申し訳なかったのは、「クリニックレベルの精神科に誰かと来院する男女」についての話をしてますってところ
その小さい集団の中で、定点Pからはこういう傾向が見えてますという話をしたつもりでした(そう思うとタイトル付けがよくなかったな、ごめん)
うちの患者全体の話でいえば、一人で来る人が圧倒的に多いよ
病んだ原因がそもそも身近な人間関係だったりするし、一人で向き合う方が性に合う人もいる
同伴がいる/いないことで、どっちがいい悪いとかはないです
精神科に勤める一人として、クリニックの視点で言えるのは、ラフに受診していいから早くプロ頼りにおいでってことだけ
【 追記終わり】
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精神疾患持ちの女性には男がいるけど…問題、最近確かになあと実感を持ちながら眺めている
自分は精神科のクリニックで働いてるんだが、伴侶や恋人と一緒に診察を受けにやってくるのって女性患者ばっかりなんだよね
男性患者がパートナーを連れてくる場合、その人はほぼ100%病む前の患者を知ってる奥さんで、所謂ツレうつのパターン
男性患者が交際中の恋人を連れてくることって自分が知る限り見たことない
誰か同伴者がいるにしても、前述のような奥さんか、血縁であればだいたい父親(何故か母親とは一緒に来ないことが多い)
勿論女性患者のパートナーが病む前の患者のことを知っているパターンも多いけど、女性患者の場合は通院する中で連れてくるパートナーが変わる場合も意外にある
女性患者は病んでても普通に恋愛しているし、交際できるし、(DVやモラハラの有無はさておき)一緒に通院する程度には精神疾患に理解ある彼くんが発生する
昨今の女性の息苦しさを訴える色んな話にも共感する一方で、患者を見てると男性の息苦しさみたいなものも感じたりして、こういうところにも性の非対称性みたいなものがあるのかなと思っている
弱者の立場を利用する卑劣な輩もいるし、弱い男にもヨシヨシしてくれる女をあてがえ!はそりゃ違うだろと思うから、十把一絡げにどうにかしろとは言えないけど
「誰も傷つけない笑い」ということばを聞くたびに、少し、もやっとする。「誰も傷つけない笑い」自体はいいことだと思う。傷つけるよりは傷つけない方がいいし、笑いにおいても、笑いでなくとも、あらゆる場面でなるべく傷つくひとが少ない方がいい。ただ、「誰も傷つけない笑い」ということばは、いつもではないけれど、ときどき、微妙なニュアンスを含んでいることがあって、それが私をもやっとさせる。
そこには「本当に頭がいいひとは」ということば使いを聞いたときと似ている感じがある。その後に続くことばはなんでもいい、ただ「本当に頭がいいひとは」ではじまる文章のうち、けっこうな割合で、実は、話題になっているのは、その、当の「本当に頭がいいひと」への称賛ではなくて、「その条件を満たさない身近にいる頭はいいかもしんないけどちょっとムカつくあいつ」ではないか? あのひとは頭いいかもしれないけどさ、本当に頭がいいひとってのは私たちにもわかりやすく説明してくれるのにね、あのひとはそこがちょっとね、みたいな。称賛に見せかけてその目は別のところを横目で見ている。
同じように、「誰も傷つけない笑い」を称賛することばを聞くとき、いつもではないけれど、そこには「かつて笑いで傷つけられた私」の恨みの響きがこもっていることがあるように思う。そこには、なんというか、ちょっと甘ったれた感情がまとわりついていて、それがこちらにねとっと投げかけられる感じがする。ねえ、あなただってやだよね、わかるよね、弱い私たちを守ってほしいよね。みたいな。これはまあおおげさな書き方だけれども。そういうときは、もう、「これが嫌い」と言った方が良い、と個人的には思う。何が好きかで自分を語るのは素敵なことだけれど、好きというものを称賛しつつ、それに満たないものを否定したい気持ちがあるのであればそれは明確にした方がいい。そんなことで好きなものを利用するのがいいことだとは思えない。
そして何より、そのような顔で「誰も傷つけない笑い」を称賛するひとたちは、みな一様に、自分は弱者で、弱いのだから、そのような笑いによって傷つけられるばかりのかわいそうな存在で、あたかも自分は笑いで誰かを傷つけたことはないし、これからもそんなことなんて起こり得ない、というようなピュアな被害者意識を当然のように持っていて、そしてきっとそれを自覚もしていない。「自分はこの点で間違いを犯すことはない」という意識もされないくらいの信念に裏打ちされた、でもあくまで弱い立場からの被害者意識の滲出。
弱いのだから直接「誰かを傷つける笑い」を否定することはしない(できない)けれど、しかし一矢報いたい。その甘ったれた被害者意識を、その語り口から感じることがあって、もやっとするんだろうな。別にいつもじゃないし、本当にやさしい気持ちでこのことばを口にしているひともけっこういることはわかっているのだけれど。
しかしこういう「響きからこういうニュアンスを感じ取ってしまう」みたいな話って、自分で自分の文を読んでてもちょっと思ったけど、ありもしない電波を受信するひとみたいにも見えなくはないね。わかるひとにはわかってもらえるかもしんないし、わかんないひとからすると勝手に電波受信してなんかゆってるこのひとやばい、みたいな話なのかも。実際のところどうなのか、は検証のしようもないことなんだけれど。という、ぼやきでした。長々と書いたけれども、ここまで書くほどもやもやしているわけではない(なんなんだ)。
最近まで6年間中高一貫校(染髪禁止、もちろん化粧なんてもってのほか、スカート切ったら三者面談、更に言うとバイト禁止)に通ってた上に周囲にはお洒落に興味がない"オタク"の友達しかいなかった。類友ですね。でもオタクといってもアニメイトで大声でBL話するような友達じゃないです。友達はめちゃくちゃいい子達でした。
私もオタクで、小遣いやコッソリやったバイト代は全て漫画やプラモにつぎ込み己の容姿など省みたことなど皆無。ブスなことには気づいていたけれども寝癖さえ何とかしてればまぁいいかとか思って化粧なんかしたことがなかった。これが全ての過ちの始まり。
私だけ比較的遠い所から通ってたために休日に友達と遊びに行く経験もあまりなく、友達の私服姿は知らないまま高校を卒業して専門学校へ。
専門学校入ったらマジでみんなお洒落でチビりました。みんなちゃんと化粧して可愛い服着てんのな。いやマジで講義受けて帰るだけだぜ?!そこに手間暇を惜しまないの本当にすごいよなぁ。近くの席の可愛い子に何時起きか聞いたら、身支度に時間かかるから5時だって。嘘だろおい、私8時起きだぞ・・・・・・
専門学校には就活対策を教えてくれる「就職講座」っていう講義がたまにあって、すっぴんは流石にマズいと同期に言われたので幼馴染みに泣きつきました。母親に聞いても「貴女は化粧しなくていい」としか言わなくて途方にくれちゃったので・・・・・・相談に乗ってくれた幼馴染みのMちゃん本当にありがとうございました。
情けない話ですが20にもなって化粧をしたことがない、ガンダムに例えてもらわないと分からない。アイラインはスミ入れだそうですね。確かにアイライン引くと目の凹凸が際立つのは感動モノでした。スミ入れみたいにちょんと付けたらスーッと流れてくようなアイラインあったら便利なのにね。そうするとアイシャドウはウェザリングなのか・・・・・・?ケースも似てるし。
とりあえず幼馴染みにファンデーションとアイシャドウと眉毛書くやつ(名前忘れた)を買えって言われたので薬局で購入。とりあえずナチュラルメイクとやらを教わり、就職講座当日も何とかそれで乗り切りました。
でも20年間化粧をしたことがない人間が突然やったら"初めて化粧をした中学生感"が出るじゃないですか。中学生がそれなのは微笑ましくて可愛いけど20歳の女がその雰囲気出してんのかなりキツくね・・・・・・?と思っちゃって何だか化粧頑張れる気がしません。友達と遊びに行く時は極力練習も兼ねて化粧するようにしてたけどこのご時世だしなぁ。マスクしてるのに化粧する意味is 何みたいな感情がある。普段の講義に化粧してくのがめんどくさい。化粧してるみんなすごいよ、誇りに思ってください。普通の人だったら中学か高校で通過する"初めての化粧"から逃げた結果がこれです。もういっそるろ剣の般若(変装のために顔を削ぎ落とした御庭番衆の人)みたいな感じにした方が楽なんじゃ・・・・・・?
さて、化粧はまだ序の口。問題は服のセンス。母親と幼馴染み曰く私の服のセンスは壊滅的らしい。初めての化粧(中学生)とかそういうレベルじゃない。それ聞いちゃって怖くなったので最近はもっぱら黒パーカーと黒ジーンズ履いてます。どこぞのR指定か? でももう何着たらいいのか分からない・・・・・・
仕方ないので母親に服選びはお任せしてます。本当に情けねぇ。自分に似合う服が分からない、「これとか良くね?!」って買った服がすげぇダサいらしい。そのパンツは足が短く見える。何そのチンピラみたいなシャツ。なにそのズボン、ニッカポッカ?w
着たいもの着たいけどダサいって思われるのはイヤ!だけど着たいもの着たい!全人類の目潰すしかない。何がお洒落なのかとか分からん、とりあえず着心地を求めた結果センスが完全に終了してしまう。
いやもうコレどうしたらいいんですかね、ポプテピで言及されてた花澤香菜の私服見てもふ〜ん可愛いじゃんとしか思えず、父親がサイズ間違えて買ってきた作業服屋のシャツを平気で着て出かけられてしまう。花澤香菜は可愛いので私服ダサくても許されるけどすっぴん芋オタク女が服ダサなのはきちぃな、来世は多部未華子の顔面になります。多部未華子の顔面なら親父の作業服着てデート行っても許されるやろ・・・・・・るろ剣の般若ってもしかしなくても多部未華子になれるのか
なぜ言わなくなってしまったんだろうね。
4月のときに比べれば、よほど今の方がSTAY HOMEすべき状況なのは明らかだが。
ちょうど1週間前に西浦氏が出したこのグラフもすっかり忘れられてしまい、病床は余ってるはずだー、医師会の既得権がー、台湾が羨ましいー、と、
分かりやすく行動制限から逃避したいだけの人々のぼやきで、テレビも週刊誌も一部SNSも埋め尽くされている。
そんなこといくら叫んでも感染収束に1ミリも役立たないよ。役立つのは唯一、我々同士が接触を減らすことしかないんだ。
で、その感染収束は、経済の復活とトレードオフだ。両立しない。
だから4月のときは、あれだけ政府に補償を求めたわけだろ?その方がよほど筋が通っていたよ。また給付金を要求しよう。今度は20万でもいい。
それでも政権が渋るなら、今度こそ支持率を1桁とかに落としてやればいい。
結論。仕方ないんだ。もう一度基本に返って、「STAY HOME」を心がけようぜ。
東京の感染者数シミュレーション 十分に減少させるには|NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/emergency_2021/detail/detail_15.html
夫は注射が苦手だ。針を見るのも怖いらしい。
ワクチン関連のニュースがTVで流れると、注射器を体に刺すシーンが画面に映される。夫はそのたびに「ヒッ」となり、そのニュースが終わるまで目をつぶっている。最近はワクチンの話題になると事前に目を逸らしているが、関係なさそうな話題でいきなり映されることもあり、大変そうだ。TVのニュースを見なくても、ネットニュースで注射器を指すシーンの画像がサムネイルになっていて避けるのも難しそうだ。
ワクチンの説明や研究の進捗については、わざわざ腕に刺すシーンを映さなくても内容を伝えられるのではないだろうか。映像を流すのはやめてほしいけど、無理なんだろうなと思う。
私自身は注射も平気だけど、苦手なぶつぶつ集合体が映されると「ヒッ」となるし、嫌な気分になる。
(最近は新しいZOZOスーツの映像が本当にダメだった。夢に出た)
人間の性格ってほとんどは精神的な利益のために最適化されて決まってるよな。
精神的な利益ってのは楽しいとか、いやな思いをしないとか、辛くないとか楽とかってあいまいな定義だけど。
具体的にどう最適化されるかは個人で全く異なるけど、その基礎は子供の時に作られたと思う。
顔が悪いとか頭が悪いとかの欠点に対する攻撃から自分を守るために最適化された奴
出来ることを必ず認めてくれる人が必ずいて、褒められた結果、うれしい・楽しいを最大化するためにトライ&エラーや挑戦をすることに最適化された奴
強者的な立ち位置にいて、弱者を踏み台に力を行使して、ひたすら楽しむことに最適化された奴
でも、大人になってから、金銭、地位、愛情、名誉とかを自分が獲得する上で最適な振る舞いってのを知っても、性格に反して完璧にこなすのはなかなか難しい。
つまり、よっぽどの体験(痛い目かおいしい目に合う)がないと大人になってから性格は変わらなさそう。
精神的な利益に囚われて、瞬時に自明な現実や予測に基づいた最適な振る舞いの実行、性格の変容を行えないってのは歯がゆいものだけど、それが個性ってのを形作ってるのかな?
逆に、精神的な利益に囚われないで振る舞いを瞬時に変えて実行できるのが普通だという性格もあるかもしれないけどそれは凄い才能だと思う。
とりあえず言いたかったのは、私のような取るに足らない精神的な利益の最適化による性格を変えるには、痛い目にあってフィードバックから少しずつ性格を変えていくしかないのかなぁというぼやきです。
まずはこちらをご覧頂きたい。
https://twitter.com/m_molockchi/status/1296416784552267778
諸口正巳さんという小説家が筆を置かれるらしい。
要約すると思ったような反応がもらえなくて気に病み、徐々に小説が楽しくなくなり、筆を置くと。
正直に言うとたまたまこの引退宣言が目に留まっただけで、増田はこの方の事を詳しく知らない。
だが、この方が反応をもらえなかった理由はすぐに分かった。
これに尽きる。
大勢の人からちやほやされるには、それが偶像である必要がある。
夢とか幻想などと言い換えても構わないが、人はどうしても、自分の都合のいい存在に惹かれる。
いくつか例え話をしよう。
・好きなアイドルがいた。「彼氏は卒業するまで絶対に作りません!」というプロ意識の高さに惹かれて応援していた。しかしある時彼氏とホテルの前にいる写真を週刊誌に撮られてしまった。あのプロ意識の高さが虚言だと気付きファンを辞めた。
・Aシリーズの動画が面白くて、そのYoutuberをチャンネル登録した。しかしそのYoutuberはAシリーズの動画をある時から投稿しなくなり、Bシリーズの動画ばかりを投稿するようになった。しまいには「Aシリーズの動画は反応悪いからいいかなww」とTwitterで呟いた。それを見てチャンネル登録を外した。
・シリーズもののゲームの待望の最新作が発売された。過去作の大ファンだったので早速発売日に購入した。しかしプレイしてみると、大好きな過去作のキャラがdisられておりショックを受けた。こんなことであれば新作をプレイしなければよかった。
人が離れる時、そこには「自分が抱いた都合のいい幻想の破壊」が存在する。
であれば、自分という偶像コンテンツを維持するために、都合のいい幻想を見せ続けなければならない。
しかしながらざっとTwitterを見ただけでも、氏に自分という偶像を維持する姿勢は感じられなかったのだ。
著作を読んで楽しむことと、SNSを含めた最新の投稿をリアルタイムで追い続ける事は違う。
例え本が好きでも、好きな漫画や小説の作家を全員フォローし、全員の最新の投稿をしっかり追っている人は多分そんなにいないからだ。
「自分のSNSアカウントで好きなこと呟いちゃいけないのかよ!」
という反論が必ずある。
呟いちゃいけないわけではない。
ただ、なにも包み隠さず好き勝手に呟こうとすると、絶対に「偶像」は仕上がらない。
芸能人が日常のぼやきではなく、見栄え重視のまとまったツイートをすることが多いのはこの為だ。
氏のTwitterは偶像ではなく、一人の人間だった。だからSNSをしつこく追うのはきっと相当熱心なファンだけ。
でもどうしてもそういう風にできている。
反応をするのは人間だ。
ああ、やっぱり凹む…。
自分の書いたものは、使いまわしのコピペの回答がふさわしいんだな、と。
たけど私は若くないし、その回答は私のぼやきのような駄文には微妙に合っていない。
年齢だけは初老だというのに、若い人向けの回答のコピペがふさわしいと思われるほどに浅いのだな。情けない。
コピペ回答にあった「あなたは素朴」というのが自分にも当てはまるのか、コピペだから合わない部分もあるだけなのか?
どんな意図でコピペしてくれたのかわからないから、「どこが素朴なのてすか?」とは訊けやしない。
「え、素朴とか書いてありましたっけ?前に見かけた回答を貼っただけですよ〜」とかだったら恥ずかしすぎる。
「ええ、素朴ですね。批判してる訳じゃないし、年をとっても素朴な人は素朴ですよ」とかだったらもっと情けない。
素朴とセットになるべき善良さがないのに…。
物語の中には、そういう登場人物も出てくるし、ぼんやりと生きている人がいるのは見聞きしたことがある。
そうはなりたくないと思っていたけれど、…いつかは成熟した人に「あなたはこっち側ではないんですよ」と言われないようになりたかったけれど…
はー、凹むわ…
https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a
この記事を拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。
先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。
ただ、自分の境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。
ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性を邪推されることもないし、純粋なぼやきを書くのに最適だろう。
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筆者は田舎の一般家庭という途轍もないギャップを必死の努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。
が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。
たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端な努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。
私も北関東の片田舎の公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴層である東京の大学に進学した。が、それは努力の放棄の結果でしかない。
「成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験は彼女からすると慣れたものだろう。
だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力を放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。
小中学校は地元の公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生が暴行で少年院に入り、卒業生がバイクで学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。
そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大を卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)
受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行が海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。
(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元の公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士の試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)
高校に進学していきなり衝撃を受けた。
まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉で表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。
なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」
当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才・天才の類にはなれない。
そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力の放棄だ。
文系でもSEとしてITの世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系で高学歴を目指した。
といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力を放棄することに繋がる。
東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しかも大学に入ってからも受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。
(ここでも自分が勝てなかった奴は東大に合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)
結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。
就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系の秀才であり、文系のエリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャを田舎で成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャに成功しても育ちの良さをカバーするための努力は尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
そういえば高学歴の世界・低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎の公立中を卒業して必死に努力して都会の旧帝大や早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。
地元の公立中を出た人間が、初めて都会の人間と高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力を放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力を放棄した。
周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇の人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。
どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間のライバルとして花を添えることしかできなかった。
一方でたまたま周囲の人間には恵まれ、人生そのものはコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったITの世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからもトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底の人生を歩んで行こうと思う。
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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後の最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから。応援しています。
歳の離れた弟がいる。
俺は大学から上京して一人暮らしをしているので、弟が10歳以降は盆と正月に会うくらい。
弟が高校生になってからは、東京の俺の家に泊まりにくることが多くなった。
弟は特に都会のあれこれには興味がないらしく、どうしようか迷って結局家でゲームするか、ほぼ毎回ディズニーランドに連れて行ってる。
家族旅行のない家庭だったので、それでもめちゃくちゃ喜んでくれる。
俺は申し訳程度に自炊をしているのだけれど、そんなに凝ってない料理でも作るとうまいうまいと食べてくれるし、勉強を教えてほしいって言ってきたり。
友達の兄弟は大人なってから口も聞かないとかたまに聞くけど、歳が離れているせいもあってか、俺は弟のことはとにかく可愛い。
友達の兄姉に姪っ子ができてバカかわいがりしているのを見たことがあるけど、多分あんな感じだと思う。
先月、弟がまた遊びに来ていた。
夜、寝る前に一つ相談をされた。
子供の前で喧嘩しないようにこそしていてくれたが、子供だけが二人が離婚しない理由になってるのは明らかだった。
弟も高校生になって、それを顕著に感じているらしい。
恐らく自分が大学まで出て、無事就職したら別れるつもりなんじゃないかと。
俺も弟の予想は的外れじゃないだろうと思った。
弟は決して出来の悪い方ではないのだが、俺のように東京の大学に行くほどではないと自分で思っているらしく、
(奨学金の返済がつらいと俺がぼやき続けていた影響もあるかもしれない)
地元の大学に行くつもりで、だから最低でもあと四年は両親に付き合わせる羽目になる。
それが心苦しいが、まさか気にせず別れてくれとも言えないらしい。
正直、家を出る前は俺も同じ居心地の悪さをひしひしと感じていたから、弟の気持ちは痛いほどわかる。
しかも、弟は俺がいないので、余計つらいだろう。
弟がこんなにも自分に懐いて、よく東京に遊びに来てくれる理由が分かった気がした。
そして、弟に頼まれたことが、自分を養子として引き取って欲しいとのことだった。
養子、つまり誰かを子供に迎えるということが俺にとってあまりにも非日常過ぎて面食らったが、弟は真剣そのものだった。
そもそも兄弟は養子縁組できるのか?とか疑問が浮かんだが、その辺も弟は既に調べてきていた。
両親の不甲斐なさはさておき、弟にそこまで頼りにされることは兄として正直嬉しい。
養子にするまではやりすぎじゃないかと思うが、東京に来て、俺と一緒に住んで、東京の大学に通えばいいんじゃないかと思った。
家賃や光熱費を俺が負担してやれば、地元の大学に行くのとほとんど変わらないだろう。
しかし、その提案をする前に、俺には一つ気がかりなことがあった。
それは、俺の存在が弟の世界を狭くしてしまってるのではないかということだ。
弟は、小学生の頃(俺がまだ地元にいた頃)こそ、よくふざけて笑う明るい子供のイメージがあったのだが、思い返してみれば、俺が家に連れてきた友達とばかり遊んでいて、自分で友達を作るということをしてこなかった気がする。
弟が弟の友達を家に連れてくる機会というのは滅多になかった。
学校には毎日真面目にいってるらしいので、ただ俺より大人しいタイプなのかもと思うが、土日もほとんど遊びに行くことはないというから心配になる。
まだ高校生なのでそれは焦ることではないのかもしれないが、彼女もできたことはないらしい。
弟の同級生ともなると歳が離れすぎていて、なかなか学校での様子を聞く機会もない。
母親が保護者面談などで聞く限りは、いじめられたりすることも、周囲と揉めることもないらしい。
心配するほどのことではないのかもしれないが、このまま俺が兄兼父親兼友達のような存在になってしまったら、ますます弟はその関係の居心地の良さに甘えて、外での関係性に力を入れなくなってしまうのではないかという不安があった。
とりあえず、弟には、家が居づらくなったらいつでも逃げてきていいと言った。
それから、俺もまだ頼りないけど、経済的な支援ならするから、大学から実家を離れることについても考えてみたらいいと。
本当に高卒で働きたい意思があるなら、母親の言葉に必ずしも縛られる必要はない、そこの説得は手伝ってもいい、と。
心配だったけれど、とりあえずそう言い聞かせて家には帰した。
弟は、俺の前でほとんど叱られるようなことをしたことがないが、
あれで頑固なところがあるので、たぶん何も言い返してこなかったところを見ると、納得はしていないのだろうと思った。
受験のことを考えると、そろそろ意思を固めないといけない頃だろう。
まだ高校生の弟に、何が自分にとって最適か、全部自分で考えろという子も酷な話だ。
かと言って、弟の人生全てに責任が取れるとは思えない自分が情けない。
一体どうするのが兄として正しいんだろうか。
作れたらTwitterとマストドン(と他SNSサービス)をいっぺんに見れるマルチクライアント用アプリが欲しい Twidere的な
何故かっていうとかつて存在した某SNSサービスからの難民が鳥か象に分岐したから負いきれない
それだけならTwidereで非常にありがたいのだけど、TL見ながら投稿ができないのが難点
開発できもしないのに偉そうだなあ自分
亡きShootingStar系の…でなくてもいいから文字だけでいいからTL見ながらその場で投稿できる機能があればかつてツイ廃だった身としては嬉しい TLと投稿画面が切り替わるのがだるい
今までもGoogle日本語入力の使い勝手そのままで罫線一覧や数字キーボードのみが出せたら楽だし作れたらいいのにと思ってた
Gboardは記号一覧の表示のデカさとステッカーが気に入らんから却下
泥厨だし自分さえ使えればよいのだけど言語なるものが多々あるらしいし、プログラミングも授業の一部分で日本語でプログラミング?で亀を動かすソフトしか軽く触ったことがない
ぐちぐちぼやいてばかりであるが、どっから手を付ければいいのかわからん
不満を飲み込んでばかりのままじゃいけないとはわかってるけど難しすぎそうでこわいんだな
というぼやきの放流
おま環かもしれん。
※ただの愚痴。二次創作の話ですが、原作者への配慮や権利云々、一般との棲み分けとかの話はしていません。もちろん同性愛への批判なんてしてないからね※
自分のことをざっくり言うと、キャラ解釈は公式に沿いたいっつー絵を描くオタクです。
腐文化がこんなに女オタク界隈で大きい顔(っていうかメジャー面?)してるのが、単純に疑問なんだよネ。
既存作品でBL創作(妄想)してる人全員がその作品を見て初めからその解釈をしてるって考えるのは不自然じゃない?
元々BL文化を知っててそういう関係性が好きで、その作品にその関係性を適用していると考えるのが自然ってモンでしょ。
BL知らん人がBLじゃない作品を見て腐妄想しないでしょ?だから腐女子ってのは自分の好きな関係性を既存キャラに当て嵌めてブヒってるってことじゃん。
言葉悪い表現だけど、原作レ●プって思ってしまうっす。(もっとイイ言い方なかったのかよ!)
公式のキャラ解釈大事にしてる人(私)からしたら地獄わよ。だってそのキャラは公式でゲイって言われてないもん。ゲイでもない男同士でベーゼなんざしねェーよ。
でも二次創作女オタク界隈入ると腐女子が圧倒的多数派じゃん。公式で一切言及されてない解釈が最大手ってどういうこと!?(おま環?)
驚き桃の木21世紀。解釈違いしかいね~~~~~~~~~!激孤独侍。
腐がイヤなら界隈にいるなよ、っつーツッコミ待ちではない。
だって界隈にいないと本当に自分の絵、誰にも見てもらえないんだもーん!好きなキャラの絵は公式じゃなくても全然見たいし、自分の描いた絵もファンの人たちに見てもらいたいよー。
自分の好きなジャンルだけかもしれないけど、女性多い界隈に行くと腐(エ□も多い)ばっかだし、かと言って男性の方に行くとエ□ばっかだし。
なんでだよ!!!!!!!!公式で性的な描写ないよ!(自分の推しキャラDSだからなおさら絶対にそんなことしないし)
男同士の友情はBLに改変されるわ、性にただれたキャラにされるわ、二次創作ではこれが主流なのかーっ!?
いや分かってるよ。二次創作ってそういうもんだって。公式で出来ないことを皆形にしてるのは分かってる。
見たくなけりゃ見るな!じゃないんだよー、そんなこと自分が一番分かってるよ。公式からの供給だけじゃ、強欲で貪欲な己には足りないんだよー。
(しゃーなし)界隈にいるnot腐絵描き女オタクの自分には少々肩身が狭いというか、TLに解釈一致する人がいないというー。孤独だー。(自分がドマイナーというか、ストライクゾーンが狭すぎるだけなのか。)
棲み分けたい気持ちと棲み分けた先はボッチという事実に苦しむオタク。苦しみながら今も界隈にいる……。
昔は腐女子のことをよく分かっていなかったのもあって(≒女オタクだと思っていた)、自分のこともふわっと腐女子だと思ってた。今までずっと腐女子だらけの界隈にいたし(ジャンルは転々としてたけど)、自分も男キャラが仲良くしてる絵やマンガばっか描いてたから。
当時は嫌悪感という嫌悪感はなかったし、腐女子神絵師さんたちの神絵はよく見に行ってた。〇〇くんかわいー、とかこのネタおもしろ~、とかそれくらいの気持ちで見てた。
二次創作界隈に、BL文化にどっぷり浸かってなかったというのもあると思う。
ツイッターで趣味垢をリア垢から隔離させてから二次創作界隈との距離はグン!と縮まった。私が絵を描く頻度も上がったし、フォロワーさんと話す機会も増えた。
違和感を自覚したのは腐女子フォロワーさんたちとオフ会した時。腐女子という人種とガッツリ会話をしたのはこの時が初めて。
推しCPたちの恋愛のあり方、将来、どんなセッ久する!?、そんな会話が多く飛び出し、驚きの連続。
肩身狭すぎて推しCPいないと人権なかったよあの空間ー。もちろんそんなことはないし、こっちが被害者面してるだけですけど。
腐女子の皆さんの会話に全く話についていけなかったことから、自分が腐女子ではないと自覚した。
単純にBLやエ□が苦手なんじゃ?とも思ったが、というよりは推しがそうなっているのが苦手ってだけだった。だって公式でそのキャラたちエッチしてないし(大体の作品そーだよ)。解釈違いです!
腐女子との、根っこからの乖離を自覚した。自分はキャラ単推しで、その子が友だちと仲良くしてるのが好きだから自分が腐女子だと勘違いしてしまっていたことも自覚した。
自覚があやふやなオタクがBL文化に触れて卒倒したってだけのエピソード。
こういうのはもっと早いうちに経験する人が多いのかも?私がこの歳まで同人誌買ったことも読んだこともイベントに参加したこともなかったから、気付くのが遅かっただけなんだと思う。
えと、(身内が見てるといけないから)弁解するけど、フォロワーさんたちはいい人ばかりです。表現方法は違えど公式を愛しているのは同じだし、今でも仲良くしていただいているし。
単に私があなたたちのキャラ解釈が受け入れられなかったってだけ。一般の目に触れないようにしている方ばかりだから全くもって批判じゃないし、これからも自由に幸せに創作してほしい。
もちろん、腐妄想以外のキャラ解釈の話とか、オタトークはとても楽しいよ!?〇話の〇〇くんカワイイ!とか……。(〇話の〇〇と××完全に付き合ってる!は違う。w)キャラをカワイイという目で見てる私も大概ですね、ハイ←
萌えトークするオタ友は欲しい!!ワイワイ喋るの好きだし。でも周りに解釈合う人がいない。どこかにいるのかな?(ただでさえマイナージャンルだから出会えていないのじゃ)
結局言いたいことは、なんでBLやドスケベがメジャーなんだよ~~~って疑問。愚痴っぽくなってしまったが。
皆スケベ好きだねー。いや嫉妬でもなんでもなくて、単純な疑問。私の頭がおこちゃまなだけか?わからーん。
腐もエ□もないフラットな解釈(偏見)な仲間いないのかー。かー、かー……(エコー)
まとめると、こう。
・おまいらの妄想の産物でしかないBLがこんなに二次創作界隈で大手なのはナゼ?
・人目に触れる機会が多いからメジャー界隈にいたい!でもメジャーと解釈が合わない!ドマイナーオタクより。
以上。^^;
増田の女オタクお気持ち表明大好きだから自分も書いてみたかっただけですー。
誤字脱字とか文章ヘタクソ!とかの報告はいらんよ。内容についての言及ヨロシク!
【7/22追記】
思ったより反応あってウレシー!ありがとうございます(^^♪
>好みの解釈ではない人を見下す人と友達になりたくないと思うよ……
やっぱりそうなのかなー?見下してるっていう自覚はないんだけれども、第三者からそう見えるのなら見下してるんでしょうなー……。気を付けなければ。といっても難しそうだけど。
えーっ!w当方00年代生まれのピチピチギャルでございます。そんなにヘンな口調かあ……汗
おめでたいし嬉しい。
でもやっぱり少し複雑な心境になってしまう。
毎日どれだけたくさんツイートしていたフォロワーさんも彼氏ができた途端大半は浮上しなくなった。
あの子もあの子もあの子も、、、先月前彼氏ができたフォロワーさんも今やすっかりツイートしなくなった。
彼氏ができても浮上率ががそこまで下がらない子はツイート内容がほぼ彼氏になる。そしてやはりだんだんTLから居なくなる。
どこかのツイートで見た「彼氏の話ばかりされてしんどいのは僻みというより知らない人の話ばかり聞かされるしんどさ」というのがしっくりくる。
別れたとかでTLに戻って来る子もいてもツイート内容が前以上に日常的というかオタク離れしているように感じる。
要するに寂しい。みんな大好きなフォロワーさんなのに遠くなってしまったみたいで。何より寂しいと思ってしまう子供な自分も嫌だ。素直に全肯定で祝福できる人間になりたい。大人になっていくみんなはいつまでもオタクではいられないのだろうか。
私はまるでダメな喪女オタクなのでこの気持ちを共感できる人は少ないだろうし結局最後にTLに残っているのは私だけなんだろうな。
最近一部界隈で話題になっている30歳腐女子の「32歳腐女子の友人目線」とかいうはてなブログ、読んだ。
読んで、個人的にいろいろ思うところがあったのでここに書き捨てておく。
私は、おそらく30歳腐女子さんと同じぐらいか、あるいはそれ以上の田舎出身である。
どれぐらい田舎かというと、地域の子どものほとんどが小学校から高校まで同じ学校なんてことも珍しくないレベル。
小中の顔ぶれは大半が4歳5歳ごろからの幼なじみで、親同士も長年の付き合い。
だから単なる幼なじみや友達というよりは、友達と家族の真ん中というほうが正しい。そういう関係の人が何人もいる。
なので、該当ブログを読んだとき、指摘の内容はともかく、筆者たち三人がAにそこまで干渉してしまう気持ちがなんとなくわかってしまった。
というか、序盤の「みんな保育園からの幼馴染み」を読んだ時点でなんとなくオチが察せた。
わかる。わかるんだよ。単なる友達じゃなくて、お互いの家庭事情や過去に何があったのかもよく知ってるから、つい思わず「友達相手にそこまで言うなんて」と言われても仕方ないお節介をやいてしまう。
将来に直結する収入や仕事に関することならなおさら。(まあ服装やメイク、財布あたりは完全に女子特有のマウントだと思ったが)
正規ageも、客観的に見たらマウントやら見下しやらに分類されると思うんだけど、少なくとも当時の筆者ら三人は本気でAの将来や家庭事情を心配して言ってたつもりだったんだろう。と、勝手に代弁してみる。
ただ、口出ししてしまったその「気持ち」がなんとなく理解できるというだけである。
おわり
そもそも恋愛をした事がないので恋愛感情がどういうものかわからない。
恋愛漫画も読むしドラマも見るけど自分に当てはめることができない。
小学生のときに一度だけかっこいいなと思ってる男の子がいて好きかもしれんと思ったことがあるが、結局それは恋愛感情ではなくアイドル的なかっこいいなーだった。
一応何度かは男性に好意を持たれたこともあった。けど自分は普通にいい人だなあとか、ただ親しくなった人ってだけだったのでいきなり恋愛感情を向けられるのが正直気持ち悪くて泣きそうになった。
もしかして高校生の時に学校帰りの道で痴漢されたことがあるからそれが原因で男が嫌いになったのかと思ったけど、別にAVとかエロ漫画とか見れるしテレビで男みても普通だしなんかよくわからなくなった。
かわいい女の子好きだったし、将来は女の子と結婚してえ〜みたいな気持ちになったりした。(家にかわいい女の子いたら最高!みたいな気持ちで)
レズものでも抜けるしもしかしてと思ったけど、現実で性行為できるかってなるとうーん?となるしただ性癖にかすっただけかもしれんと思った。
なんだかんだ性欲はあるけど恋愛のことになるとよくわからん。誰かとエッチしたいとかそういう欲求がない。
それのせいでこのままずっと独身なのかもしれんという気持ちになってきた。
親には結婚だの何だの催促されるし友達もそういう話をすると私ヤバいのか?と思うけどやっぱりいまいち恋愛だの結婚だのがピンとこない。
もう籍とかいれてただ一緒に暮らすだけの仲いいパートナーがほしいなと思う。
でもそういう人はなかなかいないんだろうな。
(追記)
一応誰かと一緒に過ごしたいなという欲はあるしイチャイチャするくらいはしたいなとも思う。でも性行為がくっついてくると自分は応えられないなと思ってしまうのでなかなか難しいなーと思う。
Instagramではよく妊活に関するエッセイコミックを書く人がいる。
私も子供が欲しいから、そういった投稿を見て共感したり、ときには一緒に哀しんだり喜んだりしている。
でも、そうやって共感できるのは
同じステージにいる仲間に対してだけなのかもしれないなぁと思った。
5年余り、原因不明の不妊治療をしていて、少し前からは体外受精も始めている。
長く子供ができなくて踏ん切りがつかないので、最終段階まで進んだ形だ。
そんな中、
「ずっと子供が欲しかった」というInstagram(&ブログ)の投稿を見た。
そのインスタグラマーには元々好感を持っていたし、他の妊活コミックエッセイを読むのと同じ気持ちで読み進めていった。
その人は「妊活」といっても、
その程度の期間で、
きっと、そんなタイトルでなければ
私の心はこんなに波たたなかっただろう。
私だってそうだけれども?
妊活漫画と言うけれども、産婦人科に行って人工授精ですらやってない程度。
そりゃあ、子供が欲しい人にとっては
毎度生理が来るたび悲しい思いをするんだから、その悲しみにチャレンジ期間の長短やステップは関係ないよね。
その時辛かった気持ちは、本物だよね。
それは、わかっている。
何年も何年も治療しても、
その幸福を得られていない私たちの気持ちを、考えたことはあるんでしょうか。
考えていたら、そんなタイトルつけないよね。
私を含め妊活中の人は、このエッセイには好感を持てず、コメントする気にはなれないんだと思う。
大きな声で「辛かったんです」と言っているのだ。
私は正直、読まなきゃよかったと思ったよ。
自分と同じように苦労して、
ようやくたどり着いた妊娠出産なら、微笑ましい気持ちで読めたと思う。
タイトルが、そういった苦節を感じられるようなものだったんだもの。
でも実際は想定と異なり、私は苦い思いを抱えてしまっている。
乗り越えてきたと思ったんだけどな…
まさか、妊活期間の違い・ステップの違いで、自分の中でこんな反発が生まれるとは思っていなかったよ。
ただ、今回こういった地雷原を
自分が抱えていると言うことを知れたのは、不幸中の幸いだったね。
今後は、こういった地雷を踏まないようにSNSも活用していくわ。
母になった人たちに対する醜い感情は乗り越えたと伝えていた夫には言いたくないし、
当然親にも、友人にも、
吐き出せないから、この場でぼやかせて頂きました。
子供が来てくれないんだと言われたら、ほんとそれまでだよね…