はてなキーワード: ちなことは
朝出かけるときにお手本のようなウグイスの鳴き声が聞こえてきて
他にもまるで森の中にいるかのような小鳥のさえずりが聞こえてきたり、
なんか近所の鳥たちが元気でいいんだけど、
どこかで誰かが素材の音を鳴らしてるんじゃね?って思うほど立派な綺麗なお手本のような鳴き声なのよね。
そんで、
森の中にいるような小鳥たちのさえずりも何かの素材的に褒められるような綺麗な鳴き声で、
これも誰かがどこかで鳴らしているのかしら?って思うけど、
ウグイスと小鳥たちの聞こえてくる方角が違う方向から聞こえてきているから、
同じところから違う鳥の種類の音源を鳴らしていると言うことではない、
多分本当のリアルな鳥の鳴き声です。
って言っちゃうほど、
名探偵なのよ!
なんかリアルすぎて変にフェイクだと思ってしまうがちなことない?
そのパターンというか。
何日か立て続けに鳴き声を聞いたので、
そんな人的にならしているわけではなさそうなのよね。
あとそんな森の中じゃないのに
街中なのにそれもギャップがあって
また違和感を感じたのよね。
まあなにしろ朝から鳥が元気で賑やかで目覚ましいらずでいいわよ。
鳥さんたちの朝は早いのよ。
うふふ。
24時間やってるマーケットに行くと便利なときがあって助かるわ。
今日はそこで買ってきたわよ。
追加購入してこなくちゃって漢字ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前準備じゃなくて、並行でやっても良い。絵を描くための最初の一歩としてやってみてほしい練習だ。
ノートは学生さんが使う普通のサイズのノートだと心が折れる。最初は文庫本サイズくらいがお勧めだ。
内容も、何でもいい。もちろん、絵なんて描かなくて良い。文字だけで良い。
なんなら、文章じゃなくても良い。1日のやる事リストを箇条書きにするとかでも良い。推しのセリフでひたすら埋めるのも良いぞ。
とにかく文字を書け。1日に、ノート1ページを文字で埋めるんだ。
「案外疲れるな、しんどいな」と思ったなら、この練習は効くだろう。
逆に言うと、何も感じなかったなら、こんな事しなくても良い。と思う。
趣味や仕事で、日常的に絵を描いている人間が忘れがちなこととして、年に数回しか、ペンを持たない人も多くいるのだ。
仕事にもよるが、宅急便の受け取りサインや、役所の手続きくらいでしか、文字を手書きしていない、と言う人は結構多いだろう。
いや、宅急便も、シャチハタで済ませてしまえば、ペンで何かを書かなきゃいけない機会なんて、滅多に無い。
そういう生活を続けていると、どうなるかというと。手が、長時間ペンで書き続ける筋力を失ってしまう。
だいたい5~10分もすれば、腕が疲れてくる。指先がなんとなくしんどくなる。
絵だってそうだ。長時間、ペンを握り続けることはできないだろう。
そして、絵の練習で疲れるとどうなるか。答えは簡単。雑に描いて下手だと思って、嫌になってやめてしまうのだ。
基本的な図形を描いて、トレーニングするという手もある。現に、そういうウォーミングアップもいくつか提唱されている。
だが、そもそも、絵の初心者は、基本的な図形の描き方すらわかっていないのだ。
ただの筋トレなのだから、書き慣れている文字を書くようにした方が、余計な頭を使わなくて良い。
もちろん、絵の練習のための文字なので、筆圧や姿勢には気を付ける。筆圧が高すぎる自覚があるのなら、万年筆を使ってみるのも良い。 ただし沼だ。気を付けろ。
タイトルの下に線を引くなどして、飾り付けるのも良い。この場合も、絵の練習なので、なるべくフリーハンドで書くと良いぞ。
学生時代、全く絵が描けず、自分にはセンスが無いから絵が描けないと思っていたのだが、社会人になってから、改めて絵を描き始め、それなりに描けるようになった。
言っておくが、マジで描けなかった。幼稚園児の落書きの方がまだマシなレベルだった。
(そもそも自分は、学生時代も全くノートを取らず、テストくらいでしか文字を書いていなかったので、そもそもペンを持つ筋力が無かったと思っている)
寝てはいけないタイミングで眠くなり、寝ておいたほうがいいタイミングではどんなに疲れて眠くても寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚める。
翌日、どうにか仕事には行くが、寝不足の状態であることには変わらず、寝てはいけないタイミングで眠くなり、寝落ちするまでではないがパフォーマンスは低く、仕事が終わる頃にはクタクタになってしまい、その後の余暇時間をまったく楽しめないことがとてつもないストレスである。
そうして帰宅した後、なぜか22時を過ぎたあたりで急に目が冴えてくる。
前日寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚めるような、どんな寝不足の状態であったとしてもだ。
しかし目が冴え始めたあたりのタイミングで寝ておかないと、翌日の仕事や活動に支障が出てしまうし、なによりクタクタになってその後の余暇時間をまったく楽しめないのでは何の意味もない。
そこでなかば不本意な状態でシャワーや風呂など寝る準備を始める。
照明を暗くする、ストレッチするなど、寝る前に試すとよいといわれることをいくつかやってみるが、あまり効果を感じられず、結局は寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚める。
そんな日が毎日続く。
翌日の仕事が早く、遅れることは絶対に許されないような緊張を強いられるから…と思っていたが、翌日が何の予定もない休日の前日であっても、寝付けないか、寝付けても翌朝早く目が覚めるのは変わらない。
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
[B! 企業] スカート、パンプス…就活での「らしさ」なぜ強要するの?性別を押しつけないで3万3000人署名:東京新聞 TOKYO Web
そこ分かってない人が凄く多そうだね。
「たとえば出身大学や地域で差別してませんよ」というのを名目上でも守るためにそういった質問を禁止してる会社はある。
学生側がエントリーシートに書くのも推奨せず、もしもそれを破ったら印象が悪くなるかもって話をしてる所も。
実際に俺が会社で「現場の人間としてちょっと面接に出てきて欲しい」と言われた時もそういう質問は禁止されてた。
判定基準ちょっと見せて貰ったら「出自に纏わる部分のエピソードを加点対象としないこと。ただし話の流れで仕方なく出てきてしまうことはあるので、それを話したこと自体を減点対象にもしないこと」みたいなことは書かれてたと思う。(俺自身が境界よりな人格なので「面接の判定基準とかちょっと教えてもらっていいですか?ルールブック見ないでゲームマスター手伝うとか怖いんで」と聞いたらチラっと見せてもらえた。コミュ障って知れ渡ってるってお得ね。じゃあなんでソイツに面接手伝わせた?)
結局こういう風にしてるってのが全然伝わってないし、それを伝えるための努力もしてないのがアカンと思うんだよな。
テンプレとして「着てくる服は何でも構いませんよ。私服でも構いません(と言って私服で着てきた奴は落とすぞ)」をいまだに使ってる会社は多い。
そんな会社コッチから願い下げとけって息巻く人はいるけど、単に人事部の人間がどうやって就活生に点数つけて良いのか分からんくて安易な点数の付け方に飛びついただけで、実際に事務所入ったら誰もそんなの求めてない会社とかもあるよ。
問題の本質は人事が必要以上に裁量を持っていること、人事に対して会社のトップが老害的な価値観に媚びることを求めがちなこととかが問題かな。
まあ人間偉くなった所で中身は幼稚園児の頃からあんま変わってないからさ、権力持ってる人からすると今時の若者感ある連中が自分の会社うろついてるのは気に食わないんだと思う。
俺も自分と価値観が違いそうな人が大勢いる場所では疲れるし、渋谷とか。
まあこの辺は人事の権力が会社から独立しきれてない部分、その割には最終決定権は強すぎる部分の歪さが問題なんかな。
でも就活シーズンに新人採用するために社内で持ち回って面接やりましょうとかは絶対労力的に見合わないんだよな。
ちょっと手伝うだけでも最新ポリコレルールへの配慮研修+宿題+実際の面接で結局2日ぐらい使わされた気がするけど、慣れてないことさせられたからかなり疲労があるのに俺の人事査定的には「突発的などうでもいいお手伝い」としてしか扱われずに0査定なんだからやってられねえよね。
実務経験バイトしかないような人間の中から地雷を取り除けとか。
それで変なの入ったら全責任取らされるとか、そりゃーいろんな部署からちょっとずつ人質引っ張ってきて「お前らの所の人間も見抜けなかったよな?」って流れにしたがるわけですわ。
与党議員がとりさげさせようとする理由がよくわからなかったが、
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20230414/1681484184
話を把握した上でブログの内容には「ん?」となる点もあるので
ブログやその周辺のコメントによる山田批判の妥当性も含め以下検討したい。
という問題がある。
以下の二人の発言を読んでほしい。
cinefuk NOと言えない状況に追い込むテクニック(たとえばロリコンの使うグルーミング、家庭内性暴力、職場のハラスメント)がある訳で
「NOと言わないのは自己責任」は、性暴力を矮小化したい勢力だけに寄り添う想像力の貧困
2023/04/15
お気付きだろうか?
二人の挙げる全てが蝶ネクデブが問題視したポスターの状況とは異なるのである。
https://twitter.com/yamadataro43/status/1646452603415560192
二人の作為に逆らい、話を「蝶ネクが論じていたもの」へ戻そう。
https://twitter.com/KodomoKatei/status/1645230118015586305
https://pbs.twimg.com/media/FtE8SrwaEAAhQB9?format=jpg&name=4096x4096
どうだろうか。
チェックポイントを並べてみよう。
・男女間に年齢差は見えず、「ロリコンの使うグルーミング」も表現されていない。
・父子ではないし兄妹の示唆もなく、「家庭内性暴力」も表現されていない。
・職場のディテールや背景もなく、「職場のハラスメント」も表現されていない。
なんと一つのチェックも入らなかった。
ほっけさんシネフクさんが持ち出した要素は図案の中に一切存在していない。
要するにこれはそのような要素の無いフラットな男女を描いた図案なのだ。
ほっけ「でもこの2人が上司と部下だったら?」
しねふく「でもこの2人がロリコンと幼女だったら?父子だったら?」
それはもう別の話だろう。
こういうのは決して「別の言い方でわかりやすく問題を紐解いた」のではない。
「相手の主張を別内容にすり替えてしまった」と言ってよいだろう。
そもそも詭弁をやる気のない者は相手の言ったことにそのまま反論するものだ。
私は少なくとも蝶デブの言いたいことは分かる気がした。
意思表示がされていなかったにも関わらず
わりとなんでもありになってしまう
という問題だ。
もちろん交際相手に甚だしく支配的に振る舞う人間というものは実際にいる。
皆さんご存じのように、暴力や脅迫は社会的にも法律的にもアウトだ。
そんなとっくにアウトと知れ切ったモロ犯罪行為についていまさら啓蒙しているわけではなかろうから、
なのだ。
男が顔を赤らめ「喜んでると思ってた」と言っていることからもわかるように
「暴力や脅迫で言うこと聞かせてはダメですよ」なんて話をしてるのではなく
より繊細な領域について啓発していると取るのがポスター解釈としても無理がないだろう
繰り返しになるが、
当該ポスターがカップル間での暴力や脅迫について啓蒙する意図なら率直にそう書けるし必ず書く。
そんなものは絵にも文にもずっと描きやすいし、何より「これらは犯罪です!」と書けるからだ。
もう少しハラスメントの程度を落として
が、それらについて啓蒙したいならやはり率直にそう書けるし必ずそう書く。
(ほっけさんシネフクさんですら、そういう明白な脅迫や威圧等は無い、より微妙な状況下の話をしている)
つまり
もう片方の重大な落ち度とする
というのがこのポスターの周知せんとしている内容だ。
これはどんなもんだろうか?
適切な内容だろうか?
というかポスターの女性を一人前扱いしない場合に限って成り立つルールだと思う。
図案は少なくとも性交同意年齢以上の想定で描かれた男女であるはずで
にもかかわらず特別困難な状況も無いのに自分の意思表示が出来ない責任が取れないというなら
それはもう当局の定めた性交同意年齢の設定が間違っているのではないか。
「保護者の同意なき若年層のセックス禁止」としたほうがすっきりしないか。
(ちなみに若年層というのはおよそ20代までを含む。)
でも意志表示が出来ません、
言い出さなかったけど本当は「NO」なんです。
これを保護して相手を責めるとなると今度は相手の立場や権利と正面衝突することになる。
特に障害も無い性交同意年齢以上・成年以上の女性達に広く与えてどうするのか。
まるで女性全員を知的障碍者に準ずる何かだと言ってるようにすら見える。
というより、これは殆ど家父長制の再来ではなかろうか。
娘が自由意思で異性と交際していても実はそれは「NO」であって
娘の当時の意思表示がどのようなものであれ手を出した男は不法な泥棒であって
娘の父や兄はその泥棒をショットガンで追いまわして石打でぶっ殺すのが名誉を守る術である
自分を「禁治産者」や「父兄の管理財産」などではなく責任と権利のある人間として扱ってほしいし
お豆扱いの啓蒙するぐらいなら暴力や脅迫について駆け込むホットラインを充実させてほしい。
というか私だけでなくて
「このポスターにはちょっと問題があるな、庇って戦うには苦しい部分があるな」
と感じていたのではないだろうか?
何故そう推測できるかと言えば、
ポスターの内容に弱みが無ければ、
他の話をせずにただひたすら絵の内容と議員の発言だけを取り上げて
「この絵のどこが問題だ変な首輪しやがってこのブタが」と言えばいいではないか。
少なくとも私なら絶対にそうする。
だが彼等は
「権力関係」
という持ち込みマヨネーズを添加し内容を別物にしてから反論した。
まさに彼等の言うとおり、
権力者と被支配者、成人と未成年、保護者と被保護者、上司と部下、
いちいち暴力や脅迫や怒声や罵倒なんかを示さずとも相手を従わせることも可能になる。
だからこそ現行で既に、
上司が部下に告発されたら、成年が未成年に告発されたら、保護者が被保護者に告発されたら
事実関係さえ確認されれば(場合によってはそれすら省略されて)即アウトという相場になっている。
「実際のカウアン少年が老け専のゲイで自分から望んで喜多川と恋愛関係にあった可能性は?」とか
「当時のカウアン少年は本当に「NO」だったのか?」とか
喜多川が成年かつ保護者かつ使用者で、カウアンは未成年かつ被保護者かつ使用人だったから。、
ほっけさんらの言が山田太郎批判のつもりであれば、それは完全に破綻している。
「セカンドレイプがしたいんだな」
のような。
しかし上で見た通り
脅迫等をされてないのに自分の意思表示をしねえ&後から「NOだった」と言い出せるルールならば
それはもう例えYESの言質を取ったって同じではないだろうか?
そういうことを言える身分の人相手では例え書面の同意を取っても意味がないだろう。
同意を毎回相手の口から言わせて確認取るコミュニケーションなんてものが現実的に有り得ないわけだし、
「無条件に後出しOKな相手から、決して後から変わることのないYESを取り付ける」
「何故飛ぼうとしないんだ」などと相手の倫理的問題であるかのように責める、
これはパワハラ上司やモラハラ運動部監督のあの低レベルな対人テクニックと何が違うのだろうか。
果ては
「やろうとしないってことは悪意があるんだな」
「性加害擁護したいんだな」
などと凄まじいレッテル貼り戦法に展開するに至っては
とにかくこいつを否定してワーワー言えればそれでいいや。」
本当にそれでいいのか?
ネクがどういう人なのか詳しくは知らない。
このあたりのハチャメチャな論客たちより議論姿勢は誠実に見える。
・敵視した者の話はまともに読まず
対等な男女間で無条件後出し「NO」は認めるべきか?
・言いにくい意志でもきちんと言うのが責任能力者の権利であり義務では。
・どうしてもできないなら成年後見人を立てたらよいし
全体に言えること
・せめて「社会をよくするために真面目に考える」という姿勢は持つべき。
そこを守った上で論敵を超えられないならその議論に時間使う価値はない。
人の役に立たないし自分の頭も悪くする。
これ書いてるうちに気になって庁のツイートとwebサイトを見たんだが、
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/jakunengekkan/index.html
これがwebサイトなんだけど。
AV出演被害、JKビジネス、レイプドラッグの問題、酔わせて性的行為を強要、SNSを利用した性被害、
ここまで一緒に見てきた人はみんな「えっ?」ってならないか?
AV出演は年齢クリアしてりゃ好きにしろの話であって性暴力じゃないし、
セクハラも痴漢もふつーに告発して社会的に法的に罰を与えられるやつだよね。
なんかこれ、啓発内容とポスターが別内容過ぎない?
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/jakunengekkan/img/r05_poster.png
サイト記載の文章の啓発内容は「AV出演」を除いて明確に違法行為のクロばっかりで、
一方当該ポスターの図案は男女交際におけるグレー領域……少なくともクロにしちゃうと色々問題だろという繊細で曖昧な領域のことが描かれている。
このポスター見て「性サービス業や痴漢やレイプのこと言ってんだな」と思う人間がどこにいる?
山田とは別論点なのかもしれないが、何かがおかしい感じは凄く感じる。
文章の啓発内容はごもっともというか「クロ」であるコンセンサスがとれたものばかり(AV出演を除く)なのに対して
ポスターはものすごく曖昧な部分で男をクロとする踏み込みまくった内容になっている。
これは制作とチェックの混乱でこうなっただけなのか?ほんとに?
ほっけさんたちに軽く突っ込むつもりで書いてきて、最後に不気味な謎にぶちあたってしまった。
tzt いや「怖くて何も言えなかった」て書いてるやん。メッセージが迂遠だという批判はあり得たとしてもお前の批判については完全に的外れだよ。
2023/04/17
いや、そういう
「明らかな脅迫等は無くても権力関係を背景にNOを言えない状況」
については私とほっけさんシネフクさんの3人で散々確認したよね?
くどいかな?ってぐらい何回も書いたよね?
でもあのポスターはそれらのどの状況にも当てはまらないんだわ。
そういう特別な困難のない条件下で
「言えなかったんです!」という後出しを免責して
「遡ってあのセックスにNO!だからこの人は性暴力!」という告発をアリにしていいの?
そんなのやり出したら
交際において片方だけを知的障碍者レベルに責任問わないルールになるんだけど
本当にそんなことをして誰かの為になると思う?
こういう時に問題点に目をつぶってとりあえず賛同すると簡単にいい人ぶれるし、
もしくはあなたはひょっとすると能力的にそもそもこのポスターの問題に気付かないかもしれない。
でも例えばほっけうるふさんとシネフクさんは本心ではちょっと問題点に気付いてると思うよ。 既に書いた通り。
彼等は多分あなたよりは頭がいい。
hate_flag
いやほんと、このポスターに対する反発が強ければ強い程「やっぱこのポスター必要だったな」って結論にしかならんわ
2023/04/17
この「私達が反論受けたということは私達は正しいということ!」っていう論法、無敵すぎない?
日蓮宗かなんかなの?
具体的な形で考えを述べて理屈を添えたし、
なのに具体的再反論ではなく
「非難や反論されることがわたしたちの正しさの証明!Q.E.D!」という
どっかの学会みたいな絶叫で終わりで、
あなた達の知性は本当にそれでいいの?
いいならあなた達はそれでいいや…。
ワイはもう40過ぎたけど「気持ち」なんて変わらないよ。ていうか「その時その時の気持ち」しか人間にはないんだから別に30だろうが35だろうが40だろうが変わんないよ。
変わるのは「感性」だと思う。
感性は経験に影響を受けて変わる。例えばガキの頃に親が見てる隣で見てクッソつまんなかった「男はつらいよ」を最近たまたま見直してみたら、寅さんに感情移入して「つ、つれぇ~」と普通に感じるようになったりする。
それなりに内容覚えている思春期前に見た映画(ドラマでも漫画でも本でもいいんだけど映画が一番違いを感じやすいと思う)で、面白かったやつと、世間的にはウケが良かったはずだがつまんなかったやつとを一本ずつ見直してみると良いぜ。意外と評価が逆転したり、逆転まではいかなくてもガキの当時とは心にグッとくるポイントが全然変わっていたりする。それが感性の変化だよ。
だいたいの人は子供が産まれたらやっぱ他人の子供にも何となく目が行くようになるし、それ以前に他人の子供が騒いでた場合に「うるせえな!」と感じていたのが「お互い大変っすよねー」とか思うようになったりするわけだ。親としての経験を経て感性が変わってるってこと。元増田は事前に思っていたほど劇的な変化が自分に起きていないので戸惑っているのだと思うが、まあゆっくりやっていこうや。
次に、変わるんじゃなくて、変えるべきなのが「態度」だよ。
元増田がもうすぐ30とのことで、例えば今度の春の新卒新入社員とは6歳差とかだったりするわけだ。6歳差つったら新卒が小1の時に自分は中1だぜ。小学生から見た中学生なんて超大先輩だし、自分が新卒のときの30手前の先輩とかすげー「主力」感だったりしたでしょう。
まあこれはアラサーアラフォーのオッサンオバハンがやらかしがちなことではあるんだけど、年長側からするとけっこう年下の相手でもなんか全然気楽に接しがちというか、役職とかの違いはあれども別に気にしないみたいな感じになってしまうのだが、下から見たら全然そうじゃないんだよね。
元増田は今度の新卒の子から既に相当「後輩として、先輩に配慮した態度」を取られる立場なわけで、じゃあこっちも「先輩であること」を前提にした態度に変えなけばならない。
この立場の差をテストするのには、後輩の子に明らかにつまんないダジャレ・ギャグを言ってみるとよい。相手が明らかに愛想笑いしてくれてたり、ツッコむにしても優しいツッコみだったら、自分は相当に配慮されているということである。
自分が若い時に目上の人からどういう風に接してほしかったか、どう接してくれたら嬉しかったか、逆にどうされたらウザかったかを思い出してみよう。あなたの取るべき態度の答えがそこにある。
私もパートナーも30歳なので、一人ぐらいまわりに子持ちがいてもいい年齢だと思う。 交友関係のある人の年齢は25〜50歳までさまざまだけど、リアルの付き合いもネットの付き合いも含め、本当に一人も子持ちがいない。(ネットの場合は子持ちなことを隠してるだけかもしれないけど)
子持ちの友達を作ればいいのかもしれないけど、「いたらいいのにな」の気持ちのために新しい交友関係を築くのは億劫すぎる。そもそもそれに割けるリソースはない。
子供は2歳なので、イヤイヤ期の真っ只中にいる。
仕事の前後に保育園の送り迎えをするのはかなり疲れる。食事や風呂、保湿、歯磨きをしたり、遊び相手になるのも疲れる。だるいな、ゴロゴロしたいなと思いながら相手している。まだ夜泣きがあるから夜ぐっすり眠れなくてイライラもする。外出も全部子供中心になって見たいものも見れないままドッと疲れる。
そしてこれらは全部ギャン泣きと共に行われるので、とにかく社会に謝り続けている。心身共に消耗していて、毎日毎日息切れしながら走っている感覚がある。
もちろん二人目を作る意思なんかあるわけない。一人っ子?と聞かれたりするけど、今までのことをもう一度いちからやるなんて到底無理だと思う。
私もパートナーもフルタイム正社員なので、家事育児も半々ぐらいでまかなっている。どちらか一方に皺寄せがいっているということはないと思う。産後クライシスも二人で乗り越えて、家の空気も悪くないと思う。子供は一人だし、二人以上子供がいる家庭に比べたらかなり余力があるのかもしれない。
それでも、私もパートナーも疲れていると思う。土日に交代で休む時間を作ったりしてはみるものの、焼石に水という感じがする。つかのまの休憩で一体なにが癒されるのか?と。どうせ帰れば育児仕事家事が待っている。
子供を産む前の、稼いで、ときどき遊んで、ゆっくり休めるオンオフの効いた自由な生活に戻りたいと思ってしまう。
そりゃこんな日常生活が破壊されること、誰もやらないよな。自分の周りは誰も産んでないのもその通りだわ、みんな分かって産まなかったのかな。かしこいな。自分はどうしてこんなことしてるんだろって思う瞬間がどうしてもある。子なしでもよかったんじゃないかと。そのほうが適度なエンジンのかけ具合で余裕がある人生で快適だったんじゃないかと。
周りから見たら特に不自由なく幸せに見えるのかもしれない。でも、だからこそ誰にも言えない。もちろん子供のためにも言えない。あなたを産んだせいで自由を失って不幸になったとはとても言えない。そもそもそこまでは思ってないと思う。子供が可愛くて仕方ないときももちろんある。でも子なしでよかったんじゃないか、子供がいなかったらこんなに疲れ果ててなかったんじゃないか、まわりのDINKSや独身の生活ぶりと比べて違いに愕然として、ボロ雑巾みたいになってる自分を嫌悪したりしなかったんじゃないかと思ってしまう時がある。
誰かに励まされたい。
こんなふうになると予測できず子供を作った自分が悪いんだから責任を取らないといけないんだ、と思いながら今日も粛々と学費と生活費を稼いでいる。育児に馴染めないことに対して、想定が甘かった自分がバカだと思えて仕方ない。
そもそも選挙という形式さえ実施されれば民主主義が実現するという発想自体がおかしいのではあるが、
その「選挙で選ばれたから何やってもいいい」の体現者たるトランプを見てると、
しみじみとりあえず選挙しろしろと外野で囀るだけではろくなことにならないよなと思う
そもそも選挙をまともに機能させるために公職選挙法などのルールがちゃんと守られないといけないし、
すると選挙監視の人手も必要、カネの出入り、飲食供与等々のチェックを誰かがやらねばならない
(自民党の党首選ではそこまでやって結果を公表してるのだろうか? それでなければ「自民党は党内選挙をやっているから民主的な組織」とはとても言えない)
さらに加えて、現代ではSNS経由の世論工作などから、海外からの工作まで気にしなければならない
そんなこと、共産党なんていう貧乏政党の中で公職選挙並みのチェックができるとは思えないし、
おそらく共産党が一番懸念してるだろう、外部からのカネで釣る票操作を排除することもできないだろう
別に選挙という部分のみが民主主義の制度の全てではなく、選挙で選出する部分はそもそも公職選挙の部分が厳密に管理されることをもって請け負えばよく、
ありとあらゆる団体の組織運営が投票という手段でなければならないとも思わないので、それぞれの団体がそれぞれの方法で運営すればいいのになというのが
あそこまでアメリカ政府が機能するための仕組みを物理込みで破壊しまくったトランプが未だ健在なのを見てると、
何でもかんでも選挙すりゃいいという思考停止のブクマコメントが山盛りで積みあがる現状は民主主義の危機なのではないかと改めて思う
それはそれとして
共産党は赤旗に怪しげな論者の論説、コラム、インタビューを掲載しがちなことは、朝日や読売、ネット記事や個人のSNS発信、匿名投稿に負けず劣らずだと思うので
まずそっちの改革しろよというネット世論が沸き上がったら、そこには諸手をあげて歓迎したい、みんなもっと赤旗読んで批判しよう
せっかく課金したのにユーザが増えまくっているのか滅茶苦茶重くなっていて最悪。
だから流出したモデルを使ってローカルでNAIの環境を構築する。
ネットには情報もだいぶ転がってるけど陳腐化した情報があまりに多いため増田にまとめることにした。
もしかしたらこの記事もすでに陳腐化しているかもしれないが…単純に間違ってたらトラバで教えてほしい。
もちろん自己責任。この記事を見て導入した結果何かあっても増田は何も保証しない。
英語がわかる人はこっちを見た方が早いと思う。今は導入RTAができるくらい導入は楽になっている。
https://rentry.org/nai-speedrun
VRAMが2GB以上あるNVIDIA製のグラフィックボードがあればローカル環境を構築できる。
GPUの世代はGTX700シリーズ以降。なので一昔前のミドル級ボードでも動作するらしい。
IntelのオンボードGPUでも実行する方法があるらしい(stable_diffusion.openvino)が今回は割愛する。自分で探してね。
その他の推奨環境は以下の通り。
対応OS:Windows7以上(と言うがM1Macでも動作する方法があるとかなんとか)
メインメモリ:16GB以上(VRAMもたくさん必要だが起動時にメインメモリも大量に食う。WebUI起動時にタスクマネージャを見ているとよくわかる)
スマホしか持ってないような人やこういうのがよくわからない人はNovelAIを使った方が良いと思う。
今は重いけど、きっとそのうちみんな飽きてサーバも軽くなるかもしれないし。
(追記)NovelAIがリソースを確保してサーバが軽くなったからリスクを背負ってまで導入しなくても良いかも
(追記)Pythonは当然3系。最新の奴を入れれば問題無い。
導入方法はいちいち書かないけど、「python --version」や「git -v」で
正常にバージョン情報が出る(パスがきちんと通っている)ことはちゃんと確認しよう。
Stable Diffusion web UIはStable Diffusionやそれをベースとした画像生成AIを利用するためのフロントエンド。
その中でも特に開発が活発でデファクトスタンダードとなっているのがAUTOMATIC1111版だ。
導入したい適当なディレクトリに対してPowerShellなどで
「git clone https://github.com/AUTOMATIC1111/stable-diffusion-webui.git」
なお、AUTOMATIC1111版は数時間単位でコミットが行われるから
定期的に「git pull origin master」で更新しよう。
クライアントはqBitTorrentが一番楽だと思う。
ここにはさすがにmagnetリンクは書かないから各自ググって欲しい。
結構誤解されがちなことだが流出データ50GBを全部ダウンロードする必要は無い。
必要なファイルはanimefull-final-prunedディレクトリの中身とanimevae.ptだから5GBちょっとくらいなんじゃないかな。
もし余裕があるならmoduleディレクトリの中身もダウンロードすればいいけど、ぶっちゃけ必要無いんじゃないか?
まずはanimefull-final-prunedの中身のファイルをリネーム。
「model.ckpt」を「animefinal-full-pruned.ckpt」のようなわかりやすい名前にして、
「animevae.pt」を例えば「animefinal-full-pruned.vae.pt」のような拡張子以外は同じファイル名にする。
WebUI起動フォルダ配下の\models\Stable-diffusionにリネームしたファイルを移動させれば配置はOK。
ちなみにmoduleディレクトリの中身は\models\hypernetworksに移動させて使う。
それらのファイルを設定で適用させると画風が結構変わるがNovelAI再現とは関係無いみたいだ。
(追記)moduleディレクトリの中身の.ptファイルはhypernetworksという技術によって画風などを学習したものらしい。
すでに複数のイラストレーターの画風を学習したptファイルが作成されており議論を呼んでいる。
自分のグラボのVRAMが4GB未満の場合は「set COMMANDLINE_ARGS=」の後に
4GB未満の場合は「--medvram」、2GB未満の場合は「--lowvram」とパラメータを追加しておこう。
自分の持ってるグラボのVRAMがわからないときはGPU-Zなどで調べよう。
またGTX1600系固有のバグ(単色の画像が出力される)があるらしいので
その場合は「--no-half-vae」もしくは「--no-half」や「--precision full」とパラメータを追加。
ちなみにパラメータに「--xformers」を追加してxformersを導入・使用すると
消費VRAMが減って画像生成処理時間も短縮されるので是非導入しよう。
画像からdanbooruのタグをAIで調査するdeepdanbooruを利用する場合は「--deepdanbooru」を追加。
のようになる。
ターミナルやPowerShellなどでwebui-user.batを起動しwebUIの初期導入と起動を行う。
過去には手動でCUDA等を導入する必要があったが、現在はこの初期導入でだいたいの導入が行われる。
ずいぶん楽にはなったがその分初期導入の時間は結構長い。10分~20分くらいかかるかもしれない。
途中で導入処理がエラーで止まってしまった場合は管理者権限で実行するなどして対応して欲しい。
起動ができたらSettingで以下の設定を変更してNovelAIに近づける。
Stop At last layers of CLIP modelを2に、
Eta noise seed deltaを31337にする。
これで設定は完了!
設定を合わせて完全にNovelAIと同じ内容になったのかを確認するテストがある。
出力結果から海外じゃHallo Asuka Testなんて呼ばれている。
これは初期SEEDをはじめとする設定内容が完全に一致していれば同じ出力結果を得られる仕組みを利用している。
プロンプトの内容:masterpiece, best quality, masterpiece, asuka langley sitting cross legged on a chair
ネガティブプロンプトの内容:lowres, bad anatomy, bad hands, text, error, missing fingers, extra digit, fewer digits, cropped, worst quality, low quality, normal quality, jpeg artifacts,signature, watermark, username, blurry, artist name
https://i.imgur.com/Bfl5qJB.jpg
なお、このテストはAUTOMATIC1111のバージョンやxformersの適用状態によっては微妙に違う画像が出力されることがあるらしい。
xformersを適用させている増田の環境だと確かに二つ並べると間違い探しレベルの違いがあった。
「Booru tag autocompletion for A1111」を導入すればNovelAIのように自動でdanbooruのタグを保管してくれる。
画像生成AIモデルはStable DiffusionがOSSのため派生が結構多い。
自前で追加学習もできるため自前で学習した追加AIモデルを4chanのような掲示板などで共有する人もいるらしい。
しかしそのようなモデルの中にウィルスのような悪意のある動作を行うものもあるらしい。
FBIがペドフィリアを一網打尽にするためにIPアドレスなどの個人情報を抜き出す動作を行うロリ特化AIモデルを掲示板で配布していて
しかもそれには本物の児童ポルノが教師データとして使われている…などという都市伝説的な話が今界隈を賑わせている。
母一人子一人の環境で、強烈な個性を持つ母親の肉子ちゃんにやや振り回されるように生活している喜久子の成長を描いたアニメ。喜久子は母子家庭ということもあり、母がダメ男に引っかかりがちなこともあって、子供なりに自分がしっかりしなくてはいけないと思っているふしがある。
喜久子が、二宮という男の子のチック的な症状を見たことをきっかけに、彼と親しくなる。後に明かされるが、実は喜久子にもちょっとそれっぽいところがある。二人の関係は恋というよりも親友や同志を見つけた感じに近い気がする。普通とはちょっと外れたところにいる仲間を見つけたような。だから二宮に対しては気を許して、母親にもしないような友人とのトラブルについての話ができるし、感情をあらわにしてぼろぼろ泣いたりもできる。
このアニメ全体が喜久子の主観を通したイメージを描いているようなところがあって(同じ町に住む同級生のまりあの家が異様に豪華だったり)、その中で喜久子自身は一貫してリアルなタッチで描写されているのだけれど(逆に母親の肉子は徹頭徹尾マンガ的な存在として描かれる)、喜久子が二宮と会話して、二宮のマネをして変な顔をするときだけは、顔がぐにゃっと歪んでマンガっぽくなる。二宮の前だけは母親の前ですらあまり崩そうとしない大人びた顔を取り払って、子供っぽい表情ができる、ということかも。
肉子ちゃんに対しては自分が面倒を見なくてはいけない相手だと感じていて、母親として頼ったり甘えたりできる存在だとは感じていない。大人を頼れる存在と見なしていないから、自立しなくてはいけないと思いこんでいるところがある。彼女が切実なほどに寄る辺のなさを抱えて日々を送っていることに周囲の大人たちは気づいておらず、その認識のギャップが終盤の展開を導く構成になっている。そういう意味ではあのラストは、大人が自らの役割を説明して大人と子供の関係を再契約する話だったのかもしれない。デウス・エクス・アッペ。
キャラクターの関係性で言うと、肉子と喜久子の関係性は千束とたきなの関係性と近いかもしれない。「私は君と会えてうれしいうれしい」みたいな。
喜久子のキャラクターデザインがカチュア・ピアスンぽくてものすごくかわいい。フィギュア化されたりすることはまずないだろうけど、フィギュアが欲しい。
アニメの仕掛けとして、トカゲやセミの声がCocomiでないのは見るものに対してちょっと誠実でない感じもした。本職の声優でない人にそこまで演技はさせられなかったのかもしれないけれども。