はてなキーワード: いつまでもとは
むかしむかし、とある志摩スペイン村におじいさんとおばあさん、そしてSPY×FAMILYが住んでいました。
ある日、おじいさんが畑に行くと、そこにはおおきなおおきなオミクロン株ができていました。
おじいさんは喜んで株をてまえどりしようとしましたが、株はうんともすんともいいません。
「これは令和の怪物じゃ」
おじいさんは家に戻ると、一家のBIGBOSSとして宗教2世たちに言いました。
「お前たち、株を抜くのを手伝いなさい」
しかし2世たちは丁寧な説明を求めるばかりで、古谷一行にヌン活しようとはしてくれません。
「それってさぁ! 株がぬけない…ってコト⁉」
「今日けつなあな確定な」
好き放題勝手なことをオーディオブックするばかりのこどもたちを前にして、とうとうおじいさんの堪忍袋の緒はメタバース。
「お前たち、いい加減にヤクルト1000か! こども家庭庁は黙ってOBN(オールド・ボーイズ・ネットワーク)のいうことをきくものじゃ。それが我が家の大谷ルールだと言っておるじゃろう。知らんけど」
ガチ中華ギレするおじいさんの剣幕に圧倒された鎌倉殿の13人は、我先にNURO光の速さでM八七から地球グミに飛んで行きました。
「よし、それじゃ誰が抜く?」
畑に着いたおじいさんと13人はみっちり顔パンツを突き合わせてみんなで順番を相談します。青春って、すごく密なので。
「わしはもう疲れたのう……」
「それじゃあ、私が」
「まてまて、拙者が」
「いやいや、オレが」
「待たれよ、某が」
「ぼくが行くッピ!」
「じゃ、じゃ、じゃあ、やっぱりわしが」
「「「「「「どうぞどうぞ」」」」」」
こうして、結局おじいさんが再挑戦することになりましたが、もちろん株はピクリとも動きません。
仕方がないのでFAMILYたちは、おじいさんのスマホショルダーをがっしりと掴み、みんなで力を合わせて株をリスキリングすることにしました。
司会の善良な円楽(長男)と、共産党と深い繋がりのある座布団運びの悪い円安(三男)が、お腹の底から大きな大きなインボイス制度を張り上げて、みんなを一所懸命に鼓舞します。
「ヤー!パワー! ヤー!パワー!」
すると、なんということでしょう。
土の中から、大きな大きなキーウが2つ、ぽぽんと飛び出したではありませんか。
逃げたら1つ、進めば2つ、手に入る。
おじいさんたちは、見事なルッキズムのキーウが収穫できたことを喜び、国葬儀を開いて村神様に感謝のきつねダンスを踊ることに決めました。
「大量だ、大量だ!」
喜ぶFAMILYたちの姿に、おじいさんもインティマシー・コーディネーターとして鼻高々です。
国葬儀を終えたFAMILYは、早速お家に帰って#ちむどんどん反省会がてら、収穫したキーウを食べてみることにしました。
ひとつ目のキーウはとてもとても美味しいヤミーでFAMILYたちは感謝感謝(ハッピースマイル)。
続けて2つ目のキーウを割ってみると、なんと中には、とてもとても元気で玉のような男の電通が入っていました。
「キーウ太郎」と名付けられた電通は、おじいさんとおばあさん、そしてFAMILYたちに愛されスクスクと大きく成長していきました。
やがて青年になったキーウ太郎は、志摩スペイン村の人々を苦しめているネットワークビジネスを成敗するため、AOKIが立ち並ぶKADOKAWAを舟で下って、鬼ヶ島へと国賊退治に行くと宣言します。
おじいさんとおばあさんは餞別としてなけなしの蓄えを渡そうと思いましたが、預金してあるみずほ銀行はシステム障害のため仲本工事中でお金を下ろすことができません。
仕方が無くふたりは、家宝だった大層なご利益がある(と言われて買った)高価な高価な壺案件をキーウ太郎に授け、その旅立ちを見送ります。
「ルパン。俺はそろそろずらかるぜ。あばよ。」
おじいさんとおばあさんは、渋い声で別れを告げて去っていくキーウ太郎の後ろ姿を、いつまでもいつまでも名残惜しげに眺めていましたとさ。
おしまい。
本文中でキーウの中に電通が入っていたとお伝えしましたが、これは事実ではありませんでした。
お詫びして訂正いたします。
///
安倍晋三氏、上島竜兵氏、小林清志氏、三遊亭円楽氏、仲本工事氏、古谷一行氏、ウクライナおよびロシアで戦火に見舞われ亡くなられた方々ならびに2022年不幸に遭われたすべての方々とご遺族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。
2021年 https://anond.hatelabo.jp/20211104225143
一連の行動のあまりの無責任さに既婚者という記載をすっかり忘れてしまっていました。ごめんなさい。
しかし既婚者であるのなら尚更貴方の夫の行動は無責任かつ意味不明です。
でも、落とし前をつけさせるという意味合いでは好都合です。不幸中の幸いかもしれません。こんな幸いはいらないかもしれないけど。
貴方はきっととても真剣に話し合っているのだと思います。でも話し合いとはお互いに席に着く気持ちがあって初めて意味を成すものです。
多分、貴方の夫にはその前提がありません。だから貴方の真剣な気持ちは全く響かないし話し合いは全て無意味なものと化しています。
彼が「ちゃんと考えて」行動を起こす日が来る可能性は極めて低いでしょう。
きっと貴方はそれを解ってらっしゃるんでしょう。解っていなければ不安など感じずインスタントラーメンだって呑気にすすれたはず。
それが出来ないのは貴方も夫が今後頼りにできる人物ではないと解っているからだと思います。
貴方だってきっといい所があると思っているから結婚したのでしょうし、信じられる人だと一度は思ったから慣れ親しんだ土地を離れたのでしょう。
子どもだって可愛いですよね。小さい体が一生懸命動いている姿は言葉で言い表せない可愛さです。17週だと胎動も感じているのかな。
信じた夫と協力して可愛い子供を一緒に育てていく未来を夢見てしまいますよね。
それは当然です。当たり前の願望です。どこかにそんな未来があるんじゃないかと希望を抱いてしまうのは決して貴方が愚かだからじゃない。
でも、私が思うにそんな日は来ません。
婚姻関係を続けるにしろ、それは覚悟すべきです。それが貴方のためでもあり、子供のためです。
貴方が経済的に自立して子供と夫を養い家事育児を全て担っても、恐らく彼は貴方に平穏をもたらしてはくれません。
彼がどうして仕事があると嘘をついて貴方を呼び寄せたのか。貴方を孤立させ自分に頼るしかない状況にするためです。
彼が嘘をついて仕事が見付からなかったのに「仕事をする気が無いと思った」と言ったのは何故か。悪いのは自分ではなくお前だと言って自分が上のポジションを死守したかったからです。
彼が何故急に死をほのめかしたのか。そう言えば貴方が黙ると思っているからです。これ以上の糾弾を避けるためです。話し合いから逃げるためです。
そして彼がどうしていつまでも行動しないのか。貴方に責任を押し付けたいからです。産めば貴方が勝手に産んだと言い、おろせば貴方の意思でおろしたのだとなじるでしょう。
私から見た貴方の夫はそういう人に見えます。要は典型的なモラハラ夫に見えます。
これからどんな決断であるにしろ、彼がそういう人であるという事は頭に置いておくべきです。
だから支援は受けられるものは全て受けましょう。そのために今まで税金を払ってきたんです。
次の授乳までに寝ようと思ってたけど、眠れなくてぐるぐるしてるから吐き出す。
そこでなぜか「二人目どうするの?」というのをめっちゃ聞かれて、「いや今産んだけど」と思いつつ、「経済面とか抜きにしてそもそも自分には第二子を産む力がなさそうだ」と思ってしまった。
第一子妊娠の一年前にも妊娠していたが、その時は6週で流産してしまった。稽留流産だった。
診断が降りた時にはもう出血が起きていて、手術日程とってもその前に自然排出される可能性が高いからということで自然排出を待つことになった。
ただ、その時世間ではRSウイルスが猛威をふるっていて、時短のママさんたちがそれに振り回されて人員が足りなかった上に、「流産したのでちょっと在宅多めにしたいです」というセンシティブな話もしたくなかったので、毎日オムツタイプのナプキンして出社していた。今思うと相当頭おかしい。
で、診断から1週間くらい経った日、コロナワクチン打つために午前休→午後出社しようとしてたら、ワクチン打って電車待ってる間に尋常じゃない腹痛があった。
「あ、もう出てこようとしてるんだ」と悟って、ワクチン副反応が出たことを理由に在宅に切り替えた。
夜になるにつれどんどん出血と痛みが増えて、19時くらいにはもうトイレから出られなくなってた。そこで痛みのピークがきて、いよいよ死ぬかもと思った時、大きな塊が三つくらい出る感覚があって、体が楽になった。
赤ちゃんが出ていったんだな、と思った。
その後も病院に通って、体には問題がないと言われたけれど、自然排出時の体の痛みと止まらない血、塊が出ていく感覚等が忘れられないし、心音が聞こえないと言われた時の指先から血の気が引く感覚も忘れられなかった。
その時、次はちゃんと産んであげたいと強く思った。
流産後半年で妊娠した。今度はちゃんと産まれてきてほしいと思ったけれど、半分期待せずに日々を過ごしていた。
そしたら、ちゃんと心音もとれて、母子手帳をもらえるところまでこぎつけられた。すごく安心した。
ただ、仕事が忙しい&引き都合とした相手が同じように妊娠したり時短になったりで、結局引継ぎ相手が見つかったのが産休一ヶ月前、そこから引き継ぎしたり机片付けたりしたので、このご時世なのに毎日出社&遅番早番ありでかなり負荷が大きかった(残業時間毎月40時間だった)
夫は私よりも激務で、家事も常にワンオペだった。重いものも一人で運ばざるを得なかった。
で、そんな無茶をしてたら30週くらいで子宮頸管がめちゃくちゃ短くなってることが判明した。
「あと5mm短くなると即入院」と言われ、その話を夫と職場にして諸々セーブさせてもらった。けど、そのセーブ具合も在宅勤務が月2回から4回になったとか、夫が家でご飯を食べない日が少しできた程度なのでそんなに効果なかった。
なので、趣味や楽しみやら散歩やらを全てあきらめて家で寝てたら即入院はなんとか避けられて、里帰りはできた。
夫のサポート力には全然期待してなかったので、産休突入→即里帰りし、実家でゆっくりしながら準備とかしよ〜ついでに心残りだったこといっぱいやろ〜(ゲームとか)と思っていた。
なお、里帰りしたのが予定日の一ヶ月以上前だったので義母には少々嫌味を言われた(夫を支えるのが妻の役目なのにこんなに早く里帰りするなんて的なやつ)
里帰り先で健診に通いつつ、両親と楽しみだね〜なんて話をしつつ、母と久しぶりに散歩して話したり、仕事漬けの中で積んでたゲームしたり、いけなかった母親学級の予約したらのびのび暮らしていた。
でもそれもすぐに終わりが来た。
35週5日目、実家帰ってきて2回目の健診で妊娠高血圧腎症と診断を受けて、「このまま予定日まで待つと母子ともに危ないです。明日から管理入院して37週入ったら即誘発分娩しましょう」って言われた。
症状が症状だったので、病院側の提案も私の希望も個室だったのだが、部屋が全然空いてなくて回復室に泊まることになった。胎児モニターしたり採血めっちゃしたり、ことあるごとに血圧測った。
そして翌日朝。朝ごはんがいつまでも出てこなくておかしいな〜と思ったら助産師さんが来た。
「赤ちゃんの心音が弱くなってて、37週とか言ってられなくなってきたので、今日この後できるだけ早いタイミングで調整して帝王切開で産むことになりました」
えっ私の意思は???ってなったけど、赤ちゃんがやばいならもう何も言えないなとなった。
それからあれよあれよと絶飲食が始まり、医師の説明を聞いて術前の点滴しながら同意書にサインし、「家族のサインもいります」と言われ「夫仕事中だと捕まらないし全然来れないんですが」と言って先生に「そんなことどうでもいい!あなたは11時に手術しないといけないんだからさっさと来させろ!」と怒鳴られ、回復室で泣きながら夫に電話した(夫はわりとすんなり来てくれた)
そうして36週1日目で出産した。
妊娠前にやりたかったこと、お産でしたかったこと、してほしかったことも全部なくなったし、「管理入院するなら個室がいい」ということすら叶えられなくて、産まれた子どもはかわいかったけれどかなり落ち込んだ。
そんな経緯があったので、退院指導とか親戚に「二人目は?」と言われるたび、「いや一回目流産で二回目は早産で緊急帝王切開なんだから、二人目なんて無理でしょ」と思っている。
二人目できたらほしいけど、「もしまた稽留流産とかになったら、乳幼児の世話しながら手術とか自然排出とか考えたくないな〜うまくいったとしても帝王切開になるの確定だし、一人目も早産だったから二人目の出産もうまくいかないっしょ」って思うくらいにはトラウマになってる。
経済面のことはもちろん心配だけど、それ以上に私の心が自分の出産を信じきれないというか、なんかもう無理だなって思っている。まともに月数満ちていつになるかなとかわくわくしながら待つことなんてできないし、楽しいマタニティライフとかもないし、自分の思う楽しいお産も無理なんだから、二回目とか正直やりたくない。夫が出産してくれないと無理。私はもうやりたくない。
なんかツイッターとかインスタでキラキラマタニティライフ!とか後悔しないお産!とかを見ると心が苦しいし、こんなこと友人にも、親にも、夫にも言えない。
この子に兄弟がいないのはかわいそうかもだけど、精神的にも身体的にも予期しない大ダメージを負った私のこともかわいそうだと思ってほしい気持ちがある。
それがあるうちは二人目なんて産めないんだろうな。
大前提として、非実在青少年のころに規制反対の立場でロビー活動をしていた腐女子の人も大勢いた。腐女子が表現規制に無関心だった、とはとても言えない。彼女たちの尽力を踏みにじることになる。
ただ、同時に、「男性向け」表現に対する攻撃の先鋒に立ってきた腐女子の人が大勢いるのも事実だ。
たとえば、これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて、『グラップラー刃牙』のBL妄想が書籍やドラマになったりしてるのに、当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人とか、『BLの教科書』という書籍の中で男性向けエロは「モノ化」だが女性向けBLは「モノ化」ではないという超理論を展開した研究者とか、そういう「BL無罪」を掲げる人が目立ってきた。
もちろんフェミニストと腐女子を兼任している人はあくまで少数派なのだろうけど、男性向け表現を攻撃するツイッターフェミニストのbioを見ると高確率でBL愛好家だったりする現象があるわけだ(まあこれに関しては、ミソジニーを撒き散らす自称弱者男性アカウントもかなり高確率で男性向け表現を愛好するオタクなので、お互い様かもしれないが)。
そして、「男性向け基準なら一発で18禁とされているようなエロさの本が、BLではゾーニングせずに本屋に並べられてきた」という現実があり、現在はBLにも「男性向け」並の基準が適用されるようになってきている。
「公共広告」にしても、たとえば「レイプしてきた相手を好きになる」という展開(当然セックスシーンもある)を描いたBL漫画はアニメ化されただけでなくアドトラックまで走っているのだが、まったく問題にされることはなかった。他方で、男性向けは、セックスなど一度も描かれていないような作品を使った広告が、スカートの皺だの巨乳を強調する構図だの夜這い設定だのを理由に(BL愛好家も含むフェミニストたちから)叩かれてきた。これはあまりにも不平等だ。
もちろん、理想は、男性向けも女性向け並みの「緩い」規制に戻ることだ。これなら、男女平等と表現の自由を両立できる。
しかし、男性向けが「乳揺れ」や「巨乳JKとのラブコメ」程度のものに対して国連やら議連やらを動員した攻撃を受けている状況では、その理想はしょせん理想に過ぎない。過激なフェミニストにも表現の自由があり、彼女たちの攻撃を抑圧することはできないし、大学教授レベルでの攻撃が行われている(=次代のフェミニストたちにもその理屈が継承されている)ことを考えると、そのような攻撃が数年できれいさっぱりなくなるとも思えない。
そうすると、現実的な男女平等を求める人たちは、「女性向けにも男性向け並の規制を」と主張するしかない。しかし、それは表現の自由の理念に背いている。
図示するとこうなる。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
表現の自由 | 男性向けも女性向けもおおらかに(理想論だが実現は困難) | (この立場は想像できない) |
表現規制 | 女性向けにも男性向け並の規制を(女性向けへの規制強化、現実に起こりそう) | BLはよいが男性向けはダメ/男性向けはよいがBLはダメ(ダブスタクソ親父!) |
左上の立場は理想だ。理想だが、近い将来にこれが叶うとはとても思えない。だったら、近い将来に実現できそうな男女平等を目指そう、と考えて規制派に転向する人が出てきても不思議ではない。
増田は表現の自由という理想を信じているし、理想を高く掲げることを重視する理想主義者だ。だから左下のような立場は支持できない。しかし左下に転んでしまった人たちの気持ちもわかる。だって、現実的に左上なんて無理だもの。男女平等を支持する現実主義者は左下に行くほかない。
私たちは表現の自由という遠い理想を掲げてBLなど女性向けの性表現を擁護するか、男女平等という実現可能な目標のために女性向けの性表現への規制を唱えるか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまったのだ。
なんか図が変だなと思ったので書き直した。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
夢想的 | 男性向けも女性向けもおおらかに(表現規制反対) | 男性向けの消滅/女性向けの消滅 |
現実的 | 女性向けにも男性向け並の規制を(表現規制支持) | BLはよいが萌えはバッシングする/萌えはよいがBLはバッシングする |
こっちの方がマシな図になっていると思うが、改善案があれば聞きたい。
自由の限界は他者の自由の侵害、他者への迷惑をかける地点なので、「(男女)平等でないこと(性別なりなんなりで差別があること」はそれを発生させる「自由」を制限して当然。選ぶも何も、自由の定義でそうなるのよ。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
そのどちらかを選ばないといけないと増田が思うなら、『「表現の自由」を「男女平等」では守れない』し、『「男女平等」を「表現する自由」も守れない』となる。表現と男女性別は必ずしも競合するわけじゃない。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
表現の自由より、男女平等より、比べ物にならないくらい大事なのは「おもしろい」ことです。すべては「おもしろい」に使役すべきと思ってます。「おもしろい以外勝てん」です。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
エンタメ業界の労働者・経営層の半数以上が女性+マイノリティーになれば、自然と落ち着くべきところに落ち着くんじゃね?歴史的に制作現場もビジネス層も男社会だったのは事実なんだから、そりゃ男目線になるだろ
これを二者択一にしてしまうと、「女性の自由を奪ってでも男性の自由を守れ」という暴論になってしまうんだが、それでも、問わないと答えが分からないのか?
タイ本読
表自的な意味での表現の自由と、誰も可能な限り傷つけず、そのなかで広く意見を認める表現の自由はまず違う。男女平等があるならおのずから後者は達成されている。
タ本
”これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて(略)当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人と” ←フェミ系社会学者金田淳子のこと。少年ジャンプの萌え漫画を18禁にしろと主張した。
左下の実例さんオッスオッス。左下に宗旨替えするのは理解しますけど、だったら規制派って名乗って表現規制陣営に鞍替えしませんか? あなたのような、左下に宗旨替えしたのに自分を表現規制反対派だとアイデンティファイし続けてる人が、フェミ腐女子と同じくらいには現状の分断を加速させてるでしょ。
『乳揺れ・巨乳バッシングは過剰だがどこかに18禁のような線引きは止むなし』みたいな立場の存在が議論の中に見えてこない。勿論増田に言わせれば表現規制派になるのは分かるが一まとめにするのは雑ではないか?
そういう人たちが声を上げた結果、「あれだけ表現規制反対って叫んでた男オタクがBLの話になるといきなり規制って言い出した……表現の自由戦士の男オタクは信用できない!」となって分断が加速されています。
細かいところに突っ込んで申し訳ないが、アドトラックと駅、公共施設での広告とはだいぶ毛色違いませんか?。バニラとか、あれ他県からトラック回して審査回避してるよね。アドトラックはかなりダーティなものでは。
えっ? 公道を走っているという点では誰もの目に触れる可能性があるわけでしょう? たとえば購読者じゃないと読めない日経新聞の広告より全然「公共」の広告ですよね?
先日の『月曜日のたわわ』バッシングでは、広告それ自体だけじゃなく、巨乳JKとのラブコメという程度の内容の原作も、東工大准教授の人が国連女性機関の権威を持ち出してバッシングしてたじゃないですか? 『ラブライブ!サンシャイン』のみかんポスターは、原作にはまったく性行為の描写は登場しないのに、スカートの皺が卑猥、という理由でフェミニズム研究の大家からバッシングされて、一部のフェミニストからはエロアニメ呼ばわりされてたじゃないですか? その基準からいくと、男性に対するレイプ描写が普通にあり、性暴力の被害者が加害者を好きになるという展開のBL漫画の広告が公道走ってる時点で、どんな抑制的なデザインだろうがあり得ないっしょ? 『宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターのときは、ポスターのデザインだけじゃなく原作にまでケチつけてるフェミニストの人が大勢いたんだから、仮にそのバッシングを正当だとするならば、当然、アドトラックだけじゃなくて原作の『抱かれたい男一位に脅されています。』も叩かれないとおかしいっしょ?
いや、もちろん『だかいち』が叩かれる必然性は何一つないし、仮にだかいちバッシングが起きたら反対しますよ。でも、あのトラックに公共性がないみたいな理屈はおかしいし、萌えアニメのポスター程度を問題視してきた連中が『だかいち』に何も言わないなら、「BLは特権階級なのか」という不満を持つ人も出てくるでしょう。簡単な話だと思うんですけど何でわかんないんですか?
このBLのアドトラが問題視されないのはトラックの絵には性的な描写がないからだと思う。作品の内容は公共の場には出てないので広告絵単体の比較。もしチンコを強調した絵なら問題になるはず。
「広告絵単体の比較」ならなんでスカートめくりとか夜這いとかの設定をパネルじゃなくてウェブに書いてた温泉むすめはあんなに叩かれたんですか???
たかだかスカートの皺が、ボタンを持って振り向く少女が、デカいリボンの後ろで微妙に揺れる乳が、大学教授やら国連女性機関やらフェミニスト議連やらが出てくるほどの騒ぎになったのに、なんでこのトラックの絵には何も問題がないことになるんですか???
ゾーニングが適切に行われればほとんどの問題は解決するので、ゾーニングを「規制」って考えるんじゃなくて「自由を守る盾」って考えるように発想を転換することから始めてみればいいんじゃないかなあ。
そもそも宇崎ちゃんポスターも高海千歌のみかんポスターも交通安全啓発のご当地VTuberもたわわ広告もゾーニングの必要なんて存在しない程度の表現だったのにあんなにバッシングされてたし、温泉むすめはパネルに書かずにウェブに書いてた設定をわざわざ検索して文句つけたフェミニストの人もいましたよね。服を着た胸のでかい女子大生が煽ってくる広告やスカートに皺の寄ったJKがみかん持って微笑んでる広告や制服JKがボタン持ってこっちを振り向くだけの表現にまでゾーニングが必要、というのなら、それはもう普通に表現規制でしょ。ゾーニングゾーニングって言う人は結局規制論者じゃん。
増田は一発18禁レベルのBL本をゾーニングせずに本屋に並べて、小学生も自由に読めるようにすべきだという考えなの? 表現規制に反対している人でも、ある程度のゾーニングは必要だという意見が大半では?
本屋が自発的にそうするなら止めませんが、法や条例で陳列方法を強制されるのはどうかと思いますよ。そういう書店があってもいいでしょう。親御さんは書店を選ぶ自由を行使してもらえれば……
性犯罪セクハラ被害への理解が進んで減るなら男性向け規制も本来不要でそっち行くべきなのに行かないなら「男性向けだけ規制」だよ。女性向け放置でも現状の女性が受けてる性的消費ダメージを男性は受けないし
マジでBL無罪って考えてるんだ……じゃあBLは性的少数者をモノ化し彼らへのステレオタイプを助長している性的少数者差別コンテンツだって話する? 性的少数者の人たちを「受け」「攻め」というセックス時のポジションで分類するのは彼らの存在をセクシャライズし彼らの人間性を貶める表現なので、性的少数者への偏見がひどいうちは規制されても仕方ない、って話もしよっか? 少なくとも同性婚すら実現してない国でやっていい表現じゃないよね? 私はもちろんこんな主張には賛成しないけど、あんたらの理屈を敷衍するならそうなるよな?
ところで、容姿端麗な女性しか採用しないと明言している劇団が仮にあったとしたら、女性に対する容姿差別を助長するわけだから、女性差別劇団として攻撃されても仕方ないんじゃないの? 仮にその劇団がBL的な演目をやってたら、それは性的少数者への文化の盗用だから、欧米の基準ではありえないよね? 仮にその劇団が濃い目の肌色になるようなメイクをして『アイーダ』を上演してたら、それはブラックフェイスだからアメリカでは一発でキャンセルされるやつじゃん?
え? その劇団に女性ファンが沢山いればセーフ? ラブライブにも大勢の女性ファンがいたけど焼かれましたよね? 女性ファンの存在はそのコンテンツが女性差別的であることを何ら免罪しないってことでしょ? まして性的少数者からの文化盗用やブラックフェイスは、女性ファンの存在では免罪されないどころか、むしろ他者への客体化だから余計に罪が重くなるんじゃないの?
もちろん私は仮にそんな劇団があったとしてもそれを攻撃するつもりも規制を主張する気もないけど、男性向け文化は有罪だけど女性向け文化は無罪、っていう態度をいつまでも採るなら左下に闇堕ちするぞ。性的少数者のモノ化やブラックフェイスという誹りから女性文化が逃げられるだなんて思うなよ。死なばもろともだ。
巨乳女子大生がウェイトレス姿で注射が怖いのかと煽ってくる献血ポスターが女性のモノ化で女性蔑視、胸元のリボンの後ろでよく見ると胸が揺れてるヘソ出しルックのVTuberは性犯罪の誘発なんでしょ? 仮にそれらの理屈を是とするなら、MSMの人たちをステレオタイプに描いたジャンルであるBLは差別扇動だし、美女ばっかり集めた劇団が濃い目のドーランで『アイーダ』やるのはルッキズムとブラックフェイスの合わせ技でキャンセル一択でしょ?
やる事を「忙しくて時間がない」とか嘘ついて誤魔化して先延ばしにして
結局他社の信頼失ったり商談潰したりする奴がいる
そいつ離婚してんだけど、そりゃそんな事繰り返してたら奥さんにも捨てられるだろうなって感じでやばい
うちの会社健康診断の予約自分でするんだけど今までの勤め先は会社にやってもらってたらしくて
総務の女性が何か察して手打ちで手順書作って渡したら速攻で予約したらしくてワロタ
聞けよ
アメリカのおばさんは別にそうでもないし文化の違いなんだろうな
テレビがバカ向けだからいつまでもかわいいであり続けようとする
老人向けのメディアが威厳のある婆ばかりになれば変わると思うよ
私首パワー王の話したっけ?
してるわよね?
あまりに火が付いたように肩が痛くて困っていて整体に行ったら原因は首じゃないの?って首伸ばしして首パワーを授かったら、
肩凝りも頭痛もなくなったって話し。
そんで、
一向に絶好調が続いていていいんだけど、
薬も飲むのと飲まないのとでは飲まずに我慢してた方が身体にいいと思っていたんだけど
いろいろみて調べてみたら頭痛は我慢せずに薬飲んだ方がいい!って結論に私の結果に出たの。
ポンピーン!
そんでここ何年かは我慢せずに飲むので頭痛薬を常備していてるの。
ありません!って言うじゃない。
調べてみたもらったけど、
ドラッグストアの系列で取り扱える薬の派閥みたいなのがあって、
私が優しさの半分でお馴染みの頭痛薬のジェネリック薬品の頭痛薬をその時買っていたのを切らしていたので、
それと同じジェネリック薬品頭痛薬を求めたんだけどなかったの。
そんで一生懸命店員さん調べてくれてうちの系列じゃ扱ってない薬でゴメンねって親切に教えてくれたから
アンジェネリックじゃない優しさが半分てんこ盛りの最大量配合処方された
ここで買いましょう!って思ったら、
その優しさの半分が配合されているでお馴染みの頭痛薬がセール品で特価だったの。
結果的にはその優しさが半分配合されているでお馴染みの頭痛薬を
ジェネリックもなにもないわね!ってそう思ったわ。
まあお得にゲッツできて良かったんだけど、
それ以降あんまり頭痛ほとんど頭痛いの発生していないステータス異常はなってないから、
お守りとして頭痛薬は優しさの半分を私は持つことにしたのよね。
優しさが半分と言うより、
もちろんそれもあるけど、
お財布にもその優しさの半分が処方された頭痛薬は優しかったのよ。
あんまり私ポインツとかクーポンだとか躍起になって集めたり使ったりする派じゃなかったけど
結構割引率が20パーセンツとか30パーセンツとか巨大な数字の割引になったりする時があるのでこまめに事前にお買い物するときはチェックしているのよね。
だけど、
それをも凌ぐ
ジェネリック医薬品よりもその通常版のお薬がセールでジェネリック医薬品より安くなっているってのは
でも、
取引している製薬会社があって取り扱える薬にも系列のお店毎で違うって私知らなかったわ。
それだけ聞けただけでも今日は大収穫豊作祭で秋の祭典スペシャルでお祭りよ!
薬局だから結局どこでも売ってる南極以外で買えるお薬だと思っていたのに、
お店の系列によって扱えるお薬があるだなんて知らなかったわ。
そう言うことなのね、
それをまるで地で行ってるような気がして一つお勉強賢くなったわ。
でもさ
ジェネリック医薬品って本物より安く売られるのを分かっていると言うことはそれだけ収益性の低いってことじゃない?
高く売れなく利益も取れないものを作って売る構造ってのもどうなってるのかしらね?
ジェネリック医薬品の闇みじゃない?
そうとも思えるわね。
うふふ。
これたぶんレギュラースタメンメニューにはならないかも知れない限定ラーンなのに長年新発売のような感じでいつかは販売されなくなっちゃうかも知れないので
見かけたら美味しいし買うことにしているわ。
いつまでも新発売って素敵よね。
色褪せない新しさがあるわ。
歌い手のゆずよりもこっちの柚子の方が日本を背負っているパブリック感があると思うわ柚子って。
駐車場でアクビしている場合じゃないぐらいホッツにとかした柚子茶は起きたての朝の身体を温めるわ。
朝寒いので起きるの辛いけど辛いなら寝たままで良いじゃない人間だものってあいだみつを先生も言っているからいい加減スヌーズは止めどきが分からないぐらいお布団から出たくないわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
祖父が数ヶ月前に亡くなった。
第6波真っ最中で、葬式もなくただ焼いただけなので葬儀には行っていない。
昭和のクソ親父を煮詰めたような、どうしようもないじーさんだった。
苦労人ではあった。祖母方の曽祖父の家業を継ぐために婿養子に入った五男坊。でも継ぐ前に家業が潰れてしまい、駐車場の警備員から身を起こして子供三人育てるための金を稼ぎ、最後には先生と呼ばれる職に就いていた。
定年まで飛行機の距離に単身赴任していて、その頃はまあ多少ウザいけど長期休みに会うくらいなら我慢できるレベルだった。
先生と呼ばれていた頃の名刺をいつまでも持っていて、私を含む孫に会うと、毎回必ず「何かあったらこれを見せろ、"○○先生の孫ならなんとかします"って言われるから」と言って名刺を渡してくる。祖母と話したくて電話をすると、必ず祖父が最初に出て開口一番しばらく電話をしなかったことの嫌味を言われる。「なんだ○○は。最近電話もしてこなくて何やってるんだ」毎回毎回毎回最初にこれを言われる。マッチがつけられないとか鉛筆をナイフで削れないとか、老人ができることができないとここぞとばかりに「なんだこんなこともできないのか。お前は馬鹿だなあ」と馬鹿にしてくる。アラフォーの今ならはいはいで済ませられるけど、高校生の自分には我慢ならなかった。
それでも祖母が好きだったから、電話はしたし祖母の家にも盆と正月には行ってた。それが大学生になったら、祖父は体を触ってくるようになった。最初はたまたまかと思ったが、運転中に助手席に座って太ももを触ってきたので意図的だと言うのがわかった。そのときは咄嗟に大声を出して振り払い怒鳴りつけた。普段は上から目線で嫌味ばかり言ってる癖に、こっちがガチギレするとビビって何も言わなくなる小心者だった。私より若かった従姉妹は、会うたびにデブだ痩せろと言われて泣いていたらしいことも同時期に知った。社会人になって祖母にPHSをプレゼントして、祖母の家には行かなくなった。
祖父は歳をとるにつれて本当に傍若無人になっていったらしい。祖母が足を悪くして、出かけるには祖父に車で送ってもらうしかなくなってしまったのだが、祖母が友人と会いに行くといっても連れて行かなかった。友人が祖母の家に遊びに行くと、怒鳴りつけて家にあげなかった。祖母の妹や自分の娘ですら、気に入らないことがあると怒鳴りつけて追い出していたらしい。認知症の兆候だったんだろうね。極め付けは、祖母が料理できなくなったので祖父がスーパーに弁当など買いに行くわけだけど、スーパーに入ると店員を呼びつけて、欲しいものをメモした紙を投げつけて「そこに書いてあるやつを持ってこい」とかやっていると。祖母の家のすぐ近くに祖父の妹が住んでいて、そのスーパーに行ったときにそんな話をされて針の筵だったそうだ。
そんな祖父が亡くなった。
客観的にみると、祖父は祖父なりに大変だったのだと思う。ああいう性格だから地元に友人は一人もおらず、定年後は家でテレビを見ているだけだった(だから電話にも毎回必ず祖父が出た)。でも何十年も、回数は少ないとはいえ話すだけで必ず嫌な思いをさせられる祖父を可哀想だとは思えない。かといって亡くなって嬉しいわけでもない。正直なところ、大学生の頃に亡くなっていたら大喜びしていたと思う。我ながら残酷だし勝手だけど、とにかく早く死んで祖母を解放して欲しかった。
嬉しいという感情はないけど、安堵の思いでいっぱいだ。もう祖父はいない。祖母も家にはいないしもう何もわからなくなっているから電話することはないんだけど、あの耳に残っている声、「なんだ○○は。最近電話もしてこなくて何やってるんだ」という言葉はもう二度と聞かなくて済む。そして書いていて気づいたけど、親戚がわざわざ私に祖父のあれこれを聞かせてくることがなくなるということに、多分一番ほっとしてる。自分のこういうクズさは祖父から受け継いだのかもしれない。
韓国の群衆事故を見て「日本の満員電車で事故が起きないのって凄いんだな」という意見が見られるが、実は「満員電車のプロ」であるはずの電鉄会社も甘い見立てでとんでもない失敗をした事があるんだな。
自分は鉄オタじゃないからそんなマニアックな話じゃないので安心してくれ。
因みに2014年に相模大野駅で脱線事故が起きて小田急全線不通になったが、その脱線した電車というのはこれだったんだな。
あの電車は混雑解消と遅延防止の為に作られたが、そのせいで小田急線は大混雑と遅延続出とケガ人の走る地獄エクスプレスと化したのだった…。
以前Wikipediaを確認したところ、これは停車駅が多い各駅停車用に作られたと書かれていたが(今は削除)、これは間違いで、混雑が酷い急行に使われていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%80%A51000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
ところが混雑と大遅延を惹き起こし乗客に大顰蹙を買って混雑なんて殆どない各駅停車専用に左遷されたのだな。
座席を縮小させてドアを広くすれば立客のスペースが増えるから余裕が生まれるじゃん、ドアが広いから乗降も早く終わるじゃん、というのがデカドアのコンセプトだ。
ところが、バカな工業デザイナーはそのドア前の広大な空間につり革も手すりも付けなかったのだ。しかもドアの上もドア自体もまっ平らなデザインにした。
だから普通の電車の2倍以上、面積と収容されている人数的には4倍以上の広大な空間に、手すりにもつり革にもつかまっていない乗客が詰め込まれることになった。
ラッシュ時に電車が揺れると手すりのない客の揺動というのは手すりにつかまっている客がブロックしている。
でも広大な空間に誰もどこにもつかまっていないのだから、客はずっとつま先で全力で踏ん張り、揺れでよたよたし続ける事になった。強烈な苦痛だ。
当然こういう状態だから雪崩が頻繁に発生する。普通の電車なら一瞬ドドッと動く程度が、この電車の場合は人が大勢倒れるまで行ってしまう。
そういうわけで、この電車が終点新宿に着いた後というのは悲惨で、千切れた腕時計、腕時計の金属バンドコマ、メガネ(踏まれてぐちゃぐちゃ)、千切れたボタン、カフス、パンプス、ハイヒールのヒール、血痕などが散乱するという状態になっていた。暴動でもあったんですか?
座っていても安心できない。乗客雪崩がロングシートの方に逸れて人が降ってくる事があるからだ。メガネをしていたらイチコロである。金属フレームであったら眼窩を大きく切って出血する事を免れない。
吹っ飛んだメガネも拾うのは無理で、向こう側のドア間で苦闘する乗客に蹂躙されてグチャグチャになるのを座視するしかない。
雪崩に押し出された小学生は座席下のヒーター付近に押し込まれ、降車駅まで男性客の股間に立っていた。
自分の場合はペンチでしか開かない鍵束の鉄リングが伸びて6の字になっていた事がある。転倒した誰かの時計のバンドが入って引っ張ってしまったのだろう。
また言語学習で支給された頑丈なバインダーが二つに折れ&押されてぐちゃぐちゃになり買い直した。更に誰のだか知らぬ血がカバンや服についていた事もあった。
90年代前半は混雑が今より酷く、他の路線でもボタンや時計が落ちているという事はままあった。しかしこの電車は頻度が異常というか終点で人が捌けると必ずという頻度であった。
また、ドア前の空間につり革を付けないのというのは当時は当たり前で、他の電車も同じだった。だがこの電車は構造が特殊なんだから同じように付けないと雪崩が続出するのは当たり前だ。何故こんな事をデザイナーは考えなかったのか?
混雑時に大きな駅に電車が到着すると、下りる客の邪魔になるのでドアの前の客は一旦ホームに降りなきゃいけない。この下りる人数というのは普通の電車なら2~4人程度だ。
だがデカドア電車ではこれが6~10人程度になってしまう。するとこれが邪魔になって降車がなかなか進まない。
更に、小田急には下北沢、登戸という、乗降客が多くてホームが狭い駅があった。(現在は建て替えで両方とも解消)
下北では狭いホームに井の頭線の橋脚がそびえるという無茶な構造、登戸は南武線乗り換え駅なのに駅が鉄橋の上にあるという造りでホームが狭い。客が多いので階段を大きくせざるをえず階段ケース横のホームがとても狭い。
ここで「一旦降り」客が多いと橋脚の向こうや階段ケースの裏側から階段にくる客の流れが詰まってしまっていつまでも降車が終わらないという事になった。
そして電車が出て行った後にも乗客の移動が続き、そこに次の電車が入ってくるので大変危険である。
デカドア電車では頻繁に乗客雪崩が発生して、転倒に至る事も多い。それ以外の時間ではずっと何にもつかまれずに乗客の大きな揺動に耐えて踏ん張る事になるので非常に苦痛だ。
特にヒールやパンプスの女性の苦痛は余りある。更にヒールのある靴では転倒したりヒールがもげるリスクが大きくなる。ヒールがもげたら百貨店の靴修理店が開く時間まで待たねばならないから出勤できるかという問題にもなる。
この客らは降車客の移動の邪魔にもなるし、次の急行にまとめて乗るので次の急行が大混雑になる。混雑が酷いと乗降に時間が掛かるので遅れてしまう。遅れるとホームにその分乗客が溜まるので更に混雑→遅延というフィードバックが加速されてしまう。
こういう感じで、デカドア電車を先頭に遅延が常態化してしまった。「次の電車は5分遅れです」とアナウンスがあると果たしてデカドア電車で、その電車に乗って数十分デカドアサーフィンエクササイズ(転倒出血付き)するか、その後の急行で大混雑&遅刻するかを選択せねばならない。
またこの為に途中駅では入場制限もしばしばしかれるようになった。
こうして多くの乗客、駅員に怨嗟と絶望と遅刻を、ミスターミニッツには靴底修理の商売繁盛を齎したカサンドラエクスプレスことデカドア電車だが、終わりは突然にやってきた。
ある日を境に急行でデカドア電車が来なくなったのだ。戦力外通知、三行半である。彼は各駅停車専属に転属となっていた。小田急では各駅停車は全然混まないので、使えねー奴でも何でもいいのだ。新規投入から半年も経っていない。
小田急では大混雑する急行対策が全てであって、そんな路線で各停にしか使えない縛りの資材を抱え込んでしまった同社の悩みは幾ばくかとも思うが、見立てが甘かったのだから仕方がない。怪我したりメガネや服や時計を破壊された人の身にもなってみろと言いたい。
混雑対策にはノウハウの蓄積とその参照が必要なのに銀の弾丸求めてコンセプト優先で足元をおろそかにした工業デザイナーのせいである。3日占領目指して引っ込みつかなくなった頭プーチンかよ。
その後この思い付きだけで出来た愚劣な電車はずっと各停だけで使われていたのだが、今どうなってるのかというと、つり革を付けてドアがあまり開かない改造をされて走っているようなのだ。阿呆である。完全に最初からコンセプトが破綻していたってこった。最初からやるな。
デザイナーのリサーチ不足のせいで多くのケガ人と憤怒と遅刻とふくらはぎの筋力とミスターミニッツのインカムと各停にしか使えない不良資産を産んだのがこのデカドア騒動だった。
だが我々の社会はまた過去のノウハウの蓄積を軽視するようになっているように思える。失敗データベースなどにこの失敗は収録されて参照されるようにもなっていない。
そういう時我々は声を大にしてこう言うべきである。
明け方、自宅で陣痛らしきものを感じ始めた時、寝ている夫を起こしてその旨を伝えたところ「えっ、ぼ僕はどうしたらいい?」と発言後、すこしだけ慌てた様子を見せたと思いきやそのまま二度寝をしていた。
陣痛がきたらやることリストを既に渡していたのになんて頼りない人なんだろう、とほんのり絶望しながら、入院の準備を一人で進めた。
その後陣痛が本格的に痛くなってきた頃、私のうめき声に気づいた夫が危機感を抱いたのか起きてきて準備を始めてくれた。
コロナ禍での諸々の制限のため、病院まで送ってもらったものの玄関前で夫とはお別れをした。
私は無痛分娩を選択していたのだが「無痛」といえど全く陣痛を経験しないわけではなく、ある程度身体の準備が進んでから麻酔を入れることになっていたため陣痛室で2〜3時間ほど痛みに耐えた。
子宮口が少し開いてきた頃ようやく処置室に移動し背中に管を入れ麻酔を注射(点滴?)した。
数分後にはそれまで感じていた規則的なお腹の痛みは嘘のようになくなり、下半身に保冷剤を当てられても冷たさを感じることさえできなくなった。
併せて、お腹にバルーンを入れたり、陣痛促進剤を打つなどしてお産を進める準備をした。
処置後再び陣痛室に戻り、軽い食事を摂ったり、持参したおやつを食べたり、スマホをいじったり、仮眠をとったりしていた。
麻酔が切れてくると痛みで何もできずうめき声をあげるだけの存在になってしまうので、度々ナースコールをして麻酔を追加してもらった。
途中からポンプを繋いで自動的に麻酔が入るようになり、そこからは一度も痛みを感じることはなかった。
麻酔を入れていなければとてもじゃないが眠れる痛みではないらしいので、無痛分娩を選択してよかったなと思った。これが12万円の追加費用の価値だ。
ただ、麻酔の副作用もゼロではなく、陣痛はないものの身体のいたるところが猛烈に痒くなった。
掻いても麻酔が効いているせいで掻いた気にもなれず苦しい。冷やした濡れタオルをかゆい箇所に当て気を紛らせていた。
麻酔を入れ始めてから約7時間後、子宮口7センチで破水し、分娩室へ向かうこととなった。身体に痛みはないものの、ほんの数メートルの距離だが車椅子に乗せてもらい移動した。
そこからあっという間に子宮口9.5センチまで進んだので夫を自宅から呼び寄せ病院の駐車場で待機してもらうことになった。
しかし子宮口9.5センチからなかなか進まず、結果的に夫は駐車場で4時間待機することになった。
私は、分娩台に乗ってからもおやつを食べたり、眠ったり、待ちぼうけの夫には悪いがかなりリラックスして過ごしていた。
しかし時間が経つにつれ徐々に吐き気を感じるようになり、分娩台の上で4〜5回ほど嘔吐した。ただ、吐いた後はスッキリするのでさほど辛くはなかった。
この吐き気が麻酔の副作用だったのか、陣痛中よくあることだったのかは聞いていないため分からない。
時折、身体の中から何かが出てきそうな、便意や痛みに似た妙な感覚があり辛かった。助産師さんにその旨を伝えると肛門のあたりをギューと押してもらうことでかなり楽になったのでやはりプロはすごいなと思った。
子宮口全開大になってからもなかなか赤ちゃんが降りてこず、お産を進めるために破膜することになった。
破膜後30分程でようやくGOサインをもらったので夫に連絡を入れた。
夫が分娩室に到着するタイミングでちょうど吐き気の波が来ていたため、入室するやいなや下半身丸出しおっぴろげ状態で桶を抱えてゲロゲロしている姿をどーんと見せることになってしまい少し恥ずかしかった。夫にとっても、かなりショッキングな光景だったように思う。
吐ききってからはお産に集中した。夫は私の隣に立ち、とても真剣に励ましたり応援してくれたり、たまに水を飲ませてくれたりした。
しかしいくら応援されても赤ちゃんは出てこない。陣痛がないため、いきむタイミングやコツががつかめなかった。
お医者さんが「介入しますね」と言い、私の腹部に全体重をかけるようにしてグイグイ押し出してくれた。それに合わせていきんでみたものの結局自力で出てくることはかなわず、会陰を大きく切開しての吸引分娩となった。
お産が終わればそのような言葉をかけられるものだと思っていたが、期待していた言葉は聞けず、分娩台に横たわる私のすぐ隣で赤ちゃんへの心臓マッサージが始まった。
お医者さんと助産師さんたちがよく分からない言葉で会話をしていた。どこかに電話をかけ、よく分からない言葉で説明をしていた。電話の相手はどうやら小児科の当直医のようだった。
コウノドリ読まなきゃよかった、と思った。当直医が呼ばれるシーンはろくなことが起きないからだ。産休で暇な中、ちょうど漫画アプリで全話無料だったから読んでしまっていた。
不安で不安で仕方がない中、そのまま会陰の処置をされた。かなり縫われたようだが、それを気にする余裕はなかった。また、これも麻酔のおかげで痛みはなかった。
分娩台の上からだと、隣で処置をされている赤ちゃんの様子がよく見えなかった。赤ちゃんに繋がれた機械に、SpO2 85の文字が光っていた。
SpO2って95%以上が正常値じゃなかったっけ。新生児は80台でも問題ないのかな。そんなわけないよな。死んじゃうのかな。いやきっと無事だよな。でも死んじゃったらどうしよう。
そんなようなことをグルグル考えて、出産の余韻に浸ることはできなかった。
後に夫とこのことを振り返ったが、この時の私は「このままショック死するんじゃないかと思った」と言われるような表情をしていたらしい。
しばらくして私服姿のおじさんが分娩室に入ってきた。さっき電話をしていた小児科の当直医らしかった。
あまり慌てた様子はなく、助産師さんたちに状況の確認と指示を出していた。
検査へと連れていかれる直前に短時間ならカンガルーケアができるよと言われたものの、その数分で何かが手遅れになるのが怖かったので拒否をした。家族3人の写真を数枚だけ撮り、そのまま赤ちゃんを見送った。
赤ちゃんと共にお医者さんも助産師さんも分娩室から出て行き、夫と二人きりになった。
その時夫とあれこれ会話をした。夫は私を労ってくれていたような気がするが、赤ちゃんのことが心配なのと、疲れ果てて眠いのとで頭がいっぱいいっぱいで、今となっては何を話したかあまり覚えていない。
しばらくして助産師さんが戻り、立ち会い終了の旨を伝えられた夫は分娩室から出て行った。
私はそのまま分娩台の上で気を失うように寝落ちした。
2時間ほどで起こされ、車椅子に乗せられ、個室へと連れていかれた。
部屋についてから入院に関するあれこれの説明を受けたものの頭がぼんやりしていたため何を言っているかさっぱり分からず、とりあえず分からないことがあれば聞けばいいやと思いナースコールの番号だけ覚えて眠ることにした。
2〜3時間後に目が覚めると、下腹部と会陰の傷が信じられないほど痛かった。
しばし耐えてみたものの、もうだめだと思いナースコールをかけると、枕元にロキソニン置いてるってさっき説明したよと言われた。そんなの覚えてません。
ロキソニンを飲みしばらくすると少し痛みが引いてきたので再度眠りについた。
翌朝、朝食が部屋に運ばれてきた。ご飯が美味しいと評判の産院を選んでいたため、朝からかなり豪華な食事だった。
しかし食事の豪華さ以上に、妊娠中に感じていた味覚の変化が元に戻っていることにいたく感動した。美味しいものを美味しいと感じられることはとても幸せなことなのだと思った。
その後ハミガキをした際、妊娠中ずっと悩んでいた舌の白さが軽く磨くだけで綺麗になることに気づき、これにも大変感動した。
たった1日でこんなにも身体の状態が変わることが不思議だし、面白かった。
お昼頃には赤ちゃんが保育器から出ることができた。すやすやと眠る元気そうな姿を見て、ほっとして涙があふれた。無事で本当によかった。
産後は母児同室がメインなのだが、「ママの休息と回復が最優先」と言ってくれる助産師さんたちの言葉に甘えて、ほとんどの時間をナースステーションで預かってもらった。
入院中には、だっこの仕方、おむつの替え方、ミルクの与え方、沐浴の仕方、産後の過ごし方などを教わった。
事前に育児本やYouTubeで勉強していたものの、座学と実践は全く違う。下半身の激痛に耐えながらふにゃふにゃの新生児を相手にするのはとても大変だったが、愛おしく、充実した時間だった。
最終日、チャイルドシートを搭載した車で夫が迎えにきてくれた。素晴らしい秋晴れの退院日和だった。
分娩・入院費用で既に42万円を支払っていたものの、諸々の処置や薬代等で追加費用が6万円ほどかかった。一時金の直接支払をあわせて、計90万円也。共働きでよかった。でも、出産も保険適用にしてもらえると嬉しいです。
帰宅後、お祝いのケーキを夫が買ってくれていた。妊娠中に食べられなかったお寿司も出前をとってくれた。お寿司とケーキを、ベビーベッドで眠る赤ちゃんを見ながら夫と二人で食べた。
出産の思い出をインターネットの海に流していつまでも見返せるようにしておこう、あわよくば誰かからおめでとうと言ってもらおうというよこしまな考えで書いたものでしたが、思いのほか多くの方に読んでもらい、お祝いの言葉をいただけて大変嬉しいです。
まだ退院から1週間も経っていませんが、少しずつ新生児との生活にも慣れてきました。
分娩直後はどうなることかと思いましたが、赤ちゃんは元気です。今日もたっぷりとミルクを飲んでたくさんお昼寝しています。
たまに悪魔のように泣き喚いてどうにもならない時もありますが、元気に泣いてくれる方が嬉しいよねと自分と夫に言い聞かせてほどほどに奮闘しています。
昨日ようやく命名ができたので、今日は出生届等の書類を用意しています。確定申告のことは何も考えていなかったので、ちゃんと調べます。ブコメでのアドバイスありがとうございました。
また、冒頭で少し夫の愚痴を書いてしまいましたが、つわりの酷かった妊娠初期から今現在まで、ずっとフルパワーで支えてくれている最高の夫です。
陣痛開始時の二度寝は、100点満点中10億点取っていた中での減点マイナス10点で9億9999万9990点になったくらいなのであまり気にしていません。
茶碗の中のご飯は片付ける際にかっこむし、生姜焼き定食は玉ねぎ数切れをいつまでも取っておく
なので嫁から残っていることをよく指摘される
極端に食べるのが遅いとかでもない
常に発動しているともいえずなんとも回避が難しい
少しだけ心当たりがあるのは、自衛官だった頃に先輩と食事をする際によくこの手法を取っていたことだ
自衛官は食事時間もたいてい短い上に統率を重んじる傾向があり、全員が一緒に食べて一緒に終わるのを良しとする。上の人より食べるのが遅いなんてのは嫌われる要因でしかない。
なので最初の方でさっさと飯をかっこんでおいて、先輩が切り上げるタイミングで後輩が最後の一口をすすって「自分も今食べ終わりました」とスタートとゴールを無理やり揃える風習があったりする。
小さいころからたびたび足を運んでいたその店も、建物の老朽化が進み、その年季が入ったさまは年老いていく祖父母と重なって見えた。
十年後、ひょっとすれば来年にでも、もう一度同じ顔触れで、この店で食事をとることはできないかもしれない...。時の流れは絶えず、いつまでも子供のころのままではいられないのだろう。そんなことを考えながら、かけそば定食と食後のいちごパフェを頂いた。(正直いちごパフェは頼まなくてもよかったが、なんとなく俺は昔と変わらないよという姿を祖父母に見せたかった、と謎弁明をしておく。)楽しい食事会ではあったが、どこか寂しい思いが胸に残った。
家を出てすぐのところに貸本屋があり、中の棚を眺めることはなかったけれど、店頭で売っていた『小学〇年生』をいつもここで買っていた。
駅前には3~4階建ての大きな本屋があり、一番お世話になった。電車通学をするようになってからは毎日のように通った。
2階に児童書とコミックス、3階に学習参考書が並んでいた気がするが、1階の文庫本コーナーの前に立って、勝手に大人の仲間入りをした気分になるのが好きだった。
商店街の入り口にもワンフロアの結構大きな本屋があった。学研のひみつシリーズはここで買った。
コロコロコミックスを買って帰った時は、親に「返してきなさい」と怒られ、本屋さんにも申し訳ないことをした。
商店街の脇道にも小さな本屋があって、ちょっとサブカル寄りの品揃えだった。中高生になって親のチェックが入らなくなると、ここでよく雑誌を買った。
商店街を抜けた先にも本屋があったけど、そこまで足を延ばすことは殆どなかった。
思い出の本屋はもう1軒も残っていない。
今住んでいる街には、まだ2軒の本屋が残っている。
小学生の子供も本屋が大好きで、連れて行くと「もうそろそろ帰ろう」と声をかけるまで、いつまでも立ち読みしている。
帰りには必ず何か1冊以上買ってあげる。