はてなキーワード: 大パニックとは
先月思いもよらず多くの方々にお読みいただいたカマキリの話だが、今朝虫かごを覗いてみると地面に横たわって死んでいた。我が家に来てからちょうど1ヶ月半のことになる。
家に来てからのほとんどの期間をハリガネムシの寄生に気を揉んで心配し続けてきたカマキリだったが、おそらく死因は消化不良によって内臓が弱ってしまったことが原因だろうと思う。人間の食べる餌だけではやはり限界があったのだろう。
キッチンペーパーを敷いた虫かごの床に、カマを頭の横に添えて人がすやすやと横寝するような姿勢で倒れていて、見ようによってはかわいらしい仕草の亡骸だった。
先週末に外出先から戻ってみると、とても水分量の多い糞をしていてだいぶ気がかりではあった。天井にぶら下がっていられないのか虫かごの低い位置の壁につかまるようになったり、夜に照明がつくと目に見えて取り乱すようになったり、不調の兆しは確かにあったと思う。
特に昨晩は寝る前にずいぶんと長いこと腹を曲げていて、それを見た娘が心配していた。その仕草は糞をする時のカマキリの一般的な姿勢で、逆さまにぶら下がっている時に自分の糞で体を汚さないための工夫であるらしい旨を調べていた私はそれほど強い心配をしなかったのだが、思えばあれが最期の苦しみであったのかもしれない。
一説によるとハリガネムシはカマキリの羽化から30〜45日ほどで脱出を図ることが多いという。だから私は密かに飼育45日目を節目だと勝手に思っていた。我が家に来る直前にハリガネムシの幼虫が入った餌を食べてしまったとしても、45日を過ぎればもう寄生の心配はしなくていいだろう、あとは寒さや寿命に備えて引き続き長生きを祈ろうと思っていた。冬まで生きれば隙間風の多い極寒の我が家で生き残らせる手段として、私の部屋のこたつの上で生活するこたつカマキリが爆誕するだろうなと思っていた。
我が家に来て少ししてから急に翅が黒ずんできてしまって心配していたのだが、近くで見てみると黒いだけでなく透明にもなっていて、かなり早くから傷んでいたのだろうと思う。前回の増田では前翅と後翅が入れ替わってしまったのではないかと書いたが、つるつるした緑色の部分(前翅?)とざらざらした透明な部分(後翅?)は、着物の合わせのようにはっきりと境目が見えるのにぴったりくっついてうまく分離できなかった。生きていた時は翅を広げたりすればきちんと分かれていたのかもしれない。
本当は、飼育45日を過ぎて元気でいるようなら、近況をまた増田に書こうと思って半月くらい前からずっと下書きを保存していた。そのほとんどが没になってしまった。
10月に入ってから魚肉ソーセージを食べなくなったので普通の肉を週二でやっていた事とか、ちゃんと餌を顔に近づけると自分で持って食べるようになり横着カマキリの汚名を返上していた事とか、一度サーモンの刺身をやってみたら大パニックを起こして煮干し以来の脱走の危機を迎えていた事とか、我が家のベランダにハラビロのメスカマキリまでやってきて天の采配かと大興奮したがすぐにどこかへ行ってしまった事とかをもっと長々と書いていた。こういう形での続報になってしまってとても残念だ。
カマキリの死を知った娘は思いのほかに長くさめざめと泣いて、私はカマキリの死自体よりは、そんな娘がかわいそうで悲しいという気持ちの方が幾分強かった。それでも、この増田を書きながらカマキリの亡骸について記述している際には少々涙が出た。かわいかったなと意識をすると悲しい。
昆虫が平気な親であれば、インターネットでハリガネムシの心配がないなにがしかの幼虫や餌用の活コオロギなどを買い、別に飼育しておいて、もっと長生きさせる手立てはあったかもしれない。残念ながらそこまでする根性がなかった。そういう意味での悔いはあるが、昆虫が怖くて触れない親なりにできることは全てしたと思っている。
前回の増田で我が家のカマキリをかわいいと思ってくださった方々、本当にどうもありがとう。
力も経験も全く足りず、あまり長生きをさせることはできなかった。それでもたくさん甘やかして暮らした。カマキリはどうかわからないが人間は幸せだったと思う。
すぐ埋めるのは嫌だと娘が言うので、少しだけ家に置いておいて、いずれベランダの鉢植えの花を添えて近くの公園の土に埋めに行くつもりだ。
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死んだ当日はとてもよく晴れて、次の明け方はおそろしく強い風が吹いた。風の音で目を覚まし、一緒に埋めようと思っていた鉢植えの花が吹き飛ばされるのが心配でベランダに出て鉢植えの位置を変えた。
朝再び起きるとカマキリの亡骸はだいぶ茶色く変色してしまっていて、これはもう埋めた方がいいだろうと思われ、娘も嫌々ながら承諾した。カマの部分だけはあまり腐るような中身がないのか、変色が少なく割合きれいな緑色を保っているのが印象的だった。
ほんの少しの間使っていた止まり木についていた木の実と、鉢植えの花をひとつ添えて公園の植え込みの根元に埋めた。
これが最後だからと娘に促すと、怖がって一度もカマキリに触れたことのなかった娘がこわごわと亡骸に触れ、指でつまんで墓穴に入れようとした。
恐る恐るだったので一度手を滑らせてしまって、キッチンペーパーに乗せたカマキリの亡骸がコロリと裏返しに転がり、まるでこちらを向いて最後のお別れでもするかのような姿勢になって、思わずグッと涙を堪えた。それでも娘は亡骸をきちんと墓穴におさめることができた。二人で半べそをかきながら土をかけて葬った。
死んだ日はよく晴れ、明け方に早く葬ってほしいと言わんばかりの強い風が吹き、埋葬した後には前日に輪をかけてよい快晴に恵まれたので、その話をして「ちゃんとお葬式をしてもらえてよかったと思っているのかもね」と娘に言ったら「天気の子だぁ」と喜んでいた。
今は「早く生まれ変わってまた来てほしい」と言っている。
私は「可愛さを認められて次はネコにでも生まれ変わり、どこかの優しい飼主に一生大事に可愛がられて過ごすといい」と思っている。
多少ネタバレありです。
アポカリプス映画って、壊れる前の日常シーンが一番面白いと思う。
「ああ、この光景がもうすぐ破壊されて大パニックになるんだなあ」というワクワク感。
サメ映画なんかで、サメが出てくる前のシーンが一番緊迫感があるのと同じ。
平和なショッピングモールがお買い物家族でごった返していて、主人公が「ハァイ」とか言いながら風船持ってるちっちゃい娘を抱え上げたりして、後の阿鼻叫喚に向けて期待値を爆上げしていく。
次に面白いシーンは、ついにゾンビが現れて日常が崩壊していく場面。
演出が上手い映画だと、このシーンがクライマックスとも言える。
ディープインパクトで言えば、彗星の軌道を計算してた学者がピザを落とすあたり。
Falloutで言えば核が炸裂して娘だけそれに気づいている所。(ふつーに考えれば、核爆発は最初に物凄い閃光と熱線が周囲を破壊し、爆風はその後なので他の人が核の炸裂に気づかんわけがないんだけど)
ハイスクール・オブ・ザ・デッドで言えば、校内放送があった辺りから。
直前までの平和なシーンとの落差、そして社会秩序が失われていくシミュレーションとしての面白さ。
ゾンビランドは名作だけど、この日常崩壊シーンが無いのがちょいと残念。
日本沈没とか、社会がなすすべもなく崩れていくのはやっぱカタルシスだ。
一番どうでも良いシーンが、崩壊後。
ゾンビがふつーに徘徊してて、主人公たちは小規模なコミュニティで何とか生き延びている状況。
サメ映画で言えば、もう普通にサメとガンガン戦ってるシーン。これ以上壊れる日常がないのでゾンビものでも単なる北斗の拳である。
という事で、Falloutは自分的にはタイトルが出てきた7分0秒くらいまでが本編。タイトルの後に「219年後」とか表示されてなんか地球防衛隊みたいな服のネーチャンが出てきた辺りで視聴意欲が激減したのでひとまず視聴終了。
面白かった。
俺の答はこれ以外にありえない。
もし本当にある日異性が消えたら、私はまず「自分が眠っている可能性を考える」だろう。
ひとまずインターネットを立ち上げてみて、文字が読めればそこは現実だ。
そしてインターネットに並ぶ無数の異性消失情報を目にし、次に考えるのは「ドッキリの標的にされた可能性」だ。
ひとまずは悩んでますよというポーズをしながら目を瞑って作戦会議だ。
あとあと馬鹿にされないような形に気をつけて道化を演じつつ、ドッキリのコストに負荷をかけようとして、いつも行かないような駅にでも行こうと家を出る、直前で足を止める。
もしも本当に全ての異性が消失していたら、世界人口の半分が消えるという大パニックだ。
というか、インフラ施設の当直員や夜行バスの運転手が消えたとしたらどうなるのかを考え、引きこもることを決めるだろう。
もしかしたら我が家の周りも既にクリスタルナハトが始まっているかも知れない。
窓やドアの施錠を確認し、板をうちつけるまではいかずとも目張りぐらいはしておく。
家中の武器になりそうなものを足元に集めた状態でインターネットに再び潜る。
24時間ちょうど異性が消滅していたことが世界中で話題になるだろう。
偶然か、神の奇跡か、裁きの時か、きっと大きな混乱が巻き起こるはずだ。
その中にいるはずなのだ。
「世界が仮想現実であり、if sex=0 deleat time=1dのようなコードが入力されたに違いない」という仮説を元に検証を始める集団が。
私はそこに合流する。
何故なら神の存在を信じるよりも、その可能性を追求したほうが現実的に感じられるからだ。
確証バイアスによって集団幻覚で終わらせる者達、パニックのままに暴れ続ける暴徒、ここぞとばかりに勧誘を始める宗教家、様々な連中が出てくるだろうが無視する。
世界が仮想空間であり、リバースエンジニアリングによって我々人類にも神に等しいチートを手にする機会があるかも知れない。そのチャンスに私は合流するからだ。
答は出るのだろうか?
あらかじめ断っておくと、すべての障害者が死ぬべきという考えではない。ただひたすらに無能の役立たずである「自分」を死なせて欲しいって話。
なら迷惑かけずに一人で勝手に死ねって言われそうだが、何度もやって失敗してるからなるべく確実に死ぬ方法を求めている。教えてくれたら実行するけど頭悪いから失敗する可能性が高い。これまで失敗してきたから死ねてないわけだし。
世の中の役に立たない。毎朝生きてまた目が覚めたことに絶望する。
何せ長期的な人間関係の構築やコミュニケーションが出来無い。仕事をしたいと思ってもできる仕事がない。背後に人間が立つだけで恐怖するし、少しでも否定されれば大パニックになる。場の空気を悪くすること以外に出来ることがない。
これで何かしら尖った能力があればと思うがASDとADHDの悪いところハイブリッド系ゴミカス。興味の範囲極狭+秒速で飽きる。技能もなければ頭も悪い。運動しても体力も筋力もつかない。働きたいって言ってもカウンセラーにやめろと止められる始末。生きてる意味がない。
薬もカウンセラーもほとんど合わなかった。薬は逆に具合悪くなるし、社会に適応するのはほぼ無理なんだろう。不治の病だ。
だいたい、障害者の雇用を〜とかいって健常者様なら一人で完結させられる仕事を細切れにして回した上で健常者様のチェックを入れたり監督付けたりしてるの、普通に無駄でしか無いだろ。居ても居なくても変わらないどころか、存在しない方がありがたいレベルのお荷物なわけ。
だったら働くことを諦めて慎ましく暮らせって話になるだろうが、金のない不安に押しつぶされそう。これからどんどん減っていく税金で無能を生きさせる価値ないだろ。それでなくても障害年金とか必死で生きててギリギリの人間からしたら消えて欲しい存在でしか無い。しんどい自分たちから税金吸い上げて生まれついての無能のためにどーぞって、うっかり人間の形に生まれついた無能だから法律上殺せないだけで内心死んでくれよって思われてる。流石にそれがわからないほどアホではない。
ネットで弱い立場の人間をぶっ叩いてようやく溜飲が下がる程度に苦しんでる人間がいるんだから。そういう人たちが楽に生きられるようになって初めて社会全体で無能を飼えるんだろう。
こういう主張をすると優生思想云々って怒られるが、死ねばいいって対象は自分だけだ。あと、生きたくても生きられない人が〜みたいなのが湧いてくるけど、代われるならすぐ代わるから方法を見つけてくれ。健康な部分の方が少ないが、発達してない脳以外は一応それなりに動くには動くから。
どうでもいいけど死にたがりがよく言う臓器提供、あれはきっと社会参加して誰かに感謝されたいっていう叫びなんだろうなぁ。支援員とかやってる人も感謝されたい病っぽい人間多いし、欲求の中に「感謝されたい」があるのは辛いよな。
つらつらくだらないことを書いてきたが、とにかく死ぬ才能も生きる才能もないのでもう殺してくれっていうのが自分の主張。
安楽死とか夢があるけどなー判断したり処方する医者とか可哀想だからなー。オランダなら発達で苦しんでても死ねるのになー。帰化するにも言語含めてハードルが高すぎる。発達障害者の自殺率が有意に高いのは、存在している限り脳は変えられないし、幸福のハードルをどこまで下げても苦痛は消えない、一生救われないからなんだろうな。死んだほうが幸せってことも絶対あるのに。
そこで考えたのが「とにかく大量に他人殺傷して死刑になりたい犯罪者予備軍」と「とにかく死にたくてたまらない人間」のマッチングアプリ。需要と供給が一致するんだからこれ以上なくないか? 名前はデスマッチとか。なんの罪もない人が拡大自殺のために殺されるよりずっといい。
飛行機事故ペット問題で「人命よりペットを優先する奴はアホ、基地外」みたいな声が相当大きくなってて、実際それは正しくはあるんだけども、いざ自分が当事者になった時の事を考えるとあまり声高に叫ばない方がいいんじゃないと自分は思ってる。
1/2の飛行機事故では旅客機側の人員は全員生存、貨物室および客室に残された貨物および動物は全滅、という結果にたまたまなった訳だけども「脱出時には何も持たないでください」というアナウンスにもかかわらず、リュックを持って出た人/小さめのポシェットやハンドバッグを持って出た人/動転したのか何なのか書籍とペットボトルを持って出てしまった人など様々な人がいたようだ。
元CAの漫画家さんによればそれらの持ち出しは全てアウトで、ポシェットやウエストポーチやカバンはもちろんズボンの尻ポケットなどに入れるのもNG、腹部に巻く/隠すのもNG、持って出られるのは背中や尻など脱出用の滑り台と摩擦の起きない部分のポケットにしまわれた小物だけ(これも多く入れていると出すように言われる)だそうだ。
しかしいくら命には替えられないとはいえ、身分証や保険証を入れた財布、スマホ、家の鍵などは最低限持ち出したいという人が大半だろう。自分のせいでスロープが破損するリスクが生じるとして、じゃあそれを燃え盛る飛行機に全て置いて逃げるのが正しい、『他の人も同じようにしてくれるかどうかわからない、』わかっていてそれをできる人がどれほどいるだろう。
強いこだわりの特性を持つ人が機内にいて、無理に手放させたら大パニックを起こしてしまう物を持っていたとしたら。重い持病を抱えていて、毎日の服用が必須な常備薬をカバンに入れている人がいたとしたら。替えも取り返しもつかない貴重な何かを持っている人がいたとしたら。想像をすればキリがない。
1/1の能登半島地震では道路がそこかしこで寸断されて交通網が壊滅状態となり、被災者の支援には自治体や自衛隊、国から依頼を受けて支援物資を運びにきた企業、救急や消防などの支援および救護の妨げになるので、不要不急の移動は控えるべきと言われている。実際にこれもその通りで大渋滞が起きているという。ボランティア精神を履き違えた頭お花畑どもは死ぬべきだと血気盛んなネット世論は大騒ぎしている。
しかし現実には能登に住む家族や親族のために物資を満載して車を走らせた個人が数多くいただろう。「あなたの車が能登に住む他の皆さんに支援物資を行き渡らなくさせ、助かる命を助からなくさせているのですよ」と誰かに言われたらその通りなのだろう。それでも彼らは承知で大事な人のもとへ向かったはずだ。生きている自分の家族を1秒でも早く飢えや寒さや不自由から救いたくて、その他の被災者の生命を削る選択をしたはずだ。
本当に人命が大事なら、能登にいる被災家族のことは自治体にまかせ、数日の不自由は耐えてもらうのが能登の被災者全体にとって正しいはずだ。じゃあ今苦しんでいる家族を前に何もせず家で耐えているのが正しい、『他の人も同じようにしてくれるかどうかわからない、』わかっていてそれをできる人がどれほどいるだろう。
震災や事故に限らなくてもそういうことが世の中にたくさんある。
人命が大事と言われていても、他人の人命より自分の何かをこっそりと優先してしまうずるさや愚かさがおそらく全ての人間にある。無論私にもある。私は物をどこにしまったかすぐに忘れてしまうので、遠出の時はウエストポーチを身につけている。中に保険証もマイナンバーカードも家の鍵も財布もスマホも全部入っていて、そのポーチを全部捨てろと言われたら自分が誰かも証明できなくなる。だから「最低限財布とスマホと鍵を持って脱出するにはどうしたらいいか」を必死でググっていた。夏場そうなったらどうしたらいいか途方に暮れていた。
そういう自分の愚かさを前に「命が一番大事に決まっているだろう」と他人を指差して非難する勇気は持てない。いつか自分もそうやって他人に指を差される日が来ると思うから。
ペットの命も助けて欲しかったという人、最低限の荷物だけは持って出るのを許して欲しいという人、老親を助けない訳にいかなかったという人、その全員に自分と同じエゴを見て「明日は我が身だ」と思っている。
これはですね。
企業の通常取引で慣習となってる部分でインボイス請求書を必ず発行しなきゃいけない、「銀行振込すると、紙とハンコと切手代が増える」ことになり、これは大ブーイングになりそう、やべえ対応しなきゃ、と慌てて今までの慣行でも大丈夫なように免除措置を追加しましたという話。
では、と免除措置でパニック回避しようとしたけど、今年に入って後から付け加えた措置なので、一昨年段階や昨年段階で早めにインボイス対応しなきゃと勉強してたところほど、気づいてなかったりするんだと思う。
それで昨年段階の知識に基づいて、取引先に通知を出してるのが今。
その通知見て「大変だ!うちも対応しなきゃ!」ってところが出てくるだろうな、と。
パニック回避の免除措置が機能しない、どれが正しいかわからない会社が続出。
国税庁は税理士だけ知ってればいいだろ、って態度で大々的に告知しないから、今ってインボイスの正しい運用方法がわからないままの人が大多数で、それで各企業がインボイス対応の通知を出しまくってるから、わけわからなくなってるんだよね…
>https://www.nta.go.jp/publication/pamph/shohi/kaisei/202304/03.htm
振込手数料の負担についての説明だけど、これパニクるんじゃないかな。
BtoBの顧客サービスで慣行的に販売側が振込手数料を負担するとこ多いと思うんだけど、それやると手数料分のインボイス請求書を別途作らないといけなくなるので、そうならないように小細工を追加しました、という話だと思うんだけど、経理処理の問題まで巻き込んでて、あ、これ誰も守らないやつだってなった。
しかも去年の段階では上記の免除措置がないので、振込手数料のインボイスは必ず作れって説明がまだ残ってる去年の日付のインボイス説明もネット上には残ってる。
インボイス、朝令暮改のたびにネットの説明が二転三転して、そのままネット検索に引っ掛かるので、正しい経理処理を行き届かせるのしばらく無理だろう。
というか既に去年の段階での説明に従った通知が来てるし…
@MORI_Natsuko
現れた息子が美女化してなくて、パス度0の見た目女装おっさんだったら両親そろって大パニックでしょうに、なんなんだよ、スタバ。結局「トランスはパス度が重要」という残酷なメッセージになっちゃってるよね。それ、人権侵害ではなかったのですか、LGBT活動家様?
松岡宗嗣
@ssimtok
5時間
インドのスタバCM、"息子"のArpitに電話をかける父、お店に入ってきた子どもの姿を見て戸惑いつつ、おもむろに父はドリンクを注文しにいく。そして店員が呼んだ名前とカップには「Arpita」と。父は「自分の子どもであることは変わらない。ただ名前に一文字追加されただけ」。
https://twitter.com/MORI_Natsuko/status/1662713176369274880?s=20
@MORI_Natsuko
自分はテレビやCMでパス度OKの美しいトランス女性を楽しみつつ、女にはチンコありの「自称トランス女性」のおっさんを女湯や女子トイレに受け入れるように迫る。そんなあなたたちオラつき活動界隈ゲイが社会で「女の敵」認定されつつある現実に、さっさと気づいたほうがよろしいかと思いますよ。
GO🌈
@vamos1964
1時間
返信先: @MORI_Natsukoさん
CMに登場するトラスト女性は美しく、パス度が高いように見えますが、このCMの趣旨はパス度の高さを重要視するものではないでしょう。それは、あなたの偏見ではないですか?
🇺🇸 🇯🇵Blah
@yousayblah
ちなみに現実はこれだから。画像は先月インドのブライダル雑誌のモデルを務めたLGBTQ活動家のトランスAlok Vaid-Menon。
https://twitter.com/yousayblah/status/1662722421927944193?s=20
🇺🇸 🇯🇵Blah
@yousayblah
1時間
この手の界隈ってこうした幻覚・幻聴を事実としてマントラのように唱えているせいで、社会こそが悪だとしてとんでもない暴力行為に走りがちなんだよね。
https://twitter.com/yousayblah/status/1662725512559579143?s=20
わい
@gyagyagyarusoon
U-NEXTで見た
94分という短さで、あらすじも「飛び降り自殺したクラスメイトの死後、当然のように数学の授業を続ける教師に腹を立てた高校生が鉄砲屋でライフルを盗み、授業中の教室に戻る」というシンプルさだったので見た
サムネイルの俳優も女優も誰か知らんなと思ったら、女優は浅野温子でデビュー作だったと後で知った
福岡市近郊が地元なので、1978年の福岡市ってこんな感じなのかと思った
舞台の高校は福岡高校が元ネタっぽい「中州高校」で、同じく進学校の修猷館高校が元ネタっぽい「しゅうがくかん高校」も名前だけ登場していた
受験への思い、教師からの暴言、自分のしでかしてしまったことを抱え、文字通り追い詰められていくガリガリの浅黒い青年が汗だらけになりながら、その細い腕に似合わぬライフルを抱えて、校内を駆けまわり、時にライフルを発射する様には自分の受験期を思い出し、心がひりついた
何というか高校生の頃、つまらない授業中に夢想する、今テロリストが高校に乗り込んできたらの実写化を見ているように思えたからだ
「この世界を誰かがぶっ壊してくれたらいいのにな」ではなく、能動的に教師を撃ち殺し、日常を書き換えていく弱っちい青年をほっとけない気持ちを抱きつつ見ていた
前もって断っておくと、この文章は自分が読んだ本をあしざまに貶すために書かれている。信じてもらえないかもしれないが、自分は普段ならフィクション、特に小説に対するネガティブ感想は書かないようにしている。新刊だとネガティブな感想が売上=作家の収入にダイレクトに響きかねないからである。他人の収入に影響を与える覚悟はない。ただ、本作はもう書店に並ぶことがないのが確定しているので、その点は心配しなくていいだろうと判断したので、放流させてもらうことにした。
樋口毅宏が書いた『中野正彦の昭和九十二年』という小説がある。この本、本来なら12月19日発売だったのだけれど、イースト・プレスが発売日前に回収を決定したことで話題になった。以下、その際の回収理由である。
https://www.eastpress.co.jp/information/detail/2034
その内容の表現手法の個性から、出版にあたりしっかりとした社内議論が必要であると考えます。しかし、今回刊行に至るプロセスにおいて社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断を得ることを行っておりませんでした。同時に刊行時においても契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧だということが発覚しましたので、社内協議の上、回収対応といたしました。
この回収理由、一読して意味がよくわからないと思う。法的見解の精査とはなんぞや? 契約書の締結とは? そういう疑問がわいたので、この記事を書いている増田は書籍回収の報が出てすぐ書店に駆け込み、回収前に購入することができた。で、いざ読んでみて、「あーそういう意味ね……」と朧気ながら理由らしきものも推測することができたのだが……。
先に言っておくと、回収騒ぎの責任は100%版元にあり、その点において樋口毅宏氏に責任はない認識である。フィクションはなんでも書いていいからフィクションなのであって、版元はフィクションの書き手である作家を守らなければならない立場だろう。誰が悪いにしろ、配本が始まってる段階で回収することに対して版元は作家に対して極めて不誠実である。というか回収の原因と思しききっかけが、Twitterでイースト・プレスの社員が騒いだことっぽいのも最悪だ。最低限コンプライアンスは整えろ。大体フィクションの記述をヘイトって騒ぐんじゃねえ。
※編集者が抗議した件は→https://togetter.com/li/2008033
……が、そもそもこの本は絶対買わなくていい。作品の記述がヘイトだからではなく、単に小説として苦痛だからである。小説読んで「小説のていをなしていない」って感想が出てしまったの10年振りくらいだぞ。それくらいきつい。
正直、自分と同じ被害を誰にも受けてほしくないので、以下にきつい理由を苦痛度・ドン引き度を添えて列挙しておく。
『中野正彦の昭和九十二年』は、安倍晋三を「お父様」と仰ぐネトウヨ青年の主人公が、昭和92年=2017年の2月~11月にかけての日々を語るという構成になっている。
いきなりネタバレになるが、本文の殆どはブログに書かれた内容を引用しているという体裁である(終盤で判明する)。なので、「実際にあったニュースに対して主人公が意見を開陳する」という構成になっているのだが、そのパートが長すぎて苦痛なのである。たとえば、連載時の本文を引用すると、以下のようなものである。
https://twitter.com/byezoushigaya/status/1275385842286997505
6月8日 「驕るな! 安倍首相」現職文科幹部が本誌に激白 「不満を持っている人は大勢いる」
【緊急特集】 政権批判で“更迭”釜山総領事私的会 話をご注進したのは誰だ? 読者調査では「前川喚問」 賛成 86% 内閣支持率2 2% (週刊文春)
青天の霹靂とはこのことか。
これまで無条件で寄せてきた信頼がすべて音を立てて崩れ落ちた。記事を読むまでもない。まさか中韓による見えざる言論弾圧がここにも......?
わかった、編集長がハニートラップに嵌められてゲス不倫をしたネタで脅されているに違いない。
一刻も早く会社ごと共謀罪で逮捕→お取り潰し。芥川賞と直木賞は安倍お父様と昵懇の見城徹に譲渡すべき。幻冬舎で二大文学賞を運営していけばいい。直木賞の選考委員長はもちろん百田尚樹大先生。選考委員長に就任と同時にこれまでの全作品を対象に直木賞を獲得。芥川賞も同時受賞されるといい。
夢が広がる。希望が出てきた。
それよりきょうの菅官房長官の定例会見で気になるところがあった。
東京新聞の望月衣塑子とかいう記者が、「前川さんだけでなく、複数の告発が出ています。もう一度真摯にお考えになって、文書の公開、第三者による調査という考えはないですか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判査という考えはないですか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」などと執拗に質問を重ねていったのだ。事務方が何度も「同じ趣旨の質問はやめて下さい」と頼んでいるにもかかわらず、「きちんとした回答をいただけていると思わないので繰り返し聞いています」と返した。
おかげで通常十分程度の会見は四〇分に及んだ。菅官房長官はおまえのようにヒマではないのだ。
もしこの間に北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうするのだ?おまえひとりのアピールタイムのせいで日本が崩壊したらどう責任を取るつもりなのか。
もっと空気を読め。他の新聞社、テレビ局の政治記者を見習え。一流大学を卒業して、難関と呼ばれる大手マスコミに入り、自分の意見は一切絡めず、官邸の発言を一語一句正確に国民に届けることを至上としているではないか。
ひとりだけジャーナリズムを発揮したつもりになって目立とう精神はやめろ。共謀罪が成立したら東京新聞は取り潰し。女だてらに記者をやる生意気な奴
これ自体はネトウヨ文章のよくできたパロディで、個人的にはそんなに違和感がない。
ただ、作中では毎日~2日置きにブログを更新している体裁になっているので、上記のような文章が約8ヶ月分、延々と続くのである。2-3ページとか4-50ページならまだいい。300ページある分のうち200ページだぞ。正直、きつい。きつすぎる。
あと、前述のとおり本文がブログの記載であることを終盤で明かしてるのは小説技法として失敗してると思う。事前に知っていた方が読者も読むときのスタンスの置き所が安定する筈。自分は少なくとも知っていた方がすんなり読めたと思う。
引用したような文章が続くのはまだいい。ただ、個人的にきついと思った理由がもう一つある。主人公の人となりがほとんど開陳されないのである。
主人公の中野正彦は、ピザ屋のバイトをして糊口をしのぐ男である。近所の既婚者女性と不倫関係にある一方で限られた金で風俗通いをする日々を送っていたが、作品の冒頭で彼は沖縄の基地運動をする男を暗殺する。ネットで知り合った「会長」に心酔し、彼から命じられたのだ。中野正彦は国を救うための次の指令を待って日々を過ごしている……。
こう書き出してみると、それなりに設定は盛られている。ただ、前半200ページのうち、その辺りの記述に費やされるのはおそらく30ページに満たない。そして、その描写があまりにも「薄い」。不倫や風俗パートは実質タダのサービスシーン以上の意味が見いだせない。
何より、一番気になる「どうして彼がそのようなネトウヨにハマったのか」という部分が殆ど説明されないのである。たとえば、どんな生い立ちで、どういう家庭環境で、どういう趣味嗜好でどういう性格の人物か、それが200ページかけてほとんど開陳されない。されたとしてもあまりにも薄っぺらい。
個人的な趣味の話になるが、この手の「嫌悪されるような人物を主人公にした小説」は、その人物に共感させてこそそのグロテスクなネトウヨ描写に効果が生まれると思うんだよ。その「共感」がない。結果、「ただきつい文章を読まされる」だけになっている。せめてそこは「きつい文章を書いているような人物に共感してしまう」くらいのことはしてほしかった。
正直、この本は200ページくらいから話が動くので読むなら終盤100ページでいいよ……と言いたいのだが、こっちはこっちできついのである。終盤の展開は以下のようなものである。
せめて設定考証をしろ!!マグニチュード11.3は荒唐無稽だがまだいい、高さ50メートルの津波も千葉神奈川沿岸全滅もまだ許す。東京湾沿岸から20キロメートル地点まで津波が来たら中野も壊滅しとるわ!!!Googleマップをみろ!!!!!
そこから先の被災生活の描写はそれなりに読ませるものがあるのだが、この時点で小説としては〇〇の判定を下した。ググれば、あるいは校閲に出せばツッコミの入る内容を残すな。
ここまでが「小説として」きびしい理由である。ただ、それ以外にも、ここからは個人的な感覚で「ちょっとどうかなー」って思った部分を書いておく。この辺は多分回収理由にも関わってくるのでそこそこ大事な話題でもある。
東京大震災が起きたことで東京は大パニックになって、大久保とかでは外国人、というか朝鮮人虐殺などの暴動が起きたりする。で、左派的な人達も暴動によって処刑されたりするのね。その際に殺される人の名前が実在の人物なんですよ。「江川紹子」「タマガワトオル」「青木理」の3人は確実、それ以外にもいたかもしれないが読み飛ばしてるかもしれん。
これ自体は別にやっちゃ駄目とか言うつもりはない。朝鮮人虐殺するような人は左派も吊す。それはそう。ただ、実在の人物名出して作中で処刑させちゃうのには結構ビビった。政治思想がどうとかそういう話じゃなく、実在の人物やぞ。それができるのがフィクションのいいところだけど、マジで殺したぞおいってなる。
上記でわかるとおり、本作の特徴は実在の人物名をガンガン出してくるところにある。安倍晋三をはじめとして、先に引用したところでも見城徹とか望月衣塑子とか出してるしね。
でも、本作の中で1人だけ仮名にされている人物がいる。田永クリニックを運営する田永克哉という人物である。高須克弥やんけ! 実在の人物名出して殺すまでやっといてそこは仮名にするのなんなんだよ!!!!!
「実在の人物を出して酷い展開を描く」が徹底されているなら好き嫌いや作品の是非は置いといてその心意気は買ってやろうという気持ちにもなれたよ。でも高須克弥で日和るのは流石になしだろ。いい加減にしろよ。
これ以上続けると血管がキレそうなのでそろそろまとめるが、つまり『中野正彦の昭和九十二年』には「①全体の2/3近くが薄っぺらく、読んでいて苦痛」「②ググればわかるレベルの設定考証ができてない」「③実名を出す態度が一貫してない」という3つの欠点があるわけである。
正直、本件を問題にしたイースト・プレスの編集者は失敗だったと思うよ。こんな小説として苦痛の作品、つまらなさから世間から黙殺されて仕方ないレベルで、話題にするような対応にさせたのが良くない。単につまらないよ。というか話題になったから買って読んだの失敗だった。金の無駄。金返せ。あと作品自体はヘイトではない。作品の中にヘイト描写がたくさんあるのはたしかだけど、「フィクションの描写としてのヘイト」と「作品の主張としてのヘイト」はわけて考えなきゃ駄目でしょ。
……で、ここまで整理したところで、あらためて回収理由の件に戻る。
「社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断」「契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧」ってあるけど、これ多分実在のニュースをめちゃくちゃ引用してること、実在の人物が作中で殺されたり、ネトウヨ男の語りであしざまに貶されたり(例えば、山口敬之の事件の被害者の方とか)することへの法的リスクを精査できてなかったんじゃないかなと思う。
1箇所2箇所とかならまだいいけど、前述のとおり「ネトウヨ男の語り」って体裁で実在人物をあしざまに書くパートが200ページくらいあるんよ。これは推測だけど、
みたいな展開があったんじゃないかな……と勝手に妄想してしまった。
なんというか、この本は回収されたことで本文にアクセスできずキャンセルカルチャー云々の話に回収されそうになっているのが結構つらいなと思うところで、プレスリリースのとおり実名人物出してフィクション書く時の炎上リスク全然精査してなかったって話だと思ったのである。信じるかしんじないかはあなたしだいですが……。
あと、それはそれとして作品は本当につまらないから変に神格化されないでほしい。この増田は「2200円が本当に無駄だった、金返せ」「メルカリで数千円単位で転売されているのが本当に勿体ない、100円でいい」という二つの気持ちから執筆されました。
ただ、本作は続編として「橋下徹が首相になった二〇三九年の日本を舞台に、弁護士の主人公小林大助が、死刑囚中野正彦の再審弁護人として奮闘する」という展開の『小林大助の昭和一一四年』という構想が存在するらしい。本作の出来からするとあまり期待はできないのだが、気になるは気になるので出たら買って読んでみようかなとは思う。この増田は「読まずに批判をするな」のモットーの元運営されています。
高校3年生の冬になっても引退せずにズルズルと続けていたアマチュア無線部の活動を終えたあと、教室に炊飯器を持ち込み、タイマーをセットした。
高校3年生のクリスマスに、石橋君は準備した。男6人の味気ない部室で。学年1位の彼はストレスに苛まれていたのだと思う。
始終を知りながら止めなかった俺も悪いと思う。数日前、学校近所のゴミ捨て場で炊飯器を拾った石橋君が、変な笑みを浮かべていたのを見過ごした。あの時思いついたんだろう。部室でせっせと修理しているのも遊びだと思った。近所でウンコ拾ってきたのもストレスでちょっと壊れてるくらいだろうと思ってた。
投稿時刻に合わせたタイマーで、煮えたぎる犬猫のウンコ。ひょっとしたら、石橋君の尿も入っていたんじゃないかと思う。
教室は学期末を目前にして変更。男子も女子も大パニック。犯人探しの噂は、特別進学クラスに嫉妬した一般クラスのやつだと決めつけられて進んだ。石橋君は何も語らず、ずっとニヤニヤしていた。
Trying To Cope With A Severely Autistic Child
https://www.youtube.com/watch?v=j4PTf7LgsIE&t=2s
「強度行動障害」在宅介助の限界 自傷行為や暴力、全国に2万5千人
https://www.youtube.com/watch?v=eqCEqjdpoz0
強度行動障害の男性と家族の日々① ~ 受け入れ先がない現実 ~
https://www.youtube.com/watch?v=4eQAcEsTqgQ
【超閲覧注意】暴れる重度知的障害の弟を止める両親その3【強度行動障害】
https://www.youtube.com/watch?v=BVo6tVc_oQs
https://news.yahoo.co.jp/byline/kubotahiroyuki/20220215-00282270
「これで納得していただけるだろうか。そもそも日銀が長期金利をコントロールしてどうして物価が上がるのかは、私も良く理解できない。」
金利が下がると、企業が資金調達しやすくなる。起業が資金調達するのは設備投資のため。設備投資は財サービスの需要要素なので、需要が高まり物価が上がる。
こいつ散々財政破綻する財政破綻するとかほざいてたやつの気がするんだが、真面目にマクロ経済学習った経済学部2回生でもわかるようなことを何故理解できない。更に理解せずに経済専門家名乗ってるんだ…
ていうか、この程度のことすらわかってないから、インフレだ→金融緩和中止しろ、金利上げろなんて話になるのか。インフレはあいだに企業の設備投資が挟まってて、企業の設備投資は金利でもろに影響を受ける。
だから自国の需給関係でインフレなら金利制御や金融緩和中止が正しいし、アメリカなんかはそのパターン。それでも軽く口先だけで大パニックになってるから、そこまで大きく挙げんだろうと思うが。
大人になってからはそんなことないけど、子どもの頃はじっと座っていることが苦手だった。
急に立ち上がったりウロウロするようなことはなかったが、もじもじして何度も座り直したり貧乏ゆすりを我慢していた(未だに家ではめちゃくちゃ貧乏ゆすりする)
4歳くらいの頃のビデオを見ると、公園でくるくる走り回り、遠くにいるシートを敷いて座っている知らない家族の元へ向かい、男性が持っていたボールを急にむしりとり、いきなりそこの父親とキャッチボールをしているのが記録されていた。
実際自分は、幼少期は近所の人の家に招かれてもいないのにダダダーっとあがりこみ、過剰なほど人懐こかった。
今の時代なら、子どもでも嫌な顔をされるだろうが、何十年も昔なのでそこまで煙たがられることはなかった。
大人は「小さい子だから」で無礼も許してくれたが、幼稚園に入ると同年代の子達とはいまいちコミュニケーションをとるのが上手とはいえなかった。
ただ人懐こさがあるので、周りの子たちから煙たがられてるのもあまり気づいていなかった部分がある。
それでも中にはハッキリとノーをつきつけてくる子達もいて、それはさすがにわかった。子どもは大人と違って接するのが難しいな、と子どもながらに思った。
勉強は成績がいいとは言えないが、極端に悪くもない、ただ算数が特別苦手だった。
小五くらいになると、友達に答えを聞かないと宿題を提出できないくらいだった。
幸い運動神経が良かったのと、得意な分野は勉強を頑張っていたのでまぁ、問題なく学生生活は遅れた。
友人もいた。でも、今思うとやっぱり人間関係が得意とは言えなかったが。
あんなに人懐こかったのに、歳を重ねるごとに人見知りになった。
ただ、初対面が得意なので人見知りと言ってもあまり信じてはもらえないのだが。
とにかく大人になるにつれ、暗黙のルールみたいなのがわからなくずいぶん苦労した。
ハッキリ言ってくれたらいいものを察しなきゃいけないのが難しい。
それは仕事でもだ。普通このくらいわかるだろう、とりあえずやっといて、みたいなのが苦手だ。
それをやる意味をまずは教えてくれと。
あと、やってみてわかったが正確さを求められるマルチタスクが極端に苦手だ。電話応対なんて最悪だ、頭が真っ白になる。事務作業はてんでダメ。手順なんか何も頭に入らない、受付事務はとくに最悪だった。来客対応もしなければならない、もう大パニックだった。あと飲食店のホール、これもマルチタスクで大パニックだった。
続いたのは、スーパーの品出しと学童のバイトだった。品出しの接客は、商品の場所を聞かれるくらいだからストレスはあまりなかった。やることは大雑把なルーティン作業だ。ただ、棚卸しと発注は苦手意識が強く避けていた。数を数えるのが苦手。途中でわけがわからなくなる。
学童は人間相手だけど、自分が子どもっぽく人懐こい部分があるので子ども達とは馴染んでいた。みんな小学生なので、ある程度自分達で自由に時間を過ごすことができるので、子どもから一瞬も目が離せないという状況じゃないのも良かった。
マルチタスクの連続で、作業をこなしながら子どもが怪我をしないように最新の注意を払いながら、保護者対応、連絡帳や報告書、パニックだ。
自分は無能なんだと、何をやってもダメなんだと引きこもってしまい。もう8年。
家では家事をしている、大雑把な身体を動かすルーティン作業というのは自分には向いてるんだな〜とつくづく思ったが、すっかり対人恐怖で社会復帰が怖い。
当事者の話を聞くとそこまでじゃないな…と。
片付けは確かにできなかったんだが、
(小学1年の時に靴下を持って帰ってこないから探してみてくれと親が連絡帳に書いたらしく、担任に引き出しを開けるよう言われて開けたら、まるまった靴下やら教科書、ぐしゃぐしゃのプリント、給食の食べかけのパンなど(当時は持ち帰って良かった)が詰まっていて、ゴミ箱のようだった。自分でも驚いた。自宅の部屋は親が掃除していたが、思春期以降は片付けてもらえなくなり、ゴミ部屋だった)
片付けの仕方を勉強してルーティン化するようにしたら、できるようになった。
物忘れや無くし物も多いが、ものすごく気を張って気をつけていればそれもまぁ、大丈夫。