2022-02-09

引きこもり8年、ADHDグレーゾーンな気がする

大人になってからはそんなことないけど、子どもの頃はじっと座っていることが苦手だった。

急に立ち上がったりウロウロするようなことはなかったが、もじもじして何度も座り直したり貧乏ゆすり我慢していた(未だに家ではめちゃくちゃ貧乏ゆすりする)

4歳くらいの頃のビデオを見ると、公園くるくる走り回り、遠くにいるシートを敷いて座っている知らない家族の元へ向かい男性が持っていたボールを急にむしりとり、いきなりそこの父親キャッチボールをしているのが記録されていた。

実際自分は、幼少期は近所の人の家に招かれてもいないのにダダダーっとあがりこみ、過剰なほど人懐こかった。

今の時代なら、子どもでも嫌な顔をされるだろうが、何十年も昔なのでそこまで煙たがられることはなかった。

大人は「小さい子だから」で無礼も許してくれたが、幼稚園に入ると同年代の子達とはいまいちコミュニケーションをとるのが上手とはいえなかった。

ただ人懐こさがあるので、周りの子たちから煙たがられてるのもあまり気づいていなかった部分がある。

それでも中にはハッキリとノーをつきつけてくる子達もいて、それはさすがにわかった。子ども大人と違って接するのが難しいな、と子どもながらに思った。

勉強は成績がいいとは言えないが、極端に悪くもない、ただ算数特別苦手だった。

小五くらいになると、友達に答えを聞かないと宿題を提出できないくらいだった。

幸い運動神経が良かったのと、得意な分野は勉強を頑張っていたのでまぁ、問題なく学生生活は遅れた。

友人もいた。でも、今思うとやっぱり人間関係が得意とは言えなかったが。

あんなに人懐こかったのに、歳を重ねるごとに人見知りになった。

ただ、初対面が得意なので人見知りと言ってもあまり信じてはもらえないのだが。

とにかく大人になるにつれ、暗黙のルールみたいなのがわからなくずいぶん苦労した。

ハッキリ言ってくれたらいいものを察しなきゃいけないのが難しい。

それは仕事でもだ。普通このくらいわかるだろう、とりあえずやっといて、みたいなのが苦手だ。

それをやる意味をまずは教えてくれと。

あと、やってみてわかったが正確さを求められるマルチタスクが極端に苦手だ。電話応対なんて最悪だ、頭が真っ白になる。事務作業はてんでダメ。手順なんか何も頭に入らない、受付事務はとくに最悪だった。来客対応もしなければならない、もう大パニックだった。あと飲食店ホール、これもマルチタスク大パニックだった。

続いたのは、スーパーの品出しと学童バイトだった。品出しの接客は、商品場所を聞かれるくらいだからストレスはあまりなかった。やることは大雑把なルーティン作業だ。ただ、棚卸し発注は苦手意識が強く避けていた。数を数えるのが苦手。途中でわけがからなくなる。

学童人間相手だけど、自分子どもっぽく人懐こい部分があるので子ども達とは馴染んでいた。みんな小学生なので、ある程度自分達で自由時間を過ごすことができるので、子どもから一瞬も目が離せないという状況じゃないのも良かった。

ただ、保護者対応電話をとるのが怖くて仕方なかった。

保育園学童よりハードだった。

マルチタスク連続で、作業をこなしながら子ども怪我をしないように最新の注意を払いながら、保護者対応、連絡帳や報告書パニックだ。

自分無能なんだと、何をやってもダメなんだと引きこもってしまい。もう8年。

家では家事をしている、大雑把な身体を動かすルーティン作業というのは自分には向いてるんだな〜とつくづく思ったが、すっかり対人恐怖で社会復帰が怖い。

adhdなんじゃないか、と思ったことはあるが

当事者の話を聞くとそこまでじゃないな…と。

片付けは確かにできなかったんだが、

(小学1年の時に靴下を持って帰ってこないから探してみてくれと親が連絡帳に書いたらしく、担任に引き出しを開けるよう言われて開けたら、まるまった靴下やら教科書、ぐしゃぐしゃのプリント給食の食べかけのパンなど(当時は持ち帰って良かった)が詰まっていて、ゴミ箱のようだった。自分でも驚いた。自宅の部屋は親が掃除していたが、思春期以降は片付けてもらえなくなり、ゴミ部屋だった)

片付けの仕方を勉強してルーティン化するようにしたら、できるようになった。

物忘れや無くし物も多いが、ものすごく気を張って気をつけていればそれもまぁ、大丈夫

必死努力すればどうにかなるから病的なレベルではないんだよ、ただ、あぁ、生きづらい。

普通のことが普通にできない

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